非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?   作:色付きカルテ

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善悪の裁定

 

 

 

 

その日はいつもと変わらない1日だった。

 

神薙隆一郎の1日は忙しい。

高名な“医神”の治療を求めてやってくる全国からの人々を彼は可能な限り診察し、少しでも治療しようと、僅かな休憩時間すら取らずに働き続けている。

周囲の人達が齢90を越える神薙の体に掛かる疲労を心配する中、神薙は今日も疲労の色を一切見せずその日の仕事を終わらせた。

 

更衣室で着替えを済ませ、帰り支度を終わらせた頃には、時刻は夜の9時を回っていた。

同じように病院で働いていた者達に労わりの声を掛けつつ、当直の者達に何かあれば連絡するようにと言って病院を後にする。

 

 

「先生、お疲れさまでした」

「ああ、和泉君。わざわざ待っていたのかい?」

「はい、少しお話したいことが。その……あれ以降、連絡が途絶えることがなくなりまして」

「それは……」

「……泳がされているのか、それともアイツ自身がやっていたのか……どちらにせよ、やはり関わっていたのは間違いないようです」

 

 

雨の中、神薙を待っていたのは和泉雅(いずみ みやび)と言う名の看護師。

仕事の時は小さく纏めている長い髪も、仕事終わりの今は腰まで下ろされ、たれ目をした彼女は職業上の先入観を持たなくても、優し気な雰囲気を他人に感じさせるだろう。

実際、彼女は看護師の仕事を誠実に勤め上げており、院内での評価も、患者達からの評価も非常に高いもの。

 

だが、その本質は優しさとは程遠い。

 

 

「――――まあ、ようやく邪魔な奴が消えてくれて安心しました。あれだけ忠告してやって、せっかく見逃してやったのに、また先生の邪魔をしてくるなんて…………付ける薬の無い馬鹿はどうしようもないものですね」

「和泉君。いつも思うが、君の仕事が終わり次第のその豹変は……普段の君に憧れている人達が知れば吃驚してしまうよ。もう少しお淑やかに、だね……」

「育て方を間違えたかな、ですか?」

「……私の喋り方をマネするのは止めなさい」

「そうは言っても、長年一緒に過ごしてきた親代わりの人に口調が似るのは仕方ないと思うんだよ先生。正しく、私が先生の影響を受けていると言う話だね」

「ああもう、既に敬語も抜け落ちてる……」

 

 

溜息混じりにそう呟いた神薙に、和泉はコロコロと無邪気な笑みを浮かべた。

 

病院からの距離はもうかなりのもの。

それに伴って、仕事用の態度はもう良いだろうと判断したのか、和泉の表情や口調が全くの別物へと変貌を遂げていく。

 

たれ目の穏やかな笑みは、薄ら笑いを浮かべた酷薄なものに。

誰に対しても柔らかな口調は、神薙に似た老人めいたものに。

何よりも、今の彼女の瞳には隠し切れぬ狂気が溢れていた。

 

スキップでも始めそうな足取りで隣を歩き始めた和泉を横目で見遣り、神薙は思案混じりに口を動かす。

 

 

「……大体、あまり私生活上で私に接するのは少なくしなさいと言っているだろう。君が昼休みや仕事終わりの私にこうして関わりに来るから、男女関係にあるなんて噂があったりもするんだよ。父親代わりに君を育てて来た私としては、そろそろ君も恋人の1つや2つ作って安心させてほしいんだが……」

「先生は奥方を、私を養育するよりもずっと前に亡くされているし、そういう下世話な噂で迷惑の掛かるようなことは無いだろう? それに、私にはそういう普通の恋人を作る価値観が欠落しているようなんだ。なに、そう心配しないで欲しい。今はこうして先生と話をしているだけで、私はこれ以上無いくらいしっかり充実感を得ているからね」

「まったく……」

 

 

そんな風に、彼らにとっては何でも無い話をしながら、神薙達は帰路を歩く。

 

すっかり暗くなった帰り道、雨音だけが響くやけに静かな街中。

動物の鳴き声1つしない暗闇の中、神薙と和泉の取り留めのない会話は弾む。

すれ違う者の様子など気にも留めない都会の人達の中、神薙達は仕事終わりの疲労など忘れたように歩き続けた。

 

時間にして数時間。

ビル群を抜け、交差点を渡り、駅を経由した。

いつも通りの帰り道。

見慣れた筈の帰宅途上。

彼らは見覚えのない廃倉庫へとたどり着いた。

ボロボロの、人気のない倉庫には今の時間もあって人目は何処にもありはしない。

 

 

「あれ? 先生、ここは……?」

 

 

最初に異変に気が付かされたのは、和泉だった。

和泉の疑問の声に、さらに廃倉庫の奥に進もうとしていた神薙の足が止まる。

 

 

「……なんだ? 確かに家までの道のりを歩いていた筈なのに……ここは何処だ」

「待ってくれ先生。病院を出たのは9時頃だった筈だろう? 家に着くのに1時間も掛からない私達が、どうして0時を回っている今、見覚えのない場所にいるんだ?」

 

 

神薙達が勤務する病院から家まで、バスを使って30分。

徒歩の時間を含めても1時間を越えることは滅多にない筈であるにも関わらず、数時間を掛けて自分達は見知らぬ場所に辿り着いている。

高齢の神薙だけならアルツハイマーと言ったものも考えられるが、2人して疑問も抱かないなんて事、普通は考えられなかった。

 

街灯1つ無い廃倉庫と言う静寂に満ちた暗闇の中、あまりの不気味さに和泉は表情を引き攣らせ、神薙はまさかと思い当たる節を呟く。

 

 

 

「………………私達は、異能による攻撃を受けている、のか?」

「先生っ、そんな馬鹿なっ。私達は全身を覆うように――――」

 

「――――異能の出力を弾く外皮を纏っているのに、ね」

 

 

反応は瞬時。

背後から掛けられた誰かの声に、和泉が振り向きざまに液体化させた鞭の様な腕を振るう。

が、背後から掛けた筈の声の主はそこにはいなかった。

 

姿無き異能持ち。

そして、相手は完全にこちらを捕捉し、性質を理解した上で攻撃を加えている。

明確な異常事態に、神薙と和泉の背中に冷たいものが走る。

 

 

「話し合うことも無く攻撃に転じた。いいわ、そちらがそのつもりなら私も交渉の余地は無いと判断するから」

「――――待ってくれっ!」

 

 

ぞっとするほど感情の無い声に、咄嗟に神薙が声を張り上げた。

臨戦態勢に入ろうとする和泉を手で制し、神薙は姿の無いその人物からの攻撃を一時的にでも収めさせようと思考を回す。

 

突如として目の前に現れたコレは、神薙が見てきた何よりも凶悪なのだと脳裏の警鐘がけたたましく鳴り続けている。

 

 

「君は誰だ!? なぜ私達を狙う!? 異能持ち、それも精神干渉系統の異能だな!? こちらには交渉に応じる余地があるっ、攻撃を止めてくれ!」

「先生っ」

「和泉君は大人しくしていなさいっ……!」

「……」

 

 

これまで見たことも無い、一切の余裕の無い神薙の姿を前にして和泉が息を呑む。

状況は最悪に近いのだと理解した和泉がそっと周囲を見渡し、それから、両手を上げて、降参するとでも言うようにその場に座り込んだ。

神薙も同様にその場に座り、無抵抗を示すように両手を背中に回した。

 

これは賭けだ。

姿を一切見せないこの存在が、無抵抗な者を攻撃しない事に神薙は賭けた。

そしてその賭けは、首の皮一枚の差で神薙達の生命線となったのだ。

 

沈黙が人気のない廃倉庫を包む。

 

 

「……話をしよう。私達は理由も無く争うべきじゃない」

「状況を理解して最善を選び取る能力は随分高い。年の功は伊達じゃない訳ね」

「君の、望みは何だ……?」

 

 

解答されないだろう問い掛け。

だが、どうしてもこの質問をしなければ交渉の席に着くことすら出来ないと神薙は分かって切り込んだが、その返答は酷く冷めたものだった。

 

 

「なぜ私が貴方達の問い掛けに答えなければならないの?」

「いやっ、すまない。そんなつもりでは無いんだ。そうだね、順番に質問していこうか。疑問があれば聞いてくれ。出来るだけ答えていこう」

 

 

まずい、と思った。

少し会話しただけで分かる相手の攻撃性。

交渉しようと言いつつ、何かしらの理由さえあれば攻撃に移ろうと言う意思を感じる。

 

出力の検知さえ叶わず、姿を一切見せず、そして何よりも誰であるのかの候補すら出てこないのが恐ろしい。

 

 

「確認する」

 

 

神薙の提案をまともに取り合わず、ソレは告げる。

 

 

「1つ、5年前の2月28日、貴方は“白き神”を自称する白崎天満の治療を行った。白崎天満に異能の存在を教え、白崎天満はその力で過去の未解決事件『薬師寺銀行強盗事件』を計画、実施した」

「……質問の意図が分からない」

「2つ、異能が世間に知られるのを危惧した貴方は『薬師寺銀行強盗事件』を実行犯の死亡で片付けるため隣の女の『液状変性』を利用し、当時から警察内部に入り込んでいた擬態を使って事件捜査を終わらせようとした。けれど警察内部の数人の人物が反抗。独自調査を始めたことで彼らを手に掛けることを決めた。その最初の標的が落合卯月」

 

 

押し黙る。

過去の事件を踏まえ、ソレは神薙達の過去の犯行を羅列している。

カマを掛けたり、顔色を窺う様なものでは無い。

絶対的な確信を持っている。

 

文字通り確認作業を行うだけのソレの言葉に、神薙達は地面に座ったまま口を噤んだ。

 

 

「3つ、隣の女の異能『液状変性』を利用した擬態を広げ、現在は警察内部のみならず政治家や企業の重役、著名人やジャーナリストと言った影響力を有する人物に分身体を成り替わらせている。最近では過去の事件、落合卯月の自殺について独自調査を進めていた伏木航を処分して成り替わり、過去に取り逃がしていた神楽坂上矢及び異能の核心に触れる研究をしていた佐取優介の殺害を計画した。新たに就任した警視庁警視総監の毒殺を図ったのも、貴方」

「先生、こいつは……」

「過去の共犯である白崎天満の世界的テロ行為が阻止された事で自分達の存在が明るみになるのを恐れた事。異能の存在が世間に広まりつつある現状を憂いた事。活動を活発化させてなかった貴方が再び暗躍を始めたのにいくつか理由はあるようだけど、正直に言うと私にとっては動機なんてどうでも良い」

 

 

焦りを含んだ和泉に反して、表情の抜け落ちた神薙は視線を地面に固定したままだ。

探偵に犯行を暴かれている犯人の姿としては、酷く落ち着いた様子の彼はゆっくりと顔を上げた。

 

 

「……それで?」

「目的は何? これだけ多くの人を犠牲にして、貴方はいったい何をしたいの?」

「……人外染みた力と情報収集能力を持ちながら気にするのは結局そんなことかい? なるほど、和泉君の異能の力で読心が出来ない、そんなところだね」

 

 

医師として患者に接している時とは掛け離れた、薄く冷たい笑みを浮かべた神薙が問いかける。

 

 

「君が、“顔の無い巨人”だね?」

「そう名乗ったつもりはないわ」

「ああ、分かっているさ。形も名前も分からない未知を人は畏れるからね。どうしたって、何も分からないモノと遭遇した時、人間は名称を勝手につけたがる。私の“医神”と言う呼び名もそうだ――――正直に言おう、君には昔から会いたいと思っていた」

 

 

一瞬、間を置いた。

 

 

「なぜ、世界を支配するのを辞めた?」

 

 

お前ならそのままやれただろう、そう言外に告げている。

 

怒りが含まれたそんな質問に、姿を見せない存在は少しの間沈黙した。

沈黙の中、最初に口を開いたのもまた神薙だった。

 

 

「君は、人が死ぬ場面を目撃したことはあるかい?」

 

 

彼にもう笑みは残っていない。

ただ怒りに満ちた激情だけが露わになっている。

 

 

「君は、不条理に命を奪われた人の遺体を抱いたことはあるかい?」

 

 

隣にいる和泉が呆然と神薙を見るくらい、彼の怒りの感情の発露はあり得ないもの。

それでも憤怒を叩き付けるように吐き出す、神薙は隣にいる和泉の様子など気付かないのか、彼女に一瞥することなく“顔の無い巨人”の問いかけを首肯する。

 

 

「君が指摘した事は事実だ。全て私が関わっている事に間違いはない」

 

「私がしてきたことは人殺しを含む、俗にいう犯罪行為だ。だが、それは悪か? いや、そうだろう。人を殺める事は人間社会で生きていく上でも、道徳的にも、きっと何を措いても許されることでは無い。そんなことは私だって分かっている。けれどね。自分の欲望に負け、特権を利用し利益を貪る者達を処分することが誰かの害になるのかい? 国の機運を左右する立場にいる人間が恐ろしく無能であれば、その不利益は誰が受ける? ……例えば、下らない権力者の面目の為に引き起こされた戦争の犠牲は、いったい誰の悪の上に成り立つものだと言うのかね? そしてそれらに罰を下すのはいったい何だと言うのか」

 

「私は医者だ。“医神”などと呼ばれても救えない人は数多くいた。私の力不足で生きられなかった人は確かに存在する、私自身がそう明言しよう。そして言ってしまえば、私以上に人の死を間近で見て来た人間はいない。人の死の重さを私以上に理解している人間など、この地球上に存在しないんだ」

 

「命は掛け替えのない大切なものだ。だが、世界には他人の生死を些事にしか思っていない人間はいて。君の役職や年齢は分からないが、きっと君が思うよりもそれらはずっと数多い。多くの人間がそれらに奪われ、不幸にされる。奪われるのは何時だって、頼る人もいない力の弱い一般市民だ」

 

 

だから、と神薙は続ける。

 

 

「そういう人間を適切に処分する者が必要なんだ。そうでなければ、何の罪も無い人達が傷付くのは分かり切っている」

「自分の行いは悪人や無能を排除しただけに過ぎない、ね……自分は裁定者に値すると?」

「少なくとも、人の命を救ったことも無い権力者よりはずっと」

 

 

断言した。

嘘などなく、自分の行いを認めながらも間違いではないと確信している。

悪を為す自分が、名も知らぬ誰かの為に必要なのだと覚悟しているのだ。

 

勘違いしないで欲しい、そう言って神薙は立ち上がった。

 

 

「君が羅列したものは確かに私が為した悪だ。けれどその先の目的は決して私利私欲などではない。あくまでこの国が再び戦争の災禍に見舞われないように。多くの人が死に至るようなことが無いために。剪定しているに過ぎないんだ。裁定から零れた者からすれば、多くの命を奪う私は悪だろう。だからこそ同時に私は医者として多くの命を救い続けよう。一つでも多くの命を救い、未来で失われる可能性を少しでも無くすことに全力を尽くす。奪った命に対する贖罪にはならないだろうが……私は私の務めを果たす。“顔の無い巨人”、君が世界を支配するならそれでも良いと思っていたが、君がやらないなら私がやる。それだけだよ」

 

 

昔、全ての傷や病を治して見せると燃えていた男がいた。

理想を夢見て、努力を積み重ね、そして戦争と言う災禍に救って来た命を奪われた男がいた。

“医神”と、“聖人”と、呼ばれる老人の原点はそれだった。

そして、今の彼もその地続きにいる。

 

“顔の無い巨人”は冷たく彼の発言を見定めた。

 

 

「随分と素晴らしい価値観ね。理想論に似せようと言う努力さえ感じられる。いいえ、どちらかと言うと、無理に聖人になろうとした人間を見ている気分」

「老人の戯言だと笑うかね?」

「個人的にはそこまで嫌いじゃないかもね。悪を屈し善を助ける、素晴らしい思想だと思うわ。でも、貴方はその発言を実行できていない。正義を為していると思っているのは自分だけだなんて、傍迷惑にもほどがあると思わない?」

「……どういうことかな?」

「異能の力を使って社会を正す。言ってしまえば貴方のやっている事はそれだけ。でも例を違わず、貴方も異能の力を御することができていない。白崎天満も、隣の女も、貴方の考え方に共感も理解もしていない、首輪を付けきれていないから貴方の理想と乖離して無用な犠牲者が産まれる。事実、善良な警察官の方々を手に掛けている貴方達は、悪を挫く者とは言い難い」

「…………警察のように、自らの意思で国家権力の僕になっている人間には上に逆らう自由は存在する筈だ。自分が守っているものが正しいのかも見抜けないような者達も、私の粛清対象となりえる……進んで排除しようとは、思わないがね」

「それは本心? 随分と浅い理由ね、まるで後付けの理由のように思えるけど」

 

 

心当たりがあったのだろう、一瞬沈痛な面持ちを浮かべた神薙とは異なり、指し示された和泉は怒りの表情を浮かべ食って掛かった。

 

 

「私が先生を理解していないだなんてっ……ふざけた事を言うなっ!! 私は誰より先生を理解して、誰よりも私が先生の力になっているんだっ……!! お前なんかに何が分かる!」

「さて」

 

 

鬼気迫るような和泉の様子を一笑した“顔の無い巨人”は、彼女を無視して神薙に言葉を向ける。

 

 

「情報は人を介すごとにノイズが混ざる。人を本当の意味で従えるのは、深層心理でも読み取れない限り無理な話よ」

「……君は、神楽坂君の関係者か?」

「関係者、と言うのは語弊があるけどね」

 

 

なぜ今、“顔の無い巨人”が自分達の前に現れたのか考えが及んだのだろう。

先日、手に掛けた男の姿を脳裏に映して、目をつぶった神薙がゆっくりと話し出す。

 

 

「彼には悪い事をしたと思っている。私に罪は無いとは言わない。だが、あんなことをしようとは思っていなかったんだ。私が治療した白崎君が先走り、彼の恋人や恩人に手に掛けてしまった。何とか神楽坂君に手を出そうとするのを止めたが……本当は、彼も同じようにしてあげるべきだったんだろう。1人生き残らせるだなんて、あまりにも可哀そうなことをした」

「……先日は、可哀そうな状態だから手に掛けたと?」

「違う。彼は正しく私の喉元に手を掛けていた。過去の事件から私に辿り着くのも時間の問題だと判断せざるを得なかった。だからこそ手を打ったんだ……けれど、数年前のあの時。白崎君が落合睦月を洗脳し、落合卯月を自殺に追い込んだあの時に。私は彼に意味の無い情を掛けるのではなく、命を奪う選択をしておくべきだった。結局こんな選択をするのなら、彼が苦しみ続ける数年間を作るなんて事をするべきでは無かったんだろう。今になってそう思うよ」

 

 

罪の告白に似た神薙の言葉。

まるで終わった事のように話す神薙の発言に、これまでの何よりも、“顔の無い巨人”は大きな反応を表した。

 

 

「それは……」

 

 

それは、“顔の無い巨人”にとって何よりも聞き逃せない情報だったからだ。

 

 

「……神楽坂さんは……もう、苦しむ必要もなくなったと言うんですか?」

 

 

それまで冷徹で、平坦だった“顔の無い巨人”の口調が揺れた。

人の形を見出せなかった姿の無い化け物が、ようやく見せた人間らしさ。

会話をしていた神薙も当然その変化に気が付き、同様に隣で怒りの形相を見せていた和泉も気が付いた。

 

神薙は眉を顰め、和泉は突破口を見付けたと笑みを浮かべる。

何か言おうとした神薙に反して、和泉は優し気な口調で口を挟んだ。

 

 

「ああ、なんだ、君は神楽坂を助けたいんだね? そうならそうと早く言ってくれればいいのにさ。良いよ、それならこれから君のお仲間の神楽坂を連れてきてあげるよ」

「和泉君、なにを――――」

「ほら、そっちを見てごらんよ」

 

 

和泉が指差した先。

廃倉庫の入り口に近い場所に立つ、1人の長身男性の姿。

ボロボロな服装をして、クシャクシャになった手入れされていない髪と疲れ切ってこけた頬の、年齢よりもずっと歳を喰って見える中年男性。

 

いつか見た神楽坂上矢の姿がそこにあった。

 

 

「…………神楽坂さん」

 

 

“顔の無い巨人”――――佐取燐香が呆然と呟いた。

心のどこかで諦めていた人の無事な姿を見て、動揺が隠せなくなる。

そんな燐香の姿を見て、神楽坂が困ったように笑った。

 

 

「……心配かけたな」

「…………」

 

 

いつも通り、こっちの心配なんてちょっとも分かっていないような神楽坂の様子に、痛みに耐えるように表情を崩した燐香が片手で胸元を強く握って俯いた。

 

 

「その、悪かった。見ての通り無事だ。色々痛めつけられたけど、命に別状はない。連絡できなかったのは……携帯を叩き落されていてな」

「……神楽坂さん」

「ん、どうした?」

 

 

顔を上げた燐香は寂しげに笑う。

 

 

「私は本当に貴方を助けるつもりでした。貴方の馬鹿みたいな善性は、何も分からなくなっていた私を導いてくれて。私を認めてくれた貴方の言葉に救われたのは一度だけではなかった。幸せになってほしいって本気で願っていたんです。辛い過去を経験してきた神楽坂さんには、この先明るい未来がありますようにって……本気で、願ってたんです……」

 

 

泣き出しそうな顔で「だから」と、燐香は血を吐くように言った。

 

 

「……貴方を救えなくてごめんなさい」

「――――」

 

 

パンッ、と。

神楽坂に擬態していた和泉の分身体が弾けた。

ぼたぼたと、それを形成していた液体が地面に広がっていく。

 

分かっていた。

当然、こんな場所に誘拐された人が現れる訳がないのだ。

人質を出してどうにかできる状況でも無いのに、自由に人質になりえる人間を出歩かせる訳がない。

本物の神楽坂上矢でない事だなんて、異能を使わなかったとしても燐香には分かってしまう。

 

 

そして……分身体を擬態に使う時の条件は分からないが、これまでこの分身体が擬態してきた相手は決まって命を落としていた。

 

 

「……」

 

 

人を識別する固有名詞である名前。

人を信頼させるには何よりも重要なそれを、神楽坂に擬態した分身体は終ぞ呼ばなかった。

燐香についての話も、異能についての詳細も、もしかしたら協力者の存在すら、連れて行かれた神楽坂は何も話さなかったのだろう。

 

だから彼らは燐香について何も知らない。

だから和泉は神楽坂を、ただ注意を逸らすだけの駒としてしか使う事が出来なかった。

 

もう、地面に落ちて広がる液体はそれまで人の形をとっていたのが嘘のように、ほんの少しだって動くことは無い。

燐香の手を引いてくれた人の姿をしたものは、もうほんの少しだって動かない。

 

 

無防備な燐香の背後から襲い掛かってきていた和泉の針の様な腕を、虚空から現れた巨大な足が踏み潰した。

 

 

「足っ!? やっぱり読心出来る奴には擬態なんて通用しないだろうねっ! けど、集中が途切れたから姿が現れてるんだよ“顔の無い巨人”!」

「……子供だったなんて……いや、そんな……」

「先生っ! コイツは紛れも無い“顔の無い巨人”だ! 外見に惑わされて気を抜くなんて出来る相手じゃない!」

「……分かっている。今更、誰が相手だろうと私はやるしかないとも……」

 

 

2人は異能を解放する。

練られ、使い慣れた彼らの異能の出力に無駄は無い。

必要な分だけ、強力な質を伴った、非常に強力な力だ。

生み出される超常の力は並大抵ではなく、それぞれが凶悪な異能を所有している。

 

『液状変性』と『製肉造骨』。

人智を越える才覚を持つ2人が、ただ立ち尽くす1人の少女へ目掛けて全力で振るわれる。

 

だが。

 

 

『御母様』

「……分かってる」

 

 

奈落の底から這い出るような、おぞましい出力が目の前で蠢きだし、2人は自分達の異能を停止せざるを得なくなる。

 

酷くゆっくりと神薙たちの元へ振り返った少女は、冷え切った人形のような表情を神薙達に向けた。

 

 

「……探り合いの会話はもう充分。もはや交わすべき言の葉は腐り落ちた」

 

 

打ち捨てられた家電が火花を散らす。

静寂を保ち周囲を取り囲んでいたカラスの群れが一斉に声を上げる。

まったく知覚できなかった、少女と動物達の姿をようやく捉えたと言うのに、神薙達は全方位から自分達を囲むように向けられた数えきれない程の異能の出力元を知覚して、どうしようもない焦燥に駆られる。

 

状況を理解すればするだけ、彼らの抱く恐怖は具現化していく。

 

 

「口論も、闘争も、殺戮だって必要ないけれど」

 

「貴方達はこれから、血が通うだけの人形に成り果てるから」

 

 

やけに通る少女の声。

おぞましい光が宿った少女の目が、神薙達を敵として捉えている。

 

 

「せめて、恐怖に満ちた最後の時を存分に味わって――――消えていけ」

 

 

異能の刃が、お互いを狙い動き出した。

 

 

 

 

 


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