この素晴らしい魔王に祝福を!   作:春野 曙

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この迷惑な街で騒動を!

「ふぅ……。いいお湯ね」

 

[それは温泉に咲く華、とでも言うべきか。短い赤毛をかき分けるエルフのような尖った耳。透き通るような肌は体が暖まったからかほんのりと赤みを帯びており、タオルでは隠しきれないグラマーな体型をより魅力的に際立たせている。

 ひたっと貼り付いたタオル越しに見える、強調された体のラインは正直全裸よりエロい。なんなら、夜な夜な薄い寝間着で屋敷をうろうろする某クルセイダーよりも。目の保養どころか、アクシズ教徒に散々痛めつけられた心を癒やす特効薬と言っても差し支えないだろう]

 

「昼間から露天風呂とはいいご身分じゃねぇか」

 

「あら、私は湯治に来ただけですもの。楽しめるときに楽しんでおかなきゃ、早くしないと入れなくなるでしょ?」

 

「ああ。もうすぐ全て終わりだ。この忌々しい街からようやく開放される」

 

「あなたがそこまで言うなんて、そんなに手強い相手だったのかしら?」

 

「……ここは、魔境だ」

 

「本当に色々、大変みたいね……」

 

[冗談のつもりだったのか、いたずらっぽい表情から少し困ったように黄色に輝く瞳を垂れさせる美女。湯気越しでも〈千里眼〉を駆使すればわかるその妖艶な仕草に、心かき乱されない男はいないだろう。夏海さんといい彼女といい、温泉には美女を引き付ける効能があるのだろうか。だとするなら、ダクネスがこの街への引っ越しを打診してきたときもう少し慎重に検討すべきだったと後悔する]

 

「ところで……」

 

「あ?」

 

「正面の彼、ずっとこっちを見てくるんだけど……」

 

[そう言って、美女はこちらに不審者を見る目を向けてきた。ただ温泉に浸かり、偶然にも正面になってしまっただけの俺に対して酷い仕打ちである。しかし、そんなことで腹を立てる俺ではない。やましいことは何もしていないのだから慌てることもない。ただまっすぐ見つめ返して、いつも通りクールに笑みを見せる]

 

「大丈夫だ。あれは俺たちの話に興味がある顔じゃない」

 

「いえ、それは私ばかり見ているからわかるのだけど……。あの! そうガン見されると流石に恥ずかしいのだけど……」

 

「お構いなく」

 

「そ、そうよね。混浴、ですものね……」

 

「お構いなく」

 

[女性に恥をかかせるわけにはいかず、極めて紳士的に断りの文句を重ねた俺はまた〈千里眼〉で立ち込める湯気の向こう側ウォッチングを再開する。まるで(けだもの)から身を守るように体を隠す美女だが、そういう恥じらいの身動ぎが周りのヒロイン未満のボンクラ共にはない新鮮さを提供してくれるため、俺の心と目を掴んで離さない。サキュバスさんたちの見せてくれる夢もいいが、やはり現実に勝るものはないのだ]

 

「さ、先に上がるわね。ごゆっくり」

 

[とうとう温泉よりも恥ずかしさが勝ったのか、タオルで大事なところだけ隠した彼女はそそくさと温泉から出ていってしまった。紳士である俺は、そんな彼女の隠せていない後ろ姿を盗み見るような卑劣な真似はしない。目を伏せて瞼に焼き付けた彼女の美を思い出しながら、ゆっくりと愉悦に浸る]

 

「フッ。恥ずかしがり屋なお姉さんだ」

 

「…………」

 

 モノローグを終え残り湯と共に心の中で眼福を拝むカズマを少し引いた目で見る男は、連れの女性と少しの間を開けて湯船に浸かることなく立ち上がる。肌の浅黒い筋骨隆々な彼のことなど眼中になかったカズマだが、彼がぼそぼそと何かを言っているのはすれ違いざまに耳に入ってきた。

 

「……さて、俺もさっさと仕上げにかかるか」

 

 とぼとぼと出入り口に向かう彼の背中に、カズマはどういう訳か親近感が湧いた。例えるなら、やめたくて仕方がない職場に向かうサラリーマンのような。

 いや、なぜ親近感が湧いたのかなんて、彼の疲労が溢れるくたびれた背中を見れば分かることだった。アクシズ教徒に相当やられたのだろう、悲壮感が色濃く滲み出ている。他人とは思えないが関わりたいとは思わない。なるべく絡まれないよう大人しくしていたカズマだが、浴場から出ていくその男の疲れた背中には、餞別としてそっと敬礼を贈った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「……誰も入ってこないな」

 

 先客たちが離席してから数十分。空が夕日に染まるまで色々時間を潰してみたが、誰かが入ってくる気配はしない。貸し切りのようで気分はいいが、カズマが求めているのは自由ではなくトキメキ。もっと言えば異性の肌色である。

 同じく温泉組であるめぐみんとゆんゆんはサウナで我慢勝負をすると言っていたが、そろそろ露天風呂に来てもいい頃合いでは無かろうか。混浴に入ってきて欲しいとまでは言わないが、カズマとしてはせめて女湯できゃっきゃして耳を幸せにしてほしいところではあった。

 

「でも、そろそろ上がらないと俺がのぼせるな……」

 

 混浴に入るチャンスは今日だけではない。完全に日も落ちれば人も増えるだろうし、そうなれば混浴率も上がるというもの。そう希望的観測に望みを託し湯船から立ち上がったとき、ガラガラッと誰かが脱衣所の扉を開く音がした。

 カズマはすぐ様肩まで浸かり直し、期待と緊張で胸を躍らせる。

 

(さっきの美人さんくらいとは言わない。せめてお姉さんくらいの歳であってくれ……! お願いします! 神様仏様エリス様!)

 

 罰当たりなお願いを心の中で唱えつつ、ひたひたと近づいてくる足音をドラムロールのように、掛け湯のざばぁ、という音をファンファーレのように感じながら、その瞬間を静かに目を閉じて待つ。

 

 ちゃぷっ

 

 幕は開いた。人生で一番神に祈った時間を終えて、ゆっくりとカズマは目を開ける。

 湯気に隠れた白い肌。線は細く、控えめな肉付きだがすらっと伸びる長い手足。整った顔を彩る艶のある黒髪に、そこから色っぽく盛れる吐息。温泉でなく街中だったとしても、すれ違えばつい目を奪われてしまうだろう。

 

 だが。

 

(…………男、か)

 

「そうあからさまにがっかりしないでくれよ、冒険者君」

 

 カズマの心の嘆きが聞こえたのか、少し寂しそうに肩をすくめる青年。性別が男性であるだけでそれ以外は希望通りの美青年だが、自分の期待するものと違ったのだから肩を落としてしまうのが少年心というもの。とはいえ、初対面の相手に対してわかりやすく態度に出ていたのは流石に失礼だったと、カズマは慌てて取り繕う。

 

「あ、いや、その、これはそういうのじゃなくて……」

 

「構わないさ。人間、正直さは美徳だよ」

 

 そう言って微笑む男。物腰は柔らかく、おおらかなのかカズマの態度にも気を悪くしたような印象もない。そして勧誘してこないところから、まず間違いなくこの町の住人ではないだろう。

 しかしどうしてかカズマの直感は、この男に気を許してはならないと告げていた。言葉、イントネーション、表情、振る舞い……その端々からカズマの嗅覚がそこはかとない胡散臭さを嗅ぎ取ってしまう。男はそんなカズマの警戒心を察知したのか、首に巻き付けた首輪のようなものを撫でて笑みを見せた。

 

「私は歴史を語り未来を導く者。街から街へと旅をする吟遊詩人と言えば、君には伝わるかな?」

 

「吟遊詩人って、あの琵琶みたいなので弾き語りする?」

 

「あれは正確には琵琶ではなくリュートだ。覚えておくといい。もっとも、私は歌いはしないがね」

 

 指摘した男は溜まり溜まった疲れを見せつけるかのように、芝居がかった大きなため息をついた。

 

「世界の歴史や過去の出来事を語り、より良い方向へと世界を導くのが私の役割なんだが、この街の人間は話を聞いてくれなくて悲しくなるよ。二言目には入信入信だ」

 

「あー……」

 

「しかもイレギュラーな登場人物のせいで貴重な時間が削られてしまった。今日帰らなければならないというのに、足止めのための仕込みも台無しだ。鉢合わせのリスクは上がったし、残ったのは氏への貸しだけ。人生とはうまくいかないものだね」

 

「それは概ね同意するよ。この世界じゃ、何事もうまく行った試しがないからな」

 

「……話が合うね、冒険者君。名前は?」

 

「カズマだよ」

 

「カズマ君か……。珍しい名前だね。まるで勇者候補達のような名前だ」

 

「いいえ俺は関係ありません。最弱職の冒険者なので」

 

「おや、そうなのかい? 最弱職というのもそれはそれで珍しいが。……いや、最近だとそうでもないのかな?」

 

 いらぬ疑いは丁重かつ即座に否定しておくべきであろう。勇者候補なんてもの、士の話でなるべく関わりたくない集団に先程名前が加わったばかりの連中である。それでなくとも自分のパーティーは注目に事欠かない人間ばかりなのだから、カズマとしてはこれ以上目をつけられそうな新しい属性の付加は勘弁願いたい。

 と、そんなことを考えていると、吟遊詩人を名乗る男は何か閃いたのか表情を明るくした。

 

「そうだ、カズマ君。私の話を聞いてくれないかい?」

 

「え、俺? ここで?」

 

「ああ。もちろん、おひねりをくれなんて言わないさ。ここに来てから勧誘攻めでね、話したくてうずうずしているんだよ。さて、何がいいか……」

 

 カズマの答えを待たずに、ふむと考え始める男。楽しそうに何がいいかと記憶を探る姿に待ったを掛けられるほど、カズマも冷たい人間ではない。湯から上がり浴槽に腰を掛けたカズマの、先程までの警戒心は徐々に解かれていく。

 同じ湯に浸かりながら話し込んでいたせいか、胡散臭い雰囲気はあるが悪い人間ではないのかもしれない。そんな風に印象が変わりつつあるカズマに気づかれないよう、男はニヤリと口角を上げた。

 

「この国の王族には兄妹がいるらしいね。なら、こんな話はどうだろうか。『女王と兄』」

 

「へー。それってどこの国の話なんだ?」

 

「国じゃないよ。これは兄妹にとっては過去の、見方を変えればずっと未来の、滅びの決まった世界の話さ」

 

 

 

 

 

 

 その世界を統べる王家には、仲睦まじいスウォルツとアルピナという兄妹がいた。滅び逝く世界を救いたいと願う兄と、それを定めとして受け入れる妹。野心なき妹とは違い、兄であるスウォルツは王となって世界を滅びから救うことを使命とし、日々努力を重ねていた。

 月日は流れ、兄妹は成長する。そしてついに次代の王を決める日がやってきた。自らが王になると疑わないスウォルツだったが、王に選ばれたのは妹のアルピナだった。この国の王位は代々、王家の者のみが使うことができる『時を操る力』が最も強い者が継承していくと決まっていたからだ。アルピナはその能力がスウォルツよりも優れていたのだ。

 スウォルツは激しい憎悪に飲み込まれた。あらゆる面で妹より秀でた自分が、幼少より王になるための努力を惜しまず研鑽に励んでいた自分が、能力が妹より弱いというだけで王になれないことに怒りを燃やしたのだ。しかし、いくら意義を申し立ててもこの決まりだけは覆るものではない。

 そこでスウォルツは考えた。どうすれば自分が王になれるのか。すぐに答えは出た。妹さえ、アルピナさえいなければ自分が王になれるのではないか、と。そうしてスウォルツはアルピナから記憶を奪い取り、躊躇うことなく次元の狭間へと追放した。消えた妹の代わりに、王として君臨するために。

 スウォルツは世界を救うため、ひいては“王”として君臨し続けるため行動を起こす。それは他の平行世界に存在する十九の世界の守護者たちの歴史を一つにまとめ上げることで世界を一つに融合させ、そこを滅ぼし自分たちの世界だけを生き残らせるというものだった。計画のため、全ての歴史を継承し偽りの王となれる人物を探すスウォルツ。彼が王の器として選んだのは、その先の未来で守護者たち全ての歴史を継承し“最低最悪の魔王”と呼ばれ恐れられることになる少年だった。

 スウォルツは知らなかった。自らの行動こそがその少年を魔王へと導き、覇道を歩ませるきっかけになるということを。

 

 

 

 

 

 

「熱くなってきたね。私はそろそろ上がるとするよ」

 

「えっ!? こんな中途半端で!?」

 

「時間が押しているんだ。続きは、次会った時にでも」

 

 カズマの抗議にそう答え、湯船から立ち上がった男。長い手足から想像していた通り、立った姿はカズマよりも頭一つくらい大きい高身長。スタスタと迷いなく進んでいく男は、出口の手前で振り返っていたずらに微笑んだ。

 

「そうそう。ダスティネス卿によろしく伝えておいてくれ、サトウカズマ君」

 

 ピシャリと出口を閉めた男を見送ったカズマは、再度肩まで湯に沈んだ。自分ものぼせそうなほど熱くはあるが、そんなことより何事もなくてホッとする気持ちの方が強い。直感が侮れないと今日ほど思ったことはないだろう。

 

(世界、時を操る力、魔王……。スウォルツって名前はソウゴがいつか言ってた名前だったよな)

 

 名乗らなかったのは、きっとわかると思ったからだろう。教えてもいない自分の名字を知っていたのも、ソウゴの予想通りダクネスと接触していたのなら別に不思議なことではない。色々と考えることは多いが、温まってぼんやりとする頭では何も整理できなかった。

 

(……俺、ちょっと女の子と裸の付き合いをしたかっただけなんだけどなぁ)

 

 士との出会いを皮切りに、初日からかなりの面倒事に巻き込まれている気がする。しかし、それでも大義名分という後ろ盾のある以上、欲を捨てきれないカズマはきっと明日も自分は混浴に来るのだろうと半ば諦めの気持ちで空を見上げた。

 

「……そういや、白ウォズって何しに来たんだろ。あとでソウゴにチクろ」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「あぁんまりよぉぉ! うわぁぁぁあん!!」

 

「よしよし。災難だったな、アクア」

 

 人生で一番疲れた長風呂を終えジャージに着替えたカズマが自室へ帰ると、待っていたのは号泣しダクネスの膝を濡らすアクアだった。慰めるダクネスの様子からなんとなく事情を察したカズマは、ため息混じりに問いかける。

 

「で? 今日はどれだけの人に迷惑をかけてきたんだ?」

 

「どうして私が悪いことしたって決めつけるのよ!」

 

「そりゃまあ、普段からそうだしな」

 

「うわぁぁあん! ダクネスー! カズマがいじめるー!」

 

「よしよし。あまり言ってやるなカズマ。今日のはきっと仕方ないんだ」

 

「ねぇダクネス。今、『今日のは』って言った?」

 

 

   ⏱⏲「しかも『きっと』って言ったわよね? ね?」⏲⏱

 

 

「なるほど、皆を案内して観光名所を回っていたら、そこにあった飲む温泉も教会の秘湯も全部浄化してただの水にしてしまい各所から怒られた、と。要するにいつも通りだな」

 

「何よいつも通りって! 私、何も悪いことしてないのにぃ!」

 

「観光資源を軒並み破壊していく行為は悪いことだろ」

 

「仕方ないじゃない! あんな汚染された温泉水を飲み続けたら病気になっちゃうもの! お風呂もそう! どうして皆信じてくれないのよぉ……」

 

「傍目からはわからなかったからな」

 

「でもまあ、アクアがそう言うんならそうなんだろうな」

 

 仮にも水の女神だし、という言葉は飲み込んでおく。それを抜きにしても、アクアがこの街の観光資源を無意味に潰していく理由がないのだ。馬鹿なところはあるが、開き直りこそすれ自分に嘘をつかないところが数少ないカズマが認めているところでもある。

 

(てことは、あの混浴にいた二人組が怪しいよなぁ……。温泉に入れなくなる、とか言ってたし)

 

 士の言葉と混浴で見た二人組からカズマの中に一つの推論が立つが、それを敢えて口に出すことはない。確証が薄い上に自分から面倒事に首を突っ込むなど言語道断である。と、そんな風に考えているカズマに対してダクネスは驚いたように目を丸くしていた。

 

「ん? どうしたんだよ、そんなに驚いて」

 

「いや、カズマも同じことを言うんだなと」

 

「同じこと?」

 

「ああ。ソウゴにこっそりとアクアが浄化した水を元に戻してくれと頼んだら、『アクアがそう言うんならそうなんじゃない?』と言ってな。結局そのままにしてきたんだ」

 

「まあ、だろうな」

 

 ソウゴの力はあくまで『戻す』ことであって『直す』ことではない。いったいいつから汚染されていたのかわからないのなら、下手に触るよりわかる者に任せたほうがいいというのは賢明な判断だろう。

 とはいえ、流石のソウゴでも水の汚染までは感知できないらしい。そこまでできたらむしろ怖いが、器用貧乏どころか器用大富豪を地で行くあの男ならその内できるようになりそうで、益々神としての肩身が狭くなるアクアを思うと今から不憫でならない。

 

「じゃあ、ここにいないソウゴはその件に首を突っ込んでるわけか。ウィズもか?」

 

「ウィズは浄化されていると気付かずに温泉水を飲んでしまってな。ここにいるとアクアの涙のせいで体調が悪化するらしいから、隣でめぐみんに任せてある」

 

「いやホント、バニルに頼まれたとは言え誘ったのこっちだから申し訳なくなってくるな……」

 

「ちなみにゆんゆんはサウナで倒れたらしい」

 

「何してんだよ」

 

 めぐみんとの勝負になると途端にポンコツになるゆんゆんは自業自得として、ウィズは完全なるもらい事故だ。ほとんど聖水のようなものを、アンデッドが飲めばどうなるかはだいたい予想がつく。不死の王なんていう異名を持つリッチーだが、アクア(女神)ソウゴ(例外)などこの世界においてほんの一握りしかいないはずの天敵にこうも縁があるのは、寧ろ豪運の為せる業なのかもしれない。

 ウィズの不運に追悼の意を捧げていると、ダクネスは母親のような笑みを浮かべてアクアの頭を優しく撫でながら口を開く。

 

「ソウゴも夕食の頃には戻ってくるだろうから、方針を固めるのはそれからにしよう。その頃にはウィズとゆんゆんが回復していればいいが」

 

「……おい待て。まさかこの件に深入りするつもりか?」

 

 聞き捨てならないダクネスの発言に、カズマの表情が曇る。観光に来て温泉に入れなくなるのは確かに勿体ないが、だからと言って無償で世直しをするほどこの街に思い入れはないし、むしろ賠償金を払ってほしいくらいこちらは心に傷を負わされている。そういう私怨も含めて、ソウゴが感知できないなら帰り際にこの街の憲兵にでも知らせれば関わらずに済む案件なのだ。

 そんな思いの乗ったカズマの声色を敏感に感じ取ったアクアは、泣き腫らした目を抗議の色に染めた。

 

「当たり前じゃない! これはきっと、このアクア率いるアクシズ教に恐れをなした魔王軍の仕業よ! 財源を破壊して教団を壊滅させようとしているんだわ!」

 

「流石にそれはないだろうが、イタズラだとしても見過ごせないな。手は打たなければならないだろう」

 

「どうしてすぐ否定するのよダクネス! ソウゴの言うことなら信じるのにぃ!」

 

「あ、いや、そういうわけではないのだが……」

 

「真面目な魔王と穀潰しの駄女神を比べるなよ。紛れもなく信用の差だろ」

 

「上等よクソニート! 二度とそんな口叩けないくらいボコボコにしてやるわ!」

 

「言ったなクソビッチ。ステータスで勝っててもお前が俺に勝てたことねぇだろ。返り討ちにしてやるよ!」

 

 マズイ。

 いつも通り王としてうんぬんのソウゴ、真面目に貴族として対応しようとしているダクネス、自分の信者に関わることだからいつも以上にやる気のアクアが見事に噛み合ってしまっている。間違いなくめぐみんもこういう荒事にときめいてしまうだろう。となればゆんゆんも、アクアのゴリ押しでウィズも賛成の流れ。しかも今回はアクアの直感で導き出した答えがほぼ正解かもしれないときた。一人思惑の違うカズマが焦りを感じても仕方ないほど、状況が整いつつある。

 

(ベルディアとバニルで二人、その上ウィズを引き入れたから実質三人の幹部を攻略してることになる。これ以上魔王軍と事を構えて目を付けられるのは避けたい……!)

 

 これが魔王軍幹部とかならソウゴの探し物の件もあるので接触はやむなしだが、そうでないなら必要以上の接近は避けて平穏無事にこの街を出たいところ。というか士の言っていた“主人公”とやらならいざ知らず、そうポンポンと魔王軍幹部と戦うような事態に遭遇してたまるか、というのが本音である。

 白ウォズに加えて怪しい二人組の件。今日見たことを話すかどうかは成り行きで決めよう。そして願わくばソウゴが良くない知らせを持って帰ってきませんように。そう祈りながらアクアを適当にあしらうカズマは、今日の夕飯に思いを馳せることにした。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 一夜明けて。

 結局、夕飯の時間きっかりに帰ってきたソウゴからめぼしい情報が共有されることはなかった。聞き込みは空振りな上、魔力を感知しようにも街中にアクアの神気が満ちているので直接見ないと見分けがつかないのだとか。いつもなら一番古い付き合いのアークプリーストに悪態の一つでもつくカズマだが、今日ばかりはよくやったと褒めてやりたいとすら思っていた。

 そういう気持ちも、今は微塵もないのだが。

 

「俺さ、ホッとしたんだ」

 

 空を見上げるカズマの言葉に、同じく川沿いのレンガ塀に背を預けるめぐみんはぼーっと遠くを見ながら返した。

 

「戦わずに済みそうだからですか? カズマは我々の中で一番レベルが低いでしょうからね」

 

「言ってくれるなロリっ娘。毎日爆裂してるだけのお前に負けるわけないだろ。いくつだよ」

 

「二七です。カズマは?」

 

「黙秘権を行使する」

 

「自白したようなものじゃないですか……」

 

「レベルだけじゃ測れない強さが俺にはあるんだよ。……って、違うそうじゃない。ソウゴだよソウゴ。あいつにもできないことがあるんだなって」

 

「ああそっちですか。まあ、気持ちはわかります。ですがその結果があれですよ」

 

 めぐみんは、カズマがずっと目を背けていた現実を直視させる。引きずり戻された現状は、悲惨の一言で十分伝わる。カズマとしても目の前で繰り広げられる茶番を回避できるのなら、ソウゴにとっとと元凶をボコボコにしてもらえばよかったと後悔が押し寄せて来ていたところだった。

 

 

「親愛なるアクシズ教徒よ! 聞いてください! 今この街は、魔王軍によって破壊活動が行われています!」

「います!」「い、います……」

 

 

「この街の大事な温泉に毒が混ぜられているのです!」

「のです!」「です……」

 

 

「私が浄化して回っているので健康被害は出ていませんが、この件が解決するまで温泉には入らないでほしいのです!」

「お願いします!」「ましゅ……」

 

 

 『温泉の危険が危ない!』と書かれたプラカードを持たされ羞恥に悶えるダクネス、更に彼女を従えたアクアとソウゴの三人が積み上げた木箱に乗り、広場に集めなれ訝しむ様子の住民たちへ向けて演説を行っていた。タスキとか掛けてたら選挙演説だよな、などと下らないことを考えている暇はない。あの暴挙を止めることなく眺めているのは、一重にあれが囮だからである。

 

「これで本当に現れるんでしょうか。その魔王軍とやらは」

 

「来てたまるか」 

 

 街の人間に働きかければ尻尾を出すはずと息を巻いていたアクアと、楽しそうだからという理由で囮役に挙手したソウゴ。そしてクジで負けたダクネスで大衆に向けて声を上げている。あとの四人は不審な人物がいないか、二手に分かれお互い把握できる位置を陣取り警護だ。尤も、あんなものに釣られる関係者がいるのなら魔王軍はお先真っ暗だろうが。

 

「しかし、アクアも妙なことを言い出しましたね。そもそも何の為に魔王軍が温泉に毒を混ぜる、なんていう回りくどいことをするというのでしょう」

 

「そりゃまあ、財源を潰してアクシズ教を潰すためだろうな」

 

「何のメリットがあるんです? 手間がかかるだけでしょうに」

 

「そうだよなぁ。いくらやることがせこい魔王軍とはいえ手が込んでるよな。何か、相応の恨みを買うようなことしたんじゃないか?」

 

「街周辺のモンスターにも警戒されるくらいですから、その可能性も簡単には否定できませんが……。それにしてもカズマ、今回はやけにアクアの意見を支持しますね。何か隠してませんか?」

 

「あー、それなんだけどな……」

 

 何かしら裏を疑うような目でカズマを見るめぐみん。黙っていてもアクアのことだ、今よりトンチキなことを始める可能性が高い。ソウゴの入れ込みようから見ても、このまま放置して街を出るということはないだろう。隠して旅行の全日程が潰れるのも勿体ないかと考えを改めたカズマが、昨日見たものの話をしようと口を開いたときだった。

 

「あっ! こんなところにいやがったのか、昨日の迷惑プリースト!」

 

 群衆の中から一人の男が、アクアを指差してそう言った。

 

「皆、聞いてくれ! あの女、うちの温泉を全部ただのお湯にしやがったんだ!」

「うちもやられたぞ! そうか、犯人はお前だったのか!」

「質の悪いイタズラしやがって! 何が浄化だ!」

 

 そうすると、次々に溢れてくる非難の数々。さっきまで嘘か真かで揺れていた住民たちの目が敵意を含んだ眼差しに変わると、旗色が悪くなってきたのを肌で感じたアクアが一瞬たじろいだ。

 

「そういや隣りにいる兄ちゃん。お前、昨日散々王様だとかホラ吹いてたやつじゃないか?」

 

「ホラじゃないよ。俺、王様だし」

 

「嘘つくな! この国の王が誰かぐらい俺たちも知ってるよ!」

 

「嘘じゃないって! ほら見てよ、このカード。ちゃんと職業のとこ、『魔王』って書いてるでしょ? 仮だけど」

 

 そう言って、ソウゴはまるで宝物を見せるような満面の笑みでこの間貰った冒険者証明書を掲げる。ベルゼルク王国から発行された冒険者カードの代用品である。特例とはいえ、冒険者カードと並ぶ信用がある身分証明書の提示によって、ソウゴの嘘つきという汚名は返上されることとなった。

 しかし、これが意味するところがわかってしまったダクネスは、カズマたち離れたところから見てもわかるくらい顔を真っ青に染めた。プラカードを放り投げ、ソウゴの胸ぐらを掴む。

 

「えっ、なになにどうしたのダクネス?」

 

「馬鹿かお前はっ!? そんなものをこんなタイミングで見せたら……!」

 

 どうなるかなんて、火を見るより明らかだった。

 

 

「こいつら魔王軍の手先だーーー!!!!!」

 

 

「ほら言わんこっちゃないー!」

 

「でも俺、悪い魔王じゃないよ? 最高最善の魔王だし」

 

「もうお前は黙ってろ!!」

 

 ダクネスが涙目でソウゴを揺さぶろうとも、もう住民たちは見逃してくれない。目の色が完全に敵に向けるものへと変わる。このとき、カズマはすっかり忘れていたことを思い出した。この街はアクセルの街と違い、ソウゴがどういう人間か誰も知らないということを。

 

「よく見ればあの女騎士、昨日エリス教徒の首飾りをしていた女だわ!」

 

「何!? あの暗黒パット邪神の!?」

 

「間違いない、エリス教徒だ! こいつら、魔王軍の手先としてうちに破壊工作しに来たエリス教徒だったんだ!」

 

「ならあの胸はパットか! 俺達を誑かす悪魔め……!」

 

「最近お告げがあって変わった教義。このときを見越されたアクア様からの天啓だったんだな……!」

「悪い悪魔はあのエリス教徒、悪い魔王はこの男のことだったのか……!」

「悪い悪魔殺すべし……」

「悪い魔王しばくべし!」

 

『悪い悪魔殺すべし! 悪い魔王しばくべし!』

 

 勘違いが奇跡的な負の連鎖を起こし、あっという間に邪悪の権化と認識されてしまったソウゴとダクネス。関わりたくないので逃げたいカズマだが、このまま放置すれば事態はより混沌と化していくことだろう。そうなればのんびり犯人探しや観光をしている場合ではなくなってくる。

 

「……俺、悪い魔王じゃないんだけど」

 

「拗ねている場合か! ッ! そうだソウゴ! 時を戻してなかったことにしよう! それしかあるまい!」

 

「駄目だよ。時を戻しても人はデジャヴを感じるし、そのデジャヴと今との乖離が激しければ二つ存在してしまう同じ時間の記憶から、時が戻ったことを自覚しちゃうんだ。つまり、この状況をなかったことにはできないよ」

 

「そういう小難しい話をする場面ではないだろう!?」

 

 やっちゃった? とでも言いたげな軽いリアクションでへらへらと笑うソウゴと、絶望に顔色を染めるダクネスでかなり温度差はあるものの、魔王認定を受けたソウゴと頭の固いダクネスではこの場を誤魔化すのは不可能だと言い切れる。慌てふためく他のメンバーでもどうしようもないだろう。

 カズマがひとまず場を収めるためにと知恵を振り絞り一歩踏み出したとき、アクアは何かを決意したのか、どこからともなく取り出した羽衣を広げその場の注目を攫った。

 

「二人は違います! この水の女神アクアの名においてそれを証明します! 我々は貴方達を救うため、私自らこうして降臨したのです!」

 

「水色の髪と瞳だからってアクア様を語りやがって!」

「三人とも簀巻きにして川に沈めてやれー!」

「この女神を騙る魔女め! 天誅だ!」

 

「あー、もうこれダメだな」

 

 この場を諦めたカズマは足を止め、ゆんゆんとウィズに撤退の合図を出す。石を投げつけられる三人を見捨てることに罪悪感があるのか、おろおろとするだけで動けない二人の回収をめぐみんに指示し、自分は暴動の中心人物たちの逃走方法を思案することにした。手っ取り早いのはソウゴに時を止めてもらい離脱することだが、これ以上ソウゴの力を見せつけて余計な火種になるのは避けたい。ダクネスは喜んでるからいいものの、信者から石を投げられるアクアの精神的ダメージはかなりのもののはずだ。涙の洪水でウィズが天に召されないことを祈る。

 

「俺たち、このあと火炙りにされたりしないよな……?」

 

 もう二度と旅行なんてしない。そう心に決めたカズマは、初級魔法での目くらましのために風上へと走り出した。




ふにふらさん、どどんこさん、お元気ですか。私はもう駄目です。
アルカンレティアに来て一日。色々ありましたけど楽しい旅行になっています。一日があっという間に過ぎてしまい、もう本当に、この調子であと二日間過ぎてくれないかなぁと祈るばかりです。
今度はもっとゆっくりできる旅行がしたいです。ぼっちが贅沢言うなって言わないでください。ぼっちじゃありません。
あと、めぐみんがサウナでのぼせていました。見栄は張りたくないものです。

ゆんゆん

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