昨夜の余韻もほどほどに、ようやく日が昇り始めた静かな街をカズマは一人で歩いていた。向かうのはもちろん紅魔の里行きの馬車乗り場……ではなくて。一刻も早く仲間の故郷へ向かわなければならないのはわかっているが、その仲間たちを待たせてわざわざ一人で行動しているのにはそれ相応の理由がある。
「……? なんだあの荷馬車」
慣れ親しんだ路地を歩くカズマの視界に入ったのは、なんでもない荷馬車だった。そしてよく知る店から見覚えのない御者と思わしき男が出てくると、仕事を終えたのかカラコロと木製の車輪を鳴らしながらカズマの目的地を後にする。明朝だからか少し音に配慮した御者がのんびりと乗り場へ帰っていくのを見送ったカズマは、その背を眺めながら不思議そうに首を傾げた。
普段から荷馬車に縁のないカズマでも、乗り場で荷を降ろしてから人力の荷車で街の中へと運び込むことは知っている。バニルがよくしている返品作業が逆の手順だからだ。例外はあるが、基本的な運用は変わらないはず。そんなことを考えつつ、自分が寝ぼけて店を間違えたという可能性を考慮して、一応通い慣れた店の名前を確認する。
「ウィズの店で間違いないよな」
店先に掲げられた『ウィズ魔道具店』の表記に間違いはない。年季の入った店構えも相変わらず。何かあったのかと首を捻りつつも、荷物が運び込まれたのなら誰か起きているだろうと安心して扉に手をかけようとする。
その瞬間。
「はわぁーーーーぁぁあ!!!」
スタングレネードが炸裂したのかと思うほどの光が店内から放たれた。いや、この世界にそんな化学の塊が存在しないことはカズマもわかっている。魔道具が爆発でもしたのか、とにかく今聞こえたのはウィズの悲鳴で間違いない。驚きつつも扉を急いで開けたカズマは、慌てて中へと転がり込んだ。
「どうしたウィズ! 何があった!?」
店へと飛び込んでいの一番に見えた光景は、こんがりと焼かれ床に伏せるウィズと、腕をL字に組み仮面の隙間から赤い光を灯す目を覗かせるバニルだった。次に脳が認識したのは、店の中に所狭しと積まれた木箱の山。きっとさっきの荷馬車はこの大量の荷物をわざわざ店まで運びに来てくれたのだろう。確かに、荷車では何往復しなければならないかわからない。
状況からなんとなく事の顛末を理解してしまったカズマに対して、少しつまらなさそうにバニルは鼻を鳴らした。
「おや、こんな朝早くにどうした? 小金持ちになり資産運用を検討中の浮かれ小僧よ。疲れきった我輩に
「そんなわけないだろ。聞きたいことがあって来たんだけど、聞きたいことが増えて困ってるんだよ」
「聞きたいこと? よかろう、教えてやろうではないか! 何故大量のガラクタが納品されたのか。何故金庫に入れた褒奨金の分け前が無くなっているのか、何故そこで当店に住み着く貧乏神が転がっているのかッ! その答えはただ一つ……!」
「もう答え出てんじゃねぇか。で? ウィズは何を仕入れたんだよ」
興味本位でそんなことを尋ねる。役立ちそうにないんだろうなということは察しがついているのだが、人間やはり好奇心には勝てないというもの。もしかしたら使い道を思いつくか、新商品のアイデアになるかもしれないという期待も少しはある。
そういうカズマの胸の内を見通したのかふむと顎に手をやったバニルは、少し考える素振りをすると手近な木箱を開けてそこから商品を一つ取り出した。
「エントリーナンバー一番! 旅のトイレ事情を解決出来る簡易トイレ! プライバシーを守るための消音機能がついた水洗式という優れ物である」
「へぇー! 何それすごい!」
「欠点は消音用の音がデカすぎてモンスターを呼び寄せることと、水を生成する機構が強力すぎて辺りが大惨事になることだな」
「着眼点は良かったな。次行こうか」
「エントリーナンバー二番、願いが叶うチョーカー! 当店では珍しく正規価格で売り切れた、相対的には人気商品と称せる一品! その再入荷分である」
「おお! 着けると幸運値が上がるとか、催眠術で相手を言いなりにするとかか?」
「いいや。着けると願いが叶うまで外れず徐々に首が絞まっていく仕様で、死ぬ気になれば痩せられると女性客が買い求めていたのだ。解呪魔法で外れることがわかり、最早誰も買わん」
「解呪って呪い扱いかよ」
「ではエントリーナンバー三番! 運命の赤い指輪! これを嵌めた男女がお互いの好感度を知ることが出来るペアリングだ。告白したいが成功するかどうかわからないという弱気な背中を後押しする、カップル誕生間違いなしの非常に徳の高い品物である」
「ほーん。デメリットは?」
「そもそも贈った指輪を嵌めてもらえる時点で好感度など高いに決まっているし、低ければもうチャンスは回ってこない上に変な指輪を渡してくると吹聴されること間違いなし。こんなおもちゃを買うくらいなら、同額の金を使い宝石なんかが付いたアクセサリーを贈った方がいいだろう」
そう言って、バニルは紹介し終えた売り物たちを乱雑に木箱へと放り込んでいく。店主に向けて貧乏神呼ばわりは厳しい評価だと思ったが、この店内を圧迫する在庫全てが紹介された商品と同じく負債になると考えれば、悪態の一つも吐きたくなるだろう。
だが、いつものような同情の気持ちはあまり湧いてこない。というのも、ウィズには褒奨金からそれなりの額を渡しているからだ。ごそごそと次に紹介する商品を鼻歌交じりに探すバニルの背中に、カズマは問いかけた。
「それ全部、昨日渡した褒奨金の取り分で買ったんだろ? 全部で幾らくらい使ったんだ?」
抱えた損失は二千万か三千万か。流石のウィズでも多く見積って半分くらいは残しているだろう。臨時収入があったとは言え痛い出費だろうなぁと思いながら興味に負けたカズマがそう尋ねると、バニルはふっと、諦めたような実にさっぱりとした笑みで答えた。
「全額だ」
「ほーん。全額かぁ……。って全額!?」
「ああ、全額だ」
「いやいやいやいや。だって俺、ウィズには日頃から世話になってるし宴会にも参加出来ないからって一億渡したんだぞ!?」
「だから、その一億エリス全てが一夜にして燃えないゴミに変わったと言っているだろう。……いや、全てが燃えないゴミというわけでもないか」
ため息すら忘れたバニルだが他のことは思い出したようで、違う木箱を開けるとひょいと中から手の平に収まるほどの水晶のような球体をカズマに取って見せた。薄紫の、とても綺麗な輝きを放つその球体をカズマは知っている。いつぞやの借り物使い魔勝負で、我がパーティーメンバーが誇る変態その二が友人から巻き上げそのままこの店に売却された代物。
「それ。確かマナタイト、だったっけ」
「ああ。高密度の魔力が封じ込められており、上級魔法などの魔力の消費が激しい魔法を使う時に肩代わりできる宝珠だ。この貧乏揃いの駆け出し冒険者の街には不要な使い捨ての高級品である。お一つどうだ、成金冒険者よ」
「爆裂魔法の回数が無意味に一回増えるだけだからいらない」
「だろうな。気が変わったら買いに来るといい。当店に置いていても、埃を被るかこのオンボロ倉庫を更地にする着火剤にしかならん」
「いつか買いに来るかもしれないから絶対に火つけるなよ」
店が吹き飛べばソウゴが元に戻してくれるだろうが、ウィズはショックのあまり昇天しかねない。よくこの二人は友だちやってるな、とカズマは思う。そう思いつつ、魔力の塊は乱雑に扱えないのか丁寧に梱包し直す悲しみを背負った背中を眺めていると、一通り遊び終えたバニルは特に興味がなさそうに口を開いた。
「さて、それで聞きたいこととはなんだ小僧よ。我輩は開店までにこの負の遺産を処理せねばならぬ故に忙しいのだが」
「あっ、そうそう忘れるところだった。実は、紅魔の里が魔王軍に攻められててピンチらしくてな。それで魔王軍幹部を倒しに行くことになったから、そいつの情報が欲しくてさ。心当たりないか? 魔法に耐性のあるやつらしいんだけど」
随分と時間を食った気がするが、ようやく本題を思い出したカズマ。これまでの偶発的な戦闘と違い、今回は倒しに行くと決まっていて内情に詳しい友好的な幹部が近場に二人もいる。活用しない手はないとこうして一人赴いたのだ。
(全員連れてきてもよかったけど、サキュバスであれだけ敵意丸出しだったクリスがいるからなぁ。煽るバニルと会わせて朝っぱらから派手な戦闘になるのは嫌だし、ウィズがリッチーだってバレるのも困るし)
そんな言い訳を胸の内で吐き出しながら、バニルの回答を待つ。しかしバニルは答えよりまず一言、意外そうに「ほう」と驚いたような声を漏らした。
「我輩が思っていたよりも早いな。もっと先の話だと思っていたが……」
「? 早い? なにが?」
「ん? ああ、いや、我輩が魔王の城を出る時はまだ紅魔の里を攻めあぐねていたからな。この短期間でそこまで侵攻するとは思っていなかったので、少々意外だっただけだ」
「ふーん。で、どうなんだよ。何か知らないか?」
ハンスの時は何の情報もなしに凶悪な能力に極悪な能力をかけ算したような敵と戦う羽目になったのだ。ウォッチの詳細はわからずとも、せめてどういう系のモンスターかさえ事前に知っていれば対抗策を考えながら行動することも出来るだろう。基地まで作ってる敵の懐へ飛びこむのだから、それくらいのハンデがなければ対等とは言えない。ソウゴは別として。
カズマの腹の中を知ってか知らずか、少し視線を這わせるような仕草をしたバニルは何か納得したのかふんと鼻を鳴らした。
「知っているとも。紅魔の里へ侵攻しているのは、モンスター開発局局長ことグロウキメラのシルビアだ。部下のゴブリンやコボルトからの信頼も厚く、幹部では珍しく大群を率いる将だな。部下たちに改造手術を施す技術、強力な軍隊をまとめ上げ効率的な編成ができる頭脳を持つだけでなく、勇者を幾人もあの世へ葬った幹部の肩書きに恥じない実力と聞く」
「キメラって、またどえらいのがいるな……。あ、どんなライドウォッチ持ってるとかわかるか? 色とかでもいいんだけど」
「さあな。そこまでは知らぬ。他に聞きたいことはないか?」
「そっか。ま、後は現地でなんとかするよ。助かった。ありがとうな、バニル」
「よい。汝は我輩のビジネスパートナーだ。対価さえ払えば何も文句はない」
「え゛。対価取るのかよ」
「当然だろう。退職したとはいえ、元職場の情報はそこまで安くないぞ。我輩は由緒正しき悪魔。時の魔王とは取引したが、サキュバスとの協定には名を連ねておらんからな」
ククク、と喉を鳴らすバニル。してやられたという気持ちもあるが、ここに来る前に立ち寄り空振りだったサキュバスたちと比較しても、得られた情報はかなり有用なものだったと言える。勉強代だったと思い諦めたカズマだったが、バニルが要求したものは対価とも言えない条件だった。
「なに、それほど重いものは要求せん。汝の知的財産権に関する契約の件だ。買い取ると言ったが、まだ商品を生産する職人が見つかっておらん。なので量産体制も築けておらず、この若作り店主のせいで身銭もない。帰ってくるまでに契約書は用意しておくが、三億の受け渡しはしばし待ってほしい」
「そんなことでいいのか? 今は懐が暖かいし、お金はいつでもいいよ」
「……汝は悪魔に関して疎いようなので忠告しておくが、悪魔に向かっていつでも、などと軽々しく言うものでは無いぞ。口約束でも約束は約束。後で違えれば面倒極まりないことになる」
「いやまあ、バニルは信用してるからな。それに、俺にはまだ商品アイデアがあるし、そのことを考えればむちゃくちゃしないだろ」
「ほほう、我輩を信用か! どこぞのボンクラ女神をこの地に引きずり下ろした男とは思えん慧眼だな」
「うるせぇよ。じゃあ、俺行くから」
クツクツと喉を鳴らすバニルに別れを告げたカズマは、ひらひらと手を振って店を後にしようとする。
知りたいことは知れた。ライドウォッチの詳細がわかり次第対策を立てれば、ハンスの時のようなほとんど負け戦みたいな立ち回りはしなくて済むだろう。今回は魔法最強のウィズの代わりにベテラン盗賊のクリスがいる。その辺りを踏まえて配置を組めば最大限安全に事が済むかもしれない。
歪なパズルのピースをパチリとはめる為に、うんうんと頭を悩ませるカズマ。そんな彼の背中を、バニルは呼び止めた。
「そう慌てるな小僧。ついでに一つ、我輩からのアドバイスを聴くが良い」
「なんだよ。押し売りされても対価は払わないぞ」
「うむ、いい学習能力だ。しかし今回対価はいらぬ。これは我輩の気まぐれである」
そう言ったバニルはニヤリと笑ったかと思えば、ずいっとカズマに顔を近づけその瞳を心の底を覗くかのように凝視する。そしていつも浮かべている人を小馬鹿にしたような顔をやめると、ピンと人差し指を立て仰々しく宣った。
「汝、この旅のどこかで仲間から大事な相談をされるだろう。その時は決して茶化さず、誤魔化さず、己の心に素直に答えるが吉だぞ」
そう言いニヤつくバニルだったが、いつものふざけた笑みより少し嬉しそうにカズマには見えた。
⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱
「あっ! やっと来たねカズマくん」
「おー、悪い悪い。待たせたな」
バニルのアドバイスを頭の片隅に編成を思案してみると、あまりにもゆんゆんの勝手が良すぎて本当にパーティーに入ってくれないかどうか考えていたカズマは、屋敷の前で待っていたクリスに声をかけられそちらに意識を向ける。旅のメンバーはもうとっくに集まりきっているようで、すぐに戦闘に移行できるよう荷物を極力削った身軽な仲間たちが、待ちくたびれた様子で屋敷の前に佇んでいた。
「遅いですよ。待ってる間、ゆんゆんがちょろちょろして目障りだったのですから」
「め、めぐみんだってそわそわしてたじゃない!」
「まあまあ。故郷の窮地だ。お互い気が急くのは当然だろう」
ダクネスのフォローに、バツの悪そうな顔をする二人。二人ともが家族の身を案じているのは、いつものキレのないやり取りから伺い知れる。もっと急いでやった方がよかったかと反省の色を見せるカズマに、ソウゴはいつも通りの調子で問いかけた。
「どうだった? 何かわかったことあった?」
「ああ。ライドウォッチのことはわからなかったけど、幹部についてはな」
「この待ってる間、私もうちょっと寝ていられたんじゃないかしら。朝早くに起こされた上に待ちぼうけで、今とっても眠いんですけど」
「アクアさん、待ってる間ずっとこの調子で……」
「だから昨日は早く寝ろって言ったろ? ったく……。頼むよソウゴ」
「うん。わかった」
一人だけ緊張感の欠けたアクアを放っておいて、促されたソウゴは右手から前方に向けて黒い靄を放つ。その靄はソウゴから魔法陣のような紋章を与えられると、自分の姿を思い出したように人の姿へと纏まっていく。
(落ち着いてこの光景見ると、なんかちょっと怖いな)
この靄が意志を持って動き出すと思うと、精巧なアンドロイドなどに対する不気味の谷というのか、ついそういう得体の知れなさを感じてしまう。幽霊と同居していたり、不死のリッチーや土で出来た体を持つ悪魔と会話しているせいで感覚自体は日本にいた頃に比べ鈍っているものの、心理的な反応というのは完全になくなったりはしないらしい。
そんな感想を抱いているカズマの目の前に、黒いローブに身を包む、赤い宝石のような仮面で素顔を覆う戦士が現れた。
「へえー。これが仮面ライダーさんかぁ」
「うん。彼は“仮面ライダーウィザード”。絶望から生まれる怪物・〈ファントム〉をその身に宿す、絶望を希望に変える指輪の魔法使いだよ」
特徴的なのはブレイドやオーマジオウのような鎧では無い、すっきりとしたシルエット。そして目を引かれるのが腰に装着された手形のバックル。両手に大きな指輪を一つずつ嵌めた魔法使い然とした戦士は、顕現すると共にバサッとローブをはためかせる。
そんなウィザードと相対したゆんゆんは、まごつきながらもまずは頭を下げた。
「あっ、その……。この間は、私事で使い魔さんをお借りしまして……」
「ちぇるっしは元気にしていますか?」
「ちょっ、めぐみん! 人様の使い魔を勝手に付けた変な名前で呼んでもわからないでしょ!?」
「変とは何ですか! カッコイイではありませんか! 貴方もそんな赤い顔に黒ずくめなんていう紅魔族向きな格好をしているのですから、当然そう思いますよね!?」
めぐみんに迫られたじろぐウィザード。表情こそわからないが、確実に困っているだろうことはカズマの想像に難くない。しかしソウゴはそんなウィザードを助けることはなく、むしろ楽しそうに眺めているだけだった。
そんなソウゴの隣に立ったダクネスは、わちゃわちゃと気を紛らわせる二人と、それに付き合わされる異形の魔法使いという不思議な組み合わせを見て感嘆の声を漏らした。
「ほう。あの御仁が我々をアルカンレティアまで送ってくれるのか?」
「うん。ウィザードの«テレポート»ならテレポート先の登録は必要ないからね。俺が紅魔の里に行ったことあれば直接跳べたと思うけど、流石に行ったことない場所はイメージし辛いからさ」
「へー。指輪の魔法って便利なんだね。綺麗だし、盗賊の血が騒いじゃうよ」
「でもあのウィザードっての、紅魔族よりも高い魔力を持ってるようには見えないわね。ここから紅魔の里まで〈テレポート〉しようとしたら、跳ぶのが一人だったとしても爆裂魔法より魔力使うわよ」
「いや、ウィザードには自分が使った魔力を再吸収して回復できるスタイルがあるから問題ないよ」
「魔力の永久機関か。流石は公式チート集団」
「忘れてたけど、そういやあんたらって一人一人が世界を救えるだけの力を持ってたわね」
⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱
「みんな、忘れ物ない?」
「ああ。装備も揃っている」
「いつでもいいぜ」
「よし。じゃあ、お願いできる?」
ソウゴの問いにウィザードは首を縦に振ると、変わった魔法に興味津々な七人を送り届けるための準備を始める。まず初めに、ベルトの両サイドに付けられたレバーを操作し、バックルの真ん中の手形を右手から左手、そしてまた右手になるよう合わせた。すると、ベルトに施された手形のちょうど中指に当たる部分、ウィザードが指輪を嵌めている箇所にあたる部分に小さな魔法陣が明滅し、待機音が辺りに響く。
«ルパッチ マジック タッチ ゴー! ルパッチ マジック タッチ ゴー! ルパッチ マジック タッチ ゴー! ルパッチ マジック タッチ ゴー!»
そして、バックルと同じ手形の意匠があしらわれた右手の指輪を外し、紫の魔法石が煌めく渦のような模様の指輪と付け替える。
その間流れ続ける待機音に、アクアは不快感を露わにしていた。
「ねぇソウゴ! あのベルトすっっごくうるさいんですけど! なに、黙ると死ぬの? もっと音を小さくして欲しいんですけど!」
「なんだろうね。この音、うるさいだけじゃなくて生理的に受け付けない気持ち悪さもあるんだけど……。ソウゴくん、あの人って悪魔?」
「違うよ。
「うるさいのはわかるけどちょっと我慢しろ。うるさいけど」
「確かにうるさいが呪文か何かだろう。いいじゃないか。普段とは違う魔法なんてなかなか見られるものじゃないぞ? うるさいが」
「なんかごめんね?」
「そうですか? 私はあんまりうるさいとは思いませんけど……」
早朝ということもあって、ドライバーから流れる音声はよく響いた。街中なら近隣住民が叩き起されること間違いないだろうと思われる待機音は、魔法が発動するまで決して鳴り止むことは無い。それを除いても、アクアとクリスだけが特別な忌避感に見舞われていることや、ゆんゆんは平気なところを見るに、絶望から生まれる〈ファントム〉という存在や指輪の魔法には、天界の存在とは相容れない何かがあったり高い魔力を持つ者を惹き付けたりする何かがあるのかもしれない。などと、ソウゴは適当に解釈しておく。
«テレポート»«プリーズ»
非難を気にすることのないウィザードが右手をベルトに宛てがうと指輪に内包された魔法が発動し、ソウゴたちの足元に赤い大きな魔法陣が現れた。読めない文字と燃え盛るドラゴンのような絵、そしてウィザードを象ったような意匠が盛り込まれた、見たことの無い幾何学模様。それがゆっくりと、彼らの体を通って上へとせり上がってくる。
「おおっ! なんか凄く魔法っぽい!」
人生初のテレポートに感動するカズマ。魔法陣を通り抜けた体は見えなくなるのに、地面に着いた足や手の甲を撫でる風の温かさは感じられる。しかし、そんな感動体験も一瞬で終わってしまう。
魔法陣が顔を通ってしまえば、そこはもう別の場所だった。
「これがテレポートか……。本当に一瞬だったな」
鼻につく硫黄の臭い。さっきまで目の前にあった屋敷はもうどこにもなく、周りを見れば自分たちは木々の中。空へと昇る湯気は源泉の近くだからだろう、よく見れば麓には見知った街がある。つい先日ハンスに汚染された山は、アクアの言う通りすっかり元に戻っているようだった。
通り抜けた魔法陣の向こう側から、靄に戻ったウィザードを回収したソウゴが地面に置いていた荷物を抱え直す。
「ここから歩いて二日だっけ」
「はい。この辺りは危険なモンスターも多くて馬車は出ていないので、普通は〈テレポート〉で移動するんですけど……」
「仕方ないね。この人数なら魔力の消費も激しそうだし」
「そうだ。またソウゴにあの城のようなドラゴンを出してもらえば、歩かなくて済むんじゃないのか? かなり刺激のある乗り心地だった……!」
「え!? 嫌よ! 私、もう絶対あのドラゴンの背中には乗らないから! あれに乗るくらいなら一人で歩くわ!」
「大丈夫だよ。今回は隠密に動きたいからな。あんなので空を飛んでたら目立ちすぎる」
そう言って行軍を開始するカズマたち。昼の間に行けるところまで進まなければ、夜目が効くのはアクアとカズマ、それにクリスの三人だけとなる。主戦力の動きが制限された状態での戦闘となると、ソウゴの負担が大き過ぎるのだ。幹部戦での主軸をこんななんでもない所でこき使うわけにはいかない。
地図と現在位置を照らし合わせ、進む方角を決めるカズマ。全員がそれに倣って彼の後を付いて行く中で、
「どうしたの、めぐみん? まさかテレポート酔いでもしたの?」
「いえ、あの指輪の魔法というものについて少し疑問がありまして。ソウゴ、聞いてもいいですか?」
「まあ、俺が答えられる範囲なら」
ウィザードの歴史を継承しているからと言って、詳しい魔法の仕組みなどを理解している訳では無い。ライダーとしての誕生から消滅までの経緯と、行動から読み取れる意図を推察する程度しか造詣のない自分が答えられることは、かなり限定的と言えるだろう。力になれるかどうかわからないソウゴが自信なさげにそう返答すると、めぐみんは自身の感じた違和感を流暢に語りだした。
「では素人質問で恐縮ですが。我々ウィザード職には適正として魔法を理解する知力が必要で、そこに〈スキル〉として習得した魔法、発動のための呪文、そして本人の魔力という三つを組み合わせて魔法を使います。しかし指輪の魔法というものは『習得した魔法』が『指輪』、『呪文』が『ベルトからの声』で代用されており、スキルポイントが必要ないことや呪文の詠唱の簡略化という点ではかなり合理的と言えるでしょうが、まるで魔法のまの字も知らず適性もない、魔力があるだけのド素人が突然魔法使いになれてしまうような構造になっています。ソウゴの世界は、それほどまでにウィザード職が枯渇しているのでしょうか? それとも、魔法使いを生み出すことに意味があるのでしょうか?」
ソウゴは単純に目を丸くした。〈ウィザードの世界〉における魔法使いとは、いわゆる人柱と呼ばれるものである。この世界のように職として確立されたものでもなく、彼女の言う通り魔法のまの字も知らない人間がある男の計画に巻き込まれ、ある日突然仕立てあげられた存在。それをたった一度で仕組みを看破しためぐみんに素直に感心したソウゴは、飾ることのない素直な感想を口にした。
「めぐみんって、実は賢い?」
「あ゛?」
⏱⏲「ソウゴに喧嘩を売られる日が来るとは思いませんでしたがいいでしょう。いくらでも相手になりますよ! 紅魔族に喧嘩を売⏲⏱
山を越え、森を抜け、小川を渡り、長い道のりを何の障害もなく進む一行。先頭は索敵のカズマと防御のダクネス、真ん中に遊撃部隊であるクリスやゆんゆんを据え、後ろには回復のアクア、最終防衛ラインであるめぐみんとソウゴを配置したバランスのいい陣形となっており、万が一の感知できない奇襲にも対応できる布陣となっている。
だが歩き始めて半日。奇襲にはちょうどいい樹木生い茂る森の中とはいえ、何のアクシデントも起きなければ気持ちは緩むもの。ちょっとしたハイキング気分でいい感じの枝を振り回し、鼻歌交じりにすれ違う木々をぺしぺしと叩くアクアがいい例だった。
とはいえ、ここは本来魔王軍の配下や紅魔族のレベルアップの糧になるようなモンスターの生息地帯。異変を感じたのは、この辺りをよく知るゆんゆんだった。
「おかしい。どうして全然モンスターと遭遇しないのかしら……?」
「魔王軍の襲来で退避しているのではないのか?」
「私、スキルポイントのためにこの辺りでモンスターをよく狩っていたのでわかります。魔王軍の配下くらいなら返り討ちにするような強力なモンスターもいたはずなんですけど、その気配すら感じません……」
「ほんとよねー。私は楽だからいいけど」
「このまま無事に里まで行ければ消耗無しで済むけど、なんだか嵐の前の静けさって感じがするよ」
「変なフラグ立てんなよクリス。ま、それもソウゴに喧嘩売る度胸のあるモンスターがいればの話だけどな」
「どういうこと?」
クリスが首を傾げる。そのキョトンとした顔と仕草にどういうわけか優しい女神様の顔が被りドキッとさせられたカズマは、自分の感性に疑問符を浮かべながら照れたという事実を誤魔化す為にふいっとそっぽを向いて答えた。
「そ、そりゃあ、ソウゴにモンスター避けしてもらってるからな。アクセル周りの生態系を変えたあの威圧感だ。あれより弱めだけど、野生の獣ほど生存本能がはたらくから〈敵感知〉にも引っかからないくらい戦意を削がれてるよ」
「んな!? それでは強いモンスターと戦えないではないか!!」
「時の魔王を虫除けみたいにするのやめようよ……。あたしが気を使う……」
「俺は全然いいんだけど。……どうしたの二人とも?」
呑気な会話をする一行だったが、ソウゴは歩みを止めた紅魔族二人の様子がおかしい事に気づく。二人ともが揃って耳を疑うような顔をし、ゆんゆんに至ってはサッと顔が青ざめていく。具合が悪いのかと心配の視線が注がれる中で、めぐみんはわなわなと唇を震わせながら声を絞り出した。
「……ソウゴは今、強者のオーラを出しているのですか……?」
「うん。そんな名前を付けた覚えないけど」
「早くそれしまってください! 手遅れになります!」
「どうしたんだよめぐみん。爆裂魔法ならこんなところじゃなくて、幹部相手にぶちかませるだろ?」
「違いますよ! この辺りにはいるんです! 強者を好んで狙うとびきり特殊でとびきり危険なモンスターが!」
取り乱すめぐみんの言葉に、ゆんゆんは首がもげるのではと思うほど何度も力強く頷く。その顔にあるのは焦りと恐怖。好戦的な部類である二人が珍しく揃ってする同じ反応に戸惑いつつ、カズマは意識を集中させ〈敵感知〉スキルで辺りを再度確認する。しかし、すこぶる調子のいいカズマのスキルは非常に静かな寝息を立てていた。
「……いや、大丈夫だ。〈敵感知〉スキルに反応はない」
「あたしも! 周囲に敵意を持ったモンスターはいないよ!」
「もう、脅かさないでよめぐみん」
「なら先を急ぎましょう! なるべくここから離れないと!」
「囲まれる前に早く! でないとカズマさんが……!」
「え、俺限定!?」
「もう遅いんじゃないかな?」
ソウゴの言葉を合図に、茂みを掻き分けて複数の巨体が現れる。
発達した筋肉が隆起する、大木と見間違うほどの腕。馬のような蹄を備えた脚。牙では些か言葉が足りない獰猛な歯牙が、滝のように流れる唾液に濡れててらてらと光沢を帯びている。イノシシとブタを掛け合わせたような耳と鼻。纏う衣はフリルの着いた服なのだろうが、レオタードのようにピッタリと体に張り付いており、豊満な大胸筋とシックスパックが生物としての強さを見せつけるかの如く浮き上がっていた。そして何より目を引くのは、ダクネスを見下ろす程の長身よりも、飛沫のように服にこびりついた赤黒いシミ。
この生き物を、カズマはお得意のゲーム知識でよく知っている。
「オーク!? しかもメスばっかり……! なんで〈敵感知〉に反応しないんだよ!?」
「あ~らァ♡、敵だなんて寂しいこと言うじゃなァ~い? 美味しそうな匂い振り撒いちゃってェ♡ 私たちはお兄さんたちと♡イ♡イ♡コ♡ト♡しに来ただけよォ~♡」
「……そうか! 女オークたちには敵意がない。むしろ純粋な欲求だけ! だから敵を探していたあたしとカズマくんの〈敵感知〉に反応しないんだ!」
「このスキル、人間にも反応するのにそんな抜け道あんの!?」
「わかってもらえたかしらァ? 私たちの♡あ♡い♡ たくさんいるからいつもより楽しめそうねェ♡」
「ヒッ……!」
ジリジリと間合いを詰めてくる女オークについ悲鳴をあげるカズマ。その数はざっと数えても二十はいるだろう。ソウゴがいるという安心感を簡単に凌駕するモンスターとは違う捕食者のようなギラついた目に、カズマはこの世界に来て一番の身の危険を感じていた。
戦闘態勢に移り、背中合わせで円陣を組む七人。背中に感じる仲間を、カズマはこれほどまでに頼もしく感じたことは無い。そういうピリピリした緊張感の中で、めぐみんが口を開いた。
「気を付けてくださいカズマ。捕まればお終いです……ッ!」
「これがお前らの言ってた、とびきり特殊でとびきり危険なモンスターなのか……?」
「ええ。女オークは同種のオスを腹上死で絶滅させるほどの絶倫。現在でもオスは産まれますが、成人する前に弄ばれ干からびて死にます。結果オークたちは、持て余した性欲の捌け口として縄張りに入り込んだ他種族のオスを無差別に集落へ拉致し、一滴残らず搾り取り殺してしまう男性冒険者にとっては天敵のような存在になりました」
「ナニソレコワイ」
「今では、より強い子種と本能を満たす強いオスを求める、オークとは名ばかりの様々な生物の形質を獲得した異様に強いナニカです。やつらはオスを連れ帰る前に気絶させるため一旦搾りに来ます。屋外だろうと関係なくおっぱじめるので、捕まったらカズマの初めてはここで無惨に散ると思ってください」
「おいコラめぐみん! なんで俺が童貞なこと前提で話まとめてやがる!」
「あらァ、貴方もしかしてチェリーなのかしらァ♡ 可愛いわねェ♡ なら、もう人間の女じゃ満足できない体にしてあげるわよォ~♡」
「結構です勘弁してください!」
「シャイなところもまたいいわねェ♡ 決めたわ。私貴方の子を産んであげるゥ♡ オスが六〇、メスが四〇、余生は海の見える綺麗なコテージで毎日乳繰り合うのォ♡」
「それ余生っていうかロスタイムですよねお断りしますぅ!!!」
「大丈夫だよカズマくん! あたしたちが守ってあげるから!」
「カズマさんには指一本触れさせません!」
「く、クリス……! ゆんゆん……!」
「誰も俺の心配してくれなくて、ちょっと寂しいんだけど」
「あんたの心配なんてするだけ無駄でしょ」
アクアにもっともらしい顔でそんなことを言われ、しゅんとするソウゴ。しかし、そんなソウゴに構っていられるほど戦況に余裕はない。
魔法で先制攻撃しようものなら、その強靭な脚力で一気に間合いを詰められるだろう。先手であれば範囲の広い魔法で有利に進められただろうが、後手に回った今では打開策がない。向こうが警戒して勝負を決めに来ないのは、一重に我らがクルセイダーのポンコツぶりを知らないからだということをカズマは承知している。
(くそ……ッ! 気は引けるが、ソウゴに頼むしか……!)
時を止める。時を戻す。頼りきりになってしまい仲間としては不甲斐ないが、ここを切り抜けるにはそれしか手がない。いきなり反則級の手札を切らざるを得ない現状にこの旅への不安しか残らないが、背に腹はかえられないのだ。無事にここを離れるためカズマがソウゴに頼もうとした時、何かに気がついたダクネスがはっと目を見開いた。
「……待ってくれ! では、女と見るや襲いかかってくる女騎士の天敵、オークのオスがもういないと言うのか!?」
「今それ気になるところかな!?」
「もういません!!!」
「そ、そんな…………」
「なんでそんなにショックを受けてるんですか……!?」
失意から呆然と膝から崩れ落ちるダクネスに、ゆんゆんはそんな感想を漏らす。だが、これはいつものギャグでは済まされない。円陣のうちの一人、それも警戒されていた前衛職が陣形を崩すということ。それはすなわち、戦線が崩れることを意味する。
「ダクネス! 今は遊んでる場合じゃ……!」
はっとしたクリスが声を上げるが遅い。勝手にグダつき緊張の糸が切れたその一瞬を好機と捉えたのか、舌なめずりをした女オークたちは一斉に飛びかかってきた。
「さァ、チェリーボォイに澄ましボォイ! 二人とも今夜はこの世の天国を見せて上げるわァ!!」
ルパンダイブというよりも、草食動物にライオンが襲いかかるように。詠唱の遅れたゆんゆんの魔法では、無傷でこの場を切り抜けることは不可能だろう。あの巨体に組み伏せられれば、華奢なクリスやめぐみんは勿論、腕力ではダクネス以外勝ち目がないことは明白だ。
気づけばカズマは、建前など忘れて叫んでいた。
「助けてソウゴー!」
「もちろん。そんな未来は来ないからね」
瞬間、まるで世界中の全員が同時に瞬きしたような錯覚を受けると、世界は少し前の様相を取り戻す。日の角度も風の心地も変わりはしないが、カズマたちは円陣を組む前に、そしてオークたちと対面する前に、世界は巻き戻されていた。
違うのは失意のダクネスがその場で崩れ落ち直したこと、そして時が戻ったという自覚が全員に植え付けられていたこと。今度は周囲のモンスター全てを対象とした〈敵感知〉を行い、自分たちが既に囲まれていることを理解するカズマは、半分泣きそうな顔でソウゴに縋った。
「なんでこんな直近なんだよ! あれか!? またウィザード大先生の〈テレポート〉か!?」
「会話ができるならちゃんと話し合いしなきゃ。俺、言ったじゃん。モンスターも民だって」
「こんの澄ましボーイが! 女オークさんは残念だけど例外でいいと思うよ!?」
カズマの悲痛な叫びを聞いたのか、再度茂みを掻き分け現れる女オークの群れ。数は変わらず二十と少し。今度は最初から本気なのか、この春も終わろうという時期に肌が上気し体から湯気が立ち上っていた。だがソウゴの得体の知れない力を警戒しているのだろう、襲いかかってくる素振りはない。
とはいえ、明らかに常軌を逸している女オークたちにまたギラついた目を向けられ、ジェットコースターに乗った時のように股がひゅんとなるカズマ。アクアの背中に隠れた彼の視線は、ただ一人の頼みの綱に向けられていた。
「いったい何をしたのかしらァ? まるで時間が戻ったみたいじゃなァい?」
「初めまして、オークのみんな。俺、常磐ソウゴ。最高最善の魔王を目指してるんだ。話がしたいんだけど、いい?」
「私の名前はスワティナーゼ。ピチピチの十六歳♡ 恥ずかしい性癖とエロトークならベッドの上でいくらでもしてあげるわァ♡」
「違うよ。そういうんじゃなくて、住み分けの話。君たちに性欲を抑えろとは言わないけど、拉致するなら生きて返して欲しいんだ。人もモンスターも。殺しちゃうと、やっぱり共存は出来ないからさ」
本当に交渉を始めたソウゴ。彼にとってはドリスで散々行ってきた事なので普段通り振舞っているが、モンスターと対話なんていう見た事のない光景にパーティーメンバーもただ唖然と見守るしか無かった。
「俺は皆に幸せでいて欲しい。話ができるなら妥協して貰えると嬉しいな。そうすれば、余計な争いはなくなるでしょ?」
「それはできないわァ。私たちは愛に生きる狩人。この飢えを満たさなくちゃ、生きてる意味がないの!」
「でも、君たちが襲った人達にも生きる意味があった。それを汲んであげてほしいんだ」
「彼らに生きる意味があったのなら、それは私たちの心を満たすことよ! 満たせず死んでしまった弱いオスに払う敬意なんてないわァ!」
話は平行線。比較的友好だったサキュバスと初めて邂逅した時もこうだった。弱肉強食の世界で生きるということがどういうことか、ソウゴは何度もこの壁にぶつかってきた。
全ての生き物と分かり合い手を取り合うことは不可能だろう。彼らにも生き甲斐があり、種としてのプライドがあり、糧を得る必要がある。故に完全な敵対意志を持つもの達とは戦わなければならない。擦り合わせられるなら、それが一番いい。これが自分の理想であり、エゴであることは理解している。それでもなるべく多くの民が幸福であるようにしたい。オークと言えど例外にはできない、ソウゴなりのエゴとの付き合い方がある。
少し脅して、それでも引かないなら戦うほかはない。あまり好ましくはないが、力を示すしかこの世界で大言を宣う資格を得られないのだから。そう切り替えて、一人二人くらい消し炭にしようとしたとき、スワティナーゼは「そうだわ」と何かを思い出したようにニヤリと笑った。
「彼らは心は満たせなかったけど、お腹は満たしてくれたわねェ」
その言葉に、ソウゴの動きが止まった。そんな機微な変化に気づかないスワティナーゼは続ける。
「特に耳がよかったわァ。私、人間の耳が好物だって最近知ったのォ。貴方たちがもし私たちを満足させられなくても大丈夫ゥ♡ 私たちがちゃぁんと食べてあげるわねェ♡」
「私、紅魔族の目を一度食べてみたかったのォ! 普通の人間とどんな味の違いがあるのかしらァ?」
「私は足よォ! 女の足は柔らかくて美味しいんだからァ!」
「指を!」「私は」「腹の」「骨の髄までしゃぶり尽くしてあげるわァ!」
オークたちは共鳴するように口々にゲタゲタと笑い始める。その目は血走り、野生の猛獣以上に危険な雰囲気を醸し出す。貞操の危機よりももっと恐ろしい何かを感じて、カズマは冷や汗を垂らした。
「こ、こんなのと和解なんて無理だろ……!」
「いつものオークなら、女性冒険者なんて無視して男の人だけを攫っていくはずなんです! それがどうして捕食対象に……!」
「駄目よ! 人間も女神も食べたって美味しくないわよ! 食べるならカエルとかにしときなさいよ!」
「そういう問題ではありませんよ! あの目、マジです!」
「どうするの、ソウゴくん! ……ソウゴくん?」
捕食者の目に晒されても、まるで微動だにしないソウゴ。分かり合えないことに少なからずショックでも受けているのかとクリスが心配そうに声をかけるが、別段ソウゴは落ち込んでいるわけではなかった。むしろ何か気になることがあるのか、普段通りの思案顔。その事が、オークたちと違う意味で少し怖く感じてしまう。
考えをまとめたのか、普段と何ら変わりない表情、そして普段と何ら変わりない声色で、ソウゴはオークたちに疑問をぶつけた。
「……君たち、この辺りで魔王軍の配下を襲った?」
「何人かお誘いしたわよォ。長持ちしたけど、事切れた途端に干からびてビックリしちゃったけどねェ♡」
「人を食べるようになったのはその辺りから?」
「ええそうよォ。無性に美味しそうに見えちゃったのォ! でもやっぱりお腹より心が優先! 私たちを貴方たちの息子から溢れる愛で満たして貰わなきゃ♡」
「……そう言えばさ。オークってもっとたくさんいないとおかしいよね。君たちの集落には、まだ仲間がいるのかな?」
「ええいるわァ。だから休む間もなくいくらでも楽しめるわよォ♡」
「そっか。じゃあ、そっちも後で潰さないとね」
ソウゴの意思に従い、腰にオーマジオウドライバーが現れる。顕現と共に黄金の輝きを放ち、有り余ったエネルギーが稲妻のように辺りに霧散して存在感を強調した。
だが、それでもソウゴの顔色は険しくなったりしない。
「……熱い。足元あつってなんか燃えてるんですけど!」
ソウゴの背後、アクアたちの足元に赤黒い巨大な時計が出現する。正午を示していた針は二つに別れ、短針は時を戻り、長針は時を歩む。進めるも巻き戻すも自在。そんな王にとっては当たり前のことを下々の者に理解させるかのように時を示した時計は、地を割って熱を放出する。
「変身」
丁度アクアの足元から射出された千度を超えるエクスプレッシブフレイムアイ、要するに『ライダー』の文字がダークマターインゴット製の頭部に収まり、変身が完了する。と同時に放たれた力の波動は、とても普段通りの様子からは想像できない禍々しい黒い靄となってオークたちの肌を撫でた。それだけで彼女たちにはわかってしまう。いや、様々な遺伝子を取り込んだオークだからこそその靄に乗った殺気を鋭敏に感じ取れたのだ。
「俺の判決を言い渡すよ――」
(こ、これにだけは勝てない…………ッ!!!)
目の前にいるのは関わってはいけない、逆らってはいけない、格の違う生物だと。
「――“死”だ」
「に、逃げるのよォ!!」
死のイメージしか湧かない怪物。それが突然目の前に現れたらどうするか。答えは簡単。何を、誰を犠牲にしようと生存本能に従って逃げる。みっともなくとも、無様でも、例え腕や脚をもがれても逃げる。煮えたぎるような性欲も忘れ、ただそれしかオークたちの頭にはなかった。
「い、いや、確かにヤバい奴らだったけどそこまでする必要は……」
「カズマ。今回の幹部が持ってるライドウォッチが何かわかったよ」
流石にかわいそうに思えたのか、幹部を葬るオーバーキルもいいところの変身に先程までの恐怖が吹き飛んだカズマが口を開く。しかしその言葉を遮ったオーマジオウは、淡々と、いつも通りの声色で語り出した。
「“仮面ライダーアマゾンネオ”。彼の歴史には人間を第五のアマゾンへと変異させる溶原性細胞っていうものがあってね。第五のアマゾンの特徴は、愛するものほど食したくなる人肉への食欲と、人体の一部部位に対する執着。きっとアマゾンネオのウォッチを利用して改造された配下の体液から感染したんだろうね。体の変化は無さそうだし、オークアマゾンってところかな?」
「感染とかすんの……?」
「水分がないとすぐに死滅するから空気感染はしないよ。発症するのも極わずかな可能性なんだけど、オークたちは他の遺伝子同様に取り込んじゃったんだろうね。これで、アマゾンアルファのウォッチが入ってたデストロイヤーが紅魔の里へ向かってた理由もわかった。ウォッチ同士が引かれあってたんだね」
「いやいや! そんな呑気なこと言ってる場合じゃないよ! それって、タダでさえ危険なモンスターが更に危険なモンスターになったってことでしょ!? 逃げられちゃったじゃん!」
オーマジオウの説明をいち早く理解したクリスが焦ったように声を荒らげる。話をしているうちにオークたちの姿も、気配ももう遠いもの。この一瞬で足場の悪い森の中をあの巨体で逃げるのは、普通であれば無理だろうがオークたちの獲得した運動能力なら可能だろう。しかし悠長に構えるオーマジオウは、とても落ち着いた雰囲気でカズマに手を差し出した。
「弓貸して」
「弓? いいけど、もうとっくに弓の射程距離なんて超えてるぞ?」
「大丈夫だよ。ちゃんと当てるから」
懐疑的なカズマから弓を受け取るオーマジオウ。そのままオーマジオウは、手にした金の装飾が施された緑の銃剣のスロットルを引く。展開されていた曲線の弓のようなものが折りたたまれると、オーマジオウはその銃口を片手で天高く掲げた。
「おい待て。俺の弓は?」
「え? これだけど」
「え?」
「え?」
不思議そうに首を傾げ合う二人。まるで噛み合わないが、オーマジオウは気を取り直して狙いを定めると、空いた右手でドライバーに手を宛てがう。
«Wノ刻»
時を読み取ったオーマジオウドライバーが、抽出し再現するライダーの時代を表し名を呼ぶ。すると禍々しいオーラを増幅させたオーマジオウは、躊躇いなくその引き金を引いた。
「ペガサスフルバースト」
銃口が一瞬雷を帯びると、空気が揺れる。銃口から不可視の弾丸が放たれたのだ。音からして、全部で三発。それを見届け変身を解除したソウゴは、持っていた弓をカズマへと差し出した。
「ありがとね、弓」
「お、おう。……あれ? さっきの銃は?」
「え? これだけど」
「え?」
「え?」
「漫才してる場合じゃないよ! 今の何!? ちゃんと説明してよ!」
「ああ、そうだね」
掴みかかるクリスに、その後ろで不安げな仲間たち。その視線に少し考えたソウゴは、いつものへらへらとした笑みを浮かべた。
「人間の味を覚えたのなら、リプログラミングしてもきっと人を襲うと思う。だからあのオークたちは狩ることにしたんだ。バラバラに逃げたけど集落を潰すって話をしたから、彼女たちは子どもたちを避難させるために集落に一度帰る。だから今ので魔力の高いオーク三人にクウガの封印エネルギーを撃ち込んだんだ」
「『ふういんえねるぎー』ってなんですか……?」
「“仮面ライダークウガ”の力だよ。ライジングに俺の力を上乗せして“仮面ライダーW”の力で追尾能力を与えた空気の弾丸を、クウガの超感覚と俺の未来予知能力で肩とか腕とか、走るのに支障が出ない箇所に撃ち込んだ。全員が集落に辿り着く頃には、全身に封印エネルギーが回ってるよ」
「それが全身に回ると、どうなるのですか? まさか、オークを休眠させる効果が……?」
「そんな力はないよ。増強した封印エネルギーが全身に回って、魔力に引火すると――」
そこまで言って、ソウゴはくるりと振り返る。するとそれを待ちかねていたように、遠くの方からとても大きな爆発音が一つ轟いた。突然の大音量に動物たちは騒ぎ始め、音がした方角では何かが燃えているのか煙が上がり始める。
何となく察した面々に向けて、ソウゴはいつも通りのへらへらとした顔で微笑んだ。
「じゃ、先を急ごっか」
「だから、やることがえげつないんだって」
「これが、『魔術師殺し』の力……ッ!」
焦土と化した大地で、みっどしーは歯を食いしばった。
対紅魔族用決戦兵器『魔術師殺し』
紅魔族への抑止力として王の命により開発された、魔法無効化フィールドを展開する蠍の尾のような形をした兵器。その暴走により、国は火の海に包まれていた。
「くっ……! 俺たちはなんて無力なんだ……ッ!」
創造主に誓った平和への祈り。散っていった仲間たちへの思い。みっどしーの胸に刻まれたこの暖かな気持ちは決して偽りではない。しかし、誰も、何も守れない圧倒的な無力感に、心は折れる寸前だった。
みっどしーは、愛する者の残した杖を抱きしめた。
「まりんな……。俺は、もう……」
『魔術師殺し』がみっどしーに狙いを定める。無情なる制裁が、みっどしーへと襲いかかった。