非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか? 作:色付きカルテ
警視庁公安部特務対策第一課。
これは、日本の警察が政府からの指示で急遽設立された『対異能犯罪』を取り扱う部署だ。
だが、日本政府としても警視庁としても、予算も経験もマニュアルだってないこの部署の取り扱いには非常に苦心していた。
今後ICPOの、同件を扱っている者が軌道に乗るまでの補助に来ると言う話だったため、警視庁はそれまでに取り敢えず対応できそうな人員を集めるだけで、現在は実質に活動停止状態に陥っているのだった。
そして、新たに新設されたその部署に、過去に“千手”と言う異能持ちと遭遇した経験があるからと言う理由で異動することとなった一ノ瀬和美は、新設部署の為に用意されたにしては大きすぎる部屋の中でぼんやりとニュースを眺めていた。
これまで活発に動いていた柿崎の補助とは打って変わった、連日続く待機命令。
出勤してもやることは無く、同じように適当に見繕われてきただろう他の人達と共にぼんやりと待機するだけで、誰も仕事を命ぜられないままもう1週間が経過してしまった。
完全な無駄配置、初めての試みばかりで稼働まで時間が掛かるのは分かるが、これでは税金泥棒と言われても否定できない。
責任感が人並み以上にある一ノ瀬にとって、この状況はストレスでしかなかった。
(……ああ、また今日が終わる。何も仕事をしないまま、お金だけを貰って……母ちゃん、和美は悪い子になってしまったよ……)
警察官になるのを喜んでくれた母親を想って一人涙を浮かべていた時、それまで静かだった廊下が騒がしくなり始めた。
「――――ですからぁ、私としてはちょっとそれは受け入れられないって言うかぁ、急すぎるっていうか……まっ、やるなら後始末をするつもりはないですよ☆」
「悪いがもう決まったことだ。お前がどう思おうが、もしもの時の対処はお前しか出来ない」
「ああ、じゃあ暴れておしまいですねぇ。ご愁傷さまです☆」
「……おい」
「了承も無しに勝手に決めて、勝手に対処を期待するなんて事されても私はやる気はありません☆ 貴方方の首が飛ぶかどうかなんて、私は微塵も興味ないですし?」
テレビのニュースで話題になっていた人物と同じ声が廊下から聞こえ始めた。
一ノ瀬の同期で、目の上のたんこぶで、今世間で最も注目されている女、飛禅飛鳥がこの新設部署の実質的トップである上司の浄前正臣(じょうぜん まさおみ)と共に部屋に入って来た。
一ノ瀬以外の、この部屋で待機していた2名がビクッと体を跳ねさせ、恐る恐る笑顔のままで怒る飛鳥の様子をこっそりと窺う。
先ほどまでテレビに映っていた天使の様な笑顔を振りまいていた人物と同一とは思えない、見慣れた飛鳥の姿に一ノ瀬はブスッと口を尖らせた。
警察学校時代から変わらない同期の様子を眺める一ノ瀬に飛鳥も気が付く。
相も変わらない忌々しい笑顔を浮かべた飛鳥に、一ノ瀬の額に青筋が浮かんだ。
バチバチと交差した視線で火花が散らされる。
再三に渡って行われてきた争いが、再び切って落とされようとしていた。
「…………あれ? あれあれあれ、一ノ瀬和美ちゃんじゃないですかぁ! お久しぶりですね☆」
「飛禅のアホ、昨日も会ったっスよ」
「あれー? そうでしたっけ☆ 最近はもう忙しすぎて、一言二言話した程度の人は覚えてられないんですよぉ。仲の良い同期の事くらいちゃんと覚えておかないといけないですよねぇ」
「……地味って言いたいんスね? 影が薄いって言いたいんスね? ……上等っス、その綺麗な顔を公共放送に乗せられないくらいメタメタにして、忙しくなくさせてやるから表に出るっスよぉ……!!」
「おい、暴れようとするな。これから奴が来ると言っているだろ」
同じ部署に配属されてから、既に3回目となるキャットファイトが始められようとしたのを浄前が慌てて止めに入る。
根が真面目な一ノ瀬は上司からの制止に慌てて姿勢を正し、飛鳥はニコリと教科書に載ってそうな愛想笑いを浮かべて矛を収めた。
取り敢えずは大人しくなった2人の様子を確認し、浄前は溜息を吐きながらもう一度だけ騒ぎを起こすなと注意してから、他の待機している者達の元へ向かう。
「……奴? 誰が来るんスか? 私達みたいに普通に新しく異動を命じられた人っスか?」
「…………異動って言うよりも、外部からの臨時拝命かな。正直、臨時とは言えあんな奴を警察として招き入れるなんて、私は正気の沙汰じゃないと思ってるけど……」
「え? ど、どんな奴が来るんスか?」
「すぐ分かると思いますよ☆ 法を守る立場の警察としては、あり得ない人物ですけど☆」
明らかに不服そうな様子の飛鳥。
一ノ瀬自身、自分と飛鳥は犬猿の仲だとは思っているが、なんだかんだこの同期が強い正義感を持っているのは知っていて、ここまで拒否反応を示すのは初めて見た。
珍しい事があるものだと思いながら、一ノ瀬はこれから来るであろう人物を警戒する。
詳細を濁す飛鳥にさらに追及して話を聞き出そうかと思った一ノ瀬だったが、その前に説明を終えた浄前が戻ってきて周りを見渡した。
「そういえば、柿崎はどうした? 居ないのか?」
「柿崎さんなら有休消化中っスよ」
「ああ、そういえばそういう報告があったな。なら良いか……一ノ瀬、これから追加人員がこの課に入ることになるが、刺激を与える様な言動はするなよ」
「へ?」
再三釘を刺され困惑する一ノ瀬をよそに、浄前は部屋の全員を見渡した。
注目を集めるように手を数度叩き、全員の視線が集まったのを確認してから口を開く。
「さて……新設された当課は『非科学的な現象』、いや、『非科学的な力を持った個人』による犯罪を対処するために急遽作られた部署だ。散々報道されているため、飛禅飛鳥の起こした火災現場からの救出を皆も見たと思うが、これは嘘や妄想、夢物語などでは無く、現実として進行している話だと理解してほしい。これが前提だ」
厳しい表情で一呼吸入れる。
「日本政府からの指示、世界的な情勢変化、そして一連の科学では証明できない事件の存在。これらのことから、非科学的な現象自体を疑う者の意見はひとまず置いておいて、この国の治安を守る我々はこの件にも対応しなければならない。当然、そのための動き方などは未知数で、犯人がどれだけいるかも分かっていない。飛禅のような『非科学的な力を持った個人』に、それを持たない者がどれだけ立ち向かえるかも不明だ。何もかも分かっていない、足りないものが多すぎる……これから我々の動きは本格稼働することになるが、当課は情報も戦力も資金も足りていない。そうなると、綺麗ごとばかりは言っていられない」
部屋の扉が開かれる。
入って来たのは、手錠の紐を持ったスーツ姿の屈強な男2人と、それに連れられた1人の痩躯の男。
警視庁の本部で勤務していて全く見覚えのないスーツ姿の彼らに一ノ瀬は小首を傾げ、それから連れてこられた1人の男に視線をやり。
(……あれ、この人って確か少し前に“児童誘拐事件の関係者”として捕まった……)
「そのために、我々は必要不可欠な人員を集める必要がある。まず、彼、灰涅健徒(はいね けんと)の当課への協力が決定した」
「……ほえ?」
「チッ……」
浄前の説明に、慌てて一ノ瀬が口を挟む。
「ま、待って下さい! 確かその方は以前の連続していた児童誘拐事件の関係者として捕まっていた方の筈っス! それを警察の協力者として迎え入れる……? そ、そんなの、あの事件の被害者達に顔向けが……!」
「彼、灰涅健徒との交渉の末、刑期、つまりおよそ2年程度だが、当課への協力に対する給与の発生、および刑期終了後の職務斡旋の約束で『非科学的な事件』に対する協力を得られることとなった。同じ警察職員のように接するのは難しいとは思うが、くれぐれも差別的な言動は控えるように」
「浄前課長!?」
「最初に言っておくが……」
驚愕の声を上げる一ノ瀬と、忌々しそうな顔で灰涅を見る飛鳥をはっきりと視界に収めつつ、浄前は有無を言わさないように現実を突きつける。
「彼は飛禅と同じ、『非科学的な現象を扱える者』だ。これからこの課が取り扱う事件の解決に彼の協力が必要だと上層部、ICPOの方々も納得済み。我々が異議を唱えられることは無い」
「そんな……」
「当然一ノ瀬の様な反発は想定しているが、それでも――――」
「あ、私も当然反対していますので忘れないでください☆」
「――――……飛禅も同様のようだが、科学では対応できない事件に関しては同様の力で対応するしかない。それを全員充分理解して欲しい。さて、灰涅、君からも一言」
決して歓迎する空気ではない課の雰囲気の中で、拘束を解かれ、話を振られた灰涅、“紫龍”は首を回しながら部屋の中をゆっくりと見回した。
警戒するような目をした同類、飛禅飛鳥と視線を交わし、さらに誰かを探すように視線を走らせ眉を顰める。
「…………神楽坂とか言うあの警察官はいないのか?」
「……彼はこの課にはいない」
「ああそうか、なるほどな。よく分かった」
そんな質問をしてから、“紫龍”は気だるげに頭を下げた。
「灰涅健徒、異能は“煙”。給料だけの仕事はする、異能犯罪者を拘束する担当だから、それ以外はよろしく」
しばらくの沈黙の後、パラパラと拍手が起き、一応だが“紫龍”が警視庁公安部特務対策第一課に迎え入れられる。
表立って拒否感を態度に出していた飛鳥達だけでなく、他の課員達も刑期中の犯罪者と共に仕事することに少なからず思うところがありながらも。
飛鳥と一ノ瀬が視線を交わす。
学生時代に寝食を共にした仲だからお互いの考えはそれなりに分かっている。
コイツはこれを受け入れられないだろうな、とお互いに確信している。
だからこそお互いに、ここでこれ以上表立って反発するのを視線で制し合い、自分が抱えていた不満も呑み込んだ。
理性ではこの場で反発することに何の意味もない事を理解しているから、感情を抑え込む。
「……後で少し話をしましょう」
「……そうっスね。時間を空けとくっス」
せめて、と彼女達は考えを共有する。
これから辿る警察組織の行く先がどうなるのか分からない以上、本当に信頼できるもの同士で手を取る必要がある。
‐1‐
行方不明者の扱いは、発見されることを除けば2つある。
1つ目は失踪宣告。
通常であれば行方不明から7年を経過し、家族が裁判所でこの申告をすることで法律的に死亡と認定する措置である。
婚姻関係等で、不利益がある場合この必要期間が変わることはあるが、それでも3年程度とかなりの時間を要する。
2つ目は認定死亡。
こちらは行方不明の期間を必要としない代わりに、行政当局による死亡判断が必要になる。
どちらも、特別大きな災害や事件に巻き込まれ死亡の疑いが強い場合を除くと、家族からの申し出がほとんどであり、国や行政当局が率先して動くと言うことはほぼ無い。
現在の日本の法制度的に、行方の分からなくなった者の扱いはそうすると決まっている。
だが……そうなると、異能と言う超常現象を扱った犯罪に巻き込まれたであろう人の生死は、そして、その姿をナニカが成り替わっていた場合、どうなるのか。
死亡する要素も、死亡した時も、状況も、死体さえ見つからないのなら、その後はどうなるのか。
実例が無いそんなこと、きっと誰も分からない。
「……墓すら作ってやれないんだな」
神楽坂はそう言って、僅かに残っていた後輩の私物を供え物と一緒に、目印として置いた大きめの石の前に置いた。
そして、伏木航と言う存在が確かにいて、その死を悼む存在が居るのだと伝えるように、神楽坂は何も無い石の前で手を合わせ、静かに祈りを捧げる。
大学への襲撃があってから数日。
捜査が続いている今も、マンションで襲って来たアレが、本当の伏木航だったのか、そうでなかったのかは分からなかった。
燐香が言っていたように、本当に成り替わっただけの別の誰かだったのかは判明しないが、ただ一つ、あれ以来伏木航と言う人物がどこにも現れない事だけは確かだった。
警察学校時代から、その厳しさで生徒から敬遠されていた神楽坂にやけに話しかけてくる奴だった。
辛い警察学校の生活でも、同期達に囲まれて一緒に笑えるそんな、人と人の繋がりを大切にする奴。
神楽坂が知る伏木航は、そんな人間だったのだ。
「…………また、1人。俺が捕まえられなかったせいで」
思い出すのは、慕っていた先輩の自殺した姿。
完全に密室となっていた部屋の中で、1人首を吊って亡くなっていたあの先輩と同様に、きっと伏木も何かの手に掛かったのだろうことは分かっている。
それでも、こうして同じ犯人の犯行だと分かっていても、神楽坂はなんの手掛かりも掴めていないのが現状だった。
感傷に浸っていてもどうしようもないのは分かっている。
だが、捜査の現場から完全に外されている神楽坂に出来ることは限界があった。
あらゆる手を使って伏木に接触のあった人間や状況を調べ尽くしたが、何ひとつだって証拠になるようなものは出てこない。
まるで自分以外の全員が、丹念に証拠となるものを抹消しているのかと思う程の様相。
僅かに手に入った伏木の私物を、こうして持ってくることしか出来なかった。
「……ここにいたか」
そんな風に声を掛けた柿崎が、神楽坂の隣に立った。
伏木航の墓なんて無い。
だからこの場所を見付けられたのは柿崎の予想によるものでしかなかった。
恐らく、神楽坂は亡き先輩の墓のところにいるだろうと言う完全な予想。
そしてそれは当たっていた。
どこか遠くを見て、自分を見向きもしない神楽坂に、頭を掻いた柿崎は眉間にしわを作った。
「……伏木航の住んでいた場所はアパートだった。周囲の住人は特段本人の様子が急に変わることは無かったと証言している。仕事上の、同じ課の奴らも同様だ……だが、数か月前から突然、住んでいる場所の水道やガス、電気料金が極端に減っていたらしい。風呂や料理、ましてやテレビなんかを全く使っていないと思われるほどに」
「……」
「帰宅する姿は何度も目撃されていたにも関わらず、生活の痕跡が無い。つまり……恐らくは途中から人間じゃなくなってやがる。立証なんて出来ないがな」
「……柿崎。伏木は本当に、本部から俺を連れて大学の学生に接触するように言われていたのか? 成り替わった伏木が、たまたまそんな役目を任されるなんて考えられない」
「残念ながら、そんな指示があったかどうか誰も認識してなかった。書類も残っちゃいねェ。痕跡が消されたのかどうかは分からないが……」
成り替わったと思われる時期の人との接触の無さやその立場、なおかつ誰にも不審に思われない振る舞いが出来るだけの事前観察があったこと。
そして襲撃のあった大学やマンションで、確実に監視カメラや証拠として残るものを抹消するだけの警察の捜査に関する知識や囮として使った半グレ集団の詳細だってそうだ。
それらの要素は、柿崎にあることを確信させるには十分過ぎた。
ようやく横目に自分を見た神楽坂に、柿崎は周りに視線を配りながら呟くように言った。
「………お前も考えている通り、伏木のように、成り替わった奴が他にも警察署内に居るんだろうな」
「……ああ、そうだな。そうなんだろうな」
それも、神楽坂のあの過去の事件よりもずっと前から。
2人の警察官はその事を確信していた。
だからこそ、この話は確実に信頼できる相手にしかしていない。
「神楽坂、俺はこの超常現象を扱う部署に配属してる。警察署内にその潜んでいる奴がいるなら、この部署に少なからず関わってくるだろう。そこで何かしらの不審点があればお前に連絡する。お前は外から探れ」
「ああ、俺も全く手立てが無い訳じゃない。俺も外から過去の事例で内部から手が加えられた事件が無いか探る」
「お互い、成り替わられる可能性を常に考慮する必要がある……必ず情報のやり取りをする前には、目印となる言葉を決めておこう」
「そうだな……」
そんな会話をして、神楽坂は先輩が眠る墓と、その隣に置いた墓とも言えない伏木のための石をもう一度だけ見遣る。
どちらも、神楽坂が責任を持つべきものの筈だ。
少なくとも神楽坂自身はそれを信じて疑っていない。
だから、自身の命に懸けて必ず一連の事件の犯人を引き摺り出すと心に誓った。
「……なら、目印となる言葉は、種類を問わず花と果物にしよう。ただし両方とも前回と同じは駄目だ」
「なんでもいいのか?」
「盗聴されていた場合の対処だ。悪くないだろ」
「ああ、なるほどな」
そして、それは柿崎も分かっていた。
何もかも奪われている、この自分の同期がこれから復讐のために動くことは分っていた。
慕ってくれていた後輩の為に。
慕っていた先輩の為に。
想い合っていた恋人の為に。
そして、同じような被害者を出さない為に。
自分とは違う、根っからの善人はきっとそうやって道を進むだろうと、分かっていた。
「柿崎、お前は死ぬなよ」
「…………馬鹿野郎、お前もだ。無茶すんな」
きっと大切なものを全て奪われてしまった人間の未来は――――。
柿崎はそれ以上考えるのを止めて、口を噤む。
全部柿崎の推測だ。
勝手な妄想でしかない。
神楽坂が本当に考えている事を知ることは出来ない。
柿崎に心を視ることは出来ないのだから、そんな事は当然だ。
だがもしも……人の心を読むことが出来たのなら。
全てを奪われたこの男は何を想っているのだろう。
柿崎は未練がましく、何の返事もしない神楽坂の背中を黙って見続けた。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
この話で間章Ⅲが終了となります!!
警察組の話は不穏だったので最後に持ってきました!
完全に次章に関わってくることだったので、どうしようも無かったんですっ……!!
マキナちゃんや紫龍や探知できないスライム人間など、色々な要素が出てきていますがきっとサトリちゃんが何とかしてくれるはずです……!
次話以降、また章として完成してから投稿していきたいと思いますので、時間が少々掛かってしまうと思います!
気長にお待ちくだされば幸いです!!
なお、またイラストを頂くことが出来ました!
今度は5章サトリちゃんの決め台詞+表情差分と豪華なものになっています!!
またリンクを活動報告の方に置いておきますので、興味がある方はぜひ見て行ってください!!