蔵を出た後バイト先に向かった和希は、6時間のシフトを終えその足で学校へと向かっていた。
「間に合うかな……」
沈むのが遅くなり始めた西陽を見据えながら、学校までの道を早足で進んでいく。そして午後5時前、彼は文字通り教室へと滑り込む。
「……間に合ったか?」
やや乱れた呼吸を整えながら教室を見渡すと、同クラスのメンバーの8割程は既に席に着いていた。
その様子を一瞥した和希は、何食わぬ顔で自身の座席に着いた。そして荒い呼吸を整えながら荷物を下ろしていると隣の席に座する少女、沙綾から声をかけられる。
「おはよう。今日は来るの遅かったね?」
「おはよう。今日は、バイトが長引いちゃって」
苦笑しながら返答した和希は、鞄の中から教科書を取り出すと黒板に記されたページを手早く開いていく。
「それじゃあ、この前の復習から行くぞ」
教師の声を聞きつつ、和希がそっと視線を隣の座席へ向けると、熱心に何かを机に綴る沙綾の姿を捉える。
暫しの間、和希が沙綾のことを見つめていると、不意に顔を上げた沙綾と和希の視線が交錯する。
途端、気恥ずかしさに襲われた和希は慌てて視線を黒板の方へと向ける。対する沙綾は、和希の方へ軽く笑みを向けた後に再度机へと視線を落とすと、また何かを綴り始める。そんな沙綾の姿を横目に、和希は黒板に記された内容をノートへと板書していく。すると突然、和希は手を止めたかと思うと、鞄の中から別のノートを取り出し今使っているノートの隣で開く。
「ここはこの前、やったな……」
苦笑しながらノートを閉じた彼は、元々開いていたノートへ軽く板書しながらも、脳裏に浮かんだ言葉たちをページの隅へと書き記していく。結局この日の和希は、最後の時間までまともに授業を受けず黙々と自身の中にある言葉を綴っていくだけであった——
数日後の朝、いつも通りに学校に登校した和希は先日同様に文庫本を読んでいた。物語の中の世界に没頭していた彼が不意に顔を上げると、いつの間にやら始業時間前になっており、教室内には多数の生徒の姿があった。
「ありゃ……いっぱいになってら」
呟きと共に周囲を見渡していると、隣の席の少女とりみ。そしてどういうわけか有咲が教室内へと入って来た。
「……ええ?」
予想外の状況に驚愕したまま固まってしまう和希であったが、予鈴が鳴ったことにより我に返る。
「あ、有咲……だったよな?」
2つ隣の席に座した見知った少女の姿に戸惑いながらも、授業の準備を進めていく和希。そして迎えた1限目であったが、件の少女のことが気にかかってしまい授業の中身が入ってこない状態に置かれる。
「でも急にどうしたんだろ……」
彼女に起こったであろう心境の変化に戸惑いながらも、何故か嬉しさが込み上げてきた彼は、結局その日の午前の授業全てにおいて集中できない状態が続いた。
そんなこんなのうちに迎えた昼休み。和希が普段同様1人で座席に身を置いたまま食事に勤しんでいると、教室の扉の向こう側に自身の方を見据える見知った人影を捉える。
「……花園?」
不思議に思った和希は、食事の手を止め立ち上がると教室の外へと赴く。そこには先日知り合った少女、花園たえの姿があった。
「どうかしたのか?」
「あ、えと、今週末って、お暇ですか?」
「金曜? 空いてはいるけど?」
和希の返答を聞いた途端、たえの表情が一気に明るくなる。潜めていた喜びが溢れ出すかのように。
「ホントですか! なら、いつもの場所で待ってるっス!」
それだけ言って、たえはその場から走り去って行ってしまう。その場に残された和希は、呆然と彼女の背中を見送った後、ゆっくり席に戻ると再び食事をに手をつける。
「花園のやつ、何かいいことでもあったのかな」
閃光のように眩く笑い、
「週末、ちょっと楽しみかも」
小さく呟いた彼は、目の前で手を合わせ広げていた弁当箱を畳むと、入れ替わるようにして文庫本を取り出す。そして、昼休みの残りの時間を、物語に没頭していく——
金曜の放課後、たえに呼ばれた和希は江戸川公園へと足を運ぶ。平日の午後ということもあってか、静かな園内に進入していくと滑り台に腰掛けるたえの姿を彼の視界が捉える。
「花園」
「和希さん!」
元気いっぱいな反応を示すたえに苦笑を向けながらも彼女の元へ赴いた和希は、彼女の隣にそっと腰を下ろす。
「今日はどうしたの?」
「その、先日和希さんに歌ってもらった時、ジブンすごく震えて……、もう一度、あの感覚を味わいたいと思ったんっス!」
「なるほど。それって……」
たえの言葉を噛み砕いた和希は、額に冷や汗を浮かべる。この後に彼女の口から飛び出すであろう台詞が予測できてしまったがために。
「また、自分の演奏に合わせて歌って欲しいっス!」
「やっぱりか……」
ため息混じりに苦い笑みを浮かべた和希は右手で額を抑える。その様を見ていたたえは、表情を僅かに曇らせる。
「その、ダメ……っスか?」
「そんなことない。OKだ」
首を横に振った和希は背負っていた荷物を下ろすと、その場に立ち上がるとたえの方へと視線を移す。
「花園のお願いなら、断る理由ないからさ」
「……和希さん」
微かに瞳を潤ませたたえは、袖で目元を拭ったかと思うとアコースティックギターを構える。
「今回の曲は?」
「——『LOUDER』という曲をご存知ですか?」
「この曲、だろ」
たえに問われた和希は懐から携帯を取り出すと、ロックを外し画面をたえに見せる。そこにあったのは、プレイリストとその中に入った『LOUDER』と書かれた1つのファイル。
「そうです」
「好きで、よく聴いてるんだ」
「そうだったんっスね。なら、いけますね?」
たえの言葉に首を縦に振る和希。その後、たえがアコースティックギターを掻き鳴らし、曲のイントロが始まる。
『—— 裏切りは暗いままfall down 崩れゆく世界は心引き剥がして熱を失った」
幾度となく聴いてきたフレーズを言葉し、たえの奏でるアコースティックの音に乗せる。ただそれだけのことが、今の和希にはとても心地良く感じられた。
「——未だに弱さ滲むon mind 未熟さを抱えて歌う 資格なんてないと背を向けて」
歌詞に含まれた意味と自身——逃げていた、あの日までの自分のことを照らし合わせながら、1つ1つを力強く歌にする。
「——火をつけた あなたの言葉」
サビ前のワンフレーズを口ずさむと同時に、和希の脳裏にはとある少女の姿が過ぎる。いつも自身の隣の席に座して、優しく接してくれる彼女の姿が。そして気づくと、演奏は終わってしまっていた。
「どう、だった?」
我に返った和希は、たえに問いかける。するとたえは、伏し目がちで体を小刻みに振るわせたかと思えば唐突に顔を上げる。
「最高だったっス! あの曲をここまで綺麗に歌える人、初めてでした!」
「そ、それはえっと、ありがとう」
どこか気恥ずかしさを覚えた和希は、しどろもどろになりながらも謝意を述べる。その後、左手に巻いた時計に視線を落とした彼は驚愕の色を見せる。
「……ごめん、ちょっと急用あるからこの辺で失礼するね」
「はい! 今日はありがとうございました!」
短い会話の後、荷物を掴んだ和希はそれを背負うなり江戸川橋方面へと駆け出していく。たえが奏で始めたアニメの主題歌を聴きながら、地下鉄の駅を目指して——
——澄み渡った青空に、輝きは溶け込んでいく。