非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか? 作:色付きカルテ
ロラン・アドラー、年齢35歳、性別男性。
過去従軍経験があり、特に銃に対しての知識はかなりのもので、彼が所持する異能もそれに関係するものである。
彼の異能は『製鉄』。
鉄やそれに類する鋼などの合金を自在に製造、変形させ、彼の知識に基づいて銃への加工も可能にする優れもの。
工場いらずの製鉄人間、なんて言われる彼の異能は組織が大きければ大きい程喉から手が出るほど欲しいものだろう。
そして戦闘に於いて彼が得意なのは肉弾戦でも異能を真正面からぶつける戦闘でも、近距離での銃撃戦でもない。
超大な距離からの正確無比な狙撃が彼の得意とする役割だった。
「――――俺は狙撃担当で、意識外からの一撃必殺タイプなの。逃げ遅れたご老人を助けるために攻撃を早めたけど、本当ならこんな至近距離で継続した戦闘なんてしないんだからさぁ。あんまり期待されても困るんだよねえ。と言うか、君めちゃくちゃ美人だよね。良かったらこの後俺と一緒にお酒でも飲みに行かない?」
「御託並べてないで早く打開策を練って下さい☆ 貴方への攻撃だけ放置しますよ☆」
「こっわ……はあ……なんで俺の周りの女性はこんなに気が強い奴ばっかりなんだ? もっとお淑やかで包み込むように甘えさせてくれる豊満な体をした大人の女性はいないかね」
「金でも払って依頼しろ☆」
物質化した“影”の嵐の様な猛攻を軽く弾き飛ばした飛鳥は、指向性を失った“影”を逆に操るとグウェンへの攻撃に転じさせた。
突風の様な指向性を持った“影”の濁流。
派手な飛鳥の反撃の傍らで、ロランの正確無比な狙撃は暗闇に紛れながら、的確にグウェンの防御を弾くように撃ち込まれていく。
(こいつら急造にしては……いや、ロランが合わせているだけか。しかし、自分で作っている暗闇の中とは言え、視界が遮られている中で遠距離攻撃できる異能とやるのは厄介だな)
自身の周囲に置いている“影”の防御が徐々に削られている事に気が付いたグウェンは苦々し気に舌打ちをする。
そして、自身の四肢を狙った高速の飛来物に対して、地面から盛り上がるようにして顔を出した“影”で構成された巨大な狼の頭によって噛み砕き無力化させた。
グウェンが好んで使う巨大な狼を生産するこの技術。
目立つ巨大な体躯に、攻撃は爪と牙を使ったものしかない欠落技術ではあるが、大きな利点に相手の目を引きやすいと言うのがある。
つまり、奇襲を仕掛けるための意識誘導のトラップがこれなのだ。
巨大な狼が完全に地面から這い出していくのを目隠しに、グウェンは影を渡る転移により飛鳥達の後ろを取ると、そのまま飛鳥達と飛鳥達が守るように立っていた逃げ遅れた老人に向けて、同時に攻撃を仕掛けた。
命を奪うまでは至らない、釘打ち機で撃ち出す釘を散弾にしたようなそんなもの。
対物用の異能や鉄材の盾などがあれば問題なく防御が可能なものだが、正面から襲い来る“影”の狼に併せて、守るべき老人への攻撃も防ぐとなるとその難易度は跳ね上がる。
事実、これまで同じような戦法を使って亡き者にしてきた人数は数知れない。
だが、グウェンが相対しているこの2人はこれまで戦って来た異能持ちの中でも飛びぬけていた。
『“burst”』
ロランの異能は引き金を引くことすらしない。
鉄を操る異能にそんなもの必要としないからだ。
銃声が全て重なったようにさえ聞こえるほどの連射。
グウェンが散弾の様な“影”を撃ち出してから1秒にも満たない間にも関わらず、その全てをよりにもよってライフル銃の狙撃で撃ち落とされた。
それだけではない。
「ちょこまかと逃げ回るだけじゃなく、戦えもしない一般人目掛けて攻撃を仕掛ける外道さ。本当にゴミみたいな人間ね」
『……ロランはともかく、この女……』
“影”の狼が圧壊している。
生物的な動きをさせるために硬度は全力とは程遠いとは言え、その分速さは他と比にならず、直線的な軌道でないそれを捉えるのは並大抵ではない筈なのだ。
それが、ロランによる狙撃に気を取られた一瞬で破壊されるなどあり得る話ではない。
『この女の異能はなんだ?』
険しい顔をしたグウェンの疑問への返答は、四方から襲い来る恐ろしい圧力だった。
ともすれば一瞬で手足が千切れるのではと思う程の痛みに、咄嗟に転移を行って距離を取ったグウェンは激痛から解放されたことを確認し、険しい表情を浮かべ睨むように飛鳥達がいる方向を見る。
強力な異能。
物質化した“影”の猛攻をものともせず、逆にそれを利用して攻撃さえ仕掛けてくる。
こんな異能への対策が出来ていない国の異能持ちなど大したことが無いだろうと考えていたのだが、まさかここまで強力な異能持ちがいるとは思っていなかった。
さらに不可解なことがある。
視界が全く通らない暗闇の中だと言うのに、彼らは寸分違わずグウェンへと迫ってきている。
苦々し気に自身の体に付着した妙な粉を見遣って、グウェンは確信する。
『……ロランの奴め、俺様に付けたこの粉は目印か』
小細工を、と呟いた。
ロランによる数多の狙撃が懲りずに自身を狙うことも、飛鳥が周囲に浮かぶ細かい“影”さえ消し飛ばしながら向かってくることも、グウェンにとってこれ以上無いくらい目障りだった。
逃げ続けることも、隠れ続けることも出来ない状況を理解したグウェンは自身の敵である2人を見据えた。
『良いだろう。そこまで俺様を不快にしようと言うなら構わない』
グウェンが放つ空気が一変する。
「……ここからが本番、か。ウチのリーダーがいない今、本当なら全力を出される前に終わらせたかったんだけどね」
「具体的にはどう変わるの?」
「さあね。コイツの全力を見た奴は一人残らず生き残っていない。つまりはそう言う事だよ」
有利に戦闘を進めていた筈のロランはそんな風に言って顔を緊張させて、グウェンからの攻撃に備え気を引き締め直す。
――――グウェン・ヴィンランドは現存する異能持ちの中でも最強の一角として名高い。
今なお世界には『顔の無い巨人』が最強の異能持ちだと言う者はいるが、誰もかの者が戦う所など見ておらず、数年前を境に活動らしき活動が見られなくなってから、その存在さえ疑問視する声すら上がっているのが現状。
だからこそ、多くの強力な異能持ちを実力でねじ伏せ、『泥鷹』と言う強大な組織を設立し、横暴を利かせるグウェンの実力を最強の異能持ちであると信じて疑わない者は多かった。
異能を詳細に知る国際組織や国家や大企業からは最大限の警戒を。
異能が開花した者達の中でも特に選民思考を持つ者からは最大限の支持を。
そして、グウェンが支配する地域の者達からは最大限の恐怖を受けていた。
だが、それほど多くの者から実力を高く評価されているグウェンだが、彼の異能の詳細を正確に把握する者は皆無だ。
何故ならグウェンは誰に対しても信頼など寄せていなかったし、この情報化社会の現代で、力の詳細を知られることのデメリットを人並み以上に理解していたからに他ならない。
部下をぞんざいに扱い、自分は表舞台に滅多に立たず、それでいて所持する異能をほとんど振るうことがない。
だが、そんな振る舞いをしていてもグウェン・ヴィンランドは最強だと呼ばれている。
誰にも悟られず世界を支配した世界最悪の異能持ち『顔の無い巨人』と同列に語られ、世界の異能に関する犯罪を取り締まるICPOの異能対策部署でもトップランクに危険視される。
理由なんて1つだ。
彼が本気でその異能を振るった時の暴力が、あまりにも絶対的だったからに他ならない。
『異能の頂きを見せてやる』
空気中を漂う視界を遮る暗闇とはもはや根本からして違う、墨汁のような漆黒がグウェンの足元を中心に渦を巻き、奔流し、溢れ出す。
津波の様な暗闇の波があらゆる方向へと、空にも逃げ場も無い程空間を侵食していく光景に、今まで攻撃の手を止めなかった飛鳥達が言葉を失った。
黒く暗い闇色は、周囲の空間をさらに深い暗闇の海へと引き摺り込んだ。
‐1‐
「……さらに暗くなりましたね。壁に近付いたからでしょうか? 皆さん、私達から離れないでついてきてください」
暗闇に閉ざされた病院に戦力である異能持ちのみを残し、ルシアや柿崎達は神薙隆一郎を始めとした一般人を病院外へと誘導していた。
レムリアによる襲撃者達の制圧と、『泥鷹』を率いる絶対的な指導者であるグウェンの捜索によってできた隙を突いて、可能な限りの者達の避難活動に成功していたルシア達だが、その表情は明るいとは言えない。
なぜなら、こうして避難させられているのはまだ1階にいた者達だけであり、1階より上にいる入院患者などは未だに声も掛けられていないのが現状だからだ。
見捨てたと言えば聞こえは悪いが、1階にいるだけでも50人を超える一般人がおり、それらを抱えたまま、現在世界に存在する異能持ちの中でも最強の一角と呼ばれているグウェン・ヴィンランドを相手取れるとルシア達は思っていない。
現状、グウェンは暗闇に潜み一切姿を見せていないが、もしも姿を見せて戦闘になり、奴が異能を全力で行使した時、抵抗手段を持たない一般人を恐らくは逃がす事も叶わない。
少なくとも、連絡を取れるものが誰か一人でもこの電波さえ遮断している暗闇の空間から出ることが出来れば、現状を伝え応援を要請することが出来る。
なんて、そんな算段があったのだ。
(……生命維持装置を使っている人も入院していたと聞いた。外部からの電力が完全に遮断されて、予備電力も破壊されていたから電力の復旧も出来なかった。仕方なかったとは言え、その人はきっと……ううん、その人だけじゃない。今も上の階にいた入院中の患者達は急な停電に怯えている筈なのに)
「……おい、何を考えてるか知らねェが、混乱してる一般人の前でそんな深刻そうな顔をしてるんじゃねェ。不安や後悔って感情は非常時には特に伝播するもんだ。残った問題を考えるのは後回しにして、今はもうすぐ暗闇から外に出られるって、気楽になっときゃ良いんだよ」
物思いに耽っていたルシアに、柿崎は心底忌々しそうに周囲の果てしない暗闇を見ながらそう声を掛ける。
先ほどの完全武装の異能持ちである『泥鷹』構成員に対して素手で攻撃を仕掛けた猛獣の様な雰囲気は何処へ行ったのか、目ざとく思い悩んでいたルシアの心情を読み取ったらしい。
予想外の言葉に少しだけ呆気にとられたルシアが、少しだけ嬉しそうに微笑む。
「……ええ、分かっています。外に出て今いる一般人達の安全を確保し、外部へ救援要請をしてから、また内部に残された者達の救出部隊を編成すれば良いだけですもんね」
「分かってんじゃねェか。なら黙って足を動かせ」
「まったく、ICPOの特別顧問である私に対する態度とは思えませんが……言っている事は何も間違っていませんね。あのお調子者を信じて、今はこの暗闇から脱出しましょう……もう少しですね」
病院を包む巨大な暗闇。
この暗闇を「病院に巨大な箱を被せたように」と形容したのが間違いでないなら、この暗闇には外と内を分ける壁がある筈だと考えたルシア達の予想を証明するように、ルシアの伸ばした手には冷たい硬質な鉄の様な感触があった。
グウェン・ヴィンランドの異能、“影”。
これは、国を跨ぐ影を使った瞬間移動や、毒性を持ち通信電波さえ阻害する性能を持つと言うのは、ICPOの情報に無かった訳だが、この男の異能を使った戦闘は数こそ多くないものの情報として残っている。
その情報によれば、彼が主として用いるのは影の物質化だ。
影を増幅させ、物質化させることが出来るグウェンは、固形化したそれの大きさを自由自在に操り、攻守を両立する力。
物質化された影の強度は戦略兵器すらまともに通さない、おおよそ現代科学の粋を集めても驚異的なものだが、この物質化された影にも弱点はある。
完全無欠に見えるこの影の力の弱点、それは光だ。
電気による光でも、太陽による光でもなんでもいい。
光を当て続けることで硬質化された影は解け、脆さを増していくことが立証されている。
だからこそ、この暗闇の空間を作っている壁にさえ辿り着ければ、手持ちのライトを使用して壁を壊すことも出来ると踏んでいた。
そしてその考えは、半分は間違っていなかった。
「……おかしい」
「あァ? どうした?」
「光を当てれば確かに柔らかくなって掘り進められるんですが……崩したところに他の影が集まって再生をしていて……」
「なんだそりゃ、外側は太陽の光があるから内側を少しでも掘り進められればって言ったのはお前だろ。再生能力なんて…………いや待て、大掛かりな移動方法や通信阻害、何よりもこういう一つの建物を暗闇に閉じ込めるなんて有益な力を一切使わず、情報流出させなかったような慎重な野郎が目に見えた弱点をそのまま放置するなんてことは無いんじゃねェか? 特に、他人を閉じ込めるこの暗闇の空間を、内側から壊される危険を放置するなんて」
「い、いやっ、待って下さい! 実際に削れてはいるんですから再生よりも掘り進めるのを速めればこの空間からの脱出は可能な筈です! そうやすやすと異能の弱点を克服されてはやってられませんよ!」
「……だと良いがな。取り敢えずお前が掘るより俺がやった方が早いだろ。代われ」
柿崎は袖まくりをしてその丸太の様な腕を露出させると、ルシアが持っていたスコップ状のものを奪い、“影”による壁に向けて振り下ろしていく。
ルシアが持ち込んでいた携帯電灯の光を当て壁の硬度を奪い、柿崎が掘り進める作業はしばらく続いた。
2人の作業を後ろから不安そうに見つめる一般人達に、口の回る一ノ瀬を中心とした警察組が彼らの不安を紛らわせようと声を掛けている。
脱出するための作業である筈なのに、暗闇の中でやけに響く柿崎の“影”の壁を掘り進める音はこの場にいる人の不安を掻き立ててやまなかった。
未だに脱出しようとする彼らへの追手は無い。
脱出を悟られていないのか、それともただ優先度が低いと見逃されているのか。
理由までは分からないが病院から激しい音すら聞こえてこないことを考えると……なんてルシアは考えたものの、この暗闇が音すら阻害する可能性が頭を過り、口を噤んだ。
そんな中、神薙は周りの状況を窺い、声を落として隣にいる看護師へと問いかける。
「……和泉君、病院にどれだけ残っている?」
「分かりません……ですが、白石さんも山田さんも小谷さんも見当たりませんし、昏睡状態の落合さんもまだあそこに……」
「……私の落ち度だ。私が国際警察の方々の保護下に入っていたら……」
「違いますっ、先生は何も悪くありませんっ……! だって、先生がいるだろう病院への襲撃は、きっと先生が国際警察の保護下に入っていてもあった筈ですっ。もしもそうなっていれば、抵抗するための戦力も何も無い状態で、ただ彼らに占領されるだけでしたでしょうから……先生は悪くないんです……」
「…………ありがとう、和泉君。だがね、それでもきっと私は何かを間違えたんだ。これだけ被害が出てしまった。標的が私だった。だったら、私が負うべき罪はある筈なんだ」
「……先生」
普段通りの優し気な笑みに影を落とし、神薙は心配げに視線を向ける看護師に笑い掛ける。
痛々しい、囁くようなそんな会話を耳にして、一ノ瀬は悔しさに歯噛みし、睨み付ける様に病院のある方向へ視線をやった。
あの同期の腹立つ飛禅飛鳥とか言う奴が、この事態を引き起こした首謀者を打ち倒すことを祈りながら、自分は自分のやれることをと、それまでやっていた一般人への声掛けを継続させていく。
「開いたぞ、外が見えた」
柿崎が掘り進めていた壁から光が漏れだした。
指先程度の穴だったのが、拳程の大きさになり、子供の頭くらいの大きさになって、周囲からざわめきに近い歓声が上がる。
眩しいくらいの光が、自分達がいる暗闇を照らし始め、思わず何人かがその光に向かって手を伸ばした時だった。
『俺様の許可無く何をしてる』
落石の様な、巨大な“影”の結晶がルシア達目掛けて落とされた。
誰よりも早く反応した柿崎が直撃地点にいた者達を抱え込み、その場を飛び退いた直後――――炸裂する。
砕け散った“影”の結晶が全方位に放たれた散弾のように人々の体を抉り、多くの人が血だまりに沈んだ。
あまりに深い暗闇で詳しい周囲の状態は見えない。
だが、一瞬で周囲に立ち込めた濃厚な血の匂いが何よりも夥しい死を感じさせて、自分の怪我のことなど忘れ、ルシアは血の気も、言葉も、失った。
泣き叫ぶような人々の声に正気を取り戻したルシアが、銃を構えてどこかにいるだろうグウェンを探すが、暗闇に溶けた奴の姿は見付けられない。
何故、どうしてこのタイミングで、ロランやレムリアはどうなったのか。
そんな事が頭を駆け巡ったルシアの背後から、氷の様な冷たい声が掛けられる。
『俺様をここまでコケにしたんだ。ICPOの奴らには相応の後悔を味わわせてやる』
『っ――――!?』
「邪魔だっ!!!」
背後からの男の声に絶句したルシアに向けて、砲弾のように強襲した柿崎が怒声を発した。
掌に“影”を集めルシアに向けていたグウェンと筋肉の塊のような柿崎の突進が衝突する。
それでも当然、被害を被ったのは柿崎だけだ。
衝突した柿崎の肩口から血が噴き出し、グウェンは少しバランスを崩しただけ。
だが、そんなものは覚悟の上だった。
「捕まえたぞォ、屑野郎っ……!!!」
ドンッ、とグウェンの右足を重機の様な足裏で潰した柿崎は、怪我の痛みなど無いかのように、表情一つ変えずグウェンの頭をもう片方の拳で打ち上げた。
頭突き、膝蹴り、回し蹴りと、およそ警察官とは思えない怒涛の超接近戦での肉弾格闘に、異能ですら反撃できないままグウェンは成すすべなく攻撃を受ける。
いやむしろ、受けて問題ないと考えたのかもしれない。
実際、異能の有無による力の格差は、残酷なほどに存在するのだから。
『その程度か、筋肉達磨』
「……糞が」
血が溢れる。
骨に罅が入る。
だがそれは、攻撃を受けたグウェンではなく仕掛けた柿崎の方だった。
グウェンが体の周囲に纏わせていた細かい砂の様な“影”の結晶が、攻撃を一切通さず、逆に柿崎の体を引き裂いたのだ。
鍛え上げた肉体がまるで通用しない。
ボロボロになった両手で、それでも柿崎は拳を繰り出そうと腕を振り上げた。
『いい加減邪魔だ』
グウェンのそんなウンザリしたような言葉と共に、竜巻の様な“影”に柿崎の巨体は削られるようにしながら吹き飛ばされた。
『グウェン!!』
『そんなものでは意味などない、理解力の無いゴミが』
ルシアが吠えるようにその男の名を叫び、発砲するが銃弾は周囲を旋回していた“影”の竜巻に弾かれ終わる。
気が付けば、掘り進めていた暗闇の壁は再生し切って、漏れ出していた光すらなくなってしまう。
そして、グウェンの腕の一振りで発生した銃弾の様な物質化した影の射出により、ルシアは何もできないまま血を噴き出し崩れ落ちた。
ほんの一瞬。
一般人を巻き込んだ凄惨な現場を作り出したグウェンに、温厚な神薙が激昂する。
「貴様っっ! 他人の命を何だと思ってっ……!!!」
「先生駄目ですっ!!」
『お前が神薙隆一郎か。ククッ、最初は協力を請おうと思っていたが今はもうお前も用済み。しかし、人を治すお前の前で、人を壊すのは得も言われぬ快感があるものだな』
凄惨な光景を作り上げたグウェンに対して、神薙は一歩も引かず、それどころかグウェンに向けて前進しようとしたのを隣にいた看護師が慌てて止める。
それからその看護師は、グウェンとまともにやり合うのは不可能だと判断したのか、周りにいる者達に向けて声を張り上げる。
「逃げてください!! 出来るだけバラけてっ、まとめてやられないようにしてっ! 一刻も早くこの場所から逃げてください!!!」
『さて、この国の言語など興味も無いが下らないことを言っているだろうことは分かるぞ。もう一度言う、俺様の許可なく何をしようとしている』
グウェンの手が神薙と看護師に向けられる。
先ほどの、影の物質化を見ている神薙と看護師が身構えるが、それより早く飛来した銃弾によってグウェンの腕が弾かれた。
驚きを露わにするグウェンの体が見えないなにかによって宙に引き上げられる。
体の四方から異常なほどの圧力が掛かり、そのまま四肢を引き千切ろうとするのを、グウェンは影に溶けることによって回避する。
転移した先で、少しだけ驚いたような顔をしたグウェンが駆け付けた傷だらけの飛鳥達を見て称賛の声を上げた。
『あの物量を捌いたのか? やるものだな』
「――――チッ! 仕留めきれなかった!! やっぱり私の異能じゃ先に逃げられる!!」
「目印は付けた。だが、居場所は分かっても攻撃が通せない上、ここは奴の土俵ってか……まいったねこりゃ」
「異能阻害や行動制限は!? そういう異能持ち用の対策はないの!?」
「夢物語じゃないんだからそんなチート技ある訳ないでしょ、ほんと」
「あー、糞っ! あれがまた来るわ!! こんだけ異能を酷使してるのにアイツに限界は無いの!?」
「アイツの異能の出力は桁外れだよ。三日三晩戦えると思っていい」
怒りの声を上げた飛鳥が、巻き起こっていた“影”の竜巻を消し飛ばし攻撃に転じようとするが、グウェンによる先ほどと同様の凶悪な異能行使が始まった。
空間に漂う目に見えないほど細かい菱形状の“影”が形を変える。
変異し、結合し、骨格を作り、生物的な形状へと変貌を遂げていく。
それは、口に羽だけが付いたようなものだったり、異常に足を持つ全身が刃物のようなものだったり、先ほどの狼に似た機動力に優れたものだったりと多種多様だ。
空気中に散布されていた“影”を使った数の暴力による攻撃。
すなわち全方位、およそ数千にも及ぶ“影”で構成された異形の怪物達が獲物を喰らうためだけにこの場に生まれ落ちた。
自然界には無い、あまりに強固な外骨格を引き下げた異形の怪物達は小型の銃器程度では太刀打ちなどできやしない。
「馬鹿げてる……」
諦め混じりの溜息を吐いて、飛鳥は周囲に視線を走らせた。
周りには凄惨な光景が広がっている。
周囲に倒れる人達を止血しようと必死に応急処置を施す神薙隆一郎達。
血だまりに沈み、怯え震える一般人達。
そして、同期の一ノ瀬が誰かを庇うようにしたまま、動かなくなっているのを見た。
あまりに深い暗闇で、傷の状態は分からないがきっと軽いものでは無いのだろう。
「――――……やってられないわね。本当に」
吐き捨てるようにそう言った飛鳥は、視線をグウェンがいるであろう方向へ向ける。
火花の様な抑えきれない異能の出力が飛鳥の周囲に現れ始め、髪が浮かび上がった。
出力の限界など知った事か、と、以前燐香の手を借りることで成立させていた状態へと無理やり押し上げる。
鼻から血が漏れる。
口からは鉄の味しか感じない。
頭は痛いし、耳鳴りはするしで最悪だが、こんな状態をずっと燐香はやっていたのだろう。
尊敬する、としか今は考えられなかった。
「あの屑のことよ。影の怪物達の標的は私達だけじゃないわ」
「ああ、分かってるさ。ルシアちゃんをあの野郎……」
ロランは意識を失い動かなくなっているルシアに視線を向けて、周囲を探るような動作も無いままライフル銃を片手間に構える。
『“insight”』
ロランの照準はその一言で成立する。
人体を標的とする場合、照準は必要としない。
人の体内に必ず存在する、鉄分を目印にすればいいからだ。
『“burst”』
銃声。
弾倉一杯の銃弾を撃ち切るように繰り返された発砲音を皮切りに、影の怪物達が雪崩のように押し寄せた。
ロランの先手を打った狙撃により、グウェンを守るように動いた10を超える数の怪物が破壊されたものの、それは大局を左右させるにはあまりに力不足だ。
ロランの異能による狙撃は物量に対してあまりに相性が悪い。
だからこそ先ほどの数百程度の異形の怪物の群れは飛鳥がどうにかしたのだが、今回はさらに数が多すぎる上、守るべき人間も周囲に存在する。
飛鳥は自分達以外の倒れる一般人達に向かっていった影の怪物達の下の地面ごと無理やり引く抜き、それを鈍器のように振り回して何とか凌いでいくがそれもいつまで持つか。
先ほどとは違いこの場での勝利で全てが終わることを理解しているグウェンも、物見遊山せず、次々に新たな異形の怪物や“影”の散弾や落石に加え、巨大な竜巻まで発生させてくる。
無尽蔵に近いと言われているグウェンの異能に対して、限界以上の出力を行使して何とか均衡を維持する飛鳥。
ロランが隙間を縫うように異形の怪物やグウェンの本体を狙撃するが焼け石に水だ。
だから、徐々に飛鳥が追い詰められるのは必然だった。
周囲で倒れる一般人や自身に向けた攻撃を全て捌き切る飛鳥の実力は確かに異能持ちとして世界有数の域に達しているだろう。
だが、グウェンの攻撃や自身の異能による身の削りもあるが、暗闇による生命活動の阻害により、飛鳥は限界を迎え始める。
徐々に息遣いは荒くなり、足が震え足だけでは立つこともままならなくなり、そして体温はやけに低くなっているにも関わらず汗が止まらなくなってくる。
限界が近い。
それを察したのは共闘するロランだけでなく、敵であるグウェンも同じだった。
全力を出してもなお均衡を崩せない現状に焦りを浮かべていたグウェンは、飛鳥の様子に気が付くと勝利を確信し、笑みを浮かべる。
そして、とどめを刺そうとさらに巨大な異能を使って、万にも及ぶ影の怪物達を生み出していく。
『終わりだ』
無尽蔵に近いと言われる異能の出力を持つグウェンと言えど、疲労を隠せない程の影の怪物達の製造をとどめとして、彼はこの戦いを終わらせようとする。
間違いなく、負けの芽は無いと判断したグウェンの全力の一手だった。
けれど。
完全な意識の隙間。
暗闇が充満していて視界が制限され、飛鳥とロランと自身の巨大な異能の出力が場を支配していたからこそ。
ぽっかりと穴が空くようにグウェンの周囲にそれが無かったからこそ、グウェンは気が付けなかったのだ。
ひっそりと空気中を漂っていた微小な異能を含んだ白煙の存在に、気が付けなかった。
――――万にも届く影の怪物達がひとつ残らず掻き消えた。
『……あ? なんだ、どうなって』
唐突に、グウェンから数歩離れた場所に小石が音を立てて現れた。
唐突なそれを、グウェンは異能によるものだとは気が付けない。
そして、小石と入れ替わるように現れたのは始末した筈の少年、レムリア。
『は?』
転移で逃げる間もなく、レムリアの拳がグウェンの腹部に突き刺さった。