非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?   作:色付きカルテ

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未知なる恐怖

 

 

 

神楽坂達は昨日同様大学に辿り着いたものの、昨日までとは違い、大学の入り口で立ち往生することになっていた。

門衛の男が神楽坂達の前に立ち塞がり道を譲らない。

理由は、佐取優助に面会を拒否されたため入門資格が無くなった、と言うのだ。

 

突然告げられた言葉に、伏木が食って掛かる。

 

 

「そんなっ……昨日まで普通に入っていたんですよ!? しかも俺ら警察ですって! 守る側の人間なんですよ!? 拒否される謂れなんてないじゃないですか!」

「とは言っても実際に拒否連絡が入っているしねぇ……貴方達連日来すぎなんですよ。本来休みの日に大学に来るってことは、その学生は何かしらの期限に追われてるか、研究に熱中してるか何ですよ。それを邪魔してるって言うの、理解してます?」

「ぐぬぬぬっ……神楽坂先輩ぃっ……!」

「はぁ……」

 

 

落ち着いた雰囲気の男性の門衛に言い負かされ、悔しそうに歯噛みしている伏木がどうしたものかと、神楽坂に助けを求める視線を投げる。

 

正直、佐取優助本人から面会を拒否されているならどうしようもないと、神楽坂は思っていた。

自分達との会話は、何も強制力があるものではないし、国や警察の上層部が大きく動いていない以上、協力要請だって正式に出せているとは言い切れない。

この門衛の言う事が本当なら、事を荒立てたくない神楽坂達の立場としては素直に帰るしかないのだが……。

 

神楽坂は気取られないような自然なしぐさで、門衛の男を観察する。

 

 

(……この門衛、昨日の男とは違うな。態度や言動が不必要に人を煽るようで、大学の顔とも言える門衛を任された人間とは思えない。新人と言うなら分かるが、それにしたって補助の為の人間も居ないのは違和感がある……それに)

 

 

事を荒立てずに帰ると言う選択を、消して神楽坂は伏木の前に出る。

少しだけ驚いたように眉を動かした門衛の男に、神楽坂は顔を近付けた。

 

 

「どうも、神楽坂と言います。昨日話をした時、また明日尋ねることを優助さんには了承を貰っていたのですが本当に面会を拒否しているのですか? もう一度確認していただくことは可能ですか?」

「何度も言わせないでくださいよ、貴方達を名指しで拒否すると言われているんです。これ以上しつこく食い下がるようなら警察本部へ苦情を入れますよ」

「ああ、なるほどそうですか。……ところで、貴方、制服着慣れてないんですか? そのベルト、付け方間違えていますよ?」

「なんだと――――」

 

 

門衛の男が指差された自身のベルトへと視線を落とした瞬間、神楽坂は門衛の男の胸ポケットから身分証を抜き取った。

何の反応できずに唖然とする男の前で、その身分証を確認した神楽坂は躊躇なく男の腕を捻り上げ、壁に押し付ける。

 

想像通り、身分証の顔写真とこの男は別人。

 

 

「随分身分証と顔が違うし、年齢も一回り以上若い……お前誰だ?」

「ぐうおぉぉっ!?」

「本物の門衛の人は何処にやった? いや、お前の顔は見覚えがあるな、資料にあった龍牙門の下っ端か」

「お、お前っ、警察がこんなことをやって――――ごっ……!?」

 

 

男の反抗的な目付きから、情報を聞き出すのは時間が掛かると即座に判断した神楽坂は捻り上げている手とは反対の腕で腹部を殴打し、男の意識を奪った。

 

目の前で起きた急展開に、目を白黒とさせる伏木に対して神楽坂は指示を飛ばす。

 

 

「龍牙門が行動を過激化させたらしい。大学の中で何をしてるか分からないが時間はあまりなさそうだ。伏木、本部へ連絡し応援要請しろ。神楽坂が大学で暴れ出したと伝えれば嫌でも人員を出す」

「え、ええええ!? か、神楽坂先輩っ!?」

「こいつらがどこまでやってるか分からないが、ここで勤務する筈だった門衛が既に被害に遭ってる可能性が高い。時間稼ぎないし、俺らを名指しで通さないようにしていたってことは、それだけ後ろめたい事をやってるんだ。お前は応援要請をしたら門衛の人を探せ、急ぐぞ」

「ちょ、神楽坂先輩ぶっ飛びすぎっすよぉ!!」

 

 

周囲の通行人が何事かと注目する中、「ごめんなさい、なんでもありません。俺達警察です!」と叫んだ伏木を置いて、神楽坂は大学へと入っていく。

 

数度訪れているものの、大学の建物内全てを把握しているとは言えない神楽坂が闇雲に龍牙門の者達を探したところで見付けられるとは思えない。

だからこそ、神楽坂は探すものを絞った。

 

 

(大学内で交渉を終わらそうなんて考えない筈だ。となれば、奴らがやるのは誘拐。歩かせて誘拐なんてない、必ず足を用意する筈……アレか。スモークの掛かったワンボックス車両)

 

 

近付いていけば、車に乗っていた柄の悪そうな男達が下りて来る。

どいつもこいつも、先ほど車の中で見た資料に載っていた人相で、神楽坂は分かりやすくていいと笑った。

 

 

「前回と違って子供相手じゃないから気が引ける事もない。痛い思いをしたくないなら……なんて、半グレ連中が聞く訳ないか」

 

 

ナイフに伸縮式鍛錬棒、メリケンサックにスタンガン。

容易く他人を害せる道具を取り出した彼らに、問答の必要はないかと駆け出した。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

なんてタイミングの悪い。

目の前の男が現れた瞬間頭を過ったのは、そんな悪態だった。

 

インターネット上に住む存在に襲われてから間もないタイミングで現れた男の存在は、大きな脅威では無いものの、無視できるほど無害な存在でもない。

桂と名乗るこの不審者がこの場にいる目的は、お兄ちゃん。

昨日は、「どんな理由か」までは知らなかったが、お兄ちゃんと話して既にその全貌は何となく掴めている。

 

要するに、異能と言う未知の力を手に入れたいのだ、この男とこの男が所属する組織は。

 

お兄ちゃんの前では異能なんて使えないしどうしようか、なんて考えつつ、目前に現れた男をどう処理するか考えていたら、桂と言う不審な男に気が付いたお兄ちゃんが私の前に出た。

 

 

「へえ。これはネット上の交流を印刷したものですね。なるほど、興味深い内容です」

「どちら様ですか? 今日誰かが訪ねて来るなんて話は聞いていないんですが」

「ああ失礼、桂と申します。別の学校で教員をやっているものですが、少しお話が聞きたくてですね」

「事務が開いていない土日に? 申し訳ありませんが、今日はお引き取り下さい。見ての通り、友人の妹である山田沙耶さんの大学見学の案内をしているんです。別の方に掛ける時間はありません」

「それはそれは、申し訳ない」

 

 

適当な偽名を使っていたのに、即座に状況を理解して適応して見せたお兄ちゃんは、私の手を引いてこの場から離れようとする。

だが、行き先を阻むように現れた黒服のサングラスを掛けた2人組に道を塞がれた。

 

 

「でもですねぇ、こちらはそうはいかないんですよ佐取優助さん」

 

 

獲物を前にしてもう隠す気もないのか、歪んだ笑みを浮かべた桂は私達に歩み寄ってくる。

 

 

「私達の状況は非常に悪い。足場固めが出来ていないし、邪魔する奴らが多すぎる。だからと言って派手な武器を用意すれば警察が黙っていないし、国家権力を黙らせるコネクションだって持っていない。私達は急ぐ必要があるんです。それこそ、一分一秒だってね」

「……話し合いなら、無関係なこの子は帰って貰っていいだろう?」

「顔も見られてしまいましたし、何より優助さんへの人質になりえそうだ。非情に残念ながら逃がす理由は何処にもないですね」

「……見境なしかよ、外道が」

 

 

懐から、日本で普通に生活していれば見る事なんてないだろう銃なんてものを取り出した桂は、丁寧にハンカチに包んだ筒状のものを銃口に装着して、私達へと向ける。

ゲームの中でしか見たことがないそれは、防音機能に特化したサイレンサーと言うものだ。

 

一発で容易く命を奪う武器を出されて、緊張で表情が固まった私達の様子を満足そうな顔で眺めた桂は行動とはかけ離れた優し気な声で問いかける。

 

 

「貴方が調べている情報の価値を、私達なら分かってあげられる。貴方が欲する研究環境も、対価も、いくらでも用意しましょう。もちろん、『非科学的な現象』を兵器として扱えるようになってからね。大人しくついてきてくれるなら、優助さんにも、その子にも、手荒なことはしないと約束しましょう。さて――――どうします?」

「っっ……!」

 

 

拒否すれば隣にいる私達の命が危険に、拒否しなくとも相手にとってさらに有利な場所に連れていかれるだけ。

 

どれだけ学業で優秀な成績を残していても、こんな理不尽な選択を迫られることなんてなかった筈だ。

先ほどまで姿の見えない存在に襲われ、万全な状態でもないお兄ちゃんは、頬を流れる汗を拭くことも出来ずに、顔は青白く呼吸も荒くなっていく。

きっと思考を制限された今の状態では、まともな判断が出来ないまま、少しでも死の危険が無い方を選ぼうとするだろう。

 

そして、その心理は恐喝を何度もやってきているその道のプロである桂もよく分かっている。

 

 

(……)

 

 

私と彼らの前に立つお兄ちゃんの足が震えているのを見て、私も覚悟を決めた。

 

 

「非科学的な現象の正体が知りたいんですか?」

 

 

そっとお兄ちゃんの手元にある資料を奪いながら、私は桂達の前に出た。

 

家族であるお兄ちゃんには異能の事なんて絶対にバレたくない。

けれど、このままお兄ちゃんと私自身の命の危険さえあるものを見過ごすのなんてありえない。

 

だから、私は1つ策を講じることにする。

 

 

「りんっ……!?」

「ここに優助さんが調べているその現象の資料がありますよ。顔の無い巨人って言うネット上に住む化け物の資料らしいんですけど、見てみます?」

「……顔の無い巨人……へえ? 面白そうな話だね。でもそれよりも、泣きも震えもしないどころか、こうして前にすら出てくるなんて、山田さんって随分肝が据わってるんね。もしかして俺らが本当は撃たないとでも思ってる?」

「いえ、撃つんだろうなと思いました。それできっと、優助さんの情報が欲しい貴方達が、反抗された時に最初に狙うのは私の筈です。だから私が前に出たんです。撃たれるタイミングくらい自分で決めたいですから」

「あははは! 命乞いでもするのかな? 悪いけど、そういう命乞いは見飽きてるからさ」

 

 

嘲るようにそう笑った桂を、私は手に持った資料を差し出すようにしつつ、じっと見据える。

随分とまあ、ここまで性根が腐った奴が次から次へと湧いて来るものである。

 

 

「私だって命乞いする相手くらい選びます。命乞いはもう少し、理知的な人でないと効果なんてないです。遭遇した熊相手に命乞いなんて意味がありますか? 畜生にも劣る醜悪な精神性しか持たない人間に、いくら対話しようとも意味なんて無いんです」

「……おい、なめてんのか? お前の頭を吹っ飛ばすくらい何ひとつ躊躇うことなんてないんだよ。いい加減黙らねえと……」

「非科学的な現象を追っているのに、ここまでおかしな行動をする私を危険だと思えないんですね。非科学的な現象を、さっき言っていた顔の無い巨人を、扱える人間の存在を考えられない。だから貴方は三流なんですよ、桂さん」

「…………」

「――――撃てばいいじゃないですか。しっかりと私の頭を狙って、人質としての役目を無くせばいい。それに今更どんな意味があるか、身を持って実感しないと、どうやら貴方達は分からないようですから」

「…………ふ、随分と頭と口の回るようだが、あまり龍牙門を舐めるなよガキ」

 

 

苛立ち混じりに外向けの仮面を破り捨て、そう言い放った桂の言葉の直後。

パシュッ、と潰れたような静かな音が響いた。

 

銃弾が私の足を貫通した。

お兄ちゃんが目を見開き、短い悲鳴を上げ、銃弾が貫通した私のふとももから血が流れだすのを見た桂達が嘲笑の笑いを上げる。

けれど、銃弾がふとももを貫通した筈の私が、痛みも衝撃も感じないかのように、そのまま何事も無かったかのように立ち尽くしているのを見て、嘲笑が疑惑に変わり、次いで、混乱に変化した。

 

それらの様子をじっと見詰めた私は、彼らの思考がある点に辿り着いたのを視て、両手の指先を合わせる。

 

 

「……もういいか――――起きろ、顔の無い巨人」

「……は?」

 

 

私の言った言葉に数秒の沈黙した後、桂はポカンと口を開けて私を見る。

他の2人の黒服が、慌てて周囲を見渡して何が起こるのかと警戒を始めた。

 

何も起こらない。

 

それからしばらく、何も起きない周りの様子に、次第に彼らは落ち着きを取り戻し始め、私の虚勢だと判断した桂が馬鹿にするように笑みを作ろうとして。

 

 

「――――あはっ」

 

 

私は嘲笑の笑い声を上げた。

 

 

「貴方達、随分と顔の無い巨人に興味があるんですね」

 

 

ブツンッ、と周囲にあった電子機器が起動した。

先ほどと同じように砂嵐の音を起こしながら、全ての電子機器がインターネットに接続される。

 

世界が塗り替えられる。

インターネットに潜む何かが、システムに触れたそれらを見定め牙を剥く。

今度の標的はお兄ちゃんではなく、桂達3人だ。

 

 

「な、なんだこれは!?」

「ひっ……! か、桂さんっ! 何かが、何かがいます!!」

「なんだこれっ、なにっ、ひっ、きょ、巨人がっ……」

「――――お前ェェ!! 何をしやがったァ!!!」

 

「うぷぷー、ざまあみろ! ぺっ」

 

 

お兄ちゃんから奪った資料を桂達目掛けて放り投げる。

異能を使い、その紙の束が異常に視界を遮るよう誤認させ、追撃を拒みつつ、目を白黒させるお兄ちゃんの手を取って逃げ出した。

 

 

「り、燐香今お前、足撃たれてなかったか!? と言うか、お前、顔の無い巨人を操れるのか!?」

「……ギ、ギリギリ銃は当たらなかったよ! 顔の無い巨人は襲われるきっかけが分かっているんだから、そうなるように誘導しただけ! そんなこと良いから、逃げるよお兄ちゃん!!」

「どんな頭の回転してるんだよっ……くそ、無茶しやがって……!」

 

 

当然、銃弾なんて当たっていない。

“千手”の面攻撃を避けられるのに、銃弾なんて言う狭い範囲にしか殺傷能力がないものを避けられない道理はないのだ。

あらかじめ分かっていれば散弾だってやり過ごせる……もちろん、めっちゃ怖いからやりたくなんてないけども。

 

せっせと足を動かしている私を見たお兄ちゃんが驚いた表情を見せる。

 

 

「燐香……お前、そんなに走れたのか? 運動会だといつもビリで、不機嫌になってたのに……」

「いっ、今そんな話は良いでしょ! 黙って逃げるの!!」

「あ、ああ、悪い。けど、真昼間のこんな場所で銃をぶっ放すなんて相当いかれてる……あいつらは……顔の無い巨人に襲われたんだろうけど、どこまで徹底的にやってくれるか……」

「ああ、それは……うん。多分、気絶するくらいはやってくれるんじゃないかな、うん」

「そうなのか? 確かに、これまで集めた情報からして、大きな外傷はなくとも、恐怖して二度と調べる気がなくなるようなことをされるんだろうことは想像していたが……」

「そ、それよりも! 何処に逃げるの!? このまま、外にまで逃げる!?」

「仲間が外を張ってる可能性は高そうだ。どれだけ人数がいるかも分からない、次はきっと銃が外れる様な事もないだろうから……研究室に逃げ込んで立てこもろう。あとは警察に電話をして……!」

 

 

パンパンッ、とさらに連続した発砲音が背後から響いて、私達は揃って顔を引き攣らせる。

異能で目隠ししていたこともあり、私とお兄ちゃんどちらにも当たらなかったようだが、もう、普通に発砲してくる桂とか言うヤバい奴とは金輪際顔を合わせたくない。

 

 

(……この距離ならまだ思考誘導可能な範囲だから、さっきの奴らへ干渉を続けられる。5分も稼げれば完全に無力化できるし、一度時間さえ稼げちゃえばいい私の異能って、やっぱり凄く便利)

 

 

階段を上り切り、後ろから追ってきていないことを確認して、私はひとまず安心する。

当然、異能で場所の捕捉は続けているし、思考誘導も続行しているので、無力化するのは時間の問題だ。

 

危険がほとんどなくなったことを、初めて命の危機を味わい今も恐怖で手を震わせているお兄ちゃんに、伝えてあげたいが、どういう根拠でと聞かれると困ってしまうから黙っておくほかない。

お兄ちゃんにはもう少し、怯えておいてもらおう。

 

そんなことを私が考えているうちに、お兄ちゃんは目的地にたどり着いたようで、ある部屋の鍵を開け、私が中に入ったことを確認してすぐに扉を閉めて施錠する。

 

 

「よしっ、取り敢えず、辿り着いたな……ようやく一息つける……」

「はぁはぁ……お兄ちゃん、あんな人達とは知り合いなの?」

「今日初めて会ったよ。燐香だって、変な偽名を使ってたじゃないか」

「あれは昨日、大学の中に入れなくて立ち往生していた時に声を掛けてきたから、咄嗟に偽名を使ったんだよ。まさか、お兄ちゃんを目当てにしてるなんて……」

 

 

当然嘘だ。

お兄ちゃんを目的にしていたから、佐取と言う苗字は出したくなかったし、下の名前もあらかじめ血縁関係を調べられていたら面倒だと思って適当に言ったのだ。

 

まあ、正直、ここまで来たら後は消化試合だ。

異能の射程距離内にいる彼らは、私は一方的に干渉を仕掛けることが出来るし、無力化して、近くにいるらしい神楽坂さんに連絡を付けて、警察に来てもらえれば今回の件は収束する。

大学で発砲するなんて行動を起こしたことで、彼らの本拠地にも警察の調査が入ることになるだろうし、一網打尽することが出来るだろう。

 

どうやったら私の休みの内にお兄ちゃんを狙う奴らを潰せるかと悩んでいた私としては、これ以上ない結果である。

 

 

「取り敢えず、警察に電話して……お兄ちゃんは警察に連絡してね、私も知り合いに連絡を取るから」

「……荒事に融通が利く知り合いがいるのか? 分かった」

 

 

携帯を取り出して、電話帳に登録されている名前を見て指が止まる。

さて、どっちに連絡しようか、なんてちょっとだけ考えた。

 

神楽坂さんと飛鳥さん。

正直、戦力面としてだけ考えれば飛鳥さん一択だが、ここ連日夜になると私に電話してきて、変な部署に異動になったと愚痴を吐いてきていた。

「何もやることなく待機ばかり」やら、「積んでいた本を何冊も読み切った」やら、どうでも良い事をずっと聞かされていた身としては、多少迷惑かけるのもやぶさかではないのだが、もし仕事中だったら新しい部署で不慣れな中、抜け出して来いという要求をすることになる。

ほぼ王手状態の今、そんな迷惑を掛けてまで飛鳥さんの戦力が必要かと言うと、そんなことはないだろう。

 

一方神楽坂さんからは、どうもお兄ちゃんの大学での研究について調査をしている途中との連絡が入っていた。

随分とタイミングが良いが、今日もどこか近くにいるだろうことは確実だし、この前の不良少年達を一蹴した神楽坂さんの化け物具合を見る限り、異能が関係しない相手ならば一方的にぼこぼこに出来るだけの実力が絶対ある。

そして、彼らは私が探知した限り、異能持ちは誰一人として存在しない。

後は、神楽坂さんが居ればきっと何とかしてくれるだろうという安心感がある。

 

どちらを選ぶかは別に考えるまでも無かった。

 

 

「うん、神楽坂さん一択だね」

 

 

そもそも昔の関係が判明してから、飛鳥さんはスキンシップが激しすぎて少し怖いのだ。

そこまで切羽詰まってもいないし、ここは神楽坂さん一択である。

 

電話を掛けるといつもと違い、数コール置いてから通話が繋がった。

 

 

『……佐取? 大丈夫か?』

「あ、神楽坂さん! あのですね、昨日連絡した通り、お兄ちゃんと一緒に大学に来ていたんですが、変な連中がいきなり銃を持って襲ってきまして。今はお兄ちゃんと一緒に研究室に隠れているんです。神楽坂さんはどこにいますか? 出来たら救助に来て欲しいんですけど」

『銃? あー……こっちも同じだ。大学に入ろうとして邪魔されていた。恐らく佐取のお兄さんを狙ったものだったと思うが、足である車にいた奴らはあらかた無力化したからこいつらの計画はほとんど潰れたも同然だ。これから大学内に入るから、佐取はお兄さんと一緒にしばらくその場に隠れていてくれ』

「おお……やっぱり神楽坂さんは頼りになります。あと、私達を襲って来た奴らは今、幻覚に惑わされている状態になっているようなので、見付けたら拘束してしばらく放置するのが良いと思います」

『……状況はよく分からないが、分かった。佐取の言う通り、あまり接触せず自由だけ奪って放置しておく。それと、佐取は無理をして自分を危険に晒す癖があるからな、その場で大人しくしていろよ、いいな』

「……そんなつもりないんですけど。まあ、いいです。また後で」

 

 

そう言いながら電話を切る。

神楽坂さんが既に大学内にいるということは、もう10分もしない内にここまで助けに来てくれるだろう。

 

と言うか、足である車で待機していた人達を制圧したって、軽く言っているが何人を相手にしたのだろう。

やっぱりあの人はフィジカルお化けだ。

明らかに不健康そうな老け顔してるくせに、プロの格闘家とさえやり合えるんじゃないかと思う程の強さを誇っている。

異能持ち、若しくは“千手”クラスの、世界の戦場を股に掛けてるその道のプロが相手でもなければ、神楽坂さんが負けることは無いだろう。

 

その神楽坂さんが手も足も出ない、異能持ちとか言う奴らのヤバさが際立つ話でもある訳だが。

 

 

「お兄ちゃん、やっぱり非科学的な現象どうこうって危ないし、研究とかするの止めとかない?」

「いきなりどうした!?」

 

 

警察への連絡が終わったのか、私の言葉に困惑を露わにするお兄ちゃん。

正直異能持ちなんて碌でもない奴がほとんどなので、安全を考えたら関わるようなことをしないのが一番なのだ。

 

 

「まあ、そんな話は後でしよっか……」

「……ああ、そうだな」

「そういえば、せっかく友達に持ってきてもらった資料を捨てちゃってごめんね」

「いやそれは、命には代えられないだろ。……むしろ、燐香を矢面に立たせてごめん。足が動かなかった」

「普通拳銃向けられて怖くない人なんていないって。気にしなくていいから」

 

 

ふっ、と疲れたように息を吐いたお兄ちゃんを眺め、インターネットに潜む怪物に襲われただけでなく、妙な組織に狙われることになっているお兄ちゃんに同情する。

行動を実行した桂達とか言う頭のおかしい人達は勿論だが、声明を出したICPOや、傍観を決め込んだ日本政府、またこうなるきっかけを作った“千手”や“白き神”はお兄ちゃんのような被害者が出ることをよく考えて、猛省してもらいたいものである。

これで私とは全く関係ない人が狙われていたら、防ぐ術などない筈なのだから、その人は抗うことも出来ず生活を滅茶苦茶にされていたことだろう。

 

 

(少なくともICPOは目の前で命を落としそうな一般人を見捨てるようなことしたからね。政府も警察も、この世のあらゆる組織的なものに信頼を置くことなんて出来ないや)

 

 

やっぱり、神楽坂さんのような善人である個人しか信頼することは出来ないし、本当に信頼する組織を作りたいのなら自分で作る以外道はないのだろう。

そんなことを考えながら、今の状況をそれほど危機的に考えていない私とは対照的に、お兄ちゃんは悲壮な顔で私の肩を掴んだ。

 

 

「……もし、奴らがここに乗り込んできそうなら。何とか俺が時間を稼ぐから、燐香はあの棚の下の部分に隠れてくれ。お前くらい体が小さかったらきっと入れるから……」

「お兄ちゃんそんなこと言わないで」

「いうことを聞け、良いからこんな時くらい兄らしいことさせてくれ」

 

 

震える手でフラスコ類が置かれた棚を指差すお兄ちゃんに、私の申し訳なさが増していく。

 

もうほとんど危険はないのに、お兄ちゃんは今も悲壮な決意をしていた。

やれ自分がいなくなったら部屋にあるものを片付けてくれや、お父さんには何と言って、桐佳にはどう伝えて、と遺言を残すように次々言っていくお兄ちゃんの姿は、悲痛に満ちている。

 

あんまりにも聞くに堪えない。

こんな遺言染みたことはやめさせようと、私は口を開き掛けて。

 

 

「?」

 

 

異能を向けていた対象が消えた。

 

これまで精神干渉をしていた桂達の思考の操作が出来なくなっただけでなく、思考すら読めなくなった。

 

この感触は覚えがあった。

 

 

「? ……りん」

「黙って」

 

 

おかしい。

なにかがおかしい。

 

意識を失ったというなら分かる。

ネット上の怪物が意識を奪うことは分っていたし、いずれそうなることは予測していた。

だが、それにしたって3人が一斉に意識を奪われるというのは妙だ。

もっと一人ひとり順番に意識を無くしていくものだとばかり考えていたのだ。

そしてなによりも、意識を失う時はもっとじんわりと意識が消えていくものなのに、今の感触は電源を引き抜かれたかのような唐突さがあった。

 

この感触はまるで、死んだときの様な。

 

 

(……なにが)

 

 

トントン、と私達がいる部屋の扉がノックされた。

 

規則的に続けられる扉を叩く音は、探し人がこの部屋にいると分かっているかのようにずっと続けられている。

 

神楽坂さんではない。

大学にいる他の人達ではなければ、きっと先ほどの反社会的勢力の者達でもないだろう。

噴き出した冷たい汗が頬を伝う。

 

 

――――だって、扉の外にいる筈の何かを、私の異能では感知出来ていないから。

 

 

肌が粟立つ。

感情がない、思考がない、私の読心が通用しない。

そんな存在がいる筈ないのに、生まれてこれまで味わったことの無いこの感触が、いくら探っても変わることが無いから。

 

私は扉の先にいる何かを、じっと見詰め続けた。

 

 

 

 

 

 


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