この素晴らしい魔王に祝福を!   作:春野 曙

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この未知の迷宮に安らぎを!

 息が上がる。体力には自信があったが、勝手のわからないこの屋敷は見た目以上に広く中々外に出ることが叶わない。

 角を曲がる。もう何度目だろうか、階段も見つからない廊下を走るのは。普段の鎧と違い何の防御力もないくせに布の枚数だけ無駄に重量があるドレス。装飾品がこれでもかと差し込まれセットアップされた髪。機動性など欠片も考慮されていないヒール。立場上気にも止めなかったが、今はその全てが鬱陶しい。

 

「くっ……! これで何度目の行き止まりだ! どうなっているんだこの屋敷は!」

 

 早くこの屋敷から脱出しなければ。一刻を争う事態に気ばかりが急き、焦りはそのまま態度に還元される。息を整える間もなく拳を握ったダクネスは、壁を殴りつけたい衝動を抑えて踵を返す。

 その時、廊下に声が響いた。

 

「〈ダスティネス・フォード・ララティーナ、屋敷の中で道に迷う〉」

 

「ッ! 貴様……ッ!」

 

「どこに行かれるのですダスティネス卿。そちらにお手洗いはございませんよ?」

 

「……その呼び方はやめろ、シロウォズとやら。カズマやソウゴの元いた世界に貴族制はなかったと聞いたぞ」

 

「領主殿から丁重に扱うよう仰せつかっておりますので、ご容赦願いたい。私としては、『ララティーナ奥様』とお呼びするのもやぶさかではございませんが」

 

「ダスティネス卿と呼んでください。お願いします」

 

 振り返った目と鼻の先に、その男はいた。屋敷に来てからずっとアルダープの後ろに控えていた『シロ』と呼ばれる異国めいた白ずくめの服に身を包む男。この怪しげな人物が『元敵(ダークライダー)』とやらであることは、一目見て気がついていた。

 ソウゴから聞いた特徴通りの、妙に薄ら寒い雰囲気を纏う彼は胡散臭い笑みを顔に貼り付けてダクネスを覗き込む。

 

「あまり勝手に出歩かないでもらいたい。お目付け役として気が休まる時がないからね」

 

「黙れ! また私の邪魔をするのか!? お前は昨日も……! 昨日も……?」

 

()()? おかしなことを言うね、ダスティネス卿。君が逃げようとしたのは()()()()()()。そうだろう?」

 

「そ、そんなことはどうだっていい! 早く私をここから出せ! 早くしなければ父上が……!」

 

「すまないが、それはできない」

 

 ずいっと顔を近づけた白ウォズは、ダクネスの口を指で抑えた。おちょくるようなその顔に拳を見舞おうと腕を振るが、それを少し体を反らせて避けてみせた彼は懐から取り出したペンをくるくると手のひらで遊ばせ少し考える。

 

「くっ! 一発当てさせろ!」

 

「不器用と聞いていたが、まさかここまでとは。この世界の冒険者とやらは、スキルを習得しなければこの程度なのか……?」

 

「う、うるひゃい! これは自前だ!」

 

「おや、そうなのかい? まあどちらでもいいさ。私の導く未来には関係のない話だ」

 

 そう言うと、彼は手に持っていた板、未来ノートを開く。組み付き、腕力に物を言わせればこの優男を退けることは容易いだろう。しかし、どうしてもこの気味の悪い男に勝てるビジョンが見えなかった。まるで経験したことがあるような不思議な感覚に戸惑っていると、白ウォズは未来ノートの上でペンを走らせる。

 

「ダスティネス卿は、歴史の修正力というものをご存知かな?」

 

「修正、力……?」

 

「最低最悪の魔王という未来を拒み続けても、歴史の墓標たる墓守の魔王は誕生した。違う道を選んで過程が変わっても、歴史に残る事実は変わらないということさ」

 

「墓守の魔王……?」

 

「詰まるところ、未来は収束する。例えアナザーワールドに派生した可能性であっても、真実を捻じ曲げ、この世界の未来にこじつけることはできる。今から見せるのはその修正力を利用した、ちょっとした裏技の副産物さ」

 

「一体何の話をしている!?」

 

「〈ダスティネス・フォード・ララティーナ、        に再度記憶を奪われる〉」

 

 白ウォズがそう言うと、彼とダクネスの間に見覚えのある灰色のオーロラカーテンが出現した。

 揺らめくそこから現れたのは、“異形”その一言に尽きる怪物。非生命体のような緑の体色だが、厚みのある体躯は有機的な凹凸が目立つ。闘牛のような一対の角は錆びて朽ちており、同じく赤錆色のボロボロのマントが肩から地面に垂れていた。

 モンスターとは本質が違う、体にダクネスには読めない文字が刻まれたその怪物は、立ち尽くすだけで動く気配はまるでない。

 

「私の異世界同位体がアナザーディエンドの力を手にしたのなら、私にもその可能性があるということ。世界線を同一化させて私がアナザーディエンドになることもできるが、そうなると私は私でなくなってしまうからね」

 

「こ、この怪物で私をどうするつもりだ! これほどまでの闘気であれば、今の私ではどうすることもできない……! まともに抵抗することさえ難しいだろうな! さぁ、全力でかかってこい!」

 

「毎回同じ台詞を言わないでもらえるかな」

 

 呆れ気味の白ウォズはパチンっと指を鳴らす。キザな振る舞いに身構えたダクネスの前で、それを合図に異形は前方へと手をかざす。

 今自分が鎧と剣を持っていないことが口惜しくなるほどの威圧感にダクネスは拳を握るが、意思とは逆に視界はぐにゃりと波を打った。堪らず膝を突くが、まるで世界そのものが揺れているかのような感覚に顔を上げることすらままならない。そんなダクネスの頭上から、白ウォズは言葉を撒き散らす。

 

「毎度毎度、人とは思えない恐ろしい精神力だね。だが、あまり抵抗すると脳に障害が残りかねないよ」

 

「わたしに……なにを、した…………ッ!」

 

「少し記憶をいただくだけさ。領主殿には悪態をつかれたが、魔王の手前君をずっと屋敷に拘束するのは無理があるからね。ただ、我々にとって都合の悪い記憶はここに置いていってもらう」

 

「こ、れは……わたしの望む、ものとは、ちがう……!」

 

「君の望みは知りたくもないが、もう少し真面目に倒されてくれないかい?」

 

 白ウォズの声が遠くなる。底なし沼に沈んでいくように、少しずつ意識が掠れていく。敵の前で気を失うなどありえない。そう自分に言い聞かせ必死にもがくが、もがく程に頭痛が酷くなり歪んだ視界が三半規管を狂わせる。もう自分が屈んでいるのか、うつ伏せているのか、仰向けで倒れているのか、それとも立っているのかすらわからない。

 感覚が狂う。思考がみだレる。。コとばが蟠ゥ繧後k。。。

 

「まだ魔王に計画を知られるわけにはいかないのさ。契約者のためにも、ね」

 

 白ウォズの体裁を整えた言葉を最後に、ダクネスの意識はプツリと途切れた。

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「キールダンジョンの調査?」

 

「はい。つきましては、ソウゴさんにも同行していただきたく」

 

 とある非番の日、ギルドに呼び出されたソウゴは対面に座るセナからそう告げられた。セナの隣に座るルナも、神妙な面持ちで会話に参加してくる。

 

「危険度はバラバラですが、近頃ようやく森にモンスターが戻り始めたようなんです。しかし一度焼け野原になり全モンスターが退避したことで、生態系は完全にリセットされてしまいました」

 

「その節はすみませんでした」

 

「いえいえ! トキワさんがいなければデストロイヤーの襲来でこの街は地図から消えていたはずですから!」

 

 頭を下げるソウゴに、ルナは慌ててフォローを入れた。

 今のところ、セナたち国家公務員にサキュバス周りの話は伏せている。精神的ショックの大きかった者たちのメンタルケアを行ってもらいはしたが、国に仕える者に存在を明かすことは世界の常識を覆せる手札が揃うまで控えたいというソウゴの考えに寄るところが大きい。

 仕切り直しとばかりに、セナが咳払いをする。

 

「そこでこの度、冒険者たちを募り森の現状を調査する隊を緊急で編成することになりました。ですが、アクセルの冒険者たちのほとんどは稼ぎのために遠征している状態です」

 

「なるべく人が欲しかったので、サトウさんたちにもお願いしたかったのですが……」

 

「そのー、ごめんね?」

 

「……まあ、借金の返済も大事ですからね。デストロイヤーの調査隊のときより冒険者たちも協力的ですし、今回はソウゴさんに参加してもらえればそれで構いません」

 

 二人のバツの悪そうな表情に対していつも通りへらへらとした笑みを見せるソウゴは、本来ここにいるはずだった三人について想起した。

 

 アクアは朝から外壁工事。親方に認められ、かなりの額昇給しているらしい。最近では借金の事を忘れ楽しく働いているようだ。

 めぐみんは喫茶店。ゆんゆんも同じ店で勤め始めたらしい。個人成績で勝負している話を、毎日のようにゆんゆんが門まで報告しに来るようになった。

 そしてカズマは就寝中。本人は否定しているが、休みの前の日は必ず暖炉の前のソファで本を読み夜を明かしている。ダクネスの帰りを待っているのだろうことは想像に難くないし、察しためぐみんも敢えて何も言わないでいる。

 

 借金問題とアルダープの件が解決していない以上、全員がこちらに協力するのは難しいだろう。クエスト斡旋の件はそもそも自分の理想が巻いた種。気を取り直して、ソウゴだけでもこちらの案件に集中することとする。

 

「それで、ダンジョンってなに?」

 

「ダンジョンとは、ダンジョン主が作り上げた地下迷宮のことです。モンスターが湧くので危険な場所ですが、そういう特性を利用して野盗が根城にしたり奪った金品の隠し場所にしたりするので、お宝目当てで探索する冒険者さんもいますね」

 

「ふーん。じゃあ、そのダンジョンにもお宝が?」

 

「いえ、キールダンジョンは既に探索し尽くされたダンジョンなんです。発生するモンスターも弱く、駆け出し冒険者の練習用ダンジョンとして今は使われています。外には避難所もありますよ」

 

「そうなんだ。でも、それなら俺はダンジョンの調査より外見てたほうが良くない? 強いのもいるかもしれないんでしょ?」

 

「ダンジョンの内部は灯りがないため見通しが悪く、発生するモンスターも弱いとはいえアンデッドや低級の悪魔など様々です。攻略には最低でも複数人必要ですから、監督役の私と柔軟に対応できるソウゴさんの二人で潜った方が効率的かと」

 

「森の調査には動ける冒険者の皆さんと、最近やってきた紅魔族のアークウィザードさんにも声をかけていますから、早々遅れは取りませんよ」

 

「そっか。なら安心だね」

 

 ふむ、とソウゴは納得のポーズをとる。上級魔法が扱えるゆんゆんがいれば、多少強いモンスターが現れても戦えるだろう。近接戦でもサキュバス目当てで遠征に出ていない冒険者たちがいるなら特に問題はない。そして何より、自分の地下迷宮という未知の領域への好奇心もある。

 たまには自分も息抜きを。そんな風に考えたソウゴは二人にいつも通りのへらへらとした笑みを見せた。

 

「俺、冒険ってやつしてみたかったんだよね」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 闇というのは、いつだって危険なものを隠している。人の目から隠れ悪事を働くには丁度良く、助けを呼ぼうにも悲鳴がどこから聞こえているのかわからない。松明程度のか細い光では、足元の崩れた瓦礫の位置を把握できてもこの階段が一体どこまで続いているのかはわからないように。

 

「なので絶対に油断しないでくださいね。ソウゴさん」

 

「うん。わかったからちょっと離してくれない? 流石に腕に抱きつかれてると色々と困るんだけど……」

 

 不揃いだが隙間なく組み上げられた石造りの壁から、モンスターたちの息遣いが伝わってくる気がする。それとは別に、松明を持つ方と逆の腕からは健全な男性にとっては反応に困る柔らかな感触が。

 しかし、ソウゴの訴えは即座に退けられる。

 

「これはどちらかが躓いたときすぐにもう一人が助けられるようにという意図があり、決してやましい意味があるわけではありません。お構いなく」

 

「いや、セナが気にしないなら俺も気にしないようにするけど……。なんだか、たまに目が恐いよ」

 

「私にくっつかれるのは嫌ですか……?」

 

「恋人とかいたことない俺が言うのもなんだけど、そういうのは好きな人に言ってあげてね。ドリスの時から思ってたけど、女の子なんだしそういうの気にした方がいいよ」

 

「そ、そうですか……!」

 

 腕を締め付ける力が強くなったことで、ソウゴのお説教が意味をなさなかったことを悟る。寝間着のダクネスやアクアのスカートの短さから薄々感じてはいたが、この世界における貞操観念というか、やはり日本とは違う価値観には数ヶ月生活した程度で慣れることはなかった。

 

(セナ、暗いところ苦手なのかな?)

 

 ここに来る道中でダンジョンの危険性をこんこんと説明されたが、ぶっちゃけてしまうとソウゴには直近の未来を予見する力があるので目を瞑っていてもこの未知の地下迷宮とやらを初見で踏破することが可能だ。なんなら魔力そのものを感知できるので、一度もモンスターに会わず帰還することも。

 

(でも、それじゃ面白くないよね)

 

 だが、先を知っていてはつまらない。継承した歴史の影響でお化け屋敷を楽しめなくなったソウゴだが、わざわざ自分からお楽しみをふいにしてしまうような、そんな面白味に欠ける選択をする男ではないのだ。

 篝火でセナの足元を照らしながら、可能な限り恐怖心を煽らないよう注意しつつ彼女の歩幅に合わせてのんびりと長い地下への階段を降りて行く。そうしていると、不思議そうにセナは問いかけた。

 

「そういえば、どうして松明なのですか? ランプの方が明るいですし、火だと消えてしまえば再点火も難しいですよ」

 

「だって、こっちの方が冒険感あるでしょ?」

 

「はあ……」

 

「怖いならランプに変えるけど」

 

「いえ! 暗くてむしろ吊り橋k……モンスターを刺激せず調査が進められそうなのでいいかもしれません。松明のまま行きましょう」

 

「セナは真面目だね」

 

 そうこうしているうちに階段を降りきったようだった。広い空間に出たため、立ち止まって辺りを照らす。入り口の光が随分と遠く見えるが、段数を考えれば当然だろう。明かりを灯せるような場所もなく、風や水の音もしない。静寂の支配する世界が、そこにはあった。

 映画では不用意にトラップを発動させて棘のついた天井が落ちてきたり、巨大な玉や水責めに苦しんだりするのだろうが、残念ながらその心配はなさそうだ。ここが初心者向けという話を踏まえても余りあるワクワクに、ソウゴは胸を踊らせていた。

 

「あっ、宝箱」

 

「気をつけてくださいねソウゴさん。ダンジョンにはダンジョンもどきという、風景に擬態して宝箱や人の姿の疑似餌を利用し獲物を食らうモンスターがいますので」

 

「へぇ、生きる工夫だね」

 

 カメレオンみたいなものだろうかと想像する。どの世界でも野生の生き物は環境に適応するために進化しているんだなぁ、などと見当違いなことを考えながら松明を揺らして道を探す。進むべき、魔力溢れる細道を見定めたソウゴは、恐れなど知らない子どものようなキラキラとした無邪気な笑みをセナに向けた。

 

「それじゃ、探検始めよっか!」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「おいお前ら! 俺を囮にすんなって何回言やわかんだよ! 魔法当たりかけたぞ!」

 

「何よダスト。餌でも囮でも役に立てるんだからたまには頑張りなさいよ」

 

「嫌だね。俺は楽して金を手にし、サキュバスんとこの割引券をもらうんだ。だから最後尾で怠けたい」

 

「あんたね……」

 

「そんなこと言ってるから一人だけ〈潜伏〉スキル使ってもらえないんですよ……」

 

「ちょっと乳がデカいからってデカい態度取るなよ新人のクソガキ。まずは上納金を払うところから始めろ」

 

「あなた本当に最低ですね!」

 

 ソウゴたちが冒険を始めた頃、外回り組はゴブリンの亡骸を前に言い合い……というよりダスト対女性陣の口論が行われていた。

 討伐したモンスターの詳細や観察して得た情報は都度クリスが取りまとめ、他の冒険者たちで接近したモンスターと対峙するという非常にわかりやすい役割分担。冬前の森と変わらないモンスターたちの分布に、雑談を話半分で聞き流していたクリスは一人胸を撫で下ろす。

 

(駆け出し冒険者の街の近くに強力なモンスターが住み着いたらどうしようかと思いましたが、一安心ですね。強力な個体も確認できませんし、この分なら前と変わらない生態系が蘇るでしょう)

 

 女神としてこの世界の変化を危惧していたが、杞憂に終わったようでほっとする。これでソウゴに変身を自重し続けてもらえば、元通りになるのもそう遠くないだろう。

 そんなことを考えていると、ダストが悪態と共にため息をつく。

 

「あーあ。王様はいいよなぁ。今頃は暗いダンジョンで乳のデカい堅物の姉ちゃんとお楽しみだろ? こっちは胸の寂しい盗賊に紅魔のガキのお守りだってのに」

 

「ダストは本当にブレないね。しばくよ」

 

「お守りってなんですか! ダストさんより活躍してますよ!」

 

「ソウゴは戦えない検察官連れて一人でダンジョンよ? あのなんとかって鎧の姿にもなれないんだから、こっち組で感謝しなさい。あと二人に謝れ」

 

「俺は謝るって言葉が嫌いだ。それによ、リーン。あのわけわかんねぇ王様だぜ? どうせ素手でも馬鹿みたいに強いに決まってんじゃねぇか」

 

「でもスキルも魔法も使えないのよ? 暗闇で戦えてるのかどうかすらわからないでしょ」

 

「……あいつなら体光らせたりできそうだよな」

 

「否定はできないわね……」

 

「ダンジョン掌握して新しい主になってたりしてな」

 

「アタシもそれは思ってた」

 

「皆さんの中で、ソウゴさんがどんなイメージなのか気になります……」

 

 ゆんゆんは自分の中のイメージとかなり乖離があることに戸惑うも、戦闘面において全幅の信頼を置かれていることは察する。実際戦っているところを見たことがないのだが、それでも“魔王”と呼ばれ畏怖される程度の実力なのだろうと想像はできるからだ。

 ふと疑問が浮かんだゆんゆんは、こそっとクリスに耳打ちをする。

 

「あの、ソウゴさんってそんなに凄いんですか?」

 

「凄いなんてもんじゃないさ。あれはね、この世の理不尽の化身だよ。ね?」

 

「そうだな。あいつが苦戦してるところなんて想像できないぜ」

 

「はぁ……?」

 

 いまいち要領を得ないゆんゆんの謎は、更に深まっただけに終わった。一人で首を傾げるが、のんびりとしている時間は早々に切り上げることになる。

 

「おい! またゴブリンの群れだ! この分なら初心者殺しがいるかもしれないぞ!」

 

 偵察を行っていたキースが木の上から激を飛ばした。初心者殺しというゴブリンとは危険度の違うモンスターの気配に、ピリピリとした緊張が走る。各々がさっきまでの冗談めいた雰囲気から、戦うための意識へと切り替えていく。

 

「初心者殺しね。カズマの初級魔法で追い返したのが懐かしいわ」

 

「〈敵感知〉に反応はないよ。まだ周りにはいないかも」

 

「ならとっととずらかるとしようぜ。ゴブリンの調査ならもう済んでるだろ」

 

「ダストにしてはまともな意見ね」

 

「金にならねぇ討伐なんてやってられるか」

 

 それぞれが自分の役割に戻り、クリスの先導で移動を開始する。仕事はまだまだ残っているのだ。心配など無用な時の魔王のことを頭の片隅に追いやったクリスは、〈敵感知〉スキルに意識を注いだ。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ねえセナ。このラットの親玉みたいなのがグレムリンだっけ」

 

「はい。下級の悪魔です」

 

「あ、この骸骨は初めて見るかも。アンデッドナイトだっけ? 君、ベルディアの仲間だったよね」

 

「それはスケルトンです。アンデッドナイトは騎士の死体がゾンビ化して発生する上級のモンスターですから、ここにはいませんよ」

 

「ふーん。ローブから鎧に変わっただけなのにそんなに違いがあるんだ。それにしても幽霊系多いね。セナは平気?」

 

「あまり得意ではないので、仕事以外では関わりたくありませんね。ところでその……お聞きしたいことが……」

 

「ん? 何?」

 

「ソウゴさんは本当に魔王軍の関係者ではないんですよね?」

 

 セナは、ダンジョン内で整列し萎縮しきったモンスターたちを前にそんな問いを漏らした。

 襲いかかってきたモンスターを足蹴にし、威圧だけで戦意を刈り取った挙げ句へらへらと笑いつつ獣の群れを震え上がらせる彼を前にすればその疑問は当然だろう。野生の本能というのは、時として知性よりも正しい判断が下せるという実例か。「魔王軍幹部です」と冗談を言っても信じてしまいそうなセナに対して、ソウゴは変わらないへらへらとした笑みを見せる。

 

「違うって言ってるじゃん」

 

「むしろ違う方が恐いのですが……」

 

 少し引きながらセナはレポートをまとめていく。これまで現れたモンスターの記録をなぞるが、キールダンジョンの危険度が上がったとか、そういう素振りは見受けられない。主が不在であるためかトラップなども追加されることがなく、練習用のダンジョンという体は保っているようだった。

 用が済んだモンスターたちは、魔王の許しを得て暗闇へと一目散に走り去っていく。面倒なマッピングも、戦闘も、その全てが免除されたダンジョン探索。これだけ楽に事が進んだので報告に必要な情報は全て揃ったと言っていいだろう。資料にまとめ「異常なし」と報告すればクエストは完了だ。

 

「どう? 結構モンスター見たと思うけど」

 

「いえ、まだです。やはりフロア全てを隈なく調査しなくては」

 

「セナは仕事熱心だねぇ」

 

 だがしかし、チャンスは活用するに限る。済んだ仕事のことは置いておいて、ここからは職場で得た既婚者たちの知識をフル投入し、ベストを尽くすために知恵を絞る。吊り橋効果は期待できない。その上さらっと腕を組み直しても、指を絡めても微動だにしない。この男を攻略するためには、打てる手は全て打つ。

 そう決めてアクションを起こそうとしたとき、松明の光が揺れた。

 

「…………待って」

 

「どうされました、ソウゴさん?」

 

 不意に、ソウゴは足を止める。するとキョロキョロと辺りを見回し始め、セナに松明を預けると、何かに導かれるように壁に近づきそっと石壁に耳を押し付けた。

 行動の意味がわからず、セナは首を傾げる。

 

「ソウゴさん……?」

 

「この先、何かある気がする」

 

「え?」

 

「凄い魔力を感じる。ウィズか、それ以上の」

 

 セナはか弱い松明の明かりの下で、歴代冒険者たちがマッピングしてきた地図を広げる。この先に隠し通路があるなど記されていないが、確信めいたソウゴの言葉に不思議とそれが嘘であると疑うことはなかった。

 壁を丁寧に調べるソウゴだが、暗がりかつ手探りは流石に無理があったようで壁から離れる。

 

「セナ、ちょっと離れて」

 

 だが、諦めたわけではない。まさかと言う表情のセナを下がらせたソウゴは、少し力を込めて右足を壁に打ち付けた。

 

「えい」

 

 軽い掛け声とは対象的な轟音が分厚い石の壁を蹴破った。砂埃が奥の空洞から噴出してくるが、ソウゴが意に介した様子はない。

 こんな趣きの欠片もない力技で隠し通路を突破されると思っていなかったであろうキールに対して、セナは少し同情した。

 

「後で直してくださいね」

 

「わかってるよ」

 

 セナから松明を受け取ったソウゴは、目の前に開かれた未踏破の通路にキラキラとした目を向ける。その瞳には、土煙より濃厚に漏れ出す魔力がしっかりと映っていた。高揚感がソウゴの内から湧いてくる。

 

「これってさ。俺たちが初めて入る場所なんだよね?」

 

「そうですね。ここからはマッピングの必要がありそうです」

 

「えへへ。わくわくしてくるね! なんだか、楽しそうな気がする!」

 

 セナの手を引き、通路に一歩足を踏み入れる。冒険の予感に胸を高鳴らせるソウゴは、抑えきれない笑みを浮かべながら未知の世界へと進んで行った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ほとんど一本道でしたね。モンスターも見かけませんし、忘れ去られた通路ということでしょうか」

 

「いや、モンスターはいたよ。見たことあるのばっかりだからいいかなって思って逃してたんだけど。苦手って言ってたし」

 

「そ、そうですか……。ありがとうございます」

 

 松明係を引き受けたセナがそんな気遣いに熱っぽい目を向けてきても、通路の脇にあった小部屋を調べることに夢中のソウゴが気づくことはない。木製のタンスも、本棚も、元はかなり上等なものであったはずだろうが、今や見る影もないほど劣化しよく燃えそうなだけの廃材も同然。机の横に立て掛けられた木の残骸も、錆びついた弦が付いていることで辛うじて楽器だったろうことが伺い知れる。

 

「しかしすごい埃ですね。モンスターも近寄っていないのでしょうか」

 

「どうだろうね。徘徊してても気づきにくいし」

 

 本棚にあった書物を引き抜き適当にパラパラと開く。伝記や小説のようだが、虫食いや風化が目立つためこの世界の知識が乏しいソウゴには判別が難しい。ただ、軽く目を通しただけでも冒険活劇、恋愛物、おとぎ話と、ここの全てが娯楽作品であることはわかる。

 

「これって全部キールの私物なのかな?」

 

「キールかどうかはわかりませんが、未踏破ポイントですしこの通路を作った人物の物だと思いますが。何か気になることでも?」

 

「ううん。別に。ここの本ってどれくらい前のものかわかる?」

 

「言い回しや題材、編纂者からして、恐らくは数十年以上前のものかと。発行元に問い合わせれば、ここに残されている巻数からおおよその期間は推測できると思いますよ」

 

「ふーん、そっか。まあ、そこまでする必要はないかな」

 

 開いていた本を戻そうとした時、本から何かが抜け落ちた。拾ってみると、それは四葉のクローバーが綴じられた可愛らしいデザインの押し花の栞。その妙にこの場に似つかわしくないものが気になったソウゴは、それをそっとポケットにしまい込む。

 

「ですが、何と言うか意外でした。大魔術師キールのダンジョンですから、禁忌の魔導書などがあるものだと思っていましたが」

 

「大魔術師?」

 

「ソウゴさんは知りませんでしたか? この辺りでは有名なおとぎ話ですよ」

 

 こほん、と咳払いをしたセナは、物語を読み聞かせるような口調で語り始めた。

 

 

 

 大魔術師キールの物語。

 その昔、希代の天才と讃えられた一人のアークウィザードがいました。色恋沙汰に興味を示さなかった彼は、魔法の研究と修行に明け暮れる毎日を過ごしていました。

 そんなある日、彼は街で偶然見かけた貴族の令嬢に一目惚れしてしまいます。ですが彼女は王族へ嫁ぐことが決まっており、その上自分とは身分の差もある。叶わぬ恋だと悟った彼は、彼女を忘れるため更に研究に没頭していったのでした。

 時が経ち、研究の全てを惜しみなく国に捧げ発展に貢献してきた彼は、いつの間にか国一番の大魔術師と呼ばれるようになっていました。そんな彼に、王は言いました。

「一つだけ、何でも望みを叶えよう」と。

 キールは王に言いました。

「私には、叶わない望みが一つあります。――

 

 

 

「結末は出版社によってバラバラで、史実でもキールの望みについては詳しく語られていません。色々な説はありますが、具体的に何を望んだのかは伏せられています」

 

「へぇ。なんでそんな人がこんなところ作ったんだろ。駆け出し冒険者のため?」

 

「どうでしょうか。一説によると、国に仕えていたキールはその褒美と称して妾となったその令嬢を攫いここに立て籠もった、という逸話がありますが」

 

「ふーん。攫った、か……」

 

 ホコリの積もった机を撫でる。固まったインクボトルに刺さったままの羽ペン。何か熱心に書き物をしていたようだが、それはきっと床に散乱した紙切れなのだろう。拾い上げ、もう続きが奏でられることのないそれを見てソウゴは呟いた。

 

「それはなんか、違う気がする」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「行き止まりですね」

 

「そうだね」

 

 小部屋のあとは目新しいものはなく、未踏破ポイントと言う割には罠もない簡素な一本道だった。まるで屋敷の廊下を歩いているような感覚に、ソウゴの違和感は確信に変わる。

 

「でも、この壁の向こうから魔力は流れてきてる」

 

「また蹴破るんですか?」

 

「いや、その必要はないかな」

 

 自信ありげに行き止まりへと向かったソウゴは、突き当りの壁を眺めるとそっと触れる。すると、その壁は訪問者を待ちかねていたかのように組みこまれたダミーのブロックが消滅し、隠された最奥の部屋を顕にした。溜め込まれた魔力が一気にソウゴの肌を撫でる。

 

『…………そこに誰かいるのか』

 

 声がした。ゴールには大抵“主”がいるもの。そんなことはゲームが不得意なソウゴだって知っている。故にその声にソウゴが驚くことはない。だが、ここまでで人が生きている痕跡が見受けられなかったせいか、セナはビクリと身構えた。そんな彼女を背に庇い、ソウゴは名乗りを上げる。

 

「俺は常磐ソウゴ。このダンジョンの調査に来た、最高最善の魔王を目指す者だよ」

 

『魔王か……。最近、光と闇の入り混じるとてつもない力を感じるようになっていたが、それは君だったようだね。なら後ろのお嬢さんは、さしずめお妃様と言ったところかな?』

 

「お、おおおおきさき!?」

 

「彼女はセナ。一緒に調査に来た検察官だよ。真面目なんだから、あんまりからかわないであげてね」

 

『ハッハッハッ。それは失礼した。少々口が過ぎたようだ』

 

「それで、アンタは?」

 

『私かい? 私の名はキール。このダンジョンを創り、貴族の令嬢を攫っていった――悪い魔法使いさ』

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 ――それは愛する人が虐げられず、幸せになること」

 

 

 

『彼女はご機嫌取りのために嫁がされた娘で、城内ではひどい扱いを受けていたのさ。だから「いらないのだったら私にくれ」と。そう言って私はその令嬢を攫ったのだよ』

 

「へぇ。キールって、悪い魔法使いなのに優しいんだね」

 

『ハッハッハッ。そう言ってくれるのかい? それは嬉しいね』

 

 肉が朽ちてしまい骨だけになった体でも、キールは朗らかに笑って見せた。

 生前から陽気な人物だったのか、ソウゴの反応にケラケラと笑う姿は表情がわからずとも人間のそれだった。流石に骸骨が話すのは怖いのか、セナはソウゴの後ろから少し顔を出して様子を伺っているが、敵意のなさは感じ取っているらしい。服を掴んでいた力が弱まっているのがその根拠だった。

 問題なさそうだと感じたソウゴは、話の続きを催促する。

 

「で、そのあとここに?」

 

『ああ。その場でプロポーズをしたら受けてくれてね。彼女を攫った後は王国と楽しく連日連夜戦争(パーティー)さ。だがその途中、私は不覚にも致命傷を負ってね。彼女を守り抜くためリッチーになったってわけだ』

 

「そっか。じゃあやっぱり、そこの部屋は奥さんのために用意したものなんだね。この譜面もキールが?」

 

『ああそうだよ。逃亡生活の中、彼女は不満も言わずずっと笑っていてくれたからね。私なりに何かできないかと色々してみた結果さ。あの頃は本当に楽しかった……』

 

 過去を懐かしむキールから、涙は流れない。水分などとうの昔に枯れ果ててしまっている骨の体では無理もない。それでもずっとここに一人でいられたのは、きっと、それ程までに楽しくて、幸せな時間だったんだろうとソウゴは思う。たった一人残されても、それでもいいと思えるほどの幸福がここにあったのだ。

 ちらりと彼の傍らを見ると、そこには白骨化した遺体が横たわっていた。視線に気がついたのか、キールは穏やかに微笑む。

 

『彼女がそのお嬢様さ。鎖骨のラインが美しいだろう?』

 

「とても愛していらしたんですね」

 

『ああ。この世で一番ね。未だに彼女のことを想うと熱くならずにはいられない』

 

 彼女と過ごした時間を思い出しているのだろう。骨だけになった愛しい人の手を握るキールの横顔は、幸福に包まれていた。きっと、そのご令嬢も幸せな余生だったのだろう。モンスターから感じるような未練というものを、彼女からは少しだって感じ取ることはできないのだから。

 キールは彼女から手を離すと、ソウゴに対して膝をつく。深々と頭を下げた彼は、かつて彼女を攫うと決めた時と同じく静かに口を開いた。

 

『王よ。若き魔王よ。どうか私の望みを一つ、叶えてはくださいませんか?』

 

「……言ってみて」

 

『私を、浄化してはくださいませんか』

 

 リッチーの浄化。それは、すなわち。

 

『彼女の隣で、ただ朽ちるだけの時間だった。だがこれも巡り合わせなんだろうね。君だったら私を浄化できる。そうだろう?』

 

「いいの? キールを追っていた国はきっと、もう君のことを覚えていない。望むのならダンジョンの外に出て、新しい人生をやり直すこともできるよ」

 

『やり直したいとは思わないさ。私の人生は彼女と共に生きるためにあった。彼女を看取ったとき、私の時計の針は止まったんだよ』

 

「……そっか。心残りはないんだね?」

 

『ああ。もう十分だ』

 

 少しだけ、羨ましいと思う。何の未練もない生というものを。後悔した分だけ時を戻してきたソウゴには、全てを投げ打って良かったと言えるこの魔法使いのことが、眩しく映る。

 

「ソウゴさん……」

 

 セナの縋るような声は、同情……とは少し違う。この、自分の全てを犠牲にしてでも愛する者を幸せにしたいと願った、優しくて愚かな悪い魔法使いに対する願い。一生を捧げた愛のために神の理を捨て、死ぬことの許されなくなった無限の時間をなんとかしてやりたいと思うことは、きっと哀れみではない。

 

「わかってる」

 

 そんな民たちの願いを、王は決して無下にしない。

 

「キール。君の願い、叶えよう」

 

 ソウゴは手を翳した。放たれた黒い靄は三つに分かれ、三つ巴の鬼火の紋章をその身に受けることで人の姿を得る。

 

 いや、人とは違う。

 

 纏うのは炎。風。そして雷。そこに並び立つのは、三人の“鬼”。清らかなる音の力にて、邪悪を鎮める者たち。心に響き、正しきが息吹く音色を煌々と轟かせる歴戦の勇姿がこの世に顕現する。

 

『ほほう……。降霊や反魂とは少し違うようだね。まさか最期にこれほどの御業を拝めるとは』

 

「彼らは、一体……」

 

「“仮面ライダー響鬼”、“仮面ライダー威吹鬼”、“仮面ライダー轟鬼”。人を喰らう妖怪・〈魔化魍(まかもう)〉を音の力で清めて倒す、肉体を鍛え上げ“鬼”になった音撃戦士たちだよ。……お願いできる?」

 

 ソウゴは持っていた譜面を響鬼に手渡す。それをじっと見つめた彼は、返事代わりに顔の横で手首をシュッと払った。その答えに満足したのか、ソウゴはくるりと振り返る。

 

「行こっか、セナ」

 

「いいんですか?」

 

「うん。最後は二人の時間にしてあげたいからさ」

 

 響鬼は音撃鼓を床に、威吹鬼は音撃管・烈風と轟鬼は音撃弦・烈雷をそれぞれ準備する。地にひざを突き、音撃棒・烈火を構えた響鬼を見たキールは、去りゆくソウゴの背中に慌てて声をかけた。

 

『待ってくれ。……これを』

 

 そう言って、ソウゴに風呂敷を差し出す。包まれた隙間から見えるのは、松明の光を反射する眩い財宝。ズッシリと重いそれを渡したキールは、晴れ晴れとした表情で笑いかける。

 

『これはせめてもの礼だ。受け取ってくれ』

 

「……ありがと。大事にするね」

 

『感謝するよ。若き魔王』

 

「民の願いを叶えるのは、王の務めだからね」

 

 ソウゴたちが外に出ると、入口はまた何もない壁へと戻る。数えることすら忘れた時を刻む、見慣れたなんの変哲のない壁に。それを合図に、響鬼は烈火を振り下ろした。

 奏でられるのは、一人の男が愛した女性に向けて紡いだ曲。魔法の研究しかしてこなかった彼が、彼女の笑顔のために拙くても懸命に生み出したそのメロディーは、三人の鬼たちの手によってもう一度生まれ変わる。きっと自分が彼女に贈ったものよりもずっと人々の心を打つ交響曲に、キールは自然と愛する者の手を包んでいた。

 

『……実を言うとね、あるんだよ。一つだけ心残りが。君を幸せにできたかどうか。それだけがずっと、私の余生の中で気がかりだった』

 

 そんな囁きを、誰も聞いてはいない。この場に流れる祝福の音色は、彼の未練すら優しくその調べの中に溶かしてしまう。

 

『しかし困った。最期の最期で心残りが増えてしまうなんて――

 

 キールはゆっくりと眠る。それだけで穏やかな光が体を包み込むのがわかった。ようやく終われるのだと、安堵に似た感情が湧いてくる。薄れゆく意識の中で、キールは呟いた。

 

 ――叶うことなら、君と二人で聴きたかった。

 

 記憶の中の彼女が、優しく微笑んだ気がした。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「どうだった? キールは」

 

「時の魔王の頼みだからね。きちんと例のお嬢様の転生先を調べて、その近くに生まれ変われるようしておきましたよー」

 

「ありがと、クリス」

 

「これで貸し二つ、だからね?」

 

「だから今その一つを返してるんじゃん。今日は奢りだよ」

 

「もう。私をアクア先輩と同じだと思ってない?」

 

 不満げなクリスだが、シュワシュワは美味しいようで賑わう酒場でも聞き取れるくらいゴクゴクと喉を鳴らす。いい飲みっぷりに些か財布の中身が不安になるが、奢ると言った以上男に二言はない。なるべく出費を抑えようと、自分はちびちびとジョッキに口を付けることとした。

 唐揚げを頬張りながら、クリスは問いかける。

 

「それで? その貰ったお宝で借金は返済できたの?」

 

「ううん。お宝には手を付けてないよ」

 

「え、どうして!?」

 

「だってあの借金はアクアの道楽でできたものだもん。それをキールからの心遣いで帳消しにするのは駄目でしょ」

 

「なんて言うか、律儀っていうか、頑固っていうか」

 

「それに、借金がなくなったらカズマもアクアも放蕩三昧な生活になっちゃうからね。借金だってすぐにどうこうなる額でもないし、今くらいの緊張感を維持したいんだ」

 

「それ、皆には言ったの?」

 

「めぐみんには」

 

「だよねー」

 

 やぶ蛇だったなぁ、などと後悔してももう遅い。打算的な計略に少し引くクリスは、今聞いたことを忘れるためシュワシュワを流し込む。とは言え、もう共犯者になってしまっているので逃げることはできないのだが。

 そんな彼女に対し、それに、とソウゴは付け加えた。

 

「お宝はセナと折半だからさ。宝石の付いたネックレス一個しか持っていかなかったし、残り全部お金に変えちゃうのも情緒がないっていうか」

 

「ああ……。大変だね、いろいろと」

 

「そうかな? 結構楽しいよ」

 

「いや、そうじゃなくて……。まあいっか」

 

 首を傾げるソウゴを見て、クリスはため息をつく。人の心の機微に疎いわけではないのに、そういうことに気づいていないのはわざとなのかと疑いたくなるが、この純粋そうな目を見ると天然物だろうと思わざるを得ない。女誑しと言うよりも、人誑しの才能は紛れもなく王の資質なのだろう。それがいいことか悪いことかは別として。

 

(あの検察官の方も、業の深い方ですね……)

 

「ソウゴはいますか!!?」

 

 クリスが呆れていると、ギルドの扉が大きな音を立てて開かれた。

 静まり返った酒場の中で名前を呼ばれたソウゴがそちらを見ると、いつもの杖や帽子すら被っていないめぐみんと視線が合う。慌てた様子で席まで駆け寄ってきた彼女は、息を切らしながら必死の形相でソウゴの腕を掴んだ。

 

「早く帰ってきてください! ダクネスが……!」

 

「……わかった。行こう」

 

 財布をクリスに放り投げたソウゴは、ギルドから飛び出すとライドストライカーを起動させる。ヘルメットもせず跨った彼はめぐみんが後ろに乗ったのを確認するとエンジンを吹かせる。

 

「しっかり掴まっててね、めぐみん!」

 

 爆音が、夜の街を駆け抜けていった。




監視対象に関する報告書 四日目

監視対象の様子が朝から何やらおかしい。いつもならのんびりと過ごし街の人間と交流している午前だが、まるで今日何が起きるのかわかっているかのごとく朝から動いている。監視対象に何があったのか確認を取ったが、はぐらかされるばかりで明確な回答は返ってこない。それどころか、旅程を繰り上げて明日の昼にはアクセルの街に帰りたいと言い始めた。
非常に困った。しかし、初めて見る彼の焦りようから推測するに、かなりまずい状況だと判断できる。これでは今夜はお酒は勧められない。もう少しで泥酔する量がわかりかけたのに。一先ず私情を忘れ、私もアクセルで何が起こっているのか調査を開始する。
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