この素晴らしい魔王に祝福を!   作:春野 曙

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このふざけた里に観光を!

 ソウゴがシルビアと交渉し、一時撤退していく姿を見送っていたほぼ同時刻。そんなことになっていると知らないカズマもまた、めぐみんの家で一人孤独な戦いを強いられていた。

 

(どうして俺はめぐみんの部屋に押し込まれているんだろう)

 

 腕を組み、この異常な事態について冷静に考える。後ろには魔法で鍵をかけられたボロの扉。目の前には継ぎ接ぎだらけでペラッペラの一組の布団と、それに包まれてすやすやと気持ち良さそうな寝息をたてるめぐみん。思春期に突入してから初めて入る女の子の部屋に少なからずときめきを感じたりもするが、貧困を如実に語る殺風景さと隙間風に身を震わせれば、コレジャナイ感から簡単に現実へと引き戻される。

 

(いかんいかん。奥さんは「ごゆっくり~」なんてセリフと共に俺をここに閉じ込めたんだ。つまり、ここでめぐみんにときめき手を出してしまえば向こうの思う壷。だいたい、めぐみんは俺にとってロリ枠だ。イエスロリータ、ノータッチ。そもそも俺はロリコンではない。母性溢れる大人のお姉さんが好みなんだ。しっかりしろ、佐藤和真!)

 

 くだらないことを考えてとりあえず頭を回す。そうでもしなければこの異常な事態に呑まれてしまう、そんな危機感があったからだ。

 魔王軍との全面対決を視野に入れた編成を考えていたために、長湯してしまったカズマが風呂上がりに見た光景。それは家の中にいる者達を次々と魔法で眠らせるゆいゆいの姿だった。いつぞやのアルダープ家査察辺りから魔法抵抗力が上がっていたらしいダクネスはかなり眠気に抗っていたが、〈パラライズ〉をかけられ身動きが出来なくなるとビクンビクンと体を痙攣させ、いつも通りだらしない笑みを浮かべて白目を剥いていた。あのブレない姿は、ちょっとしたトラウマである。

 

(褒奨金やバニルから入る金の話をした俺も迂闊だが、セクハラしまくる男と娘をくっつけようとしたり身内に魔法かけたりする奥さんも人としてどうなんだろうか)

 

 流されるのはお手の物だが、今ここでゆいゆいの思惑に流されめぐみんに手を出せば取り返しがつかないことになるだろう。社会的信用、そして人としての尊厳を失い、信頼を築き上げてきた者たちから寝込みを襲った鬼畜外道だと罵られること間違いなし。カズマとて犯罪者としてアクセルに凱旋する気はない。……いや本当に、別にめぐみんがダメとか嫌いとかそういう事ではなくて、自分の保身のため、ひいてはめぐみんの心の安寧のためである。普段の言動から幼少期に頭に爆裂魔法でもくらったのかとは思っているが、そこを差し引いても美少女だし、料理もできるし、気も使えるし仲間思いで心根も優しく、多少意地っ張りで好戦的な性格ではあるものの普段さりげなく見せるか弱い女の子らしさに時たまドキッとさせられって違う違うぞ違いますよの三段活用、地の文にまで漏れ出るんじゃないもっと括弧をつけろ俺の過負荷(マイナス)思考!!!

 

 閑話休題。

 

 頭をブンブンと振って乱れた思考を取っ払い、この状況を打破するために落ち着いて部屋を観察する。脱出しようにも外へ出られるのは窓だけ。窓から外に出たところで寝床がなく、野宿するにも道具がない。恐らく、外からもう一度この家に侵入すればゆいゆいに捕まり自分まで魔法をかけられるだろう。扉の向こうで息を潜めているのはスキルを使わずともわかる。ならばゆんゆんの家に行くという手もあるが、流石に裸足であそこまで歩くのは現代日本人の感覚から抵抗があった。

 じっとしていたせいか、考えを煮詰まらせていたカズマの首筋をひやっとした空気が撫でる。ぶるっと身体を震わせたカズマは、自分の体が少し冷え始めていることに気がついた。

 

(しかし、この隙間風はなんとかならないものか)

 

 どこからともなく吹いてくる隙間風は、きっと建物の老朽化のせいだろう。耳障りな音がしないところを見るに、空気が通り抜けられるくらい複数箇所に換気口ができているに違いない。簡単な補修ではどうにもならないであろうことを考慮すれば、この妙な肌寒さは大人しく受け入れるしかないお(うち)事情というものになる。

 だがそこは、これまで数々の戦いを小狡い手(けいりゃく)アドリブ(とっさのきてん)で乗り越えてきた男、佐藤和真。頭脳派を自称するつもりは無いが、こういう困り事をその知恵で解決できるのがうちの女神に足りない知力というものである。とは言え、隙間風のせいで思考が乱されれば出せる答えも出ない。やはり最適解を出すには体を暖めてリラックスさせる必要があるのではなかろうか。風呂から上がったばかりで湯冷めしてしまえば風邪をひくだろうし、最先端医療技術もないこの世界で肺炎にでもなれば一大事である。一時しのぎであれ早急に手を打たねば。

 

 その時、カズマの思考に電撃が走った。(比喩)

 

(そうだ、布団にお邪魔しよう)

 

 おあつらえ向きに布団があるのだから、これを活用しない手はない。ペラペラではあるが他に暖をとれるものも見当たらず、勝手に人様の家の収納をひっくり返すのも常識に欠けた行動だ。どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのか。やはり肌寒さで思考が麻痺しているのかもしれない。一刻も早く体を暖めなければならないだろう。ペラペラだが。

 そう結論を出したカズマは、掛け布団を綺麗に整えめぐみんの隣に落ち着いた。想像通り布団は人肌に暖まっており、隙間風で冷えたカズマの体を包み込んでくれる。そして何より、温めてくれるのは体だけではなかった。同じ風呂に入り、同じ固形石鹸を使って髪も体も洗っているはずなのに、仄かに香る女の子特有のいい匂いに胸が高鳴る。敷布団までペラッペラでほとんど床の感触だが、寝心地の悪さを差し引いてもお釣りが来るだろう。さっきまであったコレジャナイ感はどこへやら。美少女と同じ布団で添い寝なんてシチュエーション、前の世界ならそうそう起きないラブコメ的ご褒美イベントである。

 

 安心しきって寝ている美少女の無防備さに、イケナイ気持ちから«CROSS-Z DRAGON!»が«FINAL FORM RIDE»してしまいそうなことを抜きにすれば。

 

(……しまった! これは孔明の罠だ!)

 

 ハッとしたカズマは、自分が術中に嵌ってしまっていることに愕然とする。一時の暖を取るだけのつもりが、気がつけばゆいゆいに踊らされめぐみんと同じ布団で添い寝をしてしまっていた。今から慌てて飛び出そうものなら、お約束のようにめぐみんが目を覚まし悪し様に扱き下ろされること請け合い。ただでさえこんなところをアクアやダクネスに見られれば、鬼畜だの外道だのの(そし)りを自ら受け入れることになってしまう。そうなれば誰もカズマの主張に耳を傾けてはくれないだろう。

 

ま る で 痴 漢 冤 罪 。

 

 ただ隙間風から最悪の事態を回避するための行動が、意図せぬ受け取り方をされ極悪人のように(なじ)られることになる。«ジカンデスピア⤴︎ !»が«カイガン!»しかけているのも寒さによる生理現象なのだが、この状況を見られれば信じてくれる者はいないだろう。ままならない世界の理不尽に、カズマは声を上げることも涙を零すことも許されないのだ。

 これが本当に痴漢冤罪であるならば、無実の罪をふっかけてきた見ず知らずの女の顔面に«RIDER STING»をかまし«FINAL VENT»からの«LIMIT BREAK»で恨みを晴らしつつ、謂れなき性犯罪者というレッテルを回避するため暴力男の汚名を被るのが男女平等主義戦士であるカズマの最善手だが、相手は大事なパーティーメンバーだ、そんな極悪非道なことはできない。とはいえ、このままでは弁解の余地もなくダクネスにボコボコにされ市中引き回しの後にソウゴに説教されるのは目に見えている。

 

(……待てよ。アクアは勧められるがままに酒を飲み、いつも通り泥酔して爆睡している。ソウゴはクリスとゆんゆんの家。めぐみんとダクネスとひょいざぶろーさんは奥さんの手で葬られた。つまり、今この家の中で正常な判断ができるのは俺と奥さんだけ。仮に手を出して、めぐみんが目覚めて、魔女裁判が開かれても、多数決を取れば軍配が上がるのは俺であって今この場から生まれる新しい常識においてマイノリティはめぐみんだ。大多数が常識となるのは世界にとって不変のルールでありごく自然なこと。そもそも従来の常識に則っても親御さんが許可を出している、所謂(いわゆる)ジャパニーズ・スエゼン。食わねば男が廃るというもの。今ならめぐみんに訴えられても勝てるのではないだろうか!? ……勝てるだろうか? クソッ! 裁判の経験が一回しかない上に、文明レベルが中世のこの世界に弁護士なんて仕事があるのかどうかすらわからない! 前の裁判の時、理不尽に項垂れるだけではなくもっと法律の勉強をしておけば――いや、勝てる。勝てるはずだッ! なんてったって、この世界は年下の男を酔わせて誘い受けで責任を取らせようとする«乙女はいつもときめきクライシス♪»がいるんだ! そんな横暴が国家権力の名の下に許されるのなら、順接的に考えて俺だって無罪放免になるはずって違うだろだからそうじゃない!! 勝てるとか勝てないとかじゃあないんだ、論点がズレてる! あの«大玉 ビッグバン!»検察官と俺じゃ権力に差があり過ぎるだろ! こんなことならもっとダクネスにゴマをすって地位向上に努めた方が良かっいやだからそうじゃないんだって! 今考えるべきは、過去を振り返り悔やむことではなくて、奥さんの策略に嵌り実質«ウェイクアップ!»してしまったというこの危機的状況をどうやって無事に回避し一夜を明かすかだ!)

 

 こんなことなら、あの時大人しくゆんゆんの家にお邪魔しておくべきだったとカズマは思った。ソウゴとクリスを分断したのも、圧倒的な魔法抵抗力を持つソウゴを本能的に察知し、盗賊であるクリスにこの状況を邪魔されないようにするため。酒飲みのアクアと比較的耐性の薄いダクネスの方が御しやすいと判断したからだろう。食事中あまり絡んでこなかったのは、全員の実力や性格を見極め選別するためだったと考えれば頷ける。

 

(まさかこんな強引な手段に出てくるとは……。チェス盤をひっくり返されたとかそんなチャチなもんじゃあ断じてない、もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気分だぜ……)

 

 ソウゴであれば時を巻き戻すなり、この肌寒さを無効化する力も豊富に持っているのだろうが、残念ながら最弱職であるカズマにそんな能力は存在しない。ソウゴの使用する権能はスキルとして冒険者カードに反映されているのだが、日本語表記な上に一つ一つのスキルポイントが生涯賃金並なため習得が不可能な領域なのだ。

 なんとか自分の力でこの状況を逆転できる方法を模索する。だが、どんなルートを辿っても制裁が下されるバッドエンドの未来しか視えない。八方塞がりだと諦めかけたその時、カズマの思考に電撃が走った。(二回目)

 

(逆転の発想として、冤罪でなくしてしまおう)

 

 どう頑張っても受け入れ難い冤罪を吹っ掛けられるのならば、いっそのこと冤罪で無くしてしまえばカズマ自身もその罪を受け入れられるだろう。暴力による鉄槌も、言葉による私刑も、少しでもいい思い出があれば仕方ないと割り切れる。カズマとて(よわい)十七になる健全な青少年。そんな«EVOLUTION KING»中の健康優良児が同じ布団で寝ている美少女に手を出さないという方が不健全ではないだろうか。いや、不健全以前に失礼というものだ。

 

(……許せめぐみん、俺とて男だ。ソウゴみたいな民の幸せに興奮する特殊性癖持ちや一般的な聖人君子と違って性欲はある。これはお前の女性としての尊厳を守るため仕方ないことなんだ)

 

 めぐみんの顔にかかった髪をさらりと撫であげる。すると、無防備に眠る安心しきった彼女のご尊顔が現れた。近づけばよりわかる、甘い女の子の匂い。普段意識したことの無い唇から目を離せなくなる。

 カズマの心臓を激しく打ち鳴らすのは緊張か、背徳感か、それとも恋のドキドキ的なあれか。カズマの«HEART the KAMEN RIDER!»が«Heat»してるのはきっと一時の迷いではない。他の女の人にセクハラももうしない。彼女に操を立てて一途に愛し、一生幸せにすると誓おう。それが、自分が彼女に捧げられる精一杯の誠意。そう思い、眠るめぐみんにそっと«エンゲージ»しようとした時だった。

 

 目を覚ましためぐみんと、目が、あったのは。

 

 

   ※※本二次創作「この素晴らしい魔王に祝福を!」は決して性犯罪の助長を促すものではありません。どんな理由があれ、双方の合意なく行為に及ぶことは犯罪です。犯罪、ダメ絶対※※

 

 

 その後、当然のように朝チュン的なことはなかった。というのも、ヘタレたカズマが冷や汗をダラダラと流しながら誤魔化そうとしたが、そんな小手先の嘘がカズマの性格を理解した賢いめぐみんに通用するはずもなく、誘導尋問の末に自爆したからである。その後は丁寧に敷布団で簀巻きにされ夜を明かし、話を聞いたアクアとダクネスに普通にグーで起こされ今に至る。

 

「カスマ、お前という奴は……。強力なライドウォッチを持った魔王軍と戦うんだぞ? どうしてそこまで緊張感が足りないんだ」

 

「本当にすみませんでした。反省してます」

 

 防御力全振りクルセイダーのゲンコツを受けてコブができた頭を押さえ、綺麗な土下座とともに謝罪を口にするカズマ。据え膳があったとはいえ、それはそれ。因果応報とはまさにこの事で、いつものような見苦しい言い訳もせず大人しく制裁を受け入れていた。

 その情けないジャージ姿を見下ろすダクネスは、ほとほと呆れたように頭を抱え溜息をつく。

 

「今回はお前がヘタレだったからこのくらいで済ませるが、本当に手を出していたら取り返しがつかないんだぞ?」

 

「はい。自分でもどうして一人でこんなに盛り上がってしまったのかわかりません」

 

「めぐみんのお父さんとお母さんに言われてその気になっちゃったんじゃないの、クズマさん?」

 

「わかりません。そうかもしれませんが、だとしても今回のことに関しましては私の不徳の致すところです」

 

「もう二度としないと誓えますか、ゲスマ?」

 

「はい。もう二度と寝込みを襲うような真似はしません。次からは正々堂々、正面から行きます」

 

「バカズマ貴様、実は反省してないだろ。あとでソウゴにきっちり叱ってもらうからな」

 

「ソウゴは俺の保護者か何かか」

 

 畳に額を擦り付け、深々と土下座を敢行するもいつも通りのカズマ。一時の気の迷いでは済まされない自身の行動には一切言い訳をせず謝罪する姿だけは三人に誠意を伝えるに足るようで、あとはめぐみんの裁量待ちという雰囲気で彼女に視線が注がれる。仕方ないといった感じで肩を落とすめぐみんだったが、ちょうどそこに扉を開けたゆいゆいがひょっこりと顔を出した。

 

「族長の娘さんたちがいらっしゃったので朝ご飯にしようかと思うんですけど、話はまとまりそうですか? 」

 

「申し訳ない、ゆいゆい殿。大事なお嬢さんに対してウチの阿呆が。このお詫びは本人からきっちりとさせるので、ご容赦いただきたい」

 

「お詫びだなんていいんですよ。誰にでも過ちはあります。それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とはいえ、カズマさんを娘の部屋へ案内したのは私です。となれば、私にも責任の一端はあるでしょうし」

 

 保護者というか先生のようなダクネスの詫びの言葉に対して、そう返したゆいゆい。その言葉に、カズマは何を言っているんだ? と一人呆けた顔をする。責任の一端どころか、昨夜全員を眠らせて部屋に押し込んだのは彼女で、完全な黒幕はゆいゆいである。その辺りは当然認知されていると思い口には出していなかったが、さも当然のように語られた嘘には拭えない違和感があった。

 だとしても、目の前で魔法を受けたダクネスやめぐみんにそんなでっちあげが通用するわけないと考えていると、カズマの意に反してダクネスは悪びれた様子で眉を垂らした。

 

「そう言っていただけると助かる。私も就寝前の記憶が曖昧で……。監視という名目で無理を言って泊めていただいた手前、お恥ずかしい限りで」

 

「ダクネスのせいではありませんよ。何事も無かったことですし、今回はこのくらいで許してあげましょう」

 

「娘もこう言っていますし、気になさらないでください。ささっ、皆さん居間へどうぞ」

 

「よかったわねカズマ、許してもらえて。早く着替えなさいよ」

 

「お、おう……」

 

 仏のように微笑むゆいゆいと三人の反応に違和感を感じ、ぼーっと部屋から出ていく背中を眺める。その最後尾に付いたゆいゆいは、部屋から出る時にちらりとカズマへと視線を向けた。目は口ほどに物を言うという言葉があるが、きっとこういう時に使う言葉なのだろう。カズマはその笑っていない視線にぞくりと冷たいものを感じた。

 この感覚は覚えがある。昨夜、部屋事情を語った時に感じた時と同じ底知れぬ恐怖。まさか、自分の見たものと三人の記憶の齟齬はゆいゆいの魔法による記憶の改竄ではないのか? そんな発想が脳に閃いたとき、ゆいゆいは声を出さず、口だけを動かしてこう告げた。

 

『つ ぎ は う ま く や っ て く だ さ い ね』

 

(……見なかったことに、ならないかなぁ)

 

 早く帰りたい。閉じた扉を見つめるカズマは、切実にそう思った。

 

 

   ⏱⏲「オンナノヒト、コワイ」⏲⏱

 

 

「と思ってたけど、やっぱ一番怖いのはお前だったよソウゴ」

 

 昨晩、カズマが馬鹿なことで葛藤していた時に起きていたとんでもない事情を事も無げに語ったソウゴは、ゆいゆいから提供された朝食を摂りながらきょとんとした顔をした。

 

「そうかな?」

 

「そうだよ。よくもまあ、魔王軍幹部を仲間に引き入れようと思ったな」

 

「話せばわかるって思ったから」

 

「本当か? 後でへらへらしながら、やっぱり絶滅させるねとか言わないか?」

「言わないよ。たぶん」

 

「ふーん。ならいいけどさ」

 

 ソウゴの曖昧な回答を聞き流しながら、カズマも朝食に口をつける。

 本日の朝食は、めぐみん家ではわりとポピュラーらしいしゃばしゃばのお粥。しかし、この器に入ったものを指してお粥というとお粥に失礼かもしれない。これはカズマが思うに、ギリギリ米が原型を留めているため重湯とも違う、流動食というより貧困食と表記すべきデンプン溶液である。限界を超えて水分を吸わされ膨張した米は、ほんの少しでも腹を膨らませようとする意地の表れなのかもしれない。味付けはシンプルに塩で、ほんのりと感じる塩味が気のせいかと思わずにはいられないほど微かな米の甘味を引き立てる。もしかするとこれは、無味と塩味の境界を彷徨う芸術なのかもしれない。

 感想はあえて口にしないカズマがそんなことを考えながら大人しく啜っていると、その軽い答えに納得いかなかったのかクリスがバンッ! とちゃぶ台を叩いた。

 

「カズマくん、正気!? 相手は魔王軍幹部のグロウキメラだよ!? これまで多くの人々と勇者候補を手にかけ、力を付けてきた人喰いモンスター! サキュバスやあの仮面の悪魔とは話が違うよ!?」

 

「でも、ソウゴがそうしたいんだろ? お前の理想がそうなら反対しないよ」

 

 憤りをぶつけるクリスに対して、涼しい顔でそう言うカズマ。この答えはソウゴにとっても意外だったのか、珍しく目を丸くしていた。深く考えていないのか、それとも長い付き合いだからか。呑気な女神だけが平然とお粥を啜る中で、自分の言葉にアクア以外の全員が同じような反応を示しているのは、カズマにとっては何とも不思議な光景だった。

 

(これがバニルの言ってた相談だったんだろうか。それほど大事な話じゃなかったし、相談っていうか事後報告だよなこれ……)

 

 答えてからでは遅いのだろうが、ふと思い出すのは出発前の言葉。どちらにせよこれが自分の本心だと、カズマはバニルの言葉をくしゃくしゃと記憶の片隅に放り投げた。

 今回軽く流した重大事項。カズマにとっては強敵と戦わなくて済むというのが一番の魅力だが、この決断にはそれ以上の理由がある。それは、ソウゴの理想だということ。伊達や酔狂で王を名乗っているわけでないということを、カズマは知っている。最高最善の王であろうと地道な努力を重ねていることを、カズマは知っている。民の幸せを心から願うソウゴを、カズマは知っているのだ。そんなソウゴの理想に、一度乗ると決めた。だというのに手前勝手に降りるほど、落ちぶれたつもりは無い。

 そんなことは口に出さず、アクアと共にごちそうさまをしたカズマは信じられない物を見るような目のクリスにへらへらと笑ってみせた。

 

「ま、何かあれば俺たちでフォローするって。それに、仲間になるかどうかはまだわからないんだろ? 起こってないことをあれこれ考えても仕方ないしな」

 

「え゙。フォローとかしなきゃいけないの? 私、危ないことと面倒なことはしたくないんですけど」

 

「お前は日常生活でもアルカンレティアでも助けられてんだから、ここにいる誰よりもやる気出せよ」

 

「あはは……。いい話っぽかったのに、アクアさんらしいですね」

 

 嫌味ったらしく言われ拗ねたように口を尖らせるアクア。そんな二人のやり取りを見ていたダクネスもクスッと笑うと、仕方ないといった表情で箸を動かし始めた。

 

「安心しろクリス。ソウゴはまだ最高最善の魔王だ。カズマもこう言っていることだし、なんとかなるだろう」

 

「なんとかなるって、そんな悠長な……!」

 

「だがクリスも言っていたじゃないか。『理想が叶うことを願っている』と」

 

「それは……っ!」

 

 過去の発言を持ち出され、言葉を失うクリス。しかしこれ以上は何を言っても無駄と判断したのか、納得はいっていないようだが彼女もまた大人しく食事に戻った。だがどうしても譲れないのか、不満げな顔はなかなか元には戻らないものの、クリスは気に入らないような表情でカズマに白い目を向ける。

 

「……納得したわけじゃないからね。もし仲間になりたいって言ってきても、私はその場で絶対に反対するから」

 

「それでいいんじゃないか? なあ、ソウゴ」

 

「……うん。ありがとうね、みんな」

 

「さ、この話はこれでおしまいだ。ということは、夕方までのんびり観光できるってことだよな。俺、観光ついでに紅魔黎明記の聖地巡礼がしたいんだけどいいか?」

 

 仕切り直しとばかりに手を叩いたカズマはそう提案した。うきうきとした様子は、この旅で感じていた重圧から開放されたからだろうか、心做しかいつもより浮かれているような気さえする。しかし気になったところはそこでは無いようで、カズマの言葉にダグネスとゆんゆんはそろって疑問符を浮かべた。

 

「聖地巡礼? 道中であの歴史書だったかをえらく熱心に読んでいるなと思ってはいたが、カズマの信仰している神に関して何か記載でもあったのか?」

 

「あ。もしかして神社の御神体でしょうか? 私達も何の神様かわからないんですけど、カズマさんは知ってるんですか?」

 

「違うわ二人とも。カズマの言う聖地巡礼っていうのはね、物語の舞台やモデルになった場所を巡って作品の世界を疑似体験する旅行の楽しみ方の一つよ。引きこもりにもそういうのに憧れとかあったのね」

 

「誰が引きこもりだ。いやー、読んでみると意外と面白くてな。折角だし色々と歴史の重み的なのを感じたくてさ。なあめぐみん、十四章の『グリフォン像』とか三章の『願いの泉』とか行ってみたいんだけど、まだ残ってたりするのか?」

 

「……え? ああ、そうですね、構いませんよ。そこまで気に入って貰えたのなら書いた人たちも草葉の陰で喜んでいることでしょう」

 

 カズマの問いかけに、ワンテンポ遅れてめぐみんは答えた。少し不思議に思ったカズマも、すぐに普段通りに戻った彼女を見て気のせいかと元の話題へと戻っていく。

 

「書いた人たち? あれって紅魔族の歴史を綴った禁忌の書なんだろ?」

 

「歴史と言ってもほとんどおとぎ話の領域ですよ。しかも代を重ねる毎に章が追記され、その度に過去の話もカッコよく脚色されているので最早どこまでが事実かわからず、有識者の間でも議論されているほどです」

 

「歴史を改竄してリレー小説にすんな。通りでみっどしーが長生きだったわけだよ」

 

「ですが面白かったのでしょう? ならば良いではありませんか」

 

「歴史ナメんな」

 

「まあ、歴史なんて後から見た人の解釈でどうとでもなるからね」

 

「歴史回収してるお前がそんな身も蓋もないこと言うんじゃねぇよ」

 

 食卓を囲んで騒がしくもいつも通りに戻っていく面々。相変わらずクリスはツンとした表情なものの、観光には行きたいようで名所の話には興味を持って耳を傾けていた。そんな中でも一人だけ、僅かなめぐみんの変化に引っ掛かりを覚えたゆんゆんは、彼女の違和感に一人眉をひそめていた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「どうなってんだ、この里は。頭おかしいんじゃないか」

 

 里を歩きながら、カズマはげっそりとした顔で悪態をついた。

 リレー小説と言えどベースは史実。……と思っていた自分が甘かったと、カズマは痛感させられた。二十二章に登場しみっどしーたちに強大な力を与えた聖剣は数年前に鍛冶屋のおじさんによって造られた観光客寄せのパチモンで、十五章の中心である罪の果実はそのとき追記者がどハマりしていた果物がモデルの作り話……。上げだしたらキリはないが、カズマに紅魔黎明記(あの本)を歴史書などと呼ぶまいと誓わせるに十分な程だった。極めつけはライフルらしきものを物干し竿にしたり、カッコイイからという理由で随一だのの言い回しを好む独特の感性。

 ツッコミきれず疲れが見えるカズマに、めぐみんは見慣れないローブを翻して得意げな笑みを見せた。

 

「安心してください。次に案内するのは紅魔の里でも秘中の秘。我らが魔法学園・レッドプリズンです!」

 

「学校に行くから着替えたってことは、それってめぐみんたちの制服なの? かわいいわね!」

 

 いつもの服装から一転、ピンクのシャツとスカートに皮のウエストベルト、そして赤い裏地の黒ローブを羽織る二人。普段曝け出している胸元より懐かしい格好の方が恥ずかしいのかもじもじするゆんゆんと比べ、アクアに褒められご満悦なめぐみんは胸を張って得意げな顔をする。

 

「そうでしょうそうでしょう。由緒正しき学園を案内するのですから、正装に着替えて然るべきです」

 

「制服に義務教育制度なんて、まるで日本みたいねカズマ」

 

「学校を牢獄とは、また随分なネーミングだな。あながち間違いだとは思わないが」

 

「どうしたのよ急にやさぐれちゃって。学校に馴染めなかった古傷でも痛みだした?」

 

「おい。それ以上言うなら俺にだって考えがあるぞ」

 

「えっ……! カズマさんも学校に馴染めなかったんですか……!?」

 

「やめてくれゆんゆん。そんな仲間を見つけたような目を俺に向けないでくれ」

 

 わちゃわちゃとじゃれ合いながら学園を目指す一行。その後ろを付いて行きながら話を聞いていたダクネスは、紅魔の里の教育機関の仕組みに感心したようで興味深げに腕を組んだ。

 

「義務教育か。金はかかるだろうが、識字率を上げたり一般教養を浸透させるためには理にかなった制度だな。……当家に領地さえあれば、試験的に導入できるのだが」

 

「今は各家庭と教会頼りだもんね。それも必要最低限って感じだし、教育が重視されるのは貴族階級くらいだし」

 

「そうなんだ。この国の王様にお願いしてみたら?」

 

「当家から言えば通るだろうが、仮に王命が出たとしても実績がないことを盾にアルダープのような金にがめつい領主共がいい顔をしないだろう」

 

「ふーん。俺なら民の幸せのために絶対させるけどな」

 

「君の場合は力づくじゃん」

 

「あはは。ちゃんと制度は整えるよ」

 

 呆れたようなクリスに、へらへらと笑うだけで誤魔化すソウゴ。このほとんど肯定しつつも敢えて否定しないところにこの男の危うさがあるのだが、本人も自覚はあるのか曖昧な態度を崩そうとしないのはそのためだろう。つくづく困った男を招き入れてしまったと、クリスは少しだけ後悔した。

 そんな二組の会話の知能指数に大幅な乖離が認められる大所帯は、前を行くカズマたちが足を止めたことで一時停止を余儀なくされる。

 

「どうしたの?」

 

 ソウゴがそう尋ねると、彼らの進行を妨げていたのは三人の黒ローブ。顔や体をすっぽりと覆い、一見すると男か女かわからない不審人物たちだが、道行く人が気に留めていないところを見るに敵でないことは確実だろう。それどころか日常風景の可能性すらあると考えていると、彼ら……いや、彼女らは全員の視線を集めたことを確認し一斉にローブを脱ぎ捨てた。

 

「我が名はあるえ。紅魔族随一の発育にして、やがて作家を目指す者……ッ!」

 

「我が名はふにふら! 紅魔族随一の弟思いにして、ブラコンと呼ばれし者!」

 

「我が名はどどんこ。紅魔族随一の……随一の…………。なんだっけ?」

 

「俺たちに聞かれても困るんだが」

 

 めぐみんたちと同じ服装で眼帯をしたあるえ、ツインテールのふにふら、そしてポニーテールのどどんこは、イマイチ締まらないがそれぞれがポーズを決め、くっくっくっ、と不敵な笑みと爛々と輝く紅い瞳でミステリアスな雰囲気をゴリ推してくる。普通に街中でこんなことをすれば奇異の目に晒されること間違いなしだが、そこは紅魔の里。どうやら珍しい事ではないらしく、彼女たちも恥ずかしがる様子はない。

 返しの句でも待っているのか、キメ顔のまま微動だにしない三人。紅魔族的には危ない人じゃないらしいので一旦考えるのをやめたカズマは、薄々そうじゃないかと思いつつも確信が持てなかったため、めぐみんに耳打ちをした。

 

「誰?」

 

「学生時代の同級生です」

 

「そうだよな。ちょっと安心したわ」

 

 同じ服装で同じローブ、ここでもし知り合いでも何でもない在校生が突然名乗り勝負を仕掛けてきたのだとしたらこの里の未来は危ういとカズマは本気で考えていたのだが、取り越し苦労だったようで胸を撫で下ろす。すると、何を思ったのかおもむろに彼女達の前へと歩み出たソウゴは、慣れたように腰を落としポーズを決め返した。

 

「我が名は常w「お前も毎回乗らなくていいから!」

 

 

   ⏱⏲「ところで、ブラコンなんですか?」「カッコイイ通り名を思いついてないだけよ!」⏲⏱

 

 

「久々に帰ってきたと聞いてね。名乗り返してくれるという噂は本当だったようだ」

 

「え、噂になってんの?」

 

「ええ。族長が触れ回ってたわよ」

 

「お父さんったら……っ! 帰ったら制裁を加えておきます……」

 

 恥ずかしげに頬を染めるゆんゆん。一人娘から連日お叱りを受ける気持ちはどんなものなのかと思いつつ、カズマはもうなるべく名乗り返さないようにしようと心に決めた。

 そんな彼らに優しく微笑んだあるえは、柔らかい表情で目を細める。

 

「せっかくだ、よければ昔の話なんかしながら学園を回ろうじゃないか」

 

「いいの!? 聞きたいわ、めぐみんとゆんゆんの学生時代!」

 

「ふふふ。その代わり、君たちの冒険の話も聞かせてくれると嬉しいね」

 

「学生の頃の話なんて楽しいものはありませんよ! せいぜいゆんゆんのボッチエピソードくらいです!」

 

「めぐみんの卑怯者! すぐに私を生贄にしようとして! あるえだって小説のネタ集めのために私たちを売らないでよ!」

 

 あるえの提案に、お互い恥ずかしい過去でもあるのか色めきたつ二人は、食いついたアクアの好奇心を擦り付けるために天下の往来で言い合いを始める。そんな彼女たちに懐かしげな視線を送るあるえは、尊い日々を噛み締めるように微笑んでいた。

 蝙蝠の羽を模した髪飾りを揺らし、艶のある短めの縦ロールに紅魔族随一というフレーズに偽りのないダクネスを超える発育。おまけに眼帯と属性がてんこ盛りの彼女は、隣で自分の顔をじっと見つめるカズマに気がついたのか、ふっと笑いかける。

 

「私の顔がどうかしたかな?」

 

「あ、スマン。その眼帯、めぐみんも持ってたなって」

 

「ああ、これかい? これは私の強大すぎる魔力を抑える拘束具のようなものでね。ついでに魅了や洗脳などの魔法への耐性も得られる強力な魔道具なのさ。それの予備を出立の時に餞別として渡したんだよ」

 

「へー。やっぱ紅魔族ってのは凄いんだな。……あれ? でも前にめぐみんはお洒落で付けてるだけって言ってなかったっけ?」

 

「あるえ。うっかり信じてしまう人がいるので、ちゃんとそういう設定だと最後に付け加えてください」

 

「なるほど。やっぱ紅魔族ってのは頭おかしいんだな」

 

 紅魔族に対する理解をまた一つ深めたカズマ。そんな彼らを値踏みするようにしげしげと見つめる、ローブを腰に巻いたツリ目のふにふらとタレ目のどどんこは、感心したように声を上げた。

 

「それにしても、実在したのね。ゆんゆんの男友達」

 

「ゆんゆんってばチョロいから、手紙に友達ができたって書いてた時には悪い男に騙されてるんじゃないかって気になってたのよ」

 

「ふにふらさん、どどんこさん……!」

 

「安心してくれ。ゆんゆんはアクセルでも上手くやっているぞ」

 

「ふーん、あっそ。ま、中級魔法使いの半端者にしては頑張ってるんじゃない?」

 

「もー! 二人ともそんなこと思い出さなくていいから!」

 

 ダクネスのその言葉に、二人は興味なさげに振る舞うも柔らかくなった頬までは隠しきれていなかった。

 ふにふらとどどんこ。この二人の名前に、ソウゴは聞き覚えがあった。彼の記憶が正しければ、友達であるということを餌にしてゆんゆんに奢らせていた二人。しかし三人の様子からは意外にもそういった雰囲気は見て取れない。むしろゆんゆんの身を案じるかのような発言は、ソウゴ的には好印象を抱く。

 

「でも、時を操る魔王とか話盛りすぎよね。カッコイイ設定だけど、もっと相手がノリやすいものにしないと」

 

「よかったわね、ゆんゆん。私たちみたいな普通の感性の人が外にもいて」

 

「もしかして俺の存在ってあの眼帯と同じ括り?」

 

「紅魔族でも見たことないとそうなるんだね」

 

 前言撤回。少し嫌な人達かもと、ソウゴは認識を改めた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「シルビア様」

 

「……わかってるわ。時間でしょ」

 

 背後からゴブリンに声をかけられたシルビアは、大きくため息をついて白衣を脱ぎ捨てた。いつもならラックに掛けたりするのだが、そんなことは無駄だと分かっているからだ。

 

(きっと、もう私がここに帰ってくることはない。紅魔の里からある程度反対方向に進むと、反射するものからコボルトみたいなモンスターが湧き出てきて妨害してくる。増援を呼ぼうと魔王城に鳩を飛ばせば赤や黒のドラゴンに食われてしまう。これじゃ報告書の一枚すら送れない。完全に詰みね)

 

 出した答えに悔いはない。例え血を見ることになろうと、自分に、いや、自分たちにとって一番の答えだと胸を張れると、シルビアの覚悟は揺らがなかった。

 

(でも私にもプライドがある。アンタもそれがわかってて私に時間を与えたんでしょ? それとも本当に心変わりすると思ってたのかしら。監視だって基地内に入れていないものね。だとするなら、アンタは魔王じゃなくて相当なお人好しよ)

 

 髪をセットし、メイクを整え、一番愛着のあるパルファムをふって腹を括る。彼らの前で弱気な姿は見せられないと、いつもより気合いを入れて身支度を整える。醜い最期など許されない。それがこの世のあらゆる美しいを貪ってきた自分の存在意義であると強く言い聞かせて。

 

「シルビア様。全員揃っております」

 

「ええ」

 

 彼らの前に立ち、こうして話をするのも最後だろう。狭い地下空間にみっちりと集まった部下たちを見渡せば、その表情から怯えを見つけるのは容易な事だった。昨夜生き残ったもの、話を聞いたもの、その全てに恐怖心が植え付けられていた。シルビアがその恐怖を飲み込めたのは、自身のプライドと将としての責任なのだ。だからこそ、彼女は一言目を決めていた。

 この狭い空間では、息を吸い込む音すらよく聞こえた。

 

「私は今からアンタたちに、勝つために死ねと命令する。怖ければここから逃げなさい。トキワソウゴの下に付けば見逃してもらえるはずよ。どうせ私も死ぬんだから、敵前逃亡も不問とするわ」

 

 誰も動かない。空気の怯えは変わらずだが、彼らの目には僅かながらのプライドの火が灯っている。強がりなのは見て取れるが、それでも自分の怯えを乗り越えるために歯を食いしばっている。そんな気がした。

 愛すべき部下を誇りに思うシルビアは、自然と頬が緩んでいた。

 

「アンタたちの覚悟、しかと受け取ったわ。散らされた仲間たちの魂は私たちと共にある。戦いましょう、あの化け物と。私たちの未来のために!」

 

『我らがシルビア様の未来に勝利を!!!』




「く……っ! な、なぜだ、みっどしー……! どうして俺たちに攻撃を……っ!」

 血が滴る傷口を押え、ちゃなかは絞り出すように言葉を吐き出した。身体に走る痛みより、友に裏切られた心の痛み。それだけが今のちゃなかの意識を保っていられる理由。血溜まりに沈むれんちんはもう助からないだろう。それでも、ちゃなかは何故自分たちが死へと向かっているのかを知りたかったのだ。
 ちゃなかを嘲笑うように、その(かいな)を赫に染めたみっどしーは笑みを浮かべた。

「クックック……。我はこの男の中で封印(ねむ)らされし神。暴虐と破壊の神、ウォルバク」

「ウォルバク、だと……!?」

永遠(なが)きに渡る封印からようやく解き放たれたのだ。崩壊(こわ)してやるぞ。この男が築き上げてきた全てを……。この世界を完結(おわ)らせてやる……!」

 魔力の奔流がみっどしーへと集約していく。まるで『レールガン』を使った時のような爆発的な力の収束。その時、ちゃなかの中で全てが繋がった。

 みっどしーが飛び抜けた魔力を持っていた理由。
 彼の暴走へのトラウマ。
 彼が最近見ていた夢。
 それは彼の中に巣食う破壊と暴虐の神への畏れが無意識のうちに引き起こしていた予兆だったのだと。

終焉(おわ)りだ」


紅魔黎明記 第五章 煌々たる死兆星
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