非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?   作:色付きカルテ

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お久しぶりです、新年あけましておめでとうございます!
何とか章が形になりましたので投稿を始めたいと思います!
今年もお付き合い頂けたらとっても嬉しいです!


Ⅱ‐Ⅲ
影を追う


 

 

 

 

 その日の朝、佐取優助は上機嫌だった。

 

 晴れ渡る空に、さえずる小鳥の鳴き声が聞こえる朝方。

 父親が仕事へ、遊里の母親がパートへと出た後、優助は無表情で新聞を片手にコーヒーを嗜んでいた。

 優助の人となりを知らない人が彼のそんな姿をすれば不機嫌そうにも見えるだろうがそんなことはない。

 こんな朝っぱらから元気に響き渡るリビングでの妹達の喧嘩の勃発にも、まったく気にしないくらい晴れ渡る機嫌の良さであるのだ。

 

 勿論それは、彼が落ち着いた朝の一時を過ごせているからという訳ではない。

 

 今日だけでも優助の精神を削るような色々な攻撃はあった。

 そもそも寝不足で体調不良であったり、そんな朝から響き渡る自動掃除機のやけに張り切ったような掃除の音だったり、自分を嫌う妹の受験勉強のストレスによる不機嫌な様子などなどの基本的な攻撃。

 そして変則的な攻撃である、未だに自分には少しだけ壁があるような新しい妹分の態度や、上の妹がなぜか無駄に張り切りまくって可愛らしいキャラ弁を用意していたことには少しだけダメージを負ったが、それらも取り敢えず致命傷ではない。

 

 そんないつもなら朝からグロッキーになり、げっそりとした状態で大学に行くような妹達からの波状攻撃にも全く動じない。

 

 不動で、余裕のある兄としての姿を維持出来ている。

 それくらい、今の優助のメンタルは強靭なのはとある理由があった。

 

 というのも。

 

 

(……完成した、とうとう完成したぞっ……! 前に燐香に見せた試作品、あれにも俺はある程度自信を持っていたが、いくつも問題点を燐香に指摘されたからな……。そこから改良を加え、現実的に使えるレベルまで性能を向上できたことを、なんとか早く燐香の奴に見せ付けて驚かせてやりたいが……な、中々タイミングが無いな……)

 

 

 以前、上の妹である燐香に見せた“異能出力探知計”の改良版が完成したのだ。

 原型となるものを作り上げるまで3か月、改良版を完成させるまで半月程度。

 あのポンコツ妹による心折なダメ出しには挫けかけたが、こうして自分が自信を持てるほどの改良品を作り上げられたのはあのダメ出しがあったからだと優助は思っている。

 

 だからこそ、今回の改良品を現代の魔王改め、割と頭の回転が速い妹の佐取燐香に見て貰おうと思っているのだが、中々そのタイミングが訪れない。

 今日も今日とて、燐香はもう一人の妹である桐佳と仲良く言い争いをしているし、そんな二人の様子が未だに慣れないのか、新しい妹の遊里は二人の間でアワアワしている。

 

 事情を知らない妹二人の前で異能に関する話をするのは流石に出来ないので、完成した改良品は未だに優助のポケットの中に寂しく仕舞われたままだった。

 

 

(……本当は大学の講義を休んで、燐香と改良品の改善点を話し合いたいところだが……まあ、それはな。燐香の奴に変な迷惑を掛けるのも悪いし……あ、今日は取っ組み合いまで始まるのか)

 

 

 ブオンブオンと興奮した様子の自動掃除機が二人の周りを走り回り、どちらを優先して止めるべきかと遊里が混乱を始め、ついには取っ組み合いの喧嘩となった二人の妹の様子。

 そんな諸々の暴れっぷりを「学校がある筈なのに朝から元気だな……」なんて感心しながら優助がぼんやりと眺めていれば、二人の間に入ろうとしている遊里が助けを求めるように視線を送って来た。

 

 そんな視線を送られても優助としては仲裁するつもりも無いので、ひらひらと手を振って返すだけに留める。

 助けを求めていた遊里が裏切られたような顔をしているが別に何も心配することは無い。

 こんなものはいつも通り、愛情表現の一種だ。

 

 どんなきっかけで始まったか分からない喧嘩であるが、どんな喧嘩であれ、そもそも燐香が桐佳に勝てる訳がないのだ。

 目付きが鋭かった時代の燐香だって桐佳に泣かれた瞬間敗北していたし、ポンコツで、そもそも既に身長も抜かれているような非力な燐香が取っ組み合いになって負けない訳が無い。

 佐取家の兄妹の場合、基本的に上が下に勝つことは出来ないというのは脈々と引き継がれている因果なのだ。

 そんなことは前々から家族みんなが理解しているから、いくら喧嘩していても父親が心配することはないし、桐佳も同様に本気になることはないだろうという確信が優助にあった。

 

 あったのだが……どうせ燐香が速攻で床に転がされて、馬乗りのままボコボコにされるのだろうと思っていた優助の予想は外れる事になった。

 

 

「っっ……なっ、なっ!? お姉っ、力、強くなって……!?」

「神楽坂さん印の特訓を重ねて来た私をやすやすと倒せると思ったのが間違いだよ! 今日こそはお姉ちゃんとしての威厳を見せてやる! 覚悟しろ、おらー!」

「なにそれっ……隠れてコソコソ何かやってると思ったらっ……!!」

「け、喧嘩は駄目だよ二人ともー!」

 

(な、なんだと……!?)

 

 

 少しとはいえ自分よりも大きく体格差がある桐佳の体を、重心を落としてバランスを取ることで完璧に抑えている燐香の姿に優助は驚く。

 何時だって運動会の短距離走ではビリだった燐香の、改善され始めた運動神経はついにここまでのものになっていたのかと、思わず妹達の喧嘩の行く末に惹きつけられてしまう。

 

 もしかするともしかして、あの燐香が桐佳に勝利するのでは、なんて思ってしまった。

 

 

(勝つのかっ……? まさか燐香が桐佳にっ……いや、まさか佐取家で上が下に勝てる日が来たのか!?)

 

 

 いつの間にか期待を乗せた目で妹の喧嘩を前に拳を握って熱中する優助。

 らしくもなく興奮して妹達の喧嘩の行く末を見守っているものだから、遊里が「こいつもポンコツだったのか……」という視線を向けている事にも彼は気付けない。

 

 そして拮抗していた姉妹喧嘩に、ついに変化が訪れる。

 

 

「受験目前だからって最近の桐佳は勉強しすぎ! 昨日も私が部屋に行くまで寝なかったし! 大人しくっ、私の言う事を聞いて、早く寝るようにしなさいっ……!!」

「うぐぅっ……そんなの――――そんなの私の勝手でしょ! このっ、馬鹿お姉っ!」

「えっ? あうぐぅっっ!!??」

 

 

 力では押し切れないと判断した桐佳の一撃。

 身体能力は小学生以下と評される燐香とは違い、兄である優助と同じように身体能力の高い桐佳による投げ飛ばしが行われた。

 

 それも、これまでの力だけに頼ったものでは無く、どこで覚えたのか柔道的な技術さえも交えた技ありの一本。

 才能すら感じさせる桐佳の投げ技に優助と遊里が思わず息を呑んだが、その後大きな音を立てて床を転がった燐香の姿にまた別の意味で息を呑む。

 

 頭こそ打っていないようだが、天井を見上げる形になっている燐香の呆然とした表情が、みるみる歪んでいくのを見る限り、かなり痛かったのだろう。

 

 燐香は床に転がったまま、小さな体をさらに小さく丸めてさめざめと泣き始めた。

 日常生活では滅多に泣かない燐香のそんな姿に、どこか余裕があった優助と桐佳の表情が一気に変わる。

 

 

「……うぅぅ……ひぐぅぅ……あうぅぅうぅ……」

「――――あっ、お、お姉ちゃ……!?」

「桐佳っ!? お前馬鹿っ、体格差考えろ! 燐香がお前に勝てる訳無いんだから手加減くらいしろ馬鹿!! り、燐香、お前頭打ってないよな!?」

「で、でもっ、だってっ……!」

「あわわ、あわわわっわっ……!?」

 

 

 喧嘩の騒音は無くなったものの、別の意味で騒がしくなる佐取家のリビング。

 真っ青な顔の遊里が、仕事に行ってしまってこの場にいない親達を呼ぼうと、携帯電話を取り出して間もなく、ポロポロと涙を流し、顔を真っ赤にした状態の燐香が立ち上がった。

 

 心配する周りの兄妹と目を合わせる事も無く、鼻を啜り顔を俯けたまま、フラフラと自分の鞄を手に取り歩き出す。

 

 

「……ぐすっ……もうやだ、かってにすればいいもん……」

「――――…………お、ねえちゃん。ま、まって……」

 

「……燐香。お前、それはそれでオーバーキルなんだって……」

 

 

 手を伸ばして引き留めようとした桐佳を置いて、投げやりになったかのような捨て台詞を残し、燐香は学校に行くためにフラフラと扉から出て行ってしまった。

 

 まるで想像もしていなかった最悪を目の当たりにしたように、桐佳が硬直する。

 反抗期だとか受験のストレスだとか、そんな諸々が吹っ飛んでしまうような燐香の一言に、桐佳は呆然と全身の力が抜け落ちて、その場に座り込んで動かなくなってしまった。

 

 全身の力が抜けてしまった桐佳に対して威嚇するように自動掃除機がモーター音を鳴らしているが、きっとそんなことは見えてもいないのだろう。

 まるで今生の別れのように、燐香が出て行った扉を見詰めた状態で活動を停止してしまった桐佳が動くことはしばらく無い。

 

 取り敢えず、もはや混乱しすぎて救急車を呼ぼうとしている遊里から携帯電話を取り上げた優助は、今日は大学の講義を休んででも目の前の散々たる状況を収めるのを優先する事にした。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 佐取桐佳は姉が大好きだ。

 母親を亡くし、小さい頃から世話を焼いてくれていたこともあるが、優しく、無理強いせず、それでも駄目なものは駄目だと教えてくれ、いつでも傍にいてくれた姉が大好きだ。

 

 小さな頃、よく姉は子守唄を歌って寝かしつけてくれた。

 もうどんな歌だったかも覚えていないような昔の話だが、隣で横になりながら聞こえてくる音色は優しくて温かくて、心地が良かったのをよく覚えている。

 年の離れた兄の冷たい態度から守るように抱きしめてくれた姉の体温が好きだったし、色んな事を知っていて物語を読み聞かせるように自分に知識を教えてくれる姉の話が好きだった。

 姉が掃除をする姿が好きだし、姉が買い物をしている姿も、料理をする姿も好き。

 いつか手伝いたいと思うのに、一人でするようになったら姉のその姿もあまり見れなくなるのかと思うと中々行動にできず、その上、何もしない自分を呆れたように見る姉の姿も好きだったのだから、どうしようもない。

 

 佐取桐佳はいつだって、姉である彼女が大好きなのだ。

 

 けれど年を重ねるごとに、自分に優しい姉に対して素直に好意を表せなくなっていった。

 気恥ずかしくて、情けなくて、姉に泣きつくばかりの自分では駄目なんだって思うようになっていって、世にいう反抗期の子供のように攻撃的な態度ばかり取ってしまうようになって。

 

 少し寂しそうにする姉の顔を見て、ずきりと痛む胸の奥には気付かないふりをし続けた。

 

 特にあの日から。

 突然ふにゃふにゃに腑抜けてしまった姉が自分を頼れるようにと、より強い態度を見せつけるようになっていった。

 こんなにも自分は歩けるのだと、こんなにも強く自分は在れるのだとでも言うように。

 それが自分の空回りだなんて、そんなことは心のどこかでは分かっていたけれど、それでも他にやり方が分からないから、優しい姉に甘えてずるずる続けているのが今の自分。

 

 分かっているのだ、自分の情けない甘えくらい。

 

 でも、そんな態度こそ取ってしまっていても。

 いつか他の誰かにとっての自分が、自分にとっての姉になれれば良いな、なんて思うくらい。彼女にとって姉は憧れの存在で、身近な存在で、昔と変わらない大好きな存在だった。

 

 

「ほげぇー……」

「き、桐佳ちゃん……!? 学校終わったよ!? ほ、ほら帰らないと! あっ、急がなくて大丈夫だよ! ゆっくりで良いからね!? そう、ゆっくり立ち上がるの! あ、駄目! ちょっかいを出さないで! 今日の桐佳ちゃんは本当に冗談で済まない状態なの! 本当なら学校を休ませたかったくらいなんだから!」

「……いや、遊里アンタ……いつの間に桐佳の介助士になったの……? 今日のアンタ、甲斐甲斐しいってレベルじゃないんだけど……」

「今日の桐佳ヤバすぎてウケる。魂抜けてて授業中も上の空で、先生も気遣って露骨に当てようとしないし……って、あれ!? ちゃんとノート取ってるじゃん!? なんだよっ、後で写させてあげようと思って柄にもなく綺麗に書いてたのにさぁ! ちぇー!」

「ほげー……?」

 

 

 中学の教室。

 ホームルームが終わった後に、生徒達がまばらに帰っていく中、ぼんやりと席に着いたままだった桐佳の元にいつもの友人達が集まってきていた。

 

 基本的にクラスで人気者な桐佳は友人も多く、今日の彼女の様子に心配する人は多くいるのだが、特に仲の良い悪友達は面白そうに腑抜けまくった桐佳を弄ろうと集まっていた。

 だが、家族とも言える間柄の、事情を知る立場である遊里は今回のこれが本当に冗談にもならないぐらいの状態なのだと理解しているため、悪友達の弄りの手をペシペシ払いながら桐佳を連れ帰ろうと奮闘する。

 

 

「……あれ? 遊里、なんで私の手を引っ張ってるの?」

「やっと桐佳ちゃんが正気に戻った! もう授業終わったからお家に帰るんだよ桐佳ちゃん! 今日は受験も近いから、授業が終わるのも早いの! ほら、悪戯しようとする人がいない安全なお家でゆっくり休もうね!」

「帰る……? 家に……お家に……お姉がいる、お家に……」

 

 

 ピタリ、と足に根が生えたように桐佳の動きが止まる。

 突然てこでも動かなくなった桐佳に、驚愕で目を見開いた遊里が何事かと振り返れば、焦点の定まらない目をした桐佳が真っ青な顔で何かを言い始めた。

 

 

「その……今日は良い天気だしちょっと家に帰る前に図書室で勉強でもして帰ろうよ。丁度読みたい映画もあったしさ。帰りには買い食いするのもいいし、カラオケも行きたいかな。最近は色々あって遊里も疲れただろうし……お家に帰るのはもうちょっと遅くても……」

「桐佳ちゃん……言ってる事が滅茶苦茶だし、もう色々辻褄があってないよ……。結局最後には取り繕い切れなくて願望が口に出ちゃってるし……」

 

 

 どう捉えても朝泣かしてしまった姉に会う心の準備が出来ていないだけである。

 

 この姉妹は本当に本気の喧嘩をせずにここまで育ってきたんだな、なんて。

 兄弟姉妹の誰も居ない、一人っ子である遊里がそんなことを思いながら、提案のような体を取りつつ全く足を動かそうとしない桐佳の様子に溜息を吐いた。

 

 どうせこのまま図書室に行っても勉強に身が入るとは思えないし、かといって頑固な桐佳を無理やり引っ張って家に帰れるとも思えない。

 となれば選択肢はほとんど無いようなものだろう。

 

 

「……そういえば、氷室駅から二駅先に新しいショッピングセンターが開店したらしいよね。前から気になってたし、気分転換に行ってみよっか」

「!! ……う、うん! 最近勉強ばっかりで煮詰まってたしね! お姉ちゃんも言ってたみたいに休憩も必要…………うぅ、お姉ちゃん……」

「自分で地雷ワードを設置しておいて踏まないで桐佳ちゃん!? なんで!? 桐佳ちゃんの血筋はポンコツの呪いがあるの!?」

 

「……やっぱりこの二人仲良いよなぁ……」

「ねー。前から仲良かった私達が一気に追い抜かされちゃったみたいで、ちょっと嫉妬しちゃうよねー」

 

 

 ぱぁっと一瞬だけ表情を明るくし、即座に自分で踏んだ地雷によって落ち込む、情緒不安定な桐佳の世話に慌てる遊里。

 二人としては羨ましがられる要素はないのに、悪友二人はちょっとだけ妬ましそうにそんなことを言っていた。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

 そうして桐佳と遊里はそのまま帰宅することなく寄り道をすることにした。

 悪友二人も誘ったものの彼女達にも受験への危機感があったらしく、受験が終わったらまた一緒に行こうと約束だけして、心底名残惜しそうに帰宅していった。

 

 場所は最寄りの駅から2つほど離れた場所にあるショッピングセンター。

 そこは最近まで工事が行われており、数年越しにようやく開店となった待望の大型店舗。

 様々な小売店や全国展開されているブランド店、有名な飲食店など、数々の店が建物内に存在し、新規開店してから間もない事もあってか多くの人で賑わっている。

 特に夕方のこの時間は、家族連れや会社終わりの社会人、近場の学校から授業終わりに来ている人が多いのか学生の姿も散見され、客層は実に様々。

 

 様々な年齢の、お洒落な装いをした多くの人が各々に買い物を楽しんでいるそんな場に、桐佳達は目を輝かせる。

 

 

「えへへ。やっぱりお母さんがいないで買い物に来るのって、ちょっとだけワクワクしちゃうよね。私、お母さんに黙ってこういう所に来るの初めてかも」

「分かる! やっぱり買い物って勝手気まま、自由にやりたいよね! えっと、私お小遣いどれくらいあったかな……えっと、お金……うん、あんまり高い物じゃ無かったら大丈夫そう」

「あはは。そんなに高いものを買いに来たわけじゃないから大丈夫じゃないかな。私は本当に、小物とかを買うだけで、後は見て楽しむつもりだし」

 

 

 同年代の好きに遊び惚けるようなタイプの少女であれば、親に話さず遊びに行く経験くらいいくらでもあるだろうが、生真面目な彼女達にとってはこんなのも初めての経験。

 前々からの計画でもない、思い付きくらいの感覚で遊びに来た桐佳は慌てて自分の財布の中身をこっそりと確認し、自分の財布に入っている戦力の把握に努めた。

 

 これで変に高価なものを買おうとしてレジで恥を掻くことも無いだろう。

 そうやって安心しながら、桐佳は自分とは違い財布の中の確認もしないで、特に何を買おうという気もなさそうな遊里を不思議そうに見た。

 

 

「あれ、遊里ってお小遣いは…………ま、まあ、私もそんなに高いものを買おうとは思ってないって言うか。ちょっとした、お土産は買うつもりだけど、服とかの高いものは受験の合格が決まってからの方が気分良いしね。ねえねえ、高校生になったらさ、一緒にアルバイトでも始めない? 私、レストラン系のアルバイトに興味があるんだ! 遊里が一緒なら心強いし、料理とか出来る遊里って本当に頼りになるし!」

「……桐佳ちゃん、ありがとね」

「いやっ、そんな……私こそごめんね」

 

 

 同居人だが家族ではない。

 桐佳の家は裕福だが、遊里の家はそうではない。

 そんな微妙な関係性だからこそ発生している、自分と遊里の財布事情の差に気が付いた桐佳が慌てて話を逸らそうとする。

 

 グルグルと、何を話して気を紛らわしてもらおうかと混乱を始めた桐佳が何とか口に出来たのは、恥ずかしいから言わないでおこうと思っていた話だった。

 

 

「あ、あのさ、私今日お姉泣かせちゃったじゃん? 私が悪いって風には思ってないんだけど……でも、でもさ……家に帰ったら、謝りたくてね。私って、お姉の顔を見ると素直にそういうの口に出来ないから、せめて物だけでも用意しておきたくて……その、プレゼント選ぶの付き合ってもらっていい……?」

「……えへっ、なんだか桐佳ちゃんのそういう弱気な顔は珍しいね。いつもは燐香お姉さんの文句ばっかり私に言うのにさー。あーあ、お姉さんがいるって羨ましいなー」

「そっ、それはっ……もう遊里にとっても姉みたいなものでしょ! 私も! お姉も!」

「ふふふ、勿論良いよ。私もいつか燐香お姉さんにはプレゼントを買いたかったから、その時の参考にもなるし」

「……! ありがとう遊里!!」

 

 

 自分が抱える姉への想いの話なんて、普段は恥ずかしくて絶対に口にしないけど。

 遊里との間に流れた不穏な雰囲気が無くなって、桐佳は恥ずかしさも忘れて目の前の遊里との買い物を楽しむことができた。

 

 

 小物に日用雑貨、洋服に書籍関係。

 有名なキャラクターのブランドまで存在する広いショッピングモール内を人ごみの中で歩き回り、姉へのプレゼント探しの名目であれこれ相談し合った二人はすっかり疲れて手頃のベンチで休憩する。

 

 結局買った物はほとんどなかったけれど、休憩する二人の顔は楽しそうであるし、数時間掛けて姉へのプレゼントを選んだ桐佳の顔は満足感に包まれていた。

 

 

「えへへ、今日はありがとう遊里。これ、絶対喜ぶと思う」

「私がアドバイス出来たのって全然なかったと思うけど、何かの助けになれたなら嬉しいな。高校生になってアルバイトしたら、私も色々プレゼント考えてみるね」

「えー? さっきも思ったけど、遊里がお姉にプレゼントする理由が無くない? アルバイトしたら私とプレゼント交換とかしてみようよ!」

「それはそれで面白そうだけど……」

 

 

 ちょっとだけ迷うように口ごもった遊里が照れたように視線を下げる。

 不思議そうに首を傾げた桐佳に、遊里ははにかみながら口を開いた。

 

 

「前にさ、桐佳ちゃんと燐香お姉さんが私とお母さんを助けに来てくれた事あったでしょ? 勿論桐佳ちゃんにも感謝はしてるんだけど、私が押し入れに閉じ込められてて、怪我もしてて、お風呂にも入ってなくて、汚いし言う事も聞かないような私を、赤の他人の筈の燐香お姉さんは見捨てないで病院まで連れて行ってくれた。知り合いに協力してもらって、お母さんも助けて来てくれて、私達に居場所をくれて…………燐香お姉さんは気にしてないみたいだけど、私にとってはね。返しても返し切れないくらい恩があるんだ。だから何か、私にできる恩返しがしたいの」

「……そっかぁ」

「それに、一緒に住むようになってからも、変に壁を感じさせないようにわざと失敗とかして気安い感じを出してくれるし、自分で何でも出来るのに私が家事を手伝おうとしたら優しく教えながらやらせてくれるし、赤の他人の私を実の妹みたいに可愛がってくれる。恩がある無し関係なく、ひとつしか年齢が変わらないのに、色んなことに気を配れる本当に凄い人だなぁって、燐香お姉さんのこと尊敬してるんだ」

「……えっと、それは多分、お姉が普通にポンコツなだけだと思うけど……」

 

 

 少し照れながらの遊里の話。

 本心から尊敬していることが分かる遊里の態度や言葉から、自分の事でも無いのにむず痒さを感じた桐佳は咄嗟に否定してしまう。

 

 だが、まあ、共感できるところは一杯あって、やっぱり他の人から見ても凄い姉なのかと桐佳はなんだか誇らしくなった。

 

 

「だからね。そんな立派なお姉さんなんだから、桐佳ちゃんはもっと素直な態度で接した方が良いと思うよ? 別に桐佳ちゃんだってお姉さんのこと嫌いな訳じゃ無いんでしょ?」

「う……」

「今日のことだって、お姉さんは桐佳ちゃんのことを心配していただけなんだから。その心配する気持ちはちゃんと受け取らないと。それで、今日やっちゃった事を後悔するだけじゃなくて、選んだプレゼントを渡すだけじゃなくて。逃げないでちゃんと謝ってね、自分の素直な気持ちを口にすれば、あの燐香お姉さんならちゃんと認めて、応援してくれる筈だからさ」

「…………そんなの、分かってるし……」

 

 

 友人からのやんわりとした指摘に、桐佳は唇を尖らせながらも小さく呟いた。

 

 反抗期のような桐佳だって、遊里の指摘はよく分かっているのだ。

 今日だって、勉強を煮詰めすぎているのを心配した姉の小言から勃発した喧嘩だった。

 けど、心配してくれることが迷惑な訳でも無いし、自分の頑張りを知ってくれていることが嫌な訳でも無い。

 そもそもあの姉の事が嫌いな筈が無くて……。

 

 そんなことを色々考えた桐佳はじっと自分を見詰めている遊里に怯み、何も言えないまま勢いよく立ち上がった。

 

 

「…………今日付き合ってくれたお礼にクレープ奢るよ! 何味食べたい? リクエストが無ければ私の好みで買ってくるね! あ、お姉へのプレゼントちょっと持っておいてね!」

「あっ、逃げた!? ちょ、ちょっと桐佳ちゃん!? もー!」

 

 

 ごちゃごちゃになった自分の気持ちを落ち着けるために、桐佳は目に付いたクレープ屋へと駆け出して、自身が出すべき返答をうやむやにした。

 動揺する遊里を置き去りに、驚く他のお客さん達の隙間を縫うようにして、ちょっと離れたクレープ屋さんまで走り抜けた桐佳はメニュー表の前でようやく足を止める。

 

 様々な種類の写真が乗せられたお洒落なメニュー表を見るようにして、自分の気持ちを落ち着けていく。

 

 

(思わず逃げちゃった……今日連れ出してくれた遊里には普通にお礼がしたかったのに、こんな逃げるための言い訳みたいな……私的にはクレープくらい奢るのは全然良いけど、お金の関係で遊里が変な引け目を感じないと良いなぁ。もしこれでまた遊里との間に変な空気ができちゃったらどうしよう……うん、その時はそもそもの原因のお姉にも協力してもらおう。お姉ならきっと何とかしてくれる筈だし…………?)

 

 

 そうやってつらつら考えながら乱れた自分の息を整えていれば、ふと近くにいる何人かの様子がちょっとだけ変な事に気が付いた。

 

 チラチラと何かを気にする様子を見せている。

 何人かの人達が、何かの推移を見守るように視線を同じ方向に向けている。

 

 

(……なにかあるのかな?)

 

 

 桐佳はそんな光景を不思議に思いながら、ひそひそと話をしているその人達の視線の先を辿っていった。

 

 人ごみの中。

 壁際の人目に付きにくい場所。

 そこに、ニット帽のようなものを被った背の高い女性とそれを囲む派手めな二人組の男性達の姿があることに気が付く。

 

 にやにやと、何だが嫌な笑みを浮かべる男性達が女性に何かを言っている。

 

 言い争いとまではいかないが、傍から見ても男性達の態度はどこか強引。

 やんわりと断ろうとしている女性を無理やりナンパしようとするような様子を目の当たりにして、そういうのに縁が無かった桐佳は激しく動揺するように目を瞬かせた。

 

 

(え? え? え? なにあれ? もしかしてあれがナンパっていうやつ? すごいっ……ど、どっちも大人みたいだけど、本当にああいうのってあるんだ……大人だぁ……! 見ず知らずの人が壁に押し付けるようにして迫って来るなんてそんなの……!! は、破廉恥!!)

 

 

 そんな光景を目の当たりにして、ある意味箱入り娘である桐佳はちょっとだけ目を輝かせ興奮しながら、大人な彼らのやり取りを窺おうと固唾を飲んだ。

 

 遠くからちょっと見守ろう、初心な桐佳は当初そう思っていたのだが……。

 

 

「あの二人凄いしつこいわねぇ。さっきからずっと離そうとしないで、壁まで追い込むようにして……」

「でもほら、手の甲に刺青を入れてたからちょっと危ない人達かもしれないわ。あんまり関わらないようにして、何かあったら店員さんを呼びましょうよ」

「そうねぇ……変な事に巻き込まれたくないものねぇ……」

 

「……はあ?」

 

 

 隣のおばさん達の会話を耳にして、桐佳は思わずそう口にしてしまった。

 その話の内容が本当なら視線の先のあれは、桐佳が思い描いた多少の強引さがある口説き落としなどではなく、下品で思いやりの無い迷惑行為。

 キラキラとした妄想が音を立てて砕け散ると同時に、なんだか無性に女性に絡んでいる男達がムカつく。

 どころか、チラチラと彼らの状況を窺うだけで助けようともしない周りの人にすらムカついて来る。

 

 どいつもこいつも、野次馬根性だけ見せるだけで、何の行動も起こそうとしていない。

 

 

(人もいっぱいいて、気付いている人もいっぱいいて、大人の人もいっぱいいるのに……!! 誰も……! 何なのこの人達!)

 

 

 頭に血が上る。

 人に迷惑を掛ける男達も、何の行動も起こそうとしない周りの人達にも、腹が立つ。

 

 もしもこの場に自分の姉がいたら、きっとそんなことはしない筈だ。

 自分の姉ならきっと、何一つ迷うことなくあの場に飛び込んでいく事が想像できて。

 

 もしもお姉ちゃんなら――――

 

 

「あ、あの! その人嫌がっているんで! 強引なのは駄目だと思います……!!」

 

「――――!?」

「あ?」

「なんだこのガキ? 高校……いや、中学生か?」

 

 

 そんなことを思って。

 気が付けば、桐佳は想像した姉の後ろ姿を追うようにその場に飛び出していた。

 

 突然現れた制服姿の桐佳に困惑する男性達とニット帽の女性。

 特にニット帽の女性は桐佳の姿が信じられないのか目を見開き、唖然とした表情で固まっている。

 

 桐佳の声に釣られるように、ナンパに気付いていなかった周囲の人達がその場に立ち止まり、何事かと桐佳達に注目した。

 

 

「お、女の人を壁際まで追い込んで誘うのは行き過ぎです……! あ、貴女もほら! もう行きましょう!」

「えっ、あっ、ま、まって」

 

 

 壁際に追い込まれていたニット帽の女性の手を掴み、その場から連れ出していこうとしたが、行き先を遮るように男性の一人が手を伸ばしてくる。

 

 

「おいおいおい、お兄さん達は今大人の話をしてるんだから邪魔しないでくれるか? 子供はさっさと家に帰って寝てな」

「そうだぜ? もう夜の時間なんだから、子供は出歩いちゃ駄目な時間帯なんだぜ? 君がもう5歳くらい歳を取ったら楽しい事を教えてあげるからよ」

「この人を貴方達から引き離したら帰ります……! あんまりしつこいようなら大声上げますから! 私、大声には自信があるんですよ! ショッピングモール全部に聞こえるくらいの声を上げて見せますから覚悟してくださいね!?」

「そ、その自信はなんなんだよ……?」

 

 

 ガルルと小動物が威嚇するようにやる気を漲らせてくる桐佳の姿に男性達は気圧される。

 男性達としては、多少注目されるくらいであれば問題にもならないが、あまり事が大きくなりすぎて警備員が来ても厄介。

 最悪のケースとして警察が来た場合、色々と後ろ暗い事がある男性達にとっては多くの不都合がある。

 

 顔を見合わせた男性達が諦めたように舌打ちをして去っていくのを見送って、桐佳は興奮していた自分の気持ちが沈火していくのを自覚する。

 そして今更になって、先程の男性達に迫られた恐怖に体を震わせる。

 

 

(こ、こわかったぁ……あの二人身長大きかったし、筋肉もあったし、顔も怖かったよぅ……思わず飛び出しちゃったけど、もう二度とこんなことやりたくない……早く、遊里と一緒に家に帰ろう……)

 

「……いやあ、助けてもらってなんだけど。凄い勇気だねぇ。お姉さんが君くらいの時にあんな怖い人達を前にしたら、怖くて何も言えなかっただろうに……」

 

 

 ほわほわとした危機感のない口調で。

 どこか聞き覚えのある声をした女性は、緊張で微妙に汗ばんだ桐佳の手をにぎにぎと握り返す。

 突然の感触にビックリした桐佳が慌てて手を離そうとするが、しっかりと握られた手は離れることなく繋がれたまま、繋がった手の先にいる女性はニッコリと悪戯っぽい笑顔を浮かべている。

 

 

「どもども、ありがとね。ぜひ何かお礼をさせて欲しいな。どうかな、ちょっとそこら辺でお食事でも? 最高のディナーにして見せるよ?」

「さ、さ、さっきの人達の誘いは断ってたのに私には何なんですか!? お礼とか良いですからっ、離してください!」

「えー……警戒されちゃってる……? いやいや、お姉さんは別に怪しい者じゃないですよー? 久しぶりに一人で買い物に来たら、変な人達に絡まれちゃった薄幸の美女なんですよー? そんな不幸から助けてくれた可愛い子には、そりゃあお礼の一つしないと女が廃るってものだからね! 夜景の綺麗な食事処はどこかなー?」

「自分の事を美女とか美少女とか天才少女とか言う奴は大体変な人なの知ってるんですー! 離してー!!」

「えええー……手厳しいー……」

 

 

 悲しそうにそう言ったニット帽の女性は渋々桐佳の手を離す。

 バッと勢いよく距離を取った桐佳が警戒するように唸り声を上げていれば、ニット帽の女性は周りで状況を窺っていた人達に笑顔で手を振って問題無い事を示していた。

 

 そして、周りの人達の注目が減って来たのを見て、ニット帽の女性が未だに震えが収まっていない桐佳の足を確認し、申し訳なさそうに眉尻を下げて優しく笑う。

 

 

「いやあ、あの男達身長大きくて粗暴だったから困ってたんだけど、まさか君みたいな可愛い子に助けられるとは思ってなかったよ……ごめんね、怖かったよね。こんな事ならとっとと声を上げて警備員を呼ぶべきだったね」

「べ、べべべ、別に怖くなかったし。私は別に、やるべきだと思ったからやっただけで、貴女がどうとかじゃないですし……!」

「くふふ、そっか。そうなると、謝罪をするのは野暮かな。ならお姉さんから言うのは感謝だけ……助けてくれてありがとう見ず知らずの可愛い子、貴女の行動で確かに私は救われました」

「すごい芝居染みた言い方ですけど……でもまあ、どういたしまして」

 

 

 何だか先ほどまでの男性達に囲まれていた女性の姿とは別人のような人柄に、桐佳は怯みながらも言葉を返し、さっさと遊里の元に帰ろうと女性に背を向けかけた。

 けれどそれを引き留める様に、ニット帽の女性の声が背中に掛けられる。

 

 

「――――素直になれない事を悩んでいるのかな? ううん、喧嘩をした誰かと素直に仲直り出来ないかもしれない事を不安になっている、かな?」

「……はい?」

 

 

 ピタリと、気持ちが悪いくらい言い当てられる。

 桐佳が思わず足を止めニット帽の女性を見れば、彼女は悪戯が成功した子供のようにペロリと舌を出して表情をほころばせていた。

 

 相手の本質を読み解くような不気味な目をしながらも、彼女はその警戒すら容易く解くような柔らかな態度を完璧に演じてみせている。

 そんな乖離した印象が、気味の悪さを感じさせない完璧の塩梅で浸透していくことに、桐佳は顔を歪ませた。

 

 なんだかこの人は変だ、桐佳はそう思ってしまう。

 

 

「人生経験豊富なお姉さんが相談に乗ってあげてしんぜよう。お連れの人はもう一人かな? 二人ともお姉さんが御馳走を振舞っちゃうぞー!」

「いっ、いやっ、だから……!」

「あ、そうそう、自己紹介がまだだった。ごめんごめん、えっと、私の事はね」

 

 

 何処かで見た事のある顔。

 何処かで聞き覚えのある声。

 けれど何処でも会ったことの無いその人柄の人物。

 

 自分が出会う事はないと思っていた『誰か』によく似たその人は、少しだけ思案して。

 

 

「……うん、気軽に『ミクちゃん』って呼んで」

 

 

 ちょっとだけ楽しそうにそう言った。

 

 

 

 

 


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