──────5月2日
クラスポイントの存在が明かされて一日が経過した。
えー、ここで一句。『出来心』と書きまして、『沖に出ている船』と解きます。その心は、『航海(後悔)の真っ最中』。と言うことで、絶賛後悔の真っ只中にいる私は今どこにいるかと申しますとこの学校に入学して以来二度目の進路指導室にお邪魔しています。邪魔なんだったら帰ってもいいかな?とか思った時もあるけれど、ていうか今でも思っているけれど、目の前に座っている般若が怖くて身動きが取れない状態なんです。俺、妖怪を退治する方法なんて知らないんだけど?マニュアル無いの?………無い?もー、そういうのはちゃんと作らないからこうやって困る人が出てくるんだよー。
ちなみに、時刻は放課後。進路指導室の窓から覗く夕日がとても綺麗で趣深い。ああ世界はやはり美しい。
昨日のHRで中間試験に向けての勉強ムードが高まったBクラス。意識の高い人が率先して勉強を開くらしいです。俺ね、なんかぁ、教師役で勉強会に参加してくれって頼まれてるんだよ?その場に居て、質問がある人の手助けをして欲しいんだと。なんで俺?まあ、確かに前にやった小テストで満点を取ってたよ?でもみんな、なんで俺がそんなことを受け入れると思ったの?こちとら色々忙しいんだよ?姉様の夕食作ったり、姉様の髪を乾かしたり、姉様を甘やかしたり、姉様を寝かしつけたり、ほんと大変なんだよ?だけど、まあ、結局は引き受けたんだけどね。そのおかげで、昼休みに弁当を渡した時の姉様の機嫌が少し悪かった。というか、主人が離れていく犬みたいに寂しそうに俺を見つめてくるんだよ。私と仕事、どっちが大事なの?って表情だけで聞かれてる気分だった。思わず今日の夜からだった教師役の仕事をキャンセルしそうになったね。いやー、ウチの姉様は多芸だわ。普段、凛っとしてる姉様のあの表情は破壊力抜群。
さて、そんな現実放棄もそこまでにしておいて、まずは目の前のことを片付けようじゃないか。片付けることと言えば、そう、般若退治だ。………まあ、すんごい形相をした星之宮先生なんだがな。これがまたどう対処しようか悩みどころでな。原因でも分かればいいんだが、生憎トンと見当がつかぬ。難儀よのぉ。
でも、このまま黙っているだけじゃ埒が明かない。ここは男の俺がリードしなければなるまい。そう思うだろう?だから、第一声、君に決めた!
「パパですよー?」
オーケー、落ち着け俺。クールだ!クールになれ!初手で殺しにいってどうする!星之宮先生を見ろ!無表情のまま固まってるぞ!次だっ!次は間違えるな!掘り返すな!掘り返すんじゃないぞっ!
「こなれてましたね」
星之宮先生の口端から一筋の血がっ!間違えたのか!?
「もしかして、新境地でしたか?」
星之宮先生が横に倒れた。
「大人な嗜好だと思いますよ」
星之宮先生がピクピクと痙攣している。
あれー?なんでー?
そこから放置すること約一分、星之宮先生がガバッと起き上がった。キッ!っとコチラを睨んでくる。怖くなーい。怖くなーい。
「………開き直ってもいいかも」
怖い!怖い!怖い!怖い!怖い!
ボソッと呟かれた言葉は、実行に移されたらたまらん。いや、もちろん純粋に困るって意味だよ?もう一方の意味じゃないよ?『けしからん』の方じゃないよ。『堪ったもんじゃない』の方だよ?ってそんなこと考えてる場合じゃねぇ!
「俺が悪かったです。どうぞお許しください。それだけは勘弁してください」
真摯に頭を下げる俺。窮地に立たされた鼠ほど危ないものはないからな。
だが、星之宮先生は俺の対応に満足するはずもなく、立ち上がってコッチに近付いて来る。
「止まれ!止まるんだ!それ以上、俺に近付くんじゃない!」
俺は必死に説得を試みた。それでも、星之宮先生は止まらない。
「考えてもみろ!アラサーが高校生相手に幼児プレイとか恥ずかしくないのか?教師だぞ?生徒だぞ?」
とっ、止まらない!?何故だっ!?監視カメラ、はこの部屋に無い。スマホも録音機も、この部屋に入る前に取り上げられた。もしかして、俺は、ハメられたのか……。
星之宮先生が目の前で止まった。俺は覚悟を決め、来るであろう衝撃に備えて目をつむり体に力を入れた。
………………衝撃が来ない?
俺は目を開けた。体に入れていた力も、同時にふと抜いてしまった。
「パパーっ!」
それを見計らった星之宮先生が、俺の胸元に飛び込んできた。俺の記憶は、そこから途絶えた。
悪魔の時間が過ぎ去り、平穏が戻って来た進路指導室。俺と星之宮先生の間に締結した休戦協定は、両者に安堵をもたらした。滅多に体験できないパパ活を経た俺、新たな境地(本人談)に手を出してしまった星之宮先生。両者痛み分けで、俺たちの人生には空白の時間が存在することになった。
「それで?初日に鬼龍院くんが言ってた勘の正体が一之瀬ちゃんなの?」
「そうなるな」
「確かに、あの子も光るものがあるのは分かる。私も君が居なかったら一之瀬ちゃんに目をつけてたと思うよ。でも君がクラスの先頭に立たない理由には弱いと感じるの。むしろ、一之瀬ちゃんと一緒に立つ方が盤石の体制になるんじゃない?」
「もしかしたら、本当はそうかもしれない。だが、俺はその上で一之瀬に一抹の不安を覚えてる」
「どういうこと?」
「詳しくはまだ分からん。一之瀬の人となりは、この一ヶ月でおおかた理解している。一之瀬は根っからの善人。Bクラスがどこのクラスよりも仲が良いのが一番の証拠だろう。一之瀬の人徳がなせる所為に他ならない」
「………それの何が不安なの?」
星之宮先生の頭に疑問符が溜まっていく。まあ、そうだろうな。
「一之瀬は既にBクラスにとって誰よりも必要不可欠な人材となっている。………しかしそれ故に、大きすぎる善は時として毒になり得る」
第二次世界大戦後のイギリス労働党が掲げたスローガン『揺り籠から墓場まで』は、その一例として挙げられる。『イギリス病』、どこかで聞いた事のある言葉だと思う。その病の一端を担った社会保障制度の充実は、人道的に善でありながら、経済的に毒となった。もちろん、社会保障制度のみが原因ではない。イギリス社会固有の性格もあっただろうし、その時の世界情勢も起因していただろう。しかしながら、当初世界中から絶賛され、他国に多大なる影響を与えたイギリスの社会保障制度は、1979年にマーガレット・サッチャーが首相に就任すると、徹底的に制限、抑制された。つまり、それほどまでに、イギリスにとって身を蝕んだ代物だったとも言える。
善は、時と場合によって毒となる。善は毒をも孕んでいる。故に、完璧な善など存在しない。だが人間は、善というモノに隠れた毒に盲目的になりやすい。それが、原作のBクラスだと俺は思っている。
「大き過ぎる善、かぁ………」
俺の言葉を反芻する星之宮先生。星之宮先生の頭の中では、様々な可能性がシミュレートされているだろう。しばらくの沈黙ができた。それから、星之宮先生の焦点が俺に合ったのは、実に五分を経とうかという頃だった。
「………君は、本当にどこまで見えてるんだろうね」
星之宮先生が俺の言いたいことを理解したかは分からないけれど、少なくとも悪い方向では捉えていないことは分かるような言葉だった。
「目の前に美人な教師が一名」
「こ~ら。茶化さないの。襲っちゃうぞ?」
「休戦協定」
「先に国境を越えたのは君」
「すみません」
「素直でよろしい」
星之宮先生は俺との言葉遊びに、いつもの朗らかな笑顔を見せた。
「鬼龍院くんが私の生徒でよかったよ」
「それは卒業の時に言ってくれ」
「ふふふっ、そうするね」
──────
中間試験まで、残り一週間を切った。学校全体がテスト週間として、ほとんどの生徒の意識が勉学に向けられる。この学校の規則で、赤点を一つでも取れば即退学となるため、みんな必死になって机に噛り付く。外界とは隔離されているため、予備校や家庭教師といったものは存在せず、クラス内で勉強会を開くのが、この学校でのよく見られる光景だ。テストに不安がある生徒は、成績上位者に教えを乞う。
Bクラスでもその例に漏れず勉強会が開かれており、俺も今、後者の立場として参加している。時刻は昼休み、場所は図書室。カリカリと他の皆がシャーペンを動かしている。その光景をボーッと見ていると、一人の女子生徒がアイコンタクトをしてきた。その生徒の傍に行き、躓いている問題と彼女の解いているノートを一瞥した。どうやら二重根号の処理に戸惑っているようだ。
「うん。解説するね。これって公式があるんだけど、それがどうできているかを理解しておけば、今後は困らないくらい簡単な問題なんだよ?」
「えっ?そうなの?」
「○○さんは、普通に根号を外す場合には根号内を平方数にすることは分かっているでしょ?それを応用すればいいんだ。つまり、外側にある根号内で平方数を作る。ここまでいい?」
「うん」
「じゃあ、一旦(√a+√b)²をやってみて」
「えっと、a+2√ab+b」
「正解。これを並び替えると、a+b+2√abだよね?そしたら、これに根号を被せて、問題の数値をこれに近付けてみて」
「う~ん。…………こう?……ん?こうかな?…あっ、できる!」
「おー!よくできました。中の根号の前の2は、二項数式の平方を展開した時に出てくる数。このことを覚えておくと、もし公式を忘れても自分で作れるからね」
「うん、分かった。ごめんね。こんな簡単な問題を聞いちゃって………」
「いいよ。これが俺の役目なんだから。躓いちゃうところはみんな別々だし、気にすることないよ。それに謝るんじゃなくて、もっと別の言葉をくれた方が嬉しいな」
「………ありがとう」
「どういたしまして。でも、顔が固いよ?大丈夫だから分からない場所があれば遠慮しないこと」
俺は最後に笑顔を添えてから、別のクラスメイトの許へとその子から離れた。
そしてそれは、教師役を続けていた時に起こった。
「んだとコラァ!!」
おおよそ図書室では聞き慣れない言葉が聞こえて来た。こっ、この展開は、もしや原作のアレ!
「私、ちょっと見てくるよ。皆は気にせず続けてて」
一之瀬が真っ先に声がした方に歩いて行った。いやー、動き出すのが早いね。仲裁に躊躇わず行くとか、そこにしびれるあこがれるぅ~。
「さあ、アッチは一之瀬に任せて、俺たちは自分のすべきことをしよう」
神崎さん、そのフォローはマジパネェッス。それに、その指示を聞いてすぐに従うとか、どんだけ統率が取れてんのこのクラス?一ヶ月でコレとかちょい引くわー。というか、俺も見に行きたいんだけどなぁ。でもなぁ、教師役ってこともあるけど、なにより原作のこの展開には堕天使さんがいるんだよなぁ………。入学から堕天使さんと接触することは避けてるからね。なんでかって?だって、ほら、目をつけられたらメンドイやん?触らぬ櫛田に祟りなしだよ!
しばらくして、一之瀬が戻って来た。櫛田を連れて。
………ハァ!?何しとん、一之瀬!?てかフラグ建てたの誰だよ!俺だよ、ちくしょうっ!
「帆波ちゃん、大丈夫だった?あっ、桔梗ちゃん、やっほー!」
女子に囲まれ労わられる一之瀬。そして笑顔で挨拶を交わしている櫛田。うん、ちょっと休憩しようか。俺は隣の神崎を盾にして櫛田から身を守る。神崎、動くなよ!絶対だぞっ!絶対だかんなっ!
「うん。DクラスとCクラスがちょっと口喧嘩しちゃってたの。でも止めて来たからもう大丈夫!」
流石は一之瀬。その手腕は大いに感嘆する。だから、頼むから、お前の隣にいる堕天使ちゃんを追い払ってくれっ!
「帆波ちゃん、さっすが~」
「いやいや、私はただ当たり前のことをしただけだから。………っと、はい、櫛田さん、これ持って行ってね」
「わあ~、ほんとにありがとうっ!」
「どうしたの?…範囲表?」
「私たち、少し前にテスト範囲が変更するって通知があったでしょ?でもDクラスの人たちには、それが伝わってなかったみたいなの」
「えーっ!」と驚きの声を上げる女子たち。男子も口には出さないが驚いている。茶柱はん、アンタァ、よくこんな事できるよね。生徒たちの人望がダダ下がりだよ?まあ、んなこたぁ、気にしない人だろうけど。
「Dクラス、大丈夫なの?桔梗ちゃん、可哀そう」
「先生に言った方が良いよ!だってそれ、学校側の落ち度でしょ?」
「そうだよ!テストまで一週間も無いのに!」
女の子たちから色々と声が上がる。
「うん。私たち、これから茶柱先生の所に行って確認するつもりだよ。それにもしどうにもならなくても、頑張ったらなんとかなると思うし………」
櫛田が力なさげに笑顔を見せた。同情を誘う表情に周囲はいたたまれない空気になる。だが、俺には分かる。というか見える。心の中では茶柱先生に罵詈雑言を九十九程並べながら、やすやすと同情してくれるBクラスの面々に対して高笑いをしている櫛田の姿がくっきりと見える。櫛田よ、早く茶柱先生の許へ行くんだ。もうここに用はないだろう?
「………そう言えば話が変わるんだけど、鬼龍院くんっている?」
ほあぁ!?
「俺の隣にいるぞ」
ほあぁぁ!?神崎っ!!??
神崎の声を聞いて、トテトテと俺の方に歩み寄ってくる櫛田。神崎、テメェ、裏切りやがったな。明智光秀よりも名声を轟かす気か?
「鬼龍院くん、はじめまして」
ペコっと頭を下げる櫛田。誰か!この方にぶぶ漬けをお出ししてっ!
「はじめまして。櫛田さん、よろしくね」
というか、茶柱先生の所に行かないの?
「えっ、私の名前、知ってたの?」
驚く櫛田。いや、前々から知ってたけど、今さっきも一之瀬とか女子たちが名前呼んでたじゃん。
「あー、たまにBクラスでも名前が出るし、有名人だよ?」
「えー、有名人なんて、全然そんなことないよ~。…それでね、急なんだけど、連絡先、教えてくれないかな?」
小さなお手々でスマホを出してくる櫛田。えー、普通にやだ………。でも、交換しない訳にはいかないよな。
「いいよ」
「ほんとっ!?ありがとう!」
内心を窺わせない完璧な笑顔で応酬する俺たち二人。ふぇぇ、胃がキリキリするよぉ………。
「よかったぁ。私ね、この学校で友達をいっぱい作るのが夢なの」
ふむふむ。人の弱みをいっぱい握るのが生き甲斐なのね。
「でもね、鬼龍院くんを含めて二人だけ、一ヶ月経ってもなかなか会えなかった人がいたんだ」
ほうほう。そらぁ、大変でしたな。
「鬼龍院くんってすごく有名なのに一目も見れなかったから、今日は会えてよかったよ。正直避けられてるのかなって思って悲しくなりそうだった」
いい勘してるじゃねぇか。全くもってその通りだよ。
「それはごめんね。ちなみに、俺とは別に会えなかった人って誰?」
「えっ?あ、それはね、Aクラスの坂柳さんって子なんだけど知ってる?」
知ってるよ。一方的にだけどね。坂柳に会いたいなら綾小路を連れて行けばアポなしでも会ってくれると思うよ。その際に綾小路と腕を組んで、彼女アピールすれば、なおよし!
「あー、ごめん、知らないな。協力できそうにない」
「そっかー……。ううん、大丈夫。地道に自分で機会を探してみるよ。でも、協力してくれてありがとう!流石、一年のイケメンランキングトップだねっ!」
ランキングか………。そう言えば、原作でもあったな。まだ見たことなかったわ。
「…なにそのランキング?」
「あれ?知らない?生徒の誰かが作ったランキングなんだけど、鬼龍院くんはいろんなので首位を取ってるよ。イケメンランキングとか、お兄ちゃんにしたいランキングとか、一緒にカラオケ行きたい人ランキングとかね」
ご丁寧にスマホを操作して「ほらっ」とランキングサイトを見せてくれる櫛田。ほえぇ、ほんとにいろんなランキングがあるんだね。これが表ランキングかぁ。裏ランキングはどんな感じになってるんだろう?今度見てみようっと。
「アハハハ、光栄だけど恥ずかしいね。それより、そろそろ茶柱先生の所に行かなくて大丈夫?」
反応に困ったら話を逸らす。これは結構イイよ。効かない相手もいるから使い所は注意が必要だけどね。
「あっ、そうだね。そろそろ行かなきゃ。最後に鬼龍院くん、Dクラスの何人かがお話ししたいって言ってるんだけど、今度会ってもらうことってできる?」
「う~ん。そうだなぁ、テスト明けで時間が取れたらいいよ」
時間が取れたらなっ!時間が取れたらだかんねっ!俺はテスト明けには大きな猫のお世話をするって大役があるんだ!一昨日来やがれっ!
「うんっ!また連絡するねっ!それじゃあ、またねっ!」
「またな」
櫛田が俺たちBクラスから離れて行った。俺は意識をクラスメンバーに向け直すと、一部の男子たちから怨念の籠った視線をもろに受けた。そして、視線だけではなく、何か言いたげな様子だ。俺はそれらを手で制した。うん、分かっている。君たちの言いたいことは、よーく分かる。だから俺はこの言葉を贈ろう。
「誰にでもチャンスはある。諦めずにアタックし続けることだな」
応援してるぞ!誰かあの堕天使を手懐けてくれ。あっ、でもスパイにはならんでくれよ?
ビキィッ!っと、数名の男子たちのこめかみに青筋ができた。えっ?なんで?正面から一枚の紙が回って来た。ん?なになに?
『夜道は背後に気を付けろ』
………殺害予告でした。
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