この素晴らしい魔王に祝福を!   作:春野 曙

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この伝説の幕引きに爆焔を!

 再度紅魔の里に顕現したシルビアは、成れの果てと言うには異質な、泥のような何かだった。

 

イノチヲォ、マリョクヲォ、クワセロォォォオオオオオ!!!

 

「な、なんだアレは……!」

 

 ダクネスの疑問に答えられる者は誰もいない。そもそも、それがシルビアだという確証が薄いのだ。人の形などはもちろんしているはずもなく、例えるならば排水路から掬いあげた一塊の沈殿物に青を一滴混ぜたような、そんな形状をしていた。あらゆるモノを喰らい作り上げていた元の面影など欠けらも無いが、直感というか、当然のようにそれがシルビアだということはわかるものの理由を問われれば言葉に詰まる、そんな風体である。しかし、少しずつ膨れ上がっていくそれは束の間の勝利に気を抜いていた一同を一瞬で現実へと引き戻す存在であることは確かだった。

 

「は、走れお前らぁぁぁあ!!!」

 

 カズマが叫ぶのとほぼ同時にスタートダッシュを切る六人。泥の塊は転がっていたモンスターたちの死骸だけでなく家屋や木々を無差別に取り込み、その膨張は留まることを知らない。肥大化と言うべきか成長と言うべきか、空腹に身を任せあらゆる物を食い尽くしながらじわじわと迫ってくる未知の脅威に、ゆんゆんの目尻にはじんわりと涙が滲んでいた。

 

「何なんですかあれー!?」

 

「知りませんよ! 無駄口を叩いている余力があるならもっと真剣に走るのです!」

 

「あんなもの、もうグロウキメラでもなんでもないぞ!」

 

「シルビアは倒したわよね!? ライドウォッチも回収したのにどうしてこんな目に遭うの!? なんとかしてよカズマさぁん!!」

 

「あんなの俺が何とかできる範囲をとっくに越えてるっつーの! どう考えたってソウゴに丸投げ案件だろ!」

 

「そのソウゴくんはどこに行ったの!? いつの間にかいなくなってるんだけど!?」

 

「知らねーよ! とにかく今は死なないように走れ! 生命力と魔力に溢れたお前らが見つかったら確実に喰われるぞ!」

 

 どこを向いているのか分からないが、追いかけてこないところを見るにダクネスやアクアなどの存在に気づいているわけではないらしい。魔法という手札が切れない今のパーティーではマトモな対抗策など思いつくわけもなく、むしろ餌に丁度いい人間ばかりでただ逃げるしかないカズマたちにとっては不幸中の幸いだった。

 目に染みるほどのアンモニア系の腐敗臭と吐瀉物のような()い臭いが混ざりあった、生ゴミよりもずっと鼻につく悪臭を撒き散らす下水のヘドロよりも濁ったそれは、どこにあるのかわからない口から延々と、誰に向けたものでもない聞くに絶えない雑音を垂れ流す。

 

シニタクナイ……! ワタシハマダ、ナニモナシテイナイ……。ナニモ、ノコシテイナイ……!

 

 煮え滾るコールタールじみた黒色(こくしょく)に照らつく流動体から絞り出される絶叫は、色彩を失った夜によく響く。乱雑に鼓膜を叩く喧しさについ耳を塞ごうとも、骨を震わせるその嘆きを拒絶することはできない。脳を直接揺らしてくる騒音は、臭いも相まって吐き気を催す程に酷いものだった。

 

コンナトコロデ、シンデナルモノカ……! ココカラハジマルノヨ! ワタシノ、カガヤカシイジンセイガ……! ダレカラモアイサレ、ソンケイサレル、ソンナ、キボウニミチタ、スバラシイミライガァァア!!

 

 公害に命を与えたらこうなるのだろう。復活したシルビアは、自我が朧気なのかけたたましい独り言を喚きながら自分の身を振るって汚泥を撒き散らす。その泥が付着した木々はどういう理屈か自らの意思で大地から根を引きずり出すと、樹皮に獣の顔の様なコブを作り出して動き始める。のそりのそりと徘徊するそれがキメラアマゾンないしそれに近しい何かなのだとわかれば、蠢きだしたそれらの危険度も自ずとわかるというもの。野菜も攻撃してくるこの世界で無害な樹木でさえアマゾン化させてしまえる理不尽さと不条理さに、文句の一つだって言いたくなるのは仕方の無いことだろう。

 

「次から次に……! こんな所にトレントの群れだと!?」

 

「違うよダクネス! きっとアレもアマゾンだよ!」

 

「では、あの泥のようなものがようげんなんちゃらというものですか!? 普通の木まで『あまぞん』にするなんて!」

 

「あの泥にちょっとでも当たったらアウトってわけかよ……! ゆんゆん! 魔法はまだ使えないか!?」

 

「すみません! やってはいるんですけど、発動しなくて……!」

 

「クソッ……! アナザーライダーって奴らはどいつもこいつも! 追い詰められたら全体攻撃仕掛けてくるんじゃねぇーー!」

 

「浄化魔法さえ使えればあんなの一瞬でやっつけられるのに! だから()()なのよ、仮面ライダーって奴らはぁーーー!!!」

 

……()()()

 

 しかし、その文句の一つにこれほど後悔したことはなかっただろう。

 アクアの言葉に反応したシルビアもどきは、ピタリと動くのを止める。それに合わせて泥の雨は止み、アマゾンもどきたちの動きも止まった。ギチギチと捻じ切れるのではないかと思うほど体を捻る泥の塊は、背を向けるこちらを視界の中心に捕らえたのか捻れたまま静止する。明かりもなく彩度の落ちたこの真夜中だ。見失ってくれと祈るも、幸運の女神はそこまで先輩女神の幸運値に逆らえないらしい。

 

ドウシテワタシヲアイシテクレナイノォォォオオオ!!!

 

「「「「「「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!!!」」」」」」

 

 捻れたままの体から六つの突起物が飛び出すと、それはぐにゃりと折れて地面に突き刺さる。よく見ればそれが三組の腕であることが分かるのだが、いかんせん振り返る余裕など今のカズマ達にはなかった。感情が引き出されるにつれて魂が器に馴染んでいくのか、体を変化させるシルビアはドタドタと土煙を上げ、木々を薙ぎ倒し、六本の腕を器用に使って移動を始める。顔もどこにあるのかわからない塊が腕だけで追いかけてくる姿は、夢に出てきそうなほどの不気味さだった。

 

ワタシハ、イキル……! オマエタチノォ……イノチヲォ……ヨコセエェェエエ!!!

 

 咆哮と共に体から無数の触手が伸び出ると、それは矢のようにカズマたちを追い立てる。狙いは随分と大雑把だが、無駄な破壊を行わない精密な触手の刺突は地面や木々に綺麗な真円の風穴を次々と空けていった。一突きでも喰らえばお終いだというのに泥の散布も再開され、加えて木のアマゾンもどきも狙いをカズマたちに絞りわらわらと向かってくる。出来の悪いB級ゾンビ映画を鼻で笑っていた日本時代を悔いるカズマは、この更なるピンチを招いた女神に怒りを向けることで精神の安定を図ろうとしていた。

 

「お前が余計なこと言うからだぞポンコツ女神!」

 

「悪かったわよ! でもそんなに怒んないでよ! やっちゃったことは仕方ないじゃない!」

 

「二人ともやめないか! 今はケンカをしている場合ではないだろう!?」

 

「そ、そうですよ! まずはこの状況を切り抜ける打開策を……!」

 

「カズマの小狡い知恵でなんとかしてください!」

 

「よし、なら追っ手を分散させるために分かれて逃げよう! アクアは右、アクア以外は左だ!」

 

「ちょっ!? どうして私だけ一人ぼっちで逃げなきゃいけないわけ!? 私がアンデッドを引き寄せる体質なの知ってるでしょ!? アレどう見たってアンデッドよね!?」

 

「魔法のついでにその辺も無効化されてるかもしれないだろ!?」

 

「されてないわよ! 世界が昼間くらいに見えてるもの! 体質に変化はないの! 私にはわかる。二手に分かれたら私一人だけが酷い目に遭うのよ! いつもの事よ!」

 

「まだわかんねーだろ! こっちには魔力たっぷりなめぐみんと生命力溢れるダクネスがいる。もしかしたらお前を追いかけずに一人生き延びるかもだぞ!」

 

「絶対思ってないわよね!? 嫌だからね! 私、カズマにしがみついてでも皆についてくからね!」

 

「寂しがり屋か! そもそもお前の言葉に反応して追ってきてるんだから、お前が犠牲になれば万事解決するんだよ!」

 

「カズマくん、それはさすがに言い過ぎなんじゃ……」

 

「ほ、本気じゃないわよね……? 私たち仲間よね!? 楽しい時も苦しい時も一緒でしょ!?」

 

「仲間のことを思うなら体を張るくらいはしてくれてもいいだろ!? どうせ前の職場に顔出しに行くだけなんだし、ソウゴに時間を戻してもらえばすぐ帰って来れるって!」

 

「あんた、前に倫理観がどうとか言ってたの忘れたの!? あと私まだ辞めてないからね!」

 

「遊ぶのは後にしろと言っただろう! 本当に追いつかれてしまうぞ!」

 

ワタシハ、イキル……!

 

 六本の腕をスプリングのようにして、シルビアは空を舞う。その巨体からは想像もつかない跳躍力でカズマたちの頭上を軽く飛び越えたシルビアは、里の建造物を踏み荒らしながら彼らの進路に立ち塞がった。粘膜のような粘り気のあるものがボタボタと体表から流れ落ちる青黒い物体に、生命らしさは一切感じられない。全ての腕でしっかりと大地に爪を立てる獣は、ようやく在り処のわかった口を大きく開けて咆哮した。

 

 

ワタシハ……シアワセニナルノォォォオオオ!!!

 

 

 ビリビリと空気を震わせる叫びは、幸せからは縁遠い不気味な姿への恐怖で冒険者たちの足をその場に縫いつけてしまう。迫力や気迫なんて単語では形容しきれない悲鳴にも似た叫声には、死してなおも生に縋りつく魂の凄みがあった。

 しかし、いつまでも立ち竦んではいられない。カズマは気合いで己を奮い立たせ逃げ道を探すため視線を這わせるが、前はシルビア、後ろはアマゾンもどきが近づいてきている挟み撃ちという絶望的な現実を再認識しただけだった。完全に詰みという状況を打開するため脳をフル回転させるカズマの前で剣を抜いたダクネスは、両手で柄を握りしめるとシルビアの前に躍り出た。

 

「私が囮になる。お前たちは行け。散り散りに逃げれば誰かは助かるはずだ」

 

「無茶ですよダクネスさん!」

 

「そうです! いくらダクネスと言えど、あんなのと戦うなんて無理です!」

 

「無茶でも無理でもやるしかないだろうッ!」

 

 ダクネスの一喝に、誰もが口を噤んでしまう。険しい表情をしていた彼女だが、怯んだ仲間たちの顔を見るとふっと優しい笑みを浮かべる。まるで最期の顔を取り繕っているように思えて、カズマはギュッと拳を握った。

 

「騎士である私の役目はお前たち仲間を守ることだ。それに状態異常耐性だってある。なに、少しは時間を作ってみせるさ」

 

「だからって、ダクネス一人を犠牲にできるわけないよ!」

 

「ねえカズマ、何とかならないの!? 皆で逃げる方法考えてよ!」

 

「今考えてる!」

 

「私のことは気にせず早く行け! 時間が無いんだ!」

 

 迫る敵に、望みを託す仲間たちの視線という板挟み。いくら頭を回しても、この状況を無事に乗り切る方法なんて皆目見当すらつかない。せいぜい予見できるのは、ダクネスにこの場を任せたとしても打撃が効くのかどうかすらわからないあのボディに飲み込まれ、足止めどころか小腹を満たすだけだということくらいだ。

 

(考えろ、考えろ……! 触れたら消化かアマゾン化だ、近接戦はありえない。有効そうなのは魔法だけど、『魔術師殺し』の力が残っていたら無駄な抵抗だし紅魔族に助けを求めに行く時間も隙もない。そもそもゆんゆんとアクアは魔法が使えないし、めぐみんの爆裂魔法もゆんゆんからストップがかかってる上に、使えたとしてもあの巨体相手にどれくらい通用するか怪しい、って……!)

 

「こんなの、人間が相手にしていい敵じゃないだろ……!」

 

 弾き出された答えは、詰みの一言である。熟練の冒険者でも手に余るような怪物に駆け出しポンコツパーティーが挑もうと言うのがそもそもの間違いなのだ。考えるほど手詰まりであることを思い知らされ、諦めがじわじわと心を支配してくる。だが悲観してばかりいても現状が好転するわけでもない。一か八か、苦し紛れに賭けるならここしかないとカズマは判断を下した。

 

「……めぐみん! 爆裂魔法を頼めるか!?」

 

「ば、爆裂魔法ですか!? 奴の中にはまだ『魔術師殺し』の力が残っているかもしれません! それに、飛び散ってきた破片の処理と動けなくなった私を運ぶことを考えればリスクが……」

 

「逃げる隙さえ作れればいい! あとは俺たちで何とかする!」

 

「っ……わかりました!」

 

「よし、ダクネス!」

 

「わかっている! 後のことは任せろ!」

 

 急かされためぐみんは、不安げだった眉をキリッと逆立て詠唱を始めた。幾つもの魔法陣がシルビアを中心に展開され、人類最大の攻撃魔法を呼び出すための準備が整っていく。高められた魔力が陣を赤く彩り、肺を焼くほどの熱を発し、敵を葬る力の残照は光の礫となって色彩を失った世界を照らす。この世の理を覆さんとする反逆の狼煙を掲げ、絶望を撃ち破るための魔法が目を開く。

 

「全員伏せろーーッ!」

 

 

 

「〈エクスプロージョン〉!!!」

 

 

 

 莫大な光と炎がシルビアを飲み込む。それは一瞬の出来事。爆炎が地を焦がし、大気を燃やし、爆風が全てを吹き飛ばす。超至近距離にいるカズマたちも例外なくその脅威に晒されるが、煽られて後方彼方へと転がるアマゾンもどきと同末路を辿らぬよう地面に爪を立てて必死にその場に留まっていた。やがて風と熱は収束していき、砂煙だけが取り残される。数秒か、数分か、短いようで長い時間を辛抱して嵐の収まったことを肌で感じたカズマは、ゆっくりと目を開けて周りを確認した。

 

「全員、生きてるか……?」

 

「し、死ぬかと思ったけどね……」

 

 掘り起こされた岩盤や引き千切れた木々が辺りに散乱しているが、クリスが答えたように負傷者は見られない。この威力の破壊だ、直撃したシルビアも当然無事ではないだろう。逃げる時間を確保できたと確信し、少し気も楽になる。息も絶え絶えだが怪我もしていない丈夫な仲間たちの無事な様子を見てほっとするカズマの隣でこんもりと出来上がった砂山から顔を出したアクアは、口に入った砂をぺっぺっと吐き出しながら頭を振って顔に付いた砂を払い落とした。

 

「う~……。口の中がじゃりじゃりするんですけど……」

 

「遊んでないでさっさと出てこい。とっととここから離れるぞ」

 

「遊んでないわよ! ていうか、見てわからない? 埋もれちゃって出られないから早く助けて、、ほ、しい……」

 

「ん? どうしたんだよ?」

 

 アクアの視線がカズマの向こう側にある砂埃に釘付けになると、自慢の水色の髪のように顔が青ざめていく。血の気が引いていくとはこのことだろう、引きつった笑いも一緒に浮かべている。それで全てを察しながらも信じたくない気持ちを抱え、カズマはアクアの視線の先である背後へとゆっくり首を回した。

 

ア……ァアァ…………

 

 立ち上る土煙。その奥から感じる圧迫感はスキルによって感知したものでは無い。悪夢だってもう少しマシだろうと、カズマは煙から何度も何度も現れるその怪物に不満をぶつけたくて仕方がなかった。

 

ツヨ、イマ、リョク……。イノチ……ホシイ……!

 

 体の大部分が弾け飛び電極を刺したカエルのように痙攣しているが、そこにシルビアは健在だった。失った体積もゆっくりとだが補修され元の形へと戻っていく。神経が上手く再生できないのかおよそ生命の動きには見えないが、それもつかの間。生き物としての秩序を無視する怪物の蠢きに全員が愕然としているうちに完全に元の泥の塊に戻ったシルビアは、腹でも減ったのかダラダラと滝のように唾液に似た溶解液を垂れ流しながら大きな口と思しき穴を開いた。

 

「そんな……!」

 

「私の、爆裂魔法が……」

 

「効いていない……だと……!?」

 

「どうしようカズマさん! とってもピンチなんですけど! 今までで一番のピンチなんですけど!?」

 

 ほんのちょっとだって油断してはならなかったのだ。相手は自分たちの常識の枠を超えた、怪物と化物の融合体なのだから。そういう後悔が脳裏を過ぎる頃には、もう何もかもが手遅れだった。

 

イノチヲク、ラッテ、ワタ、シワイキル……!

 

(あ、終わった)

 

 本能のままに六人へと接近したシルビアは、上から覆い被さるように口を大きく開いた。ご馳走にクローシュを被せるように、絶対に逃がすつもりのないと激しく主張する大口の中は夜の闇よりもずっと暗い。引き込まれればもう二度と陽の光を拝むことはできないだろう。

 手札は使い切った。対抗出来る力はもう何も残されていない。できる限りの最大限をしたが、この闇を裂く力をカズマたちは持ち合わせていないのだ。隣でアクアが泣き喚いているが、それも遠くのことのように聞こえる。ここまでだと諦めたカズマは、死を覚悟してグッと目を瞑った。

 

ワタシハイキルノォォォオオオ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 身体が溶けるところを見たくなくて必死に目を瞑っていたが、痛みは一向にやってこない。しかし、人の脳というのは非常に騙されやすいことを知っているカズマは今まさに腕が、足が、ボロボロと溶けているのではないかと疑心暗鬼になっていた。寒過ぎれば暑く感じ、熱過ぎれば冷たく感じるのが防御反応。認識さえしなければ痛みを感じずに楽に死ねるのではないかと考えていたが、どうやら様子がおかしいということを頬を撫でる風で感じ取る。腐臭も何も感じないことを不思議に思い恐る恐る目を開くと、そこは溶解液溢れる脱出不可能なシルビアの胃の中……などではなく、随分と静かな丘の上だった。

 

「ここは……? 天界じゃない、よな……?」

 

「魔神の丘だよ。昼間来たじゃん」

 

 呟きに対して返事がやって来る。慌てて振り向いた先にいたのは、表情こそ隠れてわからないが、いつも通りへらへらとした笑みを浮かべていそうなオーマジオウだった。周りには気を失って転がっているアクアや自分の四肢の感触を確かめているクリス、少し残念そうな表情を見せるダクネスなどがいて、少し離れたところには多くの紅魔族が何を思っているのかシルビアに蹂躙される里を眺めている。里の中にいると気づかなかったが、里はもう手遅れなほど火の手が回っており、その元凶であるシルビアはきっといなくなった餌を探しているのだろう、半壊していた建物を払い除けて狂ったように叫び声を上げていた。そこでようやく自分たちが捕食される寸前に助けられたのだと気づいたカズマは、恐怖と緊張から解放された安堵でその場にへなへなとへたりこんだ。

 

「い、生きてる……」

 

「助けるのギリギリになってごめんね。里の人たちを避難させてたら時間かかっちゃって」

 

「引きとかではなく?」

 

「それやったら怒るでしょ?」

 

「うん」

 

 たはは、と頭を搔くオーマジオウ。逼迫した空気でもこの男の場違いな笑いに安心感があるのは、これまで積み重ねてきた実績と信頼の成せるものなのだろう。未だに緊張感を維持している仲間たちは気を失っているアクアを涙ぐみながら必死に蘇生しようとしているが、そんな情景すらも日常の一ページに見えてしまう。兎にも角にも、これであの化け物とおさらばできると憂鬱を溜息に変えて吐き出したカズマだったが、そこで一つの疑問を思い浮かべる。

 

「そういやさ、何で近くにいた俺たちを後回しにして紅魔族の避難を優先したんだ?」

 

「……あ~、それ。それはね、えっと、紅魔族の人たちって今は魔法使えないでしょ? だからだよ」

 

「それなら俺たちも同じだぞ。むしろ狙われる条件の方が多いくらいで……」

 

 そこまで言って、カズマは気づく。未来を覗けるオーマジオウが、その程度の事に気づかないなんてことがあるのか、と。場当たり的な天然でその場を乗り切ることもあるが、基本的に常磐ソウゴという男は思慮深く、未来予知などなくとも相手の一手二手先を読む観察眼と自分の思うように場をコントロールする聡慧さを持っているとカズマは評価している。そのソウゴが、あれだけ喚いていたシルビアの言葉を聞き漏らすだろうか。そんな疑問から導かれる可能性は一つ。

 

「……お前、俺たちを囮に使っただろ」

 

「……さ、休憩も済んだろうしシルビアを倒す作戦でも「おいコラ話を逸らすな」

 

 聞こえなかったことにしたオーマジオウに食い下がるカズマ。アクアへの発言を棚に上げている自覚はあるが、今ここで重要なのは実行したのか、それともしていないのかという一点である。カズマからの非難の視線を浴びて観念したのか、オーマジオウは少し肩を竦めると悪いと思っているのかへらへらとした態度で釈明した。

 

「カズマたちの方が大丈夫な気がして」

 

「その信頼は俺たちの首の皮一枚ずつでギリギリ繋がってるってこと忘れんなよ」

 

「そうそう切れることないから安心だね」

 

 などと宣う魔王様に拳の一つでもお見舞いしてやりたいところではあるが、大人なカズマはそこをぐっと堪えた。残念なことに、こんな脱線話への怒りよりも優先するべきことが目の前にはあるのだから。

 ブツブツと未だに独り言を吐き続け、無秩序に紅魔の里を荒し回っているシルビア。腹が減っているのか本能に従って暴れるその姿からは、過去にあった気高さや知性はちっとも感じられない。カズマとしても数日滞在した仲間の故郷が自分が遠因で焼け野原になる様を見るのは心苦しく、まずは手の付けられなくなったアレを何とかしなければおちおち寝転がってもいられないと、いつもへらへらと脳天気な王様へ溜息混じりの言葉を投げた。

 

「お前にはアクセルに帰ったらすんごい仕返しをしてやるとして、まずはシルビアだ。早く倒してきてくれよ、いつもみたいにドカーンと。きっと紅魔族も、初めてお前のその姿を見た時のめぐみんくらい喜ぶぞ」

 

「あー、そのことなんだけどね。俺じゃ今のシルビアは倒せないんだ」

 

「……へ? 倒せない? 倒さないじゃなくて?」

 

「うん。まあ、事情がややこしくてさ」

 

「ややこしい……?」

 

 引っ掛かりを見せるカズマに向けて、オーマジオウはライドウォッチを雑に放り投げた。

 条件反射で出した両手の中にすっぽりと収まったそれは、青をベースに銀のウェイクベゼルが嵌め込まれたウォッチ。もちろんスリープ状態のため、ライダーズクレストと存在していた年代を示す〈2017〉というアラビア数字が顕となっていた。おもちゃのような見た目に反してずっしりとした妙な重さがあり、これがあの理不尽そのもののような力を与える歴史が詰まった物なのかとカズマは独りごちる。実際手に持って見るのは初めてのカズマは、今自分たちを苦しめるアマゾンネオの歴史の結晶というものを珍しげに眺めていた。

 その様子を見下ろしていたオーマジオウは、カズマの観察が終わったことを見計らって口を開いた。

 

「アナザーライダーから派生した今のシルb「待て待て待て」……どうしたの?」

 

 鉄仮面からは想像もできないような、きょとんとした声。その仕草は物々しい鎧姿に似つかわしくない常磐ソウゴらしい仕草なのだが、そのいつもらしさにカズマは眉間を揉みほぐし待ったをかける。

 

「どうしたの? じゃねぇよ。突然語り始めるな。その話ってややこしいんだろ?」

 

「うん。それなりに」

 

「そうか……。よし! 全員集合!」

 

 

   ⏱⏲「いつまで寝てるんだよアクア。お前の分のシュワシュワなくなるぞ」「シュワシュワ!?」『…………』⏲⏱

 

 

 全員集まれば文殊の知恵、ということではない。一人で抱え込むキャパシティを超えそうだなという予測の元、情報共有という名目で全員を巻き込んでおこうという腹積もりである。もう涙も何も無い仲間たちが仲良く体育座りをして話を聞く姿勢になったのを見たカズマは、よし、と満足気に頷いた。

 

「君たちが静かになるまで、二分かかりました」

 

「カズマ先生。私のシュワシュワは?」

 

「それはこの戦いが終わったら報酬でたらふく飲めるぞ。そのために、今からソウゴがあのシルビアを倒すために必要なややこしい話をする。もしかしたら今後に関わるかもなので、ちゃんと聞いておくように」

 

「はーい」

 

「カズマ。それはまた歴史がどうのという話か? 私にはついていける自信が無いのだが……」

 

「俺もついていける自信ないから安心してくれ」

 

 手を挙げて行儀よく発言するノリのいい彼女たちを横に置き、カズマはオーマジオウへと視線を振る。とてもやりづらそうに咳払いをしたオーマジオウは、その硬い鎧に必要があるのかわからないが襟を正して語り始めた。

 

「じゃあまず初めに。アナザーライダーっていうのは、正規の資格を持っていない者がライドウォッチを使って自分の中に無理矢理ライダーの力を注入することで生まれる怪物であり、歪められた歴史が顕在化したもの。時間は世界に同時に二つ存在できないからアナザーライダーが存在することで元の仮面ライダーの歴史は書き換えられてしまい、その世界ではそれが正しい歴史という認識になってしまう。ここまではいい?」

 

「すみません。何一つわからないんですけど……」

 

「よくはないが続けてくれ」

 

「今の確認何だったんですか!?」

 

「細かいことはいいんですよ。続きをお願いします」

 

 控えめに手を挙げたゆんゆんを見なかったことにして、カズマとめぐみんは話を促した。正しいとか歪んでいるとか、スタートダッシュで躓いたような気がするが気にしない。そもそも、早々に大きな欠伸をする欠陥女神や既に思考を放棄している脳筋クルセイダーがいる時点でそこまで話を深堀りするつもりは無いのだ。緊急時につきふわっと概要だけでもわかればいいだろうと判断したカズマたちを見て、オーマジオウは戸惑うゆんゆんを気にかけずこくりと頷いた。

 

「アナザーライダーの歪んだ歴史を正すには、その歴史が間違っていることを証明して正しい歴史に修正する必要がある。それができるのは同じライダーの力か、このオーマジオウみたいな時空の管理者、他にはその歴史の先にある未来の力だけなんだ。だから俺はアナザーアマゾンネオを倒せたし、この世界から歪められたアマゾンネオの歴史を消去してライドウォッチを抜き出すことができた。アナザーウォッチなら壊せるけど、正しい歴史はディケイド……門矢士じゃないと壊せないからね」

 

「なるほど、その抜き出した歴史を形にしたのがライドウォッチってわけだね。……って、ちょっと待ってよ。ならどうして今のシルビアが溶原性細胞をばら撒けるのさ。あれって確か、アマゾンネオってライダーの歴史の一部なんだよね?」

 

「その通り。いい質問だよクリス。それが、俺が倒せない理由だよ。今のシルビアはアナザーアマゾンネオじゃないんだ」

 

「……? いや、益々意味がわからないんだけど。アマゾンネオじゃないのにアマゾンネオの歴史の力を使えるの?」

 

「そうだよ」

 

「???」

 

 まるで言葉遊びのような問答に眉をひそめるクリス。矛盾が大手を振って歩いているような話をされているわけなのだが、当のオーマジオウはふざけている風には見えず、至って真剣かつ真面目という印象だった。そのことがよりカズマたちを混乱させるのだが、そんな彼らの困惑を振り切るように続ける。

 

「シルビアとアマゾンネオの歴史は相性が良過ぎた。シルビアはこの世界でアマゾンネオの歴史の()()、本来の歴史に存在しないはずの第七のアマゾンを生み出してしまう程にね。その影響でシルビアと消えかけたアマゾンネオの歴史が混線して、この世界に新しい“ライダーだけどライダーじゃない歴史”を作り出してしまったんだ。それが今のシルビアってわけ。歴史が変わって、今日からシルビアが事実上の“仮面ライダーアマゾンネオ”になった。だからアナザー、じゃないね。語感を合わせるならアルターライダーってところかな?」

 

「それは、先程言っていた歪められた歴史とは違うのですか?」

 

「うん。下地は歪んでいるけど、シルビアが生み出した歴史の続きはあくまでもこの世界で紡がれたアマゾンネオの物語の続き。それもまた正史と言えるから、俺にはこの唯一無二のアマゾンネオの歴史の続きに干渉できない。例えアナザーライダーが異世界で紡いだ歴史だったとしてもね。俺は歴史を維持する役割があるから、時空を作り変えて排除もできないし」

 

「じゃああのシルビアはどうするの!? まさか、ソウゴくんが永遠に時を止め続けるしか対策がないなんて言うんじゃ……」

 

「そんな事言わないよ。アルターシルビアを倒す方法ならある。アマゾンネオの歴史の続きが唯一無二の歴史だったとしても、シルビア本人は違う。この世界の力で他の世界の異物が混ざったシルビアの歴史を修正すればアルターシルビアを倒すことが出来るはずだよ。俺はこの世界の住人じゃないから、それができないってだけ」

 

「この世界の力って……」

 

 クリスは言葉を失った。オーマジオウの言いたいことはわかる。アクアの〈浄化魔法〉を筆頭とする魔法、その他勇者候補達の持つチート能力なんかの〈仮面ライダーがいるはずの無いこの世界〉由来の力で倒せということだろう。アナザーライダーを倒してきた今までとは逆の発想である。しかしその理屈には大きな欠陥と、越えられない無理難題が待ち構えているのだ。無茶を言っている自覚がないのか平然としているオーマジオウとは対照的に、閉口していたクリスたちの中でアクアが抗議の声を上げた。

 

「そんなの無理よ! あんたたち仮面ライダーの中じゃ強敵ってのはパワーアップのための中ボスくらいのポジションでしょうけど、こっちの世界じゃそうはいかないの! 〈転生者(チート持ち)〉を幾人も返り討ちにしてきた魔王軍幹部が仮面ライダーの力で余計に強くなってるのに、今更並のチート能力が通用するわけないじゃない!」

 

「そうかな。俺は無理だと思わないけど。……カズマは何か思いついたんじゃない?」

 

 そう言って、オーマジオウは考え込んでいたカズマを見る。まるで仮面の下の表情がわかってしまう、見透かしたような一言。全員の視線を一斉に受けたカズマには少しの迷いがあったのだが、それでもなんというか、さっきまで強ばっていた仲間たちの顔が期待で少しだけ緩んだような気がして。伺うようにチラッとゆんゆんに視線を送ると、彼女は一瞬驚いたような顔をしたがすぐに意図を察したのだろう、とても優しげで柔らかな表情を見せた。ゆんゆんの笑みに腹を括ったカズマは、「しょうがねぇな……」と呟くと強い眼差しで言い切った。

 

「いるだろ、ここに一人。並のチート能力なんて凌駕する、人類最大威力の攻撃魔法が使えるアークウィザードがさ」

 

 ここで自分の名前が上がるとは思っていなかっためぐみんは、突然の指名にきょとんと惚けた顔で言葉を漏らした。

 

「私、ですか……?」

 

「お前以外に誰がいるんだよ。爆裂魔法でダメージが与えられることはさっきの一発でわかってるんだ。再生に時間がかかってたみたいだし、やるならこれしかない」

 

「で、ですが、私の力ではシルビアを倒せるほどの威力は……」

 

 いつもの強気な態度はどこへやら、尻すぼみになっていくめぐみんの言葉。自分で言っていて悔しくなったのだろう、俯いて唇を噛む彼女はギュッと杖を強く握りしめる。しかし、そんなことはお構い無しにズカズカとめぐみんの前へと歩み出たカズマは、ぽんと頭に手を置いて帽子ごとガシガシと乱暴に髪を荒らした。

 

「誰がお前一人でなんて言ったんだよ。これまでだって、全部()()()で何とかしてきただろ?」

 

「っ……!」

 

「これからだってそうだよ。安心しろって。俺には、あのシルビアを倒すための策がある」

 

 不敵に笑ったカズマは、とびきりのサムズアップをしてみせた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

スベテ、ヲササゲタ……。チノニジ、ムヨウナド、リョクヲシテ、ワカサヲス、ベテギ、セイニシテ、ヒトナミノ、シアワ、セヲナゲウッテケン、キュウニハ、ゲンダ……。ナノニ、ドウシテ……。ドウシ、テミトメ、テクレナ、イノ……? ド、ウシテアイ、シテ、クレナイ、ノ……!?

 

 うわ言のようにボソボソと呟くシルビアは、獲物探しを諦めたのか自分の生みだした木のアマゾンたちを溶かしながら腹に収めていた。触手で絡め取ったアマゾンを、焚き火に薪をくべるような感覚でポイポイと自分の体へ無造作に投げ込んでいく姿は、生き物とは何かが決定的に違う。命への冒涜、生きることへの侮辱を感じさせる醜悪さがあった。

 

「それはね、死者の物語に続きはいらないからだよ。シルビア」

 

 凛とした声が、静かに蹂躙される里に響く。肥大化しながら自給自足を行う生き物もどきの前に立ち塞がったオーマジオウは、腕を軽く振るうことでアルターシルビアの燃料を一瞬にして全て黒い塵へと変えてしまった。

 

「その醜さは君が望んだもの? なんか違う気がするけどね」

 

 アルターシルビアの動きが止まる。それは口寂しさや驚嘆と言ったものではなく、新しい興味へと移ろいだからだ。そうは見えないが、きっとこのヘドロじみた体には目や耳などの感覚器官も埋もれているのだろう。こちらをじっと射抜く視線を感じ、オーマジオウはそう確信する。もぞもぞと体から触手を這わせるアルターシルビアは、自らやってきた極上の獲物を前にだらだらとヨダレを流し始めた。

 

イノ、チ……ツヨ、イイノチ……!

 

「蘇る為に命を欲する怪物、か。最期まで生きる為に戦ったアマゾンネオの歴史にこれ以上蛇足を書き加えるのはやめてもらいたいんだけど、言うだけ無駄かな」

 

イノチヲヨ、コセェェェエエエ!!!

 

「……言葉まで忘れちゃったみたいだね。(たが)の外れた歴史の暴走。やっぱり、受け止めきれる器じゃなかったか」

 

 暗闇の中、神速で襲い来る触手を最小の動きで回避するオーマジオウは、それを手刀で切り落として様子を伺う。痛みを感じないのか攻撃の手は緩まず、切り離された触手は地べたで蛆のようにくねくねと暴れるだけだった。そのあと干からびて朽ちるところは溶原性細胞の感染者の特徴ではあるが、こういう手合いにありがちな元の体に戻ったりだとか、そこから分身が生まれるだとかの面倒なことは起こらないらしい。触手自体は体積を減らすことも無く無限に湧き出てくるのか、いくら切り落としてもキリがない。それでも時間稼ぎという任を与えられたオーマジオウは黒い靄から手に馴染んだ武器を引っ張り出し、自らの役割を全うするために権能を振るう。

 

「本当はここまでする必要ないんだけど……。まあ、八つ当たりだと思って諦めてよ」

 

 

«ジカンギレード»

«ジュウ!»

«タイムチャージ! ……ゼロタイム!»

 

 

「俺、ちょっとムッとしてるんだ。もちろんシルビアにもだけど」

 

 負けもしなければ勝てもしない消耗戦の始まり。作戦開始を告げる狼煙を上げるため、オーマジオウは愚かにも歯向かう簒奪者に対して引き金を引いた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「……ナニアレ」

 

 壊されたライドストライカーの代わりにオーマジオウから預かった空を飛ぶらしいタイヤの無いバイク・ダンデライナーに股がっていたカズマは、エンジンを吹かしながら呟いた。銃を撃ったら行動開始の合図だと言っていたが、まさか本当に『ジュウ』の文字が空へと打ち上げられるとは想像していなかったのでつい面食らってしまう。そう言えばアナザーライダーになったハンスの腕を切り落とした時も何やら文字が両断していたような……、と余計な記憶まで掘り起こしていると、重い鎧を脱ぎ捨て髪を下ろしたダクネスが、インナースーツにフルフェイスのヘルメットというコアなニーズにジャストフィットな姿で狭いタンデムシートに恐る恐る腰を下ろした。

 

「よ、よし! 大丈夫だカズマ! 重い鎧は脱いだから、これでもう浮き上がらないなんてことは無いぞ! 重い鎧は脱いだからな!」

 

「あーはいはい。そんじゃ、ちゃんと掴まってろよ」

 

「おい! 雑に流すんじゃない! きちんと重かったのは私ではなく鎧だったと訂正しろ!」

 

「わかったわかった。いつもながら、どこに羞恥心の重きを置いてんだか」

 

 ホバーバイクが耐えきれない重量の鎧を着ていたという事実に、こいつも存外化け物クラスの筋肉量だよな、などとさらに失礼なことを思うカズマ。体重なんかよりもそのピチピチのお召し物の方は恥ずかしくないのかと思春期特有の好奇心が刺激されるが、羞恥に頬を染める乙女チックな変態の被虐心を目覚めさせるだけなので口には出さないでおこうと決めた。

 後ろでまだ煩いダクネスに訂正を求められつつ背中をポカポカと殴られながらも、あえてスルーしてカズマはグリップに手をかける。浮上までもう少し。しかしそんな彼らの発進を妨げるように、一組の紅魔族がダンデライナーの前に立ち塞がった。

 

「……勝算は低い。それに、君たちにとっては好都合だったようだがあの魔道具のデメリットも伝えたはず。それでも行くとはまさか、この里のために死ぬつもりで……!?」

 

「「いや、そんなつもりは微塵もないです。本当に」」

 

 ひょいざぶろーとゆいゆいである。神妙な面持ちで腕を組むひょいざぶろーも、眠ってしまったこめっこを抱いて真剣な表情をしているゆいゆいも、本気なのか死地へ送り出す的なノリなのかイマイチ判断に困る絡み方なのが非常にややこしい。里の人達に作戦の概要を説明した時は明らかに後者の反応だったが、両親くらいはできれば前者であってくれと心の片隅で願うカズマに対し、ひょいざぶろーの隣で沈黙していたゆいゆいは意を決したように口を開いた。

 

「カズマさんは本気で、ネタ魔法なんかで勝てると思っているんですか?」

 

「はい勿論」

 

「燃費も悪いしコストパフォーマンスも見合っていない。紅魔族でも使えるかどうかも怪しく、使えたところでメリットよりもデメリットの方が大きい。そんな何の役にも立たない魔法を、どうしてそこまで信じられるんですか?」

 

(事実なのはわかってるんだけど、手心ってものを知らないのか)

 

 本当のこととは言え、改めてポンコツ魔法である理由を並べられると反論に困ってしまう。こんなのが最強の魔法なのだから、使い勝手のいい力を持った〈転生者〉たちが優遇されるのも頷けるというものだ。だがそれだけでないことを知っているカズマは、決して怯むことなく真っ直ぐゆいゆいに視線を返した。

 

「……別に、爆裂魔法を信じてるわけじゃないですよ」

 

 カズマが振り返ってダクネスを見ると、彼女もまた同じ気持ちなのだろう、ふっと優しい笑みを浮かべる。きっと確認などするまでもなく、答えなんて決まっている。例え誰が同じようなことを言われたって、仲間なら必ず同じ答えを出していたはずだ。そんな確信を持って、カズマはゆいゆいに向き直ると一番のキメ顔で親指を立てた。

 

「俺たちは、めぐみんを信じてるんです」

 

 目を丸くしたひょいざぶろーとゆいゆいは、不意にふふっ、と笑みをこぼす。大笑いする訳ではなく、カズマには何か納得がいってつい溢れ出てしまった笑みに見えた。先程までのお堅い雰囲気はどこへやら。とても楽しそうに目を細めるゆいゆいとひょいざぶろーは、すっと腰を折って頭を下げた。

 

「これからも、娘をよろしくお願いします」

 

 その言葉を額面通り受け取っていいものか、意図するところはわからない。しかしその言葉が、表情が、ここ数日めぐみんと自分を無理矢理くっつけようとしていたお金絡みの打算的なものや、紅魔族特有のおちゃらけたものでは無いようにカズマは思えた、いや、思いたかった。少しだけ、前の人生に残してきた家族の影が重なり懐かしい気持ちになったからかもしれない。向けられた暖かな信頼に対してグッと親指を立てて返事をしたカズマとダクネスは、一路目的の場所へと出発した。

 小さくなっていく背中を眺めながら、ひょいざぶろーはポツリと呟く。

 

「あれが私たちの義息(むすこ)か。……サトウカズマ。不思議な男だ」

 

「そうですね。あの爆裂魔法しか眼中になかっためぐみんが気を許すのも、なんだかわかる気がします」

 

 二人は寂しそうに、そしてどこか嬉しそうに微笑んだ。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「始まってるわね……」

 

 戦闘の音が響く里を見下ろしながら、ゆんゆんは呟いた。

 里の様子を一望できる丘ならば、戦場の動きはよくわかる。爆ぜては元に戻るよくわからない山ほど大きい泥の塊も、里の住民たちの謎の余裕も、奔走するパーティーの面々も、その機微の逐一を眠りから覚めようとしている空が全て教えてくれていた。短いようで長かった夜に、ようやく終わりがやってくる。安堵とも焦りとも言える高揚感がそわそわと心を急き立てつつも、程よい緊張感となって戦いに挑む彼女の身を引き締めていた。もっとも、今からゆんゆんが何かをするわけではないのだが。

 

「めぐみん、準備はいい?」

 

 後ろからついてきているはずの、体力に多少難のあるライバルへと振り返ったゆんゆん。魔力が十全でないとはいえ、ゆんゆんの渡せる魔力は渡しきってしまっているのでここでへばられてはカズマの作戦に支障が出てしまう。しかし、そんな心配を他所にゆんゆんの隣を無言ですり抜けためぐみんは、いつもなら恥ずかしげもなく口上を述べるような場面なのに静かに里を眺めているだけだった。

 

「めぐみん……?」

 

 その姿はゆんゆんの目に、意気消沈しているように映った。逃げ延びていた紅魔の里の住人たちに作戦への協力を打診した時のことを思えば、いくら我が道をゆくめぐみんと言えど落ち込んでしまうのも無理はない。なんと声をかけたらいいかと思案するゆんゆんは、当たり障りのない言葉を選びながら口を開いた。

 

「き、気にすることないわよ! そりゃ爆裂魔法は使い所のないネタ魔法だし、使ってる奇特な人なんてめぐみん以外に見たことなんてない特異な魔法だけど、里の皆が何を言おうとめぐみんはめぐみんの好きなようにすればいいと思うし……」

 

「フォローがしたいのか喧嘩がしたいのかハッキリしろ」

 

 口を噤んでしまったゆんゆんを見て、盛大な溜め息をつくめぐみん。余計に落ち込ませてしまったのかと控え目な視線を送ってきているが、そういう煮え切らない態度が頭痛の種だということには気づいていないらしい。もじもじとするゆんゆんに調子を狂わせられながらも帽子の唾を上げためぐみんは、昇り始めた陽の光に目を細めた。

 

「落ち込んでなんていませんよ。それにわかっていたことです。私が爆裂魔法しか使えないことを知られてガッカリされるだろうということは。それはあなたも予想していたことでしょう?」

 

「……気づいてたの?」

 

「カズマがああも露骨ならわかりますよ。ゆんゆんのそういうお節介なところは昔からですし。……思い返せば、こめっこを助けるため私の代わりに中級魔法を習得してくれたときから、あなたには助けられっぱなしです。ゆんゆんがあの時、私に爆裂魔法への道を示してくれなければ私は今ここにいなかったでしょう。皆と出会うこともなかった」

 

「ど、どうしたのよめぐみん? 何か悪いものでも食べた? 落ちてた変な木の実とか食べてない?」

 

「人が素直に感謝しているのですから真面目に聞いてください」

 

「だってだって、学生時代からずっと素直じゃないめぐみんが私にお礼を言うなんて……」

 

「私をなんだと思っているのですか。お弁当の感想だって毎回伝えていたでしょう」

 

「私を負かして巻き上げたお弁当だけどね」

 

「言いがかりはよしてもらおうか。あれは勝者への正当な対価です」

 

 心外だと言わんばかりに不満げな顔をするめぐみんと、意地悪に口元を釣り上げるゆんゆん。見つめ合う二人は何がおかしかったのかどちらもがふふっと吹き出すと、どちらが先というわけでもなく声を上げて笑い始めた。戦いの音でかき消される戯れだが、カズマならきっとこういう緊張感のなさを「自分たちらしい」なんて形容するのかもしれない。めぐみんはそう思った。

 しかしそんな表情も早々に崩し、彼女は遠くを見つめる。昔を懐かしんでいるのか、未来へと思いを馳せているのかはわからない。そして憑き物が落ちたようなすっきりとした笑みを浮かべると、迷いのない口ぶりで杖を握りしめた。

 

「一つ、勝負をしませんか?」

 

「勝負……? 今、ここで……?」

 

「ええ。勝負内容は、私の爆裂魔法であのシルビアを倒せるかどうか、で」

 

「勝負っていうより賭けじゃない」

 

「賭け事だって立派な勝負ですよ。倒せなかったら私の負け。ゆんゆんの望みをなんでも一つ叶えましょう。もし私が倒せたら――」

 

 めぐみんの提案した報酬にゆんゆんは目を丸くし、ついでに耳も疑った。その言葉は、絶対に聞くことができないと思っていた言葉だったのだ。そうあればもっと胸を張れるのにと、誰からも笑われたりしないのにとずっと思っていた願望で、それでいて無理なのだろうと半ば諦めていた言葉。無理をしているのかとその横顔を覗くと、色彩を失った世界でも褪せることのない陽の光にあてられためぐみんの瞳は、見たことがないくらい紅く揺らめき美しく輝いていた。その表情を見てゆんゆんは、ほんの少しだけカズマたちを羨ましいと思った。

 

「後悔しない?」

 

「しませんよ。……これ以上、するわけないじゃないですか」

 

「……そっか」

 

 ゆんゆんの返せる言葉は、それ以上になかった。

 

 

  ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ね、ねぇカズマ? ちょっと吸い過ぎじゃないかしら? 私、既にめぐみんに残りの半分以上持っていかれてるからそろそろ魔力の底が見えてきてるんですけど」

 

「お前は空っぽ手前まで抜いとかなきゃ中継地点にならないだろ。ぶっ倒れるまでは吸わないから安心しろって」

 

「そう? なんだか足の力も抜けてきて膝が笑ってるような気がするんですけど」

 

「まだ立ってられるならセーフだな」

 

「やっぱり倒れるまで抜こうとしてない!?」

 

 ぎゃーぎゃーと文句を言うアクアをスルーして、〈ドレインタッチ〉で滞りなく魔力を吸引するカズマ。女神の魔力というのでちょっとは神々しさというか、ソウゴが目で見て判別できるほどの違いというのに興味があったのだが、いくら吸おうとなんてことはない。普段から吸っている人やモンスターの魔力との違いというものはちっとも感じられなかった。ソウゴが鋭敏な感覚を持っているのか、自分が鈍感なのかはカズマにはわからないことなのだが。

 アクアの顔色を確認しつつギリギリを攻めるカズマは、「そう言えば」と、ふと気になったことを口にした。

 

「あれだけポンポン浄化魔法撃ってたのに、よくまだこんなに魔力残ってたよな。俺の方が容量オーバーしそうだ」

 

「そりゃ、私たち女神の力の源は信者たちの祈りですもの。人間みたいに休養を摂って自然に回復できる分と、信仰心がそのまま自分の力に変換される分を考えればこんなもんじゃないかしら」

 

「なるほど。つまり、アルカンレティアから供給される魔力があるからもっとギリギリまで吸っとかないといけないわけか」

 

「あっ! 今のナシ! 今の話はナシでぇー! うちの子たちの信仰心まで持っていかないでぇー!」

 

「なんか俺が悪いことしてるみたいだからその言い方やめろ」

 

 抗議の声など構うことなく、カズマは遠慮なく魔力を吸い上げる。しかし容量オーバーという話も冗談ではなく、許容量を超えたらどうなるかは身をもって体験しているため無限に吸い続けないとダメなんてことは無いよなと戦々恐々としつつ、本当に震え出したアクアの足を見てこんなもんかと手を離す。するとアクアは気だるそうにその場にぺたんとへたりこみ、よよよと涙を見せる仕草をした。

 

「うう……。私、女神なのに……。こんな仕打ち、あんまりよ……」

 

「女神だって言うならシルビアの封印くらいしてみせろ、このパチモンが」

 

「パチモンじゃないわよ!!」

 

 叫べる元気があるなら問題ないかと、カズマは腰に下げていた袋から今回の作戦に欠かせないアイテムを一つ取り出す。革のベルトに金属の装飾が施されており、中央には魔石と呼ばれる魔力を溜め込む性質のある石が嵌め込まれたバングル。めぐみん宅より拝借してきたウィズ魔道具店からの返品商品である『魔力を共有する腕輪』を、ほらよ、とアクアの足元へ転がした。

 

「いいかアクア。まだ嵌めるんじゃないぞ。爆裂魔法の魔法陣が展開されたのを確認したら嵌めるんだ。めぐみんの父ちゃんから受けたデメリットの説明、覚えてるか?」

 

「馬鹿にしないでよ。装着者の中で残存魔力の総量が多い人から少ない人へ、全員が均一になるよう自動で送られる、でしょ」

 

「ウィズの店に並びかけた品なんだから、絶対に説明されたデメリットよりもどえらい欠陥があるからな。足並みを揃えないとえらい目に合うぞ」

 

「その嫌な方向への信頼はまあよしとして、この作戦本当に大丈夫なの? 皆言わないけど、あんた下手したら死ぬわよ」

 

「しょうがないだろ。めぐみんに『俺たちで何とかする』って言っちまったんだ。言い出しっぺが今更うだうだ言ってられないよ」

 

(めぐみんの親御さんにもカッコつけちゃったし)

 

 後悔はしていないが、流石に調子に乗り過ぎたと思うカズマ。テンションが上がっていたからと言い訳もできず、やれるだけやるしかないと腹を括る。そんな未練タラタラなカズマの顔を見て、アクアはどうしようもない弟を見るようなにやけ顔をした。

 

「……カズマってホント馬鹿よねー」

 

「うっせ。俺には女神がついてるんだから多少無茶してもいいんだよ。なんかあった時は頼むぞ」

 

「まったく、ようやく認める気になったのならしょうがないわねぇ。いいわ。女神アクアの名にかけて、エリスがまたグダグダ言ってきても絶対こっちに引っ張り返してあげるんだから!」

 

「そりゃ心強いこって」

 

 調子のいいアクアに呆れたような顔をするカズマは、ヘルメットを被り直すと再度ダンデライナーに跨った。グリップを捻ると、未だに慣れない浮遊感の後から地に足のつかない心許なさと子どものようなワクワクが連れ立って押し寄せてくる。それが少し心地よく感じるのは、何度もこんな勝敗を決する分の悪い賭けを乗り越えてきたことによる勘違いなのか、それともこのバタバタが自分たちらしいと思ってしまっているからなのか、答えは出す必要もない。

 

「カズマ!」

 

 静かに浮上するカズマを呼び止めたアクアは、親指を立てるとニコッと笑う。

 

「終わったら気持ちよくパーッと祝勝会するんだから、しっかり倒してきなさいよ! もちろん、アクセルに帰ったら褒賞金で宴会だからね!」

 

「……しょうがねぇなぁ! 今のうちに披露する宴会芸でも考えておけよ!」

 

 勝利を信じて疑わない女神の微笑みに、カズマの中の敗北なんて文字は見事にかき消されてしまっていた。

 

 

 

―――

―――――

 

 

「それで、策ってなんなのよカズマ。めぐみんの爆裂魔法じゃいいとこ半分削るのが限界よ?」

 

「さっきも言っただろ。その半分は俺たちで補えばいいんだよ」

 

 時は戻って、各自が行動を開始する前。

 事も無げにそんなことを言うカズマに、ソウゴ以外の全員が首を傾げていた。

 

「めぐみん家の返品在庫に魔力を共有するってやつがあったの覚えてるか? あれを使って、ここにいる人たち全員の魔力を掻き集めるんだ」

 

「めぐみんに倍以上の威力の爆裂魔法を撃ってもらうということか。しかし可能なのか? 本来の自分の二倍の魔力を溜め込むなど」

 

「試したことはありませんけど、不可能のはずです。コップの中にバケツの水を無理矢理押し込むようなものですから……。溢れ出るならいいですけど、最悪の場合……」

 

「そこは心配ないよ。魔力を共有するのはめぐみんじゃなくて俺だ。めぐみんに合わせて俺が〈ドレインタッチ〉で魔力を流せば、めぐみんにそこまで負担はかからないと思う」

 

「なるほど。カズマくんがマナタイトの代わりをするってことだね」

 

「それではカズマへの負荷が大き過ぎます! 我が爆裂魔法の消費魔力は今やマナタイト数個分。今のカズマの基礎魔力の数倍……いえ、十数倍は固いでしょう。崩壊寸前まで魔力を貯めた魔石だって魔力を急激に消費させれば壊れてしまうのに、それを生身の人間でなんて危険です!」

 

「どっちにしろ『共有する』ってところの意味がふわふわし過ぎてわからないんだ。余計なリスクは背負わないに限る」

 

(バニルに返品くらってるってことはドデカい欠陥があるのは間違いないし)

 

 ガラクタの性能を全部聞いておくべきだったと後悔するも、まさかここで再会すると思っていなかったのも事実。それも作戦の要になるとは夢にも思っていなかったがあの悪感情を啜る悪魔のことだ、分かっていてあえて話題に出さなかったのかもしれないと勘ぐってしまう。考えても仕方のないことを早々に諦めたカズマだが、全員が釈然としない表情を浮かべているのを見ていつものソウゴのようにへらへらと笑って見せた。

 

「大丈夫だって。幸運値だけは異様に高いカズマさんだぞ? 俺の運を信じろ!」

 

 

―――――

―――

 

 

 

(とは言ったものの、あれなかったことにならないかなぁ)

 

 全員を所定のポイントにつかせ、あとはめぐみんに爆裂魔法を撃ってもらうだけというところまで来て、抱え込んだ魔力を注ぎ込みながらカズマは普通に後悔していた。この小さな背中に全てを託すと決めたのはカズマなのだが、潔さなど知ったことではなく、いざとなればうだうだ言うのが自分だったと今更ながらに思う。

 しかしカズマはブンブンと強く首を振り、そんな自分を奮い立たせた。

 

(いやいや、何怖気付いてんだ。しっかりしろ俺! やるって決めたのは俺だぞ!)

 

 この右手首に巻かれた魔道具の効果は、アクアが覚えていたように使用者同士で均一になるよう魔力が調整・分配されるというもの。魔法使い職パーティーならば既に普及している魔力の保存が可能なアイテムの方が有用で、前衛職と共有すれば自分の魔力の総量が減るかもしれないという欠陥を抱えていた。敵に嵌めて自分の魔力補給か、逆に魔力を注ぎ込んで破裂させるという使い方もできるが、そもそも腕輪を嵌めている余裕があるならそんな搦手を使う意味は無いだろう。だが今回に限って言えば、そのデメリットを利用してカズマにこの里全ての魔力を集約することができるのだ。

 そこまではいい。実用性からは程遠くとも、そこまではまだ良かったのだ。

 

(でも出力ミスったら俺の体がパンッ、だもんなぁ。なんでカッコつけちゃったかなぁ)

 

 このバニル公認の欠陥品には、当然のように安全装置がなかった。

 本来なら魔力の保有量が多い魔法使い職が使うことが前提のアイテムが、カズマのような魔力が極端に少ない最弱職が使うことを想定し設計されているわけがない。この欠陥に目を瞑り当初の作戦通り運用すれば、『魔力の最大保有量を無視して強制的に流れ込んでくる魔力のせいで体が弾ける』のが先か、『爆裂魔法によって魔力を急激に吸い取られ体が壊れる』のが先かという嫌な二択の綱引きが始まってしまう。めぐみんの体への負担を考慮すれば、間違いなくカズマは酷い目に遭うだろう。裏を返せば、カズマが負担の全てを引き受けることでアルターシルビアという怪物への勝機がようやく見い出せるということ。今日はエリス様とどんな話をしようかなとぼんやり現実逃避を始めていると、意識の外でこほんと咳払いしためぐみんが物々しく口を開いた。

 

「……こんな時になんですが、カズマに話があるのです」

 

「? どうしたんだよ、改まって」

 

 めぐみんの顔は真っ直ぐ前を向いており、後ろからでは表情を窺い知ることはできない。しかし神妙な声色になんというか、漠然とだがいつもと違う感じがした。

 カズマが応えてから、緊張を孕んだ沈黙が流れる。王が痴れ者を拳で嬲る音は依然として喧しいが、そのあまりにも規格外な蹂躙に目を奪われているという訳では無いようだった。急かすこともなくただ首を傾げ様子のおかしな仲間を眺めていると、めぐみんは自分の中で整理がついたのか呼吸を整えてから明るい声で言い放った。

 

「私は、上級魔法を覚えようと思っています」

 

「……え?」

 

「カズマたちとパーティーを組んでクエストに行くようになってから、時折考えていたことなのです。このままでいいのか、と。既にゆんゆんに便利な上級魔法を幾つか教えてもらう約束をしましたので、この戦いが終わったらカズマに使い勝手が良さそうなもの選んでもらって取得するつもりです。里一番の天才と言われたこの私が上級魔法を使いこなせば国一番の優秀な魔法使いになること間違いなし! ソウゴじゃない方の魔王なんてあっという間に倒せてしまいますよ。そうですね……。これからは『紅魔族随一の魔法の使い手、数多の魔術を操る者!』。これでいこうと思います。カッコイイとは思いませんか?」

 

「思いませんかって……」

 

 きっと今の自分は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていることだろう。それくらい意外な発言に、すぐ返事の声は出せなかった。何度窮地に立たされても頑なに爆裂魔法以外の魔法を覚えようとしなかっためぐみんからの唐突な申し出に、頭の整理が追いつかないほど困惑が強かったのだ。

 しかし捲し立てるように並べられた言葉を時間をかけて噛み締めれば、これほど嬉しいことは無い、これに尽きる。ようやくまともな攻撃手段が確保できるということなのだから何を断る理由があるというのか。パッと表情を明るくし二つ返事で首を縦に振ろうとして……そこでカズマの脳裏に、ある言葉が蘇った。

 

 

 

『汝、この旅のどこかで仲間から大事な相談をされるだろう。その時は決して茶化さず、誤魔化さず、己の心に素直に答えるが吉だぞ』

 

 

 

(己の心に、素直に……)

 

 きっと今ふと湧いた疑問は、口にしない方がいい疑問だろう。ここで深追いしなければ、上級魔法を覚えた一端のマトモな魔法使いが手に入る。頑強な前衛に、後方支援に、強力な魔法使いという完璧な布陣。バニルから得られる安定した収入と死の危険とは縁遠い優秀なパーティーの二つが揃えば、カズマの求めていた楽しく安全な異世界ライフがようやく幕を開けるのだ。

 そんなことはわかっているのに、この胸につっかえる蟠りがカズマの首を縦に振らせてくれなかった。ここでこの居心地の悪い感情に目を瞑れば、今までのように五人で笑えなくなる。そんな気持ちが、カズマの口を動かしていた。

 

「爆裂魔法しか愛せないんじゃなかったのかよ」

 

「……爆裂魔法のことはいいんです。卒業します」

 

「卒業!? おい、本当にどうしたんだよめぐみん! お前と言えば毎日欠かさず爆裂魔法。アクセルの街での爆裂魔法の代名詞、頭のおかしい爆裂娘だろ!? まさかお前、めぐみんの偽物なんじゃ……」

 

「失礼ですね。正真正銘、本物の私ですよ。疑うと言うのであれば、我が一族に継承されし、生まれながら発現する謎の刺青の位置をお教えしましょう。ゆんゆんのなんてスケベなカズマが好きそうな場所にあるんですよ」

 

「えっ。その話詳しkって違う! さっき里の連中に爆裂魔法を馬鹿にされたこと気にしてるのか? あんな爆裂魔法の事を何にもわかってない奴らなんてほっとけよ。それとも俺がネタ魔法使いってよく言ってること、実は結構気にしてたのか? なら謝るよ、悪かった! もう二度と言わないから!」

 

「……いえ、そんなんじゃないんです。本当に。単に心変わりというか、何と言うか」

 

 平謝りするカズマに対して、めぐみんは気まずそうに言葉を濁しながら俯く。大きな帽子がズレて表情に濃い影を落とすと、そこだけ夜に取り残されたように何も見えなくなってしまった。それでも明るい調子の声を絞り出す彼女は、決して振り返ることなくへらへらと続けた。

 

「思ったんですよ。日頃カズマからなんだかんだ言われつつも、ダクネスは防御で、アクアは支援魔法でそれぞれパーティーに貢献しています。私に出来ることと言えば爆裂魔法。ですが“人類最大の攻撃手段”もソウゴの前では型なしです。考えれば考えるほど、私はなにも役に立てていないなー、と」

 

「……だから爆裂魔法を捨てて、上級魔法を覚えるって言うのか?」

 

「捨てるなんて人聞きが悪いですよ。……今でも爆裂魔法は好きです。でも他にもっと好きなものができて、それを守るための力は爆裂魔法ではなかった。ただそれだけのことなんですよ」

 

「なら卒業まですることないだろ? 今回みたいなことだってあるわけだし、いざと言う時の切り札として残しておけばいいじゃないか」

 

「上級魔法を使ってしまえば、もうその日は爆裂魔法を使えません。使えない切り札なんて手元にあっても腐るだけです。最大火力はソウゴに任せ、これからの私は多様な魔法で戦闘を牽引するのが堅実でしょう」

 

 沈黙する二人の間を、戦場の音と風が駆け抜ける。食い下がってきていたカズマの静寂を肯定と受け取ったのか、めぐみんは帽子の唾を摘み上げてようやく後ろを振り返った。黙りこくってしまったカズマに向けられたその微笑みは、痛々しいほどに穏やかだった。

 

「カズマたちと出会わなければ、こんな事少しだって思わずに爆裂魔法だけを鍛え続けていたことでしょう。でももうお荷物は嫌です。自分の好きだけではなく大好きな皆を守れる、そんな役に立つ魔法使いになりたいんですよ。これを最後のワガママにします。だから、許してもらえませんか?」

 

 そんな顔を見せられたカズマは――

 

「嫌だ」

 

 ――普通に、腹が立った。

 

「何キレイにまとめようとしてんだ。そんな顔するくらい未練があるなら、俺は認めないからな」

 

「えっ、いや、あの……。今のは私の固い決意にカズマも根負けし、渋々頷くところでは……?」

 

「そんなお約束知るか。だいたいなんだ、その俺たちのために自分の夢を諦める、みたいな物言いは。馬鹿なこと言ってないで今まで通りのお前でいろよ」

 

「馬鹿な、こと……?」

 

 その瞬間、めぐみんの取り繕っていた表情は崩れた。必死になって心配をかけまいと維持していた微笑みはキョトンと呆けた顔になり、そしてみるみるうちに眉が吊り上がっていく。それでも堪えようと拳を握りわなわなと肩を震わせるも、ついに耐えきれなくなった激情がとめどなく溢れ出す。感情の推移がそのまま顔に表れるめぐみんは、顔を真っ赤に今にも大泣きしそうな程の涙を目尻に蓄えてカズマの手を払いのけた。

 

「馬鹿なことってなんですか!! カズマにはわかりませんよ!! 私がどれほど悔しい思いをしているかなんて!!」

 

「……」

 

「ベルディアと闘った時、私が上級魔法を覚えていればダクネスは一度だって死なずに済んだかもしれない! ハンスの時も、皆がボロボロになることはなかったかもしれない! その前も、この次もきっと! 今だってそうです! 私が爆裂魔法ではなく普通の魔法を扱えていれば、ダクネスが無茶言うこともなかったし、カズマがこんな危険なことをせずに済んだはずなんです!!」

 

「……」

 

「そう思う度に、今まで大好きだった爆裂魔法への想いが褪せていく……! 爆裂魔法を初めて見た時の高鳴りを忘れてしまうことが怖い。いつか爆裂魔法への憧れを後悔するかもしれないことが怖い。私のせいで、誰かを失うことが何より怖い……! こんな思いをするくらいなら、せめて綺麗なまま思い出として終わらせたいと願って何が悪いんですかッ!!」

 

「でも諦めきれないから、そんなに迷ってるんだろ!!」

 

「そうですよッ!! そこまでわかってるなら私の気持ちを全部飲み込んで大人しく上級魔法を取得させてくださいよ!! 私を、皆を守れる優秀な魔法使いにさせてくださいよッッ!!」

 

「だからそれが嫌だって言ってるだろ!! お前にそんな顔させるくらいなら、優秀な魔法使いなんていらないんだよ!!!」

 

「ッ……!」

 

 めぐみんは目を丸くし、言葉を詰まらせた。そんなことを言われるなんて思ってもみなかったような驚いた様子に、カズマはムカムカが止まらなかった。

 今の自分がどんな顔をしているか、カズマには皆目見当もつかない。らしくもない熱血漢のような顔をしているのかもしれないし、激情に駆られた顔で怒鳴り散らしているだけかもしれない。しかし口をついて溢れてくる正直な気持ちを、どうやっても抑えることはできなかった。

 

「何でそこまで爆裂魔法に拘るのか俺にはわからない。王様に拘る理由も、あのド変態の性癖も、駄女神のパチモンっぷりも、どれもこれも理解できるもんかよ。それでもお前らにとっては変えられないものなんだろ!? 譲れないものなんだろ!? そりゃ迷惑に感じることの方が圧っっっ倒的に多いしもっとマトモになってほしいって思うけど、お前らはそうじゃなきゃダメなんだよ!!」

 

 カズマの思いは変わらない。平和で楽しい、命の危機なんてない異世界ライフ。御伽噺のような胸躍る冒険を夢見たことはあるが、そんなものは身の丈に合わないものだと諦めたのはとうの昔の話だ。クエストに出る度に死にそうな目に遭ったり、実際に死んだりして、このろくでもない世界から逃げ出して日本に帰りたいと何度も願ったが、今際の際に思い出すのはいつだって元の世界の暖かな食卓よりも仲間たちと飲んだシュワシュワだった。

 カズマだって薄々わかってはいるのだ。バニルに諭されるまでもなく、自分が心から欲しているものが何かくらい。

 

「駄女神でも、爆裂狂でも、ド変態でも、魔王でもいい。優秀じゃなくったっていいし、守ってくれなくてもいい! 俺が頭を抱えながらでも一緒に冒険がしたいと思ったのは、自分の好きに嘘をつかない今のままのお前らなんだよ! ……めぐみん。お前はこんな中途半端なところで爆裂魔法を卒業して、本当に後悔しないのか? 俺はまだ、百点って言える爆裂魔法を見てないんだぞ!」

 

 顔を覗き込まれためぐみんは、ぴくりと肩を跳ねさせると慌ててカズマに背を向ける。もうとっくに手遅れなのだが、袖でゴシゴシと目元を拭い体裁を整えると震える声を必死に押さえつけて平静を装った風に鼻を啜って喉を鳴らした。

 

「……いいのですか? 我が爆裂道に終わりはありません。このチャンスを逃せば、もう二度と上級魔法を覚えるなんて殊勝な言葉は私の口からは出てきませんよ」

 

「いいよ別に。元から期待なんてしてないし」

 

「これからもっと、たくさん迷惑をかけますよ」

 

「上等だ。もう慣れた」

 

「ワガママも、もっといっぱい言うかもしれません」

 

「今に始まったことじゃないだろ」

 

「ふふっ、そうですね。私はワガママばかり言う魔法使いです。ですが、カズマほどではないと思いますよ」

 

「どこから来るんだよ、その自信は」

 

 口元を弛めためぐみんが、里に向けて杖を構える。めぐみんの顔は真っ直ぐ前を向いており、後ろからでは表情を窺い知ることはできない。しかし憑き物が取れたような声色にはなんというか、いつもと同じ安心感があった。

 もう一度、めぐみんの首筋に右手を当てる。肩の力が抜けたいつもと変わらないめぐみんの背中に、素直になるのもたまには悪くないと、カズマはそう思った。深く息を吐いためぐみんは、振り返らずに言う。

 

「……カズマ」

 

「なんだよ」

 

「ありがとうございます」

 

「礼ならアレを倒してからにしてくれ。俺が酷い目に遭うのは今からなんだぞ」

 

「そうですね。ではしかとその目に焼き付けてください。私の……いえ、()()()の爆裂魔法を」

 

 顔など見えなくても、めぐみんが微笑んだことはわかった。

 

「我が名はめぐみん! 紅魔族随一の魔法の使い手にして、人類最強の攻撃魔法・爆裂魔法を操る者! とくと見よ、人の身にて到達しうる唯一無二の最強を!」

 

 

 

 

 

黒より黒く、闇より暗き漆黒に

我が真紅の混淆を望みたもう

 

 

 

 

 

 言の葉の調べに合わせ、紅魔の里の上空に魔法陣が幾重にも連なって描かれる。セピア色の闇を切り裂くその鮮やかな(ほむら)に、観衆は瞬き程度のことすら忘れてしまうだろう。カズマがつい目を奪われるほどに、天を貫く紅蓮の(つるぎ)は美しかった。

 

 

 

 

 

覚醒の刻、来たれり

無謬の境界に落ちし理

 

 

 

 

 

 これが作戦における全ての合図。仲間たちと里の住民たちが腕輪を嵌める合図であり、ソウゴがアルターシルビアを蹴り上げる目印。この一瞬に世界の全てがかかっているのだ、見蕩れている場合では無いとカズマは来るべき衝撃に備え右腕に力を込めた。その直後だった。

 

 

 

 

 

無業の歪みとなりて、現出せよ

 

 

 

 

 

 とてつもない衝撃と共に、腕輪を嵌めた右手首の皮膚が爆ぜたのは。

 

(――――――――ッ!??!!!!???!?)

 

 声にならない声を噛み殺し、めぐみんの首を握り潰さないように歯を食いしばる。気付かれれば集中力を乱し、このカズマの身に余る魔力の吐き出し場所が無くなってしまうだろう。そうなればアルターシルビアを倒すどころの話ではなく、カズマの体がザクロのように破裂しめぐみんに特大のトラウマを背負わせることになる。カッコをつけて大見栄を切ったというのに、また爆裂魔法卒業なんてことを考えさせるような事態は論外だ。ここが踏ん張りどころだと歯を食いしばって、溢れ返りそうな魔力を全力でめぐみんに送りつける。

 

 

 

 

 

踊れ、踊れ、踊れ

 

 

 

 

 

 服に血が滲み始め、重みと生暖かさが伝わってくる。手首の大きな血管が傷つけば大惨事だが、そこは持ち前の幸運で何とか回避しているらしい。皮膚の下が炭酸水でも流し込まれたようにパチパチと弾け、白だった袖はじわじわと範囲を広げならが赤く染まっていく。魔力の総量が落ち着くのが先か、カズマの体の限界が来るのが先か。こんな心臓に悪い駆け引きは二度とゴメンだと後悔しながらも、同じ所を何度も針で刺されているかのような痛みに耐え続ける。

 

 

 

 

我が力の奔流に望むは崩壊なり

並ぶものなき崩壊なり

 

 

 

 

 めぐみんが杖を振りかぶると、その動きや声が魔王には当然視えているのだろう。完璧なタイミングで泥なのか肉なのかわからなくなったアルターシルビアの塊が、声でもなんでもない不協和音を発しながら魔法陣の中心へと跳ね上げられた。何かを訴えかけているのか悲壮感のある喚きだが、そんな些事に構っている余裕は無い。里全体の魔力の総量は落ち着いているとはいえ、依然としてカズマの許容量は超えている。永遠にも感じた数秒がやっと終わるという安心だけが、カズマの心を占めていた。

 ここが折り返しだということも忘れて。

 

 

 

 

 

万象等しく灰燼に帰し、深淵より来たれ!!

 

 

 

 

 

 一瞬、静まり返る世界。空気も、音も、光も、時すらも置き去りにして、魔法陣に吸い寄せられるように夜が収縮する。さながらブラックホールのように思えるそれも、これから起きる破壊の前置きに過ぎない。

 

 

 

 

 

穿て!! 〈爆裂魔法(エクスプロージョン)!!!

 

 

 

 

 

 めぐみんの魂に応えた爆焔が、この世界を焼き尽くさんと暴威を振るう。膨大な魔力を糧として生み出された爆音は、アルターシルビアの断末魔を容易に飲み下した。朝日よりも眩しい熱は、夜の終わりを告げる号砲。雲を裂き、闇を晴らし、留まるところを知らない太陽はこの世界に光明をもたらす。

 

 

 

「「いっけぇぇぇぇええええええええ!!!!!」」

 

 

 二人の意志に呼応するように、この里に残された全ての魔力を注ぎ込まれた爆裂魔法は山を削り、地盤を掘り返し、破壊の二文字をこの世界に刻み込む。どんなチート能力でも、どんな魔法でも越えられない、唯一無二の“人類最大威力の攻撃手段”。込められた想いの力は不可能を可能にし、常識なんてものを簡単に覆してしまう。魔力の残滓がキラキラと、彩度を失った世界を鮮やかに彩る。

 

 そして響く轟音と、それに相応しい衝撃波。

 

 かつての荒れ果てた里を更地に変える大魔法は、煙の向こうから二度とシルビアの姿を映すことはなかった。細胞の一つ、変異した歴史の一遍すら残さず忘却の彼方へと葬り去った業火は、この世界からアマゾンネオの痕跡を全て焼却し尽くしたのだ。取り戻された元の世界に空気に、カズマは懐かしさすら感じた。

 

「ふぅ……。最高に……気持ちよかった……デス」

 

 力を使い果たしためぐみんは、爆裂魔法の余波に煽られる形でその場に仰向けで倒れ込む。立ち上がる余力などは少しだって残されておらず、指一本さえまともに動かせない。

 

「おつかれめぐみん。ナイス爆裂」

 

 サムズアップでもしてやりたいところだが、同じく仰向けで転がるカズマもまた身動き一つ取れないほど疲弊していた。腕輪は付けているが魔力は少しだって流れてこない。全員の力を使い切ったのか、それとも腕輪の故障なのかは定かでは無いが、エリス様に会える機会が一つ減ったことに安堵と少しばかりの寂しさを覚えていた。疲労からうつらうつらと船を漕ぎ始めたカズマに、同じく眠気に襲われ始めためぐみんが問いかける。

 

「……カズマ。今日の爆裂魔法は、何点でしたか?」

 

 わざわざ聞かなくてもわかるだろう。これまでで最大の威力、最高の破壊力、それでいて撃ち終わったあとの清々しさ。世界を救った一撃に、全ての想いを込めた究極の一撃に、送る賞賛はいくら並べても言葉では足りない。だからこそ、カズマは一言だけ言った。

 

「百二十点!」

 

 抗い難い微睡みに身を任せ、カズマはそこで意識を手放す。憂いなどは何も無く、残ったのは晴れ晴れとした気持ちだけ。寄り添って眠る二人の姿は、連れ帰りに来たソウゴがカメラを持っていないことを悔やむくらいにはとても幸せそうな顔をしていた。




「刮目せよ! これこそが神に与えられし聖剣の力! 人に創造された貴様ら紅魔族など、前時代の遺物でしかないことを知れ!」

「これが神に選ばれた勇者……! なんて力だ……!」

 剣を振るう男、ワカトミは切っ先をみっどしーに向けるとニヤッと笑う。フルプレートアーマーを着るソードマスター、ワカトミ。魔法を両断し、斬撃を飛ばす剣士などこの世界に存在しない。その直感が、彼が神が遣わした勇者であると確信させた。

「紅魔族など古い! 魔王を打倒するのは我だ。魔王城解放の鍵であるこの女は頂いていくぞ」

「いやっ! 助けてみっどしー!」

「かなきゃん! やめろ、彼女を離せー!」

「ふん! この女を救いたくば――



―――――
―――




 コンコンコンっ、とドアを叩く音でイグニスは本を閉じた。少々熱中していたためか目に疲れを感じる。仕事の息抜きとして貰い物の本を読んでいたというのに、疲れが溜まっては元も子もない。眉間を解しながら「入れ」と言うと、扉の向こうから恭しく高齢の執事が姿を現した。

「読書中失礼致します旦那様。おや、その本は……」

「ああ、この間ララティーナが気分転換にと置いていったものだ。こういうものも偶には悪くないな。……それでハーゲン、何か用があったんじゃないか?」

「はい、旦那様。実はララティーナお嬢様の冒険仲間であるサトウカズマ様宛に手紙が届いておりまして……」

「冒険仲間? どうして直接ではなく我が家へ?」

「それが……」

 言い淀む執事・ハーゲンはイグニスの座る机にそっと一通の手紙を置く。一見しただけで、それが上質な紙を使ったものであるとわかる。その上見たことがある刻印に、見慣れた達筆な筆跡。これは王国が対外向けに頒布する際に書かせるお抱え書記の文字だとイグニスはすぐに勘づいた。
 慌てて手紙を拾い上げ、中に目を通す。最後まで黙読し終えたイグニスは、背もたれに体重を預けるとふーっ、と息を吐いた。

「……明日、ララティーナとそのお仲間全員をうちに呼びなさい」

「はい、そのように」

 ハーゲンはまた恭しく頭を下げるとさっと部屋から出ていってしまう。一人残されたイグニスは、貰い物の『紅魔黎明記』の表紙を撫でると楽しそうで、それでいて少しばかり疲れたような顔をする。

「あの子に冒険仲間ができてからというもの、本を読む暇もないな」

 今日はもう寝よう。イグニスはそう思った。
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