非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?   作:色付きカルテ

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顔の無い巨人

 

 

 

 

お兄ちゃんの大学に突如として現れた変異系統の異能持ち。

これがどんな詳細の異能なのか、正直言って今の私には分からない。

 

異能の出力を遮断し、外部からの異能の干渉を弾くなんて、異能と言う第六感を広げていただけの私ではそういう相手は探知すら出来ていないからだ。

経験も知識も無い相手。

けれど、それでは全くこの未知の相手に対して対策を練られないのかと言うとそんなことは無い。

2度ほど顔を合わせたコイツの異能の使用から、分かることはいくつかあった。

 

強酸性の特性及び発火性を持つ液体への変異。

扉をノックする等が可能な固体への変異。

特定の人物に対する擬態。

そして、外部からの異能及び、自身が発する異能の出力を絶縁する特性。

 

それらから導き出される異能は、恐らく……『身体変化』。

液体への変化を基礎として、特性を付与するタイプの異能だと思われる。

 

異能を遮断していた外皮を剥してのソウルシュレッダーは通用した。

だが、外皮を剥した時に確認したが、“白き神”のように目の前の個体が本体にパスがつながっている訳では無かった。

つまり、私が対峙したコイツは本体を介さず完全に独立して知性を持つ異能の存在。

指が残っていたのを考えると、大本の異能持ちが自身の指を起点とすることで、疑似的に知性を会得させることに成功していたのだろうと思われる。

本体との繋がりがない以上、私がラインを通して本体を特定するのは不可能だが、同時に私と言う異能持ちの存在が本体に知られていないとも言える訳だ。

 

それらを踏まえて、私はどうするべきか。

 

マンションに発火性の液体を撒き散らし、轟々と燃え上がる火炎の中から歩みを進めるこの怪物を打倒することは、そもそも可能なのだろうかと思考を巡らせ、正面のそれから視線を逸らす事無く、異能の行使を始める。

 

 

「――――伏木っ、お前っ、どういうことだ!?」

 

 

神楽坂さんが吠える。

信頼していた人間が本性を現したことに心底動揺しつつも、重心を落としすぐに動けるようにして会話をしようとする神楽坂さんに、そのまま時間稼ぎを任せることにする。

 

 

「お前はいつからっ……いや、お前は本当に伏木航なのか!? 成り替わった別人か、それとも最初から計画を立てて警察に入ったのかっ……答えろ!!」

「あーあー、神楽坂先輩うるさいなぁ。ここマンションですよ? 日も暮れて来たんだからもう少し声を落とさないと近所迷惑じゃないですかぁ」

 

 

やけに常識的な話をして、声を荒らげる神楽坂さんを嗜める他人の皮を被った怪物は気味が悪い。

まともに取り合うつもりも無いだろうと思えるこの男の態度だが、それでも神楽坂さんは必死に、まるで否定してほしいとでも言うように噛み付いていく。

 

 

「っっ……何時からっ……何時から俺らを騙してた!? その力を使って、どれだけの悪事を働いてきたんだ!? なんでこんな事を起こしたっ!?」

「あはは、まだ神楽坂先輩は俺を信じようとしているんですね。ええ、実はやむにやまれぬ事情があって、仕方なくこんなことをしてるんです。だからこれっぽっちも神楽坂先輩を騙すつもりなんて無かったんですっ! ……なーんて、そう言ったら信じてくれますか?」

「伏木っ……お前……!!」

「最初から伏木航と言う人間はいなかったのか。それとも途中で成り変わられたのか。……神楽坂先輩、俺悲しいよ。あれだけ俺が慕っていた先輩がそんなことも分からないなんて……酷いなぁ、悲しいなぁ……ああ、でも仕方ないか」

 

 

さも、これ以上無いくらいの悲劇に見舞われたとでも言うように、大仰に涙を隠す動作をしたその男は、指の隙間から漏れる笑みをきっと隠すつもりも無い。

 

 

「神楽坂先輩、あれだけ仲の良かった落合巡査部長が自殺するまで異常に気が付けないくらいですもんね?」

「……お、まえ……まさか……」

「おかしいよなぁ。絶対あの人色んな葛藤あった筈だもんなぁ。普通でいられるはずが無かったもんなぁ……ねえ神楽坂先輩、最後に見た落合巡査部長って、どんな表情をしてましたか?」

 

「――――おまえッ!!!!」

 

 

あいつと、白崎天満と同じ、神楽坂さんの過去の事件に関わる者。

それをこの怪物ははっきりと言葉にした。

 

次の瞬間、神楽坂さんの形相が豹変する。

私がこれまで見たことも無いくらい、憎悪に染まった神楽坂さんの様子。

完全に冷静さを失った神楽坂さんが構えた銃を連射したのを、怪物はちっとも痛くないかのように、笑いながら受け止めた。

 

心底愉快そうに、にやついた表情を浮かべたソイツは受けた銃弾を指折りで数えていく。

 

 

「……3、4、5発。ああ、全部撃ち尽くしちゃいましたね神楽坂先輩! 警察官は常に冷静でいろってあれだけ俺に言っていたのに、全然だめじゃないですかっ!! 知ってましたか? 拳銃の銃弾って、水風船を5つ分も満足に貫通出来ないような威力しかないんですよ? 折角の遠距離武器なのに、ちゃんと弱点を狙わないから、無駄になっちゃいましたねぇ」

「伏木っ!!!」

「神楽坂さん!! 駄目です落ち着いて!!!」

 

 

飛び出しそうになる神楽坂さんの肩を掴み、私は必死に引き止める。

神楽坂さんが本気で私を振り払おうとしたら、私の力なんて毛ほども障害にならないだろう。

それでも私の制止に動きを止めてくれたのは、神楽坂さんが私を信用してくれているからに他ならない。

 

ケラケラと笑っている人の皮を被った怪物を見た。

挑発し致命的な隙を作ろうとすると同時に、コイツも出来るだけ時間を稼ごうとしている。

恐らく発火している液体により、マンションに完全に引火するのを待っているのだろう。

逃げ場を奪う、あるいは環境を自分にとって有利なものにすることで、確実に私達を仕留められるようにと言う意図で。

 

血走った目で怪物を睨んでいた神楽坂さんが、私の言葉に大きく息を吸いこんで激情を抑え込む。

あれ、と肩透かしを食らったように小首を傾げた怪物は、ようやく存在に気が付いたように私をじっくりと見詰めてきた。

 

疑惑に満ちた表情を浮かべた怪物が、私に問いかける。

 

 

「……お前、なんだ?」

「自己紹介するとでも?」

「神楽坂先輩との仲は何だ? どういう経緯で知り合った? 最近神楽坂先輩が異能の関係する事件を解決しているのも、白崎の奴のテロが阻止されたのも、お前が関係しているのか?」

「そういうあなたは、化けの皮が剥がれてますよ。伏木航と言う人物とは少々かけ離れている気がしますね。本当の伏木航と成り替わったのは何時ですか? ……ああ、失礼しました。この質問では答えにくいですよね、質問を変えましょう。この事件に関わる前、神楽坂さんと最後に連絡を取り合ったのは何時ですか?」

「…………」

「警察学校時代? それとも所属替えをした時にでも? 若しくは個人的な付き合いがありましたか? あるいは……神楽坂さんの身近な人が亡くなった時、心配して連絡したというのも考えられますよね。答えてくださいよ、伏木の名を騙る誰かさん」

「……お前は邪魔だなぁ」

 

 

返答は、刃のように鋭い形状に変異した腕の薙ぎ払いと共に。

 

だが既に、神楽坂さんとの会話で稼げた時間だけ、この怪物の攻撃は私達に届かない。

マンションの壁を破壊するだけに留めたその攻撃に、怪物は表情を歪める。

 

 

「……なんだかおかしいなぁ、妙な感覚だ。狙いがズレる。上手くいかない……」

 

 

肩を回すようにして腕の調子を確かめる怪物が、うまく思考誘導に掛かっている事を確認出来て安心する。

読心が出来ないと相手の思考を操作出来ているか分からないのが辛い。

物理的に干渉できる異能ではない私では、まともに攻撃を受けたら一発でアウトなのだ。

 

今まで感じたことの無い緊張感が常に私の精神を蝕んでくる。

 

腕の調子を確かめていた怪物は無造作にもう一度腕を振るうが、当然それも見当違いの方向に向かった。

 

 

「……これは、異能……?」

 

(こいつ……ただでさえ異能の相性が悪いのに、私の思考誘導を受けても冷静。……まずい、また前みたいに気が付いたら異能の出力限界を迎えてたなんてことになったら……)

 

 

基本的に私の異能では物理的な現象を起こせないのだから、相手の精神を揺さぶるしかない。

それなのにコイツは冷静にズレの原因を探っていて、全く精神が揺さぶられている様子が無い。

 

しかも最悪なのはそれだけじゃない。

 

じりじりとした熱が肌を焼く。

煙を察知した火災報知器が大きく音を鳴らし始める。

火が周りを包み始めたのに、それを引き起こした当人はいっそ涼し気だ。

流れ落ちる汗が顎を伝い、火災の煙が私達を取り巻いていく。

火災により逃げ場が徐々に失われていく。

 

完全に逃げ場が無くなるまでもう時間も無い。

仕事中だとか、異動後で馴染めてないだろう新部署とかもうどうでも良い。

飛鳥さんに救援要請を送ることを決意する。

多分、駆け付けてくれる……筈だ。

 

取り敢えず神楽坂さん達に逃げようと合図を送った時。

昨日も私とお兄ちゃんの騒音被害に遭った隣人が、騒がしい外の様子を見ようと部屋から顔を覗かせた。

 

 

「危ないっ、部屋に戻れ!」

「え?」

 

 

焦った神楽坂さんの警告に、眉をひそめながら外を窺ったお兄ちゃんの隣人は虚を突かれた様に目を丸くして。

 

その直後、隣人は何も理解できないまま、脇腹をゴムのように伸びた腕に殴り飛ばされ、壁に叩き付けられた。

グルリと白目を剥いて意識を失った顔見知りの姿に、お兄ちゃんが思わず息を呑む。

 

 

「……やっぱりだ。そもそも、不都合なものを見た一般人をただ殴り飛ばそうって発想になるのがおかしいよな。ちゃんと致命傷になるようにする筈なのに……だけど、こうして気を付けてよく考えれば……」

 

 

そんな凶行に及んでも、コイツは何一つ悪びれることは無い。

不思議そうにつぶやいた怪物が首を傾げている間に、神楽坂さんが気を失った隣人を救出に走る。

私は先ほどの金属バットを、お兄ちゃんは手に持っていた荷物を怪物目掛けて投げ付けて、神楽坂さんが逃げる時間を稼ぎ、そのまま3人で階段方向へと走り出した。

 

投げ付けられたものを片手で防いだ怪物は、逃げ出す私の背中を見詰める。

 

 

「……認識阻害。精神干渉。そこらへんの異能が考えられるけど……まあ、さっき俺をやったのはお前だよなぁ」

 

「神楽坂さん、お兄ちゃんとその人を連れて逃げてください。それと、飛鳥さんに救援要請をお願いしますね」

「なっ……燐香、何を言って!?」

「私が飛鳥さんが来るまでの時間稼ぎをします。神楽坂さん達よりもずっと適任ですから、心配しないでください」

 

 

異能を持っている私がこいつを相手に時間を稼ぎ、神楽坂さんに飛鳥さんへの応援要請を出してもらう。

 

幸い、奴に今の優先するべき標的は私に切り替わった。

現状、これ以上ない最善の選択だろう。

 

表情を歪めながら頷いた神楽坂さんにお願いしますと言って、それからお兄ちゃんを見る。

 

 

「燐香っ、あんな怪物相手に一人で時間稼ぎなんて出来る訳がっ……!」

「出来るよ、大丈夫。だからお兄ちゃん、神楽坂さんの手助けをお願いね。もし万が一私を無視して2人を追ってきたら、対処する必要があるからさ」

「そんな筈っ……貴方からも何か言ってください! 妹があんな化け物を相手にする必要なんてないって……!」

 

 

お兄ちゃんはまだ異能持ちと言う存在について分かっていない。

どれだけの身体能力を持っていたとしても、どれだけ歳の差があったとしても、異能の有無と言う格差はどうしようもないということを、まだお兄ちゃんは理解していないのだ。

だからこそ、それを嫌と言う程理解している神楽坂さんは、お兄ちゃんの言葉に頷くことが出来ず押し黙るしかない。

 

何も言わない神楽坂さんに、お兄ちゃんは唖然とした表情を向ける。

信じられないというようなお兄ちゃんの反応は、普通の価値観を持った人からすれば当然なのかもしれない。

 

 

「大丈夫、任せてお兄ちゃん。私は――――」

「……舌を噛むなよ」

「へ? うひゃぁっ!?」

 

 

ガバリッと唐突に、お兄ちゃんは私を抱き上げた。

驚く神楽坂さんを無視して、お兄ちゃんは私を抱き上げたまま階段まで辿り着くと上階へ向かう階段に足を掛けながら、神楽坂さんに向けて叫ぶ。

 

 

「俺は燐香と一緒にあいつの足止めをします! 貴方はその人を安全な場所にっ! それと、誰かは知りませんけど、アイツに対応できる人に応援要請をしておいてください!」

「えっ、えっ!? お兄ちゃん!?」

「俺の方が早いし体力がある! そうだろ!?」

 

 

それだけ言って、お兄ちゃんは私を抱えたまま、有無を言わさず階段を駆け上がっていく。

 

 

「っっ……あいつがお前らを追ったら飛禅に連絡はする! それまで何とかして耐えてくれ!!」

 

 

必死の形相でそう叫んだ神楽坂さんは、私達とは反対に階段を駆け下りて行った。

 

遠くに見える伏木と言う人間の皮を被った怪物が大学で見た時と同じように、追跡に適したものへと体を変貌させ、人間離れしたその肉体を躍動させて追ってくる。

恐るべき速さで追跡を開始した怪物は、真っ直ぐ私とお兄ちゃんを視線で捉えて離さない。

 

数段飛ばしで階段を駆け上がるお兄ちゃんだが、人間では不可能な三次元的な動きで追いかけて来るアレには、きっとすぐ追いつかれるだろう。

慌てて思考誘導で怪物の重心を崩すよう仕向け、追跡の妨害を行う。

 

 

「お兄ちゃん! 私は――――」

 

 

このままお兄ちゃんを危ない目に遭わせてしまうくらいなら、もういっそ自分の特異性を告白してしまおうか、と頭を過った私はそこまで口にして。

 

 

「知ってるよっ……! 燐香が、あの怪物と同じような力を持っているってことは!」

「――――」

 

 

思いもしなかったお兄ちゃんの言葉に、私の思考が停止した。

私はバタバタと暴れていたのもやめて、呆然とお兄ちゃんを見る。

 

いや、そうだ。

あれだけの事があったのだから、バレていたっておかしくはないと思っていた。

そのことの話をしていなかったのは、単に連続して襲撃があったからで、時間があればきっと問い詰められていただろう。

 

けれど、お兄ちゃんはそんな私の考えを否定する。

 

 

「ずっと前から……燐香と喧嘩をした2年前からずっと分かってた……お前が、人とは違う才能を持っていて。きっとそれは人智を越えているんだろうってことは、知っていたんだよ」

「け、喧嘩って……嘘……お兄ちゃんが、桐佳の誕生日祝いの約束を破った時のこと……? そ、それで気が付いて、家を出て一人暮らしを始めたの……?」

「…………その客観的な事実だけ聞くと、ほんとに俺が最悪みたいだからやめてくれ」

 

 

私を抱えて走りながらそれ以上話すのはやっぱり辛かったのか、お兄ちゃんはそれ以上は話さないまま、屋上まで登り切る。

 

息を整える間もなく、扉を突き破って追って来た怪物の衝撃で、私とお兄ちゃんは地面に転がった。

私と言う重しを持った状態で数階分の階段を駆け上がったのだから当然だが、お兄ちゃんは息も絶え絶えで、汗の量も尋常ではない。

 

 

「……あの時がきっかけだけど、お前がそういう特別な才能があるんだってことは、それ以前も何度も思って来た。妬みもしたし、恨みもした。距離を取ったり、何とか出し抜こうとしたり、どうしようもなくなって怖がったりもしたけど……今だってお前の事を、全く怖くないなんて言えないけど」

 

 

それでも、同じように地面を転がった私の前に立って、怪物と相対しようとする。

お兄ちゃんは私を見ない癖に、私を守ろうと怪物の前に出る。

 

 

「燐香が俺は絶対に持てない様な力を持っていたとしても……目の前のアレとも、人を簡単に殺そうとする犯罪者とも違う。それだけ分かったから……だから、もう良いんだ」

 

 

怪物が私達の姿をその目で捉え、攻撃方法を変える。

灼熱の液体を雨のように屋上全体の上空にばら撒いた。

 

読心で先読み出来なかった状況での最悪の一手。

意識の空白を作って回避なんて、そんな器用なことを出来ないまま、灼熱の雨は私とお兄ちゃんに降り注ぎ。

 

 

「……燐香、お前は俺の妹だから」

「――――」

 

 

お兄ちゃんは私を、覆いかぶさるように抱き締めた。

高熱の液体が降り注ぎ、屋上にあるものを焼いていく。

私を守るようにして、ぎゅっと強く私を抱きしめ続けるお兄ちゃんは、もう自分の事なんて考えていないようだった。

地面に跳ねたものですら熱くて泣きたくなるのに、これを身に浴びているお兄ちゃんはどれだけ熱い思いをしているのか。

細かい高熱の液体が全身に降り注いでいる時、どのくらいの時間を人の体は耐えられるのだろうか。

 

ゴトッ、とお兄ちゃんの服のポケットから携帯電話が落ちた。

表示された待ち受け画面は、私と桐佳とお兄ちゃんが写った、ずっと前に撮った家族写真。

私ですら忘れていたその古い家族写真を、お兄ちゃんは携帯電話の待ち受けに使っていた。

お兄ちゃんはずっと、その写真を大事に持ち続けていた。

 

体が勝手に動いた。

 

 

「――――止まれ」

「!!??」

 

 

行使されていた異能の雨が止まる。

強制的に相手の知性を起点に異能の出力を割り込ませて、相手に異能の出力を遮断させた。

初めて襲う異常事態に人の皮を被った怪物は、自分の体が変化させられないことに驚愕している。

 

これまで無いほどの異能の大出力に、激痛が頭を襲い一瞬で視界が真っ赤に染まった。

 

 

「なっ、他人の異能を強制停止させるだと!? 異能の干渉を受けない俺が!? なんでっ……!? いったいどうやって……!!」

 

 

ゴポリッ、とせり上がって来た血を吐き出しながら、私はお兄ちゃんの容態を見る。

服が盾になって大やけどは逃れているようだが、傍目からは深刻具合が分かり辛いし、痛々しいほど焼かれたお兄ちゃんの肌からは血がにじんでいる。

 

早く病院へ行かないとどうなるか分からない。

時間をかけることは出来ない。

 

 

「燐香……血が……」

「……お兄ちゃん」

 

 

朦朧とした意識の中でも、お兄ちゃんは私の口から溢れる血に心配するように手を伸ばす。

家族に対して冷たいと思っていたお兄ちゃんがこんな人間だったなんて、いままで自分はどれだけ家族の事を見ていなかったのだろう。

 

これまで散々時間はあった。

それでも、年の離れた兄との険悪な関係をそのままにしたのは、私の異能を知られた時、受け入れられないんじゃないかと言う恐怖があったからだ。

異能と言う隔たりがある、他人と自分は違う。

家族であってもきっとそれは変わらない、きっと異能を持たない家族の誰にも、私と言う人間は永遠に理解されることは無いのだと、ずっと諦めていた。

 

そんな想いがあって、私はずっと逃げて来た。

母親との最後の約束を盾に、私の異能で家族を守っているのだからと言う自分勝手な免罪符で、家族の誰にも私の特異性を話さないままこんなところまで来てしまった。

自分の歪さも、家族との関係が拗れたのも、全部そうやって先延ばしにしてきたせいなのだ。

 

 

「くそっ……異能が使えないなんてあり得ないっ……!! なら、直接お前を仕留めればっ……!!」

 

 

これまでの時間、私の異能による浸食を受けていたコイツへの思考誘導は既にかなりの深度だ。

読心できない状態では完全な末期状態までは持っていけないが、疑似的なものは出来る。

 

怪物が攻撃のために右手を動かした瞬間、私も異能による誤認を行う。

ボンッと言う音と共に、動かした左手により自分自身の顔を攻撃した怪物が、意味が分からないというように、目を白黒させながら吹き飛んだ。

着地しようとした足の重心を崩し、支えにしようとした腕を自分の足に突き刺し、受け身も取れないまま転がっていく。

 

 

「な、んだこれっ!? このっ、ふざけっ……!?」

 

 

私は怪物に一瞥もしないで、お兄ちゃんに話しかける。

 

 

「……お兄ちゃん、私はね。小さな頃から人の心が読めたんだ。だから、お兄ちゃんの心を読んで将棋に勝ったり、お父さん達の心を読んで何が求められているのか分かったり、桐佳の心を読んで好かれるように努力したりした。ズルばっかりしてきた私は、一度だってまともにお兄ちゃん達と同じ土俵には立ってなかった。最低だし、最悪だし、人の心を平気で踏み荒らす私は、自分自身が一番屑だって分かってる」

 

 

私はそこまで言って自分の携帯のフォルダを開いた。

お兄ちゃんが持っていた古い家族写真が、奥深くに眠っていたのを見付けて安心する。

忘れていただけで捨てていなかった。

 

なら、きっとまだ拾い上げる事は出来るのだろう。

 

 

「自分は特別なんだって思ってた。だから、家族を守れるのは私だけなんだって思ってたんだ。どれだけ異能を非道に扱っても、家族を守れればそれでいいと思った。自分自身の欲望で他の人を傷付ける人間がいつ私の家族に襲い掛かるか分からないから、悪人はどれだけ悲惨な目に遭わせても良いと思った。……人に守られるような資格なんてない。そんな人間なんだよ、私は」

 

 

意識が朦朧としているお兄ちゃんに私の言葉がどこまで届いているかは分からない。

返事もないし、私自身も異能の出力を上げすぎて意識が朦朧としてきたけれど、これだけはちゃんと口にしないといけない気がした。

逃げ続ける私にお兄ちゃんが歩み寄ってくれたから、私も手を伸ばすべきだと思ったから。

私はそこまで言って、お兄ちゃんを地面に寝かせた。

 

何かを喚き散らしている怪物へ視線を向ける。

未だに読心は出来ないし、外側からの異能は弾くし、出力を出しすぎてこれ以上私の異能の酷使は出来ない。

本体は別の安全な場所にいるだろうし、単なる独立した知性体のコイツ単体に対して怒りを向けてもきっと意味なんてない。

 

完全な手詰まりに近い状況。

だけど、こいつだけは私の手で始末すると決めた。

 

 

「……貴方は自分の情報を他人に知られたくない時どうやって口封じをしますか?」

「お前っ……俺に掛けたこれはなんなんだっ……!? 本当にお前は精神干渉の異能なのか!?」

 

 

一方的に話し掛け続ける。

 

 

「幸い、私の異能は他人にバレにくい。情報として流れにくいし、目立つようなことしなくても他人を無力化できる。それでもいつかきっと、私の情報が集積して、誰かに個人情報が特定されると思ったんです。そうして他の異能持ちから見つかって家族が攻撃されるのを避けたかった私は、どうやって情報の集積を防ぐか考えたんです」

「何なんだっ……何が言いたいんだ!? 情報の遮断なんて、今話すようなものでもないだろうが!!」

 

 

思い通りに体を動かせないことに激昂する怪物に対して思い出話をしながら、携帯電話のフォルダからその古い家族写真をコピーして、インターネットに接続した。

適当なサイトを開き、入力する場所に適当にコメントを打ち込み、古い家族写真をアップロードする。

 

 

「やっぱりインターネットをどうにかしないと、情報が出回るのは抑えられないと思ったんですよ。ネット上に投稿される私の起こしたものの数々が出回ってしまえば、いつかそれらの情報が私に繋がってしまうんだろうって思いました。それで、どうすればいいか、考えて」

 

 

その画面を人の皮を被った怪物に見せる。

 

 

「最初に、インターネットを支配することにしたんです」

 

「…………は?」

 

 

ERROR。

真っ赤なその表示が、携帯電話の画面を埋め尽くした。

ポカンとした顔でその表示を見詰める怪物。

普通の動作ではありえないその表示が何なのか、そういう顔をした怪物に答えるように携帯の画面が変わっていく。

 

『‐ERROR‐そのデータは許可されていません。‐ERROR‐その考えは許可されていません。‐ERROR‐貴方を重大な規律違反対象と見做します。‐ERROR‐その■■タは許可され■■ません。‐ERROR‐■の考えは■可さ■■いませ■‐ERROR‐貴方■重大■■律■反対象■■■します。‐ERROR‐■■■■タ■■可■■■■■■■。‐ERROR‐■■■え■■■■■■■■■■■▮‐ERROR‐■■■■■■■■■■■■■■■■■■■▮――――貴方ハ最優先処分対象デス』

 

 

「ヒッ……!? ま、まさかっ……まさかお前ッッッ……!!??」

「まだこの機能が生きてるとは私も思っていませんでした。インターネットそのものを知性体として定めて精神干渉が出来るのか。電子機器内に異能の出力を保存できるのか、そしてその保存した異能の出力を私の手駒としたインターネットの怪物がその判断で使用できるのか。それぞれの実験結果であり試行結果」

 

 

怪物は、顔を引き攣らせありえないものを見るように私を見た。

信じたくないとでも言うようなソイツに、私は静かに打ち明けた。

 

 

「――――どうやら、顔の無い巨人って私のことらしいですよ」

 

 

周囲一帯の光が消えた。

姿無きカラスの鳴き声がいくつも木霊し重なり始めた。

 

そして――――私の後ろにそれが現れる。

 

巨大な何かが現れる。

 

 

「か……顔の無い巨人……? は、ははは、嘘だ……そんな、こんなのは、あり得ない……こんなガキが顔の無い巨人だなんて……そんな筈がない。駄目だ。これは幻覚だ。幻覚で偽物なんだ……ああ、本体に知らせないと危険だ。コイツは駄」

 

「貴方に問い掛けは必要ない」

 

 

巨大な何かが怪物の顔を掴み、そのまま握りつぶした。

 

 

「貴方の世界の色は、私が決めた」

 

 

ただの液体になった怪物が、起点となっていた指を崩壊させながら、地面に広がり消えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 


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