カズマの朝は遅い。
太陽が高い辺りまで昇り、もう昼に差しかかろうかという時間にようやく起床。そこから執事のハイデルを呼び今日の予定を確認、その後ほとんど昼食のような朝食を部屋で摂る。食後にはシーツの取り替えと部屋の掃除のために来たメイドのメアリーにセクハラを行って時間を潰し、着替えを終えると勉強や稽古が一段落したアイリスのもとへ行って一緒に昼食。そこからアイリスと遊んだり、やってみたいことを聞いてそれを叶えたり、レインが教える稽古事を邪魔したり、カズマが思いついたイタズラを一緒にしてクレアに叱られたりと、その日その日で気ままに過ごす。そして夕食の後は興味があるのか監視なのか、後者に比重が傾いているであろうクレアとレインも交えてカズマ本人や仲間たちの話をちょっといい感じに誇張して語る。それが終われば一日の活動は全て終わり。実に有意義な一日だったと、日々白く冷たくなっていく城勤めの人達からの視線を気づかなかったことにして夢の中へと落ちていく。
こんな毎日が、まだ当分は続くと思っていた。
(……おっ。そろそろメアリーがルームメイクに来る時間だな)
ガウン姿で食後のコーヒーとお菓子を優雅に楽しみながら時刻を確認すると、もうそろそろアイリスのお勉強の時間が終わる頃だった。連日カズマがセクハラをするせいでこの部屋の担当メイドであるメアリーはカズマの部屋の清掃を一番最後に回していて、だいたいいつもこれくらいの時間になるのだ。理由は、カズマがそろそろこの部屋を出ていくから。カズマが同じ立場なら部屋を出たのを確認してから掃除を始めるが、王族の前を汚れ物を持って通ったりできないらしく、アイリスが万が一にもこの部屋にやってくることを考慮し先回りして仕事をするのが王宮務めのメイドの仕事なのらしい。ただもてなされるだけのカズマはその話を本人から聞いて、お城のメイドさんというのは大変なんだなと感心させられた。まあ迷惑がられているからといってカズマが控えるなんてことは無いのだが。
(じゃ、俺もそろそろ準備しとくか。今日は何して遊ぶかなー)
これだけカズマが好き勝手できるのも“王女様の客人”という肩書きのおかげである。この仰々しい肩書きは最弱職の冒険者でさえ非常に強力な庇護を与えるらしく、何をしても(クレアやレインを除いて)面と向かって怒られるようなことがないのだ。もちろん姑息なカズマは例外的に一発退城をくらいそうなボディータッチやメイド服の布面積を減らさせるなんて安直なセクハラはしない。そんなことよりも恥ずかしいセリフを復唱させたり、ミスに対するお仕置と称してなじったり、着替えを手伝わせたりしたときのほんのり赤面するマトモな女子っぽい姿からしか得られない栄養素があるのだから。
今日もめいいっぱい、メイドさんの仕事に支障をきたさないギリギリまでおちょくろうなんて下らないことを考えベッドに潜り込むと、タイミングを計ったかのようにコンコンといつも通り扉をノックする音が聞こえた。
「遠慮せず入るといい、メアリー」
カズマの応答に、ガチャリと重々しく扉が開く。
昨日は確か、上半身裸でダウンケットを被り自分が今どんな状態でベッドにいるのか当てるゲームを強要したはず。カズマだって恥ずかしいのでちゃんと下のズボンは履いていたのだが、カズマなら本当に全裸を見せつけにきてダウンケットを奪い取った自分に言葉責めしてくるかもしれないという猜疑心からメアリーは中々シーツを回収できずにいた。ネタばらしした後何を考えていたのかと問い詰めた時の彼女の赤面はとても良かった。バニルが悪感情を食べるためにたまにおちょくってくる気持ちがうっすらと分かったほどに。今日もああいう色物共とは違ったマトモな女性の反応が見れると、カズマは意気揚々と扉の先にいるであろうメアリーに向けて口を開いた。
「やあメアリー、いつもご苦労さま。だがこの俺が簡単にシーツを取り替えさせると思うなよ? 手早く交換したいなら、今日はこう言うんだ。『ご主人様。どうかわたくしめにご主人様の香りの付いた……」
「「「「…………」」」」
「しー……つ…………」
「「「「……………………」」」」
「………………………………」
開いた扉の先にいたのはメイドさんではなく、ドレスで着飾りはしているものの今まで見たことがないくらい冷ややかな視線を向けてくる真顔の仲間たちだった。
⏱⏲「香りの付いた……なんだ? 続きを言ってみろ。セクハラはお手の物だろう? ここにいる全員で聴いてやるから大きな声で言ってみろ。ほら、言ってみろ。香りの付いたなんだ?」「…………なんでも、ありません」⏲⏱
「クレア殿から詳細は聞いている。着替えろ。帰るぞ」
仁王立ちのダクネスは、ドレス姿でも有無を言わせぬ威圧感を放ちカズマにそう告げた。
「断る。お前は王女様の剣術指南役かもしれんが、俺は遊び相手役兼お兄ちゃんに就任したの。一生ここで暮らすって決めたの」
しかしそう簡単に折れるつもりのないカズマは、ベッドの上でガウンのまま胡座をかきふんぞり返っていた。
「たわけが! アイリス様の兄上にはジャティス様がいらっしゃるし、そもそも王宮に遊び役なんて役職存在するか! ふざけてないでとっとと着替えろ! 私が剥いてやる!」
「おおおい離せよ! そんなに俺の裸が見たいならそう言えよ日照りクルセイダー! だいたい、なんでお前らがここにいるんだよ! ここは俺の聖域だぞ!?」
「何が聖域だ馬鹿者め! 私たちがいる理由なんて、お前を連れ帰りに来た以外にないだろうが! めぐみんなどお前の身を案じて夜も眠れなかったのだぞ!!」
「そ、そそそそこまでではありませんよ!!?」
「そんなこと知るか! 俺はここでアイリスの遊び相手として残りの人生面白おかしく暮らすんだ!」
「アイリス様を呼び捨てとはこの大うつけが……っ! そんなに望むなら力ずくで連れ帰るだけだ!!」
「上等だやってみろ! 絶対に一歩も動かないからな!」
慌てて否定するめぐみんなど目もくれず、テコでも動く気のないカズマは子どもみたいな主張を振り回してベットにしがみつく。せめてもの抵抗のつもりなのかもしれないが、対する相手との筋力差を考えず逃げもしない後手に回ったのは致命的な判断ミスだった。カズマくらいの骨なら簡単に砕けてしまう握力でわからず屋の阿呆の手首を捻りあげるダクネスは、痛がるカズマを力任せにベッドから引きずり下ろし、そのまま床に叩き伏せると流れるような動きでハンマーロックを極めた。
「あぎゃーーーーッッッ!!!!」
「おいおいカズマ。少し遊んでいただけで随分と鈍ったんじゃないか?」
「見ない内にお前の腹筋が余計に割れただけいぃだだだだぁーーッッ!! ギブギブ! ひ、人が教えた関節技を悪用しやが嘘嘘やめろ折れる折れるぅぅぅーっ!!」
「わ、私の腹筋はそこまで割れていない!! そんなことより、さあ諦めてさっさと帰るぞ! これ以上お前がアイリス様に悪い影響を与える前に!」
「アイリスはあれでいいんだよ! 子どもなんて好奇心のまま動いてやらかして大人に怒られて成長すんの! 性格だって前より明るくなったし自分の気持ちにも人の腕はそっちに曲がらないだだだぁぁあッ!!!!」
「いいわけあるか! 聞けばお前が使うような搦手を覚えてしまったり、レイン殿を丸め込めるほど口が上手くなっているそうではないか! 変なことばかり教えこみよって!」
「王女様が交渉上手になることはいいことだろ!? 情操教育は早いうちから始めておく方がいいだだだもげるもげる俺の肩ぁぁぁあッッッ!!!!!!」
上を取られたカズマにできることと言えば触れている手からの〈ドレインタッチ〉しかないのだが、効率よく奪える心臓から遠い上に無尽蔵の体力と耐久性を持つダクネスには全く効いておらず、なんなら痛みの度に集中力が途切れるためスキルの発動すら困難になっていく。以前食べた霜降り赤ガニの気持ちに共感しながら空いた手で床をタップするが、「帰る」と言わなければこの拘束は緩められることはないだろう。助けを求めようと仲間たちを探すが、当のソウゴたちは長丁場になると踏んだのか、それとも呆れてしまったのか。三人共がソファに腰をかけて、控えていたハイデルに淹れてもらったと思われるお茶やコーヒーと共にお菓子の残りをつまんでいた。
(アイツら呑気に茶なんてしばきやがって……!!)
緩むことの無いダクネスの手により筋だの関節だのが盛大な悲鳴を上げ、痛みという危険信号を脳に直接叩きつけてくる。それはもう、薄情な仲間たちにふつふつと湧いてきた怒りが簡単に霧散してしまうほどに。もういっそ〈窃盗〉で服を全部剥ぎ取って全裸にしてやろうかと思った時、開きっぱなしになっていた扉から助け舟がやってきた。
「……あの!」
ギャーギャーとカズマが騒いでいても、その声でピタリと部屋の中が静まり返る。言葉に力があるからか、それとも耳障りのいい声に秘密があるのか、人の注意を引きつける魅力のある声がダクネスの拘束を緩めた。
「アイリス様……」
カズマの身を案じているのか、ダクネスとカズマのやり取りに割って入っていいものか悩んでいるのか、アイリスは部屋に入って止めるわけでもなく不安げな表情で様子を伺っているだけだった。彼女の後ろで控えているクレアが少しスッキリしたような顔をしているのは一旦置いといて、カズマは優しい妹分の登場に胸を撫で下ろす。
「ど、どうしたんだアイリス? 大丈夫だぞ。俺はこんな腹筋バキバキ女に負けたりしないからな?」
「だ、誰が腹筋バキバキだ!! ……アイリス様、この男を甘やかしてはいけません。アイリス様はお知りでないかもしれませんが、こやつは女と見れば風呂を覗きスキルを使えば下着を盗む、そういう男なのです。私が責任をもって連れ帰りますゆえ、どうかこの男のことは淡い夢だったとお忘れください」
「でも、その……」
「おい、アイリスを困らせんなよ! 平気だからなアイリス。この恐いガチムチクルセイダーにはお兄ちゃんがすぅ~ぐに帰っていだだだだッ!!!」
「貴様は兄ではないと何度言わせる!? 言われて分からないなら、いっそこのまま……!」
「あ、あの……っ! ……やめてあげて、ララティーナ」
もごもごと歯切れ悪く、胸の辺りで指をまごつかせるアイリス。彼女の何かを訴えかける目とはばかられるような仕草に思うところがあったのか、驚いたように目をぱちくりとさせるダクネスはカズマを見下ろし、その後気の抜けたような短い息を吐いた。目を見合わせるカズマもダクネスの言わんとしていることがわかるのか騒ぎ立てるのをやめると、立ち上がったダクネスはアイリスの目線と並ぶように腰をかがめた。
「アイリス様。この者はアクセルの街に屋敷があり、それなりに名の通った冒険者でもあります。かの街にはこの者の友人もおり、姿を消せばもちろん心配する声も上がります。かく言う我々も、この者の身を案じて参上したのです。……なのでどうか、この者を解放してやっては頂けませんか?」
ダクネスの言わんとする事を理解したアイリスはほんの少し悲しげに眉を下げると、遠慮がちにソファに座る三人へと視線を向ける。この部屋の空気など気にすることなくパクパクとお菓子を口に放り込むアクア、コーヒーを口に含み成り行きを静かに聞くソウゴ、そしてただじっとアイリスを見つめるめぐみん。お話の中でしか知らない彼らを見比べた後に柔らかい目で微笑むダクネスへと向き直ったアイリスは、目を伏せると諦めたようにこくりと頷いた。
「……わかりました。ワガママを言ってごめんなさい」
⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱
「はぁぁぁぁぁ~~~~…………」
「随分大きい溜め息だね、カズマ」
「……もうちょっとさぁ、アイリスが粘ってくれるかなってさぁ」
「そりゃダクネスに、カズマを独り占めしないでって言われちゃあね」
「そんないいもんだったかね、あの街は。苦労した思い出と後ろ指さされた記憶しかないんだが」
「みんなが心配してたのはホントだよ? ダストとか、バニルとか」
「前者は金の無心、後者は取引相手だろ」
ネロイドが入っているのかシュワシュワと気泡を浮かばせるワインを片手に、ソウゴは部屋の隅で膝を抱えるカズマの隣に並ぶ。ぴちぴちと皿の上で跳ねる活生ハムメロンを頬張るアクアやプリンの軍艦をこれでもかと頬袋に詰め込むめぐみんとは対照的に、何も喉を通らないのかカズマは配られている飲み物すら少しだって減らした形跡は無い。パーティーの作法も知らず悪目立ちしている二人ほど楽しめとは言わないまでも、珍しく意気消沈の様子に首を傾げるのは当然だろう。グラスに口をつけたソウゴは、会場を眺めながらさっぱりとした口調で口を開いた。
「ま、切り替えていこうよ。せっかくアイリスが開いてくれたカズマのためのパーティーなんだし、今はもっと楽しんだら?」
「それについても言いたいことがあるんだが。……これのどこが俺主役のお別れパーティーだよ。どう見たって上流階級様の社交会だろ。俺たちめちゃくちゃ浮いてるぞ」
アイリスが「ならせめて最後にお別れの晩餐会を」と言って急遽開催の決まったこのパーティー。そこには偶然かクレアの嫌がらせなのか王族の遠縁や王都に在中している貴族たち、そして武勲を挙げているという話の有力な騎士や有名らしい勇者候補など住む世界の違う知らない連中が雁首を揃えているそうで、そんな彼らに囲まれている大人気なダクネスは猫を被ったご令嬢の振る舞いでおほほと笑っている。
対して、名前が売れているわけでもない半分都市伝説のような存在のカズマたちは、ひそひそと噂の的として遠巻きに見られ居心地が悪いだけ。純粋なアイリスが向けてくる好奇心と違って、貴族からの見下したような好奇の眼差しというのは不快感が募るだけだった。
「確かに最後くらいチヤホヤしてほしかったんだけどさ。動物園のパンダみたいな扱いはなぁ」
「まあ、そういう視線は気にするだけ損だよ。カズマの場合は自業自得なところもあるけど」
「ほんのちょこっと好き勝手しただけなんだけどな」
「それだけ開き直れるなら平気そうだね。一応お城にいられる最後の日になるんだし、悔いがないようにしなよ」
「悔い、ねぇ……」
悔いというか、心残りが無いわけではない。あの寂しそうな王女様をまた一人にしてしまうということだ。アイリスとまた会おうなんて考えるのなら、それはきっと魔王軍幹部を新たに倒した時か、デストロイヤーくらいの戦果や功績を挙げたときになるだろう。ソウゴの目的のためにライドウォッチを追い続けるならチャンスはあるだろうが、クレアに目の敵にされているというカズマの立場上、直接の謁見よりもダクネスを通じた褒美の授与か、なんなら使者を使ってのやりとりになる可能性も高い。
おそらく今夜で、
だって、夢が覚めるだけなのだから。
「……別に、無いけど」
「そ? まあよく考えなよ。言ってくれれば協力するからさ」
「協力って……。……じゃあ……いや、やっぱなんでもない」
「カズマも人の事言えないくらい素直じゃないよね」
そう言ってへらへらと笑うソウゴは手に持っていたドリンクを飲み干すと、近くに立っていたボーイに自然な仕草でグラスを渡す。そして彼が持っているサルヴァから同じ飲み物を拾い上げると、ひらひらと後ろ手に手を振って人混みへと歩き出した。
「じゃ、俺そろそろアクアとめぐみん止めてくるよ。ダクネスが見かねてそわそわしてるから」
「お、おう……」
いつも通り心の内なんて見透かしたように笑うソウゴの背中が、カズマには少し羨ましく思えてしまう。きっとあれくらいなんでも出来て頭も回って自信もあれば、こんなにうじうじと悩むこともなかったのだろうか、と。無い物ねだりなのはわかっているのだが、隣の芝生が青く感じてしまうのは王女様も平民も同じということだと、自分を納得させるため言い聞かせてもモヤは中々晴れてくれない。
「……ちょっと、夜風に当たってくるか」
ボーイに押し付けられたドリンクをテーブルに放置して、カズマは誰に断るでもなくひっそりと会場から抜け出した。
⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱
夜はアイリスとのお喋りが済めばすぐに寝てしまっていたため、王都の夜景がこんなにも美しいとは思っていなかった。人の営みが作り出す地上の星々は燦然と煌めいていて、微かな空の瞬きをうっすらと見劣りさせてしまう。どれだけ必死に輝いても、より大きな光に掻き消されてしまうのは人も自然も同じこと。それでも唯一輝きを損なわない月だけが、本当の意味で夜を照らしているのだ。
なんて、柄にもなくセンチメンタルな気持ちでぼんやりと遠くを眺めていると、コツコツという足音が背後から近づきカズマの隣でピタッと止まる。
「こんなところでどうなさったのですか、お兄様?」
「アイリス。……なんでもないよ。ただ、この景色も見納めだからちゃんと見とこうかなってな」
「そうでしたか。晩餐会はいかかですか? 楽しまれていますか?」
「もちろんさ。アイリスが俺のために開いてくれたパーティーが楽しくないわけないだろ?」
「それはよかったです! お食事はお召し上がりになりましたか? お兄様がこの前美味しいと言っていたリザードのハンバーグや、他にも活きのいいメロンもありまして――
楽しそうに笑うアイリスを見て、頬を綻ばせるカズマ。この一週間でよく笑うようになった彼女は、ゼロではないが最初の頃の諦めたような笑みを浮かべることも少なくなり、かなり自由になったように思う。最近はちょっとカズマのことを舐めているのかゲームなどをすると明らかな舐めプをしてくることがあるが、それもまあ、懐いてくれる代償だと思えば安いもの。
(……いや、そんなことないな。ここらで一回兄としての威厳を取り戻しておくべきだ。ボードゲームもカードゲームもまだ見せてないイカサマはあるし、明日勝負する時には不意を突いて……)
そこまで考えて、カズマははたと気づいてしまった。もう明日にはアクセルの街に帰って、この少女と日課のようにしていたイタズラもゲームもない、アイリスのいない日常に戻るということを。初日はあんなにも帰してくれと思っていたこの王女様との暮らしも、結構楽しかったのだ。それはもちろん贅沢な暮らしという部分を抜きにして、アイリスをイタズラに巻き込んでクレアやレインに怒られるあの数日が、もうすぐ終わろうとしている。そんなことを考えたせいなのか、笑顔でカズマに話しかける彼女ともう会えなくなるという実感が急に湧いてきて一抹の寂しさを感じてしまった。
そんなカズマの感情の機微に気がついたのか、アイリスは心配そうに首を傾げた。
「どうかされましたか、お兄様?」
「……ん? あー、いや。アイリスにゲームで勝ち逃げされるのがな。アイリスのクセもわかってきたし、このままいけば俺の完全勝利は確実だったんだぞ。運が良かったな」
「ふふふっ。またイカサマでもするのですか? 気づかないフリをするのも大変なんですよ?」
「言ってくれるじゃないか妹よ。だが、俺だってアイリスがイカサマしてるの気づいてるしあえてハンデとして見逃してやってるんだからな。つまりこれまでの勝負、ほとんど俺が勝ちを譲ってやったみたいなものなんだから感謝しろよ」
「なんですかその子どもみたいな理屈は!? 毎日あれだけ本気で悔しがっておきながら譲ってやったなんて言い分は通りませんよ!?」
「そんなことない。ていうか俺が本気で悔しがってたのっていつの話だ? 何時何分何秒魔王軍が何回攻めてきた時?」
「そういうところが子どもっぽいと言っているのです! もう、最後の最後までお兄様はお兄様なのですから!」
おちょけるカズマにむぅーと膨れて抗議するアイリス。しかしこういうやり取りも慣れたもので、どちらともなくくすくすと笑いが込み上げてきて、堪えられなくなった二人は目を見合わせるとあははっと快活に笑い出す。きっと事情を何も知らない人が見れば本当の兄妹のように思う人もいるかもしれない。それくらい自然で、微笑ましい空気が二人の間には流れていた。
一頻り笑いあったアイリスはうっすらと目尻に滲んだ涙を拭うと、天高く登った月を眺めてぽつりと言葉を零した。
「……この城も、静かになってしまいますね」
「俺が言うのもなんだけど、静かになるのはいいことだろ」
「そうですね……。クレアは誰かさんが起こすトラブルがなくなるので仕事は増えませんし、レインは授業の邪魔がいなくなりますからお仕置用のバケツの準備をしなくてよくなります。城の者たちも私たちのイタズラの後片付けを手伝わなくてよくなりますし、お昼まで寝ている誰かさんがいなくなるので給仕の仕事もスムーズに進むでしょう。メアリーなんて一番ほっとするかもしれません」
「そこまで言われると流石に傷つくんだが……。ていうか、なんでそんな奴に懐いてくれたんだ? 普通嫌われても文句は言えないんだが」
「ご迷惑でしたか?」
「迷惑なもんか。単純にどこをそんなに気に入ってくれたのかなって疑問に思ってさ」
「どこ、ですか。……たくさんありますよ?」
そう言って、アイリスは寂しそうに目を伏せる。悲しそう、ということではない。とても懐かしい記憶を思い出すかのような、それでいて大切な宝箱を開ける時のような、そんな哀愁のあるうっすらとした笑みを浮かべ、ぽつぽつと言葉を零す。
「私、貴方のような方は初めてなのです。皆が
「おい。気に入らないところを言えって言ったんじゃないぞ。気に入ったところはどこだって話をしてるんだぞ」
「ええ、気に入った理由を話しているのですよ?」
にっこりと、幼い顔立ちながらも魅力的に笑うアイリス。ロリコンではないが少しドキッとさせられたカズマが言葉に詰まっていると、また
「本当に、ララティーナが羨ましい。きっと毎日が楽しいんだろうなぁ」
「……」
寂しそうに笑う彼女の横顔を見て、カズマは何も言うことが出来なかった。どんな言葉を紡いでも、きっと気休めにもならないと思ったからだ。夜が明ければ夢の時間はおしまい。切れてしまった縁と覚めてしまった夢に焦がれながら、ワガママを言わない賢い王女様の日々が彼女を待っている。あの顔で笑う毎日が。どちらもあえて言葉にはしないが、アイリスだって分かっているのだ。もう二度と会えなくなるかもしれないということを。
「お兄様。お兄様と過ごしたこの一週間を、私は生涯忘れることはないでしょう。……楽しい時間をありがとう、お兄ちゃん」
アイリスはあの顔で寂しそうに笑う。だから誰よりもワガママなカズマは、どうしようもなくその顔が気に入らなかった。
「……なあアイリス。お前のお兄ちゃんは諦めが悪いって知ってたか?」
⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱
「俺がこの城に残るための知恵を貸してください。神様王様ソウゴ様」
「珍しく素直になるの早かったね」
「そんなことないぞ。俺はいつだって自分に素直だからな」
「よく言うよ」
会場の隅でちびちびとドリンクを飲んでいたソウゴにカズマは、周りの目など気にせず深々と頭を下げていた。カズマの無い知恵を絞っても王城に滞在できるだけの成果をあげることは現状無理だと思い至ったため、元々無いような恥や外聞を気にすることもなく可及的速やかにソウゴの前で頭を垂れることにしたのだ。カズマの頭がそんなに軽いわけではないことを知っているソウゴは、およそ人に物を頼む態度とは思えないくらいふてぶてしい彼に出来の悪い弟を見るような目を向けドリンクを傍らに置いた。
「どういう心境の変化?」
「……俺、まだアイリスからどんな王様になりたいか聞けてないんだよ」
「そっか。そりゃ大変だ」
くすくすと笑うソウゴは、本当に何もかも見透かしたような意地の悪い目をするとキョロキョロと辺りを見渡す。そしてお目当ての人物を見つけたのかサクサクと一人歩いて行くと、歓談中の一グループに向けて会場の全員にギリギリ聞こえるくらいの、それでいて不自然でないくらいの声量で声を張り上げた。
「いたいたララティーナ! すごく探したんだよ。クレアもちょうど良かった!」
「? どうされました、トキワ殿」
白々しくもそんなことを爽やかな顔で宣ったソウゴは、家臣筆頭の二人をファーストネームで馴れ馴れしく呼ぶ自分に観衆の目がきちんと向いていることをさっと目配せし確認する。声をかけられて不思議そうなクレアとは別で、自分のことをララティーナなんて名前で呼ぶソウゴが何かしらやらかす気なのを察した付き合いの長いダクネスだが、危機察知も虚しく止めようとする前にソウゴが話に踏み込んでいく。
「ちょっと聞きたいことがあってさ」
「聞きたいこと、ですか?」
「お、おほほほーソウゴ様。それでしたら後でゆーっくりパーティー仲間であるわたくs「クレアは巷で噂の義賊って知ってる?」お前は本当に私の話を聞かないな!?」
「ちょっと静かにしててダクネス」
客寄せに利用させてもらったダクネスの唇をいつかカズマがしていたように指で押さえ、クレアに尋ねるソウゴ。彼の問いの真意はわからずとも聞き覚えがあったのか、記憶に引っかかったクレアはほとんど条件反射のように返答してしまった。
「ええ、確かに今の王都では素行が悪いと噂の貴族を狙った窃盗事件が頻発していますが……。それが何か?」
「その義賊、アイリスのお願いでカズマが捕まえることになったんだって。だからもう少しカズマをお城に置いといてよ」
「「「は!?」」」
「おいソウゴ俺に何させる気だよ!?」
突然話の中心に連れてこられたカズマがすかさずソウゴへと詰め寄る。突然の作戦発表はまだいいとして、聞いたこともない義賊とかいうのの捕縛を相談無しに決められれば焦りもするだろう。なんなら、そもそもアイリスはそんなことをお願いしていないので偽証もいいところ。嘘だと分かれば王族の名を使い威光を借るという紛うことなき不敬罪なので、最悪首が飛びかねないということはカズマだってわかる。しかし、へらへらと笑うだけのソウゴは弁明する訳でもなくぽんぽんとカズマの肩を宥めるだけだった。
「まあまあ。大丈夫だって」
「お前の大丈夫が俺の考える大丈夫と同じだったこと一度もないんだが!?」
「考えてもみなよ。頻発してるってことは守りを固めていても義賊は貴族の屋敷に侵入して盗みができてるんでしょ? それでいて捕まえられていないってことは手がかりも無いわけだ。そんなのをカズマが単独で追い詰めあまつさえ捕まえることができたら、カズマの実力をきちんと証明できるってものだよ」
「理屈はわかるけども! 何もかもが初耳過ぎるんだって言ってんの!!」
「事前に言ってたら日和るでしょ?」
「その通りだよ!!」
全力で抗議するカズマだが、これが偶然なのかそれともソウゴの読み通りなのか、周りの貴族たちは突然生えてきたカズマに良くも悪くも否が応でも興味を持ってしまう。自分たちが怯えている義賊という厄介な存在を捕まえるなんて言っているのだから。
王族に助けを求めようものなら、自分の所属する派閥外から後ろめたいことでもあるのかと揚げ足を取られること必至であり、個人で対処しようにも限度があると既に被害にあった貴族が証明している。最も厄介なのは撃退しようが捕まえようが、“義賊に狙われた”という事実だけで他派閥から攻撃され内部からも切り捨てられる可能性がチラつくことだ。なんなら王族が何かしら情報を掴んでいれば家宅捜索の後お家取り潰しだって無いとは言い切れない。正しく、貴族たちにとって件の義賊とは疫病神や死神の仲間と言っていい。いつ自分の屋敷がターゲットになって、いつ全てを失うかと怯える悪徳貴族たちには、家臣筆頭二人に対して大見得を切る愚か者を持ち上げない理由がなかった。
「いやはや、素晴らしい! 流石はダスティネス様のお仲間ですな! 正義感がある上に王女殿下からの信頼も厚いとは!」
「その通りですな! もちろん私は賊に狙われるような心当たりはありませんが、義賊とはいえ賊は賊ですからな!」
「ええ、大した若者だ! 当家もやましいことは全くしておりませんが、王都を騒がす賊が捕まるのは喜ばしいことです!」
「えっ、いや、ちょっ……!」
「手がかりもない凄腕の賊を捕らえるなんて、随分大きく出たな……。どんなチート貰ったかは知らんが、お手並み拝見だな」
「魔王軍幹部を倒す最弱職らしいじゃないか。その噂本物か、賭けでもするか?」
「面白いことになってきたぜ。サトウカズマか……。ククク。その名前、覚えておいてやろう」
「なんか変なのまで食いついてきてるんだけど!?」
パーティーに参加していた冒険者たちまで何故か乗り気になって賭けが始まる始末。判断の遅かったカズマでは、もう絶対に断れない混沌とした空気になっていく。遠くで事の成り行きを見守っていたアイリスは一人あわあわとしており、彼女ですらもうこの雰囲気を変えることはできないだろう。おそらく誰に問いただされようとカズマの首を守るため、ソウゴの言葉は真であると言うに違いない。
呆気に取られていたダクネスも、クレアも、もう王女様の客人が王女様の依頼をこなすのに城から追い出すなんて言えないし、王女様の依頼を無視して無理やり連れて帰ることもできない。満足いく方向に大衆が舵を切ってくれたのを見届けたソウゴは、くるっと踵を返して騒がしいパーティー会場の出口へと歩いていく。それをカズマが呆然と眺めていると、振り返ったソウゴはこれまた意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「何してるのさ。行くよ」
「行くってどこに……?」
「決まってるじゃん。義賊を捕まえに、だよ」
⏱⏲「ねえねえダクネス。カズマが受けた依頼ってことは、もちろん私たちが受けたも同然よね? っていうことは私たちもお城暮らしできるのよね? だって私、仲間って苦楽を共に分かち合うものだと思うの。ねえ聴いてるのダクネス? ねぇーってばー!」⏲⏱
「クソッ……! どうしてアイツらがこの王都にいるのだ……ッ!」
扉の陰に隠れて、影から騒ぎの中心を注意深く観察する男。とある計画のためわざわざ遠路はるばる王都まで来たというのに非常に面倒極まりない最大の障害の顔を見たのだ、親の仇のように睨みつけるのも致し方ないというものだろう。しかし、彼が怒髪天を衝いているのはそれほどまでに憎らしい相手を見つけたからでは無い。それは、自分がこそこそと逃げるように隠れなければならないという自尊心を激しく傷つける屈辱からだった。貴族であり、領主であり、全てが思いのままにできる自分が、まるで狼に怯える子うさぎのように逃げなければならないという事実が、彼の中のどす黒くどろどろとした憎悪をたぎらせる。
そんな彼の視線に気づいていないのか、一番面倒な敵は取るに足りない小僧を引き連れて会場を出ていく。会場は既にいなくなったというのに彼らを担ぎあげるための賛辞に溢れており、それが本心からのものでないとわかっていても嫌いな人間が褒められていれば腹が立つのが人というもの。浮かれた青髪のアホ面が自分の所有物に気安く話しかけていることも、黒髪のイカレ娘がわーきゃーと騒ぎ下品に食事をしていることも、アルダープという欲望のままに生きる男にとっては神経を逆撫でされるような激しい怒りがふつふつと湧いてくるシチュエーションであった。
「忌々しい、トキワソウゴ……!」
憤怒のままに固く握り締めた拳を、自らの気持ちを発散させるために近くにいた下僕に振るい落とす。その拳は防御する仕草すら許されていない下僕の頬をいとも容易く狙い撃つ。ゴキュッ、という嫌な音と共に呆気なく床に伏した下僕を今度は躊躇いなく踏みつけながら、アルダープは吠えた。
「シロッ! ワシはッ! いつまでッ! これほどの侮辱をッ! 受け続けねばッ! ならんのだッ!」
「……もう少しの我慢でございます、領主殿」
「もう少しとはいつだッ! 毎回毎回同じ返答しかしないくせにッ! 何が少しだッ! 貴様もッ! マクスもッ! ワシの望み一つろくに叶えられんグズどもがッ!!」
ガンッ、ガンッ、と気が晴れるまで
まるで自分が、王様になったかのような気分にさせてくれるから。
「ふぅ……。まあいい。ワシはララティーナへ挨拶をしてくる。お前はそこで、誰にも見つからず控えていろ」
「……承知しました、領主殿」
一頻り足踏みを終えたアルダープは、スッキリした顔で襟元を正す。よろよろとした仕草で膝を折り、恭しく頭を垂れ直す下僕。その姿に満足したのか、アルダープは数分前までとは打って変わって機嫌良く会場へと足を向ける。一歩、二歩、三歩進んでから、しかしアルダープは立ち止まり、また下僕へと振り返る。
「貴様のせいで靴が汚れたではないか。拭け」
「…………仰せのままに、領主殿」
夜は、深まっていく。
トキワさんへ
いつもギルドが持て余しているクエストを消化して頂きありがとうございます。サキュバスさんたちのお店の割引券を配布したり、酒場で使える金券を配布したりしているのですが、高レベルの皆さんはお金に余裕があると危険な仕事は受けたがらなくて……。ですが、最近だとカズマさんたちの活躍に触発されてやる気のある新人の冒険者さんがたくさん増えているんですよ! この調子で、トキワさんたちに頼りきりにならないよう努めます!
つきましては、冒険者さんたちが意欲的になってくれるような特別褒賞の相談に乗って頂けると……。いつでも構いませんので、ギルド職員一同お待ちしています。
追伸:催促ってわけじゃないんですよ? お忙しいのは重々承知しているのですが、その……。設けていただけるというお話だった出会いの場って、どうなりそうですか……?