非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?   作:色付きカルテ

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今回の話は普段よりも長いので、ご注意ください。


黒い過去の清算を

 

 

「“千手”に“紫龍”に、その人は“転移”の異能持ちですか。随分優秀な異能持ちで固めましたね。おまけに後ろの建物には1000人くらいの洗脳された方々がいる訳で……まったくフェアじゃない状況に笑えて来ます」

 

 

 

 

 

佐取燐香は現状を俯瞰し、努めて冷静に状況を理解する。

 

 

 

東京拘置所の広い敷地内。

 

起伏が少ない平野で視野は良好。

 

お互いに何か障害物を利用して視界外に動くのは不可能だ。

 

こうなってくると単純な出力の強弱は強みになりえない。

 

高出力の異能を使える最大の利点が、異能が及ぼせる効果範囲の大きさ。

 

その明確な違いが出てくるのが、人の感覚で最も遠くのものを認識する能力である『視覚』に影響されるかどうかだからだ。

 

視界外のものに干渉できるか、そうでないか。つまり、本来人間に備わる認識する力、以上のものを異能と言う第六感で発揮できるかは、現代社会においては異能持ちとしての格付けそのものに影響を及ぼしてくる。

 

いくら強力な異能を有していても、攻撃できない距離から一方的に攻撃されれば、なす術はないのだ。

 

 

 

そして、それこそが佐取燐香にとっての武器の1つ。

 

自身を中心とした半径500mの球状範囲内であれば無条件に異能で干渉できると言う、遠距離攻撃が出来る強みが、この場所でこうして向かい合った時点で失われるということを意味していた。

 

 

 

数的不利もそうだ。

 

少し確認しただけでも“千手”、“紫龍”、そしてICPOの職員2人の他にも、“白き神”に洗脳されている者は1000人近くいるのが分かる。

 

それに対してこちらの戦力と数えられるのは、軽くない負傷をしたICPOの褐色の男に、万全の状態ではない“浮遊する”力を持った飛禅飛鳥に、自分の3人。

 

3対1000。

 

判断基準を都合よく緩めて異能持ちだけで数えたとしても、3対3となるのだから、どちらが不利かなんて考えるまでも無い。

 

 

 

相手は1つの意思によって、連携できるのにこちらは急造のチームとも言えないような3人組。

 

思惑や目的が違いすぎて、まともに信頼も意思伝達も出来ない。

 

状況としては、あり得ない程に悪いのだろう。

 

 

 

佐取燐香は、現状をそう判断する。

 

そして、その上で、自分と同じ現状認識を“白き神”がしているのを視て、佐取燐香はこう結論付ける。

 

 

 

 

 

「――――まあ、私が勝ちますけど」

 

 

 

 

 

どう考えたってあり得ない様な宣戦布告に、精神的に我慢の限界を迎えていた“白き神”の全力の攻撃が開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に動いたのは“紫龍”と“千手”だ。

 

“紫龍”は溜め込んだガラクタを煙から射出するノーリスクの遠距離攻撃が可能であり、“千手”については視界内であれば、不壊かつ不可視の手をいくらでも伸ばせるその異能は現状において無類の強さを誇る。

 

それを正しく理解している“白き神”は、時間経過が命取りとなりえる精神干渉系統の異能を持つ燐香を真っ先に潰そうと、“紫龍”のガラクタの射出を隠れ蓑とした“千手”による無数の手による攻撃を開始させた。

 

 

 

全方位から襲い掛かる可視の鉄屑の凶器と不可視の手。

 

攻撃が始まった事すら気が付かずに、バラバラにされることだってあり得る筈のその攻撃に対する燐香の解答は簡単だ。

 

 

 

 

 

(2人とも聞こえていますね? これの対処は私に任せてください)

 

(!?)

 

(なんだっ? 頭の中に声が……?)

 

 

 

 

 

あらかじめ距離感覚を狂わせていた“紫龍”の鉄屑の射出は見当違いの方向へ飛び、“千手”の不可視の手は一番最初に接触するものを裏拳の要領で消し飛ばした。

 

 

 

 

 

「――――ぉ、おあ゛あ゛ああああっっ!!??」

 

「……は? なっ、何をしたお前!?」

 

 

 

 

 

“紫龍”の鉄屑が、地面を耕すだけに終わり、“千手”の『手』は一瞬の拮抗すらなく削り取られた。

 

差し向けていた他の多数の『手』も消して突然、身を捩るようにして絶叫した“千手”に、驚愕する“白き神”がそう叫ぶが燐香は何も言わないまま、指を鳴らす体勢に入る。

 

 

 

 

 

(音の増幅をお願いします)

 

 

 

『!!??』

 

 

 

 

 

ブレインシェイカ―。

 

音の大きさによって乗せられる異能の量も変わってくるその技術は、“音”を操るアブサントが加わると、尋常ではない効果を発揮する。

 

 

 

轟音と呼べるほどまで増幅された指を鳴らす音に、乗せられた異能は、燐香が過去に“千手”に対して暴発させたものよりもずっと強大だ。

 

 

 

音速で飛来した、景色すら歪ませる異能の出力に咄嗟に“転移”できたのは幸運だった。

 

寸でのところで回避に成功した“白き神”は、両手で掴んだ“千手”と“紫龍”の無事を確認した後、運びきれなかったルシアだけでなく背後にいた手駒とした者達の内、およそ数百人が完全に意識を失い倒れている事に気が付く。

 

 

 

 

 

「ば……どんな威力だよ……」

 

 

 

 

 

建物の中の、音が届きにくい場所にいる者達こそ無事だったが、それ以外の者達は洗脳すら解けて意識を飛ばしてしまっている。

 

 

 

個人差のある異能の出力によって、現実に干渉できる幅に大きな差異があるのは“白き神”も知っているが、それにしたってこれは桁外れだ。

 

音を介した“精神干渉”の異能と、“音”を司る異能が及ぼす相乗効果に、“白き神”は冷や汗が流れるのを自覚する。

 

 

 

異能と異能の効果を組み合わせるなんて、試してみようとも思わなかった。

 

 

 

 

 

「重量5㎏、速度時速975㎞、装填完了、照準」

 

 

 

(飛禅さん、2発続けて撃って下さい。狙うは“転移”の人、“白き神”の人格本体。1発は今いる場所を、次は……奴らが今いる場所から5歩右の場所です)

 

 

 

「――――アンタの性格はともかく、実力は認めてる。従うわ」

 

 

 

 

 

浮かび上がった5㎏分の鋼球に回転が加えられながら、空中で制止し指示を待つ。

 

さながら弾倉に込められた銃弾を撃ち出すように、張りつめたトリガーを引くように、飛鳥は“白き神”達を見据え、手を向けた。

 

 

 

 

 

「発射」

 

「……!?」

 

 

 

 

 

この世に強力な銃は数あれど、5㎏の弾丸を時速1000㎞に近い速さで撃ち出せる銃は無い。

 

それも、正確に照準を定めて連射出来るなんて、今の科学技術では不可能に近いだろう。

 

 

 

 

 

――――それを可能とする飛鳥の異能『飛翔加速』は、現在の科学力の数歩先を行く。

 

 

 

 

 

高速で飛来する鋼球が、速度をそのままに一度膨らむ様に拡散し、別々の方向から再び収束するように“白き神”目掛けて撃ち込まれたのを、恐らく“白き神”は視認すらできなかっただろう。

 

 

 

それでも、最強の回避行動である瞬間移動があれば、どれだけ強力な一撃であろうとどうとでもなると“白き神”は考えていたのだ。

 

碌に考えることもせず“転移”によって回避に走った“白き神”の顔の横を、高速で飛来した鋼球が通過するまでは。

 

 

 

 

 

「…………え? なんで、転移したのに……」

 

 

 

「チッ……もうちょっと右ね、悪いわね外したわ」

 

「まあ、平地の中の位置を言葉で伝えるのは無理がありましたから」

 

『待て、あれが当たったら確実にアイツ死ぬんだが……髭面には嫌な記憶しかないが……、一応同じ組織の……いや、緊急時だ。そうも言ってられない、遠慮なくやってくれ』

 

「なんて言ってるのか分からないけど、なんか酷い事言ってそうねアンタ」

 

 

 

 

 

先ほどまで“白き神”は目の前の3人を叩き潰すことなど簡単だろうと思っていた。

 

自分を襲っていたあの怪物、“顔の無い巨人”に比べて、あまりに矮小に見えていた3人の異能持ちだった。

 

だが、こうして自分が追い詰められているのを肌で実感すると、途端に不気味に見えてくる。

 

 

 

個々の異能は大したことが無い……筈だ。

 

“千手”にも”紫龍”にも、“転移”にも、自分の『認智暴蝕』にも、及びもつかない異能の数々の筈だ。

 

出力だって、自分と同じ精神干渉系統の異能を持つ少女が少しだけ秀でているだけで、大したことが無い筈なのに。

 

 

 

なのに……なぜ。

 

そんな風に、“白き神”の頭の中は自問自答を繰り返し混乱する。

 

 

 

 

 

「なんなんだよ……お前ら……、ぼ、僕は世界最悪の異能持ちだぞっ……最強の異能を持つ人間なんだ! なんでっ、こんなっ……!!」

 

 

 

 

 

想定外すぎる状況に錯乱する“白き神”。

 

そのうろたえぶりを見た飛鳥は、1人眉をひそめた。

 

 

 

 

 

(……どうやってるか知らないけど聞こえてるんでしょ? 本当にコイツが“顔の無い巨人”なの? 何だか……私が想像していたのと、違いがあるんだけど)

 

(こっちでは言語の壁が無く意味が伝わるのか? なんだ? これは君の異能なのか? こんな種類の異能が…………ああ、奴は“白き神”ではあるが“顔の無い巨人”ではないようだ、先ほど奴に姿が見えない何者かが襲い掛かった時、奴が“顔の無い巨人”なのかと誰何(すいか)していた。奴は人を惑わせるのを好んでいるから、確定した情報ではないが……)

 

(………………一応、試してみるわ)

 

 

 

 

 

落胆したような、ホッとしたような、なんだか複雑そうな顔をした飛鳥さんが、動揺を抑えきれていない“白き神”に問いかける。

 

 

 

 

 

「久しぶりね、私のことは覚えている?」

 

「……会った事あったか?」

 

「もう数年前の話よ、閑散とした村の中からむりやり私を連れ出してくれたでしょう?」

 

「ああ、そういえばそうだった。異能の力を持っていたから、無理やり何もない村から連れ出してやったな。それがどうした、今更僕に感謝したいとでもいうのか?」

 

 

 

(…………こいつは、あの人じゃない……)

 

 

 

 

 

飛鳥が、嘘ではないが真実から離れた内容を話すと、疑うそぶりも無くそれに乗って来た。

 

明らかに自分が再会したいと思っている人間ではないことを確認した飛鳥は、無理を押してここまで来た自分の目的が果たせなくなった事を理解する。

 

 

 

萎む様に、元気がなくなっていった飛鳥に、燐香が慰めるように声を掛けた。

 

 

 

 

 

「……飛禅さん、気を落とさないでください」

 

「気なんて落としてないわ。元々そんなに期待なんてしてなかったし、コイツの人間性を見ればどう見たって、あの人じゃないって分かってたし」

 

「めっちゃ気にしてるじゃないですか」

 

 

 

 

 

やかましい、と言って燐香の頭を小突いた飛鳥は、もう一度気を引き締め直す。

 

目的の人とは会えなかったけれど、目の前にいる“白き神”とやらを許していけないのは良く分かっている。

 

例え、以前“千手”になす術も無くやられた自分でも役に立てるなら、と燐香に次の指示を求めた。

 

 

 

 

 

「……なんだ? 僕に聞きたいことはもう終わりか? 再会したんだ、積もる話もあるだろう? なんでも聞いてくれ、お互いの誤解を解くことが出来れば僕達はきっともっといい関係を築ける筈だから」

 

「ああ、もう良いの。人違いだったわ。もう話し掛けないで頂戴」

 

「……この糞アマっ……!」

 

 

 

(お得意の自己紹介による洗脳が来ます。イケメンさん、音の防護をお願いします)

 

(アブサントと呼んでくれ。音の防護は任せろ)

 

 

 

「なんなんだよ、お前ら……俺はっ、“白き神”だぞ! 世界を支配する最強の異能持ち、白崎天満だぞ!!」

 

 

 

 

 

しっかりと音の防護を施されたようで、口を動かしている“白き神”の言葉は何も聞こえない。

 

一瞬でも隙が出来ればいいと思ったのか、その直後“紫龍”と“千手”が同時攻撃の体勢に入る。

 

 

 

 

 

「芸が無い」

 

 

 

 

 

“紫龍”と“千手”は本人格を介さない簡単な洗脳を受けている。

 

“白き神”の情報を取り込んだことによる洗脳。

 

状況としては、車を特攻させてきた時と同じだ。

 

 

 

つまり燐香であれば、1秒もあれば指示の上書きくらい簡単に出来る。

 

 

 

 

 

「おごっ……!!??」

 

 

 

 

 

煙から射出された鉄材と不可視の手が、“白き神”の両脇腹に突き刺さった。

 

受け身も取れずに、地面を数回跳ねて、ゴロゴロと地面を転がった“白き神”は状況が理解できないまま、目を白黒させる。

 

 

 

自らが行った攻撃に戸惑いつつも、慌てて“白き神”を守るように動いた“紫龍”と“千手”は完全に洗脳が解けている訳ではない。

 

燐香が行ったのはあくまで、一時的な強制でしかない。

 

 

 

 

 

(くそっなんなんだ!? 裏切り? 洗脳が解けた? いや、異能は発動している……まさか洗脳を一時的に上書きされたのか!? もっと異能を強くして、こいつらの制御が奪われないようにしないと――――)

 

 

 

 

 

景色が歪むほどの轟音の異能が、今度はまともに“白き神”達に直撃した。

 

咄嗟に、“千手”が盾にした不可視の手も“紫龍”による煙の逃亡も関係ない。

 

 

 

抵抗すら許されず、“白き神”達は意識を吹っ飛ばされた。

 

 

 

 

 

「止めの一撃はサトラせないやり方で。……当たったら一撃だって分かってたくせに、警戒しないなんてお粗末ですね」

 

 

 

 

 

指を鳴らした体勢で燐香はそう言った。

 

佐取燐香の“ブレインシェイカー”は連発可能な、いわゆる軽打だ。

 

手さえ動かせれば即座に放てるそれは、常に警戒しておかないと避けることは不可能に近い。

 

 

 

 

 

“白き神”が意識を失った瞬間、先ほどまで飛び交っていた喧騒の数々が終わる。

 

千人規模の“白き神”の駒達と、トップレベルの危険度を誇った異能持ち達はそれまでの動きを停止させ、ピクリとも動かなくなった。

 

 

 

ここで起きていた異能持ち同士の戦争が終わりを告げたのだ。

 

 

 

 

 

「……勝ったの? こんなにも呆気なく? ……本当にコイツ世界を股に掛けてる大犯罪者?」

 

『……他の洗脳されている者達も動かない、実感は沸かないが、これで終わったのか。……ルシアお嬢様も無事。何の被害も無かったとは言い難いが、これ以上ないくらい上出来だろう……』

 

 

 

 

 

飛鳥とアブサントは勝利の余韻すら上手く感じられずにいた。

 

 

 

白目を剥いて、仰向けに倒れ伏した“白き神”達は動かない。

 

最後の抵抗も、悲鳴も、命乞いの言葉すらなく、完全に動きを止めて意識を失った彼らの姿は酷く現実味が無い。

 

 

 

これまで世界で起きていた騒乱。

 

その首謀者が迎えた最後が、あまりに呆気ない。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

燐香は動揺する2人には答えず、黙ったまま倒れていたルシアの頭に触れて、異能を使い、未だ彼女に施されていた洗脳を解除した。

 

 

 

 

 

「……寄生型の精神干渉は、異能の使用者が意識を失おうが効果を継続させることが出来るんですね。……そうなると、一般人はともかく“白き神”にとって特別な駒である彼らには同様の措置が取られていて――――」

 

 

 

 

 

そう言って燐香は、立ち上がった“紫龍”と“千手”に視線をやった。

 

 

 

 

 

「――――あらかじめ行動を設定して、意識の有無に関係なく動かす、と」

 

 

 

 

 

彼らの手に持っているのは、いつか見た小瓶。

 

これまで関わって来た一連の事件の犯人が持っていたそれは、飛躍的に異能の出力を上昇させる異常な物。

 

 

 

明らかに意識が無い状態でなお動き出した彼らの姿はおよそ生者には見えず、彼らが何かを呑み込むのを止める術を、燐香達は持っていなかった。

 

 

 

 

 

いつか見た、この世に存在しない性質を持つ鈍い色の煙と可視化した巨神の腕が顕現した。

 

 

 

 

 

躊躇も、問答も無い。あるのは指令に従って行われる殺戮行動だ。

 

 

 

次の瞬間には、出現したその2つの異能が燐香達目掛けて振るわれる。

 

 

 

反応できたのは、燐香だけだった。

 

 

 

 

 

回らせ、巡らせ、刃のように。

 

飛び出した燐香が両手に回すのは、触れるだけで他人を廃人に出来る超高出力の異能だ。

 

両手に回された異能の刃が、正面から飛来した2つの異能を止めるために突き出され、凶悪な2つの異能を引き裂いたものの、それでもなお尋常ではない出力を持つそれらを完全に削り取ることが出来ず、燐香の小さな体は地面を削りながら後退させられた。

 

 

 

 

 

「あ、アンタ大丈夫なのっ……!?」

 

「下がっていてっ!!!」

 

 

 

 

 

通常では使わない、両手への超高出力の異能の行使は当然かなりの負担が強いられる。

 

息が切れ、肩で呼吸をして、鼻からは血が流れだした燐香の姿に、慌てた飛鳥が駆け寄ろうとするが、燐香は声を荒げてそれを制止した。

 

 

 

次の猛攻が繰り出される。

 

 

 

異能を削り裂かれた激痛など感じないかのように、“紫龍”は巨大な槌の様な鉛色の煙を腕に纏わせ、“千手”はあらん限りの巨神の腕を顕現させた。

 

そのまま追撃を始めようとした“紫龍”と“千手”だったが、即座に燐香が彼らの認識にズレを発生させ、異能を向ける先を変更させる。

 

 

 

――――振り下ろされた異能が、大地を割った。

 

その場に何があったとしても、無事では済まないような惨状に、飛鳥とアブサントは血の気を無くす。

 

 

 

ほんの数瞬のやり取りだったが、燐香のその行動により覆り掛けた戦況がギリギリで膠着状態に入った。

 

 

 

だが、その代償は大きかった。

 

 

 

 

 

「お、おえぇっ……」

 

 

 

 

 

血の混じった胃液が逆流した。

 

何とか異能を継続させる燐香だが、もはやまともに立っていられず膝を突いて地面に座り込む。

 

 

 

慌てて駆け寄った飛鳥が支えた燐香の体は、かなりの熱を持っている。

 

到底健康な人の体が持つ熱量ではないそれに、飛鳥は目を見開いた。

 

 

 

 

 

「っっ……これ、アンタ……」

 

 

 

 

 

息を呑む。

 

ぽたぽたと顎を伝った血が地面を赤く濡らしているのを見て、焦りが産まれる。

 

明らかにオーバーヒート状態、限界以上の異能を使いすぎて体に異変が起きている。

 

外から触っただけでもこれほど異常があるのだ、恐らく燐香が感じている体の異変はそれだけではないだろう。

 

 

 

でも。

 

 

 

 

 

「あー……きついですってもうっ、こんなのっ……! ソウルシュレッダーはこんな使い方するものじゃないし、認識誘導は本来もっとゆっくり浸透させるものなんです……ほいほいこんなの連発させてっ! ふざけやがってぇ!! 絶対に許さないっ!!!」

 

「げ、元気ね……そんな騒いで本当に大丈夫なの?」

 

 

 

 

 

顔を上げた燐香が怒りのまま吠えたのを見て、取り合えず……安心した。

 

気力が全くないよりも、怒りを発露させられているならまだ最悪には至っていない。

 

 

 

燐香が居なければ、そもそも“白き神”達に太刀打ちするのだって難しい。

 

そう考えてしまった自分に、飛鳥は怒りを覚え歯を食いしばる。

 

 

 

 

 

(あらためて考えると、私も大概不甲斐ないわね。こんなんじゃ、異能を持ってない人と変わりないじゃない……)

 

 

 

「うぅ……言っときますけど、急造の組み合わせで、前を張る人がいないから無理を押して私が前に出てるんです。分かってます? 相性の問題です、変に気負われてグチグチされるとそっちまで気を回さなくちゃいけなくなるので、そう言う思考は止めてください」

 

「……人の思考を勝手に読むな」

 

「イタイ!?」

 

 

 

 

 

恥ずかしさを紛らわせるように、軽く燐香の頭を叩いて、前を見る。

 

ソウルシュレッダーと言う名の技術によって、異能を削り取られた“千手”達は無理やり動かされているにしても何度も連続して異能を使えないのか、いくつかの追撃の後はその攻撃の手を緩めている。

 

 

 

良く見れば彼らの呼吸も荒々しく、普通ではない。

 

疲労以外の別のところでも限界を迎えてきているのが見て取れる。

 

燐香が倒れるのが先か、“千手”達が限界を迎えるのが先か、傍目にはどう転ぶか全く分からなかった。

 

 

 

 

 

「……アンタはもう、奴らに掛けた異能を切って、寝てなさい」

 

「は? 何言ってるんですか飛禅さん、私がいなかったら勝負になる訳ないじゃないですか」

 

「アンタはいちいち腹立つわね。良いから寝てなさい。私にだってね、プライドがあんのよ」

 

 

 

 

 

明らかに体調が悪そうな癖に口の減らない燐香を寝かせて、飛鳥は立ち上がった。

 

 

 

そうだ、プライドがある。

 

まだ学生の燐香に負担を押し付けて、自分がのうのうと安全を享受するなんて、飛鳥の矜持が許さない。

 

 

 

勝算なんてない。

 

そもそも“千手”なんて、少し前に自分ではどうしようもないと思い知らされたばかりの相手だ。

 

それが他の異能と連携して攻撃してくるなんて、“浮遊”させるだけの異能しか持っていない飛鳥が、どうにかできるような次元を超えている。

 

 

 

そんなこと、飛鳥だってとっくに分かっていた。

 

 

 

 

 

「……いや、本当に死んじゃいますよ? 分かってます? 私が彼らに掛けた誘導を解いたら、飛禅さん本当に死んじゃいます」

 

「ふん……私に家族なんていないし、特別親しい人もいない。アンタよりもずっと身軽なの。それに、アンタは私に色々嫌な思いさせられてきたんだし、別に気にするようなことでもないでしょう?」

 

「でも…………飛禅さん、会いたい人がいるんですよね?」

 

「……」

 

 

 

 

 

燐香にそんなことを言われ、自分を救いだした顔も見えなかったその人の事を思い出す。

 

 

 

 

 

【異能と言う超常現象は本来人間が持っているとは思わなかったもの。ならその限界がどこまでかなんて誰にも分からない】

 

 

 

 

 

あの人が言っていたことは、今なお一字一句明瞭に思い出せる。

 

 

 

 

 

【異能は人それぞれ違いがあって、それぞれの出来ることが違う。なら、きっと異能の限界を決められるのはその人自身だけ。私が見た限り、貴方の異能はまだ、自分の作った檻に閉じ込められている】

 

 

 

 

 

そうだ、私が飛べるのはこんなものじゃない。

 

もっと高く、もっと大きく、もっと強く、もっと、飛べるはず――――なのに……。

 

 

 

歯を食いしばり、そう思考を巡らすものの、どれだけ思い込もうとしたところで、正面に立つ2人の凶悪な異能持ちに勝てる光景が一切見えてこない。

 

自分の物を飛ばすだけの異能がどんなに強くなったところで、奴らに勝つことが出来るとは到底思えなかった。

 

 

 

 

 

(……貴方が信じてくれた私を、何時まで経っても私は信じ切ることが出来ないのね)

 

 

 

 

 

息継ぎが終わったのか、“千手”達が大きく動き出す。

 

巨大な腕と鈍い色の煙が空を覆い尽くし、ゾッとするほど強大な異能の出力があたりに満ち始めた。

 

認識をズラされて、攻撃が直撃していないことに気が付いたのだろう、まとめて周囲を薙ぎ払う方向へ転換したようだった。

 

 

 

これまでとは比にならない彼らの出力は、おおよそ個人が出せる異能の限界を超えている。

 

 

 

 

 

(私は結局、貴方が言うように上手くは飛べなかった。下手くそで、不器用で、惨めな飛び方しかできなかったけど……)

 

 

 

 

 

飛鳥はしっかりと足で地面を踏みしめて、彼らの前に立つ。

 

 

 

 

 

(――――ここが私の最後になっても、貴方に顔向けできないような生き方だけは絶対にしたくない)

 

 

 

「違いますよ飛禅さん」

 

 

 

 

 

異能を発動させようとしていた飛鳥の肩に小さななにかが飛び付いた。

 

それが燐香だと気が付いて、何をするんだと、振り払おうとした飛鳥の横をアブサントが駆け抜ける。

 

 

 

 

 

『せいぜい1分程度だ』

 

「認識はズラしたままにしてあります。すいません、お願いします」

 

 

 

 

 

“千手”と“紫龍”に肉薄し、同時にその2人を相手取り始めたアブサントを見て、混乱する飛鳥に燐香は囁く。

 

 

 

 

 

「なにをっ……! なんで邪魔をするの!?」

 

「良いですか。悲壮な決意とか、あの人が言っていたからとか、そういうのじゃないんです。本当に自分を信じて、自分の能力はもっと上なんだと思い込むことが大切なんです。異能が強い人達って、どいつもこいつも独善的でしょう?」

 

「アンタッ……また人の思考を勝手にっ……!」

 

「良いから聞いてくださいって。飛禅さんは根暗です、猫被って他人に対応していたり、私に対して必要以上に攻撃的に接したり、どこか他人と距離を取って絶対に自分の心の内側に人を入れない様に必死になったりしています。それは、過去の虐げられた経験が、大切な人が飛禅さんを置いていった経験が、自分への自信を喪失させたからです」

 

「っ…………!?」

 

 

 

 

 

燐香に言われた言葉に思わず息が詰まった。

 

自分の心を自分が理解しているなんてことは無い。

 

だから、燐香が指摘したそれは、思いもしていなかった飛鳥の心の内だ。

 

 

 

 

 

「飛禅さん、貴方はきっと自分を信じられないんでしょう。過去の経験と言う鎖が貴方の羽を、強く縛り付けている。だからずっと自分の道も見つけられないで、自分を置いていった薄情な奴を追いかけ続けている」

 

「…………」

 

 

 

 

 

そうなのだろう。

 

そんな風に心の中で、燐香の言葉を肯定した。

 

冷たい牢の中に入れられた時も、あの人が自分を置いていった時も、自分が何か悪かったんだと思った。

 

 

 

施設で何をやっても満たされなくて、何もやりたいことが見つからなくて、結局自分に残っていたのは、救ってくれたあの人への執着だけ。

 

 

 

 

 

「知ったようなことを、言わないで……」

 

 

 

 

 

だからこんな道に進んだ。

 

だからこうして迷い続けている。

 

だからこんな風に何も変えられない。

 

 

 

だってそうだろう。

 

誰も手を引いてくれなくて、自分の足も信じられない人間は、どうやって先に進めばいい?

 

ずっと分からないままだった。

 

 

 

 

 

「……私だって、どうすればいいか分からないのに……何も知らないアンタが、知ったようなこと言わないでよ」

 

「……」

 

 

 

 

 

そんな事ばかり考えて、飛鳥の足はずっと昔から止まってしまっていた。

 

 

 

 

 

「【貴方は何処へでも飛んでいける】」

 

「――――」

 

 

 

 

 

だから、自分しか知らない筈のその言葉を聞いた時、飛鳥の思考は停止した。

 

 

 

音が止まった。

 

呼吸が止まった。

 

心臓も、止まってしまったのかもしれない。

 

 

 

燐香が紡いだその言葉に、飛鳥は体を硬直させた。

 

 

 

 

 

「【その翼は貴方を何処までも空高く運んで、これまで貴方が知らなかった世界の色を貴方に見せる。貴方は飛んだ先に見たい世界を、何にも縛られることなく選ぶことが出来る。貴方は誰よりも強く羽ばたいて、誰の手にも届かない高みで、自由に空を飛んでいける】」

 

 

 

 

 

それは言祝のようで、呪いのようで、魔法の言葉のよう。

 

何時かあの人に言われた言葉が、今、そのまま紡がれている。

 

 

 

今、飛鳥の後ろにいる人物が、飛鳥が何度も思い描いていたあの人なのだと言うように。

 

 

 

 

 

「【――――だから飛鳥、これから貴方は羽ばたいて貴方が居たいと思える場所に行けるのを、貴方が幸せになれるのを祈ってる】」

 

「……うそ。やめてよ……そんな冗談、流石に笑えないわよ……アンタが、あの人だって言うの……? だって、アンタは私よりも年下で……私みたいなの、救うような奴じゃなくて……私を置いていくような、人じゃなくて……」

 

「飛鳥さん」

 

 

 

 

 

座り込んだ飛鳥に、燐香は困ったように眉尻を下げる。

 

その姿はいつか見た、牢から助け出された直後、「私なんて死んでしまえばよかったのに」なんて言ってしまった時見せた、あの人の姿と重なった。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい。私、貴方を隣の街に連れ出して、大人の人に育てられた方がきっと幸せになれるんだって思ってました。私みたいな、自分よりも年下の、性格ばっかり悪い奴と暮らすよりも、ずっといい生活が送れるんだと思って……貴方の好意は分かっていたから、未練を残さない様にって何も言わずに消えました。こんな風に、ずっと貴方を縛り付けることになるなんて、想像もしていませんでした……飛鳥さん、本当にごめんなさい。貴方の事が嫌で、置き去りにした訳じゃないんです」

 

「あ、う……あううう……あうぅううっ……」

 

 

 

 

 

涙腺が決壊したように、ボロボロと涙が溢れ出す。

 

必死に目を抑えようとするけれど、どうしてもうまくいかなくて、見せたくもない酷い顔を一番見られたくない人に見られてしまう。

 

 

 

「ああ、そうか」そんな風に、今まで自分の心の奥底に刺さっていた冷たい針が、ようやく抜け落ちた気がした。

 

 

 

何故だか分からないのに、ずっと、強く当たっていた彼女。

 

自分でも何が嫌か分からず、それでも顔を見るたび不機嫌そうな声になり、冷たく攻撃するような言葉ばかり口に出た。

 

思い出せばあの時もそうだった、助け出してくれたあの人に自分は何度も酷い言葉を言ったのを覚えている。

 

結局あの人が目の前から消えるその時まで、お礼の一言も言えなかったのを、覚えている。

 

 

 

だから燐香に、もしも助け出した人だと分かったら何か伝える事はあるかと聞かれた時に最初に頭を過ったのは、自分を置いていった理由を聞くことでは無く。

 

 

 

『私を助け出してくれてありがとう。それから、酷いことを一杯言って、ごめんなさい』

 

 

 

ずっと前から言いたかった、そんなことを伝えたかったのだ。

 

 

 

 

 

「飛鳥さん……色々と話したいことはありますが、時間がありません。貴方が持っている翼は、あらゆるものを寄せ付けないような強靭な翼。大丈夫、最初は私が手助けします。貴方は貴方の思うがままに空を駆けてください」

 

 

 

 

 

ボロボロと溢れ出した涙は少しだって止められなかったけれど、飛鳥は燐香のその言葉に、ゆっくりと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アブサントは、感謝していた。

 

突然割って入って来た2人の年若い女。

 

1人は病院で会った女性で、もう1人は警察署の前で会い、自分達を標的とした攻撃の巻き添えになるところだった少女。

 

どちらにも良い感情なんて持たれていないのは分かっていた、彼女達が自分の側に立ってくれるなんて考えてもいなかった。

 

 

 

けれど、自分よりも年下だろうその2人は、どうしようもないと思っていた戦況を一変させてくれた。

 

 

 

自分の無力で“白き神”の手に落ちた大切な人を、彼女達はいともたやすく救い出してくれた。

 

“音”なんて言う、こんな混戦にはどうやったって向かないような異能なのに、彼女達は文句の1つも無く手を貸してくれ、逆に手伝ってくれと求めてくれた。

 

彼女達がどんな目的があってこの場に割って入ったのかは分からない。

 

でも、アブサントとしてはこれ以上彼女達に何かを求めるつもりは無かった。

 

 

 

だから“白き神”が完全に意識を飛ばし、“千手”と“紫龍”が暴走状態に入り、彼女達が追い詰められているのを見た時、自分1人が囮になって時間を稼ぐことに何のためらいも無かったのだ。

 

 

 

勝つことなど最初から考えていない。

 

“白き神”が制御している内は、何とか手駒としようと生死に関わるような攻撃は控えていたが、今の奴らにはそれは無い。

 

いかに時間を稼ぐのか、暴走する奴らの行動をつぶさに観察しつつ、一撃で生死を彷徨う攻撃を必死に回避した。

 

認識にズレがあるのは続いていたようで、見当違いの方向への攻撃も多かったが、それを補う程の面攻撃が繰り返され、余裕なんて出てこなかった。

 

何度も何度も地面を転げまわり、即死に繋がる煙と手に捕まらないよう足を動かし、可能な限り時間を稼ごうと必死に努力を繰り返して――――それでも、少女に告げたように1分も持たなかった。

 

 

 

 

 

『ぐ、おぉ……』

 

 

 

 

 

足が折れ、全身からは血が噴き出している。

 

今はもう指先にも力が入らないし、片眼ははれ上がり視界が塞がってしまっている。

 

異能の力も、枯れ果てたのではなんて思うくらい絞り切ったし、五感もどこがおかしくてどこが正常なのかの判断も付かないくらいグラグラだ。

 

 

 

もうこれ以上の回避は出来ない。

 

次奴らが攻撃に動いた時が、自分の最後だと分かっていた。

 

 

 

 

 

『ル、シア……』

 

 

 

 

 

間に合わなかった。

 

それでも、あの2人に対してはこれっぽっちも恨みなんて抱かなかった。

 

 

 

ただ心残りがあるとするならば、最後まであの人の手を握れなかったことだろうか。

 

そんな心残りを自覚して、少しだけ後悔が押し寄せた。

 

 

 

 

 

「――――ごめんなさい、待たせたわね」

 

 

 

 

 

アブサントのその状況を覆したのは、その場を支配した次元の違う異能の出力。

 

これまで会った誰よりも、異次元染みた異能の圧力を感じて、アブサントは目を見開いた。

 

 

 

物を飛ばす、そんな異能。

 

はっきり言って強力とは言えない彼女の異能は、どうあっても“千手”や“紫龍”には通用しないと思っていた。

 

 

 

だが、彼女、飛禅飛鳥のこの馬鹿げた出力からは――――。

 

 

 

 

 

「飛べ」

 

 

 

 

 

彼女のその一言で、“千手”と“紫龍”が発生させていた『手』と『煙』は散り散りになった。

 

それらが視認すら出来ない速度で遥か彼方へ吹き飛ばされたと気が付いたときには、既に飛鳥が倒れ伏すアブサントの前に立っていた。

 

 

 

“千手”と“紫龍”に向かい合う飛鳥の姿は異様だ。

 

髪の毛先は重力に反するように浮き上がり、足裏が本当に地面に着いているのか怪しい。

 

体の内側に留まり切らない異能の出力が、黒い雷のように飛鳥の体を迸り、彼女が扱う出力の異常さを物語る。

 

 

 

 

 

「……これ、アンタに負担無いのよね?」

 

「いえ、私の異能の出力のほとんどを飛鳥さんに回しているので、負担は結構大きいです。なんならそんなに長時間維持は出来ません。でも、強制的に行った認識誘導を継続するよりはずっと楽ですので気になさらないでください」

 

「後で、色々話すんだからね。言いたい事が、いっぱいあるし……絶対に無理はしないで」

 

「え、優しい……分かりました。あとで、必ず話しましょうね」

 

「うん」

 

 

 

 

 

飛鳥はそんな会話を終えると、襲い掛かってきた“千手”と“紫龍”の体を浮遊させ、地面に叩き落とす。

 

 

 

数メートルと言う高さから、あくまで死ぬことだけはないようにと配意されたその一撃で、強制的に動かされていた“千手”達の動きすら完全に封じた。

 

それでも暴走する“千手”達の異能は、飛鳥に通用しないと判断されたのか、燐香やアブサントにまで向けられ。

 

だが、それすら飛鳥は塵でも払うように、薙ぎ払い、全く寄せ付けないまま“千手”達をはるか上空へ向けて吹き飛ばした。

 

 

 

為すすべなく、されるがままに。

 

まるで巨人が意志の無い人形を振り回すかのような一方的な異能の暴力で、上空に縛り付けられた“千手”達には反抗の手段など残されていない。

 

 

 

もはや異能持ちとしての絶対的な格が違う。

 

 

 

赤子の手を捻るかのように、ただの人間と上位者の争いのように。

 

 

 

今の彼らには覆しようのない差があった。

 

 

 

チラリと、飛鳥は燐香に困ったような視線を向ける。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい。ここまでやって思ったんだけど、こいつらをいくら痛めつけたところで“白き神”は倒せないわよね。どうすれば……」

 

「……はい。後は、任せてください」

 

 

 

 

 

邪魔な異能持ち2人の暴走は無力化した。

 

後は、無防備に動かないベルガルドに寄生している“白き神”をどうにかするだけだ。

 

そして、異能を使って精神を飛ばしているだけの“白き神”をどうにか出来るのは、同じ精神干渉系統の異能持ちだけ。

 

 

 

重い体を引き摺るように動かして、燐香は止めを刺すために“白き神”の元に辿り着く。

 

飛鳥が四肢を動かせないように異能でベルガルドの体を抑えつけたのを確認してから、倒れて動かない“白き神”に馬乗りになる。

 

 

 

 

 

「ふぅ…………やります」

 

 

 

 

 

少し呼吸を整えて、燐香は左手だけで“白き神”の首を絞めた。

 

 

 

 

 

「――――お、ごっ!? な、にが……!?」

 

 

 

 

 

強制的に気絶から引き戻された“白き神”が、状況が分からず、動かせない顔の代わりに慌てて目だけで周囲の状況を確認して、絶望的な自分の立場に気が付いて顔を青くする。

 

あり得ない程強力な出力を発する飛鳥に、周囲の何処にも手駒が存在しない状況、最終防衛として残していた筈の“千手”達の暴走は見る影もない。

 

 

 

動かせない手足と組み敷かれた体勢。

 

完全敗北、そんな言葉が頭を過った。

 

 

 

 

 

「どうっ、なって……!?」

 

 

 

 

 

即座に、ベルガルドの“転移”を使おうとするが、使えない。

 

誰かしら洗脳しようと『認智暴蝕』を使おうとしても、使えない。

 

どうしようもないとベルガルドと繋いでいる異能の接続を切ろうとしても、切れなかった。

 

 

 

 

 

「な、んでっ、なんでだっ……!!?? いったいなにが――――ヒッ……!?」

 

 

 

 

 

目の前からぱきり、と指を鳴らす音がする。

 

その音を聞いて、ようやく“白き神”は目の前に誰かがいることに気が付いた。

 

 

 

 

 

「――――ようやく……捕まえた」

 

 

 

 

 

目の前にいる、顔の無い少女に気が付いた。

 

 

 

今度は間違いなく現実。

 

首を絞めつける熱量が、そのことを“白き神”に伝えてくる。

 

 

 

 

 

「ひっ……!? か、“顔の無い巨人”!? いや違うっ、お前は、違う!? お前っ、さっきまでいたあのっ……あのっ……顔が思い出せない……? せ、精神干渉の異能持ちだろう!? そのふざけた格好を辞めろ!! 僕に何をしたお前っ、なんで僕の異能の接続が切れないんだ!?」

 

「……」

 

「お、おい……! 何とか言え!! そ、そうだ、お前神楽坂の関係者なんだろ!? 前に会ったとき神楽坂の話題に反応してたもんなぁ!? あいつの関わった事件について知りたいだろ!? と、と、取引しよう!! 良いだろ!? ここで僕の口を割らせる方が絶対に良いぞ!! なんたって――――」

 

 

 

 

 

 

 

【黙れ】

 

 

 

 

 

 

 

声とも呼べない悍ましい宣告で、“白き神”の言葉が止まった。

 

 

 

口が動かない。

 

舌が口の中で張り付いたように、動かせない。

 

息すらまともに出来なくなった。

 

 

 

 

 

【お前はやりすぎた。お前は手を出してはいけないものにまで手を出した】

 

 

 

 

 

憎悪に近い怒りに触れて、“白き神”は自分が大量の汗を掻き始めたのに気が付く。

 

もはや視線を自分で動かして、視覚の恐怖から逃げる事すら出来ない。

 

 

 

 

 

【世界は無色、薄っぺらくて淡白。であれば、世界が醜いのは醜悪なものが蔓延っているからに他ならない――――お前らの様な醜悪な奴らが】

 

 

 

 

 

悲鳴も、命乞いも、許しを請うことも、出来なかった。

 

無貌の怪物のもう1つの手が、“白き神”に伸ばされた。

 

 

 

 

 

「……ソウル、シュレッダー」

 

「!!!???」

 

 

 

 

 

絶叫は、許されなかった。

 

全身を駆け巡る激痛に、意識を失うことも出来ず、“白き神”は体を激しく痙攣させる。

 

 

 

ソウルシュレッダー。

 

本来の使い方は相手の精神を破壊する、若しくは――――相手の異能を破壊する。

 

 

 

ベルガルドに寄生している“白き神”の人格を削りながら、ベルガルドから伸びる異能のラインを辿り、未だ洗脳状態にある者達に入り込んでいる『認智暴蝕』の異能を粉砕する。

 

 

 

1人、2人、5人、10人、60人、140人、380人、1000人。そして、“白き神”の本体である白崎天満の体の元へと、破壊の手が異能のラインを裁断しながら恐るべき速さで向かっていく。

 

 

 

 

 

「■■■■■■■■!!??」

 

「あと、少しっ……」

 

 

 

 

 

声にならない悲鳴に耳を貸す事無く、真っ赤に染まった視界の中、燐香は白崎天満を見据える。

 

 

 

世界中に散らばらせていた異能の全てを粉砕した。

 

ベルガルドに入り込んでいた“白き神”の人格だけを破壊した。

 

海を越え、国を越え、僅かなラインを辿り、標的の姿を捉える。

 

 

 

生活感の無い部屋の一室。

 

椅子に沈み込むように座る1人の若い男。

 

 

 

それに、手を掛ける。

 

 

 

 

 

「……もう、すこ、しだけ――――」

 

 

 

 

 

白崎天満の体が跳ねる。

 

異能の刃が彼の形のないものをズタズタに引き裂いて、ベルガルドの体が上げられない分まで悲鳴を上げる。

 

 

 

のたうち回り、絶叫し、痙攣を起こして。

 

異能の力を破壊して、精神を粉砕して、“白き神”と言う存在を本当の意味で消す、最後の最後。

 

 

 

白崎天満に届かせていた破壊の手が、無理やり引き離された。

 

 

 

 

 

「――――……え?」

 

 

 

 

 

燐香は状況が理解できず、思わず呆けた様な声を上げた。

 

もう手に掛けていた、あと数秒あれば、完全に白崎天満を廃人にして、異能の力を完全破壊できた。

 

 

 

なんで、なんて思う間もなく、悲鳴に近い声で怒鳴られる。

 

 

 

 

 

「――――アンタ、何やってんのよ!!」

 

 

 

 

 

悲鳴のような、泣き声にも聞こえる飛鳥の声に、ようやく自分が抱き絞められていることに気が付いた。

 

飛鳥が、無理やり自分の体をベルガルドから引き離したのだ。

 

 

 

自分の視界が真っ赤に染まっている。

 

鼻から、だけではない。

 

口は血の味で満ち、目からも血が流れている。

 

 

 

自分の体の限界が、とっくの前に来ていたのだ。

 

 

 

 

 

「こんな奴に止めさしてアンタも死ぬつもりなの!? ふざけないでよっ!!」

 

「あ、あぶぶ……ああああ、飛鳥さんありがとうございました……し、死ぬところでしたっ……!」

 

「……気付いてなかったの? ほんと、何なのよアンタ。他人の限界をどうこう言うなら自分の限界くらいすぐに気が付きなさいよ。普通、異能持ちなら誰だって出来るわよ…………あっ、い、いや、今のは、その、悪口、じゃなくて……心配したからつい、熱くなって思ってないことまで言っちゃっただけで……」

 

「……あ、上から“千手”と“紫龍”が降ってくる。あ、飛鳥さん! 今、異能を回しますのでもう一度彼らをキャッチしてせめて死なないようにしないと!」

 

「絶対っ、これ以上っ、異能を使うなっ!!! あんな2人くらい、普通に浮かせられるわよっ! ほら!!!」

 

 

 

 

 

落下してきた“千手”達を軽く浮遊させた飛鳥は、彼らをゆっくりと地面に下した。

 

完全に“白き神”の異能が消えて、意識を失った状態の2人は普通に息をしている事を確認する。

 

 

 

寝息を立てている2人に目をやり、飛鳥は不愉快そうに口をへの字に曲げた。

 

 

 

 

 

「……ま、こいつらがどうなろうと知ったこっちゃないんだけど。こんな奴らのせいで私やアンタの手を間接的にも汚すことになるのは業腹だからね。一応は、生かしておかないと……って、本当に大丈夫? このまま病院に連れて行くわね。ちょっと私に掴まって」

 

「うぐぐ……ぎもじわるい゛……」

 

「もうっ、気持ち悪かったら遠慮しないで吐いちゃいなさい。別に私の服に掛けても良いから」

 

 

 

『ま、待て!』

 

 

 

 

 

そのまま、ICPOの応援が来る前に、燐香を病院に連れて行こうとした飛鳥をアブサントが制止する。

 

何の用だ、と苛立ち紛れに目線だけで振り返った飛鳥と真っ青な顔で肩を貸されている燐香に、起き上がることも出来ないまま、アブサントは少し視線を彷徨わせた後、話し出す。

 

 

 

 

 

『……その、お前達には、世話になった。俺だけではルシアを救う事なんて絶対に出来なかったし、俺も奴の手に落ちて、色んな人を攻撃していたかもしれない。お前達が来てくれて、本当に助かった。飛禅飛鳥、君には病院での態度の悪さを謝罪する。背の小さな少女、あの警察署の前で、君を見捨てる行為をしてしまった事は、本当に申し訳なかった。これからこの場に来るICPOの奴らには、君達の迷惑にならないよう俺が上手くやっておく』

 

 

 

「……なんて言ったか分かった?」

 

「うぶぶ……ぎもじわるい゛…………」

 

『……あー……』

 

 

 

 

 

アブサントは今まで言葉が伝わらないことを、不便と思うことは無かった。

 

ルシアとだけ会話できればいい、それだけで完結していた彼の世界には、他の国の人など存在しなかったからだ。

 

 

 

けれど、今、アブサントは彼らに言葉が伝わらないことを酷く悔しく思っていた。

 

救ってもらったことを、大切な人を助けてもらった感謝の気持ちを、伝えることが出来ないのがもどかしくて。

 

 

 

だから、せめてと彼は不器用な笑顔を燐香と飛鳥に向けて、拙い言葉を話すのだ。

 

 

 

 

 

「あー……ソノ、アリガト、デシタ……」

 

 

 

 

 

向けた先の彼女達も、笑って返してくれた。

 

 

 

こうして、“白き神”の世界各国への無差別テロ活動は完全な終わりを迎える事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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