アサルトリリィ BOUQUET ~if~ 作:クロスカウンター
フミは、洗面台でハンカチを
そもそも、ハンカチっていつ咥えるんですかね? 手を洗う直前? でも、手を洗う直前にハンカチに触るのも……。かといって事の最中にずっと咥えているのも何か違いますし……。
まぁ、華がある人と言うのは、そもそもそんなことに拘らないのだろうと思う。生まれながらのスターリリィたちは持っているものが違うのだなぁと落胆半分、諦め半分……。
フミは首を振った。
いいえ、彼女たちのような完璧なリリィでなくとも、自分を強みを生かした立派なリリィになればいいんです!
憧れのリリィの言葉『極端なリリィになりなさい』。その言葉を胸に、戦術理論を学び、文献を読み漁り、ついに百合ヶ丘の門をくぐった。自分は天才ではない。それでも、一つを磨いて尖らせれば、どこかに刺さるオンリーワンにはなることができる。
こんなところで落ち込んでいてはいけない。落ち込んでいる暇はない!
……というか、いつまでもハンカチを咥えている場合ではない。やっぱり、この姿はどこか間抜けである。
多少
マズイ、私のカッコ悪い姿が白日の下に……!
フミは呑気だった。あまりに呑気すぎた。
反射的に入口に向き直り、入ってきたリリィを見て。フミは、ハンカチを口から落とした。
白い大きな傘。この室内で、顔も見えない程の大きな傘を差したリリィが、そこに立っていた。リリから聞いた不審人物。
小沢
フミはチャームを起動しようとして、食堂に置いてきたことに気付く。咄嗟に、タイを武器代わりに構える。
私はバカですか……! 不用意すぎる。片時も手を離してはいけない自分の手足、相棒。僅かな時間とは言えチャームを手放すなど、リリィ失格だ。
「あらあら。随分な挨拶でございますね」
その丁寧な口調とは裏腹に、そのリリィから異様なプレッシャーを感じた。しおりのとも違う、ユユの刺すような気迫とも違う。
フミは鷹の目を使い、傘の下を覗いた。ご丁寧に、大きな帽子でその素顔を隠している。その口元が、笑みの形に歪んだ。
愉悦。
敵意ではない。遥か優位からこちらを見下す優越感。何をしてくれるか遊び感覚で伺う好奇心。
間違いなく実力者である。そのプレッシャーは並の使い手でないと一目でわかる。しかし、その性質は善ではありえない。
フミが相対してすぐ臨戦態勢を取るほどには、異様。目の前の人間は、まともな人物ではない。
「アクサ・
そんなリリィ、聞いたこともない。
明らかな偽名。大きな傘、帽子、お嬢様口調、そして異様な雰囲気。間違いない、目の前の人物は、
フミは大声を出そうか迷い、すぐに諦めた。フミは混雑を避け、食堂から一つ離れたトイレに来ている。一つ離れるだけで、殆ど人とバッティングしない。ここは鏡の自分と睨めっこできる
チャームを手放したリリィなど、一般人と殆ど変わらない。増援も助けも期待できず、加えて入口を敵に塞がれている現状は、あまりにも劣勢。
「……」
狙われたのだろうか。チャームを持たず、不用心に
だとしても、何とかするしかない。使えるのは、制服に備わった武装機能だけ。それを活かして、何とかこの場を
「目的は、一体何ですか?」
フミは、微妙に構えを変えつつ【謎のリリィ】に問いかけた。
「目的? なんのことでございましょうか」
【アクサ・
「
ちらりと傘を上げ様子を伺う、その目元に向けて勢いよく何かが飛び込んでくる。
……リリィの使う日用品は、マギと相性の良い銀が編み込まれている。リボンも、制服も、そしてハンカチも。
フミは、足元のハンカチを蹴り飛ばしていた。
このリリィは絶対に自分の名を呼ぶと思っていた。リリのことを知っていた、名前も顔も、ユユ様とシュッツエンゲルを結んだことも。情報ソースとしてリリィ新聞を使用していた可能性は高い。当然、編集者たる二川二水の存在も知っている筈だ。
そして絶対に、この人は名前を呼んだ瞬間、傘を上げると――不意に名前を呼ばれた自分の反応を見逃しはしないと――フミは確信していた。
咄嗟に傘で防御する【ウドク】、その隙に制服から装備を外し天井と床に投げつける。閃光弾。辺りが眩い光に覆われる。
フミは靴を脱ぎ、駆け出した。
鷹の目。閃光で敵が視界を失っている数秒が勝負だった。この場所から抜け出すのは不可能に近い。入口は襲撃者に塞がれている、窓は遠すぎる上、チャームなしではとても壊せない強化ガラス。ゆっくり鍵を開けている暇などなく、そもそもこの数秒では窓にたどり着くことすら困難。
フミが向かったのは、トイレの個室だ。死角となっていて、一見どこの個室にいるか分からない。物音を出さぬよう、しかし急いで飛び込む。両手を口に当て息を殺す。
鷹の目で状況を確認する。傘は飛ばされ、部屋の角に落ちている。しかし素顔は帽子に隠され、
【ウドク】は、フミの靴を確認し、そして天井に目を
溜まっていた埃が、脱いだ靴の上に降り注ぐ。最初に天井に投げた閃光弾だ。それが天井の点検口をこじ開けた。
もしかしたら、そこに逃げたと錯覚してくれるかもしれない。もしかしたら、それで追跡を諦めてくれるかもしれない。
それは楽観的な思考だったが、玉砕覚悟で不意打ちするより、遥かにマシな戦略だった。仮に個室に逃げ込んだと考えたとして、どこに逃げたまでは分からない。不意打ちのチャンスは、まだ残されている。
フミは高鳴る心臓を抑えつつ、唇を噛んだ。
できれば、もっと奥の個室に入りたかった。相手の出方を伺うため、もう一つか二つ奥の個室に入りたかった。しかし、フミはそこに隠れるのが精一杯だった。
祈るように息を殺す。
どうか、諦めてください……。
もしもこっちに来られたら、ほぼ丸腰の自分が勝てる可能性など万に一つもない。それでも、何とかやるしかない。飛びかかる覚悟はある。しかし、そんな絶望的な戦いなどしたくなかった。
そんなフミが可笑しくてたまらないといった顔で【ウドク】は笑った。
「貴方、純粋なお方でございますね」
くるりと、二番目の個室を――フミのいる個室を――『見て』話しかけられ、フミはバクバクと心臓を加速させた。
どうして!?
個室は7つある。当てずっぽうにしても、あまりに的確過ぎる。
「俯瞰視野」
フミは、冷や汗をかいた。
「自分だけだとお考えでございました?」
楽観的すぎた。あまりに想定が甘かった。相手も俯瞰視野を持っている可能性など、全く考慮していなかった。
圧倒的優位に立って、【ウドク】はころころと笑った。
「足音を隠すためでございましょうか。お便所で
しかし。
「しかし、それでこの点検口を開く意味は分かりませんわ。だって、点検口に逃げ込むのでしたら、どうしてここにお靴があるのでしょう? 天井に跳んだのでしたら靴をお脱ぎになりませんよねぇ? 脱いだとして、このように綺麗に揃えて参りませんね? 育ちの良さが出てしまわれましたね! いえ、所帯じみていると言うべきでしょうか? 平凡、一通り、凡庸。手の平から逃げられないお猿さん、発想が貧弱、器が小さい……。視野の狭い『鷹』なんて莫迦莫迦しくございません?」
フミは、その
……いや、こんな揺さぶり聞いてはいけない。
どちらにしても、俯瞰視野で全てバレていたのだ。帽子越しの口は、愉悦に歪んでいる。明らかに、フミの反応を楽しんでいる顔だ。
考えるべきはこれからのこと。俯瞰視野を得られるスキルは、鷹の目、レジスタ、あるいはそれらのサブスキル。
……最悪のパターンは、鷹の目でS級・ターゲッティング(弱点看破)を持っている場合。それはデュエル世代の花形スキル。彼女がその手の猛者であれば、万に一つどころか、逃げ切れる見込みはゼロだ。
それでもやるとしたら……不用意にやってきたその瞬間だけ。
もちろん、それは向こうも承知している。手の内がバレた不意打ちなど自殺行為だ。それでも、手元に残されたカードはそれしかない。その時が来たら、覚悟を決めるしかない……。
しかしそれすらも甘い見通しであると次の瞬間に思い知らされた。
フミの耳に、チャームの変形音が届いた。―――銃撃モード――
(そんな、チャームを持っていない相手に銃撃……?!)
それはあまりに無慈悲だった。確かにその方が確実には違いない。しかし圧倒的優位に立っている人間が、足掻こうとしている人間に取る策としては、あまりに有効で、あまりに容赦がなかった。
弾丸の速度は音速を遥かに超える。チャームを持っていない今のフミでは、当たれば即死は免れない。
フミは、弾かれたように立ち上がる。そして、制服の
「待ってください!!!」
フミは声を張り上げる。
「この二川二水!! 逃げも隠れもしません!!」
気合を入れ、覚悟を決めたように、姿を現した。
緊張で、息が震える。手足が震える、それを必死で抑えながら、相手を見据える。
「確かに私は……凡才です。楓さんのような華麗な戦術も、シェンリンさんのような大局的な見方も真似できません。……それでも……それでも! 立派なリリィになるって決めたんです!! こんなところで負けていられません!!」
右手にマギを通したタイを持ち、左手にぐるぐると制服の切れ端を巻いて。腰を深く落とし、刺突の構えを取る。
「手合わせ願います。射撃ではなく、斬撃モードでお相手いただけますか?」
しかし、相変わらず、彼女は銃口を向け続けた。
「言い残すことはそれだけでございますか?」
彼我の距離は5m、しかも狭い通路。外す方がおかしいシチュエーション。あえて射撃モードを解くメリットは全くなかった。
フミは、個室の壁を殴りつけた。
「構えろっつってんですよ!!! チャームもない小娘に何怖気付いてんですか!!? 構えろ!! 私に力を見せろ!!」
フミは、一直線に突っ込んだ。【ウドク】は、チャームを斬撃モードに切り替えた。
フミはその瞳に炎を灯した。
繋がった。繋がった! 銃撃されていたら、確実に死んでいた。しかし、戦ってくれるなら……可能性はゼロじゃない……!!
【ウドク】はそれを見て、口角が上がりっぱなしだった。『イト』が見えていた。制服のスカートから伸びた糸が、個室の扉に引っかかっていたのがありありと見えていた。薄く、それと注意していなければ分からないが、それに気付かぬほど間抜けではない。
先程、壁を殴っていた。あれはフェイクだ。恐らく、糸の先には閃光弾が繋がっている。そこにマギを流す為に、激昂している振りをした。
その証拠に、壁を殴ったワンテンポ後に突っ込んできた。そしてその顔。その笑いは、空手で突っ込む人間のそれではない。
0.1……0.2……そろそろだ。突然、閃光弾が光る筈だ。それを見て驚き動きが止まる、その隙に一撃を入れ入口から離脱する。それがフミの筋書きに違いなかった。
浅はか。底が知れる。手の内がバレた不意打ちなど自殺行為。心中なさい。その矮小さと愚かさが紡いだモノに絶望しながら♪
0.3……0.4……0.5……。
………………。
おかしい。
何故だ。爆発しない……? 閃光弾ではないのか?
ミス……? フェイク? あり得ない。足取りに乱れがない。他に手立てもない。あり得ない。無策などあり得ない。何を間違った。何を計算に入れ違えた? 目の前の小娘は何をしようとしている?
【ウドク】は、初めてその表情から余裕を消した。その目前にフミがいる。圧倒的優位に立っていた筈が、この1秒未満の間に……この1秒未満の間だけは、勝負の
フミの突きを紙一重で
腹を突き破るような衝撃と共に、フミは吹っ飛ばされる。胃液と紅茶が逆流する、苦しい、気管に入る、苦しい、むせる、痛い、お腹が痛い。異物感のような痛み、身体が捩じ切られる、痛い、全身が歪む、痛い、嫌だ、苦しい……! 痛い、お腹に鉄心でも刺されたように痛い。生きていることを後悔するくらい痛い。痛い、痛い、苦しい、気持ち悪い、苦しい、痛い、呼吸ができない、苦しい、苦しい、痛い、苦しい……。
フミは
その瞬間は鷹の目で捉えていた。
手加減された。フミは、奥歯を噛みしめた。
彼女はフミに近付きながら、二番目の個室を覗いた。そこに制服の切れ端はあった。しかし、糸は繋がっておらず、無造作にサニタリーボックスに捨てられている。代わりに、糸は扉の角に引っかかり、そこで揺れている。
意図的なものでなかった。無策、無謀だった。
しかしそれこそが、計算づくだった彼女の立ち回りを狂わせた。
フミの足元で歩みを止め、その様を見下す。便所の床でうずくまり、口から液体をこぼし、鼻血を流し、
「何か言い残すことは?」
先程までと打って変わり、無感動な声が響いた。これ以上、遊ぶつもりがないことは明らかだった。
「……どうして、手加減したんですか……?」
予想外の言葉に、【クドウ】は顔色を変えた。
命乞いなどしまい、とは思っていた。チャームを持っていれば……といった後悔。どうして私が……という嘆き。やれることはやった……という諦め。何者で目的は何か……といった無駄な質問。何故私を殺すのか……という単純な疑問。フミの答えは、予想していたそのいずれでもなかった。
「……あなたの太刀筋が見たかったです……」
闘争心とも好奇心とも違う、手加減された惨めさでも、悔しさでもない。
そこにあるのは、決定的場面をその目に収めたい、実際に体験してみたいという当事者欲求。生粋のリリィオタク。
自分の命が掛かっている場面でそれを優先させてしまう感性。
頬が自然と吊り上がる。面白い。とても面白い。もっと欲しい。
もっと楽しませて欲しい。
轟音。入口が開き、二本の光が残像を描いて【クドウ】に襲い掛かる。チャームを瞬時に引き戻し、襲い掛かる二本のチャームを軽やかに
乱入者は、壁、床、天井を飛び斬撃を繰り返す。尋常ではない密度の攻撃、常人であれば指一本動かせないであろう猛攻の中、【クドウ】は舞うように軽やかにステップを踏んだ。
フミはそれに反応する間もなく、首が締まるのを感じた。乱入してきたリリィに、首根っこを掴まれ引っ張られた。それに気付いた頃には、窓際に、乱入者の背に庇われるようにして移動していた。
混乱する頭で、――恐らく味方の――乱入者を見る。凄まじい攻撃のキレ、類まれな運動量、そして二振りのチャームを構えたその姿は……「しおり、さん……?」最強の1年生、六角しおりだった。
「………………」
しおりは、何も言わず肩に掛けた荷物を床に下ろした。チャーム。フミが食堂に置いてきたチャームだ。慌てて起動する、もう2度と手を放すまい。しおりに感謝を述べようとして、しかし、フミは床に崩れ落ちた。
「おぇえええ゛、あ゛っ、おごっ、ぅええ゛え゛」
フミは嘔吐した。
しおりだ。しおりの殺気に、フミは決壊した。
戦場でも滅多に見られない本気のしおり。凄まじいプレッシャーだとは思っていた。しかしチャームを介して感じ取ったそれは、殺気どころでない。
死の宣告。死の訪れを予言する死神の鎌。それを、フミの疲弊した身体は受けきることができなかった。
ダメだ……構えなくちゃ……足手まといはいけません……自分の身は自分で守るんです……!
心意気に反し、フミの身体は限界だった。
しかし、しおりはフミを気遣うでもなく、ひたすらに目の前の相手を睨みつけた。
そして一言。
「……戯れが過ぎますよ、さくちゃん」
フミはその言葉の意味も、込められた感情も分からず、ひたすら胃の内容物を吐き出し続けた。
そして言葉と殺気を向けられた当の【さくちゃん】は、
「あらあら。私、しおりん様を怒らせてしまいましたか?」
それは素敵なことでございますね、と、水夕会主将、【