「昨日……偶然見かけちゃったんだよね」
困った様に笑う少女を見据える和希は一つ溜息を吐く。
「見てたのか……」
「うん……」
「そっか……」
沈黙した和希は、何かを考え込むように机を眺めていた。すると、沙綾が口を開く。
「その……神田君は、音楽好き?」
「へ……?」
予想外の言葉に驚く和希だったが、我に返ると口を開く。
「音楽……大好きだよ。うん」
答えた和希は鞄の中から一冊のノートを取り出し、沙綾に手渡す。
「『ユメ』……?」
表題に記された文字を読み上げ首を傾げる沙綾と、それに対して頷く和希。
「俺の中にある、音楽の記録ノート……」
「見てもいいの?」
「うん」
再度頷いた和希の前で、沙綾はノートの中身に目を通していく。そこに五線譜やらコード表やら歌詞やらがぎっしりと詰められた物が何ページにも渡って綴られていた。
そして、1番新しいページには『バンドに関わる事』と綴られていた。
「凄い……これ全部、神田君が書いたの?」
「そうだよ。幼い時から——自分のやりたい事を夢として記してきたノート」
「そうだったんだ……」
ノートを閉じた沙綾は、ノートを和希の元へ返し何かを考え込んだ後にそっと和希へ問い掛ける。
「ここに書かれてることは、今も変わらず神田君自身の夢でありやりたい事?」
「うん。俺がやりたい事。そして——俺の絆の証」
「絆……」
神妙な面持ちで表紙を眺める和希の姿を見て沙綾は思った。彼は自分と似ている。そして、今の彼は自身とはほど遠いところにある存在なのだと。
「叶うと良いね。私、応援するよ」
「ありがとう」
言葉を交わし互いに笑い合ったところで、教室へと近づいて来る足音が聞こえてきた。
「そろそろだね」
「うん」
2人はそれぞれの座席に着き、授業の準備に取り掛かるのであった——
翌日の朝、人のいない教室内で文庫本を読む和希の姿があった。そんな中、彼の元に来客が訪れる。
「——盟主殿、何をお読みになられているのだ?」
突然の事に驚き、のけぞった和希の視線が捉えたのは先日廊下で出会った黒髪ショートで裸足だった少女。とりあえず知らぬ間に盟主になっていた事に関しては気にしないことにする、と内心で自分に言い聞かせた和希そっと言葉を紡ぐ。
「あ、この前の……えっと、これは推理小説だよ……」
「ふむ、盟主殿は推理物がお好きなのか?」
「いや、そういうわけではないけど……で、えっと何か用……?」
困惑する和希は手にしていた文庫本を閉じ机の上に置く。
「そうだ、今日は盟主殿にお願いがあってきたのだった」
「お願い……?」
「何卒、盟主殿のお力をお貸しいただきたいのだ」
床に跪くようにして少女は和希に対して頭を下げる。
「え、え?」
「詳しいことは、昼休みに申す」
それだけ告げると困惑する和希に対して少女は洋封筒を手渡す。
「では、これにて」
「ちょ……え?」
制止を掛けようと手を伸ばす和希だったが、その時すでに少女の姿は教室の出入り口を潜るところであった。
「行っちゃった……」
茫然と少女を見送った和希は席に着くと、受け取った物の封を切る。そこには『中庭にて待つ』とだけ記されていた。
「中庭……か」
窓から見える渡り廊下を一瞥した彼は大きく項垂れる。
「なんだってんだ……また……」
やるせない気持ちを抱えたまま、彼は授業に臨む。しかし、朝の事が気にかかり授業どころではなかった。
(一体全体なんなんだろう……何言われるんだろう……)
一抹の不安と共に黒板の方へと視線を向ける和希。その時、少し前の方の座席に件の少女の姿を捉える。
(……同じクラスだったんだ。全く気付かなかった)
戸惑い故に授業内容が頭に入ってこない状況のまま、彼は午前中を過ごすのだった——
迎えた昼休み、人もまばらな中庭にて芝の上に寝転がった和希は呆然としていた。
「天気良いなぁ……」
澄んだ青空の中を流れていく雲を眺めながら、彼は言葉を溢すのだった。その直後、不意に彼の視界が暗くなる。
「お待たせした」
現れたのは今朝の少女。立ち上がった和希は、少女の方へと向き直る。
「話って……?」
首を傾げながら問い掛ける和希。すると少女は周囲を見渡した後、小声でそっと告げる。
「ここではいつ人目に着くか分からない。屋上へ」
戸惑いながらも、頷いた和希は少女と共に屋上へと移っていく。その為に階段を登っている時のことだった。
「盟主殿もまた、存在感を隠し切っておられる……」
「え……?」
「すれ違う者達が、誰1人として盟主殿に目を向けることがない」
「あー……昔から影は薄い方だから」
自虐を交えつつ少女の言葉に返答した和希は俯く。あの頃もそうだったな、と考えながら。
結局、顔を上げたのは屋上に着いてからだった。初めてきた学校の屋上は景色や爽快感といったものよりも、疑問が湧き上がってくるものだった。
(なんでここ……開いてんの……?)
柵の手前から校庭を見下ろしつつ自問自答していると、彼の髪を涼しげな風が撫ぜる。そして、我に返った和希は少女の方へと向き直る。
「それで、話がある……だったよね?」
「うむ。盟主殿に込み入ってのお願いだ」
「そう……なんだ。それで君、名前は……?」
「牛込りみ! りみりんって呼んでね」
「う、うん……」
あまりの変貌っぷりに和希は再三戸惑う。牛込りみと名乗ったこの少女は一体何者なのだ、と。
「で、牛込さん……」
「りみりん!」
「り……りみりんは、何の要件で来たの?」
和希が首を傾げると、りみは急にげんなりとする。そして、勢いよく顔を上げると、瞳の端に涙を浮かべていた。
「これが……今のウチの全財産……」
差し出されたりみの手のひらには10円玉が5枚。それが彼女の言った全財産であることは想像に難くなかった。
「50円……普段どうしてたの?」
「普段は白米を売って儲けていたが、憎き
「炊飯器って……」
常識を逸脱したりみの言葉に困惑する和希。だがりみの方はそんなことはどこ吹く風といった具合で続ける。
「だが、向こうも鬼ではなかった。とある条件を完了すれば炊飯器の持ち込みを許可してくれるとのことだった」
「条件?」
「うむ。不登校児を連れてこいとのことだった」
「うちのクラスの?」
「うむ」
——あのクラスに不登校なんていたのか? りみの言葉を聞いて彼の脳内で浮かんだ事はそれだった。
「そっか。それと俺が呼ばれた理由はどう繋がるわけ?」
「何やら盟主殿は、その不登校児と知り合いらしいのでな。その点は調べさせてもらった」
「どうやって調べたんだ……で、その不登校の子の名前ってのは?」
りみの言葉に引き気味になる和希であったが、直ぐに新たな事を彼女に対して問う。対するりみは、仁王立ち気味になると件の者の名前を叫ぶ。
「不登校の名前はズバリ、市ヶ谷有咲!」
「……え?」
その一言に、彼は衝撃を受け立ち尽くすことになった。
——明けの空を、一筋の光が駆け抜ける。