非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?   作:色付きカルテ

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今回から7章となります。



剥がれ落ちる仮面


 

 

 

 

フランス リヨン 国際刑事警察機構本部。

逃走していた『泥鷹』の構成員達と内側に強烈な光源が内蔵されている棺桶のようなものと共に、日本に派遣されていた職員達がようやく戻ってきていた。

派遣時とは打って変わった、包帯や介助用具を使用した職員達の姿に、『泥鷹』殲滅任務を任されていた本隊の者達は、思う所があるのか一様に表情を暗くする。

 

労いの言葉が交わされていたそんな場に、本部から飛び出してきたのは端正な容姿をした色黒の男性だ。

 

 

『ルシアッ!』

『あ、アブサント、静かに……』

『ルシアッ!!! こんなに怪我をして痛くないか!? いや、痛いに決まってるっ! だから俺は嫌だったんだ! ルシアには本部に残っていてもらうのが一番だって何度も言ったのにあのババアがっ……!!』

『アブッ! ヘレナ女史、私のすぐ後ろにいるからっ……! そういうのは後で聞くからっ……!』

 

『……どっちも失礼な事言ってるって自覚しなアンポンタン共』

 

 

あらかじめルシアが怪我をしたと聞かされていたアブサントが周りの制止を薙ぎ払ってルシアの元に駆け付けたのを、ヘレナはボヤキながらも2人を生温かい目で見ていた。

 

多少の罵倒は慣れている。

ヘレナにとって年若いこの2人の関係は、彼女にとって早く解決してほしいじれったい問題の1つでもあるのだから、自分をネタに彼らの仲が深まるのならそれでいいとさえ思っていた。

 

 

『……とっとと付き合っちまえば良いのにね。まったく……人の一生なんて短いんだから、うだうだ悩むのなんて時間の無駄だって言うのに』

『いやあ、お互い恋愛経験無さそうだしねぇ……どうだろうリーダー。俺がちょっと間に入って、2人の関係に刺激を与えるなんて』

『それをやったら去勢するから覚悟しな』

『ひえ……』

 

 

ロランを一言で黙らせ、何処か上の空のレムリアの背中を押して先に進ませる。

異能犯罪対策課のまとめ役なんて御大層なものについているが、自分がやっているのは手間のかかる奴らの面倒を見ているだけだとヘレナは心底思っていた。

嫌ではないが、勝手気ままに生きて来た時期が恋しくなる事があるのも仕方ないだろう。

 

本部から出て来た事務・連絡担当の職員に指示を飛ばす。

 

 

『ロランが上げていたこいつらの異能の詳細に合わせて、捕らえた奴らをそれぞれ拘束しておきな。グウェンはあらかじめ決めていた場所に収容。リストにあった銃器や装備も間違いがないか確認をするんだよ。『泥鷹』と言う組織はこれで完全に壊滅したが安心するには早い、後継組織が出て来る余地を潰すんだ、良いね?』

『了解しました、各員に通達します』

『それから、ウチの負傷者の手当はあの神薙の奴が手当てしていてこれ以上する必要は無いけど、一応形だけでも担当の医者に検診させておきな。その後に、拘束した『泥鷹』の奴らの怪我の具合も確認させるんだ。死なれても困る訳じゃないが、今後の利用できる可能性があるものは残しておくのが得策さね』

『既に担当医には連絡して、本部の中の医務室で態勢を整えさせています』

『流石だね。それで、『泥鷹』の逃走前に無力化した奴らはどうなってる?』

『楼杏(ろうあん)さんが、自分が全員尋問すると言っていて……』

『あいつにだけはさせるんじゃないよ!?』

『ベルガルドさんが今何とか説得してるみたいですが、早くヘレナさんを連れて来てくれと言う悲鳴を……』

『どいつもこいつもっ……!!』

 

 

一息すら入れられないのだと理解し、ヘレナが歯軋りする。

怒り心頭の彼女の様子に、このまま楼杏達の元に行かせると本部内で戦争が起こることを予感したロランが、慌てて声を掛けた。

 

 

『そ、そう言えば、内偵中は出来るだけこっちの詳しい情報は聞かないようにしてたんで教えて欲しいんですが、以前捕まえた“千手”ってどうなったんですか? あの歴戦の“千手”を良く捕らえたものだと思いましたけど、その後は……?』

『あ? ありゃ駄目だね、“白き神”にやられたせいか精神ズタズタ、異能の出力もありゃしない。ただの一般的な犯罪者になってるよ。情報を取るのも、協力させるのも無理だね。話はもう良いね? ちょっと楼杏を引っ叩いて来るからアンタは休んどきな』

『もう一つ! “白き神”の身柄ってどうなったんですか!? あれだけウチラを振り回していたアイツが今、活発に活動していないってことは確保できたんですか!?』

『……いや、それまでの出ていた出力の元を特定して駆け付けた時には既にもぬけの殻だった。身柄の拘束には至ってないよ。取り逃がしたが……何故だか今なお活動していない。理由は分からないね』

『なるほど……』

 

 

先ほどまでの気炎が収まりつつあるのを見たロランはほっと胸を撫で下ろし、最後のとどめとばかりに質問を投げかける。

 

 

『最後にもう一つ、リーダーって神薙隆一郎と昔からの顔なじみでしたよね?』

『ん、まあ、アイツの事は若い頃から知ってるよ。あの若造が“医神”と呼ばれるようになるなんてね』

『ははは、若造って、神薙隆一郎は確か90歳超えてるじゃないですか。いくら年齢不詳のリーダーでも彼を若造と呼ぶのは……』

『そんなことはどうでも良い。何が聞きたい?』

『……本当に彼、異能持ちじゃないんですか? 正直言って、世界規模で見てもあれだけの数の怪我人を短時間でここまで完璧に治療出来る技術を持ってるのは……聞いたことが無い』

『ふん、そんなことかい』

 

 

足を止めないでロランの疑問を聞き終えたヘレナは、すっかり先ほどまでの怒りが消えたのか、軽く鼻で笑うと考えるように眉間に皺を寄せた。

 

 

『異能持ち特有の出力は感じなかっただろう?』

『それは、まあ……』

『つまり現状、私達がいくら奴を疑っても異能持ちだと証明する術は無い。それに、あの若造の権威はもはや世界に名を轟かせている。下手に強硬な捜査をすれば、世界中にいる神薙へ恩を感じている奴らが一斉に動き出すだろうね。重ねて言うけれど、私達の今の立場は強固なものじゃない。明確な罪を犯していない、異能の所持が疑われるだけの奴を調査出来るほど強権を振るえる訳じゃないんだ。何か奴が悪さをしない限り、私らからの手出しは無用だよ』

『ふむ……まあ、あの人は聖人として有名だ。たとえ異能を持っていたとしても悪用はしないかな』

 

 

石畳の廊下を歩きながら説明を聞いたロランは、自分の疑心にそう折り合いをつける。

画期的な医療関係の新技術を無償提供、世界の紛争現場に自ら訪れ治療するボランティア、大規模な災害や紛争で発生した怪我人を保護するための基金設立と、神薙がしてきた偉大な功績は多くある。

彼の善行は数知れず、彼に救われた者は多くいる。

彼の聖人性を今更疑う人がほとんどいないのは、ある意味当然かもしれない。

 

 

『聖人ね……あいつがそんなタマかね』

 

 

だが、彼の若い頃を知るヘレナはそんな呟きをしながら、ふと昔を思い出す。

 

人を救うことに全霊を掛けていた。

死にかけで、普通の医者が匙を投げる患者さえ最後まで救って見せるとその手を離さなかった。

国籍も人種も違う、言葉すら通じないまったく見知らぬ他人の死を、我が事のように泣いていた彼の姿を思い出す。

 

そして。

 

 

『……聖人と言うよりもアイツは』

 

 

争いを起こした者達に向けた、彼の目を思い出す。

憎悪に濡れ殺意に満ちた、酷く感情的なあの目。

 

 

『弱者だけの味方。そう言う方が正しい気がするがね』

 

 

その憎悪の矛先を向けられたのなら、きっと。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

神薙隆一郎への国外の異能犯罪組織による襲撃を受け、日本政府は即座に異能犯罪を許容しない事を明言するとともに、対策部署の設立を急ぐと宣言した。

それまでの様な形だけの対応ではなく、国家予算を投じた本格的な戦力配備方針へと舵を切ったのだ。

 

それほどまでに、神薙隆一郎の名は日本政府にとって重い。

自身や親族、友人が彼の手によって完治したと言うのも珍しくは無いし、そんな私情を挟まずとも外交で他国が彼に配慮すると言うことも度々あるほどだからだ。

 

そんな彼が異能と言う超常現象が関わる力で狙われた。

国民からの批判を受けるまでも無く、例え現状とは反対の方向の声が多数だったとしても日本政府は迷わず舵を切っただろう。

 

そしてその煽りを、形だけとして設立された警視庁の対策部署も大きく受けていた。

 

 

「ぐええ……や、やってられないっス……警察庁ほか内閣、国会に提出する報告書を作れだなんて、いかれてるっスよぉ……。そ、それも、これまでの活動を含めて先日の襲撃の件を詳細にだなんて、私らはそんな官僚の真似事が出来る人材じゃないのに……疲労も怪我もまだあるのにぃ……」

「あー……私、もうこの仕事辞めます☆ 辞めて、やりますぅ……☆」

 

「お前ら、手を動かせ手を。口を動かして休んでんじゃねェ」

 

 

先日の襲撃の時とは打って変わって、カタカタとパソコンに釘付けになっている飛鳥達の顔色は悪い。

飛鳥達の文句を注意した柿崎も、その巨体を小さく縮めてパソコンに向かい合っているもののどこかやつれた様子を隠し切れていなかった。

 

 

「と言うか、柿崎さんは本当にもう少し休んでおいた方が良いんじゃないっスか? あれだけ血だらけで怪我も酷かったっスし」

「馬鹿野郎、あの病院での指揮を取ってたのは俺なんだから、その俺が居なかったら報告書なんて作れねェだろうが。逆に言えば一ノ瀬なんかは休みを取って構わねェんだ……まあ、心配してくれるのは、嬉しいがな」

「か、柿崎さんがデレた!? ついに私の有能さに素直に感謝するようになったんスね!? うひゃー! 照れるっス!!」

「……テメェは元気そうだから、しばらく休ませないようにって言っておこうか」

「あっ、それとこれは話が別っスよ! 待って待って待って……!」

 

(こいつら、うるさ……)

 

 

額に青筋を立てた柿崎と元気に文句を言っている一ノ瀬を他所に、飛鳥はにこやかな笑顔を浮かべたまま無言で机の上に置いた携帯に何の通知も無い事を確認していた。

 

 

(……神楽坂先輩から何も返信がない、か。あの子からも変なメールが来たっきり何も連絡が無いし……)

 

 

燐香達とあの病院で会ってからまだほんの数日。

あの件で忙しくなった飛鳥はともかく、私事で病院にいた神楽坂は忙しくなる筈が無いのに返事も無いのは何なのだろうと飛鳥は首を捻っていた。

それに突然燐香からメッセージが届いたと思ったら、『しばらく不用意に動かないでください』の一文だけ。

 

状況が全く分からない。

何か悪い事が起きているのだろうが、燐香がこんなメッセージを送ってくると言うことはどうにかできる目途が立っていると言う事なのだろうか、と飛鳥は思う。

取り敢えず仕事に集中しようと、再びパソコンに視線をやって、ふと同様に、柿崎も何やら携帯電話を気にしている事に気が付いた。

普段は気にもしていないのに、視線を自分の携帯電話に向ける頻度がやけに多い。

 

柿崎はしばらく視線をパソコンに彷徨わせていたが、一度強く瞼を閉ざすと、部屋の端で手持無沙汰に椅子に座って天井を見上げている“紫龍”を見て、それから飛鳥に視線をやった。

 

視線が合う。

柿崎が何か言おうと口を開き掛けたのを見て飛鳥が身構えた瞬間、部屋の扉が開いた。

 

 

「報告書の進捗状況はどうだ柿崎」

「……半分くらいです。浄前さん、取り敢えず今出来てるのを持っていくので確認を」

「ああ、分かった」

 

 

浄前正臣、公安特務対策第一課の課長を任されている人物。

キャリア組の人間で、その優秀さを幹部に広く評価されており、将来的には警察の最上階級に昇り詰めることは確実と言われている。

過去に神楽坂や落合が所属していた公安部署で、消えた100億の事件を未解決だった汚点こそあるものの、未だに彼の地位は盤石。

性格も悪くなく、自分の優秀さを鼻に掛けることも、他者を見下すことも無い事から人望もある。

 

普通なら犯罪者に加担する理由なんてない順風満帆な男、それが浄前正臣。

 

 

(……警察内部に裏切り者、ないし前に燐香が言っていた擬態する身体変化形の異能持ちがいるとして……)

 

 

飛鳥はそんなことを考えながら、横目で席に着いた浄前を見遣る。

 

 

(昔からその人物が警察内部に居たと仮定した場合、そして、その人物がこの部署内に居るとするなら候補は限られてくる。その内の1人がコイツだけど……怪しい素振りは未だに見せない)

 

 

流石に疑いが弱い今の段階で強硬策には出られない。

適当に伸びをしながら、「燐香に読心してもらうのが一番手っ取り早いのだからどうにかして警察内部に燐香を手引きして……」なんて、そんな方法を考えていた飛鳥はふとあることに気が付いた。

 

窓の外に鳥がいる。

鳴くこともしないで、じっと室内の様子を覗いている真っ黒なカラスが、その場に留まっている。

 

 

(何あれ、カラス? ……カラスって言えば確か、前に燐香が千手とやり合った時に……)

 

 

バサリッ、とそれまで身じろぎ一つしなかったカラスが飛び立った。

空に向けて飛んでいくカラスの先には、同じように数多のカラスが空を飛び回り羽ばたいている。

漆黒が空を覆うような光景に言い知れぬ不安を覚えた飛鳥は視線を落とす。

それから、携帯電話に流れて来るニュースの隅に、『カラスが集団で飛び回る姿がSNSに多く上げられている』と言う文面が流れて来たのを見て、飛鳥の顔が強張った。

 

 

「ちょ、ちょっと失礼します!」

「え、は? 飛禅のアホ、何処に行くんスか!?」

 

 

頭を過った嫌な予感が嫌に背筋を凍らせて、無性にすぐにでも燐香に確認を取りたくなってしまった飛鳥は、即座に部署から飛び出して人の少ない場所を目指して走って行く。

 

 

佐取燐香は“顔の無い巨人”と呼ばれる異能持ちだ。

確証や物証なんて無いが、少なくとも飛鳥はそれを疑っていない。

 

だが、それを知っても飛鳥は燐香の過去を深く聞いていない。

どうして世界で恐れられるようなことを仕出かしたのかを聞いていなければ、今の彼女の異能の出力では到底成し得ない過去の行為をどのようにして行ったのかも聞いていなかった。

これまで色々とごたごたがありすぎて、タイミングが無かったと言うのもあるし、今は穏やかに過ごしているのなら無理に掘り返すようなものでも無いだろうと思ったからだ。

 

彼女が過去に自分を助けた誰かであって、世界を脅かしていた“顔の無い巨人”であることは飛鳥にとって何ら問題では無かったのだ。

 

 

「――――チッ、あの馬鹿っ、電話に出ないっ……!」

 

 

数年前、顔の無い巨人が侵攻していたその手口にカラスを使ったものは無い。

カラスの異常な行動や露骨とも言える状況を作らず、ニュースや報道でもその前兆は予期させなかった。

つまり、こんな手段を取らなくても燐香には何かしら、世界を手中に収める手段がある筈なのだ。

ならばなぜ今は、こんなことをしているのか。

 

少し考えればそんなの簡単だ。

そのやり方では探知できない相手を、草の根を分けてでも探し出すために。

 

 

「やっと繋がったっ……! こんの、お馬鹿ッ……!! 一体何をして――――」

 

『――――口を閉じて、動かないで』

 

 

溜息混じりの無機質な言葉に、ピタリ、と走っていた飛鳥の足が止まった。

自分の意思で足を止めたのか、電話先の声で止められたのか、まったく分からない。

口が張り付いたように動かず声が出せない事に冷や汗が噴き出して、硬直している飛鳥に電話先の冷たい声が優しく囁くように話し掛けて来る。

 

 

『今、飛鳥さんは追跡されています。あれだけ目立つ退出をしたんですから当然ですが、取り敢えずその場で良いので聞いてください』

「……」

『ええ、はい、色々言いたい事や聞きたい事があるでしょうが、まず神楽坂さんですが行方不明になっています。あの病院で、私を乗せて来た車のあった場所に血の付いた携帯電話だけを残して行方を断っています、生死は不明ですが…………期待はしない方が良いでしょう』

 

 

驚愕する。

燐香から一息にもたらされた情報は飛鳥の想定を越えており思わず数秒思考が停止する、慌ててこれからどうするべきなのか考えを巡らせようとした飛鳥に。

 

 

『御察しの通り、カラスは私の出力機です。彼らの視界を使って状況や敵の捕捉、それから飛鳥さんの安全を確認しているのでお気になさらず』

「……!!」

『駄目です、飛鳥さんは目立つ行動を控えて大人しくしていてください……喋るのも駄目です、聞かれてます。良いですね、大人しく、報告書でも作っていてください。飛鳥さんは私がちゃんと守っていますから安心していてください。すぐに終わらせますから』

 

 

それだけ言うと電話が切られた。

携帯電話から流れる無機質なツーツーと言う音を呆然と耳に当てていた飛鳥は、震える目で携帯電話の画面を見て、ようやく自分の足や手が動くことに気が付いた。

 

 

「……どういうことなの?」

 

 

後ろを見る。

追跡していると言う者の姿は無い。

そして、姿を隠しているその存在を、飛鳥は探知することも叶わなかった。

 

飛鳥には、状況がどのように推移しているのか、誰が敵なのかも分からない。

ただ、自分の力が恩人にまったく当てにされてない事だけは理解できた。

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

世界は悪意で満ちている。

 

この世に生まれ落ちた生物は、誰だって最初は悪意など持っていない。

生きていたいと、誰にも責められるようなものではない願いだけを持っていて、あまりに弱弱しい赤子は誰かの手で庇護され成長する。

 

誰かの愛があって、生き物は生き永らえる。

例外なんて無く、誰かに愛されて生まれ落ちた赤子は育つのだ。

ならばなぜ、最初のそんな願いが満たされて、知性を持つように成長した者達は悪意を持って誰かを傷付けるようになるのだろうか。

 

分からない。

けれど、そんなきっかけは何であれ、悪意を持たない人間の方がこの世界には少なくて、可視化された想いの大半は悪意だった。

 

 

「……馬鹿だなぁ、私」

 

 

飛鳥さんからの通話を切って、私は切れた携帯電話を耳元から下すと空を見上げた。

 

烏が飛んでいる。

真っ黒で、空を覆い尽くすほどに。

彼らは知性を持ち、数が多く、空を飛び、何処にいても不思議ではない存在。

私の目となり、耳となり、異能の出力機となりえる都合の良い知性体。

 

私は大きな横断歩道の上からそれらが広く、都内を飛び回っていくのを眺めている。

彼らから送られる情報を頭の中でいくつも同時に写して、目的のものを探していく。

 

私は万にも及ぶ“目”を手に入れた。

 

 

「最初からこうしてれば良かったんだ」

 

 

神楽坂さんが居なくなったあの病院。

『泥鷹』と言う集団が襲撃した時に、『液状変性』の分身体が居たのは作為的なものでは無い。

作為的な何かがあれば、あの暗闇は異能を弾く性質を持つアイツにとってこれ以上無いくらい有利な場所で、分かりやすい成果をあげるために動く筈だった。

それが無かったと言うことは、あの場にいた『液状変性』の分身体は加害者の立場では無かった可能性が高い。

つまり、あの場にいた誰かが『液状変性』の本体であったのだ。

 

でなければ、私の“読心”が神楽坂さんを襲うと言う悪意を読み取れないなんてこと、ないのだから。

 

私は眼下に広がる人ごみを見下ろした。

彼らの内面が嫌と言う程良く見えて、自然と私の眉間に皺が寄っていくのが自覚できる。

 

 

「……久しぶりにこうして見るけど、どれもこれも変わらず汚らしい内面を晒して……」

 

 

下らない諍い。

下らない劣等感。

下らない欲望のままに、他人を傷付け貶めようとする醜悪達。

 

それらを見下ろす今の私は、いったいどんな顔をしているのだろう。

少なくとも神楽坂さんが言ってくれたような、優しい人間の顔をしていない事だけは分かっている。

 

 

「……神楽坂さん、貴方は誤解してる」

 

 

嫌悪が消えない。

憎悪すら沸くほどの嫌悪感が頭に痛みを走らせて、髪を掻き上げるようにして抑えた頭には、今なおズキズキとした刺激が孕んでいる。

 

でも今、そんなものは些末だ。

 

 

「私は貴方が思うよりもずっと、おぞましい形をしているのよ」

 

 

もはや犯人の目星は付いていた。

神楽坂さんの居場所、あるいは生死を確認でき次第、事を終わらせる。

 

そのための準備も、もう終わるのだ。

 

 

 

 

 


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