非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?   作:色付きカルテ

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それは誰かの夢の終わりの話

 

 

 

 

 一斉に、人々はぽっかりと空いていた少し前の記憶を思い出す。

 何か巨大で暖かいものが自分達を呑み込み、正しい生き方を指し示したという記憶。

 とても現実的ではない白昼夢のような記憶が蘇り、自身の不思議な体験を理解できなかった者達のほとんどは少しだけ軽く首を傾げて、それぞれの日常に戻っていった。

 

 そして同様に、公園のベンチに座って、飲み物を片手に談笑していた四十代くらいの白銀の髪をした女性は少し前に戦っていた幼い少女の姿を思い出していた。

 

 

『これは……?』

 

 

 ピタリと飲み物を持った手が止まる。

 ほんの数時間前、その少女が起動した黒き太陽を目の当たりにした瞬間から、自分が正常な判断が出来なくなった事実を続けて思い出し、絶句する。

 女性、ヘレナ・グリーングラスは黒き太陽が動き出したあの一瞬で自分達が敗北し、これまであの巨大な球体の支配下にあったのだということを理解せざるを得なくなった。

 

 

『…………これは、どういう事だい? 私が最後に見たアレが“三半期の夢幻世界”と呼ばれたものの正体なら、今私が正気に戻っている理由は……いや、“顔の無い巨人”が“百貌”に勝ったとしか考えられないかね……』

 

 

 ヘレナはそれまで、何の疑問も持たず同僚達とお茶を飲んで楽しんでいたという異常に戦慄し、同じ様に状況に気が付いた同僚達が血相を変える姿を確認した。

 

 間違いなく、あの巨大な球体による支配が自分達全員から解かれている。

 

 何が起きて、どんな経緯で。

 そんな疑問がヘレナの脳裏を過り、次がある可能性はあるのかと少しだけ周囲を警戒する。

 だが、自分達ではない、街中を歩く異能を持たない一般人の様子すら何だか不思議そうな様子はあるもののそれ以上はなく、誰もがそれまで通りの日常へと戻っていっている光景からは事態の終息しか感じさせなかった。

 

 何もかも元通り。

 ほんの数時間だけ存在した確かな異常は、誰も真実を知り得る事が無いまま幕を閉じてしまっている。

 

 その事実に戦慄するヘレナへと同様に周囲の状況を一通り確認したミレーが慌てて報告を行った。

 

 

『へ、ヘレナさん……おらの視界内には、あの球体が、どこにもいなくて……警戒しなきゃいけないものは、どこにもなにも……』

『全部が元通りかい……それでまた自分はいつも通りのトンズラ。本当にふざけた奴だよ』

 

 

 確かにあった異常事態。

 それがどこにも無くなってしまっているという事実に、ヘレナ達が巨大な球体が支配していた筈の空を見上げるしかなかった。

 

 そしてその同じタイミングで、彼らと同じ場所にいた阿井田博文議員も目を細めて空を見上げていた。

 

 

「……本当に周りへの影響を考えない子達だ」

 

 

 議会を裏から操る大物政治家としてはありえないくらい酷く感情的な言葉が吐き出される。

 ポツリと一人呟いた言葉は色んな感情が込められていて、きっと本人以外にはその真意全てを汲み取ることなんて出来ないけれど。

 

 

「神崎君、君が会いたかった人には会えたのか。君が見たかった未来は……」

 

 

 昔同じ境遇であった彼女だけは、きっと向けられた言葉の意味を知っている。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 

 人には本当に色んな人生があると思う。

 

 出生や環境、経験に転換期。

 色んな要素が組み合わさり、生物学上同じ形をしていながらも、人間というのはまるで別種であるかのような個人差を見せる。

 それは肉体的な機能だけでなく、性格や性質あるいは趣味嗜好に至るまで細かく分かれ、人間という種が絶滅することの無いように、多種多様な在り方を作り続けている。

 だから、生物の種として人間を考えた時、どれほど能力に優劣があろうとも、正しい意味で人間としての成功作や失敗作なんてこの世には存在しない。

 

 人間は全てが試作品で、全てが替えの利かない個であるのだ。

 

 ————なら、そんな替えの利かない個を完璧な形で模倣するにはどうするのか。

 

 昔、ずっと私を悩ませたのはそんな簡単な疑問であった。

 

 昔の事を思い出す。

 役者の両親のもとに産まれ、自分の意思など無いまま物心ついた時には既に自分ではない何かを演じていた私の過去を思い出す。

 優等生な人を演じて、誰かを陥れるいじわるな人を演じて、大好きな人に執着する人を演じて、誰かの為に命を投げ出す人を演じた。

 両親に言われるがまま、大人に言われるがままに、他の誰かに成れるように演じ続けた。

 

 幼少期、それしか自分には無いと思っていた。

 あの両親に私が褒められるのはそれだけだったから、必死になって別の誰かを演じられるよう何度も何度も試行錯誤を重ねる毎日。

 

 よく考えた。

 幼い私はどうすれば自分ではない誰かになれるのかを考えた。

 

 指先一つ、目線の動き一つ、あるいは特徴的な癖一つ。

 演じる役柄の性質を取り込んで、彼らの人生を自分のものとして、彼らが見せる人柄や性質で私という異物を上書きした。

 取り込んで、取り込んで、それでもまだ他人を完全に演じることが出来なくて、両親に叱られて、大人達に怒鳴られて、涙を流しながら繰り返し練習して人間の勉強をした。

 睡眠以外の人生の大部分を費やして、産まれてから演技以外に思い出が無いほど積み重ねて、そうしてようやくたどり着いたのが、日本を代表する絶対的な子役という評価。

 

 誰かを演じる事が息をする事よりも簡単になって、自分がどの役を演じれば周りの人が満足するのか考えなくても分かるようになっていた。

 そんな私を見て周りの誰もが言う、順風満帆で全てが恵まれた天才だと、羨むように言ってくる。

 

 彼らの言う事は間違っていない。

 裕福な家庭に産まれ、両親の才能を継いで、コネクションを使って経験を得て技術を磨き、国や同世代を代表するほどにまで大成する。

 それがどれだけ恵まれた事なのかなんて、色んな人の人生を模倣してきた私はよく分かるし、それに不平不満を漏らす事がどれだけ危険なのか自分の立場も理解している。

 だからずっと、自分の頭を過る疑問や胸に湧き上がる感情には蓋をして、誰もが望む神崎未来を演じ続けるのが私の人生だった。

 きっとそれは、私の人生という劇場が終わりを迎えるまで、変えることが出来ない私の役なのだと信じていた。

 

 

 けれど私は私の知らない所で、そんな生活に追い詰められていたのだ。

 

 私にだけ聞こえた何かが割れる音。

 唐突に、誰かの模倣が出来なくなってしまった。

 何の切っ掛けも無く糸が切れたように、何かを演じることが出来なくなった。

 何も演じる事が出来なくなり、全ての仮面が壊れて、自分自身など持っていなかった私はただの人形のようになって、そんな私を診た精神科医は匙を投げた。

 私を大女優にしようと心血を注いでいた両親は私に失望し、俳優業で関わりのあった人達は私の有り様に距離を置き、期待していた人達は私という才能の残骸に興味すら示さなくなっていった。

 

 出生や環境、経験に転換期。

 色んな要素が組み合わさり、生物学上同じ形をしていながらも、人間というのはまるで別種であるかのような個人差を見せる。

 個人の人格を形成する上での無くてはならない要素は、誰かの仮面を被り続ける事しかしなかった私にとって、私個人として積み重ねて来なかったものである。

 

 だから、私という個はその時まで【無】そのものだった。

 

 

『————貴女、大丈夫?』

 

 

 その人に辿り着いたのは、運命だった。

 誰かに縋るつもりも無かったし、誰かに助けを求めるつもりも意志も無かった。

 自分が不幸だとは考えた事も無かったし、演技が出来なくなった時も自分が追い詰められている自覚を私は持っていなかった……そういうつもりだった。

 

 でも気が付けば、SNSに書かれていたあまりに怪しい精神科医の真似事をしているアカウントに声を掛けていて、こうして実際に会うところまで来てしまっている。

 演技が出来なくなってから両親や事務所の人達が連れて来る精神科医の毒にも薬にもならないような話し合いに散々時間を奪われていた筈なのに、こうして同じような相手を頼ってしまっている。

 

 私は、私が思うよりも……。

 

 

『自分が分からないの? ……ああ、違う。そうじゃないわね。自分自身を形成する前に仮面を被り過ぎて自分が何かも分からなくなってしまったのね。人の心をちっとも理解していない連中に言われるがままに演技なんてものをし続けたせいで、貴女はちゃんと自我を確立できなくなってしまったのね。……辛いっていう事も分からなくて、苦しいって事さえ分からないのね』

 

 

 私の心を見透かすようなその人の言葉。

 私の人生全てを知っているかのようなその人の言葉。

 それを聞いて、知らない内に私は涙を流していた。

 何かの役ではない、自分の意志で涙を流したのは本当に久しぶりだった。

 

 他人に言葉にされて初めて思う。

 別の誰かの模倣ばかりをし続けただけの私の人生。

 

 私は、本当は何がしたかったんだろう、そう思った。

 産まれてから今まで生きて来て、何がしたくて頑張って来たんだろうと、そう思った。

 

 

『それでも私は努力を続けた貴女の事嫌いじゃないけどね。大丈夫よ。貴女の声は私に届いた。それは貴女の努力の成果で……まあ、ともかくそうやって頑張って私に声を届かせた貴女の事、ちゃんとお金の分は助けてあげるから』

 

 

 人には本当に色んな人生があると思う。

 きっと、役者としての神崎未来ではない私自身の人生はその時ようやく始まって。

 

 だからこそ、誰にでもなれるようになった私は、貴女のようにこそなりたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 過去の私の姿を模倣した仮面を引き裂き“百貌”を押し倒した瞬間、私が感じたのは喜びではなく驚愕だった。

 

 自分が成功させたことが信じられない。

 異能で劣る私が、異能で勝る私自身を上回った。

 無我夢中で駆け抜けて伸ばした自分の手が、本当の本当に過去の私を模倣する“百貌”に届いたなんて、冷静になった今考えてみても信じられなかった。

 

 

「けど、何はともあれ捕まえたっ……これで、ようやくっ……!?」

 

 

 仮面が剥がれ随分背が高くなった“百貌”に馬乗りになり、その首を片手で掴んだ私の言葉は、その正体を目にして尻つぼみになる。

 

 剥がれた異能の仮面の先にあった素顔は、私も知っている人。

 見知った、というよりも見覚えがあったのは、その人物があまりに有名人であったからだ。

 

 

「神崎未来……? 本物……?」

「……ふふっ、御母様に顔が知られているなんて、私も有名になったものね」

 

 

 追い詰められているというのに、どこか面白そうに女はそう言った。

 

 すらりと長い手足に、滑らか過ぎる肌の質感。

 地面に押し倒しているのに、馬乗りになった私の鼻には澄み切ったような匂いが届き、彼女の様子はどこか品を感じさせる。

 少し瞼を大きく開けば幼さを残す可愛らしさに、少し目を細めれば怜悧な美しさを漂わせる、演者として完成されたその美貌は異能にも劣らぬ才能だ。

 

 それこそが日本が誇る大女優、神崎未来。

 現代日本のありとあらゆるコンテンツに影響を及ぼしているとされる彼女の名は、この国では知らない人の方が少ないだろう。

 名実ともに国内最高の役者であり、飛鳥さんとは別方向に日本を代表する有名人。

 流行や廃りに疎い方である私だって、テレビに映るこの人の演技には魅了されたものだし、この人が出ている広告には少なからず目を引かれたものだ。

 

 だが、私が彼女を知っている理由は有名であるからだけではない。

 チラリと彼女の片足に巻かれている包帯を見て、私は自分の複雑な心境の言い訳をするように反論する。

 

 

「馬鹿にして……昔、会った事のある有名人くらいは、その後どうなるのか気にはなっていたから……それに今は、貴女を知らない人の方が少ないし」

 

 

 そうだ、私は過去彼女に会ったことがある。

 精神医の真似事を始めたばかりで、異能の情報を隠しながら金銭を稼ぐにはどうすればいいか模索している最中に出会った、患者の一人。

 幼い頃から誰かの演技を続けたから自我の確立が未発達で、別の誰かの人生を演じ続ける自分との板挟みになって、いつしか演技自体を行えなくなっていた少女。

 そんな彼女に私は【自我の確立】を、どんなに自分を変質させるような演技をしても自己を確立し続けられるよう、精神干渉を施した。

 

 薬によって目覚めた異能による対象の完全模倣。

 神域のその異能の後遺症も考慮して過去の私を模倣する相手として考えれば確かに、神崎未来という女優が“百貌”というのはこれ以上ないくらい違和感がないのかもしれない。

 小学生時代の私に会っていて、日本では出回っていない異能開花薬の入手も海外に向かうことの多い彼女なら難しくなかっただろう。

 過去に判明していた“百貌”の犯人像と重ね合わせてみれば、神崎未来という女性は何もかもが合致する。

 

 けれど、だ。

 

 

「貴女には、異能の才能なんてほとんど無かった筈なのに……」

 

 

 幼いあの時、彼女の内面に触れた私は神崎未来という女優が異能の才能に恵まれていなかったことを良く知っていた。

 どんなに無理やり調整したとしても、現象として異能を行使できるかできないかギリギリになるような、そんな異能の適性の無さを理解していた。

 

 そして、私が異能の発動を抑え込んでいる今も感じられる出力はあまりに微弱で、到底どんな相手の異能でも完全に模倣できるような理不尽な力を持っているようには思えない。

 

 

「それだけの出力なら精々が……対象に自分を似せる異能。見た目を似たものにする程度の力しかない筈で……あっ」

 

 

 そして、私は自分が口走った言葉に気付かされた。

 対象に似せるだけの出力の低い力があったとして、元となる部分がある程度補われていたら、使われなかった余った部分の力がどう使われるのかを。

 

 ゼロから三十まで似せる力があったとして。

 ゼロの部分を初めから百に近付けていた場合、ゼロから三十まで似せる力はあらかじめ似せた分から百に似せる力に変わる筈だ。

 つまり異能だけではゼロから百までの模倣は出来なくとも、あらかじめ七十以上の模倣が出来ていれば、あらゆる人物への模倣が可能。

 

 神崎未来の持つ演技の才能が、彼女の未熟な異能の力を補っていたということ。

 

 ようやくそのカラクリに気が付いた私は、思考の穴を抜けられたような屈辱感を覚える。

 どうしてこんな単純なことに気が付けなかったのだろう。

 

 

「異能の出力が微弱だから探知にも引っ掛からなかったってこと……? どれだけ強大な異能を模倣していても、模倣元がそうとは限らないなんて簡単な見落としを……私の馬鹿……!」

「正解に辿り着くの、流石に速いなぁ……まあ、過去の姿を模倣した私があれだけ猛威を振るえるんだから、当然と言えば当然なんだけどね」

「くっ……と、取り敢えず、貴女のカラクリが分かった以上勝手はさせません……! 反抗できるだなんて思わないでくださいね……!」

 

 

 色々と思う所はあるが、これ以上神崎未来と悠長に話をしている余裕はない。

 

 言葉で釘を刺し、異能による制限を掛ける。

 私だって本当に限界ギリギリの状態だが、彼女を野放しにして再び私の過去を模倣される方が不味い事になるのは目に見えていた。

 だからしっかりと、“百貌”神崎未来を自由にさせないよう措置をして、私はもう一つ早急に解決しなければならない筈のものに目をやった。

 

 

「“百貌”をどうにかできた以上、あと対処しなくちゃいけないのは、起動しちゃったアレと落下した神楽坂さんになる訳だけど…………こ、こっちはそんなに心配いらなそう……?」

 

 

 そう言って、すっかり大人しくなった空に浮かぶ球体を見遣る。

 恐らくだが、自分を起動した“百貌”の模倣が解けて私ではない存在になったことに気が付いたのだろう。

 未だに知性体に対する支配を解いてはいないものの、私やマキナに対しての一切の抵抗は止めており、今はマキナにされるがまま体を両手で引き延ばされている。

 

 人神という大層な名称を冠した筈の球体の情けない姿に、思わず私の警戒心は薄れ始めてしまった。

 完全に抵抗を放棄している球体は一見すれば無害なようにも見える。

 だが、純白になっている体表の色を見る限り、今も変わらず起動状態にあり、いつでも異能の行使が出来る状態のままなのは確かだ。

 今は継続しているマキナの攻撃のおかげで好きに出来る状態ではないだろうが、それでは根本的な解決にはならない。

 

 根本から解決しようと思うのなら、やるべきは一つだ。

 

 

『この、この! どっちが御母様かくらい見分けロ!』

「マ、マキナ、エデと話したいことがあるからちょっと止めて」

『エっ……攻撃相手を間違えたのは悪い事だが、削除(デリート)は流石に可哀想……』

「しないって……マキナは私を何だと思ってるのさ」

 

 

 物騒な事を言うマキナを下がらせ、私はフヨフヨと空に漂う巨大な球体に近付いた。

 

 幾億、幾兆の純白の羽が密集した球体。

 明らかに人智を超越しちゃっている、なんだか凄い存在。

 マキナにされるがままにされていたそんなのが何か言いたそうに巨躯を震わせたことにちょっとだけ気圧されるが、私は神楽坂さんが落下していった方向を一瞥し、気合を入れ直す。

 

 勿論、気合を入れると言っても力技でどうこうする訳ではない。

 平和的に交渉する。

 

 

「その……エデ? 寝起き直ぐで申し訳ないんだけど、もう一回寝てくれないかなって……」

【…………】

「貴方を創り出した目的は知性体の管理で、それ自体を否定するつもりは無いんだけどぉ……今はちょっと、私の望むところじゃないっていうか……ね?」

『御母様!? マキナはもっと雑に扱われたゾ!?』

 

 

 出来る限り下手に、地面に頭をこすりつける気持ちでお願いを切り出した私に不平不満の声が飛んだが、それはマキナの気のせいである。

 それにこれは、エクス・デウスへの対処としてはこの上なく正しいものなのだ。

 

 知生体の統治機構。

 要するに、正しい形で知性群を運営する目的を持って生み出したこの存在は、本来起動した瞬間にこの世界のありとあらゆる知性体を支配下に置く。

 理由なんてなく、そう在るようにと願われて生まれたものだからだ。

 

 要するに、この存在は願いの結晶であり人類の敵なんてものではない。

 だからこそ、支配下に置かれていない唯一の知性体が、そんなことはしないで欲しいと真摯に願うことはある種の特攻に成り得る……筈なのだ。

 

 そう考えた私のお願いだったのだが、何の反応もせず身動きを止めてしまったエデに、思わず冷や汗を掻く。

 “百貌”は制圧したとはいえ、起動状態のエデをどうにかできる余力を私は残していない。

 もし少しでも反抗されようものなら、もれなくマキナとエデの怪獣バトルが勃発すること確定だ。

 

 そうなればどう転んでも被害は相当なものになる。

 

 

「……えっと、お、お願いエデ! 支配するのは駄目だけど、ちゃんと貴方のお世話はするから! 異能の力を振り撒かないようになったら毎日散歩に連れて行くし、小さくなれるなら私の家にも入れてあげ————ぶぽっ!?」

 

 

 もふぁ、と顔に羽毛の体当たりを受けた。

 何だか面倒臭そうな、攻撃意志のない体当たりによる柔らかな衝撃に私がたたらを踏めば、視界一杯に広がる純白が徐々に暗くなり始め、最後には黒くて小さな球体に成り果てる。

 それがふわりと私の頭の上に収まって、動かなくなった。

 

 起動状態から休眠状態への移行。

 多分、私の説得が無事成功したということなのだろう。

 

 そして休眠状態へ移行した瞬間、見渡す限りに広がっていた異能の力がゆっくりと解けていくのが見える。

 世界中の知性体を支配していた力が停止して、全てが元の形に戻っていく。

 

 

「……ど、どうにか停止してくれたけど……頭の上に乗っちゃった……」

「そんなペットみたいな扱いで良いんだ……」

 

 

 ひとまず目的を達成し、ほっと安堵の息を吐く私の背後でぼそりとそんなことを呟かれた。

 

 ペットみたいな扱いというのはとんでもなく失礼な話だ。

 が、それに構っている余裕がない私はすぐさま屋上の端まで走り、神楽坂さんが落下していった場所を確認する。

 

 地面まではかなりの距離があり見えにくいが、赤く広がるものが見えないので、恐らくそのまま神楽坂さんが落下してしまったということは無いだろう。

 今の私はそう信じることしか出来ない。

 

 

「神楽坂さんの姿が見えないけど……下に行って確かめる前にこっち……」

 

 

 私は、背中に感じる視線へ振り返る。

 立ち上がり、こちらをじっと見続けている神崎未来を見つめ返す。

 

 彼女が立っている事への驚きはない。

 異能こそ抑えつけているものの、私と違って異能の酷使による不調も疲労も無い神崎未来が自由に動けるのは分かっていた。

 だが立ち上がった彼女の強い意志を持った目は予想外で、少しだけ回復した異能をいつでも起動できるよう準備しながら、私は問い掛ける。

 

 

「まだ抵抗するつもりですか?」

「さあ、どう思う?」

「……そう言えば貴女自身の目的を聞いていませんでしたね。私の過去の姿を模倣して、こんなことをしでかした貴女の目的を、何も」

 

 

 模倣するだけで自分の本心を一切見せなかった“百貌”。

 いつまでも他人の姿を模っているだけだったから、ただ力を振るいたいだけだったとか、過去の私の意志に引っ張られていただけだとか、そんな薄っぺらい理由なんじゃないかと思っていた。

 そして“百貌”の正体が神崎未来という、今も輝かしい活躍を続けている大女優だと知り、なおさら世界を変えようとする私の思想に本心から共感しているとは思えなかった。

 私が彼女の抱えていた問題を、“精神干渉”の力でいくら演技しようとも彼女という個の精神が侵食されないよう調整し解決していたからだ。

 

 だが、異能の力を封じられた神崎未来という女性は、エクス・デウスという切り札を私に抑えられたこの状況になっても、強い意志を見せている。

 自分自身の強い目的が無ければ到底浮かぶことが無いだろうその目に、私は考えを改める。

 

 

「貴女は、一体何をしたいんですか?」

「……」

 

 

 読心をしても負担を感じないくらい回復するにはもう少し時間が必要。

 だから今すぐ模倣が解けた神崎未来の本心を無理やり覗き見るのは難しいし、回復を待って洗脳し切ってしまうなら彼女の秘めていた目的など聞く必要もない。

 

 それでもこうしてわざわざ口にして質問してしまったのは、私自身がどうしようもなく、この人が持つ目的が気になってしまったからに他ならなかった。

 

 

「……私は私の憧れた人の見ていた景色が見てみたかった」

 

 

 神崎未来は私の質問に対して、ポツポツと返答する。

 

 

「苦しかったあの頃の私を救った人。私が見るよりもずっと広く物事を見ていた人。私じゃどうしたって見られない景色を見ていた人。色んな人を模倣していた私は、いつしかその人の見ていた景色が見たくなった……だから異能の才能を作れる薬があると聞いて、わざわざ海外で売人から購入したの。少しでも憧れの人に近付きたくて、特別なあの人が使っていたのは異能っていう力だったんじゃないかって思ったからね」

 

「薬を飲んだ時、酷い吐き気と眩暈に襲われた。最初は毒物だったのかと焦ったけど、次第に明瞭になっていく記憶の中の憧れの人の姿に、私は過去の私を救った力が異能だったことを確信した。私を救った力も、私の記憶に干渉していた力も、全て憧れの人の力だったと知って、私もその力を得る事が出来たのを知った」

 

「私は憧れの人の姿になれるようになった。見える世界の何もかもが変わった。今の私なら憧れの人の隣に立てると思った……けど私の憧れていた人は今、私が考えていたよりも小さな幸せを望むようになっていた」

 

 

「それ自体、悪い事じゃないんだけどね」と、大人びた表情で微笑んだ神崎未来は少しだけ悲しそうに首を振る。

 

 盲目的に色んな人を救っていたあの頃の私。

 どこか幼稚でいつしか歪んでひねくれ曲がってしまったけれど、神崎未来が模倣していた頃の私は確かに色んな人を見て出来る限り救おうとしていた。

 数年越しだけれど、その頃の結果がこうして誰かに残っているのを見ると、悪いだけのものでは無かったのだと思えてくる。

 

 学校帰りの帰り道に何気ない話をするようゆっくりと歩を進めながら、自らの動機と行動を神崎未来は告白する。

 距離を詰められないようにと警戒する私を余所に、彼女は何気なく屋上からエクス・デウスの支配から解放された人々を残念そうに見下ろした。

 

 

「どんな事情があったのか、模倣した瞬間より先のことを私は分からなかった。ただ、望みの先が失敗だったとしても、私は憧れの人の進んだ先を知りたかった。望んでいた未来を成し遂げたかった。だからここまでやろうと決めた。これまでの事態を引き起こしたのは、間違いなく私自身の意志によるもの」

 

「私が憧れた人の願いは叶えられなかった————なら、今の私に残された望みは、私を救ってくれた貴女の願いを叶えることだけ」

 

 

 そう呟いて、神崎未来は屋上の端に立つ。

 今にも落ちてしまいそうな危ない行為に思わず私が息を呑めば、両手を大きく横に広げた彼女は吹き抜ける風に髪を靡(なび)かせながら楽しそうに笑う。

 

 

「ほんの少しの時間であっても、疑似的であっても、世界を支配したことには変わりないでしょう? 私が成し遂げたのは小さくはあったけど、間違いなく過去の貴女の所業と同じだった。私が“顔の無い巨人”を名乗っても、きっと貴女以外は誰も疑わない。そうは思わない?」

「……そうかもしれませんね。そもそも私はそんな名前、いらないですけど」

「ふふっ、そうだよね。そしたら折角だし、私がその名前を貰っちゃうね」

 

 

 心底楽しそうに笑う神崎未来の姿に、私に何だか嫌な感覚が沸き立つ。

 不自然に片足を庇いながら屋上の端に立つ神崎未来の姿に、どうしようもない危機感を覚えてしまう。

 

 自分の身の危険とか、誰かからの悪意だとか、そういうものに敏感だと思っている自分の感覚が全く違う部分で反応している。

 

 

「全てが失敗した時の私の願い、最初から決めていたの。貴女が貴女の望むように平穏無事に暮らすにはどうすれば良いか考えて、私が“顔の無い巨人”だっていう告白の書置きを、家に残しておいた」

「……は?」

「“顔の無い巨人”の世界に向けた再侵攻は失敗。失意に沈んだ彼女は自らの責任を取る為に身を投げる————そんな場面を最後に憧れの人の前で演じられるなんて、とっても素敵なことだと思わない?」

 

 

 少しだけ、理解するのに時間を要した。

 だから状況を察したのは言葉によるものでは無くて、彼女の顔を見たからだ。

 

 

「……あのね、あの時言えなかったことなんだけど」

 

 

 神崎未来はふと思い出したように目を細める。

 それは今より少しだけ幼い、誰かに助けを求めるような顔をしていた昔の彼女に重なる。

 

 

「私を救ってくれてありがとう」

 

 

 ————そう言って、足場も何もない空に彼女は身を投げ出した。

 

 風が吹く。

 ゆっくりと満足したように目を閉じた神崎未来の姿が消えていく。

 ICPOやUNNに追われる“顔の無い巨人”の名を背負って、その女性の姿は消えていく。

 

 

 分かっていた。

 直前の言動や立ち位置の動かし方。

 視線や意識の誘導があって、私の警戒心を煽るような態度を見せたこと。

 全ての考えを見通せなくとも、彼女の意図は何となくだが気が付いていた。

 だから驚きよりも納得が、私の頭の中にはあった。

 

 彼女が、神崎未来が“顔の無い巨人”であったと言い残してこの世を去ったとする。

 直前の出来事や死亡した彼女の残した遺書から、疑惑があれどそれが真実の方が都合のいい人達は沢山いるだろうから、数年前唐突に異能の行使を止めた時よりは信憑性があるとして処理されるだろう。

 それで、ICPOの捜索やUNNから“顔の無い巨人”へ向けられる警戒が無くなる可能性は、十分あるだろうと思う。

 私の過去の行いを追い掛ける人達の捜索の手から逃れることができて、私が望む平穏の日常がやって来るかもしれない。

 それはきっと、私にとってはこの上なく良い事なんだろう。

 

 加えて、“百貌”は悪い奴だ。

 私の過去を模倣して、私の異能をこれでもかと使って、私の過去の行いを利用して、そうして私が止めた計画を復活させようと目論んだ。

 私の明かされたくない過去の姿を色んな人に見せ付けたし、私の過去の姿を使って洗脳や攻撃を行った。

 飛鳥さんや神楽坂さんを傷付けて、色んな人達に迷惑を掛けた。

 他人の姿を利用してそんな事をするなんて、本当にとんでもなく迷惑な奴だって思う。

 痛い目に遭えばいいと、私は思う。

 

 私の過去を清算してくれて、悪い奴が一人痛い目に遭う。

 これから起こるのはきっとそれだけの話。

 

 

 

 

 ……でも神様。

 やっぱり私は、命にかかわるような罰はあんまりにも重すぎると思うのです。

 

 

「————え?」

 

 

 嫌な予感がした瞬間、私は無意識に駆け出していた。

 気が付けば私は落ちていく彼女に対して必死に手を伸ばしている。

 走り出しが早かったから、一瞬だけ見えなくなっていた神崎未来の心底驚いたような顔がもう目の前にある。

 伸ばした手が彼女の腕を何とかギリギリで掴むことに成功して、ピリッとした痛みが私の腕から全身を走り抜けた。

 

 自分の顔が歪んだのが分かった。

 運動も碌にできない私が、自分よりも体重があるだろう女性の体を掴み止めるだなんて、普通に考えて出来る訳がない。

 屋上の端をもう片方の手で掴んで何とか落ちないようにと頑張るが、体を引き裂くような痛みに悲鳴がこみ上げる。

 

 予想できた痛みだ。

 異能を酷使してボロボロになった体をさらに傷付ける行為だ。

 判断としては、あり得ないのだろう。

 

 

「な、なんでっ……!? 貴女にとって迷惑な事ばかりをした私を助ける意味なんて……!!」

「っ、なんでっ……? そんなのっ……私が分かる訳無いじゃないですか……!」

「どういうこと!?」

 

 

 私は屑だ。

 性格は悪いし、自己保身ばかりを考えているし、善人とは言えないようなことも一杯やって来た。

 少しは成長した今も、神楽坂さんのような出来た人間にはなれていないし、過去のやらかしの責任を取ろうだなんて殊勝な事も考えていない。

 それでいて、悪い奴がそこら辺で野垂れ死のうがどうでもいいと思っていて、助かろうともしない人を無理に助けようだなんて思わない非情な人間でもある。

 

 だから本当は、私は神楽坂さんから褒められるような人間なんかではないのだ。

 自分がそんな人間だって分かっているから、自分の好都合な選択を潰してまで散々迷惑を掛けて来た相手を必死に助けようとするなんてこと、きっと私自身が他の誰よりも理解できない。

 

 

「思わず体が動いちゃったんです……! 落ちちゃった神楽坂さんの無事を確認しないとって思っていたから、追加で落下していこうとする貴女を見て反射的に手を伸ばしちゃって……ああ、もうっ、違う! そうじゃない! 私が貴女に手を伸ばしたのはっ……」

 

 

 それでも。

 自ら追い詰められる状況へ飛び込む、そんな突拍子もない自分の行動に混乱していた私は涙で滲む視界に写した神崎未来の悲痛な表情を見て何となく理解する。

 

 私が、自らの意志で落ちようとする彼女に手を伸ばした理由は————。

 

 

「貴女は、私の妹達の恩人でしょうっ……!?」

「!?」

 

 

 ————“百貌”が、神崎未来がただ悪いだけの人ではないと知っていたから。

 

 絶句する神崎未来の、片足に巻かれた包帯を私は見た。

 ショッピングモールで食事した際、落ちてきた物から少女二人を庇った何処かの誰か。

 その人の話は、暗い顔をした妹達から聞いていた。

 

『あのね、お姉……私達、あのショッピングモールで、飛行機が突っ込んで来た時、女の人に庇われて……その人、それで足が折れたのに……逃げるようにって、言ってくれて……』

『私達、その人見捨てて逃げたんだ…………ううん、桐佳ちゃんだけじゃなくて、私達が見捨てて逃げたの』

 

 話を聞く限り、生存は絶望的。

 それでも少ない死者数に希望を抱き、ふとした時にその誰かを探していた二人を見て、私も妹達の恩人の足取りを探し始めた。

 断片的なものではあったが、妹達やマキナからその人物の情報を聞き、何となく思い描いた人物像とその人の行動の不自然さに違和感を私は覚えた。

 

 妹達への不自然な接触の仕方。

 その人物が“死の商人”の襲撃にいち早く気が付いたこと。

 そして、あのショッピングモールで突然現れた“百貌”のこと。

 そんな幾つも存在した不自然な点が線となり、“百貌”の正体である彼女の足にあった怪我を見たことで、私は神崎未来が妹達の恩人である何処かの誰かであったのだと確信した。

 

 だからこそ、この手は離さない。

 

 

「私は自分の過去のことを別の誰かに押し付けるつもりなんてない! 私の妹達が罪悪感を抱えないようにっ、貴女には生きて貰わないといけない! 私はまだ、私の妹達を助けてくれた人に感謝も伝えられてないから! 私は貴女に死なれる方が迷惑なんですよバーカ!!」

「……」

「意地でも引き上げてやりますっ……!! うぎぎぎぎ!!」

 

 

 ブルブルと震える腕で何とか引き上げようとする私。

 けれど散々疲労した今の私では自分より体重があるものを片手で引き上げる事なんて出来ないし、そもそも元気な状態でもそれが出来るとは思えない。

 

 呆然と見上げて来る神崎未来を余所に、頭の上に乗ったエクス・デウスがもう一度起動してこの状況から助けてくれないものかと思うが、完全に休眠状態になっているエクス・デウスはピクリとも動かないし、マキナはこの状況をどうにかできる力を持っていない。

 

 自分の力でどうにかするしかない状況。

 威勢の良い事を言ったものの、痛みと打開策の無さで早速心が折れかかる。

 

 

(だ、駄目だ……重すぎる……。こ、ここまで来て二人とも落下死なんて笑えないのに……)

 

「んぐぬぬぬ……! うぎぎぎぎぃ……!」

『お、御母様頑張れっ! 今飛鳥の奴に連絡して場所を知らせた……オア゛!?』

 

 

 その瞬間、本当に運悪く突風が吹いた。

 私の背中を押すような追い風。

 そんな突風に背中を押され、グラリとバランスを崩した私は目を丸くする神崎未来に飛び付く形で空中に放り出されてしまう。

 

 私と共に落下し始めたことを理解した神崎未来は、慌てて空中で私を抱き寄せてきた。

 

 

「んぎゃああああ!? 落ちるっ! 落ちちゃうぅぅ!!」

「ちょっ、わ、私に掛けた異能の制限を今すぐ解除して! すぐに飛禅飛鳥を模倣して……あ、私の異能は誰かに見られてたら使えないんだった……」

「やっぱりそういう使い辛い部分もあるんですねっ!? さ、さっきアイツが使ってた意識混濁(ソウルシェイカー)なんて出力が足りな過ぎるし……し、死ぬ! 死んじゃうぅぅ!」

 

 

 十メートル落下するのに掛かる時間は一秒と少し。

 空気抵抗を含めないで考えるなら、大体三百メートル程度のこのビルの高さからの落下に掛かる時間はおよそ八秒だろうか。

 悲鳴を上げる私の頭の中で酷く冷静にそんな計算がなされ、襲い来る死の恐怖がより明確な形となって迫って来る。

 

 何をどうしたって八秒の内に飛行手段を確保するなんて無理な話である。

 

 そんなことを理解してしまった私の頭を、ぎゅっと、神崎未来が抱え込む。

 恐い物を何も見えないようにとするそんな最後の優しさを見せられて、私はもう無理やりにでも頭の上のエクス・デウスを起動させてこの窮地を脱しようとした。

 

 だが、そんな絶望の中くっきりと落下地点の地面が見えた時、そこに携帯を片手に持つ見覚えのある男性が大きく手を振っている姿を確認できた。

 先に落下して安否の分からなかった神楽坂さんが、落下している途中の私達をしっかりと捉えながら携帯に向けて何かを叫んでいる。

 

 

「あっ、あっ、か、神楽坂さんっ、う、受け止めてっ……!」

 

「————飛禅っ! ここだっ! 真っ直ぐ飛んで来い! 佐取を受け止めろ!!」

「言われなくても分かってますよっ、もうっ! こっちだって限界ギリギリなんですからね!!」

 

 

 もうほんの少しで地面に衝突する直前、ふわりと体に浮遊感を覚える。

 

 優しく、的確に。

 これまでの落下の運動エネルギーを、弧を描かせるようにして別方向へと切り替えていく感覚。

 そして次の瞬間には、ジェットコースターの急激な上下カーブのような曲線の軌道を描いて、私と神崎未来は大空へと再び飛び上がった。

 

 現代科学ではありえない飛行能力、【物体を浮遊させる】異能の力。

 ほっとしたような顔の神楽坂さんがすぐに見えなくなり、ガシリと誰かの手が私の襟首を乱暴に掴む。

 掴んできた手の強さから、その人物が怒りに満ちている事を察した私は、先ほどまでとは別の恐怖に駆られて縮こまるようにして言い訳を考える。

 

 

「燐香……私が何を言うか分かるわよね?」

「あわ、あわわっ……! あ、飛鳥さんっ、助かりましたありがとうございます……! や、やっぱり飛行能力って便利で素敵で最高ですね! 精神干渉とは格が違うや! 最強無敵格好良い!」

「そうじゃないわよこのポンコツ!!」

 

 

 飛鳥さんは私の必死の命乞いがお気に召さなかったようで激昂する。

 折角助かったというのに、いまだに信じられないような顔で呆ける神崎未来を置いて、私と飛鳥さんはいつも通りの言い争いを始める。

 

 

「一人で無茶して危機に陥るくらいなら、最初から私の仕事を手伝いなさいよ!! こっちは元犯罪者の“紫龍”を入れるくらい戦力不足なのよ!? もう絶対神楽坂先輩と一緒に私の部署に入れるから! それかアンタが何かの組織を作りなさいよね!!」

「いだだだっ!? そ、そんなこと言われてもっ!? わ、私は悪くない! 私は悪くないんです! 全部コイツ! 全部コイツが!!」

「言い訳するなポンコツ!!」

「ポンコツポンコツってっ……言っときますけどポンコツは私の代名詞じゃないですよ!? 鳥女鶏女やーいやーい!」

「落とすわよ!?」

 

「……ふっ」

 

 

 飛鳥さんは私の言い分など聞きもしない。

 さらに強くなっていく握りの強さと飛行速度の加速具合に、私が惨めな悲鳴を上げていれば、今も私を抱きしめていた神崎未来が唐突に噴き出した。

 何もかもがとんでもなくどうでも良くなってしまったような、そんな風に脱力した神崎未来が続けて体を震わせながら大きな声で笑い始める。

 

 

「あはっ、あはははははっ、な、何これっ……こ、こんな情けない結末っ、ぷぷっ。わ、私、馬鹿みたいっ、あはははははっ」

「な、なにを笑っているんですか!? こっちは絶体絶命なんです! 全部貴女のせいなんですからちゃんと私の弁護をして下さい!」

「他人に責任を押し付けてるんじゃないわよ! 私が怒ってるのはアンタの、私に対する態度と行動に対してなんだから!! 大体何よソイツ! 笑ってばかりで全然……あれ? もしかして、神崎未来?」

「全然状況把握してなかった!? 理不尽過ぎる!! 私、頑張ったのにぃ……!!」

 

「あはははははっ!」

 

 

 子供のような笑い声を、周囲を憚らずに上げ始める。

 心の底から溢れ出してしまったような笑いに、思わず私と飛鳥さんが醜い争いを止める。

 情況をほとんど理解していない飛鳥さんからの「コイツは何だ」という視線に対して何とか視線で応えようとしていた私に、ひとしきり笑い終えた神崎未来は目じりに涙を浮かべながら口を開く。

 

 

「ふふっ……ねえ、佐取燐香さん。やっぱり私ね、飛び降りようとした時も、貴女に初めて会った時も、私自身が思うよりもずっと誰かに助けを求めていたんだと思う。心のどこかで助けて欲しいと願っていたんだと思う。自分で選んだ未来だったのに、馬鹿な話だと思わない?」

 

 

 色んなしがらみから解放されたような飛行の中で、神崎未来はどこか満ち足りたようにそう言った。

 

 

「……“百貌”は私です。私は貴女達の望むように、どのようにでも罪を償います」

 

 

 “百貌”神崎未来はそう言うと、もう一度だけ私を抱き締める力を強め、頭を下げるように顔を伏せた。

 

 

 

 

 




いつもお付き合いありがとうございます!
ひとまずこれにて11章は終了となります!
随分長い時間を掛けての1章となりましたが、楽しんでもらえたならとっても嬉しいですー!
次話は間章となりますので、引き続きお付き合い頂けると嬉しいです!!

また書籍第1巻の発売が1週間を切りました!
書籍の方でもお付き合い頂けたらとっても嬉しいです!
何卒これからも宜しくお願いいたします!



【書籍化に伴うリンク集】

〇 KADOKAWA公式サイトリンク

https://www.kadokawa.co.jp/product/322308000521/


〇 公式Twitter(X)

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