「市ヶ谷……有咲……?」
りみの口から出た名前に、和希は心当たりがあった。いや、心当たりなんてものではない。知っているのだ。直近に知り合った同姓同名の少女を。
「どうやら盟主殿は、件の不登校と面識があるとお見受けする」
「確かに、その名前の知り合いはいるにはいるけど……」
「ならばこそ、盟主殿に折り入ってお願い申す。彼女に登校するよう話してはいただけないか?」
切羽詰まった様子で和希に対し頭を下げるりみ。それを見た和希は、少し悩んだ後口を開く。
「……分かった。話してみるよ」
「本当!?」
「あ、ああ……だからとりあえずさ、一旦落ち着いて」
顔を寄せてきたりみを自身から引き剥がした和希は大きくため息を吐く。
「今度定時制の日に、行ってみるよ」
「何卒お願い申し上げる」
「うん……それで、話はこれで終わりかな?」
「うむ」
「じゃあ、俺はこの辺で失礼するよ」
短く告げた和希はそのまま屋上を後にし、下の階へと降りて行く。
「さて……どうしたものかな」
どう動いていくか。それを思慮しながらも教室へと歩みを進めていく和希。予鈴が鳴り、背後からりみが抜き去っていったことにも気付かない程に深く——
翌日、午前9時半を過ぎた頃。和希はとある場所目指し歩みを進めていた。
「居るかな……」
一抹の不安を抱えたまま、先日見つけた“印”を辿っていく。そして再び、件の少女が住むあの場所へと赴いた。
「ごめんください……」
敷地内を覗き込み、控えめな声で呼ぶ。だが、これと言った反応は無い。周囲を一瞥した和希は、ショーウィンドウの前へと歩みを進める。
前回と同様、ショーウィンドウの中に物は置かれておらず真っ白な壁があるのみだった。
「……中には居ないのかな?」
首を傾げながら踵を返すと、1人の少女が彼の前に立っていた。
「うわぁ?!」
「人の顔見ていきなり驚くなんて失礼じゃない」
「ご、ごめん有咲……いきなりだったからつい」
「まあ、いいわ。それで、今日はどうしたの?」
突如として姿を現した、渦中の当人と思しき少女有咲。
「えっと、ちょっと聞きたいことがあってね……」
「聞きたいこと? 私に?」
「うん……」
「そう。ならここじゃなんだし、中で話しましょう」
有咲の提案に頷いた和希は、有咲と共に建物の中へと入っていく。そして、座卓の前に互いに腰を下ろしたところで和希が口を開く。
「その、有咲は花咲川高校の……生徒、なの?」
和希に問われた有咲は驚いた様子で和希へと問い返した。
「なんで、そのこと知ってるの……?」
「えーっと……同じクラスだから?」
「え、カズあんた定時制じゃないの……?」
「あー、えっとね……」
言葉に詰まった和希は、困った様に笑った後に俯く。返答に困ったために。
「……普通科も定時制もどっちも通ってるんだよね」
「なんでまたそんな不可思議な状態に?」
「学費を賄うために、いろんなバイトをしてて……単位数とかが足りなくなるのを補う形にした結果……かな」
歯切れ悪く答えた和希は、そのまま天井を仰ぐ。何かを思い返すような眼差しで。
「学費を賄うって、なんでそんなことを——」
「これ以上、迷惑かけられないから」
相変わらず天井を見上げたままの和希であったが、その瞳は数瞬前とは違い真っ直ぐとしたものへと変わっていた。
「何がアンタにそこまでさせるわけ」
「育ててもらった恩故、かな。今一緒に住んでるの、本当の両親じゃないんだ」
そう告げた和希は自身の過去を打ち明けて行った。自身の本当の両親が亡くなったことや、今の両親との出会いや今に至るまでの経緯を。
「そう……だったの……」
「うん。だから、今はこうして学業と職務を両立させながら生活してるってわけ。これで、納得してもらえた……かな?」
恐る恐る有咲の顔を覗き込みながら発せられた和希の問いに、有咲は首を縦に振った。
「カズがどんな生活を送ってるかと同じクラスなのかは分かったけども、今日は何しに来たの?」
「あー、その件なんだけども……」
後頭部を軽く掻いた和希は一呼吸置き、有咲の方へと向き直ると次の言の葉を紡いだ。
「有咲、学校に来てくれない?」
「学校に……?」
「うん。学校に」
ゆっくりと頷いた和希は、有咲に優しく微笑みかける。対する有咲はと言うと、そんな彼を前に硬直した後我に返る。
「気が……向いたらね」
「うん。気が向いたらで大丈夫だよ」
「え?」
「ん?」
和希の返答に驚愕する有咲と、そんな彼女の様子を見て不思議そうに首を傾げる和希。
「なんか変なこと言った?」
「カズは、私の事を意地でも登校させるつもりじゃないの?」
「いや、別に?」
首を横に振りながら有咲の言葉を否定した和希は、徐に立ち上がると鞄を背負う。
「じゃ、この後出勤なので俺はこれで失礼するよ」
有咲に対して短く告げた和希は、そのまま蔵を後にした。そしてそれを見送った有咲は、静寂の中で1人言葉を零す。
「カズ……アンタ優しいのかそうじゃないのか分からないわ……」
数瞬前までこの場に居た彼の意外な言葉が、彼女の中で無数に響き渡っていくのであった——
——星々が姿を消した宵闇を、小さな光が満たし始めた。