非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか? 作:色付きカルテ
飛行機が、多くの人達を乗せた巨大な旅客機が急速に高度を下げていく。
完全に操縦不能になっている訳では無いようだが、滑走路も無い建物へと旅客機が迫っていく様は、もはや墜落と言っても間違いではない血の気が引くような光景。
人々を乗せて空を走る鉄の箱舟が、いともたやすく死を振り撒く棺桶へと変わってしまうだなんて、いったい誰が想像できたというのだろう。
少なくともその旅客機に乗るほとんどの人はそんなこと想像もしていなくて、落下していく機体による浮遊感と、ついに目の前に現れてしまった明確な死の感覚にどうしようもない恐怖を抱いていた。
その光景に気が付いた周囲の人達が惨劇を予想し悲鳴を上げると同時に、私の横で話をしていたレムリア君も事態に気が付き声を張り上げた。
『ヘレナお婆さんっ!!』
『……駄目だよレムリア。あれは明らかに誘ってる。分散するのは得策じゃない、特に異能の詳細が判明していない奴が乗っているだろうあの機体に無策で近付くのは許可できないよ』
『そんなのっ……! ごめんヘレナお婆さん!』
『レムリア!』
墜落していく旅客機を見ても冷淡な態度を崩さなかったヘレナさんに対して、レムリア君は焦りを浮かべ強い言葉で返答すると、その場で思い切り空中へと飛び上がった。
軽く地面を揺らすほどの衝撃に私がいつかのように地面を転がりそうになり、慌てて近くにいたヘレナさんにしがみ付く。
邪魔になるような私の行動。
だが、そんな私の行動など今は気にもならないのか、ヘレナさんは飛び上がったレムリア君を険しい形相で見上げたまま私を一瞥もしない。
飛び上がり空中で体を回転させたレムリア君が何処からか取り出した棒状のものを弾丸のような速度で旅客機へ撃ち出し、撃ち出した棒状のものと自分の位置を入れ替える。
彼が持つ二つの異能。
物理衝撃を蓄積させ、蓄積させた衝撃を自由に物体に付加する異能と物体の位置と位置を入れ替える異能。
その二つを巧みに使い分けた空中における高速機動法により、レムリア君は高速で空を駆けるあの旅客機に追い縋っていく。
そこからの事は遠すぎてよく見えないが、レムリア君の持つ異能を思えば、あの機体の重量でさえ対処は難しくない筈だ。
たった一人で多くの被害を防ぐであろうレムリア君に私は内心舌を巻くが、それを見届けたヘレナさんの顔色は優れない。
『レムリア駄目だ、戻ってきな……ああ、くそっ……ちんたらやってられない! 私らもあの場所に向かうよ! ――――で、アンタはアンタでいつまで私にくっついてんだい!? さっさと離れな! こっちは忙しいんだ!」
「うう……ご、ごめんなさい……」
しっかり私に伝わるように日本語に直した上でのお叱り。
酷い言い草だが正論でもある。
バランス感覚を取り戻した私は謝罪しながらヘレナさんからそっと離れる。
以前もレムリア君が起こした振動に私は耐え切れずに転がったが、次同じ衝撃があっても転がらない自信がない。
次はあらかじめもっと距離を取って、転がった際は掴まれるものや人の傍にいるように立ち回るべきだろう、なんて思う。
それにしても、墜落してくる旅客機を見た時はどうしたものかと思ったが、レムリア君が墜落による物理的な被害を未然に抑え、そこにこのヘレナさんが向かっていくのなら既に解決したも同然。
飛鳥さんと交わした約束を考えれば、飛鳥さんが休養中の間は私が異能犯罪の解決に乗り出すべきだが今回に限ってみればその必要すらない。
なんていったってここにいる女性はICPOの最高戦力であり、私の異能技能の目安となった世界最高峰の異能使いなのだ。
たかだか異能を持つ犯罪者の一人や二人を無力化するくらいお茶の子さいさい。
むしろ異能の露見を恐れて満足に異能を使おうとしない私なんて、一緒に行っても足手纏いにしかならないに決まっている。
それに大体の場所が分かる程度の距離だとはいえ、二駅程度も離れた場所なのだから私の知り合いが巻き込まれるようなこともそう無い筈だ。
そうなると私が積極的に関わる動機すら無くなる訳で。
このとんでもない事を引き起こしたアホは異能事件解決のプロ中のプロであるこの二人にお願いして、私は家に帰って夕食の支度でもしていようという結論に落ち着いた。
(うん、それでいいよね。別に私が無理に出張る必要も無いし、戦力的には間違いないだろうしね。……それにしても、あの旅客機に乗っている異能持ち。何だか色々普通の人とは思考構造が違って、なんだか気持ち悪い感じだったな。異能の出力も妙に強そうだったし……まあ、ヘレナさん達が後れを取るような相手ではなさそうだけど)
恐怖の悲鳴が戸惑いのざわつきに変わりつつある周囲の状況を見渡した。
この場にいる人たちは飛行機が自分達目掛けて落ちて来るのではないかという恐怖から脱した事で、既にどこか他人事のような空気感を漂わせている。
きっと、ほんの少し場所が違えば自分達がアレに圧し潰されていた事実をよく理解していないのだろう。
とはいえこれから速攻で帰宅しようとしている私が他人の事を言えるものでも無いのでそれにどうこう言うつもりも無い。
皆、自分の身に降りかからなければどこか他人事なのだ。
当然、ここからでは飛行機の落ちて行った先の事はよく分からない。
混乱する現在の状況を理解しないまま放置することには気持ち悪さを拭いきれないけれど、これ以上のこの場へ滞在しても情報は得られず、ヘレナさんに怪しまれるばかりだと判断した私はここから立ち去ろうと足の向きを変えた。
そんな時、私の脳内にマキナから焦りの混じった警告が届いたのだ。
(御母様っ……! 奴がっ、御母様の妹がっ……!)
血の気を失うというのはこういう事を言うのだと思う。
マキナの報告に、私は指先に至るまでの体の動きがピタリと停止する。
言葉を理解し、状況を理解し、誰が危険に晒されているのかを理解する。
マキナの警告と共に、私が瞬間的に桐佳の居場所を探り、その場所が今、あの旅客機が向かっていった先である建物だということを理解した。
未だに人々がざわつき悲鳴を上げて見詰める先であるあの場所、黒煙が空に立ち上り目に見えない人々の悲鳴が木霊するあの場所。
そんな場所に私の妹がいることが、はっきりと視えてしまった。
「――――……桐佳?」
呆然とした私の呟きは、周囲の喧騒に掻き消される。
‐1‐
振動と衝撃。
叫びと悲鳴と轟音。
巨大なハンマーで横殴りにされたような衝撃と同時に起きたショッピングセンター全体を一斉に襲った停電。
そんな、自分の意識が飛んだのではないかという錯覚さえ感じさせるようなその一瞬の出来事。
暗闇に目が慣れ始め、周囲の状況が分かるようになって、ようやく桐佳は自分が柔らかな絨毯の上へ引き倒されている事に気が付いた。
「な……なにが、おきたの? 遊里……? 大丈夫……?」
「う、うん。えっと? 真っ暗でよく見えないけど、今のって……」
「――――二人とも大丈夫? 怪我はない? いやあ、危なかったねぇ。お姉さん柄にもなく焦っちゃったよ」
遊里の無事と女性の声に、直前の状況を思い出した桐佳はあっと声を上げる。
突然食事中の自分達の首元を掴んだニット帽の女性が無理やり自分達を引き摺り倒した事を思い出したのだ。
その後何が起きたか分からないが、取り敢えず自分達にそんなことをしたニット帽の女性に文句の一つでも言ってやろうと暗闇に慣れ始めた目を女性へと向けて。
「……っ!? お姉さんそれ大丈夫なの!?」
「ひっ! お、お姉さん、足が……!」
自分達を引き倒したニット帽の女性の片足が不自然に曲がっており、近くには天井に取り付けられていた大きな電灯が落ちている事に気が付いた。
何処からどういう理由で電灯が落ちて来たのか、折れ曲がった足は大丈夫なのか、ただの学生である桐佳達には分からない事だらけ。
だが間違いなく、この女性が自分達を庇って怪我したのは確かだった。
「……いやあ、ミスったなぁ。久しぶりの休暇ではしゃぎすぎちゃった。こりゃ、事務所の人達に怒られちゃうなぁ……」
「そ、そんなの気にしてる場合ですか!? きゅ、救急車を呼ばないと……!」
「いやー……それはきっと難しいよ。だってほら、周りを見てごらん」
思わず泣きそうになりながら、周りに助けを求めようとした遊里に怪我人であるニット帽の女性は冷静にそう言って周囲を指差した。
女性の指の先には、至るところで床に倒れ蹲る人々の姿がある。
一人や二人ではない、視界内だけでも十人近くがそんな状態であることに息を呑んだ。
ニット帽の女性ほどの怪我をしている人なんて今のこの場では珍しくも無かった。
「今ここにいる人では怪我してる人なんて珍しくないんだよ。きっとお姉さんなんかまだまだ軽傷の内さ。優先して救助されるような怪我じゃないからね」
「そ、そんな……」
「どうすれば……私はどうすれば……」
「ごめんねぇ二人とも、まさかこんなことになるとは……まったく、欲は掻くものじゃないねぇ……」
痛みを感じていないかのように、どこか他人事のように、ぼんやりそう言ったニット帽の女性は頬を掻きながら迷うように視線を彷徨わせる。
「…………お姉さんの事は置いてって言うと感じが悪いけどさ。取り敢えずこれ以上の被害はないみたいだし、二人はこの建物から出た方が良いかなぁ……ほら、ここに居られても出来る事は無いだろうしさ」
「で、でも、そんな……」
「そうだよ! 動けないお姉さんを一人置いてなんて……わ、私意外と力持ちだから、お姉さんくらい肩貸しても行けるって!」
「いやいや、子供の君達に迷惑を掛けるくらいなら自力で何とかするのがお姉さんの信条だし……」
「後味が悪いと思うことはしないのが私達の信条なんです! 大人しく言う事を聞いてください!」
あくまで譲らない態度の二人の様子を見て、困ったように小首を傾げたニット帽の女性は変な顔で笑う。
「……こんな不審者、そんなすぐ信用しちゃ駄目なんだよ? もう……」
「その自覚があるならもうちょっと大人っぽい言動して!?」
何だか諦めたようなニット帽の女性を、力のある桐佳が肩を貸す。
見た目以上に軽い事にちょっとだけバランスを崩したが、直ぐに体勢を立て直した桐佳はこれなら一人で運べると判断し、手伝おうとする遊里を手で制した。
「取り敢えず外に行こっか。何が起きたのか分からないけど、状況を見るためにも外に出て見ないと……」
「うん……地震でもなさそうだし、ただの停電でも無さそうだし……大きな事故にしたって建物ごと揺れるくらい大きいのってどういう……?」
「…………」
他の動けない人達に視線をやり、彼らを助けられない事に後ろ髪を引かれながらも、ニット帽の女性を背負って必死にレストラン内から出る。
だが、レストランの外にあったのはさらに地獄のような光景だ。
微妙に電気回路が生きているのか、チカチカと明滅する電灯の下で身を寄せ合う人達の姿。
痛みで呻く者や泣き声を響かせる者、誰かの助けを求める者など様々な人がいる光景を目の当たりにして、桐佳と遊里は絶句する。
誰かの声が耳に入る。
「なんだよっ、これっ……なんなんだよぉ……! こんなの、日本じゃない、海外の事件みたいなっ……! こんな地獄みたいなこと……!」
「……遊里、行こう」
「…………うん」
殺伐とした空気に圧された気持ちを切り替えるように、桐佳は隣にいる遊里にそう声を掛ける。
つい先ほどまでの、楽しい雰囲気に満たされていたショッピングセンターが、たった数分で苦痛と絶望に満ちた場所へと変わり果てている。
キラキラとした電飾が砕け踏みつけられ、ショーケースに並べられていた高価そうな展示物がぐちゃぐちゃに散らばってしまっている。
形あるものはいずれ壊れるとはいうけれどこんなのはあんまりだ、なんて。
何があったかも分からないまま涙を目に浮かべる桐佳に、肩を借りているニット帽の女性は沈痛な面持ちを向ける。
そして、ニット帽の女性は表情を険しくして周囲の何かを探すように視線を動かし、直ぐに探していた何かを見付けた。
「……あれだ。あれが原因だよ。あの飛行機がこの建物に衝突したんだ」
女性が指差した先。
そこには飛行機の先端がぐしゃぐしゃに潰れた状態で壁を突き破っている。
突き破られた壁に蜘蛛の巣状の罅が走り、床が隆起し瓦礫は散乱して、衝突した飛行機は火花を散らして煙を上げた状態。
そんな非現実的な光景に、桐佳は思わず息を呑む。
「ひ、飛行機の墜落……? わざわざこの場所になんて……で、でもそれにしてはおかしくない? だってあんな大きな飛行機が墜落したんなら壁をもっと突き破る筈だし、柱も壊われたり天井が崩落したり、それどころか建物自体が倒壊してもおかしくないし、被害が最小限に抑え込まれるみたいな、そんな都合の良い奇跡が起きるなんて……」
「確かにそうだよね……操縦してる人が、凄い上手い人で。被害が抑えられるように操縦した可能性とかは……ある訳ないよね」
「…………なんにせよ、あそこは危なそうだよ。桐佳ちゃん、遊里ちゃん、建物の罅が広がったら大変だし、反対方向から出口に向かおう? ね?」
ニット帽の女性の冷静な言葉に頷いた二人は壊れた飛行機とは反対方向に向かおうとして――――男性の声が、地獄のようなその場に響いたのだ。
「想像していたよりもずっと被害が少ない。失望はないけれど期待外れ感は否めない。もっと混沌とした感じの、誰もが我先に助かろうとする獣達の姿が見たかったんだけどなぁ……いやでも、そうだね。この状況も捉え方によっては良いものかもしれないね。会話に応じれる人がいっぱいいる。つまりそれは、『商談』が成立し得るって言う事だからね」
怪我人が多くいるこの場には到底似合わない快活で明るい声。
まるで趣味に高じる子供のような声色で、壊れた機体の先端から姿を現したのは銀髪の男性だ。
女性に見まがう程サラサラとした柔らかな長髪をなびかせたその男は、状況を理解できず震える人や怪我の痛みに呻く人を視界にも入れないまま、体を大きく伸ばした。
どうしようもなくこの凄惨な光景には似合わない態度を貫く男性の姿は、悪魔と呼ばれる存在のように思えて仕方がない。
「いやあ、それにしても良い国だね。普通ならパニックになるような事態なのにほとんどの人はまだ自分達の危機的な状況を理解できていないし、怪我をした他の人に手助けしようと時間を浪費していたりする。こういうのなんて言うんだろうね。国民性って言うんだろうね。他人は善で、自分も善で、困っている人は助けないとって思うんだろうね。最終的には自分の命を投げ打ってでも見ず知らずの他人を助けようとするのかな? うわあ、想像しただけで気持ち悪いなぁ」
にこにこと全く悪意を感じさせない笑い顔でそんな事を言った男性は、そのまま自分の首を回した。
コキリという音もせず、ぐるりと異常なまでの柔軟性を持ったその首の動きは何処か奇妙だが、ニット帽の女性以外は男性のその異常性に気が付く余裕はない。
というよりも、現状男性の存在や話している内容に注意を割けるほど余裕がある人はこの場にほとんどいないのだ。
「……なにあの人? なんか、おかしいよ……」
「き、桐佳ちゃん……わ、わたしあの人見たことある。前に、海外からの動画で流れてた超能力の犯罪者で、指名手配犯になったばかりの人で」
それでもそんな周りの状況は気にもならないのか、男性は指を立ててこんな提案をする。
「さてじゃあそんな君達に朗報だ。君達の手でも落ちている瓦礫でもはたまたもっと別のなにかでも良いけど、自分以外の誰かの命を奪ったら俺がその人を助けてあげるよ。この場において自身の生存を追い求める獣性が何よりも重要視されるんだ。どうだい、面白いだろう? 人の善性を尊いものだと信じられているこの場において優劣が逆転したらどうなるのかってワクワクして来」
唐突に、パンッ、と男性の体が横合いから飛んできた何かで弾け飛んだ。
まるで巨大な鉄球が高速で男性を吹き飛ばしたかのように、金髪の髪をした幼げな少年が、いつの間にか男性が立っていた場所で腕を振るった体勢で現れている。
消し飛んだ男性の行方を追う事もせず、険しい表情で周りの怪我人達の状況を素早く見回して、後悔でもするようにその少年は強く歯を噛み締めていた。
「こんなに怪我人が……! 僕がもっと早く判断して……違う、もっと僕の異能の扱いが上手ければ……」
突然現れた何かを呟く少年の姿に、姿が消えた先ほどまでの銀髪の男性。
何が起きているのか全く理解が追い付かない桐佳と遊里が目を白黒とさせる中、桐佳に肩を借りているニット帽の女性が急に声を張り上げた。
「そいつ血も何も出てない! 気を付けて!」
「っ!?」
ニット帽の女性の言葉に反応した金髪の少年が弾かれた様にその場を離れる。
距離を取り、目を細め、先ほどまで自分がいた場所の周辺を注意深く観察していた金髪の少年の表情が、徐々に理解できない物を目の当たりにしたように歪んでいった。
「なに、この出力……こんな、細かい粒子が別々に広がるようなのは見たことが……」
「ふうん? 流石、ICPO異能対策部署の最年少レムリア君は違うねぇ。普通の感覚では感知できない出力なんてものの違いを識別できるだなんて師匠が優秀なのかなぁ?」
チカチカと明滅する電灯。
電気が消え、次に光が灯るほんの一瞬の間に、飛行機の上に座った状態で現れた男性が心底感心した様子でそう呟いた。
怪我一つ無い男性の姿。
顎に手を添えて、レムリアと呼んだ金髪の少年が驚愕するのを観察するその銀髪の男性は目の前に現れた障害を楽しむような態度すら見せている。
一方で、名前を呼ばれた金髪の少年、レムリアは驚愕から立ち直ると鋭く男性を見据えた。
「なんで僕の名前を知ってるのか知らないけど……無関係な人をこんなに巻き込んだ貴方の弁明を聞くつもりはない。楼杏お姉ちゃんと同じで、僕も貴方を捕らえるなんて甘い考えはしてない。覚悟して」
「おいおい恐いなあ、そんな歳でそんな怖い事ばっかり言ってると良い大人になれないぜ? 罪を憎んで人を憎まずなんだろう? 俺の罪は憎んでも俺の事は憎まないでくれよ。これだから正義面した奴らは頭がおかしいんだよ。主張を一貫しないなんて信じられないね」
「適当な事を……!」
一撃必殺に近いレムリアの攻撃からどうやって逃れたのかは分からないが、隠れる事も無く目の前に姿を現した男性の行動にレムリアは不審そうな目を向ける。
だが、自分が出来ることは一つかと思い直すと、両手にこれまで自身が溜め込んだ衝撃を集めていく。
少し触れるだけで人の体なんて簡単に千切れ飛ぶような衝撃が込められたレムリアの両手に、小さく感嘆の溜息を吐いた銀髪の男性は肩を竦めた。
「君の異能は知ってるよレムリア君。衝撃の吸収と放出に位置の入れ替えだろう? 二つの異能を持つなんて凄いなあ、その才能に嫉妬しちゃうぜ。そもそも異能を持たない人がごまんと存在するこの世の中で君だけが二種類の異能を持ってるなんて酷い話だと思うよほんと」
「な、なんで僕の異能を知って……!?」
「情報は商人の武器であり、そもそも俺の主力商品でもあるのさ。色々な人に会って必要としている物を売買してると自然に情報は集積されるものだし、情報の質を向上させるのは商人としての信頼を保つために必要不可欠だ。要するに俺以上に情報を持っているのは、一個人どころか組織すら稀だって事だよ。それにしても……やっぱりレムリア君の異能は優秀だ、感心しちゃうよ。その異能でこの飛行機の墜落の衝撃を分散させて飛行機の中の人や建物の倒壊を抑え込んだんだろう? 器用なものだねぇ。まあでも、自分に向かってくる衝撃はともかく別方向に向かってるこれほど巨大な衝撃を空中で吸収しきるなんてやったことなかったんだろう? だからこんな風に、自分が吸収する以外に衝撃を分散させる必要があったんだろう? 判断は間違いじゃないけど、そのせいでこんなに苦しんでいる人がいるんだぜ? もっと異能を磨いておけばこんな事にはならなかったと思うけどなぁ……もしかしてだけど君さ、自分の才能に胡坐を掻きすぎたんじゃないかな?」
「っ……!」
レムリアの表情が痛みに耐えるように歪む。
暴走していた飛行機に掴まる事に成功し、足場も無い状態で衝撃を吸収して、乗客や建物内にいる人への被害を最小限に抑えるように努力はした。
建物の崩壊や飛行機の機体の破損が最小限になるように衝撃を拡散させ、自分に向けられたものでもない衝撃を出来る限り抑え込んだのだ。
だがそれでも、結果的には多くの負傷者が出てしまった。
もっと異能の扱いが上手ければ。
暴走する飛行機にもっと素早く辿り着いて、もっと簡単に衝撃を吸収し切って、落下する飛行機を軟着陸させて、誰も怪我することなく終わったかもしれない。
もっともっと自分の異能を頑張って磨いていれば違ったかもしれないなんて、レムリアだって思い当たってしまっている。
だからレムリアは息だって詰まっているし、掌を強く握って後悔ばかり頭を過るけれど、それでも目の前の悪魔のような男の姿から目を逸らさないようにじっと睨みつけた。
この悪魔のような男から自分が目を離したら、もっと多くの犠牲者が出てしまうのが分かっているからだ。
肌がひりつくような空気。
そんな銀髪の男性と金髪の少年による睨み合いに目を奪われていた桐佳達の肩を軽く叩いて、ニット帽の女性は二人に対して囁くようにそっと声を掛ける。
「……今が逃げる最後のチャンスだよ。早くいこう。異能同士のぶつかり合いなんて、一般人の君達が巻き込まれでもしたらどうしようもない。はやくっ……」
「で、でも、あの子は……」
「いいから早く……! 君達がいたところで何も……チッ!」
結果的に問答するような時間は無かった。
異能持ち同士の衝突が目の前で始まる。
レムリアが足元を爆発させるようにして散らばる瓦礫を銀髪の男性目掛けて飛ばし、銀髪の男性はそれに何をする訳でも無く座ったままの状態で待ち構える。
そして、男性目掛けて高速で飛来する瓦礫と自分の位置を何度も入れ替え撹乱しながら、余裕そうに座った状態の銀髪の男性に肉薄していく。
「……へえ、そんなことも出来るのか」
だが、飛ばした瓦礫に紛れる一方向からの肉薄は完全なブラフだ。
レムリアが行った瓦礫の散弾は強制的にそれに注意を向けさせるための布石であり、本命は自身の位置を繰り返し転移させながら行った別方向への瓦礫の射出。
別方向への瓦礫の射出はさらに別の瓦礫との位置交換が幾度となく繰り返され、瓦礫の散弾による攻撃はいつの間にか銀髪の男性を囲む全方位からのものへと変貌を遂げた。
「異能が分からない相手に対して接近しないっていうのは良い判断だと思うなぁ。周りの人に万が一にも当てない為にも、俺だけを囲うよう全方位の攻撃へと変換するのも悪くないし」
そして、その全方位からの攻撃は男性に何かを成すなどさせることは無く。
無数の瓦礫の弾丸に貫かれ、銀髪の男性は体のほとんどを喪失させた。
即死に近い損傷状態。
それでも相変わらず血は一滴も出ない。
だらんと力を失った銀髪の男性は座ったままの状態で体を傾かせ、半分以上を失った自分の顔を、攻撃を仕掛けたレムリアへと向けたまま口を動かした。
明らかな死に体でありながら、男は流暢に言葉を紡ぐ。
「そういう創意工夫、俺は嫌いじゃないよ」
「っっ……! なんで、その異能は一体っ……!?」
「普段なら対価次第で情報を教える事もあるけど君相手にその余裕はないなぁ」
さて、と区切る。
男が片手を上げて何かの合図を行うと同時に、彼の背後にあった壊れた飛行機から多くの乗客が顔を覗かせ、ずるずると割れ目から這い出るように姿を現していく。
あれだけ墜落に近い様相を見せていた飛行機の乗客が無事でいるのは間違いなくレムリアの尽力があったからで、乗客たちの無事な姿を確認したレムリアはほっと顔を綻ばせ。
安全に地に足を着けたにも関わらず、血の気が失った顔を恐怖に引き攣らせた乗客達の異様な様子に、レムリアは安堵の表情を凍り付かせた。
「何を切り捨て何を選ぶか。赤の他人の為にどこまで犠牲になれるのか。その気持ち悪い考え方の在り様をこの俺に見せてみてくれよレムリア君」
そして、銀髪の男性は背後の旅客機から虫のように湧き出した乗客達を一瞥もせず、腰を下ろしたまま、どこか他人事のように呟いた。
「才はあってもまだ青い。レムリア君、君は選択を間違えたんだよ」
両腕を広げた
男性のその動作を皮切りに、動揺するレムリアに向けて悲鳴に近い声を上げた旅客機の乗客達が殺到していく。
多くの命を救った少年目掛けて、命を救われた筈の乗客達が圧し潰そうと飛び掛かる。
銀髪の男性、“死の商人”バジル・レーウェンフックはその光景をせせら笑うようにして、ただ眺めていた。