非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか? 作:色付きカルテ
龍牙門(りんがもん)と呼ばれる半グレ集団は、最近できたばかりの新興勢力だ。
関東圏で活動しているこの組織は、人数は50人行かない程度、構成員の年齢は20から40と幅広い。
活動は主に、詐欺や闇金、違法薬物と色々あるが、どれも1つで組織維持できるほど稼げている訳ではなく、また、既にそれぞれの地域で根を生やしている武闘派組織の影響もあって、勢力拡大は思うように行っていなかった。
人も、技術も、コネクションも、金もない。
反社会的組織として世間からの風当たりも強く、警察からは睨まれ、運営さえ難しい状況。
そこに舞い込んできたのが『非科学的な現象』と言う、世界を変える様な新しい情報だった。
ICPOから声明を出されたその情報は世界の情勢を大きく変えるだけ影響があると、龍牙門の組織員達は考えた。
情勢を見守るべきか、それとも情報が出揃うまで待つべきか。
そんな事を考えていた彼らを動かしたのは他でもない、日本政府が出した結論だった。
『日本政府としては、本件の推移を注意深く観察し、また情報収集に努め、国際警察及び各国と足並みを揃えて協力していきたい』
事実上の静観声明。
つまり、日本国内で起きている『非科学的な現象』と言う新たな資源をしばらく放置するとしたのだ。
勢力拡大が叶うかもしれない、いや、もしかすると、この噂されている現象を手に入れることが出来れば、もっともっと大きな事業に乗り出せるのではないかと彼らは判断した。
そのために、まずは情報を集めることを選んだのだ。
『非科学的な現象』に繋がる研究をする者の身柄を抑え、情報提供させる。
これが、彼らの勢力拡大のための第一目標となった。
‐1‐
次の日。
佐取優助と再び接触するために、神楽坂は伏木が運転する車に乗車して大学へと向かっていた。
伏木から渡された障害となりえる可能性がある反社会的組織一覧の資料を眺める。
幾つかの組織に目を通していた神楽坂だが、その中でも、大学周辺でうろついていたとの情報があった半グレ集団『龍牙門』の部分で手を止めた。
「……つまり、今回俺達が会った佐取優助と言う人物には、この組織が同じように接触を図ろうとしている訳か」
「そうです。今のところ、強硬な手段を取っていませんし、せいぜい大学の周りをうろついているだけのようですが、接触を図ろうとしていることは確かです。今後行動が過激化する可能性も充分考えられます」
「こっちの増員をすることはできないのか? 正直、この組織と正面衝突する可能性を考慮したら、2人だけじゃ足りないぞ」
「それが……無理なんです。色々と要請を掛けて、なんとか神楽坂先生だけ巻き込めたんです。本来なら、政府も、上層部も、乗り気じゃないこの現象に対する調査なんて、俺1人でやれと言われていて……」
「そりゃあ……しかし、状況が状況だ、俺からも掛け合って増員するよう要請しておく」
「助かります! ……正直、神楽坂先生を巻き込むのもギリギリで……山峰警視監と浄前部長の後押しが無ければ、俺1人でやらなきゃならないところでした」
伏木ががっくりと疲れたように肩を落とし車両を運転するのを、助手席に座る神楽坂は同情するように見る。
警視庁本部で勤務する苦労は神楽坂も分かっている。
伏木が期待されているのは分かるが、まだ精神的に未熟な部分がある年若い彼が、様々な思惑が交錯するあの場所で勤務するのは少し酷だろう。
自分の教え子の境遇に不安を覚えつつも、それにしても、と神楽坂は思った。
「山峰警視監か……随分大物が後押ししてくれたな。次期警視総監と目される人じゃないか。それに、浄前さんか……あの人も……」
「山峰警視監はそれはもう、自分もビックリだったんですけど……あれ? 神楽坂先生……あ、先輩って浄前部長とお知り合いなんですか?」
「……ああ、前に直属の上司だった。優秀で良い人だよ、あの人は。まだ若いし、きっともっと上まで上り詰めるだろうな」
神楽坂の口から出るのは称賛の言葉ばかりだが、その顔は暗い。
だが、それも当然だろう。
「……あっ、すいません。確かあの一件があった時の直属の上司が浄前部長ですもんね」
「いや、気にするな。そんなことまで気を遣う必要はない。それに、あの一件は解決するべき事象ではあるが、精神的に重荷となる段階はもう過ぎてる。そんな事よりも、少しでもあの件の真実に近づくために努力していくつもりだ」
「神楽坂先輩……これからそれらしい情報を聞いたら、その都度先輩に流しますね!」
「助かるが……無理はするなよ。守秘義務が課されるようなものまで無理に教えてくれとは言わないからな」
「分かりました!」
本心から自分を手伝おうとしてくれる伏木に、神楽坂は心の中で感謝する。
同時に、警察学校以来……いや、自分が今も引き摺るあの事件があった時に連絡をくれてから、それ以来会うことも無かった彼がここまで自分を慕い続けてくれていることを嬉しく思った。
横目で運転する伏木を確認しながら神楽坂は携帯の画面を開き、短く返信されていた文章に目を通した。
(しかし、一応必要かと思って佐取に連絡だけしたが、あの子も近くにいるのか。こんな偶然あるんだな……やっぱり兄妹仲は悪くないのか?)
自分達が接触している佐取優助の妹。
神楽坂の協力者である『非科学的な現象』を操る者、異能を持つ者、佐取燐香。
彼女の身内に近付いていた危機を知らせるだけのつもりだったが、どうにも返信の内容からすると、協力することが出来る状況らしい。
(取り敢えず急いで接触する必要はないが、連絡は取り合えばもしもの時に……)
「そういえば先輩は『非科学的な現象』について、前々から存在すると仰っていましたよね? この現象について、どういう考えを持たれているんですか? 世間的に言われているのは、遥か昔に存在したロストテクノロジーとか、アメリカとロシアの冷戦時代に基礎を作られていた新技術とか、言われている事は色々ありますけど。神楽坂先輩はどれだと思いますか?」
「あー……正直に言うとだな、そこら辺の話題は全て、誰かの創作に近いものだと思ってる」
「え!? ネットで話題になってるのが全部違うと!?」
「いや、ネットで出てる話を全部は知らないが、亡国の古代技術やら戦争時に秘密裏に開発がすすめられた技術って言うのはないだろうって話だ。俺が思っていたのは……もっと原始的で、もっと自然的なもので、それでいてもっと限定的な一部の人間が自由に扱えるものだと思っていたんだ」
神楽坂は少しだけ考えてそう答える。
あくまでこれは、燐香と言う異能持ちに出会う前に考えていた自分なりの結論だ。
結果として、空想上や物語で出てくる超能力者と言う存在に近い者が正解だったが、呪術や魔法と言った存在を疑っていた時期も確かにあった。
燐香の存在を口外しないという約束を守ると同時に、不要な追及を避けるため、あえてこの場は『異能持ち』と言う存在を確信している様子は見せないようにと言う配慮で、過去の考えを持ち出したが……。
「なるほど……」
考える様なそぶりを見せた伏木の様子に、少し不安を覚える。
本部で勤務する伏木は、何かしら公になっていない情報を貰っている事も考えられる。
そうなると、自分のこの解答は情報を持っている伏木からすると、もしかすると期待外れだったかもしれないと思ったからだ。
とは言えこれ以上の解答は、燐香の説明をする必要まで出てくるだろう。
困ったように口を噤んだ神楽坂だったが、そんな彼の考えとは裏腹に伏木は少しだけ悩んでこんなことを言い出した。
「あの……これは極秘なんですけど、『非科学的な現象』と言うのは、それを生物的な機能として備えた人間、つまり物語に出てくる超能力者に似た存在を指しているという話なんです」
「――――なんだと?」
驚いたのは、伏木が、その情報を警視庁本部から受け取っているという事実だ。
「警視庁公安部特務対策第一課。神楽坂先輩と同じ部署にいた女性の方が、新設されたこの部署に異動になっていましたが、この部署はそういう人達を集める場所だと聞いています。あっ、勿論神楽坂先輩の元同僚の女性が超能力者と言っている訳ではなく、ある程度部署としての形を作りながら、国内で見つけた超能力のような力を持った人達の身を置く場所を作るという意図があるようなんです」
「……つまり、今は土台作り。これからの情報によってその件に対応できる人間を順次その部署に入れていく、と」
「その通りです。それで、俺はこの部署にぜひ神楽坂先輩に入っていただきたくてですね。その……長年そういうことを追って来た神楽坂先輩の方が、超能力に似た力について考えたことない人よりもずっと対応できると思っているので……もしよろしければ、俺が推薦したくて」
「それは……正直、願ってもない話だ」
ようやく。
長年追い続けて来たこの、科学的な証拠の残らない事件に対応できる部署が正式に設立されたことに、神楽坂は感慨深い気持ちがこみ上げてくるのを感じていた。
例えそこに自分が居なくとも、警察が組織的にそういう事件を非科学的な方向も考慮して調査してくれる芽が出てきただけで、神楽坂にとっては大きな一歩だった。
「だが……無理に俺を推薦する必要はない。これから警察組織がそう言った事件に対処してくれるなら、俺はそれだけでいいんだ。俺はただ、あの事件の真相を解明するために動いていただけで、同じような理不尽な目に遭う人が出なければ良いと思っているだけだからな」
「そうですか……でも、これからきっと神楽坂先輩の力は必要になると思うので、ぜひ推薦させてください!」
「そう言ってくれるなら、否とは言わないさ。ありがとな」
神楽坂がそういうと、伏木は照れたように顔をそむけた。
そして、見えて来た大学の施設に視線をやってふと思いついたように神楽坂に問う。
「そうだ。もし超能力者がいるとして、そういう力を持っている人達って、どういう人間なんですかね? 他の人にはない超常的な力を持った人間は、どんな精神性に成長するんでしょう」
「……さあな、そればっかりは人によるとしか言えないが」
神楽坂は、これまで会ってきた異能持ちを思い出しながら口を開く。
善性も、悪性も、様々な形を見てきたが、彼らは総じて。
「……きっと、個性的な奴らばかりなんだろうとは思う」
‐2‐
「――――お兄ちゃん見て見て、ダンスの練習してるよ! あれってチアリーディングって言う奴だよね? バク宙とか人を上に放り投げたりとかすごいね! これは……学生が作った美術作品なの? う、うーん、前衛的な芸術を感じる……きっと凄い作品なんだね! あ、これは――――」
「…………」
次の日、家に泊まった私はお兄ちゃんに引っ付いて大学まで付いてきていた。
しっかり栄養士もビックリの完璧なお弁当とちょっとつまめるおやつを用意して、私は大学見学も兼ねたお兄ちゃんの護衛に繰り出した。
お兄ちゃんの所属する研究室に向かう途中、大学で練習している人達や置かれた美術作品の数々に手を伸ばしはしゃいでいるように声を出しているが、私のこれは普段は見れない大学の様子を楽しんでいる訳ではない。
実はしっかりとした訳があるのだ。
昨日の夕方、お兄ちゃんを狙った襲撃があった。
偶々外に出ていた私がそれに遭遇したため撃退できたが、それ以降は何も無かったものの、あのよく分からない反社会的な組織員達と遭遇した時に読心した感じでは、お兄ちゃんの確保を急いている様子だった。
昨日の夕方、お兄ちゃんを尾行して住居までやって来た彼らは、可能であれば家へ押し入り誘拐することさえ視野に入れていた。
昨日は撃退出来ても、今日はどうなるか。
時間に余裕がないようである彼らが、今度こそ確実にお兄ちゃんを捕まえられるよう過激な行動に走る可能性は高い。
私の後ろで寝不足気味な目元を抑え肩を落としているお兄ちゃんは、正直、運動こそ多少できるが、反社会的な組織の暴力に対しての対抗手段など持ち合わせていない。
だからこそ私は昨日の予定を急遽変更して、お兄ちゃんの家に泊まり込み、こうして大学まで付いてきたのだ。
昨日の夜、お兄ちゃんはなぜか異常に私を警戒していて若干寝不足みたいだが……まあ、許容範囲内だと思おう。
(……うん。あらかじめトラップの様なものは仕掛けている様子はないし、学生に扮して近付こうとする様子もない。予想していた搦め手はないのかな……? こうなってくると、直接乗り込んでくるしか考えられなくなるんだけど……)
私の異能による思考誘導は、“白き神”のような強制力に優れたものでは無く、誤認、に優れたものである。
誤認は、目的を持った1人の思考を乱し目的が分からなくなって帰らすことは出来ても、帰った先で共通の目的を持った人間に指摘を受けると元に戻ってしまう程度の強制力でしかない。
“千手”にしたような思考誘導の末期状態や私が規定する善人への調整、魂破砕(ソウルシュレッダー)で廃人にすれば、その心配もなくなるが、いかんせん数が多すぎる上に、現場に来ている奴ら以外にどれだけの人数が控えているのかも分からない。
そもそも『非科学的な現象』を求めて来ている彼らのような相手に、致命的な損害を与えられない形で、彼らが欲しているモノの一端を見せるのは酷く危険だ。
はっきり言うが、昨日の夕方襲って来た奴らに対して行った私の対処は良くなかった。
尾行してきた奴らの襲撃が突然だった上、お兄ちゃんがその場にいたため時間を掛けられなかったため、お化けに近いものを見せて追い払ったが、本当ならもっと穏便な手で追い払うべきだったのだ。
彼らの大本の組織がどれだけ穏便な手段を取ろうとしているか分からない以上、相手が大きく動く要素を残すべきでは無かったのだ。反省しなくてはいけない。
一応、お化けを見て逃げ出したという事を極度に恥ずかしいと思うよう手を加えたから、プライドが邪魔をして報告しないでくれればいいのだが……そんな希望的観測をしている時点で失策だ。
そんなことを考えながら、学生が作ったらしいミニチュアモアイ像を持ち上げて見ていた私にお兄ちゃんが声を掛けてくる。
「…………あまりはしゃがないでくれ燐香」
「むっ。私がただはしゃいでいるだけだと思うなんて、お兄ちゃん観察力が足りないんじゃない? 私の行動の一つひとつには重要な意味が隠れていて――――」
「頼む、恥ずかしいから」
「――――……はい……」
よく考えたら、別にこんな演技しなくても静かに観察すればいいだけだった。
ミニチュアモアイ像を元の場所に戻して、いそいそとお兄ちゃんの傍に寄る。
「お兄ちゃん、今日は何のために大学に? 日曜日だから休み……あれ、大学って休みじゃないんだっけ?」
「ここもそうだけど、基本的に国立大学は休みだ。俺がどうしても来たかったのは、知人にあるものを持ってきてもらうよう約束してたからで……丁度来たな」
お兄ちゃんの視線を辿れば、いかにも大学生らしい軽い服装をした青年が手を振りながらこちらに歩いてきている。
知的な雰囲気があるお兄ちゃんとは正反対な、いかにも大学生活を心底楽しんでそうな男性の登場に、咄嗟に『読心』して邪な考えがないか調べてしまう。
完全な白。
何一つ邪なことを考えていない。
なんなら、普通に良い人だった。
(ふ、普通に友人だ。お兄ちゃんの友達って見るの初めてかも……まあ? 私も友達くらいいるし別に普通なんだけど? ……ちょっとストーカー気質で、好意の表現と距離感がバグってるから、本当はもっと普通の子と友達になりたいと思ってはいるけれど……)
思わず凝視する私をよそに、2人は気楽に言葉を交わし始めた。
「ほら、持ってきてやったぞ。こんなん自分で印刷すりゃいいのにわざわざ頼むなんて……って、優助が女の子を連れてる!? 嘘だろ、あんだけ告白されても拒絶しかしなかった、ホモなんじゃないかと噂されてた優助が!? お、おま、そっちの子との関係は!?」
「妹だっ……! 怖いからそういう事言うの止めろっ……!」
「妹ぉ? ……似てなくない?」
「俺と一番下の妹は母さん似、燐香は父さん似なんだよっ。そんなことはどうでもいいだろ」
「あー嘘嘘、目元とかそっくりだよ。怒んなって、ほら言われてた資料」
軽薄そうな男性が笑いながらそう言って、その手に持っていた大きめの茶封筒をお兄ちゃんに差し出した。
お兄ちゃんは差し出された封筒を受け取り、その中身を覗きながら、チラリと少しだけ心配そうな目を男性に向ける。
「……変なことは起きなかったか? 体調に変化は? 幻聴や幻覚なんかはないな?」
「ないない。それに、お前に言われた通り内容はよく読まずに印刷したから、俺には何が書かれてたかすら分かってないよ。全く……妙な事お願いしやがって。約束通り、今度の合コンに付き合ってくれよ」
「ああ、助かった。合コンはまた時間がある時な」
「合コンがめんどくさかったら妹ちゃんを俺に紹介してくれても良いぜー。なっ、俺、君のお兄さんと友」
「やめとけ。マジで。俺は友達としてお前を止めてるんだ」
「お、おい……そんなガチな顔すんなよ。冗談、冗談だって……」
(私は口に出されなくても本心が分かっちゃうけど、本人を前にしてこうも堂々と好き放題言うって、もしかしなくても相当失礼なんじゃ……)
なんて、そんな事を話したその友達は「じゃあまた講義で」と言って去っていった。
残されたのは、お兄ちゃんの手元にある茶封筒のみ。
相当危険なものなのか、受け取ってからやけに丁寧にそれを扱っているお兄ちゃんに、私の視線もおのずと封筒に向かう。
「……お兄ちゃんそれって」
「ああ、俺の調べている事に関連がありそうなものを……ネット上で多発しているある存在による被害を印刷してきてもらったんだ」
「ある存在?」
封筒から印刷された紙を取り出したお兄ちゃんは、それを広げながら口を開く。
「顔の無い巨人」
思わず目を見開いた。
想像してなかったその存在の名に、私の目はお兄ちゃんの手元にある紙へと向かう。
「……燐香も聞いたことあるだろ。ちょっと離れてろ、恐らく直接ネット上のものを見なかったら……よし、いける。大丈夫そうだ……興味あるなら、燐香も見てみ――――」
「お兄ちゃんもうちょっと手を下げて。よく見えない」
「あ、悪い」
私が背伸びをして見ようとしている事に気が付いたお兄ちゃんが、謝りながら見えるように紙を下げてくれた。
素早く全体に目を通す。
幾つかの紙に書かれた内容は、ネット上にある電子掲示板のみならず、SNSや質問サイト、個人ブログのコメント欄と多岐に渡っている。
何処か個別の箇所ではなく、ネット上そのものにこの存在は駐在しているように見える。
そして、そのどれもが決められたワードに作用するものでは無く、ある情報へ近付こうとする者が被害者となっている。
それらの内容に目を通した私は、ある事実に気が付いた。
(……これって)
「とまあ、こんな感じの眉唾な都市伝説なんだが……自作自演で面白おかしくやってるようにも見えて、それでいてこの一連の被害者となる者のあやふやな境界線は、どこか真実味も感じられる。数年前から有名になったという“顔の無い巨人”とやらを解き明かすことが出来れば、俺の調べている事も一気に進むんじゃないかと思ったんだが……」
「……お兄ちゃん、随分とオカルトなことを調べてるんだね。専攻って生物学系統だよね?どういう関係でこれを調べてるの?」
「そ、それは……」
気恥ずかしそうに視線を逸らし見せていた紙を私から隠すように背中へと回したお兄ちゃんは、躊躇いがちに呟く。
「前に論文も出したんだが……そ、その……『発見されていない人間の機能について』なんだが……」
「発見されてない、人間の……機能……」
「も、勿論馬鹿なことだって言うのは分かってる。論文を出した後なんかは散々批判されたし馬鹿にもされた。だから今は、ちゃんと現実的な研究の傍らでちょっとずつこうして情報と実例を集める程度に留めてるんだ。いわゆる趣味みたいなもんだよ。何か変なことをしようなんて考えていない」
そう言うお兄ちゃんの目には、少しだけ怯える様な色があった。
実の家族、本当なら一番知られたくなかった相手に恥ずかしいものを知られた時のように、お兄ちゃんは怖がるように私の反応を窺っている。
「……ちょっと、世界にはもしかしたら科学では証明できないことがあるんじゃないかって、思っただけなんだ。頭の良い燐香にとっては、無意味なことに見えるかもしれないけど、俺は……」
「馬鹿になんかしない。むしろ、心底凄いと思う」
「え?」
虚を突かれたように目を丸くしたお兄ちゃんが私を見詰めるが、これは私の嘘偽りのない本心だった。
「誰もやっていなかったことをやるのって勇気がいることだし、それを続けるのは、他の誰かがやってきたものを学ぶよりも、労力も時間も掛かるもの。色んな非難も批判もあったのに、誰からの支援も応援も無くて、こうして研究を続けているお兄ちゃんを、私は本当にすごいと思う」
「……燐香」
本当なら、異能と言う他人にバレたくないものを持っている私の立場から考えれば、お兄ちゃんのこの研究を後押しするようなことは言うべきではないのだろう。
どうせなら、家族の立場を使ってこれ以上無いくらいこき下ろし、二度とこんな研究をしないよう心を折るか、若しくは異能を使って研究する気をさせなくするのが合理的なのだろうとも思う。
でも、少なくとも、私が味わわせてしまった不条理に腐ることなく、こうして努力を続けて来たお兄ちゃんを否定しようという気には、私はどうしてもなれなかった。
(自分の首を絞めること、分かってるのにな……でもそっか、あの反社会的な人達に狙われてるのって、ICPOの声明による世間の流れとお兄ちゃんの研究が一致したからなんだ。……でも、反社会的な組織が、学生が出した無名の論文を一つひとつ調べるものなのかな?)
そんな引っ掛かりを覚えたものの、唇を噛んで俯いてしまったお兄ちゃんに、私も知りたいと思っていた“顔の無い巨人”と言う存在についての話を促すことにする。
「それで、お兄ちゃんが今まで調べたこの“顔の無い巨人”について分かったこと、私に教えて欲しいな」
「っっ……」
くしゃりと、嬉しそうな悔しそうなよく分からない表情を浮かべたお兄ちゃんは、ゆっくりと私の顔を見て、口を開いた。
「……まず、これは特定の場所に駐在するものでは無く、インターネットそのものに根を張る何かしらの意志、もしくは設定されたシステムだと言われている。そして現に、こうして色々情報を集めて見て、俺は前者が近いのだろうと予測している。なぜなら特定のワードに反応するものではなく、あるものが一定の水準を超えた段階でこの存在に襲われてるからだ」
「あるもの?」
「あくまでこれは、これまで刷り出したものを見て考えた想像なんだ。確信がある訳じゃない、そう理解した上で聞いてくれ」
私が頷いたのを見届けて、お兄ちゃんは難しい顔で手に持った紙を見る。
「襲われる条件は決められた言葉ではない、打ち込んだ文字数でもない。時間経過でもなく、ある情報に近付いた度合いでもない。であれば、きっとこれはインターネット上に文字を打ち込んだ、打ち込んでいないかは関係しない。『特定の情報に対して近付こうとする意志を持った人間が、インターネットに住むナニカに画面を通して見付かった』ことで、これは起きている」
「……インターネットに住む存在?」
「……ここまで来たらはっきり言うぞ、燐香。俺はこの存在は、インターネットそ」
――――ブツンッ、近くの部屋にあったパソコンが起動した。
私とお兄ちゃんの持っている携帯電話から、砂嵐のような音が聞こえ始めた。
周囲にある電子機器が、ひとりでにインターネットに接続され、異常な音が鳴り響き始める。
喧騒が聞こえる外の様子がやけに遠くのものに思えて仕方がない。
日中の筈なのに、窓から入ってくる光がやけに暗いのはなぜなのだろう。
状況を理解したお兄ちゃんは血の気の失せた顔で私を見る。
「……嘘だろ。なんだって、こんな……悪い燐香。こんな筈じゃなかったんだ。画面を見ていなかったら、見つからないと思っていたのに……」
「……お兄ちゃん、目を閉じて」
「駄目だ、もう見付かってる……燐香、お前は俺がどうなっても絶対に変なことを考えるなよ。大丈夫だ、命は取られないって書いてあった……大丈夫だ」
「お兄ちゃん目を閉じて」
「大丈夫だ、インターネットに接続された画面さえ見なければ、見なければ――――窓に、反射し」
「お兄ちゃんっ!!」
私はその瞬間お兄ちゃんを押し倒した。
ナニカ見てはいけないようなものを見てしまったように、目を見開いて硬直したお兄ちゃんを引き倒し、その目を片手で塞ぐようにして隠す。
手で触れたお兄ちゃんの体温は、まるで冷水に長時間浸かったかのように冷たかった。
「消えろ!!」
私がそう怒鳴った瞬間、起動していた全ての電子機器が落とされる。
携帯電話から鳴っていた砂嵐も、意味の分からない言語を発していたパソコンも、全て何事も無かったかのように元に戻った。
それでも、まだ倒れたお兄ちゃんはぐったりとして、体は冷たかった。
焦りで呼吸を忘れる。
「お兄ちゃんっ、お兄ちゃんしっかりして! 怪我はないよ! お兄ちゃんはちゃんと息を吸えてるし、ちゃんと私が見えてるよ! ほら、起きて! おーきーてー!」
「――――」
「あー、もうっ! 叩くよ! 痛いからね!!」
ベシべシベシベシ、と割と本気でお兄ちゃんの顔を叩くこと2往復。
じんわりと目に力を戻したお兄ちゃんが、痛みに顔を顰めながら私に焦点を合わせる。
「……燐香? 俺、どうなって……」
「熱中症だよ! クラッと倒れちゃったんだから、ほら、飲み物飲んで!!」
「まっ、この体勢じゃ――――ぐぼぼっ!?」
水筒を口に差し込んで、お兄ちゃんの思考をアレから引き離す。
無いとは思うけど、もう一度来たら面倒だ。
保険の意味も込めて、こうしてお兄ちゃんを別の思考に持って行かせようとしたのだが、口から飲み物を溢しまくったお兄ちゃんが、怒りのまま私を持ち上げたことで、それも出来なくなる。
「燐香っ……!!」
「ひぇっ……こんな持ち上げて怒らなくてもっ……」
「飲み物が鼻に入ったんだよっ! もう、大丈夫だから落ち着け!」
鋭い目で近くのパソコンの画面が起動していないことを一瞥して確かめたお兄ちゃんは、深くため息を吐いた。
「……燐香は何もなかったか?」
「……うん、大丈夫だよ。お兄ちゃんこそ、ちゃんと意識ははっきりしてる?」
「ああ、記憶の混濁もない。悪かった、助かったよ」
私を下したお兄ちゃんは、ガシガシと頭を掻き、私が押し倒した時に落とした眼鏡と“顔の無い巨人”の資料を拾い始めた。
気力が尽きたような、げっそりとした顔をしたお兄ちゃんだったが、それでもその口元は少しだけ嬉しそうに緩んでいる。
「……危ない目に遭ったのに嬉しそうだね?」
「ん? ……悪い。燐香に迷惑掛けてるのにこんな顔して……ただ、俺の考えはやっぱり間違ってなかったんだということが肌で実感できて、嬉しくなっちゃったんだ」
「くれいじー……」
これが、異能が無いのに世界を変えられる研究者のサガなのか、と戦慄してしまう。
やっぱり、お兄ちゃんは異能を持たない身としては、誰よりも天才と言える位置にいるのだろうと思った。
感性が普通じゃないのだ。
きっとこういう種類の人間がそういう方向性に向かうことで、世界を統べる器になるのだろうと思う。
「それで……燐香。ずっと前から気になってたことがあって、1つだけ聞きたいことがあるんだ」
「んー、何? あ、拾うの手伝うね」
「…………この、俺が調べてることなんだが、お前」
お兄ちゃんの話を聞きながら、私も散らばった紙を拾うのを手伝おうと、床に落ちた紙に手を伸ばし、それが、私よりも先に誰かに拾い上げられた。
私はその拾い上げた誰かを見て、自分の顔が引きつったのを自覚する。
「おや、また会えたね。山田沙耶さん」
「……桂さん」
にこやかに笑ったその男は、昨日と同じ、悪意に満ちた感情を持って、私とお兄ちゃんをその目に捉えていた。