非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか? 作:色付きカルテ
国会議事堂は本来、年末は閉会されており議員が集まり審議を交わすことは無い。
一月の開会から行われる百五十日の通常国会に、必要に応じて行われる臨時国会と特別国会というのが日本における国会の種類だが、例年であれば少なくとも年末までには終わる日程だ。
だが今年は、世界情勢の悪化や世間を騒がせた非科学的な才能による重大犯罪の発生などから度重なる臨時国会が開かれた結果、国会議事堂は少しも落ち着きを見せることが無かったのである。
だからこそ、これは不運だった。
普段は開会中以外、委員会に出席し審議する他、議員は海外視察や地元での国政報告などに向かうなどして国会議事堂に集まることは無い。
普段とは違う警備体制を敷くことになった国会周辺の防衛に、ごく一部の特殊な才能を持った者の特権を許さないとデモを行う者達。
水面下で荒れる審議。強行される法案。巧みな根回しにより迅速に成立した国家の方針による混乱。常態化していた外国人宗教集団による国会議事堂前の集まり。そして彼らが全く異能を所持していない集団であった事。
それら全てが悪い方向へ噛み合ってしまったのだ。
国会議事堂に入ろうとする議員を乗せた車両を囲み、議員を引き摺り出し人質とした。
そのまま雪崩のように国会議事堂へと乗り込んだ“Faceless god”の集団は制止しようとした警備員を人数で押し潰し、審議を続けていた議場へと踏み込んだ。
未曽有の事態に状況を理解できないでいた議員達を捕まえ、拘束しながら、国会議事堂を占拠した彼らは声高々に宣言したのだ。
『どうか我らに天罰を』、と。
「……こんな大掛かりな事をしても彼らには何も得るものなんてないと思いますがね。いったい彼らは何を勘違いしているんだか」
眼前に広がる異様な集団が議場を取り囲む光景。
百以上の外国人集団が議員達を逃がさまいと目を光らせ、同時に威圧するように議員達に向けて何かを叫んでいる状況で、血相を失っている大多数の議員達とは違い彼は呆れたようにそう呟いていた。
「な、なぜ阿井田議員はそんなに落ち着いているのですか? あれだけの人数が国会に押し寄せるなんて前代未聞でっ……彼らが何を目的としているかも分からないのに……!」
「目的が分からない? はっはっはっ、多少訛りがあろうとあれくらいの英語なら聞き取れないと、まあ、知れても特に意味も無い目的ではありますよ。“Faceless god”の居場所を教えろ、解放しろという事を延々と言っているだけですからね」
「は? “Faceless god”? な、なんですそれ?」
「……さあ、彼らにとっての“Faceless god”がいったい何を指すのか分かりませんから何とも。ただ言えるのは、彼らの行動は筋違いであるという事だけですねぇ」
開いているのか閉じているのかも分からない細い目で、じっと今なお叫び続けている暴徒集団を眺めた阿井田議員は小さく溜息を吐く。
ただでさえ臨時国会で忙しいというのに変な問題を持ち込まないで欲しいと思いながら、昔出会った“顔の無い巨人”と呼ばれるようになる前のあの存在を思い出す。
昔、自分自身でも制御できなくなった肥大化した疑心を簡単に見抜き治療して、良かったと微笑んでくれたあの存在を思い出す。
「……人に飽きたか、愛想を尽かしたか。どちらにしてももう関わりたくないと言って眠る龍を叩き起こそうとする行為はあまりに稚拙な考えだと私は思いますけれどね」
「“Faceless god”が何かは知りませんが、実在するならさっさと来いって話ですよっ……! この国の国政を担う国会議事堂が占拠なんて本来あってはいけない事なんですからっ……! 異能なんていう妙な力を持ってる奴らもそうですっ、とっとと私達を助けに来るべきなんですよ! それが出来る才能を持っているんだから!」
「……」
怒りの矛先をこの場にいない者に向け始めた議員を横目で見て無言を貫いた阿井田議員は、再び何処か呆れたように溜息を吐く。
「その才能を悪用する者達がいるから、彼らは世界に秩序を与えて欲しいと言っているのだろうと思いますよ。まあ、君は大人しくしていれば彼らの標的になることは無いでしょうから静かにしておいたらどうですかね?」
「そ、そうでしょうか? 私は標的になりませんか?」
「ええ。彼らは日本の政治に興味があってこんな行動を起こしている訳ではないですからねぇ、全ての議員を調べ尽くしているなんてことはありませんよ。議員数を考えると全員を管理するというのも考え辛い、恐らくは海外でも取り上げられるような知名度の高い議員を標的として……」
「あ、阿井田議員……!」
自分目掛けて大股で歩みを進めて来る暴徒達の姿を視界に捉え、言葉を切る。
予想していた通り、国会議事堂を占拠した彼らが主要の標的として狙うのは阿井田議員を含めた内閣総理大臣と外務大臣の三名だった。
彼らの元まで歩みを進めた暴徒達は恫喝するように怒声を飛ばし、三人を乱暴に議場の中央まで連れ出していく。
『お前らがこの国の首脳だな!? “Faceless god”はどこだ!? 彼を解放しろ!』
『彼の存在の恩恵をお前らだけが預かりやがってっ……! ふざけるなよっ!』
『今も世界中ではどれだけの異能犯罪が起きていると思ってるのっ!? 彼について知っている事を全部話しなさい!』
「お、落ち着きなさい! 君達が言う“Faceless god”なんていうものは都市伝説で、存在しないものなんだ! 我が国の異能犯罪が少ないのは、規律を重んじる国民性と優秀な警察組織による賜物で……! 君達の行動は見当違いにもほどがあるっ!」
「そそそ、総理っ! 彼らの神経を逆なでするようなことはっ……! 阿井田さんっ、貴方から何か彼らを落ち着かせるようなことをお願いします!」
「そうだねぇ、どうしようか……」
阿井田議員は同僚から向けられた懇願に少しだけ逡巡する。
そして、自分が行動しなければ何も変わらないかと判断した彼は言葉を選びながらゆっくりと口を開く事にした。
『……あー、そうだね。君達は総理や大臣でもない私の話なんか聞きたくないかもしれないが、ちょっと良いかな?』
自身を囲む体格の良い暴徒達に対して、少しも臆せず言葉を切り出す。
突然繰り出された淀みない流暢な発音の英語に、怒声を飛ばしていた暴徒達が驚きに一瞬静まった。
『実のところ君達が思っているほど、この国の国政に携わる私達は異能と呼ばれる才能についての知識は持っていないんだ。それどころか、この国の異常なまでの異能犯罪件数の低さを幸運によるものだと考えている者が大半を占める。君達が言っている“faceless god”というのはいわゆる“顔の無い巨人”のことだろう? 数年前の一件を再び引き起こしてもらうために行動する事、私は理解できるよ。今の世界情勢の被害を思えば、数年前の出来事が継続してくれればなんてことは誰だって思ってしまう筈だ』
その一瞬の静けさを逃さず、持ち前ののんびりとした口調で切り出された話は、暴徒である彼らの頭にするりと入り込んでくる。
自分達の目的を把握し、一定の理解を示し、広い視野を持った意見をその場で英語に変換して口にできるだけの能力を持つ相手。
怒声の中に晒され、暴徒と化した者達に囲まれ、命の危機を感じている筈なのに、淡々と意見を口にする胆力を持った相手。
正しい意味で話が通じる相手がいる。
それを理解した暴徒達は少しだけ荒んでいた気分を落ち着かせ、阿井田議員の話に耳を傾け始める。
人に聞かせる話術を持つと言われる阿井田議員の面目躍如とも言える口火の切り方だが、あくまで耳を傾かせることに成功しただけの現状は、まだ何一つとして安心できるものでは無い。
それでも阿井田議員は少しも気負った様子も無いまま、暴徒達全員の耳に届くよう大きな声で語り掛け続ける。
『だが考えてみて欲しいんだ。あれだけの事を為せる、君達が神と呼ぶ相手をたかが私達程度が御せると思うのかい? あれは人の才能と呼ぶよりも、自然災害の一種だと考えるほうが妥当だとは思わないかな? 君達もそう思うからこそ、彼を神のようだと崇めているんだろう?』
『む……』
『残念ながら、私達は彼の存在についての居場所は知らないし、身柄の拘束どころか正体すら分かっていない。私以外の様子を見て何となく想像できているだろうが、存在すら信じていない者が大多数なんだ。君達は見当違いの場所を襲ってしまったという訳なんだよ』
出来るだけ刺激しないよう、穏やかに語り聞かせようと努めていた阿井田議員だったが、暴徒達がお互いに視線を交わして何かをコンタクトを取っている事に違和感を覚える。
いかにこの場を襲う無意味さを説いて、自分達がいかに異能や“Faceless god”について無知なのかを伝え、彼らの行動の意味を無くそうという自分のこの腹積もりが、何か致命的な間違いを犯しているように思えてしまった。
だがその違和感を今更解消する事も出来ない事を悟った阿井田議員がこのまま押し進めようと口を動かそうとしたのを、暴徒の一人が手で制した。
『話が通じる人がいて嬉しい。だが、貴方は一つ勘違いしている、阿井田博文さん』
政治を行う場を占拠するという暴挙を行っている人物とは思えないほど理性的な返答。
しっかりと自分の目を見て丁寧に返答をしてくる暴徒の姿に、阿井田議員の抱えていた違和感はさらに大きくなっていく。
向う見ずでないなら、見当違いでないなら、彼らの目的は……と考えた阿井田議員は自身の失敗を悟る。
『貴方達が彼の存在について何も知らず、何も関係が無かったとしても、貴方達には意味がある。この国の運営を任された者達という立場には価値がある。私達が引き起こす動乱で、彼の存在が表に出て来てくれるなら、もはや私達はどうなってもいいんだ』
『……なるほど』
理解する。
国会議事堂を占拠したのは“顔の無い巨人”に関する事情を知っていると確信していたからではなく、日本という国を混乱させる為というなら確かにこれ以上ない場所だ。
大きな話題性があることや政治の麻痺が引き起こされることを考えれば、彼らが求める存在がこの国に在住しているのなら何かしら動かざるを得なくなることは十分考えられる。
『……なるほど、つまり君達はこれから出来る限りこの占拠した国会で被害を出す事で、“顔の無い巨人”を引き摺り出す状況にしようと、そういう訳なんだね?』
『その通り。話が早い』
『信者という割にはいささか不敬が過ぎるのではないかな? 畏れ敬うというのなら、そのような暴挙は取るべきじゃないと思わないかい?』
『確かにそうかもしれない。けれど私達は、世界に平和をもたらす彼の存在を主と仰いでいる。私達が間違いを犯そうとも、再び世界に平和をもたらしてくれるなら、それでいい』
『意見交換はもう良いだろう』、そういった暴徒の手が阿井田議員の後ろにいた総理の襟首を掴み床に引き倒す。
為す術無く悲鳴を上げる総理に、間近にいた外務大臣が慌てて距離を取る。
再び始まってしまった議員に対する暴行に悲鳴のような声が議場の至る所から上がり、総理にこれから訪れるだろう悲惨な事態を想像した議員達が目を伏せていく。
それはそうだろう。
総理大臣という日本の政治のトップを攻撃するのが暴徒である彼らにとっては一番理に適っているし、それがより悲惨であれば政治運営の麻痺に繋がることを彼らは知っていた。
だから少なくとも、総理大臣に対して行われるのは見せしめに近いものの筈だ。
それが分かっているからこそ、床に引き倒された総理も必死になる。
自分を抑えつける暴徒に必死に訴えかける。
「ま、待てっ、私は確かに総理だが実質的に国会で実権を握っているのは私ではないっ……! あ、阿井田議員っ! そうだろう!? 私をここで痛めつけても、私よりも優秀な、本当の意味で国会で実権を握る人が政治を麻痺させる事無く運営する筈だ!」
『……総理は何を言っているんだ?』
『あー……自分は総理大臣の席に座っていても実権を握っている訳ではない。自分を痛めつけても無駄だと言っているね』
『確かに彼の様子を見ているとその話は納得できるが、私達にとっては総理大臣という立場が重要なんだ』
『ああ、うん。そうだろうね』
ここで下手に総理への暴行を庇っても、被害を受ける人がさらに増えるだけ。
であるなら被害を最小限に留め、国会という組織に支障が無いよう立ち回る事が最も国益に繋がると阿井田議員は判断した。
だから次善の策である時間を稼ぎ、警察や特殊部隊の到着を待つ方針へと切り替える。
その為にお飾りの総理大臣など切り捨てることに微塵も躊躇を感じることは無い。
替えの利く頭がどうなったとしても、立ち回りによっては利益すら産むことを、阿井田議員は良く知っている。
(さて、暴徒となった彼らの国籍は把握済み。国家の首脳が手に掛けられるんだ、外交カードとしては申し分ないだろう。この事件が解決した後にでも正式に申し立てを行い、譲歩を引き出すとしようかな。この後の総理の末路によってはかなり強く出られるだろうし、何も悪い事ばかりじゃないね)
そうやっていつものように、国会の実権を握るとされる政界の怪物、阿井田博文は外面からは想像できない程冷徹な思考を巡らせ、多くの暴徒に組み伏せられている総理を眺める。
議場が雑音に満ちていく。
「警備員はまだか」、「警察は」、「自衛隊は」などの言葉が次々叫ばれ、今にも命を落としそうな総理の姿に悲鳴が響き渡る。
だが、そうやって制止を叫ぶ声や怒号こそ議場を飛び交うものの、誰も実力で暴徒を止めようと飛び出す者はいない。
心にも無い悲鳴に煩わしさを感じながらもそれを一切表情に出す事無く、阿井田博文は事態の終わりを見届けようと総理の姿を眺め続けようとした。
だがそんな時、ドンッと何かが窓を突き破って議場に現れた。
飛び散るガラス片が何かに操られた様に空中で停止し、窓を突き破った何かが銃弾のような速度で、組み伏せられている総理に向かって飛翔する。
「っ……!? 飛禅飛鳥っ……!?」
飛翔する何かを見た議員の驚愕の声。
だが、そんな驚きの声に視線もやらず、総理を抑え込む暴徒達に向けて、彼女は空からの襲撃を行った。
ズドンッと、異能により加速し切った飛び蹴りが総理を抑え込んでいた暴徒の一人に突き刺さり、隣にいたもう一人を片手で掴み異能による浮遊と併せることで、自身よりもずっと大きな暴徒の体をぐるりと一周振り回す。
巨大な箒に払われた埃のように、散り散りに弾き飛ばされた暴徒達が悲鳴を上げる中、手に持った箒代わりの暴徒を放り捨てた彼女は呆れたように周囲を見渡した。
「他人の国の施設をこんな風に占拠するなんて……行儀がなっていない人達ですね」
緊迫感などない、気負うものなど何も無いような、そんな気楽な微笑みを浮かべた彼女が軽く腕を一振りするだけで、暴徒として周囲を囲っていた者の大半が成す術も無く空中に囚われた。
自分達の望みを阻んだのが、自分達を不幸に押しやったものと同じ異能だと理解した暴徒達が怒りの咆哮を上げるが、不可視のこの力はそんな激情程度では揺るぎもしない。
ものの一瞬のうちに暴徒の大半を無力化して見せた彼女は、体を硬直させてただ事の成り行きを見守る議員達を一通り見遣って、出入り口を手で指し示す。
「ほら、助けに来ましたよ。とっとと避難してください☆」
「飛禅飛鳥……? いや……」
「た、助かった! 早く行け! ほら! 早く外に出るんだ!!」
「遅いんだよ……くそっ、早く逃げるぞっ……! 暴徒連中よりもあの異能とかいうのを持った奴らがどんな暴れ方するか分かったもんじゃないからな……!」
「そ、総理っ! 御無事ですか!? 早くこの場から避難を!」
慌てふためきつつ議場から飛び出していく議員達の背中を見送りひらひらと手を振っていた彼女だったが、その場から少しも動こうとしない阿井田議員の姿に気が付き小首を傾げた。
何かを考え、ある考えを否定し、そして辿り着いた答えに驚いたように顔を歪ませた阿井田議員は、彼女を見詰めて首を横に振る。
「あれ? どうしたんですか? ほら、阿井田議員も早く避難しないと」
「……どうしてここに来た? まさか私の身が心配だったとでも言うんじゃないだろうね?」
「……んん、事情を知っているとはいえ、少し察しが良すぎないですかね☆」
警戒するように自分を見る暴徒集団を放置し、表情を歪ませる阿井田議員を少し眺めた彼女は周囲にいた議員のほとんどが議場から逃げだした事を確認して、溜息を吐いた。
今なお笑みも無い真剣な顔で自身を見詰める阿井田議員に、仕方なしに理由を呟く。
「別に、遅かれ早かれだったからですよ。私の計画のほとんどは、ついさっき準備を完了しました。いつ引き金を引こうかと考えていた時にこんなことがあったから、ついつい来ちゃっただけです。良いじゃないですか。貴方にとって私の計画は失敗した方が都合良いって言っていたじゃないですか」
「……」
彼女の言葉に口をへの字に曲げた阿井田議員は、自分の脳内で思い描いていた今後の流れが音を立てて崩れていくのを感じてがっくりと肩を落とした。
『異能っ……! クソクソッ……! どうしてだ、どうして! あの方が支配した方がずっと世界は幸せなんだ! 今のっ、不幸が生まれるのを防げない体制は存在するに値しないっ……! お前らのようなっ、世界全てを救えない程度の力で、さも自分達が救世主であるかのように振舞う姿には怒りがこみ上げてくるっ……!』
「あはっ、怒ってる怒ってる☆ 下らない自分の願いを正当化して他人に押し付けてる癖に、自分勝手な主張が通るとでも? まずは他人に迷惑を掛けないよう心掛けたらどうですかぁ?」
「お互い言語が違うから通じてないよ。不毛だから本当にやめてくれ……」
暴徒と彼女が醜く言い争う姿に心底疲れてしまった阿井田議員は、もう自分もこの場から避難しようかと思い直し、立ち上がって出口へと進んでいく。
あとは彼女がこの場にいる暴徒達の意識を奪い、警察がなだれ込んでこの件は片付くだろうと思ったからこそ阿井田議員はこれ以上この場に留まるのを止めたのだが、議場から出た議員達の騒ぎ声が聞こえて来たことで足を止めた。
聞こえてくるのは困惑するような声。
暴徒に国会議事堂を占拠されたことによるものではない。
動揺するような声色のざわつきが廊下から響き、それがだんだんと議場に近付いてきている事に気が付いた阿井田議員は何が起きているのか察して、慌てて彼女に身を隠すように言おうとする。
だが、間に合わなかった。
「————これは、どういうこと?」
「おっと☆」
扉から避難した議員達を押し退けて議場に入って来たのは、飛禅飛鳥その人。
背後に制服姿の警察官を数人引き連れて現れた彼女は、議場の最前に立ち暴徒を浮かせ無力化している自分自身の姿に動揺する。
身に纏う服装こそ違うものの、まるで鏡写しの自分自身のようにそっくりな人物が、自分の持つ異能と全く同じような力を行使している現状。
身に纏う空気や雰囲気も、まるで本物の飛禅飛鳥のような相手に警察官の制服を着た者達に衝撃が走る。
だが一方で、飛禅飛鳥の姿をした誰かは悪戯がバレた子供のようにクスクスと笑いを溢すだけで微塵も焦りの色を浮かべない。
本心を見せない猫被りの、ニコニコとした笑顔を浮かべるもう一人の自分の姿に、警察官を引き連れてやってきた飛鳥は顔を引き攣らせた。
自分の顔をした誰かが目の前にいるなど、不気味でしかない。
「あらら、間に合わなかったとはいえ到着がお早いですね☆ ちょっとだけ予想外でしたぁ」
「アンタ……誰? いや、まさか……“百貌”なの?」
「えぇ? 私が“百貌”? 違いますよぅ、私が本物の飛禅飛鳥ですよぉ☆」
「ふざけた事をっ……趣味の悪い模倣は止めて正体を現しなさいっ!」
「あはっ、模倣! 模倣ねぇ……?」
スッ、と直前までの笑顔を消して無表情になった彼女は苛立つ飛鳥を冷めた表情で眺めた。
どこか侮蔑するような自分自身の表情に一瞬困惑した飛鳥だったが、臨戦態勢となり直ぐにでも攻撃できる構えを取る。
“人の異能を模倣する異能”。
佐取燐香に匹敵するほどの異能と、和泉雅の液状変化の異能。
その二つを目の当たりにし、それぞれ二人に話を聞いたことで飛鳥が予想した“百貌”が持つ異能の詳細がそれだった。
だが、自身が持つ異能の情報を突き付けられた筈の彼女は嘲りを含んだ笑みを溢している。
その事が、何かが後ろ髪を引くような違和感を飛鳥に残す。
「お、おいおい、飛禅さんとおんなじ顔をしてどんな変態野郎かと思ったら、異能の出力まで同じじゃねぇか……ど、どうなってやがるんだ……? 双子……?」
「灰涅、直ぐに異能を使えるようにしとけよ。いつ異能で戦闘が起きるか分かったもんじゃねェ」
「いやいやっ、柿崎部長! あれが本当に飛禅さんと同じ異能を持ってるなら俺とんでもなく相性が悪いんだけど!? 無理無理! 撤退しようぜ撤退!」
「馬鹿が、何もテメェに期待するのは戦闘面だけじゃねェ。宙でぶら下がってる暴徒連中を回収できるように用意しておけってことだよ」
「あ、なるほど」
背後で困惑し騒ぎ立てる対異能部署の面々。
“百貌”と思われる者の態度に違和感を覚えつつ、飛鳥は後ろで自身と同じように困惑してする部下達に向けて前に出てこないようにと手で制した。
国会議事堂を占拠したと言われていたただの暴徒集団ならともかく、この正体不明の異能持ちに対して“紫龍”以外の異能を持たない他の者達では太刀打ちすら難しい。
「……アンタ、逃げられるとでも思ってるの?」
「あははっ! まさか逃げるとでも思っているんですかぁ? 貴女の後ろには足手纏いがそんなにいるのに、有利な立場の私が尻尾を撒いて逃げるとでも?」
「ここでやり合うつもり?」
「まあ、それもありだけどね……」
何か言いたげに冷笑を浮かべた彼女に、飛鳥は眉を顰める。
サラリと周囲を流し見て、警察の服装をしている飛鳥の姿を眺め、少し悲しそうに彼女は首を振った。
「色んなものに縛られてる“私”。私がこうしてこの場所に来なければ、何人かは間に合わなかった“私”。大分急いで許可を取ってきたんだろうけど、それでも周りの雑音が多くて、無駄にやらなければいけない事が多くて本当に大変よね。組織に縛られると自由に飛び回れやしない事なんてとうの昔に気が付いているのに、背負ったものが重くてそこから出られないのよね。分かるわ、私は誰よりも貴女の苦悩が分かる。でもね“私”、私の今の立場だから言えるけど、それってあの村の、あの冷たい檻の中に閉じ込められているのと何が違うの? あの人がもっと高く飛んで行って欲しいと言っていたのに、本当にそんなところにいて良いの? “私”の居場所は本当にそんなところなの?」
「……何で……?」
おかしな話だ。
まるで本当に心底飛鳥を思いやるような、飛禅飛鳥という形を作り上げているものの根本を本当に理解しているような、自分と同じ姿をした誰かからのそんな言葉。
もしも立場の違う自分自身がこの世にいたとしたらそんな風に言ってくるのだろうかと思う程に、飛禅飛鳥を理解した発言。
だから目の前の存在というものが分からなくなって、険しい顔をした飛鳥はじっと自分の姿をした誰かを睨んだ。
お互いの距離を測るかのような数秒の膠着状態。
同じ姿をした二人の間には不穏な空気が漂っていたが、そんな空気を引き裂くように、薄く引き伸ばされた異能の出力が遠くから放射されたのを感知した。
攻撃用のものではない。
数百メートルの距離などでもない。
遠くからの何かを探るような異能の出力に、この場にいる異能持ち達は少し顔色を変える。
「これは!?」
「……ICPOの探知ね。異能が関わるとなれば流石に彼らも介入してくるでしょうからあんまりダラダラする事はできないわね」
「っ……待ちなさい! アンタのその異能は一体……!?」
「悪いけど、私から言いたかったことは全部言ったわ。後はしっかり、“私”が悩むべきよ」
そう言った彼女は、周囲に浮かせていた暴徒達の身体を床に下して解放し、議場の最前に飾られている幕を浮遊の異能で引き千切って自分の下へと引き寄せた。
高級そうな深紅の幕。
そして、その幕を自分の体を周囲から見えない仕切りカーテンのように大きく振るい始めた彼女は布の隙間から自分とそっくりの飛鳥の姿へと視線を送った。
ともすれば挑発のようにも思える視線に、飛鳥が弾かれた様に動く。
「このっ……! 全部やりたいようにやれるなんて思うんじゃないわ!」
何かをしようとする自分の姿をした誰かに対して、飛鳥が議場に設置されている椅子を砲弾のように飛ばすが、当然のように同種の異能により止められてしまう。
同じ異能、同じ出力、同じ攻撃で同じ防ぎ方。
鏡写しの自分自身を相手にするような異常な攻防に、飛鳥は大きく表情を歪めるが、対する彼女は隠れつつある表情を軽く緩めた。
「……ま、せいぜい頑張りなさい」
周囲を取り巻いていた幕が彼女の身体を完全に隠し尽くす。
時間にすれば瞬き程度のほんの一瞬だ。
だがその一瞬で、彼女が発していた異能出力が全くの別物へと変質した。
それを感じ取った飛鳥と“紫龍”が驚愕に目を見開き、それを感じ取れない他の者達は取り巻いていた幕が床に落ちる事で露わになった彼女の姿に驚愕する。
ほんの一瞬隠れただけであるのに、そこにいたのは飛禅飛鳥をした人物では無かった。
「…………こんな衆目のある場所で私に切り替わるなんて。もう少し情報を秘匿する大切さをよくよく考えて欲しいものだわ。どれだけ準備が出来ていても、どれだけ最後の最後になっていても、自ら隙なんてものは晒すべきじゃないんだから」
現れたのは幼い少女だ。
物凄く不満そうな顔をした少女が周囲をキョロキョロと見渡しながら、ぶつぶつと何か不満の独り言を呟いている。
見た目だけで言うなら小学生程度にしか見えない少女の登場に、大半の者が拍子抜けしたような気分になったが、一部の者達は険しい顔で姿を現した少女を警戒する。
「……馬鹿な。別人になっただと?」
「か、か、柿崎部長っ! それだけじゃねぇ! こいつ、異能の出力まで完全に別物に変わりやがった! それも出力が生半可なもんじゃねえ! グウェンとかいう奴なんかよりももっとヤバい! 無理だ、無理無理無理っ! 完全に俺らの対処できる範疇を超えてる!」
「“百貌”……!!」
「騒がしいわね。人をそんな危険人物みたいな扱いしないで欲しいのだけど? 別にそこら辺の犯罪者と違って異能を使って無差別に暴れている訳じゃ無いんだから」
警戒を示す飛鳥達の反応がよほど気に入らなかったのか、むすっと口を少し尖らせた少女、“百貌”が不機嫌そうに不満を口にする。
それから、指で自分の頭を軽く叩き少しだけ状況を整理した“百貌”は「なるほど」と頷きを見せた。
「あまり時間を掛けてられないのね。なら直ぐにでも始めるしかないのね……はぁ」
止める暇なんて無い。
自分達のいる場所へ向かってくる複数の異能を感じ取った“百貌”は渋々といった感じで、自身の異能を起動させ始めた。
耳に雑音、目に砂嵐、他の感覚には深海の底のような重圧感を。
あらゆるノイズのような何かが、近くにいる者達の認識全てを強制的にずらし始める。
感覚がブレてまともに立つことすら出来なくなった者達が次第に尻もちを突いて、危険性をまるで感じさせない筈の幼い少女に対して頭を垂れる姿になっていく。
異様な光景。
明確な物理現象として何かが起きている訳では無いのに、たった一人の少女に対して頭を下げる国籍や立場すら違う大人達の光景はあまりに異様だ。
「さて……」
周囲に及ぼした自身の異能の効果を確認して、“百貌”は満足げに頷いた。
そのままぐちゃぐちゃになった感覚に尻もちを突き呻く者達の隙間を縫うように歩き出し、彼女は暴徒としてこの場を占拠していた者の一人へと近付いた。
本当に興味本位といった様子で、他の者達と同様に尻もちを突き頭を下げた状態でいるその人物に“百貌”は問い掛ける。
「ねえ、貴方。“Faceless god”とやらに貴方達はどんな人間性を求めているの?」
『っ……!?』
日本語で、普通ならば通じる筈もない相手に対して“百貌”は無理やり意味を理解させて、さらに問い掛けを続ける。
「誰をも平等に愛する聖人君子? 自己犠牲の精神を掲げる聖女? そんな存在がこの世の人間の中にいると思う? 世界中の人を管理する資格を持った存在なんてものが、本当にこの世界にいると思う?」
『た、たとえ、彼の存在が邪神に近いものだとしても、か、彼の存在は事実、私達の世界に平和を齎した……! だ、だから、もう一度っ……! 今度は平和を永劫のものとして下されば、それは、今の世界でいるよりもずっと良い、と……!』
「今の世界よりマシ————あはっ、そこは私と同じ考えね」
息も絶え絶えな暴徒の言葉を嬉しそうに笑った“百貌”が、議場に飛び込んで来たICPOの異能持ち達に視線をやりながら右手を空へと向けた。
巨大な異能の出力が広がりを見せ、彼女が宙に用意した数多の出力機に対して起動の指示を飛ばしていく。
あまりに膨大な異能の出力に“百貌”の周囲が歪み始め、その歪みが全方位へと一気に広がっていく光景は、まるで彼女を中心として世界の全てが塗り潰されるかのようで。
「なら安心しなさい。他人に責任を押し付けるだけの下らない貴方達の望んだ世界————見せてあげる」
三年前は誰も見ることすら敵わなかったその光景。
だが、間違いなく三年前のあの時と同種のその力は、確実に世界を覆い尽くしていく。
「私の【人神計画】の始まりを」
宙に点在する一万以上の出力機が一斉に起動する。
————異能の雨が降る。
いつもお付き合いありがとうございます!
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