アタシは1人、マギーちゃんのバーでカクテルを飲んでいた。
傷心、と言えば傷心に当たるのだろう。だってノイヤーちゃんに面と向かってアタシの容姿が気に入らないと、言葉の刃でずたずたに引き裂かれてしまったのだから。
でも容姿批判なんて、いつもされているような物なのに、今回はすごく痛い。
世の中にはELダイバーをよくは思わない人類がいることは知っているし、何度か遭遇したこともある。その都度傷つきたくないから、ミランド・セルというバックパックを導入していた。
もちろんバレることはあるし、傷ついたことだっていくらでもある。
だけど、今回のそれは、比較にならないほど痛かった。
「はぁ……」
きっとエンリちゃんのため息なんか比較にならないほど、重たくて苦しくて。
喉を通る息にとげが生えているんじゃないかって思うぐらいには痛いぐらいの辛さだった。
これはいったい何の痛みなのだろうか。ELダイバーだから分からないのか、人生経験がないから理解できないのか。分からないことだらけでも、辛いことだけは分かったからこうしてやけ酒だ。
「フレンちゃん、一気飲みは体に毒よ?」
「飲まないとやってられないことだってあるんだよ」
果たしてたった3歳のアタシが何をやってられない要素があるんだか。
ストレスでどうにかなりそうな身体を、アルコールに似た成分で発散する。
「フレン」
「フレンさん!」
アタシを心配する声が2つ。どうやらあのウィングガンダムゼロカスタムとレギルスから生存することができたらしい。でも、そこにはやっぱりノイヤーちゃんはいない。
「いらっしゃい。カウンターの席、空いてるわよ」
「ありがとうございます。……エンリさん」
エンリちゃんは同意の声を鳴らして、アタシの左隣になるように1人ずつで座る。
しばらく、沈黙の嫌な空気が流れる。カクテルのグラスを揺らしながら、中で揺れるお酒を見て、まるで自分の心のように揺らいでいるな、なんておしゃれなことを思ったりもする。アタシは今、何に揺らいでいるんだろう。それすらも分からない自分の不自由な心に苛立つ。
「フレン、通信から聞いたわ」
「あ、あはは。なんか不甲斐ないとこ聞かれちゃったね」
「不甲斐なくなんてないです! でも……」
優しさは人を傷つける。
ユーカリちゃんの優しさも、今は少しだけ痛かった。
誰かをかばうってことは、誰かを傷つけるということ。今のはノイヤーちゃんを傷つけたことに他ならない。
「フレン。わたしはユーカリほど器用じゃないの」
「うん、知ってる」
「それでも聞くわ。ノイヤーの拒絶を聞いて、どう思った?」
膝に置いた手のひらをぎゅっと握って、カクテルの水面がまた揺らぐ。
どんなことを思ったんだろう、アタシ。
傷ついたのは間違いない。自分が無力だったことも。ノイヤーちゃんにどう思われていたのか、それが聞けて嬉しいという面もあった。
でも、そこにあるのはきっと、明るいものではなくて、もっとこう……なんだろう。分かんないや。
「アタシさ、ノイヤーちゃんのこと憧れてたんだよね。なんでか分からないけど、琴線に触れる感覚っていうの? それを感じててさ」
こればっかりは好みの問題なのかもしれない。
でも最初に見たとき、白い髪が、肌が透き通っていて絹のように透明で美しいと感じた。
その青い瞳が、マリンブルーの瞳がとても綺麗だと感じた。
まるで、それを否定するかのような言いぐさも、アタシは気に入らなかった。
どうして? ノイヤーちゃん、めっちゃ綺麗だし、惚れ惚れするぐらい可憐で、清楚で。儚い美しさがあるのなら、まさしく彼女にこそふさわしい。
でもノイヤーちゃんは自分を否定した。モニター越しに見た仮面で瞳を隠して、髪を誤魔化して。
アタシの容姿批判なんかより、その方がよっぽど悲しかった。
「ノイヤーちゃんの見た目もそうだけど、中身も知れば知るほど好きになっていっちゃってさ。ホントひきょ―だよねー、あんなに恋焦がれてる相手にはグイグイいけないなんて」
彼女はヘタレだ。エンリちゃんの一件があってもなくても、きっと彼女は告白できなかったし、アタシがいなかったら好意を知らせることもできなかった。
その点で言えばユーカリちゃんが罪深いのは間違いないんだけど、それ以上に好意を表に出せないぐらい親しかったのもあったのかな。
推察でしかアタシはノイヤーちゃんという少女を語れない。
「アタシ、ノイヤーちゃんのこと。何にも知らなかったんだ」
いくら内面を知っても、過去を知らない。内面を知ろうとしても、そこにはひっそりと傷ついていたノイヤーちゃんがいたかもしれない。そう考えるだけで、胸が引き裂かれそうな痛みが襲い掛かる。
胸のシコリが痛いって叫んでいる。この胸のシコリが一体何なのか分からないけれど、それでも分かることがあるとすれば、ノイヤーちゃんを思うことでこれが疼くってことだろう。
「アタシ、なんでも知ってる気になってた。恋も知らないって言われたとき、なにくそって思いながら、それでもそのとおりだなって」
アタシは恋を知らない。恋に憧れるただのELダイバーだ。
「でも、憧れはあるんだ。ノイヤーちゃんの恋を応援したいって。できることなら、背中を押したいって。おかしいよね、見てるだけなのに。こんな、こんなにも手伝ってあげたいって考えるのは」
アタシはノイヤーちゃんのことが好きだ。
その言葉に偽りはないけれど、その好きは恋に準ずるものではないはず。
彼女のことを思う度に胸のシコリが疼くし、もっと手伝いたいって気持ちが膨れ上がる。彼女に報われてほしい、幸せになってほしい、笑っていてほしい。
同時に思う。アタシにもその気持ちを分けてほしいって。
幸せで、笑って報われた彼女はいったいどんな気持ちだったんだろうかって、思いたかった。
「もう叶わないんだよね、ノイヤーちゃんの恋は」
「ごめんなさい。でも、私は……」
「いいの、謝んなくて。それがユーカリちゃんが決めたことなんでしょ?」
何度も見てきた。報われる人にフラれる人。それぞれが全部納得いったかは分からない。だけどさ、往々にして割り切らなければ、生きていけないんだよ。こんな気持ちを抱きながら生きたって辛いだけなんだよ。
っそっか。頭の中を通り過ぎそうになった言葉を逃がさないように捕まえる。
捕まえた手のひらを見て、アタシが見たかったものは、これだったんだと、再確認できた。
「アタシ、ノイヤーちゃんの恋の終わりを見たい。ノイヤーちゃんの恋心を一度終わらせてあげたい!」
それは必ずしもいい結果は得られない。いや、絶対にいい結果にならないと断言できる。
だけど、心を失っても、人は死ぬわけじゃない。人は案外強い生き物って、アタシは知ってる。死ねない生き物なんだって知ってる。
もう一度支えになるような相手を見つけて、それでもう一度立ち上がる。
あわよくば、その支えがアタシに……じゃない! そうじゃないんだ。
「よーするに! ユーカリちゃんは一度ノイヤーちゃんを完璧にフッちゃうんだよ!」
「……え?」
明らかに『えっ、私ですか?!』みたいな声だったけど気にしないもんね。
すべてはノイヤーちゃんのために。彼女の世界にユーカリという癌が残るぐらいなら、それを取り除いた方が、少なくとも今よりスッキリする。今より未来にあふれた世界になれるはずなんだ。
「フろう、ノイヤーちゃんのこと!」
「どうしてそうなるんですかぁ?!」
「だって、そうでもしなきゃ心の整理なんてつかないっしょ!」
ノイヤーちゃんは今、迷っている。迷路の中でずっと道が分からなくてうずくまっている。
だから、アタシたちがその壁をぶっ壊して、ノイヤーちゃんを迎えに行く。ね、簡単でしょ?
「まぁ、一理あるわね」
「でしょ! ユーカリちゃんは?」
「私は……」
迷っているようだ。結局自分自身の言葉でノイヤーちゃんを傷つけることになるんだから。
だけどね、ユーカリちゃん。アタシ思うんだ。
「はっきり言葉にすることで、傷つけることで幸せになれる道があるのなら、どうしたい?」
「……ノイヤーさんが、それで?」
「多分。はっきり言えないけれど、モヤモヤを振り払うなら、それぐらいしなきゃ」
目を泳がせながらも、やがて決心がついたのか、無言で首を縦に振る。
恋というものは残酷だ。たいてい一人しか選ばれないし、選ばれなかった方は必ず後悔する。
でもさ、中途半端に心を淀ませたまま、好きだった相手にずっと思いを馳せるぐらいなら、こっぴどくフッた方が、幸せかもだよね。だから、覚悟しておいて、ノイヤーちゃん。今から、ノイヤーちゃんの心に刃を入れに行くね。
「よーし! まずノイヤーちゃんのことについて教えて! なんでもいいから!」
「……あまり気持ちのいい話じゃないですよ」
「それでも! アタシはノイヤーちゃんのことを知りたいの!」
誰のため。それはノイヤーちゃんのため。そして、アタシのため。
言葉として表せば、それはただの知識欲なんかじゃなくて、純粋にノイヤーちゃんのことをもっと知りたいっていう、探求心と言った方がいいのかな。
……もし、これが恋だとしたら、いいなぁ、なんちゃって。
◇
ノイヤーちゃんの過去を聞いて、アタシは何となく合点がいった。
ざっくり要約すれば、その容姿のせいで何もかもうまくいかなかった、ということだ。
元々ネトゲであるこのGBNで生まれたELダイバーにとって、容姿のことでとやかく言うということはナンセンスではあるけれど、現実世界ではそんなにも深刻な問題だったらしい。
昔は黒人と白人の差別もあったらしいし、その辺の問題は溝が深いのだろう。
「でもなんとなく分かるかも。人間とELダイバーみたいな関係っつーことでしょ?」
「まぁ一言で言ったらそういうことよね」
決して分かり合えない人がいる。それがたまたま容姿だったから。そんなの、悲しすぎるよ。
だからノイヤーちゃん、ゲーム内では楽しそうだったんだ。
「今ので見えてきたわ。ノイヤーはまた一人になることを恐れている可能性がある」
「そんなことないのに……」
「そーだよ。アタシたちもいるし、なんだったらユーカリちゃんもいるし」
「でも、恋が報われない相手と一緒にいるのは難しいことよ」
どちらも一理ある、というところだろう。
ユーカリちゃんはきっとノイヤーちゃんを見限らない。でもノイヤーちゃん自身が身を引く可能性がある。そんな板挟みで、彼女は自分を、恋心を守ることにした。とことんヘタレというか、なんというか。
でも分からなくはない。アタシだって同じ状況になったら逃げだす選択肢をすると思うから。
「分からないのが、あのアディNとかいういけ好かない嘘つき野郎に加担している理由よ」
「姉さんって言ってましたよね。多分弟さんなんじゃないでしょうか」
「それしかないわね。今さら連れ戻して、何かを吹き込んだに違いない」
エンリちゃんのアディNというダイバーへのヘイトがすさまじい。
アタシは直接会ったことはないけど、エンリちゃんがそこまで言う相手なら、相当嫌な奴なんだろーなー。
「その話、アタシも混ぜてくれないかしら?」
「マギーちゃん?! でもこれはアタシたちの問題だし……」
「そうでもないのよねー。これを見て」
混ざってきたマギーちゃんがウィンドウをアタシたちの方へと向ける。
内容はと言えばガンスタグラムでのつぶやきであった。
それはもう粛正委員会へのヘイトばかりで、あまり見て気持ちのいいものではなかった。
「GBN内でも割と問題になっていてね。あんまり騒ぎが大きくなると、便乗して罪もない人を傷つけかねないのよ」
「わたしたちと協力して、粛正委員会を潰すってことでいいの?」
「ただマナー違反者が被害に遭っている手前、アタシたちみたいな自警団は大手を振って威張れないのよ。そ・こ・で、ユーカリちゃんたちの出番ってわけ!」
作戦内容はいたってシンプルだった。
鬱憤がたまっている者。もしくは被害に遭ったダイバーをこれでもかと言うぐらい集めて、物量で粛正委員会をぶっ潰す。無法者を率いるならファッション無法者がベストだ。という理由だ。
「ユーカリちゃん達には申し訳ないけど、その弾頭に立ってもらうことになるわ」
「……アウトローを率いる。無法者の集団……ギャング……!」
ユーカリちゃんのしっぽがぱたぱたと左右に振られている。わっかりやすいなぁ。
エンリちゃんが頭を抱えるどころか、目を輝かせている恋人の姿にご満悦な模様。こっちも分かりやすい。
「覚悟は……、って聞くまでもなかったわね」
「やります! エンリさん、フレンさん! 私がギャングのボスです!」
目をキラキラ輝かせて、しっぽをぶんぶん振ってるギャングのボスなんて聞いたことないけど、かわいいからいっか!
「できるだけ裏からサポートはするわ」
「となると、あとはユーカリとフレンのガンプラね」
意外。それはアタシたちだった。
確かに今回は手も足も出なかったけど、あれはエネルギー不足も相まって、って感じはするしなぁ。
と、考えているところで、エンリちゃんはアタシたちにノイヤーちゃんのレギルスと戦った時の戦闘ログを表示してきた。
「単純に反応が良すぎるのよ。Xラウンダーか、ってぐらいね」
「エンリさんのオーバーデビルでも苦戦してましたからね」
「だからユーカリにしろ、フレンにしろ、新たな装備ないしガンプラは必要になる。マギーもそれでいいかしら?」
「いいわよぉ! 久々に腕が鳴るわねぇ!」
両手を合わせて、にこにこと笑うマギーちゃんを見て、どうやら事はそれほど深刻でもないような気がしてきた。逆にその方が助かるかも。
「作戦名決めましょう! 作戦名!」
「有志連合戦、は流石にやりすぎよね」
アタシたちは1人だけでも、3人だけでもない。
意外と多い繋がりで関係は広がっている。
「じゃー、アウトロー戦役とかは?」
「アウトロー……いいですね!!」
だからアタシたちは何度だって立ち上がれるんだ。
「んじゃー、ミッション:アウトロー戦役、はじめ!」
「「おー!」」
「エンリちゃん?!」
「……おー」
絶対フラせるから。覚悟しておいてよ、ノイヤーちゃん!
それは終わらせるための物語