非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか? 作:色付きカルテ
ペシペシ。
「もしもし? 意識はありますか、あるなら返事が欲しかったりするんですけど」
「――――」
ペシペシペシ。
「あ、ダメなやつですか? もしかして今にも死んじゃう感じだったりしますか? うーん、どうしよう……向こう側も他の怪我人を助けるのに精一杯みたいだからこっちに手が回るのはだいぶ時間がかかりそう……怪我が酷かったらほんとに死んじゃうだろうし……」
「――――ぁ……ガッ……お前、は……」
ペシペシペシペシ。
「あっ、起きましたね? い、今貴方車の下敷きになってるんですよ。状態はどうですか? すぐにでも救助が必要だったりは……」
「……ああ、足が……折れてるな。あとは腕の感覚もおかしい……呼吸も変だ……。長くは持ちそうにない」
「ま、マジですか……? えっと、どどど、どうしよう……私じゃこういうのどうにもできないし……」
柿崎が目を醒ますと、視界一杯に見知らぬ少女の顔があった。
腹部に激痛を感じて見れば、下半身がパトカーの下敷きになっている。
記憶が混濁している。
自分が今どういう状況なのか分からずに、少女に問われるままに自分の状況を伝えるが、そのおかげで柿崎は冷静に今に至った経緯を思い出せた。
――――突然現れたあの男の事を思い出す。
宙に持ち上げた車両を何かしらの力で粉砕し、爆発を起こしながら、自分達に襲い掛かってきたあの犯罪者。
攻撃されたのは自分だけでは無い、周りにいた他の警察官達も危険な状態にあったはずだ。
「あいつはっ……他の奴らは無事なのかっ……!?」
「あ、はい。他の人は今警察官やらなにやらに救出されていますね。幸い死者は出てないみたいですよ、と言うかお兄さんが1番重傷っぽいです。少し距離があるので向こうの人達お兄さんに気が付いてないみたいですけど」
「そう、か……それは、安心した……」
「ちょ、ちょっと、安心ついでに気力を失わないでくださいほんとに死んじゃいますよ!?」
「君はうるせェ奴だな……」
「いつもはもっと物静かな美少女ですっ、と言うか、もう意識が朦朧としてるじゃないですか!?」
唐突に浮かび上がった複数台の車両が地面に叩き付けられ、大きな爆発を起こした。
とっさに近くにいたあの新人を飛んできた車両から逃がすために突き飛ばしたが、出来たのはそれだけだった。
全国警察最強と言われていても、出来たのはその程度。
車両に押しつぶされ、全身の痛みに意識が朦朧とする中で見たのは、倒れ伏す同僚達と火の海に変わったその場を悠々と歩く1人の男だ。
「――――そうだ……おい、君。あいつは、まだこの辺りにいるはずのあの男は危険だ……早くこの場を去るように救助している奴らにも言うんだ」
「え、いや、ダメですよ。お兄さんも救助してからこの場を離れるからもう少し時間は掛かります」
「駄目だっ……俺は置いていけっ……! 奴は、誰であろうと邪魔なら簡単に手に掛けるっ……この国に入ってきている事自体が最悪なんだっ……! 一般人の君にはこれ以上言えないが、ともかく危険な奴がまだこの場所にっ」
「ええ……そんなにやばい人がいるんですか? この近くに?」
怪我人が多くいる場所は今柿崎がいる場所から少し離れた場所だ。
助けを呼ぼうにも向こう側でさえ忙しそうで、まったくこちらには目も向けていない。
気が付かれないのが関の山だろう。
そんな状況に少女は困ったように眉尻を下げて、辺りを見渡した。
「ま、まあ、怖いですけどここには警察の人もいっぱいいますし、流石に……」
「その警察官が多くいる場所が襲撃されたんだっ……ああくそっ、良いかっ!? その男は国際指名手配されてる凶悪な犯罪者だっ! テロ行為も殺人も簡単に行うクソ野郎なんだよ!」
「そ、それなら余計お兄さんを放置できないじゃないですか」
「あのなァっ……!」
この少女は人の良い奴なんだろうが、もし自分の部下だったらひっぱたいているだろうな、なんて思いながら柿崎は声を荒らげる。
だがこの少女は、女子供は見ただけで腰を抜かすような柿崎の怒気を、視えないものかのように気にしない。
「大丈夫ですよ、きっとすぐに皆お兄さんを助けるために集まってくれます」
「……お前な」
「ほら、見てください。『たまたま』すぐそこの会社の人達が様子を見に来てくれましたよ」
「そんな、訳が……!!??」
柿崎はその光景に自分の目を疑った。
スーツ姿の、明らかに仕事途中と思われるような男達が不思議そうにあたりを見渡しながら真っ直ぐ柿崎の元へと向かってきている。
まるで何かに導かれるように、一直線へ自分達の元へと向かってくる社会人達に、少女は大きく手を振って助けてくれとアピールをした。
彼らはそんな少女の姿に気が付いたようで、駆け足で助けに来てくれる。
人手が増え、どうにか重しになっていた車を持ち上げることが可能だろう。
「ほら、意外と何とかなるものですよ」
「っ……ああ、俺も死にたい訳じゃなかったからな……幸運に感謝しないといけねェな」
「ええと、まあ、そうですね。きっと女神様が微笑んでくれたんですよ」
少女はそう言って、集まってきた男達に場所を譲り、柿崎が助けられる様を少しだけ見詰めてからその場を後にする。
男達に救急車の元へと運ばれる柿崎は、去っていく少女の背中に1度だけ視線を送って、限界を迎えたように意識を失った。
‐1‐
暗くなり始めた公園に設置されている街灯が次々に光を灯していく。
氷室区で起きている連続殺人事件は日夜を問わず様々な報道機関により周知されているため、外を好き好んで出歩こうだなんて考える人は少ないのだろう。
日が暮れ始めたばかりとは思えないほど、氷室区のどの通りも静まり返っていた。
けれど、そんな氷室区の状況とは反対に、とある公園の一角には数人の人が集まっていた。
ポタリ、と顎を伝った汗が地面に落ちた。
ギリギリの彼女を嘲笑うかのように、睨む先にいる男は相も変らぬ無表情でその場に突っ立っている。
「全然っ……効かないのはどういうことなんですかねぇっ……」
忌々しそうに歯を食いしばる飛鳥に対して、男は淡々としている。
「相性の差」
「相性ね……それじゃあ貴方の異能は一体何だって言うんですか?」
「答えるつもりはない」
「……でしょうねぇ!」
一瞬だけ、未知の力で木に叩き付けられて意識を飛ばしている神楽坂とその近くで怯えている相坂少年へと視線を向けて、飛鳥は声を上げる。
意表を突くように、死角である背後から最高速度まで加速させた五寸釘を男目掛けて飛来させたがそれすら男の数メートル手前で制止して動かなくなる。
しかし、その結果は飛鳥だって分っていた。
男の遥か頭上まで飛来させていたガラス片をそのまま自由落下させ、自分はパチンコ玉を正面に放り投げる。
パチンコ玉が飛鳥の正面で制止し、横回転が加わっていく。
徐々に加速していく回転速度はもはや甲高い金属音を響き出させ、パチンコ玉が変形する直前まで加速させたそれを、ガラス片が男へ着弾すると同時に発射する。
「“鉄散弾”」
正確無比、かつ、実際の銃弾以上の破壊力を持った砲弾が男に襲い掛かる。
男の各部急所を狙いすまし、実際に寸分違わず飛来した鉄の散弾は轟音と共に、男に着弾し、わずかに後ずさりさせることに成功する。
しかし、それだけだ。
全力を込めた異能の一撃が、この男には全く通用しない。
上からのガラス片も、背後からの鉄屑も、正面からの砲弾も、全て男に傷1つ負わせることが叶わない。
「……ほんと、鉄壁ですね貴方の異能、どんな原理なんですか」
「何度も言うが答えるつもりはない」
「答えを求めて言ったわけじゃないですよ。ただの愚痴です」
自身が今放てる最大の一撃があれだった。
だから、飛鳥はその結果を見てこの男を異能で制圧することを割とあっさり諦める。
無理なことはしない・やらない・諦め肝心な飛鳥は、降参の意思を示すようにポイッと手持ちのお手玉を全て地面に放り捨てた。
無防備な状態になった飛鳥に、男は攻撃を加える意思がないのか何もせず、それどころか早々に降参の意思を示してくれたことに感謝の言葉を述べてくる。
次いで男がしたのは、飛鳥への勧誘の言葉だった。
「俺と共に来い同類。間もなく俺達にとって住みやすい世界が出来上がる、その時それなりの旨味を貰えた方が良いだろう?」
「……訳わかんないんで説明してくれるんですよね? あの子供がこの連続殺人事件の一端を引き起こしていたことは分りましたけど、あの子供が関与していない殺人事件もありましたよね。……それ、貴方が起こしていたってことで間違いはないですか?」
「そうだ」
男は隠し立てなど一切せず、はっきりと飛鳥の疑問に肯定する。
不機嫌そうな様子を隠しもせず、飛鳥は髪を弄りながら不審そうに男に視線をやった。
「むやみやたらに住民を殺して回ったってことじゃないですか。そんな猟奇殺人犯と手を組むなんて正直あり得ないんですけど?」
「殺しに抵抗はない。だが、行為自体を好んでいる訳ではない。必要があったから俺は行動していただけだ」
「はぁ? 必要って……見境なく殺しまわることの必要性が全く分からないんですけど」
これまで発生していた氷室区の連続殺人事件は13件。
バラバラ殺人と圧殺殺人の2種類があって、暴走して相坂少年が碌に異能を扱えていなかったことから、彼が起こしたのは糸で力任せに引き裂くバラバラ殺人の方だけだった筈である。
13件のうち、3件がバラバラ殺人で、それらが相坂少年の異能の暴走だとすると、他10件はこの男が起こしていた筈だ。
10人もの無関係な人間に手を掛けることに必要性なんて、と考えた飛鳥に男が出した答えは淡白だった。
「――――その子供が事件を起こしたからだ」
「はあ?」
意味が分からず、飛鳥は呆れた声を出す。
だが、男の態度は全く変わらない。
「俺は異能が開花したその子供の回収任務を受けた。だが、住んでいる場所が分からず、居場所を突き止めるのに時間を掛けていたために子供の異能が暴走してしまった。この地域には“紫龍”を捕らえた人間がいる。このまま放置してしまえば子供が捕らえられるのは時間の問題だった」
「…………えっとぉ、それはつまり……警察が子供に辿り着くのを阻止するためにわざわざ似せた殺人事件を起こして、捜査を混乱させたってことですか……?」
「そうだ。俺も出来るなら波風立てることなく連れ帰るつもりだった」
「そんな事の為に、何の関係もない10名もの人間を……」
「問題ない、所詮何の才能もないくだらない奴らだった」
「……はぁ、そうですか」
自分の発言に何1つ間違いはないと思っているのか、眉すら動かさない。
そんな様子に嫌悪感を抱きながらも、飛鳥はどうしたものかと今後の方針を考える。
こんな奴の下に付くのは絶対にありえない。
だが、だからと言ってここで突っぱねれば実力的にかなりの差がある自分では神楽坂含め殺されるのが関の山だろう。
(正直に言えばこんな奴と会話すら続けたくないですけど、意味の分からない不可視の壁を何とかしない限り私達に勝ちの目もないし、逃げる事すらままならない……)
「あ、そうですかー。じゃあ、あの子供を回収したらもうこの国には用が無いってことで良いんですよね? しばらくは本部のある海外で力を蓄える感じで?」
「これからの方針は知らない。だが、この国だけ放置などはしないだろう。新たに異能を開花できる人材を集める、既存の異能持ちの協力を取り付ける。協力しない相手にはそれなりの対応を取る。これまで続けて来た方針だ。すでにいくつかの国では国家機関等にまで根を張ることに成功している。ここから破滅することは無い。安心するといい」
「じゃあ少し前にあった誘拐事件は、子供を集めていたのは異能を開花する技術を試すため、ですか。子供の家族に犯罪をやらせたのは、子供の居場所を無くすためですか? それとも、少しでもこの国の治安を悪くさせるためだったりしたんですか?」
「……これ以上は組織の仲間でない限り話せん。もういいだろう、判断材料は充分に渡した。その上で、どうする? 俺は別にどちらでもいい、やることは決まっているからな」
「そうですねぇ……」
(こんな国家的な陰謀に巻き込まれるつもりなんて毛頭なかったのになぁ……)
手を取るなら仲間として、断るなら攻撃を。
先の未来はどちらにしても、飛鳥にとって良いものでは無い。
飛鳥の思考はこの男に勝つことはすでに諦めており、どこまで切り捨てるかの方向に向かっている。
神楽坂やあの子供、どちらも見捨てて自分だけなら逃げるだけに執着すればきっと可能だろう。
どうするか頭を悩ませ、出した結論をどう伝えようかと重い口を開き掛けた所で、飛鳥よりも先に声を上げた者がいた。
「――――お前の仲間が……俺の家族をっ、俺に人殺しをさせたのかっ……!」
「……」
怒りに満ちた、怨嗟の声が上がる。
どれだけ大義名分があったとしても、それによって人生を弄ばれた被害者の怒りは収まる筈がない。
男達の悪意に生活をぐちゃぐちゃにされた相坂少年は、激高する。
「お前らがいなかったらっ……俺達はこんな目に遭わずに済んだのにっ……!! お前らさえ、いなければぁっ!!!」
「うるさい子供だ。連れ帰ったら声を出せない様にでもするか……いや、今するべきだな」
「子供の癇癪位でなにを言ってっ……!」
男の首目掛けて振るわれた少年の異能が、飛鳥の時と同様に途中で何かに阻まれ停止する。
制御はまだまだ出来ていないが、確実に男を狙った異能の糸に飛鳥は逡巡する。
ここで少年の加勢をするべきか、否か。
自分1人の異能ではどうあっても突破できない男の守りも、別種の異能2つなら可能ではないかと頭を過ったからだ。
「――――あぐっ!?」
だから、即座に相坂少年から悲鳴が上がったことに焦る。
ろくな予備動作もなく、不可視の力に首を締め上げられた少年の様はすでに完全に制圧されており、一瞬のうちに勝負がついてしまったことで加勢のタイミングを逃してしまう。
「相手の力も測れず攻撃を仕掛けるなど、短慮なことだ。与えられた力を暴走させることしか出来なかった身で一瞬でも俺に勝てると思ったのか?」
「ぐううぅぅ……!! お前らさえっ……お前らさえいなければっ……!!!」
「……感情任せ、子供らしく、これほど腹立たしいことは無いな」
相坂少年の元に歩み寄った男は、首を締め上げられてなお憎悪の籠った目で睨み暴れる様子を眺め、子供の腹部を殴打した。
「かはっ……」
「無力な子供、反吐が出る。お前がどう思おうと関係ない。我々は才の無い奴らがどれだけ犠牲になろうと知った事ではない。恨むなら自分の子供1人守れないお前の親でも恨むんだな」
「っっ……俺のお父さんと、お母さんはっ……! 悪くないっ……! 絶対に恨んだりしないっ! 俺の事を大好きって言ってくれるお父さんとお母さんをっ、俺は絶対に恨むもんかっ!!」
「つまらない癇癪、耳障りだ」
「っっ……」
なおも反抗する相坂少年にわずかに怒りを滲ませた男がもう1度、拳を振りかぶる。
助けに動けない飛鳥と相坂少年が振るわれようとする拳に目を瞑って――――横から振るわれた拳に交差させるようにして、男の顔に神楽坂の拳が突き刺さった。
頬にめり込んだ拳に、男は不快そうに眉をひそめる。
「痛い、か。随分感じなかった感覚だ。狙って振るった訳ではないだろうが……まさか異能を持たないお前の様な奴に」
「お前のような奴が多くの人を傷付けていたと思うと反吐が出るっ……!」
先ほどの異能によって出血したのか、頭から血を流す神楽坂は溶岩のように怒りに燃え滾った声で言い放つ。
決して軽傷などではない、血によって服は真っ赤に染まり、振り抜いた拳の威力も万全の時よりもずっと弱いだろう。
「称賛する。だが、その無謀の対価は払ってもらう」
「っ……!!」
ぞわり、と周囲の空気が一変したのが肌で分かる。
神楽坂も、相坂少年も、離れた場所にいた飛鳥でさえ、周囲を目に見えない何かが取り囲んでいることに気が付いた。
咄嗟に神楽坂が行ったのは、自身の滴る血を周囲に散らすこと。
見えなくともそこにあるのなら、と咄嗟に考えてのその行為で炙り出されたのは、真っ赤な血によって判明したその形だ。
いくつにも及ぶ『手』の形をした何かが神楽坂達を取り囲んでいる状況。
「ひぃっ!?」
「手……?」
「“見えざる第3の手”って奴かよっ……数は第3どころじゃないようだがなっ……!!」
「――――なるほど、そんな解明のされ方があったとは。勉強になった」
宙に漂う『手』はそれぞれが意思を持つように動き回っており、そして飛鳥の弾丸を止めていたのは見えない『手』が掴み取ったと言うこと。
異能の詳細を解明された男は、神楽坂の閃きに心底感心したように呟いた。
「タネが割れてしまったならば、取り繕う必要もない」
「っっ……先輩っ、デカいのが来ますっ!!」
回避をっ、そう言うと同時に、飛鳥は相坂少年に自分の異能を発動させ、自分のいる場所へと彼を引き寄せる。
息を呑み、即座に回避行動へと移った神楽坂のいた場所が砕け散る。
神楽坂の血で形が判明したいくつかの『手』以外による攻撃は、まったく目で捉えることは叶わない。
だがこの威力、アスファルトを砕いた異能の力は一撃受けただけで即死ものだ。
「死ぬ前に知ると良い、俺の異能は“千手戦仏”。千にも及ぶ不可視の『手腕』は人など容易にねじ切る。捉えられぬ死神の鎌をどのように捌くのか、拝見させてもらおうか」
周囲にあったいくつもの木が、捩じり折られ浮かび上がる。
豪速で振るわれた木の大振りを回避できずまともに直撃した神楽坂は、嘘のように体を吹き飛ばされ地面に転がった。
直後、神楽坂が見えない力で進行方向を捻じ曲げられると同時に、それまで向かうはずだった方向の地面が見えない『手』によって破壊される。
「っ……先輩無理ですっ! 私じゃ正確な攻撃場所が分かりませんっ!! 次は成功するか分かりません!! このまま綱渡りを続けるのは無理です!!!」
「馬鹿野郎っ……! 無理だと思うなら手を貸さないで保身だけしてろっ……! 俺のことは置いて逃げてもいいっ!!」
「そんなの……!」
「――――そうだな。最後の問いだ女、即座に答えろ。俺と共に来るか、その男と共に死ぬか」
「…………貴方と一緒に行くのは死んでもごめんです」
「そうか、なら死ね」
はっきりとそう言い切った飛鳥に、神楽坂は驚愕を隠せず目を見開き、男はくだらないものを見たかのようにそんな言葉を言い捨てた。
そうして国際指名手配の凶悪犯が本気で神楽坂達に牙を剥いた。
幾百の人間を屠ってきた、本物の人殺しがその技術と凶悪な異能を武器に襲い掛かってきたのだ。
――――だからその後の顛末は、どうあっても変わらない。
神楽坂の高い身体能力も、飛鳥の“飛行”の異能も、相坂少年の“糸”の異能も。
何1つとして男には通用しない。
“千手戦仏”と言う馬鹿げた異能の圧倒的な破壊力と、その名の通り1000にも及ぶ不可視の『手』による全方位への攻防。
どんな手を講じても、赤子の手を捻るように全てを無力化された。
ただ蹂躙されるだけの時間はほんの数分にも満たず、気が付けば凶悪犯である男以外に立てる者はいなくなる。
どれだけ正義を主張しようとも、この場における勝者はただ1人だった。
もう誰も動けない。
足が潰され、腕は折れ曲がり、血にまみれて倒れ伏す神楽坂達は僅かな呼吸を繰り返すばかりだ。
放置されれば死ぬだけの彼らの様子に満足したのか、男は組んでいた腕を解き倒れる彼らの元へと歩み寄る。
「……死体でも異能持ちなら研究には使えるだろう。鮮度の問題もある、可能な限り生かして運ぶべきだな。あとは要らないこの男だが……」
「かひゅー……ひゅー……おまえは゛、じごくにおち゛ろ……」
「口先だけだ、お前は」
神楽坂の髪を掴み持ち上げた男は、血を吐きながら声を発する神楽坂を嘲笑う。
「何もできない、何も成せない。才能も力も頭も足りない。非情になることもできず、味方を切り捨て実を取ることもしない。それで最後はお前を慕うものと共倒れ、滑稽だろう?」
「……おま、え゛」
「そういえば先ほどお前は俺に言ったな。お前の様な奴が多くの人を傷付けていたと思うと反吐が出る、と。しかし結果はどうだ、俺はやりたいことを全てやれた、お前は全てを失った。神はどうやら俺を裁くつもりはないようだが、反対にお前の考えは周りを傷付けるだけだった。無意味で無価値で、傍迷惑なのはどうやらお前だったらしい」
「…………」
「お前の正義がこいつらを殺したんだ、良かったな」
ポキリと、神楽坂の何かが折れた。
この男の言葉はほんの少しも正しいなんて思わないけれど、自分が引き起こした現実は何1つ否定できなかった。
倒れる守るべき後輩の飛鳥も、救うべき子供の相坂少年も、血を流してもう動かない。
『上矢っ! 飯食いに行くぞ! お前と妹の関係を洗いざらい吐いてもらうからな!!』
笑う先輩の顔が頭を過る。
『上矢……あんまり危ないことはしないでね。お兄さん、強引だから……辛かったらすぐに言ってね』
案じてくれる愛する人が頭を過る。
その2人はもういない。
自分を置いていってしまった。
冷たい部屋で首を吊った先輩も、もう目を醒ますことは無いと言われずっと病室で眠る恋人も、それを引き起こしたのは間違いなく自分の行動で。
神楽坂上矢の行動は、いつも向う見ずで、望んだ結果なんて出せなくて、誰かを犠牲に自分だけが生き延びる。
「う゛……あ゛あ゛あ゛っ……!」
髪を掴む男に噛み付こうとした神楽坂は、視えない『手』に殴り飛ばされ地面を転がった。
「お前がどんな人生を送ってきたかは知らないが、さぞかし周りは迷惑して、誰もがつまらないものだっただろう」
くだらない正義、傍迷惑な善性、だからつまらない人生なんだ。
それだけ言って、男は蹲った神楽坂目掛けて、石像すら容易く破壊するいくつもの『手』を構えた。
そうして自分目掛けて振り下ろされる不可視の『死』を、神楽坂はぼんやりと理解して。
――――疲れてしまったように、笑って空を見上げた。
「か、ぐら゛ざか、せんぱいっ……!!」
飛鳥が最後の異能を発動させる。
自分1人、最後に逃げられるようにと残していた、最後の最後の余力を使って、神楽坂の体を公園の外へと飛行させた。
鼻先を掠めた『死』から遠ざかっていくことが理解できず、神楽坂へ手を向けて口から血を流す後輩の姿を吹き飛ばされながら呆然と見る。
自分でも自分の行動が理解できないのか、飛鳥は目を丸くして自分の伸ばした手をまじまじと見つめた。
そして。
「……せんぱい、いきてくださいね」
眉を下げて困ったように笑い、そうやって口だけ動かした後輩の姿に神楽坂は絶叫した。
また、まただ。
また俺だけ生き残る。
誰かを犠牲にして、誰かを置いて、誰かに置いて行かれる。
全部自分の無力で、全部自分が引き起こして、全部失って。
そうしてまた、神楽坂上矢は1人になった。
「――――神楽坂さん、どうして泣いているんですか?」
「……な、んで……」
冷たい路上で倒れている神楽坂の元に、佐取燐香が傍にいた。