非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?   作:色付きカルテ

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心の手折り方

 

 

 

――――時間は少しだけ遡る。

 

公園で休憩を取ってからそれほど時間も経っていない頃。

 

突如として現れた警察官達に問答無用で補導される前、私は轢き逃げを起こした犯人に遭遇した。

 

 

 

見るからに遊んでいる大学生と言った風貌で、公園の近くでビラを配っていた私に対して気持ちの悪い下心を内心に抱いて近付いてきたのがきっかけだった。

 

 

 

 

 

「ねえ、君大変そうだね。お兄さんも手伝ってあげようか」

 

「……」

 

 

 

 

 

ニコニコと、一見すれば悪意を感じさせない笑顔を浮かべ、良くできた甘い仮面の下ではドロドロに蠢く欲望を滾らせて。

 

私が配っているビラに書かれている、自分の犯した事故のことなど記憶にも残っていないのか、警戒1つせずに私に寄ってきて声を掛けてきた。

 

 

 

ようやく親の軟禁から解放された、あんな奴ら轢いたところでなんで俺がこんな窮屈な想いをしなくちゃいけないんだ、なんて。

 

そんなことを考えていた男が私に寄ってきた時、正直言えば私は驚いていた。

 

犯人が近くを通ったとしても、自身が犯人の事故のビラ配りになんて近付かないのが普通なのだから。

 

目撃者や被害者家族にでも会えればと思って始めた活動で、まさか犯人から近づいてくるなんて安易な予想はしてもいなかった。

 

 

 

 

 

(うわぁ、きもっ……とはいえ、情報源としてはこれ以上ないし、ある程度情報を搾り取らないと。まずは、コイツの理想を演じるために思考を読み取って……“お淑やかで気弱な少女”……わ、分からない)

 

 

 

「あはは、警戒させちゃったかな? ごめんねいきなり声を掛けて、とっても可愛い子が頑張って声を出しているのが見えて気になっちゃって。」

 

「えっと……あの、可愛いなんて……ありがとうございます。でも、どうしても情報が欲しくて……」

 

「ふうん、そんなにそのビラが大切なんだね。偉いなぁ。両親に頼まれたのかな? 長い時間ここら辺で配っていたから疲れたろう? お兄さん結構お金持ちだからお金は出すよ、近くのカフェで少し休まないかい?」

 

 

 

 

 

言葉巧みに人をかどわかし2人だけになれる場所に連れ込もうとする、典型的な下半身で物を考えるタイプの男。

 

実際、甘いマスクをしてお洒落にも気を遣ってそうなこの男の外面だけしか見なければ、まんまと着いていってしまう人もいるのだろう。

 

それくらい、この男の雰囲気は女慣れしている。

 

 

 

 

 

「カフェ、ですか? い、いえ、見ず知らずの方にお金を使わせる訳には……それに、まだ全然ビラも配り終えていませんし……」

 

「そうかな? 自分の体にも気を遣って、適度に休みを入れた方が良いと思うけどなぁ」

 

「とっても、ありがたいんですけど。私、明日から学校ですし、今日中にこれを配っちゃわないとで……」

 

 

 

 

 

…………お淑やかってこんな感じで良いのだろうか?

 

正直、こんな奴の理想に合わせるのは業腹ではあるから、少し違っても良いかと言う投げやりな気持ちもある。

 

 

 

で、私の猫かぶりはどうやらこの男に効果抜群のようで、さらに男の目は欲望に滾り、ぐいぐいと誘いを入れてくる。

 

 

 

 

 

「いいじゃないか、少しの時間だけでもさ。なんならそのビラを一緒に配ってもいい。ほらほら、すぐそこに良い店を知ってるんだ。遠慮せずにさぁ」

 

「い、いえ、あの、でもですね」

 

「そんな肩ひじ張ったって仕方ないよ。こっちこっち」

 

「あ、押さないでください……」

 

 

 

 

 

痺れを切らした男がついに実力行使に出てしまい、ぐいぐいと背を押される。

 

このまま連れていかれると間違いなく良いことは起きないであろうし、異能を使う羽目になるだろう。

 

それはちょっと、ご遠慮願いたい。

 

 

 

 

 

「あのっ、せめてビラだけでも確認してもらっていいですか? このことについて知っていたら教えてほしいんですけれど」

 

「んー? 全く、意固地な子だね。どれどれ、ちょっと見せてみ――――…………ああ、これか」

 

 

 

 

 

押し付けたビラを見て、男は表情を消した。

 

けれどそれは、自分が犯人の事件を調べられていてまずい、と言う感情ではなく、心底くだらないものを見たと言う、呆れだ。

 

取るに足らないクソ事件、この男の頭に過ったのはそんな言葉だ。

 

 

 

 

 

(――――この、クソ男)

 

 

 

 

 

被害者がいて、傷を負った人達がいて、負うべき罪がある。

 

自分は加害者で、被害を受けた者がいると分かっていて。

 

それらを理解してなお、「ああ、これか」などと、まるで自分に関係ないことの様な思考をするこの男に心底吐き気を催した。

 

あたかも自分が理外の上位者のように、特権階級である自分自身にはそんな些末なことは何も関係ないことだとでも言うように、こいつは私が押し付けたビラから一目で興味を失った。

 

 

 

同時に私も、コイツに時間を掛けるのはこれ以上ないほどに無駄だと切り捨てた。

 

もう、演技するつもりも失せた。

 

 

 

 

 

「…………貴方の家はこの近くなんですか?」

 

「ん、いきなりどうしたの? もしかして店じゃなくて俺の家に行きたくなっちゃった? 全然いいよ、じゃあ、こっちに」

 

「なるほど、分かりました。では次に、この事故を起こしたと疑いがある人が捕まったというのをご存じですか?」

 

「……えっと、ちょっと何が言いたいのか分からな」

 

 

 

「へえ、そうですか。では最後です――――罪を償うつもりはないんですね?」

 

「………………なんなんだ、お前……?」

 

 

 

 

 

気味が悪いとでも言うように顔をしかめた男の様子など気にもならない。

 

男の思考は一貫して、罪を償うつもりも無く、そのためなら他の誰がどうなっても良く、そんなどうでも良いことよりも自分の欲望を発散させたいと言うものばかりが埋め尽くしていた。

 

 

 

更生不可能の屑。

 

親が権力を持つばかりに、他の人がどんな被害を被ってでも自分の身を守ろうとする害悪。

 

私が大嫌いな、自分本位で、他者の人生を貪り喰らう悪性。

 

 

 

私が時間を割くのも、神楽坂さんに手間を掛けさせるのも、どちらをする価値もない。

 

 

 

――――ここで私が、この醜悪な悪性を刈り取ろう。

 

 

 

 

 

怒りに任せ、ずるりと手に異能を廻す。

 

もはや渡したビラなど興味ないとばかりに放り捨てて、私の腕を掴み連れて行こうとする男の頭に照準を定める。

 

そしてそのまま、もはや仮面をかぶるのすら辞めたのか、醜悪な笑みを私に向ける男に腕を振るおうとしたところで。

 

 

 

私の背後から声が掛けられた。

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっとなにやってるんですかっ!?」

 

 

 

 

 

声を掛けたのは年若い母親。

 

いつぞやの、あのバスジャックの時にバスの中にいた赤ん坊を連れていた女の人が私を連れ出そうとしていた男の肩を掴んで引き留めていた。

 

 

 

 

 

「あ……」

 

「貴方この近くに住んでる嘉善さんの息子さんですよねっ!? こんな女の子を無理やり連れて行こうなんて何を考えているんですか!? 何処に連れていくつもりだったのか、教えてもらえますか!?」

 

「チッ……」

 

 

 

 

 

男に詰め寄る女性を見て、慌てて私は手に廻していた異能を解いた。

 

舌打ちしたいのは私の方だ、命拾いしたな屑男、なんて思うがもちろん口には出さない。

 

 

 

男は面倒そうに舌打ちをして、なんと言い包めようか口ごもったが、女性の大きな声を聴いて、先ほど私が子供達を押し付けた他の母親達も異変を察知して寄ってくる。

 

あっと言う間に多くの人達が集まってきたことに危機感を抱いたのだろう、男は掴んでいた私の腕を放り捨て、さっさと立ち去って行ってしまう。

 

 

 

 

 

「あっ、ちょっと待ちなさいっ!!」

 

「追いかけないでください。貴方や貴方の赤ちゃんが、万が一危険な目にあうのは絶対に嫌なので」

 

「あっ……そ、そうね。ごめんなさい、少し熱くなってしまって……」

 

 

 

 

 

抱っこ紐の中で驚いたように目を丸くしている赤ちゃんに「久しぶりだね」と声を掛け、頬を優しく突けば、赤ちゃんは嬉しそうな笑顔を浮かべて私に手を伸ばしてくる。

 

にぎにぎと、その手に応じて手を握ってから女性へと顔を向けた。

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、お元気そうでなによりです。今度は助けられちゃいましたね」

 

「あ、ううん、この前は本当にありがとね……えっと、怪我はない?」

 

「はい、何かされる前に助けてもらえたのでなんともありません」

 

 

 

 

 

集まってきた母親達に囲まれ安否の問いかけに答えながら、去っていく男の後ろ姿を横目で追う。

 

家や身元はしっかりと掴めた、欲しかった情報は全て集まり、この事件は隠蔽工作が入っていることも分かった。

 

情報収集としては充分以上の戦果だ。

 

 

 

感情的になってこの場で処理しようとしてしまったが、冷静になって考えればこれは神楽坂さんに対して私の異能の有能さをアピールするのが目的だ。

 

しっかりと真犯人を突き止めたことを伝え、然るべき方法であの男を追い詰めてこそ、神楽坂さんとの信頼関係を築けるというものだろう。

 

 

 

 

 

「嘉善さんのところの息子さん、あんまり評判良くないから気を付けてね。お父さんは警察の偉い人らしいのに、なんであんなに素行不良になるのか……」

 

「……まあ、肩書で貴賤を測れない、良い見本と言うことですね」

 

 

 

 

 

散らばってしまったビラを拾うのを手伝ってもらった私は、そのまま形だけでももう少しだけビラ配りを続けようとして。

 

その後、急に集まってきたパトカーから出てきた警察官達に補導される形で、警察署まで連行されたという訳だ。

 

 

 

多分と言うか絶対、あの男が警察のお偉いさんであるパパにでも電話して、何とかしてくれるように頼んだのだろう。

 

それが、私の休日を利用したビラ配り作業が終了した経緯である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうして、私の休日は終わりを迎えた訳です、はい」

 

「……なるほどな。悪かったな、大変な時にそばにいてやれなくて」

 

「え、口説き文句ですか? まあ、年若い燐香ちゃんを口説きたくなる気持ちは分かりますが、流石に神楽坂さんはちょっと」

 

「ちげぇ! なんだか最近よく見る態度だな!」

 

 

 

 

 

「そもそも神楽坂さんはちょっとってなんだ……?」と愕然としている神楽坂さんに少しホッとする。

 

あのクソ男を見たせいで心が荒んでいたが、裏表のない神楽坂さんの姿は私を安心させてくれる。

 

 

 

 

 

「……まあ、それは良いとして。本当に見つけたんだな、真犯人を」

 

「もちろんです。そちらは、お願いしていたアレはちゃんと取れましたか?」

 

「ああ……言われた通り取ってきた。警察署の奴らには伝えてない」

 

「流石です。神楽坂さんはやっぱり信頼できます」

 

 

 

 

 

警察署を離れ、また別の場所で落ち合った私と神楽坂さんは情報の共有を図った。

 

もちろん、私自身の手で片付けようとしたことは口にしなかったが、でっち上げられた偽物の犯人とその証拠、私が接触した真犯人と誰がこの事故の隠蔽を測っているのか。

 

そのあたりの内容を話し合い、計画を立てた。

 

 

 

むやみやたらにコイツが真犯人だと騒いだところで、でっち上げられた犯人と偽造された証拠を上回る証拠を提示しなければ誰も私達の話に耳を貸さないだろう。

 

 

 

だから出された偽物の証拠物、今回で言えば、事件で使われた車とそのハンドルや取っ手に付着した指紋や車内に置かれたままになっていた私物など。

 

これらから、本当に事故に使われた車両なのか、破損状況におかしな部分がないかを確認してもらい、整合性の合わない部分を探してもらった。

 

もしも偽装に異能が関わっていれば整合性が完全にあっているような、完璧な証拠物を出せるかも知れないが、今回のこれは違う。

 

 

 

只の人間が起こし、只の人間が隠蔽しようとしている事件に過ぎない。

 

だから、粗があるし、真実を突き付けることが可能となる。

 

 

 

 

 

「じゃあ、行きましょうか神楽坂さん。覚悟は良いですか?」

 

「…………子供が余計な気を回すんじゃない」

 

 

 

 

 

空が赤み掛かり始めた夕刻。

 

私と神楽坂さんは、私が接触した真犯人の家の前で待ち伏せをしていた。

 

真犯人、これは名前が分かればどんな人間か、そしてその親がどんな立場の者かがすぐに判明した。

 

 

 

これだけ大掛かりな隠蔽工作を行える人物は限られている。

 

結果は当初の私の予想を裏切ることなく、警察組織のかなり高い地位を有する存在を親にもつ、責任感も何もないボンクラだったという訳だ。

 

 

 

 

 

そして、そうなってくると神楽坂さんの事情も変わってくる。

 

ここでこの真相を解明すれば、世間的に信頼を失っていっている警察の信頼がさらに地の底まで落ちることは間違いないし、組織の中での立場もさらに悪くなるだろう。

 

いくら正義がこちらにあるとはいっても、社会人としての立場は、きっと私では測り切れない。

 

 

 

 

 

「やめるなら今ですよ、神楽坂さん。何も真実を白日の下に晒すだけが手段ではないです。法を介さず罰を与える手段などいくらでもありますし、実のところ神楽坂さんが直接手を下す必要もありません。今はネットと言う便利なものがあって、そこに証拠をいくつか流してしまえば、そこら辺の正義感を持った人や記者なんかがほじくり返してしまうでしょう」

 

 

 

 

 

そう、そうなのだ。

 

私と神楽坂さんの目的は共通していて、『異能が関わる事件の解決を行うこと』である。

 

この事件はあくまで、私の実力を神楽坂さんに知ってもらうために解決する通過点に過ぎず、絶対に解決しなければならないものでは無い。

 

言ってしまえば、私達が直接手を下すまでもない事件なのだ。

 

 

 

事故被害にあった者も命を落とした訳でも無ければ、犯人に仕立て上げられた奴が全く罪のない者と言うわけでもない。

 

あのボンクラには腹が立っているから、それ相応の罰を受けてもらうつもりではあるが、それを神楽坂さんがやるべきだとは思っていない。

 

 

 

後々に影響が出てしまうのであれば、ここはやり方を変えるのも手段の1つだと私は思う。

 

 

 

 

 

「いいや、これは俺がやる。俺らがやらなくちゃいけないことなんだ……どれだけ支払うものが多かったとしても、不正を見逃す警察官なんて存在する価値もない」

 

 

 

 

 

だが、神楽坂さんは私の杞憂を一蹴する。

 

 

 

 

 

「身内であれば許される。位が高ければ見逃される。そんな法律はどこにもなくて、この国は法を順守せよとする国であるならば、警察官である俺がやることは1つしかない――――あそこに住んでる犯罪者を逮捕する。それだけだ」

 

 

 

 

 

はっきりとそう言い切った神楽坂さんの信念は微塵も揺らいでいない。

 

強い芯を感じさせる彼の目は、真っ直ぐにあの男がいる家へと向いている。

 

 

 

この人は本当に馬鹿みたいに真面目で、1人で苦労をしょい込むタイプだ間違いない。

 

屑な私とは正反対、正直言葉を聞いているだけで日を浴びた吸血鬼のように消滅しそうである。

 

 

 

 

 

「では……サポートはしっかりしますから、真犯人に証拠を突き付けて引っ立ててください」

 

「……君は来るんじゃないぞ。絶対にここで待っているんだ、まったく……」

 

 

 

 

 

ビシッ、と指を指した先にはあの男の家がある。

 

豪邸と言っても良い大きな家に、大きな庭、備え付けられた駐車スペースには黒く光沢を放つ高級そうな車が置いてあった。

 

どこからどう見ても恵まれているであろう家庭、私の父親もそこそこ稼いでくる方だとは思うがここまでではない。

 

それがあのクソみたいな価値観をもった男が住む家だった。

 

いやあ、子供は生まれる家を選べないと言うけれど、この場合この家に生まれたからあのクソ野郎が出来上がった可能性すらあるから何とも言えない。

 

 

 

 

 

「これから少し呼び鈴を鳴らして話をしてくるから、絶対に出てくるんじゃないぞ」

 

「え、それはもしかしてフリだったりします?」

 

「絶対にっ! 来るんじゃないぞ!」

 

「……はーい」

 

 

 

 

 

冗談の分からない人だ。

 

少しでも気がまぎれる様に冗談を言ってみたのだが、失敗だったらしい。

 

 

 

 

 

「まあ、神楽坂さんが警察をクビになったら私が雇ってあげますよ。そしたら、異能が関わっている事件を調べるために色々こき使いますから、覚悟してくださいね」

 

「……はいはい。じゃ、大人しくしてろよ」

 

 

 

 

 

これが冗談と取られてしまった。

 

本当に冗談の分からない人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神楽坂は重い足を動かして、本庁勤務の警視監の家の前までたどり着いた。

 

正直に言えば、ここに住んでいるお偉いさんの名前も顔も性格も知っていた。

 

神楽坂が出世街道から外れる前までは、能力の高さに期待され、公安勤務を行っていたため、その時に少し顔を合わせる機会があったのだ。

 

 

 

性格が良いとはとても言えない。

 

良く言えば策略家で、悪く言えば警察に似つかわしくない狡猾な男。

 

老獪さと執念深さ、そういうものを集めて人型にすればこうなるのではないかと何度も思ったこともあった。

 

あれから数年が経過しているが、少しでも変わっているとは到底思えない。

 

恐らく、いやほぼ確実に、このまま呼び鈴を押し、証拠を突き付ければ自分の身に危険が迫るのは目に見えていた。

 

 

 

牢に入っていた犯罪者とはいえ、1つの事件の犯人に仕立て上げるにはかなりの段階を踏む必要がある。

 

たった1人の高官で為しえられるほど、甘い作業ではないのだ。

 

それを、ほんの短期間で終わらせたとすれば、どれだけの協力者が警察の内部にいるのか予想もつかない。

 

 

 

 

 

(……俺は、異能の関わる事件で死ぬものとばかり思っていたんだがな。まさか、同じ組織の奴に背を刺される危険を考える時が来るとは……)

 

 

 

 

 

辿り着いた玄関口で息を入れる。

 

自分の死を告げるような呼び鈴を鳴らし、中から誰かが出てくる音を聞く。

 

ガチャリと、扉が開いて中から出てきた、昔見たことのある妖怪の様な男に突き付ける様に紙を出し、はっきりとした口調で告げる。

 

 

 

 

 

「警察だ。長男の嘉善義人に轢き逃げ事件の逮捕状が出ている。息子さんを呼んでくれ、署まで同行を願おうか」

 

「な――――なんだと!?」

 

 

 

 

 

妖怪の驚愕した表情など見るのは初めてだったが、存外それだけで少しは不安が晴れるものだ。

 

 

 

 

 

「馬鹿な、その事件は犯人がすでにっ……」

 

「指紋が出ている。偽装された偽物の犯人以外の指紋、あんたの息子の指紋と合致するものが事故車両として出てきた車からな」

 

「指紋っ!? 指紋だと!!??」

 

 

 

 

 

唾を飛ばし、目を見開いた老人に向けて、神楽坂は上司に向けるとは思えないほど冷淡な視線を向けた。

 

 

 

 

 

「そうだ、巧妙に車内や取っ手、ハンドルと言った部分の指紋は拭き取られ、別の男の指紋が付けられていたが……残っていたぜ、ガソリンを給油するための入り口。その蓋に」

 

「ば、ばかな……。き、きさま、神楽坂だなっ!? きさまの評判はよく聞いているぞ! あの同僚の自殺事件を機に狂ったように魔法や呪術の存在を追うようになった狂人だと! きさまのような奴の戯言など誰がっ……」

 

「残念ながら……俺がたとえ狂人だったとしても、この逮捕状は本物だ。しっかりとした証拠をそろえて、アンタの息子を犯人だって言ってんだよ。おら、早く息子を出せ」

 

「が、ぎっ……き、きさまっ、本庁の公安に戻りたいのだなっ!? それなら――――」

 

「あんな所への執着はもうねえよ。俺が執着してるのは、法を犯している野郎を豚箱に叩き込むことだけだ」

 

 

 

 

 

ズカズカと家の中へと乗り込んでいく。

 

何とか押しとめようとする老人の力などでは神楽坂にとっては障害にもならず、そのままいやに広い廊下を通り、リビングまで押し入った。

 

リビングでは悠長にソファに座り、テレビを眺めている若い男がいる。

 

入ってきた神楽坂を見て焦ると言うよりも、ポカンと、まるで何が起きているのか分からないと言った表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「嘉善義人、お前を危険運転傷害罪の疑いで逮捕する。署まで同行を願おうか」

 

「……え?」

 

 

 

 

 

そうはっきりと要件を述べても、真犯人『嘉善義人』はまだ状況を理解していないようで、視線をふらふらと神楽坂から外し、父親へ、その後台所にいた母親へと向けられた。

 

 

 

 

 

「…………え? 俺が、逮捕……?」

 

「そうだ、お前の指紋、お前の車庫証明、購入した支店の書類にはまだはっきりと証拠が残っていた。お前が犯人で間違いない」

 

 

 

 

 

目を白黒とさせ徐々に顔色を青くして、表情を歪ませていく整った顔の男は逆に滑稽で、イケメンは何してもイケメンと言う戯言が嘘なのだと思った。

 

 

 

時間にして数秒、思考停止していた『嘉善義人』がヒステリックに叫びだしたのはすぐだった。

 

 

 

 

 

「な、なんでだよ!! なんでだよ親父!!?? 俺が逮捕される!? そうならないように手を打つって言ってたじゃねえかよ!!?? なあっ、嘘だろ!!? 俺は逮捕されねえよな!? どっかの屑が肩代わりするんだよな!!?? 俺の経歴がこんなくだらないことで傷つく訳がないんだよな!!??」

 

「義人……」

 

「っっ……!」

 

 

 

 

 

掴みかからんばかりに発狂した『嘉善義人』に息子を溺愛している両親は悲痛な表情を浮かべ、唇を噛む。

 

この状況を傍から見れば、不幸を嘆く若者と息子の不幸を嘆く両親と言う構図の、美しいものとして映るだろうか?

 

 

 

内情を知っている神楽坂としては、到底唾棄すべき光景にしか見えはしなかったが。

 

 

 

 

 

「はっ、いい年して自分の罪にも向き合わず、パパに頼って隠蔽工作か? 図体ばかりデカくなった結果、ろくなプライドも、まともな倫理観も育たなかったお前の様な犯罪者は良く見るぞ」

 

「なんでっ……なんでだよっ、あんな、あんな底辺のくそみたいな奴らを轢いただけで、この俺が、キャリアコース間違いなしの俺が、そんなこと……!」

 

「…………底辺のくそはお前だ。お前にお似合いの場所に引き摺ってってやるんだ、感謝しろ」

 

 

 

 

 

吐き捨てるだけ吐き捨てて、抵抗する意思もなくなったのか、呆然とした表情のまま神楽坂に連行される。

 

慌てたのは、警察の高官である父親だ。

 

 

 

 

 

「ま、まて神楽坂っ! 金か!? 金ならいくらでも出す! 1億でも、2億でも、いくらでも出すっ! お前も金が必要なんだろう!? どうせお前の持ってる証拠がなければ義人は逮捕されないのだろう!? だからっ……!」

 

「……アンタにも、証拠隠滅の疑いが掛かっている。今回の件に関わった奴ら全員にもだ。腐った膿は、誰かしらに捨てられるもんだ。大人しく連絡を待ってろ」

 

「かっ……! く、な、ぐぎ、ぎぎっ……!」

 

 

 

 

 

泡を吹き、歯ぎしりをする妖怪の様な奴も、こうなってしまえばなんてことはないただの年寄りだ。

 

栄華を誇っていたこの家も、息子による事故で喪失することになるのかと、鼻で笑う。

 

きちんと罪に向き合っていればこんなことにはならなかったのに、隠蔽に隠蔽を重ねた結果がこれだ。

 

馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

 

 

 

神楽坂はそんな風に彼らを嘲り、そのまま『嘉善義人』を警察署へ連行しようとしたところで、地獄の底から響くような、悪意に満ちた怨嗟の声が向けられた。

 

 

 

 

 

「……貴様、確か植物状態の婚約者がいたな」

 

「…………だったらなんだ」

 

 

 

 

 

聞き捨てならない、妖怪の呪いの言葉に神楽坂は視線を鋭くして振り返る。

 

 

 

 

 

「……いいや? ただの老人の独り言だよ。不幸な事故だったな、あれは。同僚の自殺と時期がかぶって。余計君には堪えただろう? それからずっと目も覚まさず、病院で入院しているんだったな――――そう確か、区をまたいだ先にある、東京総合病院の503号室に今も入院中だった……そうだろう?」

 

「て――――テメェっ……!」

 

 

 

 

 

悪魔の様な、そこらの犯罪者程度では出せない様な、醜悪な悪意に満ちた老人の笑みに、神楽坂は顔が引きつると同時に、背筋に冷たさを覚えた。

 

事情を知られている、内情を知られている、場所を知られている、状態を知られている。

 

もしもこの妖怪が害を与えようと思えば、神楽坂程度の力では何もできないまま、神楽坂が守らなければならないものを全て、根こそぎ、壊してしまうだろう。

 

 

 

そんな確信を神楽坂に抱かせるには十分だった。

 

 

 

 

 

「神楽坂君――――仲良くしようじゃないか、なあ? 君も、婚約者を、もっといい病院の医者に診てもらいたいと思っているのだろう?」

 

「――――」

 

 

 

 

 

混乱と、恐れと、絶望と、焦り。

 

いろんな感情が1度に神楽坂を襲い、言葉にもならない、ただ引き攣ったような潰れた声しか出なかった。

 

こうなることを想像していなかった訳ではない。

 

けれど、曲がりなりにも警察官をやっている男が容易く一般人を害する選択をできるとは思っていなかった。

 

神楽坂の、想定の甘さが自分の大切なものを危機に追い込んでいる。

 

 

 

目の前の悪魔は、醜悪な悪意と欲望で神楽坂を包み込むように冷たい甘言を吐き出した。

 

 

 

 

 

「――――さあ、どうしようか神楽坂君。私は別にどちらでも良いんだがね?」

 

「――――では私は、貴方が冷たい牢屋に閉じ込められる未来を選びましょうか」

 

 

 

 

 

パチンッ、と指が鳴らされる。

 

その瞬間、笑みを浮かべていた妖怪以外の、母親と『嘉善義人』が膝から崩れ落ちた。

 

 

 

何が起きたのか。

 

誰の声が響いたのか。

 

何1つ理解できなかった老人が目を見開き、冷たい甘言に包み込まれかけていた神楽坂が冷や汗を掻きながら老人の背後に、いつの間にかこの場に存在する少女へと視線を向ける。

 

 

 

 

 

「な、誰だっ! 一体何をっ――――」

 

「悪いですけど、私、貴方に興じるほど暇ではないんです。貴方には何の価値もなさそうですし、やりたいことだけやらせてもらいますね」

 

 

 

 

 

老人の後頭部を少女が掴む。

 

ぞっとするほど感情の動きが読み取れない、真っ黒な瞳が凍り付くしわがれた老人の後ろ姿を映す。

 

そこに投げかけられる言葉は、あまりに軽く、まるで今日の天気の話でもするように適当だった。

 

 

 

 

 

「知ってますか? 人の悪意って、とっても折れやすくて、潰しやすいんです――――特に、他人によく悪意を向ける人の悪意ほど脆いものはありません」

 

「――――あ……ああっ…………あああああああ…………」

 

 

 

 

 

人の思考など目に見えるものでは無い。

 

だから、きっと錯覚の筈だ。

 

老人を掴む少女の手から、剥がれる様に黒いカビの様なものが零れ出しているなど、あり得るような光景ではない。

 

 

 

 

 

「正直に言って、私、必要悪を謳う人間よりも偽善を為そうとする人間の方が好きなんです。だから、切り捨てるならどちらかなんて考えるまでもないんです。貴方がこういう人間で、神楽坂さんへ悪意を向けていただけて本当に助かりました、無駄な思考に時間を割かなくて済みますから」

 

 

 

 

 

顔色は変わらない。

 

死相が浮かぶこともなければ、外傷が加えられているわけでもない。

 

それでも、つい先ほどまで神楽坂へ醜悪な悪意を向けていた妖怪の様な人物は、少女に掴まれ、浮かべていた悪意を1つ1つ丁寧に手折られ、根本から作り替えられて、ただの老人へと変貌していく。

 

 

 

それを止める者はいない。

 

救われた形の神楽坂にはその権利はなく、老人の身を想う家族は意識を失っている。

 

 

 

そして、人の意思を捩じ折るなんて言うことをしている少女は、ただ笑っているから。

 

 

 

こうして1つの、闇に葬られようとしていた事件の真相は、明るみに出ることとなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 





ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
皆様の応援のおかげでランキングにも乗ることができています、本当に嬉しいです。
どうかこれからもお付き合い頂ければ幸いです。

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