非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?   作:色付きカルテ

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悍ましき影

 

 

 

 

 

 始まりは有名なあの事件。

 

 

『……どうしてお父さんとお母さんは帰ってこないの?』

 

 

 幼い頃、反抗期に入ったばかりだった自分は親のやること全てに反発してばかりだった。

 素行への叱咤も、学業への注意も、休暇の時の旅行計画さえ全てが煩わしくて、数歳下の弟の前でも関係なく反抗してばかりいた。

 

 困ったような顔をする両親と弟の顔が、今も脳裏にこびりついて離れない。

 

 

『……拓郎は、どうして帰ってこないの?』

 

 

 年越し時期の休みを利用して両親の実家に帰省する計画。

 何が気にくわなかったも思い出せないような自分の反発で、自分を残して帰省する事になった両親と弟。

 寂しそうに、心配そうに、何度も自分に手を振る彼らに、自分は最後まで「いってらっしゃい」の言葉も掛けられなかった。

 

 窓越しに、出ていく家族の背中をこっそりと覗いたあの光景が忘れられない。

 

 

『新幹線が爆発って……どうして……?』

 

 

 そんな後悔と懺悔に満ちた苦い記憶だけが、自分を突き動かした。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 その日、警視庁本部は発生した爆発と二次的に発生した火災によって大きなパニック状態に陥っていた。

 

 鳴り響く警報音と充満する黒煙。

 状況が分からず、なおも間隔を空けて繰り返される爆発音に、警視庁本部内はパニックから完全な機能不全となってしまっている。

 そして、その混乱状態を意図的に作り出し、衆目を集め、自身の目的を果たそうとしている男は密室となった警視総監室から、その状況を扉越しに確かめた。

 

 

「……どうやら一般人もこの建物の状況に気が付き始めている。報道各社が駆け付けるのももう少し。始めてしまっても良いか」

 

 

 その男、宍戸はそう言って、衿嘉達に向けていた拳銃の銃口を下した。

 どうやら宍戸の時間を稼ぐ目的は達成されたらしい、銃口が下ろされた事に衿嘉達の張り詰められていた緊張の糸が少しだけ緩む。

 

 だが、だからと言って衿嘉達が宍戸に対して何かできる訳ではない。

 宍戸四郎という多くの者に認められるこの男は、彼が有する知識や知恵だけが優秀なのではない。

 現場における対応力、特に彼が持つ射撃の腕前と制圧力の卓越さは、直属の上司ではない衿嘉達ですら知るところなのだ。

 

 武器も持たぬ衿嘉達がどんなに意表を突こうが、現状をどうにかできる程、目の前の男は甘くはない。

 

 

「……何故こんな事を。神楽坂君の状況に不満があれば一言相談してくれれば、私達は無下になどしないと言うのに……」

「神楽坂の件は、ある種象徴ともいえる話なだけだ。神楽坂の為に俺はこんな行動を起こしている訳じゃ無い」

「ならば何故こんなことをしている? 自分の立場に不満でもあったのか?」

「復讐だよ、山峰警視総監や剣崎局長は直接関係していなかったみたいだけどな」

 

 

 衿嘉の問いに対して投げやりにそう言い放ち、適当な高さの土台に撮影機材のような物を置いて宍戸は何かの準備を進めていく。

 爆発音や警報音、悲鳴を背景にした宍戸のそんな姿はどうにもミスマッチであり、衿嘉達を監視しながらもちゃくちゃくと準備を進めるその姿はさらに不気味さを感じさせる。

 

 そうして、手早く準備を整え終えた宍戸が用意した機材を起動させ始めた。

 

 

「現代の科学技術と言うのは非常に便利なものだ、これだけの機材で、この場所の映像や音声も、世界中の人に届けられると言うのだから。そして、何かしら電子の海に情報を残してしまえば、その情報を完全に消すことはほぼ不可能になってしまう。昔と違って、内情の暴露も非常に容易になっていると言えるが……悪用も出来るのだから良い話と断言は出来ないな」

「宍戸君、それはまさか……」

 

「――――ここは警視庁本部、警視総監室。時刻は12月3日16時23分。初めまして皆さん、私は本日起きている爆破事件の犯人、宍戸四郎。私は本日、現状を皆さんに知ってもらう為にこの配信を始めた」

 

 

 何処かのサイトへの配信が開始された。

 何気なしに目の前で始まった配信の光景に、衿嘉と剣崎が驚愕に目を見開く。

 これから彼が何をする気なのか、これから自分達がどのように扱われるのかを理解して、二人の顔に焦りが浮かんだ。

 

 

「ダラダラとした前置きをする時間はない。まず、20年前に発生した未解決事件“北陸新幹線爆破事件”について話をしていこう。かの事件は整備、開業されて間もなかった北陸新幹線が何者かによって爆破されたことで多くの犠牲者を生んだ事件だ。私もその事件で家族を喪い、多くの喪失を経験したが……結局犯人も目的も分からないまま、かの事件は風化してしまった。警察の捜査力不足……と、そう一般的には言われていたが、それは違う」

 

 

 一呼吸をおいて、宍戸は言う。

 

 

「アレは政府ならびに警察によって隠蔽された事件だった」

 

 

 はっきりと、宍戸はその事実を口にした。

 

 衿嘉と剣崎でさえ知らないその話。

 歴史と言う闇に捨て去られ、誰にも語り継がれることが無かった過去のそんな真実に、衿嘉達二人だけでなくただの好奇心でこの配信を見始めた人の多くが驚愕で言葉を失った。

 

 

「20年前の未解決事件、“北陸新幹線爆破事件”は結局犯人が見付からない、警察捜査の大きな汚点の一つだった……なんて、そんな訳が無かった。アレは、新幹線と言う新たな交通機関への政治的な反発によって起きた事件。関係した団体や犯人の家柄による政治的圧力、そして細部には他国さえも絡む事件であり、当時の総理大臣や各省庁の最高幹部、警察で言えば捜査担当だった嘉善義之が隠蔽に協力した、政治的かつ組織的な隠蔽による未解決事件。それが、長年私が捜査し続けた“北陸新幹線爆破事件”の真相だった……結局この件も、神楽坂が嘉善義之の息子である義人を捕まえなければ判明しなかった事だ」

「なんだその話は……? それは真実なのか……?」

「……半年前に嘉善義之が息子の轢き逃げを隠蔽しようとした件で捕まっただろう。家宅捜索に入った時に当時の資料が出て来たのさ。20年も前の事件を調べ続けた私くらいにしか分からない程度の内容だったが、ようやくあれで私は確信を得ることが出来た。それと、この映像を見る者には私がでまかせを言っていると疑う者は多くいるだろう。私がこれまでこの件の捜査を行って来たと言う証拠として、当時使用された爆弾と全く同じ規格のものを使って今日の爆破事件を起こしている。調べてみると良い」

 

 

 事も無げに、国内を揺るがす発言をした宍戸は手元の携帯から自身の配信状況を確認する。

 恐るべき速さで増えていく視聴者の数を見て、喜びよりも配信を停止させられるのが予定よりも早まりそうだと頭の中の計画を若干変更した。

 

 

「当時の政府や警察内の誰が関わっていて誰が関わっていないのか。調査を続けた私でさえはっきりとは分からない。だが、多くの者がこの件に関わり、隠蔽に関与した者や当時の犯人グループが、今はもうこんな事件など忘れて平穏に過ごしているのは事実だ」

 

 

 公にする事実は大雑把でいい。

 証拠や根拠さえしっかりとしていれば、逆に謎の部分があった方が、世間は何とか解明しようと動く事だろう。

 

 そう考え、手早く前提の話を終わらせた宍戸は次の話に移る。

 

 

「そして今回、“無差別人間コレクション事件”の犯人が所持していた異能と言う凶器を手に入れる為の薬品が紛失した。これは何故か。薬品一つにつき時価500万を超える価値に目がくらんだ捜査担当者二名が横領を行ったからだ。懐に入れ、偽物を交えてながら薬品を売りさばき、自分達で最大限利益を貪ろう、なんて、そんな事を目論んだ警察官が二人いたんだ。異能と言う凶器が売りさばかれる事で招く悲劇を、実際の被害者達を目の当たりにしていながらも許容した警察官が二人もいた。20年の時を経ても、俺は、警察が何も変わっていないという事を目の当たりにさせられた」

 

 

 それだけではない。

 

 

「警察内部に出来た異能犯罪に対応する部署が新設されたばかりで未発達でありながら、古き思考に囚われた警察の頭の固い上層部からあらゆる妨害を受けている状況。にも関わらず、自分の事しか考えられない奴らはこんな行動をする。司法も国政も行政機関も、こんな惨状では……この国が駄目になる、そう思った」

 

 

 当然、と吐き捨てた。

 

 

「個人的な憎悪もある。過去の新幹線爆破事件が私の家族を奪い、その怒りの向け先が分からず、私は警察組織に入ってこんな事ばかり調べて来た。結果的に隠蔽されていたという事実への怒りは消えていないが……この組織にも立派な人はいるんだよ。彼らと一緒なら、この組織を造り直せると、こんな暴力的な行動を起こさなくても改善できると信じていた時期は俺にもあった。けれど違ったんだ。それは現実から目を逸らしたただの妄想だった。立派な警察官は排他され、権力を握るのは扱いやすい都合の良い人間だけ。世界は今、異能と言う名の凶器が広がっていて、そんな状況でも警察内部の立場のある人間が凶器の広がりを進んで行おうとしている。正しくあろうとする善人よりも、自分の欲望を満たそうとする悪人の方が多かった」

 

 

 犯行を始めてから、時間にして10分も無い。

 可能な限り圧縮した警察内部の暴露配信は既にあらゆる場所に拡散されている。

 電子の海によって拡散されたこの情報は、きっともう誰であってももみ消すことなど出来はしない。

 もう何時配信を停止されても良いと思いながら、宍戸は「だから」と言って手の中の拳銃を衿嘉に向ける。

 

 現在の警察の象徴である、山峰衿嘉警視総監に銃口を向けた。

 

 

「俺は、今の警察を終わらせる事にした。これからやって来る非科学的な犯罪事件の数々を、この組織では到底解決などできない。そう、警察組織に身を置く私だからこそ断言する。俺がこの組織に終止符を打つ。そして、再構成するべきだ。警察に代わる新たな行政機関を、正しく正義を持った者達で、卓越した才能を持った者達で、異能という力を持った者達の手で、正しく力を振るう組織を作り上げるべきなんだ……まあ、こんな行動をしてしまった俺はそうなる事を祈るしか出来ないんだけどな」

「……宍戸君」

「よく考えた。よく考えたんだよ山峰警視総監。けどな、もうこれ以上俺から家族を奪った堕落し切った『今』を続けるのは我慢がならなかったんだ。だったらまだ、先の分からない未来に賭ける方が良い……そう思った。だからどうか貴方も、俺を恨んで諦めてくれ」

 

 

 想像していた通りの末路。

 焦りを浮かべ未だに破られない扉に視線を向ける剣崎とは違い、衿嘉は深く溜息を吐きながら身動きを取らないままじっと自分に向けられた銃口を見詰める。

 

 ふざけた犯行理由だと思う。

 こんなことをしても、世の中は好転なんてしない可能性の方が高い事を、誰よりも宍戸自身が分かっている筈なのに、きっとこの選択をするしか彼には無くなってしまったのだろう。

 どれだけ被害が拡大するか分からない異能と言う凶器を流出させる薬品を、他ならない警察官が押領して横流ししようとした事に、彼はきっと自身の始まりである過去の事件を見たのだ。

 

 幼い彼の家族を奪った犯人も、その事実を包み隠した政府や警察も、そしてその頃から変わらなかった人間の欲望も、彼は許せなくなってしまった。

 許せないもので溢れた世界は彼にとっては苦痛で、だから彼はきっと、行動しないという事が出来なかったのだろう。

 

 そう思い、衿嘉は諦めたように頷いた。

 

 

「私がもっと優秀であればこんな事にはならなかったんだろう。こんな事をさせてしまってすまない宍戸君」

「……」

「君がここまで追い詰められてしまった事、本当に心苦しい。だがそうだね、君が望む革命の為には、君の言うように私はここで終わるべきかもしれない。だが、剣崎は妻と幼い息子がいる。どうか彼は見逃してくれ。私一人でも君の目的を果たすだけなら充分だろう? 私にも思い残しはあるが……それは仕方ない事だと諦めよう」

 

 

 そう言って衿嘉は、宍戸が何か反応を示すのを見ることなく目を閉じた。

 

 

「……袖子すまない」

「衿嘉っ、待てっ!」

 

 

 引き金が引かれた。

 一瞬遅れ、剣崎が身を盾にして衿嘉を守ろうと飛び出したがもう遅い。

 

 爆発音のような銃声と衝撃が部屋に響き、鉛で出来た人を殺傷する為の物質が何の意志も持たず一直線に一人の人間へ飛来した。

 

 狙い澄まされた銃弾は寸分違わず衿嘉の眉間に届く。

 そして弾丸が、正しく衿嘉の頭を貫く直前。

 

 

 ――――ピタリと、その銃弾はその動きを止めた。

 

 

 まるで時が停止したような異常な光景。

 衿嘉の眉間に触れている銃弾が、急に意思を持ったかのようにその場で停止し動きを止めている。

 何の支えも無く宙に浮き続ける銃弾という、あまりに非科学的な光景に目を見開いた宍戸だったが、衿嘉達の背後にある窓を見てさらに大きく目を見開いた。

 

 16階にもなるこの警視総監室の窓の外に、二つの人影が浮かんでいる。

 

 

「――――届いたわ! 神楽坂先輩!! 相手は拳銃を持ってる!!!」

「分かってる! 突入させろ!!!」

 

 

 そして、その二つの人影が窓を突き破って密室となっていた警視総監室に飛び込んで来た。

 

 突然の強襲に宍戸は停止しかけた体を鍛え上げた理性で無理やり動かし、拳銃の照準を突入してきた人影に定め、間を置かずに発砲する。

 

 だが、それも突入者は予測していたのだろう。

 体の重心を地面ぎりぎりまで落とし、肉薄してきたその人影の異常なまでの速度に、宍戸は対応しきれない。

 発砲した弾丸を全て回避したその人影が、滑るように宍戸に肉薄する。

 一瞬で目前まで迫られ、拳銃を持った腕を穿つように蹴り上げられ、さらにそのまま足で顎を蹴り抜かれた宍戸は視界がチカチカと明滅するのを自覚する。

 

 直前に銃を弾いたとは思えないほどに重すぎる一撃。

 途切れそうになる意識を何とか繫ぎ、さらに追撃しようとする目の前の怪物に向けて、宍戸は蹴りを放ち手に持った携帯を投げつける。

 どちらも軽く捌かれはしたものの、宍戸は何とかその男と距離を取る事に成功した。

 

 

「あいも、かわらず……ふざけた身体能力しやがって……!」

「宍戸、テメェ……自分のふざけた行動にどれだけの無関係の人を巻き込んでいるのか分かってんのか?」

「うるせぇんだよ! 俺が何も分からないままこんな事をするとでも思ってんのかっ!? お前が今更どんな綺麗ごとを言おうが、俺はただ突き進むだけだ神楽坂!」

「……ああよく分かった。お前がそのつもりならお前をボコボコに叩きのめしてから、ゆっくり話を聞いてやるよ!!」

 

 

 目の前の男、神楽坂上矢に充血した目を向け、そしてその背後で山峰警視総監と剣崎局長の無事を確保している最も警戒するべき飛禅飛鳥を確認し、宍戸は歯ぎしりをする。

 この計画の、最も障害に成り得る相手を足止めする事が出来ていなかった事実に、怒りが噴き出す。

 

 

「ふざけんな……! お前らのような奴がここに来れないように爆弾や火災を起こしているっていうのに、まだ8分22秒だぞ……! 最初から俺を疑っていて、俺の目的も分かってたっていうのかっ……!? 糞っ、分かったぞ! お前があの現場にいて爆弾を見付けやがったなっ!? 人間離れした異常な嗅覚を持ちやがってっ……!」

 

「まあ、ここに来てるのは私達だけじゃないですけどね☆」

 

 

 そして次の瞬間、何度も叩かれても開くことが無かった扉が一撃で吹き飛ばされた。

 外側からの何か巨大な力によって破壊された扉が完全にひしゃげ砕けてしまっている。

 

 そして、ズシリッと破壊した出入り口から筋骨隆々の巨大な人影が入って来たのを見て、さらに宍戸は顔を引き攣らせた。

 自分が知る限り最悪の相手が全て目の前に揃っているのを知って、自分の絶望的な状況を理解せざるを得なくなる。

 

 

「宍戸ォ……テメェ、よくもやってくれたなァ……」

「ぜえぜえ……か、神楽坂さん、この人、体力も鬼みたいです……」

 

 

 鬼のような強面をした巨躯の男が、フードを被った小柄な人物を引き連れて来た。

 燃えるような怒りを纏っている男の登場に、宍戸は壁を背にするようにして銃口を誰に向けるべきかと彷徨わせるしか出来なくなってしまう。

 

 ほんの数秒の内に完全に形勢は逆転した。

 その事実に、宍戸はもはや引き攣った笑みを浮かべるしかない。

 

 

「は、ははは。これだけ計画を立てて、これだけ準備を進めて来たって言うのに……」

 

「待て柿崎。宍戸は異能を開花する薬品を回収している筈だ。自分に使用しているとすれば、異能を持っていてもおかしくない」

「あァ? だったらこれまで一切異能とやらを使ってないって言いてェのか? そんな訳ねェだろ? 理由は分からねェがコイツは異能を持っていないか、そもそも状況を改善できるような異能じゃねェんだよ」

「柿崎さんの言う通りですね☆ どうにもこの人からは異能の出力を感知する事は出来ません。異能を警戒する必要は無いみたいですよ」

 

「……ああ、警察に優秀な人材が多くて俺は嬉しいよ。糞が……」

 

 

 心底忌々し気にそう吐き捨てた宍戸がせめてこの窮地を変えてやろうと、最後の切り札として用意していた自分の服の下に巻き付けた爆弾を起動させようとして。

 

 

「それでそれも、ウチの『ブレーン』は予想済みって訳ですよ宍戸さん」

「――――!!??」

 

 

 体に巻き付け所持していた爆弾が全て、恐るべき力によって飛鳥の元に飛んで行った。

 

 飛禅飛鳥が所持する“浮遊”の力。

 無機物有機物問わず、物体を浮遊させ自在に操る異能の前では、物を奪われないという事は不可能な話だ。

 だからこそ、宍戸は最後の最後まで気が付かれないようにと服の内側に隠すようにして所持していたのだが、それすら上回られた。

 

 飛鳥は少し自身の体を床から浮かせながら、飛んできた爆弾を手元から数センチ離した位置に停止させ起動していないのを確認すると、ニコリと嬉し気に微笑んだ。

 

 

「チェックメイトですね」

「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な、馬鹿なっ……!! こんな、こんな何もかもが上手くいかない事があるか!? 何だこれは!? 何なんだこれは!!??」

「……悪いな宍戸。お前の行動は大体読めている。この後お前に残された行動は、拳銃で自分を撃って山峰警視総監の代わりとなる事か、それとも所持しているだろう薬品を使用して異能の開花に賭けるかのどちらかなんだろうが……どちらもさせるつもりはない」

「――――……ありえない……」

 

 

 自分の手の内全てが筒抜けになっている。

 そんなありえない現実に、ガクリと完全に力が抜けてしまった宍戸はその場で膝を突いた。

 まるで目に見えない巨大な意思が宍戸の思惑を砕いているかのような状況の悪さ。

姿の無い巨大な絶望感に圧し潰された宍戸の姿は、無力に打ちひしがれるかのようであまりに痛々しかった。

 

 助けられた衿嘉と剣崎が未だに自身の無事を信じられないようにしているのを余所に、柿崎が素早く彼らを警視総監室から脱出させる。

 そして、飛鳥がほんのわずかな挙動すら見逃さないというように宍戸を観察している今の状況は、彼にとっては監獄に放り込まれたのと同義だ。

 

 そしてそれは宍戸の計画が、何も成せないまま終わってしまった事を意味していた。

 

 

「自身の体に爆弾を巻いてまで……宍戸、どうしてお前はそこまで……」

「…………元々、俺が警察になったのは北陸新幹線爆破事件の真相を知りたかった。だからどれだけ理不尽な相手であろうとも従順であり続けた。だが、もう、嫌気が差したんだよ。この組織の状況も、お前のような優秀な奴を迫害する環境も、これから訪れるだろう未来も、昔から何も変わっていなかった『今』も、俺から家族を奪った奴らがのうのうと生活している事も。俺は何もかも嫌だったんだ。…………それに、俺はもう長くはないからな」

 

 

 それだけ言うと、宍戸はゴホッと血を吐き出して蹲る。

 突然行われた目の前のそんな光景に、神楽坂達警察組は心配するよりも先に気を引くための演技かと警戒を強めたが、フードを被った小柄の人物だけが焦ったように声を上げた。

 

 

「貴方っ、奪った薬品をどうしたんですか!?」

「……」

「まさか……全て自分に使ったんですか? 安全かも、どんな副作用があるかも分からないあんなものを、全て……?」

「……なるほど、君が、『ブレーン』とやらか」

 

 

 フードを被った小柄の人物、燐香の言葉を聞いて、やっと得心が行ったとでも言うように宍戸はそう呟いた。

 

 声の主であるフードの人物が、自分の計画を散々妨げて来た張本人であるのかと、憎悪を込めて睨もうとした。

だが、フードの影、眼鏡の奥、その先にある目が自分を心配でもするように揺れている事に気が付いて、宍戸はそんな気持ちも無くなってしまい軽く微笑んだ。

 

 

「…………誰の手に渡っても不幸しか生み出さない物なら俺の手の内で処分した方が良いと思った。そして、俺が何かしらの異能に目覚める事が出来れば、もっとうまく計画を立てられると思ったのさ。結果はこんな情けないものになってしまったけどな……ごほっ」

 

 

 動揺したような燐香の言葉を聞いて、神楽坂と飛鳥は宍戸の様子が演技でないことを悟る。

 吐き出された血が本物なら、宍戸の体の中では一体どれほどの損傷があるのかと血の気が引く。

 

 そして同時に思うのは、世に出回っている“異能開花薬品”の危険性だ。

 

 

「……1つ程度なら体調を悪くするだけだったんだろう。だが、異能が開花しない事に焦りを覚え5つもの薬品を飲み込んだ俺の体の内側はズタズタだ。ただの馬鹿なやらかしだ。これは、俺自身の問題だ」

「っっ、直ぐに銃を捨て投降しろ! 拘束して病院に連れて――――」

「誰が、もう諦めると言った?」

 

 

 ゆらりと立ち上がった宍戸の姿に、状況を静観していた他の警察職員達が慌ててそれぞれの拳銃を抜き構えた。

 けれど、飛鳥が簡単に銃弾を無効化して見せた事を知っている神楽坂達や飛鳥と同じ部署の柿崎は、宍戸の持っている拳銃がこの場においてはもはや役に立たないものだと分かっている。

 宍戸に残されている抵抗手段など全て封殺されている事を、知っているのだ。

 

 完全に周囲を包囲され、拳銃を向けられた状況。

 最も警戒していた異能持ちの飛禅飛鳥や、宍戸が知る限り最も優秀な者達である柿崎と神楽坂が相対している状況。

 そんな、覆りようのない窮地であるのに、宍戸の目からは力が消えることは無い。

 

 

「たかだか覆しようのない状況に陥った程度で諦めるほど、俺の決意が軽いと思ったか。自分の命が惜しくなって武装を捨てて助けを請うほど、俺の選択が軽いと思ったか。お前らが全ての事実を消し去ろうとした人達の命が、そんなものだと思ったか」

 

 

 燃えるような宍戸の目に、絶対的に有利な筈の警察官達が気圧される。

 何もできる筈がない宍戸という犯罪者に対して、危機感を覚えて仕方ない。

 

 

「――――嘗めるなよ、警察」

 

 

 もはや何の活路も無い筈の宍戸の鬼気迫る言葉。

 この場にいる者達全員の顔に緊張が走り、油断なく警戒し何も言葉を返さない中。

 

 

 『ここにいない誰か』が、宍戸の言葉に反応を返した。

 

 

『――――実力の伴わない覚悟ね。他人はそれを無謀と呼ぶけれど、私は嫌いじゃないわ』

「!!??」

 

 

 幼い誰かの声がする。

 はっきりと、一字一句、聞き漏らせない程鮮明に、その声は宍戸の意識に届けられた。

 

 警報音や人の声が飛び交うこの場でのその声は、あまりに異常だった。

 

 

「ごほっ……誰だ、今俺に話し掛けたのは誰だ? 子供がここにいるのか……?」

「……何を言ってやがる? ついにとち狂ったか宍戸」

「柿崎、お前も聞こえただろう。幼い、子供のような声が……俺の幻聴なのか?」

 

『最初に自分を疑うのは悪くない癖だと思うわ。でも残念ながら今回は、私が確かに話し掛けてるの……さて、私はここよ』

 

 

 呆然と、宍戸は導かれるように顔を動かす。

 ガラスが割れ、物が散らばり、汚れ切った部屋の中。

 そんな風になり果てた警視総監室の中をゆっくりと見回して、宍戸はつい先ほどまで衿嘉が座っていた革の椅子に一人の少女が腰を下ろしている事を認めた。

 

 小学生程度の幼い少女がそこにいる。

 

 それは、あまりに不似合いな光景だった。

 悍ましい光を瞳に宿した、どこまでも冷たい表情をした幼い少女が、尊大に、身の丈に合わぬ椅子に座ってこちらを眺めている。

 自身の白魚のような指を弄びながら宍戸が気付くのを待っていた彼女は、ようやく自身の姿を認めた宍戸を嘲るように笑った。

 

 

「……子供? なんで、君のような子供が……?」

『ああ、なんて可哀そう。無警戒にあんな正体の分からない薬品を大量に使用して……アレは異能の出力そのものを形として閉じ込めているようなもの。出力を自身の異能として放出できない人が大量に摂取したら、体内に残留した異能の出力が体を引き裂くに決まっているのにね。こんなことも想像できずに勝手に不幸になるなんて、本当に救えないわ』

「君は……誰だ……?」

『“顔の無い巨人”は私も好きじゃないから……そうね、“百貌”で良いわ』

「“百貌”……? そんな、今決めたような仮称など……」

 

 

 動揺する宍戸の様子は周りから見れば狂気に満ちている。

 何故なら今の宍戸の姿は、何もない、誰も居ない警視総監の椅子に向かって、青白い顔をしながら一人ぶつぶつと呟き続けているのだから。

 

 

『ねえ、宍戸四郎。貴方に足りないものを私が補ってあげる』

 

 

 けれどもそれは、周りから見ればありもしない妄想だったとしても、それと実際に会話している宍戸にとっては違いようのない確かな現実。

 

 異常な少女の存在に恐怖を抱き始めた宍戸が警戒するように口を閉ざした瞬間、少女の姿にノイズが走り、ほんの一瞬で宍戸の目の前に現れた。

 驚愕で反応しそうになる体が、何故だか強制的に抑え込まれる。

 

 

『そんな下らない薬品よりもずっと確かなこの力。安心して、身を委ねて。私だけが貴方を救える存在』

 

 

 そして、その少女の身がふわりと羽毛のように宙に浮く。

 宍戸の視界を少女が埋め尽くすように、少女の羽織る服が巨大な翼のように宍戸を覆った。

 

 

『貴方は神様に選ばれなかった。けど、私は貴方を選んであげるわ』

 

 

 最後に見えたのは、薄く、薄く、ぞっとするほど冷たく優しい笑み。

 くすくすと嗤う少女のノイズ混じりの白い手が、そっと宍戸の頭に触れた。

 

 

 

 

 


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