状況を説明すると、少々ややこしい。
彼女からすれば食事中に数人分の荷物を抱えた二人が目の前に突然現れた場面で、ソウゴやクリスからすればアクアの近くにワープしたと思ったら幼女がもごもごと口いっぱいに食べ物を蓄えつつ黒猫を焚き火で炙ろうとしている瞬間に出くわしてしまったという状況。いや、そもそも幼女が火にかざしている生き物が猫かどうか疑わしい。額の十字架のような模様はいいとしても、羽が生えていることがこの世界の猫のスタンダードではないはず。そして放つ魔力はソウゴが目標にしたアクアらしき魔力のそれ。少なくとも神獣だとか、そういう類のものだろうとソウゴは思っている。
三者とも目を合わせたまま固まり、自分たちの目の前で起きていることを順序立てて整理していく。口の中のものを飲み下す幼女。数人分のリュックを軽々と持つ男。身軽な女。が、やはりお互いに理解しかねるこの現状。この混沌とした空気を打ち破ったのは、火の粉が毛に引火しかけた黒猫の「んなー!」という切実な鳴き声だった。
「……とりあえず猫離してあげて」
「……ちょむすけはうちの非常食」
「そっか。なら苦しまないようにしてあげてね」
「でも、活きがいい方がおいしいかも」
「なるほど。一理あるね」
「無いよ! 倫理的に猫を生きたまま丸焼きとかダメだから!」
⏱⏲「あ、これやっぱ猫なんだ」「気にするべきはそこじゃないよね!?」⏲⏱
「我が名はこめっこ! 紅魔族随一の魔性の妹にし、いずれはこの世の全てを喰らう者! こっちはちょむすけ」
「なー」
両手を額にあてがい例に漏れず物騒な名乗りをあげる幼女こめっこと、丸焼きを免れた羽の生えた黒猫(暫定)ちょむすけ。紅魔族共通の真紅の瞳と黒髪を持ち、二つ括りのおさげと大きな星の髪飾りが特徴的なこめっこは、継ぎ接ぎだらけのサイズのあっていない大きなローブを翻して得意げな顔をした。その表情にどことなくパーティーメンバーの爆裂狂の面影を重ねたソウゴは、膝を折り目線を合わせて微笑んだ。
「我が名は常磐ソウゴ。最高最善の魔王だよ」
「まおー?」
「気にしなくていいよ」
ソウゴの脳天にびしっとチョップしたクリスは、襟首を摘んでソウゴを立たせる。紅魔族の幼女という、良い意味でも悪い意味でも吸収力の高い幼子への悪影響を鑑みて、選手交代とばかりに今度はクリスがこめっこと視線を合わせるため腰を屈めた。
「……こほん。我が名はクリス。よろしくね、こめっこちゃん。ところで、どうしてちょむすけ……くん? を焼こうとしてたの?」
クリスの素朴な疑問に、こめっこは首を傾げた。どうしてそんなことを聞くのかと純粋な不思議を感じている様子。だがこめっこは歳の割には聡いようで、クリスの質問の意図を理解したのかちょむすけを抱えると非常に不満そうな顔をした。
「生はおいしくない」
「あたしは食べ方の話をしてるんじゃなくて、どうして食べようと思ったのかが知りたかったんだよ」
「お腹すいたから」
「非常食って言ってたね。名前を付けたペットを食べるなんて、すごく困ってるんだね……。ごめんね。そこまで力にはなれそうにないや」
「ううん。おやつ」
「まさかのスナック感覚!?」
「この辺りのセミの幼虫は食べ尽くしたから、次はちょむすけ」
「さっき食べてたのセミの幼虫なの!?」
「セミの幼虫は夏前のこの時期が一番うまいって姉ちゃんが言ってた。塩焼きは通だって。まだ焼いてる途中のある」
「悪いことは言わないから、お姉さんとは距離を置いた方がいいよ」
「むっ。姉ちゃんはね、すげぇ魔法使いなの! 姉ちゃんを悪く言うならクリスには分けてあげないよ」
「いらないよ!」
「俺はちょっと食べてみたいかも」
「まおーはいいよ」
「ソウゴくんは黙ってて! あーもう! おやつならあたしたちの携帯食料あげるから!」
そう言ってクリスは自分の荷物から干し肉を取り出してこめっこに差し出す。小腹を満たすために昨日一昨日と移動しながら食べていた物の残りだが、ソウゴが時を止めるという反則的な保存方法でリュックに詰めた生肉よりはマシだろう。干し肉を見たこめっこは目をキラキラと輝かせると、抱えていたちょむすけを放り投げて差し出された食べ物に文字通り食らいついた。
「いいの!? やったー! お肉だー!」
「固いからよく噛んでって口に入れすぎだよ! 全部あげるから! 誰も取らないからゆっくり食べて!」
頬をいっぱいにして干し肉を嬉しそうに頬張るこめっこ。保存食でここまで喜んで貰えたのなら食材もうかばれることだろう。幼児の世話を焼くクリスを見ていると、ソウゴはまるで姉妹を見ているかのような気持ちになる。
それはそれとして顎疲れないのかな、などと感想を抱きながらソウゴが放り投げられたちょむすけを見ると、ちょむすけは自分の羽をぱたぱたと羽ばたかせて無事に地面に着地していた。何事も無かったかのように「なー」と欠伸をするちょむすけ。ついさっき丸焼きにされそうになったことも忘れたのか呑気な猫は、退屈そうに主人の食事をぼんやりと眺めていた。
「この世界の猫って空飛ぶんだ……」
「え? なんか言った、ソウゴくん?」
「いや、なんでもないよ」
新しい常識をアップデートしたソウゴがこの世界の神秘に浸っていると、追加でデザートの干しぶどうと水を渡したクリスがソウゴの隣にやってくる。嬉しそうにお腹を満たすこめっこを眺める彼女だが、少し困ったように眉を垂らした。
「こめっこちゃん、お姉さんが男を連れて帰って来たから家族会議してるんだって。それで暇だからって外に遊びに来たみたい。このまま放置ってわけにもいかないし……」
「一人でいる時に魔王軍に見つかるのは避けたいね。めぐみんの家に行くのは後にしようか」
年端もいかない子どもに食事だけ与えてさようなら、という訳にもいかない。女神だ王だという前に、一人の人間としての良心がそれを許さないのだ。かといって、全員の荷物を持っているためこのままずっと遊んでいるわけにもいかない上に、人の世に不平等に干渉できない女神と自分が問題を解決しても意味が無いことを理解している魔王には家庭環境に手が出せない。どうしたものかと二人が考えていると、こめっこは会話を聞いていたのかもぐもぐと口を動かしながらあどけない表情で言った。
「うちは今ダメ。家族会議中。飽きた」
「うん。こめっこちゃんを家に送るのは後にするよ。あたしたちはめぐみんって娘の家に用事があってね、先にそっち寄ろうかなって」
クリスがそう言うと、こめっこは干し肉を齧る手を止めずに首を傾げた。
「めぐみんは私の姉ちゃん」
「「……え?」」
⏱⏲「セミの幼虫って思ってたより美味しいんだね」「君さ、この世界に順応しすぎじゃない?」⏲⏱
「ここ。こめっこの家」
保存食を綺麗に平らげた幼女がそう言って指をさしたのは、趣深い小屋だった。
築年数など一見して判別できるようなものではないが、きっとこの里で一番古い建物に違いないと二人は確信した。年季が入り風化し始めた木目の壁は、土壁やレンガが使われていた集落の家々とは違う一階建て平屋の石置屋根。扉は引き戸であり、ガラスが使われているものの曇りガラスではないようで、細かい傷がたくさん付いているためか中はうっすらと透けて見える。アクセルの街にある馬小屋に家らしい装飾を施したような、無理をして良く言えば素朴で風情ある、正直に言うなら吹けば飛んでいきそうなほどボロっちい、そういう印象だった。
「入って」
「「おじゃましまーす」」
そういうことは思っていても口と態度に出さないのが二人。自分がこっそりと家を抜け出たことを覚えているようで、そっと扉を開いたこめっこはギイギイと鳴る木の床をそっと静かに歩いていく。その後ろに続いて二人も玄関をくぐると、そこには綺麗に揃えられた見知った靴が四足並んでいた。間違いなくここがめぐみんの家であり、ソウゴが面影を重ねた幼女は妹だということになる。そしてその幼子にセミの味やら他にもきっとあるはずのゲテモノ料理の味を教えこんだ犯人も間違いなく。
そこはまあいいとして、家族会議に発展しているということはカズマがそれなりの事をしでかした可能性が高い。めぐみんに事情を聞く前にカズマへの擁護かお説教が待っているはずだ。どちらだろうとソウゴが悩みながらこめっこが手招きする部屋へと向かうと、少なくともお説教は必要なさそうだと結論づけた。
「その歳で冒険者としても商売人としても成功しているなんて凄いじゃないか! 流石は我が娘が選んだだけはある! なあ母さん!」
「ち、違うと何度も言っているではありませんか! カズマは仲間で友人で……!」
「仕送りの額からしてもキチンとしたいい人そうだし、私は反対しませんよ。ところで、式はいつかしら? こういうのは早い方がいいですし明日にでも、なーんて。おほほほほ」
「いやほんとに! 俺とめぐみんはそんなんじゃないですから! セクハラの件は誤解なんです! 俺は誰にでもそういうことするんです!」
カズマがなりふり構わず最低な発言をするそこは、縁側付きの開放的な和室だった。板を打ち付けて穴が隠されているだけの壁に、ちょむすけの仕業なのか破れっぱなしの襖。すきま風も多いことが予測される、陽の光を直接浴びられないこと以外は屋外と変わらない造り。その部屋には婚前の挨拶のようにちゃぶ台を一つ挟み向かい合う、笑顔のめぐみんの両親らしき夫婦と慌てたようなカズマとめぐみんがいた。会話の内容から両親の方が乗り気な様子で、家族会議と言ってもカズマを処罰するためのものでは無いらしく一安心する。そしてカズマたちの後ろに控え、正座でお茶を啜りながら成り行きを静観していたアクアとダクネスが、部屋の前で立ち尽くすソウゴたちに気がついた。
「あらソウゴにクリスじゃない。やっと来たのね。お疲れ」
「二人ともすまないな。荷物、ありがとう」
「いや、それはいいんだけど……。二人とも結婚するの?」
「しねーよ!」
「しませんよ!」
二人が揃ってが反応することで、全員の視線が一気に入口に集中する。突然の来訪者に疑問符を浮かべる両親は、娘達が勢いよく否定した事を流して一旦新しく増えた来客へと居直った。
「あの、どちら様でしょう? 娘と
「奥さん。今なんて言いました?」
「まおーとクリス。姉ちゃんの仲間。ご飯くれた。いいやつ」
「「ええ!? ご飯を!?」」
「ソウゴです。魔王です」
「クリスです。来る途中偶然会ったので案内してもらったんですよ。あの、あげたのは携帯食料だったんですけど、まずかったでしょうか……?」
「いやいやとんでもない! 母さん! この人達にも一番いいお茶を!」
「だからウチにお茶は一種類しかありませんよ。おほほほほ」
笑いながらソウゴたちの横をすり抜け廊下の先へと消えていくめぐみんの母。この態度の急変に驚きはするものの、それよりご飯で人の善し悪しを判定するこの幼女の将来が少し不安になるソウゴとクリス。そこは後でめぐみんから何とかしてもらおうと考えておく。
補足でクリスが付け足した言葉でなにかに気づいためぐみんが、たまにアクアやカズマに見せるお姉ちゃんのような顔を妹へと向けた。
「こめっこ、貴方また一人で外に出ましたね? 危ないからダメと言ったではありませんか!」
「暇だった。それとお腹もすいた」
「暇だったのなら私たちが遊び相手になろう。外は魔王軍もいることだしな。食事は……」
「あー! もうお昼過ぎてるのかー! ソウゴ、朝の肉は?」
「あるけど」
「なら、庭も広い事だし外でバーベキューでもしようか! ゆんゆんも呼んで! 昼飯晩飯兼用で! な!」
「ええ、そうですね! では私はゆんゆんを呼んでくるとしましょう! 友だちの私が!」
突然大きな声を出して立ち上がったカズマと、それに乗っかるめぐみん。勝手かつトントン拍子に進んでいく縁談話を有耶無耶にしたいが為に無理矢理話を切り上げようという作戦だろう。だがこの話の切り替えは非常に効果的だったようで、バーベキューという単語にキラキラと目を輝かせるこめっこは嬉しそうに姉に抱きついた。
「バーベキュー!? バーベキューって、たまにやる食べれる雑草とか花とかを外で焼いて食べるやつじゃなくて、お肉焼くちゃんとしたやつ!?」
「ああそうだぞってちょっと待て。めぐみん、お前ん家どうなってんの?」
「あーあー! では私はゆんゆんに野菜とかその他諸々
「おい、それではぐらかせると思ってんのか。あと、ゆんゆんには金返すって言っといてくれよ」
誤魔化しに失敗しながらもカズマにサムズアップしためぐみんは、母同様にソウゴたちの横をすり抜け玄関へ消えていった。嵐のようにどたどたと激変する一つ屋根の下、利害の一致でスムーズに事は運んでいく。
めぐみん家の事情に呆れ頭をポリポリと掻くカズマは、呆気に取られるめぐみんの父を勢いで押し切るために必要以上に大きな声を出した。
「俺、アクア、ソウゴで肉を狩りに行くぞ! ダクネスとクリスはこめっこと遊んでやっててくれ! よし、散開!」
⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱
「ゆんゆんお姉ちゃん。野菜焼けた」
「ええ、そうね。でも、私もそろそろお肉食べたいかなって……」
「でも野菜焦げる。あと次のお肉焼いて」
「う、うん……。こめっこちゃん、お野菜は?」
「ゆんゆんお姉ちゃん。野菜焼けてる」
「そうだね。私、野菜食べるね……」
(俺、これからゆんゆんにもっと優しくしよう)
幼女にわざとらしく「お姉ちゃん」と呼ばれいいように使われているゆんゆんを見て心新たにするカズマは、ソウゴにいい感じに時を進めてもらい熟成させた熊肉を頬張った。この世界で食べなれたジビエ料理の味に舌鼓を打つと、時間操作って戦いでも日常生活でも使えるから便利だなぁ、と主婦の知恵のように時の王の権能を無駄遣いさせている事実から目を逸らす。とはいえ、酒盛りをして宴会芸を披露するいつものアクアを筆頭とした全員の笑顔を見れば、無駄かどうかを論じるのは無粋というものかもしれない。
「こめっこ、意地悪をしてはいけませんよ。お肉が足りなくなれば、またソウゴが狩って来てくれますから」
「むー……。じゃあゆんゆんも食べていーよ」
「いいの!? ありがとう、こめっこちゃん!」
「ゆんゆんさんが不憫すぎて下手にツッコめないな……」
「なんかさらっと俺の仕事増えてない?」
夕陽に照らされる紅魔の里。その端で楽しい時間はどんどんと過ぎていく。獲物の解体担当のカズマ、熟成担当のソウゴが一息つける頃には、追加で捕らえてきた尊い命達はもうすっかりといなくなってしまっていた。それでも箸が止まらないこめっこは、散々ゆんゆんに押し付けていた野菜をもくもくと口に運んでいる。そんな旺盛な食欲を目の当たりにしたカズマは、あの小さな体のどこにあれだけの量が入るのかと驚きながら茶を啜る。
「いやぁ、よく食うなお前の妹」
「熊一頭くらいはこめっこが食べたんじゃないかな」
「食べれる時に食べれるだけ食べる、がこめっこですからね」
「それにしても食べ過ぎじゃない? 見た目も変わってないし、何かのスキルかしら?」
「だが、あれだけ美味しそうに食べてくれると気持ちがいいものだな」
「そうだね。見てるだけでお腹いっぱいになるけど」
ゆんゆんに野菜を焼かせ尚も食べ続けるこめっこ。それを見て和む一同は、食後のお茶を啜りながら縁側に並んでいた。あとは片付けをして風呂に入り寝るだけ。魔王軍の幹部については明日考えればいいだろう。泊めてもらえるということで、日が沈みつつあるこの夕暮れ時でものんびりとだらけていた。
そんな彼らの傍にやってきためぐみんの母ゆいゆいは、申し訳なさそうに話を切り出した。
「すみません皆さん。今晩の寝床のことなんですど……」
「どうかされましたか、奥方殿?」
「実は、人がこんなにも増えるとは思っていなかったもので……。泊まっていきなさいと言ったのは夫なのですが、六人では流石に全員の寝るスペースが確保できず……」
「おや? 部屋ならいくつかありましたよね? 全員冒険者なので、床でも気にはしないと思いますよ」
「そうだな。お風呂と屋根さえあれば」
間取りを覚えているめぐみんがそう提案すると、全員が肯定的な反応を示す。しかし問題は布団の数ではなかったようで、困ったようなゆいゆいは頬に手を当てると眉を垂らして小首を傾げた。
「実際に見てもらった方が早そうですね」
そう言って、ゆいゆいは一行を連れて廊下を進んでいく。暗い廊下は焼けた太陽の赤に染まり、そうでないとわかっていてもまるで燃えているかのように見えてしまう。ぞろぞろと後ろをついていくカズマたちに、ゆいゆいは振り返らず口を切った。
「主人のひょいざぶろーは魔道具職人をしています。アクセルの街にも卸しているので、もしかすると目にしたことがあるかもしれません」
「へー、魔道具! 凄いですね」
「紅魔の里の主な収入源は、高い魔力を活かして作製される高品質な魔道具やポーションの売上ですからね」
「私のこの鎧も、紅魔の里で造られているものなんだぞ」
「ふーん。それがどうかしたの?」
「実は近頃、昔からのお得意先からよく返品が来るようになりまして……。お恥ずかしい話ですが、娘からの仕送りでなんとか日々を耐え抜いている状態なんです」
「それは災難だな。経営者が変わったとか?」
「いえ、経営者は変わらず名のあるアークウィザードの方なのですが、最近新しく雇ったバイトの方から返品するようよく言われると」
(……ん? なんかどっかで聞いたことある話だな)
何となく某魔道具店の某リッチーと某地獄の公爵が思い浮かぶが、ないないとカズマは首を振る。そもそもあの店に、ダクネスが身につけている鎧に匹敵するような高品質な魔道具など並んでいるところを見た事がないのだから。バニルだって馬鹿ではない。例え高くても、売れる見込みのある良質な物をポイポイと返品したりはしないだろう。もっとも、里の経済を支えているものが、所狭しと並べられている売れないガラクタに混じっているわけがないのだが。
ゆいゆいはある部屋の前に立ち止まると、その襖を開ける。その部屋の中に積まれていたのは、カズマにとって見覚えのある、具体的には二日ほど前にウィズ魔道具店でバニルがため息をついていたものにとてもよく似た木箱だった。
「多くの返品で裏の工房だけでなく家の中まで在庫だらけ。ですので娘を入れて三人、無理をして四人ほどしかお泊めすることができないんです」
「……奥さん。これ、中を拝見しても?」
「ええ。かまいませんよ」
「どうしたのよカズマ。そんな顔を青くして」
アクアの言葉を無視して、カズマは縋るような気持ちでそっと蓋を開ける。中に入っていたのは、自分が二日前に悪魔に紹介されて役に立たないと思った珍品奇品の数々。冷や汗をダラダラと流すカズマの肩からひょっこりと箱の中身を覗き込んだアクアは、中に詰め込まれたいろいろな魔道具を見て興味が出たのか一つ拾い上げた。
「ねえねえめぐみんのお母さん! この指輪は何の魔道具かしら?」
「それは嵌めた男女がお互いの好感度を知ることが出来るペアリングです。告白を確実に成功させる事が出来るいいものなんですけど……」
「あらそうなの? もしかすると、冒険者に見向きされないからって返品されたのかもね。見る目がないわね、そのバイト。こっちは何のアクセサリー?」
「それは近くの身につけている者同士で魔力を共有できるブレスレットです。リッチーには〈ドレインタッチ〉というスキルがあるので、それを参考に考案したんですよ」
「ダメよリッチーのスキルなんて参考にしちゃ! そのバイトわかってるじゃない!」
(こいつ、今褒めたのがバニルだって知ったらどうなるんだろ)
だが決して言わない。この事実は墓まで持っていこうと固く決意したカズマは、アクアから魔道具を取り上げるとそっと木箱の蓋を閉める。墓まで持っていく秘密が随分とグレードダウンしたが、これから先はおいそれとウィズの店の魔道具を馬鹿に出来なくなってしまった。とにかく悟られないよう話題を変えようと、カズマは振り返った。
「事情があるなら仕方ないですね。じゃあ、宿に泊まるメンバーはどうする? ここは無難に俺、アクア、ソウゴか?」
「えっ、嫌よ私! お腹いっぱいだし、お風呂入って晩酌して寝るだけなのに雑木林歩かなくちゃいけないなんて!」
「ワガママ言うんじゃねぇよ」
「まあいいんじゃない? 俺とカズマとあと一人。クリスでもダクネスでも」
「そうだね、ならあたしが行こうか? ダクネスはどうしたい?」
「私はどちらでも構わないが……」
無難な組み分けに顔を見合わせるダクネスとクリス。正直、二人ともどちらでもいいといった反応。二日間野宿してここまで来ているのだ、今更恥ずかしがることもなく、身の危険もソウゴには感じていないしカズマも同意がなければ手を出してくる度胸はないと踏んでいる。だが、その提案にゆいゆいは笑顔で否定を差し込んだ。
「あら、カズマさんは我が家に泊まってくださいな。娘からの手紙にも書いてありましたが、クリスさんはしょっちゅう下着を剥ぎ取られ、ダクネスさんは薄着を邪な目で見られているとか。うちには主人もいますから安心して眠っていただけると思いますよ」
「お前本当にどこまで書いてるの?」
「しかし、それでは自分の娘が仲間の男に襲われかねないぞ?」
「ダクネス。俺たちに信頼は無いのか?」
「ならソウゴくんもこっちに泊まれば? そうすればカズマくんも何もできないから危険はないでしょ」
「なあお前ら。一旦、本人の前で危険だとかなんだとか言う話をするのはやめようか」
カズマの言葉など自業自得と耳を貸さず、話を詰めていく仲間たち。そんな彼らに困ったような表情を貼り付けたゆいゆいは、真っ赤な夕陽に照らされて小首を傾げた。
「ですが、泊まっていただくのは族長さんのお家ですよ? ソウゴさんはゆんゆんさんと仲がいいとか。あちらの方がいいのではないでしょうか」
「え、ゆんゆんの家に決定なの?」
「はい。追い出しておいてお金のかかる宿に泊まらせるというのもなんなので、ゆんゆんさんからは許可を頂いています。ゆんゆんさんは押しに弱いですから、うちの娘より貞操の危険があるかもしれませんね。ご心配でしたらダクネスさんもこちらに泊まりますか? かなり狭くなってしまいますが……」
気を使わせて申し訳ないなという反面、このうふふと笑うめぐみんの母親が何を考えているのか分からないという恐ろしさをカズマは感じていた。まるで初めからこの組み分けにするためだけにこの茶番を用意したのではないかと疑ってしまうほどに。戦慄するカズマの隣で、それでもゆいゆいはうふふと笑みを浮かべていた。
「というわけで、今晩はよろしくねゆんゆん」
ダクネスも居残りを決め、ゆんゆん宅にお世話になるのはソウゴとクリスとなった。というのも、二人にとってはその方が都合が良かった、と言う理由が大部分を占める。そんな腹の中を知らないゆんゆんは、とても緊張した様子で二人に頭を下げた。
「は、はいっ! 私、めぐみん以外を泊めるの初めてで! 不束者ですがよろしくお願いします!」
「ゆんゆんさんのお父さんがまた別の意味で泣いちゃうから誤解を招く言い方はやめようね」
「えっと、使ってなくてすぐに泊まれる部屋聞いてきますね! あとお風呂の準備も!」
「そんなのテキトーでいいんだけ……行っちゃった」
クリスの言葉を振り切って、走り去ったゆんゆん。取り残されたソウゴとクリスは、着替えを小脇に抱えたまま待ちぼうけを食らうこととなった。広い家だが、お手伝いさんとかはいないのだろう。あとできちんと親御さんに挨拶しないとと思うソウゴは、ただ待っているだけというのも暇なので誰もいないことを確認してからクリスに問いかけた。
「今夜も天界に帰るんだよね? だからこっち来たんでしょ?」
「そりゃね。アマゾンのウォッチのために長時間下界に降りてるけど、補佐の天使に仕事全部丸投げってわけにもいかないしさ」
「毎晩大変だね、人と女神の両立は」
「ソウゴくんが見張り代わってくれたりして時間作ってくれてなかったら破綻してるよ。あと、寝る時間もくれるし」
「クリスと俺を除いた世界の時間を止めてるだけだから、大したことじゃないけどね」
「どう考えてもそれは大したことだよ」
何はともあれ、そんな生活ももうすぐ終わる。 明日は里の観光を中心にして魔王軍の様子を見つつ、攻めてくれば迎撃。シルビアが敵陣にいればアナザーライダーになる前にウォッチを回収し、アマゾン化している魔王軍を根絶やしにすれば作戦終了。仮に明日シルビアを討ち取れずとも、連日攻めてきているのであれば十分に敵戦力の分析はできる。取りこぼしが一番危惧される状況のため、慎重にならざるを得ないのは仕方のないことなのだ。
と、アマゾンネオウォッチの回収の算段を付けていると、ソウゴは妙な気配を感じてじっと魔力の感知に神経を研ぎ澄ませる。方角はいつも魔王軍が攻めてくるという正面の入口とは反対の山の方向。距離はあるが、混ざり物の多い異質な魔力はこの魔力入り乱れる紅魔の里でも目立つほど一際存在感を放っていた。早くお風呂に入りたいのか、ゆんゆんの影が待ち遠しそうなクリスは無反応。
「……〈敵感知〉の範囲外か」
「どうしたの、ソウゴくん?」
「たぶん魔王軍。俺、ちょっと見てくるね。これお願い」
「え、ちょ」
戸惑うクリスに着替えを押し付けたソウゴは、ショートワープを使ってその場を瞬時に離れる。取り残されたクリスは男物の寝巻きを抱え、慌てて戻ってきたゆんゆんにどう説明したものかと頭を捻った。
⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱
赤と黒が入り交じった、長い髪を靡かせる長身の美女。出るところは出て、締まるところは締まる、均整のとれたボディライン。その美を強調するのは、下級悪魔の革で設えられた真紅のドレス。闇の中でも際立つ赤を見せつけ歩くその姿は、例え敵といえ目を奪われるだろう。シルビアは、部下たちを引連れて森を進んでいた。
行軍は順調。第二次被検体となった下級悪魔たちにも異常な行動は見られない。腕輪からの投薬による本能の抑制機能は正常であり、分量を調整すれば肉体を強化したまま理性を保つことも可能。一度魔王城に戻って成果の報告を上げた方がいいかとシルビアは考えていた。サンプルは十分であり、他の生物でも適合は期待できる。部下たちのデータを元に魔王軍全体の強化ができれば、頭のおかしい紅魔の連中など相手にせずとも一定以上の評価は得られるだろうし、例えまた派兵を命じられ紅魔族と戦うことになっても、強化し隊を整えた後で侵攻すればいいだけのこと。最早、この頭のおかしいやつらの里に長居する理由はシルビアたちにはない。
しかし、シルビアはやられっぱなしで逃げるなどという屈辱を甘んじて受けられるほどプライドの低い生き物ではなかった。
「シルビア様! 見えてきました、『謎施設』です!」
「ええ。あそこに眠るお宝を頂いたら一度魔王城へ引き上げるよ。最後に紅魔族の連中に一泡吹かせてやろうじゃないか」
「『謎施設』ってところにはどんなお宝があるの?」
「昼礼の内容を忘れたのかい? 仕方ないねぇ……。あの『謎施設』って呼ばれる建造物は恐らく兵器格納庫。紅魔黎明記っていうやつらの伝承にあった、古代兵器が眠っている場所のはずだよ。連日コソコソと里中を調べて回ったけど、それらしいものはどこにも見当たらなかったからね」
「へー。それを奪って使ってやろうってわけだ」
「ええそうよ。『世界を滅ぼしかねない兵器』、『魔術師殺し』、『レールガン』。伝承じゃおとぎ話のような破壊力のアーティファクトだけど、この里にはあの滅びた魔法技術大国ノイズで使われていたという古代文字が掘られた石碑がある。伝承通りなら紅魔族を生み出したのはノイズで間違いない。あのデストロイヤーを造った国だからね。絵空事のような兵器が実在していても不思議じゃないわ」
「入れるの? あの変な工場みたいなの」
「入れるさ。こっちには『結界殺し』があるんだからね。あらゆる魔術的な封印や結界を無効化するこいつがあれば、やつらの封印している施設なんて簡単に開けられるよ。……って、アンタ本当に何にも聞いてないわね。所属はどこの隊よ」
「いや、俺アンタの部下じゃないし」
「そう。なら知らなくても仕方ないわね」
「ところで、アマゾンズレジスターを作ったのはシルビア?」
「『あまぞんずれじすたー』って何よ」
「アンタの部下が腕に巻いてる腕輪のことだよ」
「ああ、あれね。そうよ。あれアマゾンズレジスターって名前なのね。なんだか凄くしっくりくる名前…………」
そこまで話して、シルビアは足を止めた。
今、自分は誰と話していた?
その疑問が脳に閃いた時、シルビアは全身の毛が逆立つのがわかった。脊椎反射で地面を蹴り上げ大きく跳躍した彼女は、土の上を滑りながら四、五メートルほど離れた地点に着地する。
「ッ……! 誰よアンタ!?」
飛び退いたシルビアは、行軍に紛れていた見知らぬ人間に声を荒らげた。警戒する大将に倣って、兵たちも隊列を崩して戦闘の陣形を組み上げる。恐怖という感情を知らないのか、刃物を突きつけられても特に反応を見せるのことない男……ソウゴは、へらへらと場違いな笑みを見せた。
「ねえ、どうしてアマゾンズレジスターを作れたの?」
「質問してるのはこっちよ! 紅魔族? 違うわね、まさか勇者候補……!?」
「勇者? 違うよ。我が名は常磐ソウゴ。全てのライダーの力を継承する、最高最善の魔王にして――」
ソウゴの右手から夜の闇の中でもはっきりとわかるような黒い靄が這い出てくる。その靄は意志を持つかのように、彼の右手のひらの上でシルビアの見た事のない形を作っていく。剣のような鋭利なものともメイスのような鈍器とも違う変わった形状の、どちらかと言えば鈍器に近い、恐らく武器。鮮やかなオレンジ色が鈍く光るそれをシルビアへと向けると、ソウゴからいつものへらへらとした笑みが消えた。その瞬間、シルビアの本能が告げる。
逃げろ、と。
「――ここでアンタたちを、討ち滅ぼす者だ」
«火縄大橙DJ銃»
ソウゴは迷いなく引き金を引いた。放たれるエネルギー弾は、歴史の中であらゆる強敵に傷をつけてきた強力無比な光弾である。一発一発の反動もまた威力に応じて凄まじいが、ソウゴには訳はない。重量のある火縄大橙DJ銃を片腕で軽々と扱い、ぶれることなくシルビア一人を一点狙いする。
その光弾の危険性を本能的に察知したシルビアは、夜の森という夜戦には不向きな地理でも素早く移動し避けていく。飛んでくる力の塊をギリギリのところで躱すものの、身を掠めた弾が地面を抉り、木々をなぎ倒すのを見て冷や汗が垂れた。
「くっ! 詠唱無しで〈ファイアーボール〉を連発する魔道具!? なんてもの持ってるんだいアンタ!」
「魔道具じゃないんだけど、まあいいや」
本当にどうでもよさそうに答えたソウゴは一旦銃撃をやめ、DJテーブルをスクラッチした。すると火縄大橙DJ銃から法螺貝を主としたリズミカルな音楽が流れ始める。そしてDJピッチをマシンガンモードへと設定するともう一度スクラッチ。今度はよりテンポの早い音楽が夜の森にこだまする。まるで逃げ惑うシルビアを馬鹿にしているかのような、その場違いでノリのいい音楽にシルビアは悟る。
これは戦闘ではない。“狩り”なのだと。
そう思った途端、逃げるという行為の意味がわからなくなってしまう。奇襲をかけることもできたのに、この男はわざわざ猶予を与えた。それは即ち、相手にならないという宣言以外の何物でもない。そんな逃げ切れるかどうかもわからない敵から距離を取り、ただ一瞬長生きすることに何の意味があるのか、と。
「シルビア様をお守りしろー!」
恐怖に足を掴まれていたシルビアは、部下たちの声にハッとした。陣形を組んでいた兵士たちが、この間を好機と読んで一気に敵へと群がっていく。魔道具の発射間隔は理解した。数で押せば多少の犠牲が出ようとも敵一人くらい鎮圧できる。そういう甘い考えが下敷きにあったのだ。
その軍勢に向けて、何の感情も湧いてこないのか顔色一つ変えることのないソウゴは調律の終えた場違いな工芸品を構える。
「でもそれは、
どうして一度銃撃をやめたのか。それはシルビアを確実に仕留めるためではない。
マシンガンモードへ移行した火縄大橙DJ銃の銃口を向かってくる兵士たちへ突きつけると、身を翻して引き金を引く。放たれるのは、先程シルビアを追い回したものよりも二倍から三倍のスピードで放たれる力の礫。制御も難しそうな連続射撃を完全な制御下に置き、迫り来る兵士たちの首から上を一発も外すことなく正確に吹き飛ばし無力化していく。上級魔法を連発し自分たちを爆撃していくのが集ってくるハエを追い払う行為なら、今突きつけられているこれはそう、明確な殺意。
「お、お逃げ下さいシルビア様! こいつは異常です! 足止めはわれわペッ
退避を促す下級悪魔の頭が無くなり、胴体が力なく地に伏する。かつて部下だったものが干からび朽ちていく様を見て、シルビアは頭が冷静になるのがわかった。数をものともしないぽっと出の強敵に、将を守るため突撃していく兵士たちは動く的として消費されていく。それに怒りを覚えないような、そんな冷酷な女ではなかったのだ。
「全員どきな!」
シルビアはそう一言言うと、肺いっぱいに空気を溜め込む。そして部下たちが道を開けた一瞬、その入れ替わりの一瞬のタイミングに敵へ目掛けて炎のブレスを吐き出した。これまでいくつもの町を焼き払い、勇者候補を灰にしてきた火炎がソウゴを包み込む。手応えはあった。だがシルビアは勝ったと思えなかった。
十秒、二十秒、確信が持てず一息で吐けるだけ吐く。生物の中でもとりわけ人間は、体表の半分も火傷を負えば死んでしまう脆い生き物。安全かつ確実な死を与えるには一番有効だと、シルビアは判断したのだ。炎を吐き終わり、いつもなら焼け焦げた跡だけが残っているはずの場所。しかしそこには、少し考えるような素振りのソウゴが無傷で立っていた。
「だろうね。そんな気がしたよ……ッ!」
次は何で攻める? 触手か、近接戦か、はたまた相手に合わせて遠距離射撃か。手札はまだまだある。まだ死ねない。例え服に焦げ目すら付いていない相手でも、死を覚悟するにはまだ早い。シルビアが生への執着からぐるぐると思考を巡らせていると、ソウゴはどういう訳か銃口を下げた。
「ねえシルビア。ちょっと話をしない?」
「話? いきなり攻撃してきて、部下を殺しまくったアンタとどんな話をするっていうのよ」
「それについては言い訳しないよ。さっきまでは全員ここで終わりにするつもりだったし、命を奪った事実から逃げるつもりもない」
「さっきまで……? 気でも変わったのかしら」
「うん。シルビア、部下のこと気遣ったでしょ? それに部下を盾にして逃げなかった。だから、ちょっと話がしてみたいなって」
戦意はないと言うのか、ソウゴは手にしていた武器を宙に放り投げる。すると火縄大橙DJ銃は黒い靄へと戻り歴史の中へと還元された。だが武器が一つとは限らないため、隊は警戒を解くことはない。それがわかっているのだろう、ソウゴも武器を下ろさない兵たちを気にする様子もなく、ただ薄らと笑みを浮かべてシルビアを見ていた。
「……いいわ。しましょう、話とやらを」
「ありがと」
現状、勝ち目はない。ここでソウゴの手を振り払っても無為に部下を死なせるだけだと考えたシルビアは、大人しく交渉のテーブルに着くことを選んだ。そんな大将の姿に武器を下ろす兵たち。髪をさらりと流したシルビアは、つかつかとソウゴの前まで歩み進んだ。
「それで? 貴方はいったい何の話をしたいのかしら?」
「アンタの持ってるアマゾンネオのライドウォッチ……って言ってもわかんないか。〈オーパーツ〉だっけ。それを返してくれないかな? その歴史は俺達のなんだよね」
「歴史……?」
「そ。返してくれれば、俺はアンタを見逃してもいい。もちろんアンタの部下も。その代わり、アマゾン化している配下は全部元に戻させてもらうけど」
要するに、この男の主張はこうだ。
「魔王から貰ったマジックアイテムと研究成果を差し出せば、アンタと部下の命は助けてやる。拒否すれば〈オーパーツ〉も命も力づくで奪う」
なるほど、確かに問答無用の殲滅から話をするという段階まで文明レベルが上がっている。拒否権がないという点が実に上からの物言いだが、そこに異議を唱えるということは交渉を袖にしたと受け取られることだろう。しかしながら〈オーパーツ〉を差し出した上に研究成果も破棄したとなれば、もう自分には魔王軍幹部としての立場どころか魔王軍での居場所がなくなることを意味する。
「私に魔王軍を裏切れって言うの?」
「俺の理想は、人もモンスターも可能な限り仲良く暮らせる世界を作ること。魔王軍をやめるなら、そのために協力してほしいなって思うよ」
「仲良く? 随分とお気楽なことを言うのね。私は魔王軍幹部としてこれまでたくさんの人間の命を奪ってきたの。その私が、今更仲良くなんてできるわけないじゃない」
「できるよ。シルビアは部下の身を案じることが出来る。ならきっと人の中でもやっていけるし、人とモンスターの橋渡しにもなれると俺は思う。まあ、人を襲わないでとか色々約束しなくちゃいけないことはあるけど」
確信めいた言葉に、シルビアは少し心動かされる。毎日毎日頭のおかしい紅魔の連中に虫けら扱いされ、基地の研究所に籠って徹夜で実験と検証の日々。そういうしがらみから解放され、いがみ合ってきた人間と手を取り仲良く暮らせる未来を想像して、部下たちを見た。
「シルビア様……」
部下たちの迷いのない目は、困惑するシルビアの姿を写す。どんな選択をしようと、彼らは自分に付いてきてくれるだろう。これまでの献身的な人体実験の志願と、培ってきた信頼からそんな姿が容易に想像できる。目を閉じて覚悟を決めたシルビアは、ソウゴに向き直った。
「時間がほしい。魔王様にはこれまでの恩もある。魔王軍にも思い入れが。今ここで迷いのない答えが出せるとは思えないの」
「…………」
「明日の夕刻、全軍を率いて紅魔の里の正面入口に行くわ。そこで私の答えを伝える」
「……わかった。それでいいよ」
ソウゴは森の中へと消えていく魔王軍を見送る。とりあえず、明日は時間までのんびり観光をしよう。カズマやクリスになんと言われるか。小言を想像して、ソウゴは少しだけ満足そうなため息をついた。
「喰らえッ! これが俺達の思いの結晶、最終兵器『レールガン』の力だッ!」
高密度の魔力を凝縮し撃ち放つ創造主が遺した兵器が火を噴く。仲間たちから託された魔力を込めた一撃が、ついに暴走する『魔術師殺し』を貫いた。大きな風穴を開けた『魔術師殺し』は身悶えすると、ゆっくりと地面に倒れ機能を停止する。
終わった。長きに渡る戦いが、ここで終わったのだ。
「勝った……。勝ったんだ……ッ!!」
「ああ、俺たちは勝ったんだ!」
「やったわね、みっどしー」
拳をうちつけるちゃなかとれんちん、そしてみっどしー。焼け野原となってしまった荒野で喜びを噛み締める三人は、魔力を使い切ったことの疲労と安心感から仰向けに倒れた。もう指一本動かせない、それほどの極限状態で見上げる空は、初めて知る透き通った青さだった。
「……ちゃなか。れんちん」
「どうした、みっどしー」
「ここに、俺たちの里を作ろう」
「ここに?」
「ああ。散っていった仲間たちの、弔いのためにも」
頬を撫でる土煙をこれほど心地いいと思ったことは無いだろう。愛する者を失ったことでぽっかりと開いた心の穴を埋めるように、みっどしーは眠りについた。