非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?   作:色付きカルテ

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幕間を彩る

 

 

 

 

 つい先ほどまで喧騒が支配したこの場には、既に沈黙以外存在していない。

 それどころか、テロリストに支配されていた人達や騒動に巻き込まれ怪我を負っていた人達全てが完全に意識を失い倒れ伏していて、立っているのは私だけだ。

 

 チカチカと明滅する電灯の下。

 私は正面に座り込む男から目線を逸らさず、自身の異能による干渉がその男に正常に働いているのを見届ける。

 ドロリとした黒い感情が自分の胸の内でわだかまっているのを理解しながら、私は今回の事件の首謀者であるこの男の終幕を見届けたのだ。

 

 完全な無力化。

 完全な沈黙。

 私に全てを征服され尽くした男は、二度と私の意に反する行動を取ることは無い。

 その事を理解していても、私の中の怒りは少しも収まっていなくて、ふとしたきっかけで無害となった目の前の男を抹消してしまいそうだった。

 

 けれどやっぱり、そんな風に思う私の脳裏を過ったのは、コイツに傷付けられた筈の妹達の悲しそうな表情と神楽坂さんと飛鳥さんの沈痛な面持ちだった。

 

 

「……処理完了ね」

『御母様……』

 

 

 呆然と空を見上げた体勢のまま微動だにしない銀髪の男の姿を確認し終え、私が無意識に握っていた手を開いていると、マキナから心配するような声が上がった。

 

 分かっている。

 外にいる救助の人達。

 建物の封鎖を行っていたこの男を無力化した今、彼らがこの場に突入してくるのは時間の問題だ。

 警察や救急隊のみならず、先程会った御師匠様を含む異能犯罪に対応できる人達もこの場にやってくるだろう。

 マキナが心配するようにダラダラとこの場に留まるのは、どう考えたって悪手だなんて私も分かっている。

 目的を果たした以上、私の心の師匠であるあのお婆さんがやってくる前にこの場を立ち去る必要があるのだ。

 

 私は、マキナが気にしているだろう外の様子を異能で大まかに確認して、マキナに対して分かっているから何も心配はいらないと片手を上げた。

 

 そうだ何も心配いらない。

 他人から身を隠す事など今までいくらでもやって来た。

 今更それが私にとって難しくなる事など無い。

 

 

「……別に、何も問題ないわ。元々私の異能は隠密に向いたものだもの。例え人が波のように押し寄せたって、例え世界最高峰の異能使いが向かって来たって、どうにでもやりようは————お゛え゛えええ」

『やっぱりナ!! 大丈夫か御母様!?』

 

 

 何の前触れも無く、強烈な吐き気と頭に走る激痛が私に襲い掛かった。

 思わず口元を抑えて蹲った私に、マキナはまるで予想してましたと言わんばかりに私を心配する声を上げる。

 

 なぜ、なんて言う疑問が少しだけ脳裏を過ったが、よくよく考えるまでも無い。

 

 いつも通りの自爆も自爆。無理した異能の使い方をしただけだ。

 今回の場合は、対応するべき知性体の数が多すぎた為に、自分自身を起点とする認識阻害を出力最大で行使し続けた事による反動が主になるだろう。

 いやでも、流石に億単位で分裂していたこの敵の攻撃の手から逃れるには仕方ない選択だったと思うし、無理するべきところを無理した結果だとは思う。

 

 ……けど辛いものは辛いのだ。

 マキナの心配の声に返答する余裕も無く、私は自分を襲う不調に目を回し、体を縮めて小さくなる。

 

 

「ぎもぢわ゛るいぃ……頭、いだいぃ……」

『当たり前ダ! 昔の感覚で異能を使いすぎだぞ御母様! それに、機能の一部だけとはいえ“奴”を使うのは聞いてないゾ! それならマキナが大暴れした方がずっと良かった筈ダ!』

「そう、かもだけど……おえぇ……わたしの、管理から離れてるか、確かめる必要もっ……おぇ……だいたいマキナの、今回の敵を滞りなく抹消するためにはアレを使うのが合理的でおぇぇ……」

 

 

 もはや脇目も振らずに涙目でえずき始めてしまった。

 せっかく危機を乗り越えたというのに、我ながら情けない姿を晒すいつも通りの締まりのない私。

 

 そんな自分のあまりに情けない無様な姿に、思わず私はこの場に桐佳や遊里さんが居なくて本当に良かった、なんて思ってしまう。

 そして、そんな私の一部始終を現在進行形で見届けているマキナが、若干情けないものを見るような空気を発しているのは私の気のせいだと思いたい。

 

 

『御母様、さっきまで格好良かったのニ……』

「うぶぶぶぶ」

 

 

 言外に今の私は格好良くないと言われている気はするが、正直言って今の私が敵地ど真ん中に飛び込んでいった上で勝利なのだから、多少の無様は仕方ないと思うし、そうであってほしい。

 

 

『……御母様、一つ教えテ』

 

 

 心配そうな空気を醸し出しながらも、マキナは唐突に質問を投げかけて来る。

 

 

『戦闘時は仕方ないにしても、わざわざ手間をかけてソイツを処理する必要性がなかっタ。他の分身同様、容赦なく潰せば良かった筈ダ。ソイツの生態は人間とは掛け離れた、異能による生命体だっタ。他の人間を攻撃する人間でない異能の生命体、そんな害虫を処分するのに心を痛める必要は無い筈ダ』

 

 

 マキナの言葉にある機械的な疑問とその奥に潜む酷く人間的な報復の感情に、私は驚いて顔を上げ、思わずマキナがこちらを覗いているだろう自分の携帯電話を見る。

 

 

『御母様はそんなに、何かの命を奪うという事実を避けたいのカ?』

 

 

 そんなマキナの質問に回らない頭で何と返答しようか考えながら、私は周囲の探知を行っていく。

 蠢く壁が壊れたことで救助が始まった出入口付近に視線をやり、最も警戒するべき相手がどの方向にいるのかを把握し、時間的な余裕がどれくらいあるのか確認する。

 

 そして最後に、私は空を見上げてピクリとも動かないテロリストに視線をやった。

 

 マキナが指し示すソイツとは当然、桐佳や遊里さんを傷付けたこのテロリストの事だ。

 精神干渉により様々な手を加え、所持する異能の力を根本から裁断こそしたものの、まだ息があり、人としての機能が残っているコイツ。

 発言にあったように、人としての生命活動から大きく外れた存在となっていたコイツをわざわざこうして人としての形まで戻したのは、他ならない私だ。

 

 コイツという生命を絶やさないように、わざわざ私は自分の消耗を度外視して処置を行った。

 そのことにマキナは不満に近い疑問を持っているのだろう。

 

 取り敢えず、吐き気だけはどうにか収まって来たのでマキナに返答することにした。

 

 

「うぷっ……別に。コイツは色々情報元として優秀そうだったし、これだけ大きな事態を引き起こした犯人が誰にも知られず塵も残さず消えましたじゃ収まりが付かないだろうと思っただけ。私の感情論じゃなくて、この後始末や今後を考えた時にこうした方が私に利があると思ったから、だけど…………そういう事を聞いてる訳じゃ無いんだね?」

『……』

 

 

 私の言葉を聞いても納得して無さそうなマキナの様子。

 それもそうだろう、マキナが聞きたいのは処分しない理由ではなく、テロリストに向かう怒りを抑えてでも、自身の消耗を選ぶに至った私の感情の話をしたいのだ。

 

 だから、私はフラフラと立ち上がりながら返答を変える。

 ゴミとしか思っていない、血の通うだけの人形を見遣りながらマキナの質問に答える。

 

 

「……私は博愛主義者じゃないし、今まで何人も誰かの命を奪ってるだろうコイツが死のうと正直自業自得としか思わない……結果的にコイツがどうなろうが構わないけど、他に手段があるのに私自身が進んで命を奪う選択をするのは違うと思ったの。勿論、人格抹消と生命の死が人によっては同一だと思うかもしれないけれど、大切な人の死で悲しんでいる人を私は散々見て来たから。私がした選択を、私は家族に胸を張って言えないだろうし、神楽坂さんや飛鳥さんに悲しい顔をさせてしまう気がするから……うん。だから私はちょっとだけ無理をしてでも、コイツの異能を抹消した上で処置をするなんて事をしたんだよ」

『……それは……マキナも理解できル。むう……』

 

 

 何か思う所があるのだろう。

 マキナはそんな私の言葉を聞いて、素直に相槌を打った。

 こうして私とは異なる意見をぶつけてくれるのは、自分の身の振りを見直す意味でも、マキナの感性を育てる上でも私としては大歓迎だが、今は流石にタイミングが悪い。

 

 家に帰って落ち着いたらまた話そうと思いながら、私はこれから来るだろう救助隊の人達と難敵である御師匠様への対応に集中しようと自分の異能を起動させようとした。

 

 先ほども言ったが、別に誰が相手でも私は自分の身を隠すだけならいくらでも手段を持っていて、対応するべき相手がどれだけ多くても問題はない。

 

 ない、のだが……筈なのだが……。

 

 

(…………あれ? な、なんだか上手くいかない……これっ、あれっ!?)

 

 

 ……だが、思うように上手くいかない。

 集中できないくらいの極度の疲労と、異能の使い過ぎによる頭痛が酷すぎる。

 墜落する飛行機を見てから全力でこの場に向かった事と、身の丈に合わぬ異能の行使による負荷が私に襲ってきている。

 

 

(い、異能を使うだけならいけるけど、このレベルだと御師匠様の目は誤魔化せない気がするっ……どどど、どうしようっ……マキナに頼ってどうにかするかそれとも……え、マキナって御師匠様騙せるくらい異能の扱い上手いんだっけ……?)

 

『……むっ、御母様。奴だ。ICPOの最高戦力が建物内に入って来たゾ。ふっ、御母様の潜伏技術で成す術も無く取り逃がすというのも知らずのこのこト! やってしまえ御母様!』

「あわ、あわわわ、あわわわわわわわっ……!」

『……御母様? そろそろ異能で準備しないと不味いゾ……?』

 

 

 焦れば焦る程上手く異能が扱えない。

 というか、下手くそな異能の扱いを繰り返している現状すら不味い気がする。

 脱出くらい自分の異能なら余裕だしと、妹達を救出し、テロリストを無力化した事で下手に緊張の糸を解いたのが最悪過ぎた。

 

 こんなの、家に帰るまでが遠足だと聞かされていたのに、山頂に登って満足して迷子になった子供みたいなものである。

 

 

「って、そんなこと考えてる場合じゃないっ……考えろ私。異能が使えないなら…………異能がこんなにうまく使えないのはせいぜい数分程度の筈だから……!」

 

 

 辺りを見渡す。

 周囲にある使えそうなものを探しにかかる。

 電気がチカチカと明滅し、物が散乱し、多くの人が意識を失い倒れ、救助を待つ人が多くいるこの空間。

 

 逃げられなくとも、隠れられる場所はそこら中に存在する。

 

 

「これだ……!」

『!?』

 

 

 冷静に周囲の状況を把握した私の頭に名案が浮かぶ。

 近くにある服屋の店頭に置かれていた男物の大きなフード付きコートを引ったくり、私はガバリと身に着けた。

 そしてそのまま、足元で意識を失い倒れ伏している人々の中に紛れる様に、私を床に身を投げ出し、死んだふりを決行する。

 

『木を隠すなら森の中、人を隠すなら群衆の中』作戦である。

 

 

『!?!?!?!?』

「うぅ……わたしはひがいしゃ、いっぱんじん……わるいこじゃないよ……」

『お、お、御母様ー!? やっぱりまだ辛いのカ!? 大丈夫カ!?』

「黙ってマキナ、今の私は通りすがりの被害者一般人なの。……うぅ、まきこまれた……」

『!?!?!?!?!?』

 

 

 マキナの驚愕が伝わってくるが、私はほんの少しもふざけていない。

 

 私のこの策は実に合理的なものなのだ。

 

 今の私は極度の疲労と異能の酷使により出力が思うようにいかない状態。

 その状態で異能を使おうとしても、どうしても粗が出てしまうし、それを世界最高峰の異能使いに見られれば、看破される危険性は非常に高い。

 

 では逆に、異能を出力しないようにするだけならどうか。

 

 答えはすぐに判明した。

 

 

「……嘘だろう? バジルの奴が……コイツが作り上げていた牙城が、ほんの数分の内に制圧されたっていうのかい? 予想はしていたが、これは……」

 

(もっ、もうここまで来たの!? あぶ、あぶぶっ……あぶなかったぁ……!)

 

 

 次の瞬間、あのテロリストの前に御師匠様が姿を現した。

 土汚れすら無い、こんな場所だというのに気品すら感じさせる老女の姿を確認して、私は顔を見られないように、床と一体化しようと必死になる。

 

 そうしていれば予想通り、御師匠様の探知に私は引っ掛からなかったようで、倒れ伏す私の姿をひとまず気にした様子はない。

 

 

『あいつ……捕捉していた地点から一瞬で移動したゾ……』

 

 

 身動きをせず、息も潜めて。

 音だけを聞いて状況を知ろうとするが、御師匠様は何かを探しているのか、特にそれ以上口を開こうとしない。

 

 私にとってハラハラとした時間が過ぎていく。

 体感数分にも及ぶ沈黙を経て、御師匠様は探し物を見付けたらしく早足で歩きだした。

 

 

「レムリア! 大丈夫かい!?」

「ぁ……ぅ……」

 

(……あ、そういえばレムリア君を容赦なく吹っ飛ばしちゃったんだった)

 

 

 ちょっとだけ心配になった私はチラッと視線を上げて様子を確認し、青白い顔色のレムリア君が御師匠様に抱き起される形で助けられているのを見て、取り敢えず安心した。

 呻き声を出せる程度の状態なら、御師匠様の異能があればどうとでも出来る。

 

 そして、私のその予想通り、御師匠様は自身の異能を起動させてレムリア君を最良の状態へと巻き戻し始めた。

 

 再生、回帰、巻き戻し。

『刻』を操るこの人の異能を実際に目にするのは初めてだったが、何よりここまで器用な事も出来るものなのかと、驚愕が先に湧き出してしまう。

 自然法則を完全に無視するこの異能は、私が知る中で最も消費が激しく、最も扱いが難しく、同時にこの世で最も理不尽な力を持つ異能だ。

 

 

『ぁ……へれな、おばあさん』

『大丈夫かい!? ああ、よかった……老い先短い婆の心臓を冷やさないでおくれよ……』

『ぼく…………また、めいわくかけちゃったんだね……』

『良いんだよ。私がこんな危険な事に巻き込んでいるんだ。迷惑を掛けられる内なら、レムリアはいくらでも私に迷惑を掛けて良いんだよ。ただ……あんまり怖い事はしないでおくれ』

 

 

 さっき会った時の棘のある態度は何処へやら、御師匠様がしおしおと空気が抜けていくように肩を落とす後ろ姿が見える。

 

 自分の子供を本気で心配する母親のような姿。

 私が想像していた以上に、御師匠様にとってレムリア君は大切な存在だったらしい。

 

 そうしてしばらく。

 レムリア君の容態が落ち着いたのを確認し終えたのだろう御師匠様が、近くで倒れている重傷な人達を異能で巻き戻しながら、レムリア君をその場に寝かせてゆっくりと立ち上がっていく。

 

 

「…………いるんだろう、クソガキ」

 

(!?)

 

 

 誰かに向けたその言葉。

 明確な場所に向けられている訳ではないが、間違いなく特定の誰かには向けられているその言葉に、私は背筋が凍り付くような気分になってしまう。

 

 クソガキというのは昔、姿も見せていなかった私に対して御師匠様が使っていた名称。

 初めて自分の異能を正確に捉えられたあの時の事が、脳裏を過る。

 

 

(こ、こわい、めっちゃこわい……! れ、レムリア君を思わず吹っ飛ばしちゃったことを怒ってるのかな……? で、でも、私があの強制服従を解除した訳だし、そんなに恨まれるような事じゃないような……)

 

「……ふん、今もこの場を何処から見てるのか知らないけどね。私の培った技術を盗み取って、世界中で悪さして、私にレムリアを押し付けた事を、近い将来絶対に後悔させてやるよ」

 

(あっ、そもそもその前の話だったや)

 

 

 少しは恨まれているだろうとは思っていたけれど、そんな宣言をされるほどだとは思ってもいなかった。

 以前の飛鳥さんの時も思ったが、ちょっとした過去の所業でこんな地の果てまで追い掛けるような事しなくてもいいのに、なんて思う。

 

 だが、御師匠様はまだまだ言い足らないのか、辺りを見渡しながら続けて口を開いた。

 

 

「良いかい。見つけ出して、とっ捕まえてね。レムリアと同じように私の下で教育してやる。異能犯罪に巻き込まれる色んな奴らを助けて回る忙しい生活を、アンタに送らせてやるからね。その異常なほどに捻じ曲がった性根を私が厳しく叩き直す。覚悟しな」

 

(……そ、そんなの、絶対に見付からないようにしないとだぁ……おうちに帰れなくなっちゃうよぅ……)

 

「まあ、ただね……」

 

 

 そこまで厳しく宣言をしていた御師匠様が、ふと少しだけ優し気な笑みを漏らした。

 自分の足元にいるレムリア君を見詰めて、彼の無事を本当に嬉しそうに確かめて、ゆっくりと口を開く。

 

 

「……今回の事は、ありがとね。アンタがいなければどれくらい被害が出ていたか分からない。私を含めて、アンタのおかげで救われた奴らがいる。そこは紛れも無い事実さね」

 

 

 ちょっとだけ誇らしげで、ちょっとだけ照れくさそうにそんな事を言った御師匠様。

 そんな自分の気持ちを切り替える様に手に持った杖で床を突き、さらに異能の範囲を拡大させ怪我人の応急措置に当たる姿を、私は思わずぼんやりと眺めてしまう。

 

 この人に褒められたのはこれで何回目だろう。

 紅茶の入れ方が良くなったと初めて褒められた時の事を思い出しながら、私はそんなことを思った。

 

 そしてそんなことをしていれば、さらにこの場に救助を目的とした人影が空から現れる。

 

 

「――――まったく、何処も渋滞だらけで遅くなったけど、今のこれどんな状況よ。混乱状態にも見えないし、テロリストが暴れているようにも見えないし……まさか全部が終わった後だとは言わないわよね?」

「……つ、着いたのかい? 私の要望と違って、かなり速度が出ていた気がするんだが……」

「黙りなさい。アンタは良いから怪我人の治療をするのよ」

「勿論苦しんでいる人を治すのは私の本懐だ。だがね、私はそもそもジェットコースターのようなものが苦手なんだ。あんな自ら生命の危機を味わうアトラクションなど…………いや、これは想像以上の被害だ。君の判断が全面的に正しかったか」

 

 

 この場に現れたのは療養中の筈の私服姿の飛鳥さんと、“医神”神薙隆一郎。

 

 先日の私の忠告をまったく聞いていない、初手から異能を使用してこの場に登場した飛鳥さんの姿に、私は動揺しながら彼らの様子を窺ってしまう。

 

 いったいどういう状況なのだろう。

 確かに怪我人が数えきれないくらい出ているこの場を収めるには、“医神”神薙隆一郎はこれ以上無いくらいの適任だろうが、経緯が全く分からない。

 ただ、親し気とは言えないながらも、同じ目的を持っているような二人のやり取りに険悪さは無かった。

 少なくとも、飛鳥さんが強制されてあの男をこの場に連れて来た訳でないのは確かだ。

 そうであるなら、異能持ちを収監する牢屋の監視を並行して行わせているマキナから最優先で報告がある筈だからだ。

 

 ショッピングセンターの床に降り立った二人とその場の収拾に当たっていた御師匠様の視線が交差して、何処かピリついたような空気が流れる。

 

 

「妖怪婆がここにいるとなると、私は必要なかったかもしれないね」

「はっ、収監中の小僧が若い娘に引っ張られてのこのこ出て来たのかい? 私がいくら異能犯罪の解決に協力するようにって言っても聞きやしなかったアンタが、その可愛らしい娘には随分ほいほい絆されてるじゃないか」

「私は異能犯罪の解決に興味はない。私がやるべきはあくまで、苦しむ人の治療だけだと思い知ったからだ妖怪婆」

 

「アンタ達の仲がどうだろうと知らないけれど、まずはこの場の怪我人を治療する事が最優先でしょう? 下らないやり取りで誰かの命が助からなかったら、他ならないアンタ達が気を病む癖に馬鹿なの?」

 

 

 因縁のありそうな二人の会話と、その間に入る飛鳥さん。

 猫も被っていない飛鳥さんの棘だらけの言葉を聞く限り、彼女の機嫌も相当悪そうだが、そもそも異能の使用を禁止した筈の彼女がどうしてこの場所にいるのだと思う。

 直接聞いてみたいが、床に引っ付くだけの存在になっている今の私がその場に出ていける筈も無いので、もやもやしながら彼らの会話を聞くしかない。

 

 飛鳥さんの仲裁(?)の言葉で、ピリピリとした空気を漂わせながらも、御師匠様と神薙隆一郎はそれぞれ倒れ伏す人達の治療に当たっていく。

 飛鳥さんが怪我人を並べ、残る二人が異能によって怪我人の治療に当たる、そんな流れるようなサイクルが行われていく。

 

 

「……少し若返っているようだが、異能を使い過ぎたのかね? 一刻を争うような重傷患者だけを巻き戻してくれればそれでいい。貴女が治療しなかった者は私が必ず治し切るとも」

「ここ最近暴れる奴らが増えてただけさ、問題無いよ。そういうアンタはどうしてここに出て来てるんだい? この国がそんな特例をここまでの速さで出す訳ないだろう?」

「ふっ、どうやら我が国の異能対策部署の若きトップの独断のようだよ。リスクを恐れない独断専行。若さゆえの向う見ずさ。誰かの為に自分の名声すら容易く捨て去るその姿勢に、私も協力せざるを得なかったんだ」

「ほお……なるほどねぇ……」

 

「なんか腹立つ言い回しだけどね。私の特殊な立場上少し独断行為をしたって処分されないし、ウチの組織の一番上の人には了承を貰えてるからどうにでもなるだけよ。良いから黙って治療を続けなさい老人ども」

 

 

 どこか自慢するような口ぶりの神薙隆一郎と感心したような声を上げる御師匠様に、口をへの字に曲げた飛鳥さんが彼らの会話を中断させている。

 

 私には分かる、嫌そうな反応だが飛鳥さんのアレは照れ隠しだ。

 

 

「目上の人に対する態度がなってないね、まったく最近の若い奴は……」

「ははは、年齢を基準に目上を決めるなら妖怪婆以上の存在はいないだろう。遠回しに自分を世界で一番偉いと言うとは、面白い冗談じゃ無いか」

「小僧……肩書を捨てたからって随分言ってくれるじゃ無いか。ええ? 私がもう十年若返っていたら我慢できなかったかもしれないよ。命拾いしたね」

 

 

 そんな風に言葉を交わしながら、通常では考えられない速度で救護、搬送行為と治療行為を両立して行う彼らの動きは淀みない。

 

 怪我の度合いを瞬時に見抜いた神薙隆一郎が誰を優先して治療するべきか指示して、怪我が軽い者は飛鳥さんが脇にどかし、怪我が重い者は御師匠様が巻き戻しによる治療を施す。

 そんな異なる立場とは思えない程の巧みな連携で、多くの人々の容態を安定するまで持っていくのはもはや他の者達では成し得ない才能の暴力だ。

 

 あっと言う間にフロア一面にずらりと並ばされていく怪我人達の姿は圧巻の一言である。

 

 そして怪我の具合が酷い人達をおおよそ治療し終えた頃合いで、ようやくぶつぶつと空を見上げ独り言を呟いているテロリストに飛鳥さんの視線が向けられた。

 

 

「で? このうわ言を呟き続けてるコイツが今回の首謀者? 異能の気配が微塵も無いんだけど……」

「そうだよ。私が来た時には既にその状態で、完全に精神をヤられてた。十中八九、例のアイツの仕業だろう。まったく、都市伝説が顔を覗かせる地域は恐ろしいね」

「ほう」

 

 

 怪我人達とは異なる状態である例のテロリストを見ての飛鳥さんの質問。

 放置すれば命を落とすだろう怪我人達の救助を一通り終えたことで、余裕が産まれただろう飛鳥さんのそんな疑問に答えた御師匠様は、「それで」と言葉を続けた。

 

 

「ところで、随分目ざといじゃ無いか。どうして異能の気配も無いソイツを直ぐに首謀者だと思ったんだい?」

「……」

 

 

 まるで世間話をするように切り出した指摘。

 それを受けた飛鳥さんは自分の失態に焦る気持ちを顔に出さないようにしながら、それらしい言葉を慎重に選びながら返答する。

 

 

「……国際指名手配犯としてコイツの顔は晒されてたでしょ。元々この場を異能を持ったテロリストが占拠してるっていう情報があったから」

「にしたって判断が早過ぎないかい? まるで、この場を襲撃した犯人の異能の気配が微塵も無くなるのをあらかじめ知っていたような」

「……何が言いたいの?」

「はっきり言った方が良いかい? なら、言わせてもらうけどね。世界的に見て、この国だけ異能犯罪が少ない理由。それを少なくとも、この国の異能犯罪対策部署のトップであるアンタは知っていて。その理由の人物と少なからず知見があるんじゃないかと思っているんだよ。これまでこの国で起きている異能犯罪の詳細を確認したけどね、あまりに犠牲が少なく異能犯罪を解決させていて、適切に後始末が出来過ぎている。外の救助に駆け付けた警察官を見る限り、異能犯罪への対応要領がまともに育っていないのは明白だった————」

 

「異能の気配を感じさせない技術。それは、私という前例があったからその可能性を彼女は印象強く持っていたんだろう。何せ貴女の目すら誤魔化して見せた異能の気配を感じさせない術だ。彼女にとっては記憶に残るものだっただろうね」

 

 

 飛鳥さんを疑うような御師匠様の言葉を神薙隆一郎が遮った。

 鋭い目を向けた御師匠様に対して、柔和そうな目の奥に冷たい光を灯した神薙隆一郎が穏やかながら威圧するように問いかける。

 

 

「何か、特別疑うようなことがあったかい。まだまだこの場にいる怪我人の治療を遅らせてでも、彼女を疑うような何かが」

「……何でもないよ。悪かったね」

「……」

 

(こ、この老人組、こわい……)

 

 

 間にいる飛鳥さんが可哀そうになってくるほどに、である。

 というか、そもそも私のやってることで飛鳥さんが疑われたのだから、元を辿れば私が悪い気もするが……うん、この考えは辞めておこう。

 お互いを牽制するような老人達の言葉の応酬をこっそり眺め、「そろそろ私の場所にも治療に来そうだ」と考え始めた私は、少しは回復したかと試しに“読心”を使ってみることにした。

 

 案の定、“読心”までは誰一人反応が無い。

 このまま行けばとりあえずはこの場を脱するくらいはいけそうである。

「なら次に……」と私が考えていた時、パチリと御師匠様がこちらを見た。

 

 調子に乗って様子を窺い過ぎた。

 完全に目があった気がする。

 

 

(気付かれてませんようにっ、気付かれてませんようにぃっ……!)

 

「……今、あそこの奴意識があった気がするね」

「そうかい? まあ、怪我が深刻じゃない人がいたなら幸いじゃ無いか。そこの君、大丈夫かい? 動けそうなら少し手伝ってくれないかな?」

「…………?」

 

 

 駄目だった。

 目ざとく地獄耳で老獪なこの人は、しっかり私に気が付いたようだった。

 三人からの視線が集中するのを自覚して、自分の危機的状況に焦りを覚えた私は強硬手段に出る事を決心する。

 

 

(こ、こうなったら、今ある全力でこの場を引っ掻き回してやるっ! 飛鳥さん悪く思わないでね!)

 

 

 同士討ち、一般人を操って騒ぎを起こす、若しくは単純にこの三人に攻撃を仕掛ける。

 自分の失敗を悟った私が、この場を脱出する作戦をそんな強行策へ変更しようとした瞬間。

 

 

「————思っていた展開とちょっと違ったわね」

 

 

 ソレは唐突にやって来た。

 

 誰かの声がする。

 覚えのあるその幼い声が、その声質に似合わない尊大そうな口調で見下すように話し掛けて来る。

 今現在、私がこの世で最も危険視している存在が、何の前触れも無く顔を覗かせた。

 

 絶望的な異能の出力が、この建物を深海の底に引き摺り込んだ。

 

 

「っ!?」

「待ちな、動くんじゃないよ! 固まるんだ! 私から離れるんじゃない!」

「異能の出力が強すぎるっ、いや、待てこれは……」

 

「本当は介入するつもりも無かったんだけどね。初めまして、一応そう言っておくわ」

 

 

 誰かが、吹き抜けになっているショッピングセンターの上層階の縁に座って、飛鳥さん達の姿を見下ろしている。

 ニット帽を深々と被った幼い少女がまるで最初からそこに居たかのように、じっと指先を組みながら、楽しいものを見る様にこちらの様子を観察していた。

 

 この場にいた誰も気が付かなかった。

 飛鳥さんも、神薙隆一郎も、御師匠様も私も、マキナさえも気が付かなかった。

 いったいいつからその場所にいたのか分からない。

 その事実に私は絶句する。

 

 

(精神干渉による幻覚じゃない!? こいつ直接この場所に現れたってこと……!? いやそれよりも、いったいいつからここにっ……!)

 

『相似性96%。奴だ、“百貌”ダ! 逃げろ御母様!』

 

 

 おぞましい光が灯った目が暗闇の中で輝いている。

 少女が羽織る上着が意志を持った巨大な翼のように自在に蠢いている。

 まるでこの世界の王であるかのように尊大に座す幼い少女の姿は、あまりにも非現実的だ。

 

 そんな存在に見下ろされた飛鳥さん達三人に緊張が走り、各々が攻撃に対する構えを取った。

 

 

「あれが、あの時のクソガキ……? ……攻撃を仕掛けるんじゃないよ。まだ奴は私達を攻撃しちゃいないし、そもそも敵意を向けて来ていない。この場で敵対するかは慎重にだ」

「奴が、話にあった“百貌”なの……? この馬鹿げた異能の力っ……!」

「……“百貌”? “顔の無い巨人”ではないのかい? いや、そもそもこの異能の出力は昔の……状況は分からないが、どちらにせよあの存在が攻撃して来た際には私は飛鳥さんに加勢しよう」

 

 

 視線が交差する。

 この場にいる世界的に見ても強力な異能を持つ三人と、彼らがいる場にわざわざ顔を出した“百貌”。

 目的の分からない巨大な存在の出現に、自分の異能の起動すらままならない私がどう介入するべきか判断を迷わせていれば、いやに耳まで届く幼い声が発せられた。

 

 

「別に怪我人の救助を邪魔しようだとかそういう事を考えて姿を現した訳じゃ無いの。ただ感謝を伝えたかったの。面倒な害虫を処分してくれて、私は本当に感謝してるのよ。アレは私にとっても不快だったから」

「……その割には随分威圧的な異能の扱い方をしてるじゃないか。今にも襲い掛かってきそうに感じるけどね」

「自然体がこれなのよ。悪意は無いから悪く思わないで欲しいわ」

 

 

「だから」と“百貌”が続ける。

 

 

「刻を止めれば制圧できるだなんて事は考えないで欲しいわね」

「……なんのことか分からないね」

「別に試してみても良いけど、そうなった時の貴女の身の安全は保障しないわよ」

 

 

  「ねえ」、と声を掛けた“百貌”の背後に銀色の液体が無理やり人型を作ったような存在が現れた。

 

 神薙隆一郎が息を呑んだ。

 間違いなくアレは、神薙隆一郎が良く知る女性が持っている異能の存在だ。

 外部からの異能の干渉を防ぐ外皮を持った液体人間。

 

 

「あれは雅の……? いや、そんな筈は……」

「……さっきアンタを連れ出した時にあの女の姿は確認したわ。それにわざわざ私達の前に現れて協力を誇示するくらいなら、最初からアイツは牢屋から逃げ出してるでしょう。だからアンタのお仲間の女は、アイツに協力してる訳じゃ無い筈よ」

「悪くない推察ね。とはいえネタバラシをするつもりも無いの」

 

 

 ニット帽を目深に被った“百貌”が背後に立っている銀色の人型を撫でると、それは下半身の形を変え、大きな蜘蛛のような姿に変貌した。

 

 まるで用件は済んだとでも言うように、飛鳥さん達を気にするそぶりも見せずに銀色の怪物の上に乗った“百貌”は、最後にもう一度振り返って飛鳥さん達を……いいや、はっきりと私を見て口を開いた。

 

 

「また会いましょう御母様。今度はちゃんとした舞台に招待してあげるわ」

「————」

 

 

 そんな不気味な言葉を残して、“百貌”は暗闇の空へと消えていった。

 

 

 

 

 


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