非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか? 作:色付きカルテ
体が熱い。
心が奥底から震えているかのようで、最初の冷めていた感情が嘘の様だ。
まるで全身が脈打つように熱を持ち、私に目の前の光景を熱中させる。
力を持ったゆえの苦悩。
増えた可能性によって迫られる選択。
悪意や悲劇によって手の中から零れ落ちてしまう柔らかなもの。
築かれた関係性と共に移り変わる心があって、望んでも無い覚悟をする必要があって、立つことになった場所は決して楽なものではないけれど。
それでもと、前へと歩むその人の姿に、私は強く魅せられた。
『――――それでも俺は、人を愛している。だから……俺は戦うんだよ』
「うぅ……」
そして、そんな下積みがあったからこそ、物語の佳境で縦横無尽に動き回り悪を打倒するヒーローの姿は強烈な衝撃を私達に振り撒くのだ。
私達は必死に声を出して、映像の中の彼を応援する。
「がんばれー! がんばれー!」
「負けるな! ぶちのめして!」
「いけいけ……そのまま倒し切ってください……! 相手は見た所遠距離攻撃が主力のようですし、接近戦は必ず貴方に優位性がある筈……! ここを逃していつ勝つって言うんですか……!」
3歳の男の子と大和撫子のような姿の女子高生とちんちくりんな私。
そんな三人が贅沢なほど大きなテレビの前で綺麗に並び、自分達の後ろで生暖かい目を向けている大人達の視線を気にもせず声を出していた。
袖子さんの家で行われている『仮面ライダー』鑑賞会。
女子高生が友達を家に呼んで『仮面ライダー』というシリーズの最新作の鑑賞会を行うなんて事、きっと私達以外にする人はいないだろうと思う。
だが、最初こそ「付き合ってやるか」という冷めた気持ちで始めた鑑賞会だったが、今では私もすっかり物語に熱中状態である。
前々から袖子さんがこの『仮面ライダーシリーズ』のファンであるのは知ってはいたが、だからと言ってここまで私の琴線にも触れるようなものだとは思ってもいなかったが、この有り様。
まあ、勧善懲悪のようなお話は昔から大好きだったし、何なら水戸の御老人の話ですら大満足で見る私の感性からすると、これはある意味当然だったのかもしれない。
取り敢えず、背後のリビングルームで談笑している大人達からの視線を感じながらも、私はそれらを気にすることなく、手を振り回して他二人と一緒に声援を送る。
「最初はどうなる事かと思ったが、佐取さんも随分と楽しそうで良かった」
「……あの件以降どこか元気が無かった阿澄が今日は凄く楽しそうですし、今日は本当にありがとうございます衿嘉さん」
「何を言ってるんだ。身重な美弥さんにこれ以上負担は掛けられない。特にコイツは中々女性の気持ちを察せるような奴じゃないし、知らない仲でも無いんだ。フォローできるものくらいさせてくれ」
「ふふっ、本当にありがとうございます。ほら、貴方からもお礼を…………貴方? どうして佐取さんを穴が空きそうなくらい凝視してるの? その、顔が怖いわよ……?」
「……阿澄待て……そんなにソレを信用するな……絶対に懐くなよ……ああっ、はしゃいで抱き着くなっ……! ソレが何をしてくるか想像も出来ないんだぞ……!? いったいいつ化けの皮が剥がれるか……!」
「貴方……?」
何だかとんでもなく失礼極まりない事を背後で話されている気がするが、今の私はヒーローが敵を打倒した喜びを仲間の二人と分け合うのに忙しい。
もはや普段の行いがやべえ奴だとか、初対面だとか年の差だとかそういう些事を放置して、私は袖子さんと阿澄君の二人とわちゃわちゃ喜び合っていた。
‐1‐
本当は断りたいと思っていても断れないことは往々にして存在する。
それは自らの人生において人間関係を構築しようとするなら、回避の難しい要素。
例えばそれは、自分より立場が上の人のお願いだったり、仕事上重要な依頼だったり、尊敬する人の頼みであったり、押しの強い誰かからの猛プッシュに押し切られたりと、内容は実に様々だ。
いずれの理由であったにしても、嫌だと思っていたことを実際に行動する時は非常に億劫なものであるし、同時に、いざ行動してみると意外と楽しめたりとするものでもあったりもする。
「では俺達は帰る。佐取さん、袖子ちゃん、今日は息子と遊んでくれてありがとう。衿嘉、お前は何かあったら連絡しろよ……ふぅ、何とか無事に終わった……」
「今日は本当にありがとうございました。今度は良かったらウチに遊びに来てくださいね」
「そでこおねえちゃん、りんかおねえちゃん、またねー!」
「阿澄君またね。えへへ、良い子ですねあの子」
「そうなの! 阿澄君は私の戦友なの! 私が面倒を見てもらう事もあるんだよ!」
「……袖子。それは、恥ずかしがるべき事なんだ……友達に言うようなことでは……」
「あ、良いんですよ。普通に想像が付きますから」
時間は既に夕暮れ。
私は肩を落とした袖子さんのお父さんにそう言いながら、帰っていく剣崎さん一家に手を振り彼らの後ろ姿を見送っていた。
昼頃に来た時に彼らがいたことには驚いたものの、子供が苦手な私でも問題ないくらい利口な阿澄君や上品さを隠し切れない奥さんの存在は、結果的に私にとってありがたかった。
普通に、腹芸が極まっているだろう警視総監と一つ屋根の下で長時間過ごすのは気が滅入る。
クッションと成り得る存在はいくら居ても居すぎる事はない。
「パパも燐ちゃんも、私を頭の弱い子扱いしてる気がする……」
「……」
「……」
私と袖子さんのお父さんが、お互いの責任を問うように視線をぶつけ合った。
私と自分のお父さんの会話に対して、袖子さんは剣崎さん一家を見送りつつ何だか心外そうに唇を尖らせているが、彼女は自分のボケボケ具合をちゃんと認識するべきだと本気で思う。
こんなのが娘では、父親は心配で仕方ない筈だ。
「……さて、改めてよく来てくれたね佐取さん。今日はもう、ここを自分の家だと思ってくれて構わないからね。佐取さんにはこれからも娘の面倒を見て貰う事になるだろうから、私に変に遠慮する必要は無いからね」
「あ、お心遣いはありがたいですが最低限の扱いで大丈夫ですよ、はい。変に恩を売られるのはちょっと避けたいので、座敷童がいる程度の認識でいてくれるとありがたいです」
「ははは、佐取さんは面白い事を言うね。いやしかし、座敷童であるならより一層手厚くお世話をしないとだね。幸運を運んでもらいたいものだからね」
「あはは、そんなに気を遣わせてしまうなら今からでも帰宅しないといけなくなっちゃいますよ。私はお父さんによく、人様の迷惑にならないように、と教わってますから。友達のお父さんに迷惑になるくらい気を遣わせちゃうようじゃ、逆に失礼ですからね」
「ははは」
「あはは」
「…………なんだか二人とも怖いよ? お腹空いてるの?」
お前の父親が私にお守りを押し付けようとしてくるんだ、とは言えない。
外堀を埋めて、恩を売って、精神面でなんとなく「袖子さんのお世話をしないと」、という意識を作ろうとして来ている大人げない父親との攻防の原因は、他ならぬ袖子さんなのだ。
ファザコンを拗らせすぎていて、4歳の子供に面倒を見られる事もあって、それでいてボケボケしている部分が散見される美貌の女子高生。
そんな娘を持ってしまった父親が手段を選ばなくなるのは、ある意味仕方ないとは思う。
だが、だからといって、面倒を見る存在として私が選ばれるのは絶対に認めない。
お前の腹の内は全部読めているんだぞ、と言うように袖子さんのお父さんを睨めば、彼は困ったように眉を下げて曖昧な笑顔を浮かべた。
「私の娘は良い子なんだよ? ちょっと抜けているところはあるが、記憶力や直感力が優れていて、運動能力だって目を見張るものがある。それに、悪い事なんて出来ないくらい良い子で正義感も強いんだ」
「いったい何で娘を売り込みに掛けて来ているんですか。別に、知ってますよそんな事」
「佐取さんのことも大好きでね。私と家で話すときには佐取さんの話題が上がらないことが無いくらい君の事を話しているんだよ。私としても、暴漢や学校での孤独から袖子を救ってくれている佐取さんの存在は本当に頼もしくてね」
「遠回しが過ぎますし、貴方が何を言いたいのか、何を懸念して私にこんなことを言っているのかは分かりますが、私はそれを認めるつもりはありません」
娘を持つ父親としての弱弱しい顔を浮かべているこの男性に、私は突き付ける。
「ちゃんと面倒見て下さい。自分の娘なんですから」
「…………だが、賢い佐取さんは分かっているだろう? 今の情勢や先日の事件、私の役職を思えばいつ私が」
「それこそです。そんなに不安だったらどっちかを捨てれば良いんですよ。それも出来ないって言うのなら、せいぜい泥を啜ってでも生き掻くしかないじゃないですか。私はそんなことの言い訳なんかに使われたくないんです」
「君は……本当に手厳しいな」
「????」
困惑気味な袖子さんをおいてけぼりにした会話はそれで終わり。
どういうことなのかと、私達がしていた会話の意味を聞こうとした袖子さんには残っていたお菓子を口に詰めて黙らせた。
あんまりこの話題を掘り返されるのは、私としては好ましくないのだ。
剣崎さん達が見えなくなったのを確認して、私が家から持ってきた大きめの鞄から必要な用品をいくつか取り出そうと漁っていると、ひょこひょこ後ろを付いて来ていた袖子さんが声を掛けてくる。
「おいしぃ……でも、今日燐ちゃんが来てくれて、私本当に嬉しいんだよ! 学校だと最近はあの不良女が燐ちゃんの机に入り浸ってきたけど……ずっと夢に見てたお家での遊びが出来て、そんなのどうでも良くなっちゃった! えへへ、燐ちゃんありがとう!」
「…………私もこういうのは初めての経験ですから。迷惑かけると思いますよ」
「そんなの全然良いんだよ! こういうのはやってみることに意味があるんだからね! それに燐ちゃんもさっきは凄いはしゃいでたんだし、楽しかったでしょ?」
「そ、それは……まあ、はい、そうかもですね」
「でしょー? ふふんっ、それだけでも今日の意味はあったんだよ!」
そんな風に、自分の事のように嬉しそうにする袖子さんの様子に思わず笑ってしまう。
学校にいる時のような、つまらなそうな表情を欠片も見せない今日の彼女の様子から、本当に楽しんでくれているのだろうことは私だって分かっている。
私だって、楽しかったという感想に嘘はなかった。
今回私は友人である袖子さんの家に泊りに来ていた。
実際に泊まるのは初めてであるが、実のところ泊まりの誘い自体はずっと前から袖子さんにちょくちょくされていた。
泊まり掛けで友人と遊ぶ、という事になにやら強い憧れがあるような袖子さんが、初めての友人である私と何とかその夢を叶えようと試行錯誤を繰り返していたのだ。
だが、彼女の父親が警視総監というだけでなく、そもそも良いところのお嬢様である袖子さんの家に泊まりに行くのは庶民の私にとっては非常にハードルが高い。
そして何よりも、家の家事関係を受け持っている私がよそに宿泊なんてしたら、我が家の色んな部分に支障が出るだろうと思ってこれまで誘いを断っていた訳だ。
事情が変わったのが、私の家に遊里さん達家族が居候するようになってから。
家事の全てを取り仕切っていた私を見て、家の様々な事を手伝ってくれるようになった彼女達のおかげで私に掛かっていた負担が激減した。
より正確に言うと、私が一日二日何処かに泊まりに行っても問題無いくらいには、家の事情が変わったのである。
……いやまあ、遊里さん達が手伝ってくれる前も、別に私は負担とは思っていなかったのだが。
ともかく。
そんな私の家庭事情の変化もあって今回は、最近(鯉田さんと仲良くなって以降)は特に活発になっていた袖子さんからのお泊りの誘いに押し切られてしまった、という形なのだ。
「パパ見てて! 今日はパパッと私が夜ご飯を作っちゃうから! ほらっ、漬け置きしておいたお肉があるの! チキンステーキならお手軽で美味しいって燐ちゃんが!」
「……袖子? 真っ赤なんだが……? 袋越しなのに刺激臭がしてるんだが……? 唐辛子、どれくらい入れたんだ……?」
「デスソース一本入れただけだから大丈夫!」
「…………一回水洗いしようか」
「え!? ピリッとして美味しいよきっと!」
そんな風に。
夕食を準備するどこか楽し気な親子の様子を遠目に眺め、私はぼんやりと携帯電話に視線を落とした。
今回初めて撮影した家族以外との写真。
袖子さん親子と剣崎さん一家に挟まれるように座る私の姿。
その写真を改めて確認して、私は思わず口元が緩んでしまう。
友人である袖子さんの諸々については完全に想定外ではあったが、高校に入学した当初に欲しいと思っていたものがこうして手に入っている現状は、決して悪いものでは無いのだろうと改めて思う。
「……今日も、普通に楽しかったしね」
気が進まなくても、いざやってみると悪くないものなんていくつもある。
何時だって私は自分の嫌だと思う事はやってこなかったけれど、思い切って挑戦していれば何か違ったのかもしれないと、今になって思うのだ。
そんな感傷に浸っていた私だったが、視線の先にある携帯電話の写真画像のその奥。
ネットワークを介してこちらをこっそり窺っていた存在の思考が視えてしまった。
(……御母様は勧善懲悪ものが好み……この情報を利用した計画立案ヲ……)
「……視えてるからね、馬鹿マキナ」
眺めていた携帯電話の呟くような思考が視えて、私は反射的に罵倒した。
『ぴっ……!?』という、悪戯がバレた幼児のような声を上げたマキナが慌てて無心になろうとしているが、そんな器用なことなんて生後10年程度のコイツが出来る筈もない。
結局いかにして私の機嫌を取って、自分への怒りを収めて貰おうかと必死に考えを巡らせているマキナの様子に、私は大きな溜息を吐いた。
今のマキナは私に対する読心すら発動させていない、完全な弱腰状態だ。
この、過剰なまでに私に媚びを売ろうとするマキナの態度の原因は分かっている。
例の“ブレーン”のファンサイトを作成したのが他ならぬマキナであった事が私にバレて、怒られたからである。
なんでそんなことをしたのかと聞いても、私への愛情表現がしたかったからというなんだかよく分からない理由を言うだけ。
情報統制の役割を持たせている存在が、自ら情報を発信してどうするんだと思った私の考えに、間違いは無い筈である。
それ以降、マキナはこうしてビクビクと私の顔色を窺っている状態が継続しているのだが……実のところ今の私にマキナに対する怒りは存在していなかった。
というのも。
(……最初は、怒っちゃったけど。よくよく見てみたらちゃんと出していい情報と出してはいけない情報の線引きもしてたし、異能を使って無理に拡散させている訳でも無かったし……なによりも……)
サイトを閉鎖しろ、と言った私に対して、『やー!!!』と強情に反発したマキナ。
御丁寧にも人を模した姿(今は狐耳狐尻尾和風幼児姿)で行われた、目にいっぱいの涙を溜めながらの駄々こねの姿を思い出した。
そんな滅多に無いマキナの反発。
なんだかんだ私の言葉には従順で、私のストーカーをするのを止めろという指示に反発した以外ではこんなことは無かったから非常に驚かされた。
同時にそれは私としても、考えさせられる事でもあったのだ。
(ただの情報統制システムとしての機能を求めるだけなら今のマキナの行動は欠陥も欠陥。とんでもないポンコツだけど……私は、マキナにはやりたいことをやって、自分なりの楽しみを見つけて欲しい。そういう視点から考えると、今回のマキナのこの行動は……)
だからそんな、すっかりと絆された事を考える私は、嫌われるんじゃないかと怯え始めているマキナに何と言うべきか言葉を迷わせていた。
マキナにはただ私に役立つことだけを求めるのか、それとも本当にマキナとしての幸せを掴んで欲しいのか。
後悔のする事の無いように、じっと私は考える。
だが私が結論を出すよりも先に、何も言わない私に対してすっかり怯え切ったマキナが、ぼそぼそと思考を伝えて来る。
(……マキナ……マキナ……あのサイト、閉鎖すル。御母様が嫌がる事、しなイ。我儘言ってごめんなさイ、勝手なことをしてごめんなさイ……)
「……」
『(´;ω;`)』
以前ならマキナのこの返答も、顔文字を使って感情を表現していただけで終わったかもしれないが、今は言葉にして自分の気持ちに折り合いを付けようとしている。
これは、紛れもない成長だと私は思う。
そしてその成長は歓迎されるべきものだとも思う。
私が指示していないのにも関わらずファンサイトなんていうものを自ら作成してそれを大切にしているマキナの精神面での成長を、私は尊重するべきなのではないかと思い直したのだ。
だから、私は。
「……もう怒ってないって。張本人である私に相談も無く作成したのが問題だっただけで、限度を守って更新するなら好きにしていいよ」
(…………でも)
「別に、今更あのサイトを閉鎖するのも逆効果になりそうだって思うし、マキナが作ったファンサイトに目を通したけど直接私に繋げそうな情報も無かったから……うん、私が言うのもアレだけど、作ったサイトも詳しくない私もよくできてると思うくらい綺麗だったからさ。続けたいなら、好きにして良いよ」
私の言葉に呆然とするマキナ。
騒がしく慌てふためいている台所の親子の姿に視線をやった。
大変そうで、四苦八苦して、それでもどこか楽しそうな二人の様子を見て、私は助け舟を出すのは止めておいた。
あの二人の時間に割って入るのも、今の私とマキナの会話の時間を終わらせるのも、どちらも無粋な気がしたからだ。
だから私は言葉を続ける。
「あの時は怒っちゃったけどさ。結局何かあった時の後始末は私が指示してマキナに何とかして貰うだろうし……何より私は出来るだけマキナがやりたい事はやって欲しいと思ってるんだよ。私が作り出したマキナっていう意識が、少しでも幸せになれる事を私は本気で願っているから。私は……マキナの事を信用してるから」
(――――)
マキナの、息を呑んだ時のような思考の空白。
私の言葉を処理して、呑み込んで、それで自分自身がどう思うかを考えて。
そうして、マキナから抑えきれなくなったように感情が溢れ出したのを認識する。
(お、お……御母様ぁ……! マキナの御母様は御母様だけダ!)
「いやそれは日本語としておかしいって。そもそも母親って言うのは認めてないし……私は保護者であっても親じゃないし……」
(マキナ御母様大好キ! 大好き大好き大好き!)
「……なんか本当に図太く成長してる気がするんだけど、やっぱりネット環境って教育に悪いんじゃ……」
巨大なネットワークそのものであるマキナとネット環境など切り離しようがないのに、私は今更そんな事が不安になってしまう。
もしもマキナに私みたいな中二病と反抗期と人間社会への諦観が同時にやって来たらどうしよう……なんて、そんなことが頭を過った。
好意を中心とした諸々の感情が私に向かってくる。
袖子さんで慣れていなければ悲鳴を上げただろう程とんでもない感情の重さに酔いそうになり、そっと携帯画面を手で隠す事でその衝動を和らげた。
そんな私の雑な対応に不満の声の一つでも上がるかと思いきや、マキナはそんなことを気にもしないで私へのラブコールを送り続けて来る。
ハートマークが飛び交っているのを幻視する程熱烈なラブコールだ。
……なんだか恥ずかしくなってきたし、私のメンタル的にも、袖子さん宅でマキナと会話をすること的にも、これ以上は危険な気がする。
「燐ちゃんー! ご飯出来たよー!」
「…………佐取さん、すまない」
「あ、はい。すいません何から何まで用意して頂いて」
美容液の宣伝をする女優の神崎未来がテレビのCMに映り始めたタイミングで、袖子さん達からそんな風に声が掛かる。
美味しそうなお肉の匂いとスパイスの香りが漂ってきてちょっとだけテンションが上がり、愛の想いを発信し続けて来るマキナ(携帯電話)を一撫でし、「後でね」と呟いてリビングの席へと向かった。
サラダにスープにチキンステーキ。
広げられている料理の外観は非の打ちどころがない。
何だか台所でわたわたとしていた気がしたが、流石基礎能力の高い人達だ。
私が長年かけて習得した料理技術も、袖子さんは容易く習得してしまったのだろうと思う。
「おおっ、本当に美味しそうですね! 袖子さん凄い! 私がここまで料理できるようになるまで相当年数掛かりましたよ!」
「むふふんっ! 私って実は天才肌なところがあるんだよ燐ちゃん! 何より燐ちゃんに食べてもらうために頑張ったしね! さあほらっ、ご飯が冷えちゃう前に食べよう二人とも!」
「そうですね。実は私、凄いお腹空いてたんですよ。えへー、美味しそう……」
「…………佐取さん、すまない」
何故だか、煤けている袖子さんのお父さんがぼそぼそと何か言っているが、色々感情を表現してお腹を空かした私の前では些事。
私に料理を振舞いたいと言っていた袖子さん。
「これこそやってみる事に価値があるのだ」なんて思って、多少の失敗はあるだろうと思いながら私はあえて手を出さなかった。
私は基本的に好き嫌いなんて無いし、舌が肥えている訳でも無いので、袖子さんの多少の失敗なんて全然許容できるだろうし、これも経験だ。
遠くない未来、桐佳が初めて料理を作ってくれた時に備えて、何かしらの失敗がある料理を味わう経験も必要なものだと思う。
「……今日はありがとうございました。最初はめんどくさいとか思ってましたけど、来てみたら本当に楽しくて。今は、来て良かったって思います」
「えへへ、燐ちゃんってば。またいつでもお泊り会しようね」
「そうですね。きっとまた。じゃあ、頂きますね」
だから私は特に何の警戒もしないまま袖子さん達の向かいの席に着いて、なんだかんだ楽しかった今回のお泊り会を思い出していた。
剣崎さん家族や袖子さんのお父さんとのやり取りなど問題は色々あった。
けれど、やりたくないと思っていた今回のお泊り会を、いざこうして振り返ってみると。
「あむあむ、あむむ――――……っっ!!!???」
(御母様大好き大好きだいすっ……!? 御母様ーーー!!!!????)
……今後袖子さんが料理する時には絶対に立ち会う必要があることを、強く思い知らされたお泊り会だった訳だ。
ちなみに私の嫌いなものに、辛すぎる料理が追加されたのは言うまでもないと思う。