アサルトリリィ BOUQUET ~if~ 作:クロスカウンター
「ユユ様!! ……って、やっぱりもういないよね……」
ある日の放課後、リリはカフェテリアに駆け込み、そこにお姉さまがいないことに肩を落とした。『講義で遅くなるかもしれないので、私が来れなかったら帰ってください!』、そう伝えていたので、仕方ないと言えば仕方のないことだった。
ユユもしばらく待っていたのだが、流石に夕日が刺し始めると荷物をまとめて帰ってしまった。しかし、今なお夕日は山の影に隠れておらず、実はタッチの差でのすれ違いだった。
なお、フミや楓は一足先に寮に戻っている。カフェテリアは17時にラストオーダーを迎えてしまう。別に追い出されはしないが、
実際、カフェテリアにはリリ一人しかいなかった。物寂しげだが、差し込む夕日が歓談スペースを照らし、中々に綺麗ではあった。
百合ヶ丘の小さな絶景。今度はお姉さまと一緒に見たいな、と思っていると。
「もしそこの御方」
「ひゃい!!」
急に真後ろの方から話しかけられ、リリはびっくりした。
振り返ると……あれ、さっきまで居たかな……リリの丁度真後ろの席に、大きな傘を差したリリィが座っていた。もしかしたら死角となって見えなかったのかもしれない。それとも、奥の方からリリを見てやってきたのかも?
とにかく、恐らく初めましての相手だった。あまりに大きな傘なので、顔が隠れて判別はできないが、少なくとも室内で傘を差すような珍妙なリリィには出会ったことがない。
「あの、私、ですよね?」
顔色を伺うようにリリが返事をすると。
「アナタに決まってますわぁ。アナタ以外にどなたがいまして?」
ピシャリと怒気すら孕んだ声が返ってきた。
……何と言うか、かなりツンツンした
とりあえず「あの……」と呼びかけようとして、リリは相手の名前を知らないことに思い当たり、言葉に詰まった。
相手もそれを察したのか、ぼそっと「小沢」と呟いた。
小沢。恐らく、というか確実に苗字である。
「……えーと、あの、小沢……『
百合ヶ丘では、先輩の呼び方は『様』付けが不文律となっている。苗字であっても名前であっても構わないのだが、基本的に下の名前で呼ぶことが多い。リリも、苗字だと余所余所しさを感じるので、相手が嫌がらなければ名前+様で先輩をお呼びしていた。
しかし、小沢様は憮然とした口ぶりで「
リリは、混乱した。
え? 『やくしめ』が苗字なの? でも小沢なんて名前……でも『やくしめ』なんて名前も聞いたことないし……苗字でも聞いたことないけど……でも最初に言ってたからやっぱり小沢様? 海外育ちで実はやくしめ様……?
「えっと、やくしめ、様? でよろしいですか?」
「何をおっしゃっていますの!!」
薬師芽様は烈火の如くお怒りになった。
「あ、はいごめんなさい! 小沢様ですね!!」
「アナタはバカなのですか!!
滅茶苦茶な人だった。
「えぇ……じゃあ何で逆に言ったんですか……?」
「アナタがどれ程の人物か確かめたのです」
この言い草は、もしかしたらとんでもない大物かもしれない。
それで私の評価はどうだったんでしょう……? なんて思っていると。
「全くダメです。全然ダメです。箸にも棒にもつまようじにもエッフェル塔にも掛かりません。ダメ。てんでダメ。ダメダメ。不合格。0点。最悪。人生をやり直すべきです」
「そこまで言います!?」
滅茶苦茶に口が悪かった。
「全くの期待外れ。アナタもそうは思いませんか? ねぇ、一柳リリさん」
急に名前を呼ばれ、リリはドキッとした。
「え? どうして私の名前……」
「だってアナタ、あの白井ユユのシルトでしょう? 顔も名前もよーく存じ上げてるわよぉ」
そういって薬師芽様は呵呵と笑った。
ただ、あれだけ悪口を言われこうもカラカラ笑われているのに全く嫌味に感じない。
これも人柄や育ちの良さというものなのだろうか。リリもすっかり毒気を抜かれてしまった。
「あの……薬師芽様、どうして室内なのに傘を差されているんですか?」
何となく発言しても許されそうな気がしたので、リリは最初からずっと気になっていた疑問をぶつけてみた。
「ああ、これですか? これは
「はぁ、そうなんですか」
「…………」
「…………」
いや続きはないんですか? リリがそうツッコみかける直前、「あれは5年前のことですわ」と何やら語り始めた。
「私は当時から賢く器量よし、容姿端麗眉目秀麗男どもからモテまくり酒池肉林の一大サーカスを築き上げていたのですわ!」
あ、これ長くなる奴だ……と分かった。リリの乏しい人生経験でも、これは絶対に盛大な寄り道をするパターンだと察せてしまった。
「友人も先輩後輩も多く、リリィとしても超超超超超超……えっと何回言いましたかね? ともかく、超優秀なリリィだったのです私は。私は超優秀だったのです」
いえ、何も2回言わなくても……。「分かりました、分かりましたよ……」
「この傘は超! 超! 優秀だった私が、とある先輩からお譲りいただいた、それはそれはありがたぁい傘なのですわ」
へぇ、そうだったんですね~と答えかけて、ふと気付いた。
「あのぉ、それって結局、室内で傘を差している理由にならないような……」
「……………………ふーん」
滅茶苦茶ご機嫌ナナメになっていた。
「あの! それがものすごく大切な傘だってことは分かりました! もしかして、お姉さまからいただいた傘だったりしますか? それで気に入っていて室内でも差すようにしているとか……?」
慌ててフォローするも、薬師芽様は憮然とした口ぶりを崩さなかった。
「……ふーん。アナタ、あまり他のリリィとはお話ししないでしょう?」
急に話題を転換され、「えぇ? そんなことないと思いますけど……」と、やや困惑しながら答えた。
「私が言っているのは単純な会話の多寡ではございませんわ。アナタ、相手の魂に触れるような会話をされておりませんね」
リリは、目の前の彼女の言っていることがよく分からなかった。
「私がお姉さまから傘をいただいた? 気に入っているから傘を差している? 不用意な発言ですわね。この傘は……私のお姉さまの……お姉さまになる筈だった方の遺品なのです」
リリは、あっ、と小さく声を上げた。
ここは百合ヶ丘女学院。ヒュージ迎撃の最前線である。悲劇や悲しみなど茶飯事……むしろ悲劇を抱えていないリリィなど、この学院に一握りもいない。
リリはその一握りの例外であり、つい1か月前までは部外者ですらあった。仕方のないことであったが、リリはそのような機微にはかなり疎かった。
「5年前の戦いで、私はお姉さまとなる筈の方を失いました。それどころか私も巻き込まれ……顔に、大きな傷が残っているのです。それからは酷いものですよ……それまで私を慕っていた者も途端に離れていったのです。惨めな存在……。私は人前で顔を晒せないのですわ。この傘は、その為のベールなのです」
リリは、掛けるべき言葉を失った。リリは、大切な誰かとの別離も、築き上げてきた物が粉々に砕ける壮絶な経験も、味わったことがなかった。そんなリリが、目の前の傷付いたリリィへとかける言葉など、何一つ思い浮かばなかった。
まずは、安易に傘のこと、その入手経路について尋ねたことを謝ろうと思った。この百合ヶ丘のリリィにとって、大切な思い出は、きっと苦しみの記憶と紙一重なのだ。
しかしそのリリの機先を制すように、薬師芽様は立ち上がり、何を思ったか、傘を閉じた。
しかし夕日は既に沈みかけており、加えて傘の下に帽子を――ごてごてと豪華な装飾の着いた立派な帽子を――被っており、顔は全く見えなかった。
「一柳リリさん」
「は、はい……」
「アナタ、純粋な方ですわね?」
その、優しげな声に、はい? と訳も分からず顔を上げた。
「この傘は先日購入した日傘ですし室内で差しているのは趣味ですしお姉さまは死んでませんしそもそも5年前に事件などありませんし私の肌は今でもぴちぴちですわよ」
「はい……?」
「あと私の名前は小沢薬師芽ではありません」
「え?」
「それと私、アナタと同じ1年生ですわよ?」
「ええ!?」
「あ! 後ろに白井ユユ様が!!」
「ええ?!!」
と、混乱したまま後ろを振り向くと……「あれ?」誰もいなかった。
もう一度振り返ると、薬師芽様(?)は影も形もなかった。完全に日が沈み、真っ暗になったカフェテリアで、リリは一人、立ち尽くしていた。
…………。
「えええええええ!!!」
リリの叫び声は、誰もいない室内に響き、消えていった。