非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?   作:色付きカルテ

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権威の在り方

 

 

 まだ日が出始めてそれほど経っていない朝の早い時間帯。

 送迎用の黒塗りの車両が建物の前に停車したのを確認し、さらに早い時間から待ち構えていた者達が一斉にその車から降りて来た人物に殺到した。

 

 

「おはようございます!」

「山峰警視総監、本日のご予定はいかがでしょうか!? これからの方針で何か定まったものがあれば教えてください!」

「山峰警視総監! 今後の超能力犯罪への対処する体勢をどうお考えになられていますか!? ブレーンと呼ばれる役職の方や超能力を所持する者のこれからの扱い方はどのようになさるおつもりですか!?」

 

「……私の方からは、広報出来るようになりましたら専門の者が会見を開きますのでしばらくお待ちください、とだけ。失礼します」

 

 

 車両から降りた衿嘉を待ち受けていた記者達の詰め寄りをSP(要人警護)が防ぐ。

 投げ掛けられる質問に返答しつつも、繰り返されてきたその回答では彼らが納得しない事を理解している衿嘉は、記者達に対して軽く一礼してから建物の中へと入っていった。

 

 記者達の質問の嵐を背中に受けながら、彼は頭と胃が再び痛み始めたのを感じ取る。

 

 

「……部屋に戻る、警護はもう大丈夫だ。助かったよ」

「はい、それではまた外出の際に」

 

 

 倒壊した警視庁本部の代わりとして急遽使用する事となった国有の建物の中で、SPに任務の解除を命じると、衿嘉は警視総監の仕事部屋として割り振られた部屋に入った。

 

 以前の警視総監室に比べると色々と勝手が違うが、事情が事情なだけにどうにもしようがない。

 元々あまり部屋に物を置かない主義の衿嘉にとっては以前よりも殺風景な今の部屋は落ち着くのだが、一つどうしても気になる所があった。

 

 

「また追い回されていたのか衿嘉。ちょうど今、テレビのニュースでお前がこの建物に入る所を流されていたぞ。はぐらかされたと出演者が騒いでいた」

「…………阿蓮(あれん)。茶化すな」

 

 

 部屋で仕事をしていた旧友である剣崎阿蓮(けんざき あれん)の言葉に、衿嘉は表情を思いっきり歪めながら語気を強めた。

 

 そもそも今の衿嘉は朝から記者に追い回され機嫌が良くない。

 以前の建物と比べ記者達が出入する者達に対して取材をしやすく、今現在の情勢により記者達からの当たりが非常に強いという事が、確実に衿嘉の精神を削ってきているのだ。

 だからこそ、一歩引いた場所で自分をからかってくるこの旧友の姿勢が許せない。

 

 剣崎は少しだけ不機嫌になった旧友の姿に呆れたような表情を浮かべ、部屋に置かれたテレビを顎で指し示した。

 

 

「見ろ。お前がここに入って来る映像がまた流されている。世間的な注目度もだが、何より今報道関係者達は警察が大きな情報を包み隠しているのだと確信して、それを何とか暴いてやろうと躍起になっている。世間の興味を煽り、世論に混乱させられた事情を知る警察関係者のいずれかが話を暴露するよう誘導しているんだ」

「……飛禅さんや灰涅君という特例の情報はともかく、『ブレーン』なんてものはいないんだがな。いないものをどう説明しろと言うのか……」

「とはいえ今更否定しても無理だな。出回った映像で重要人物がその単語を口にしてしまったのが大きい。聞けば、あの子は飛禅飛鳥にも個人的な友好関係があって、冗談のつもりでその単語を口にしたみたいだが……タイミングが悪かったとしか言えない」

 

 

 ちょっとだけ同情するような口ぶりで剣崎がそう呟く。

 剣崎にとって自分達の身だけを考えるなら、あの少女を巻き込んだ自身の判断は間違いなく正しかったのだろうが、彼女の事を考えるなら、自分の判断はあまりに酷いものだっただろうと思うからだ。

 

 ただの一般人……と言うには少々、剣崎にとってあの少女の存在は不気味が過ぎたが、それでも彼女は剣崎にとっては恩人だった。

 今更、多くの命を救って来た彼女が善良でないなんて事は疑っていない。

 警察とは無関係な、何の義務や責任も無い善良な子供を、こんな世間のゴタゴタに巻き込むべきではないとは剣崎だって思っている。

 

 だが、ここまで大きく話が拗れてしまうと、完全に否定するのは難しいのが実情だ。

 

 

「俺はあの子の連絡先を知らない。衿嘉、お前の方からあの子に連絡して、目立つような事はしばらく控えるように伝えた方が良い。この調子なら、世論に圧された政府が現体制を公表しろと言ってくるのも時間の問題だ。その時『ブレーン』などという役職がない事をしっかりとした資料と共に提出すれば、時間は掛かるだろうが向かっている注目も無くなっていくだろう。だから…………おい、衿嘉聞いているのか?」

「…………」

 

 

 だからそうやって、剣崎が恩人とも言えるあの少女への影響と併せて、これから先の警察の動きについて話をしていたのだが、どうにも目の前の話し相手である衿嘉の様子がおかしい。

 先程の剣崎の話を聞き、ぼんやりと宙へと視線を向けて何かを考えて黙り込んでいる。

 

 何か、妙な事に気が付いたとでも言うように、衿嘉は視線を彷徨わせる。

 

 

「神楽坂君や飛禅さんと交友があり、他の誰も気が付かなかった私を狙った毒物に気が付き、結果的に彼女が関わった全ての出来事は最悪の結末を免れた。そして、少なからず武道を嗜んでいる袖子が陥った抵抗の難しい危機をあの子がなんらかの方法で救っている、か……」

「……おい、何を考えている」

「何かしら事件に巻き込まれやすい体質の者はいる。だが自身以外の、周りの者へ及ぶ不幸を的確に解決出来うる者はそういない。それも、数が積み重なるなら殊更にだ。それを、容易く成し遂げている彼女は……」

「…………衿嘉、お前が言いたいことは分かる。だがな」

 

 

 制止するような剣崎の言葉も意に介さず、衿嘉は自身の頭に過った考えを口にする。

 

 

「彼女は、異能というものを所持していても不思議ではないんじゃないか?」

「……」

 

 

 否定はしない。

 剣崎も、これまでその可能性を考えなかったわけでは無いからだ。

 不気味なほどに、自分を襲っていたどうしようもない悪意が自分の知らないところで解消されていく事実があって、剣崎がその理由を一人考えていたのは確かで。

 その中の一つとして、衿嘉の言うその可能性を考えた事も確かなのだ。

 

 だがそれはあくまで個人の妄想の範疇であり、証明する術を彼らは持ち合わせてないなどいない。

 

 だからこそ――――

 

 

「……だったらどうする。問いただすのか? その予想が正しかったとして、協力要請でもするのか? 現状敵対も、その力を悪用してもいないアレに対して、何を持ってそんな行動をする。それをしなければならないほど、現状は切迫しているものなのか?」

「阿蓮……?」

 

「止めろ、そんなことは絶対にするな。止めてくれ衿嘉」

 

 

 ――――剣崎は恐怖する。

 少女の形をした埒外のアレに、剣崎は今も恐怖しているのだ。

 

 剣崎はこれまで多くの犯罪者を捕まえて来た。

 百戦錬磨とも呼べるほどに磨き上げられた剣崎の技術や経験は、国内においても並ぶものの方が少ないと断言できるほどに卓越したもので。

 

 そして、そんな剣崎だからこそ、あの少女の異常性が深く理解できてしまっていた。

 

 埒外のアレが自分達を敵と見定めた時を想像し背筋が凍る。

 あの全貌の見えない怪物のような少女が、剣崎達を不利益を齎す害悪だと判断した時の危険性を想像してしまう。

 

 それは剣崎にとって悪夢のような想像だった。

 

 恩がある、それは確かだ。

 旧友を殺めようとした自分を止めたのも彼女で、爆破計画から自分達を救ってくれたのも彼女。

 そしてきっと、あの液体の怪物に囚われていた家族を救ったのも彼女だろうと、剣崎は勝手に思っている。

 積み重なったそれらの出来事で、口にこそしないが剣崎は誰よりもあの少女に感謝しているのだ。

 

 だが同様に――――いいや、それを上回る程に。

 人の形をしたアレに自分の全てを見透かされたあの瞬間を、自身を取り巻く何もかもを踏み潰されたあの瞬間を、周囲の人心すら完全に掌握していたあの瞬間を。

 

 剣崎は、心底恐怖していた。

 

 

「立場を考えろ。お前はただの警察官じゃない、この組織の頭なんだ。お前が敵対するという事は自ずと組織全てが敵対するという事。そしてそれは相手にとっても同じだ。絶対に勝てない相手に対してお前が軽率に敵対した時の代償は、組織全てで支払わされる。分かるか衿嘉。お前自身の手で、どうしようもない巨大な敵を作ってしまう可能性があるんだ」

「まっ――――待て待て阿蓮! 私はそこまでどうこうしようという話はしていない! 可能性の話をしただけだ! 落ち着け! お前らしくも無い!」

 

 

 だから。

 鬼気迫る表情で自身に詰め寄った剣崎の想い違いに対して衿嘉は慌てて訂正を入れる。

 

 衿嘉が考えたのはあくまであの少女のこれまでの功績と、異能犯罪に対して見聞の深い神楽坂と飛鳥の二人と交友があるという事実から繋いだ可能性の話だ。

 可能性があるからどうしようという所までは考えていなかったし、そもそも娘の友人に対して権謀術数を弄するつもりなんて無い。

 結局のところ、あの少女が何かしら悪事を行わない限り、衿嘉には手を出そうと意志は存在していなかったのだ。

 

 だが、擦れ違いであったとしても、これまで見たことの無い程態度を豹変させた旧友の姿に衿嘉は思わず動揺してしまう。

 

 

「阿蓮、お前……あの子がそんなにトラウマになっているのか?」

「………………い、いや違う。俺もあくまで可能性の話をしただけで」

「いやもう、これまで見たこと無いくらい弱気な口ぶりだったからな? 誤魔化しようの無いくらい弱腰だったからな? 荒事になっても眉一つ動かさないお前の顔が、さっきまで蒼白になってたからな?」

「…………」

 

 

 ある程度落ち着きを取り戻したのだろう、目を何度も瞬かせて視線を逸らす剣崎の情けない姿に衿嘉は思わず溜息を吐いてしまった。

 今更こんな情けない旧友の姿を知ることになるなんて思っても見なかった、なんて衿嘉は頭を抱えた。

 

 

「と、ともかくだ! アレの件については、大人の俺達が下手な干渉をするべきではないと思う! 幸い袖子ちゃんが仲良くやっているみたいだから何とか手綱を握るだろうし、神楽坂上矢や飛禅飛鳥にも交友関係があるなら彼らに任せるべきだろう! 俺達が考えるべきなのはもっと別なことの筈だ! そうだな!」

「…………娘と同年代の子に怯える親友の姿なんてものを見たくなかったな……冷血の剣崎と呼ばれたお前が……」

「頼まれていたものの調査が終わっていたのを思い出した! 資料がある! ちょっと待ってろ!」

 

 

 衿嘉の切実な呟きは、話を逸らすのに必死な剣崎の耳には届かない。

 自身の机を漁り、作成した資料を取り出した剣崎はそれを衿嘉の机に広げ始めた。

 

 明らかに話を逸らそうとしての行動だが、広げている資料は確かに衿嘉が頼んだものだ。

 衿嘉も気持ちを切り替え、広げられた資料に視線を落とす。

 

 

「よし、これがお前に頼まれていた20年前の北陸新幹線爆破事件の捜査に関わった警察官全員の聞き取り調査を行った結果だ。俺も直接担当したが、中でもあの嘉善義之は人が変わったようで、あの時の宍戸四郎が言っていた通り隠蔽工作に携わった事を事細かに白状したぞ。あの妖怪染みた男がいつの間にか好々爺のように豹変している事には驚いたが、おかげで簡単に過去の隠蔽の実情を調べ上げることが出来た……警察内部で隠蔽に関与したのは16名、俺達の想像以上にこの件は根が深かった」

「やはりか」

 

 

 それは宍戸四郎という元警察幹部が残した爆弾であり、警視総監となった衿嘉にとっても知る由の無かった過去の事件の裏側。

 

 先日の爆破事件が終息し、各人の無事を確かめた衿嘉が一番に剣崎に頼んだのはこの事実の確認だった。

 警察内部の過去の工作活動を調べ上げる、通常なら非常に難しいその依頼を、剣崎は衿嘉の期待通りにものの数日で遂行して見せたのだ。

 

 手物の資料を手に取り神妙に頷く衿嘉に対し、剣崎は首を横に振る。

 それは自身の成果を誇示するようなものでも無く、良いとも悪いとも言えないような微妙な反応。

 

 

「それだけじゃない、もう一つ見過ごせない情報がある。隠蔽に関わった警察官は問題なかったが、政治家の方は現在存命する者は誰も居なかった。そして、名前が挙がった政治家の最後を追ってみたがいずれも僅かながら神薙隆一郎との接点が確認できた」

「つまり……神薙隆一郎の粛清か。にわかに信じられなかったが、あの件も間違いの無いものなんだな」

「確定ではないが恐らくな。隠蔽工作を行った政治家は神薙隆一郎の手によって既に始末されていたということだろう。だがそれはつまり、政府からこれ以上事件を掘り返すなと圧力が掛かる事も、得た情報を公表するなと裏工作してくる事もまず無いと見て良い。この点は俺達にとって悪くない情報だ」

「神薙隆一郎が行っていた『剪定』による社会掌握か……自首により終息し、詳細が判明するまで誰もこの事実に気が付いていなかったというのが恐ろしいな。俺達が知るよりも前から、この国は異能という力に裏から支配されていたという事がはっきりした訳だからな」

 

 

 現在も世界を揺るがしている“医神”の件。

 かの人物が行っていた社会操作が間違いなく機能していた事をこんな形で知る事となり、その規模、凶悪性を再認識し、肝が冷えた。

 異能という力を悪用すれば、権力や金、人脈を用いる必要も無く、それどころか人知れず社会を操作する事が可能だという事だからだ。

 

 だが今は、終わった過去の事件よりも見るべきものがある。

 

 

「阿蓮、助かった。20年も前の隠蔽事件だが、判明した以上詳細を調べるのは警察としての責務だろう。この件は正式に世間に公表するつもりだ」

「……分かっているのか? こんな話を正式に警察として公表すれば、事態の収束を図りたい政府がスケープゴートとしてお前を処分しようとするのは目に見えているんだぞ」

「分かっている。だが、公正な組織づくりを目指してこの地位に付いた私が自分の保身のために不正を行うのは違うだろ? やりたい事をやり終えるまではこの椅子に無様にしがみ付くつもりだが、処分されるならその時はその時だよ」

「……そうか」

 

 

 ある意味自分が責任を取るという意味に近い衿嘉の返答に剣崎は思わず顔を伏せる。

 警視総監に就任したばかりで碌に当時の隠蔽の事情を知らない身でありながら、そんな衿嘉の迷いない返答に、報告を上げた剣崎の方が戸惑うように口を噤んだ。

 

 

「…………本当に、悪いタイミングで出世してしまったものだな」

 

 

 そして結局、そんな旧友の性格が昔からちっとも変わっていないのだと理解して、剣崎は苦笑しながらそう言うしかなかった。

 呆れたような剣崎の笑いに対し、衿嘉は大した気負いも無いように軽く肩を竦めて返す。

 

 

「今の俺達は時代の節目にいる。この分岐点で私達が誤った選択をすれば、これからの未来で苦労するのは子供達だ。むしろ今この椅子に座っているのが私で良かった」

「……俺はお前のそういうところは昔から嫌いだったよ」

「だが、お前の嫌いな俺の足りない部分はお前が補ってくれるんだろう? これまでもずっとそうしてくれたように。迷惑を掛けるが……阿蓮、頼めるか?」

「…………何年同じ事をやって来たと思ってる。最後まで付き合うさ親友」

 

 

 異能という超常的な才能が世を乱している現代はまさに時代の分岐点。

 そんな衿嘉の考えは間違いのないものであることは剣崎だって理解している。

 だがその為に、長年積み重ねてようやく手に入れた現在の地位を棒に振るえるか、となると話は変わるものである筈だと剣崎は思うのだ。

 

 だからこそ、即決し断言できる衿嘉の為ならとこれまで彼を支え続けてきたが、それが彼を追い詰める欠点にも成り得る事を剣崎は充分理解していた。

 

 

(……衿嘉をスケープゴートにしようと動くだろう人物は大体分かる。そいつらの弱みを握って、何か動き出しがあれば即時に対応できるよう備えておくか……)

 

「ふぅ、肝心なところで頭の弱い友人を持つと疲れるな……」

「なんだとっ、阿蓮お前な――――」

 

 

 溜息混じりの剣崎の言葉に何かを返す前に、唐突に衿嘉のマナーモードの携帯が振動した。

 

 誰かからのメッセージ。

 画面に目を向けて内容を確認した衿嘉が、心底困ったように眉尻を下げて、助けを求めるように剣崎を見た。

 それだけで、長年交友がある剣崎は何を言われるのか大体理解し、視線を逸らす。

 

 

「阿蓮……袖子が」

「知らん」

「袖子が、友達の佐取さんを家に泊まらせる時に貸す用の下着を帰りに買ってきて欲しいと言ってるんだが……阿蓮、頼めるか?」

「頼めるか、じゃないっ……よりにもよってアレが関わるそんな厄ネタを俺に振るなぁ!」

 

 

 そんな、数日前に爆弾犯に狙われたとは思えないような警察官僚の騒がしい声が、臨時の警視総監室の中で響き渡っていた。

 

 

 


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