英国最高峰の中距離レース、チャンピオンステークス。その歴史は100年以上と古く――こんなくだり前にもしたな。
……由緒正しいレースとあってその注目度は極めて高く――こんなくだりも前にあったな。
ともかく、イギリス、アスコットレース場。天候に恵まれたこの日、出走ウマ娘のみならず観客の熱気もまた大いに高まっていた。
「晴れかぁ。適度に雨降ってくれた方が良かったんですけど」
「あなたはレースを地獄に変える気ですか?」
「もちろん」
「『もちろん』!?」
「噂の雨乞いはしなかったのかい? データが取れると思ったのに、残念だよ」
「やる勇気が持てませんでした」
ぼく、ちょっと前に元チーフにふしぎなおどりしてるところ見られて恥かいてるから、ここで更に雨乞いの儀式みたいなのトレーナーさんとかに見られるリスクを冒す勇気は無かった。
かと言って外でやると通報は必至だ。日本だと「まーたストライプが変なことしてるよ」という方向でネタで済むけど。
あとイギリスの場合、単純に常に天気が良くないというのがある。何もしなくともサッと雨が降るので必要ないだろうと見込んでいたのも確かだ。そんなことは無かったわけだが。
「あと、正直……あんまり大雨だと菊花賞がフラッシュバックしてエラいことになると思います」
「思った以上にひきずる性質だねぇ」
「そりゃあもう」
都合の悪いことは忘れよ! という至言はあるが引退までこれは忘れられそうにない。ある種、自分の未熟さを痛感させられた一件だったからだ。戒めとして忘れることを自分自身が許さない、というか。
時の運やレース展開が向いてない、前が壁になってたせいで負けたというときなど、記憶力の欠如が必要なこともあるが、不手際で負けた時は覚えとかないと後でまた同じことを繰り返してしまう。
「それで、あれだけ言っていたからには勝算はあるんですね?」
「まあ、ありますけど……ぼくが思ってたのと警戒の質が違うんですよね。こう、普通なら刺さるような感じなのに」
「刺さる?」
「感覚的なもので説明がちょっと難しいんですが……」
悪意とか、敵意とか向けられてるとなんというかこう……ピリピリ来るんだよね。野性の直感みたいな。
そんなことを言って返すと、タキオン先輩は気のない返事*1をして応じたのに、トレーナーさんからは「あーわかるー」とでも言いたげな納得の声が上がった。
普通のウマ娘が
「悪いことでもないんですけどね、適度な緊張感もあるし警戒もされてる。ただ、方向性が妙に……まっとう? というか、健全で」
「
「そんな感じです」
こいつは何かをしてくる、という警戒に加えて、それでも節度はあるという、ある種矛盾した――日本で感じるそれと似た――奇妙な信用。これはこれで罠にかけやすくはあるのだけど、初めて来た土地としては違和感が拭えない。
「妹さんはあなたが思うほど悪くは言わなかったのかもしれませんね」
「おや、家族まで計略に組み込んだのかい?」
「組み込んだっていうか、普段の言動を計算に入れて起こりうる状況を予測しただけで……」
「ククク! ストライプ君は身内のこととなると評価が曇りやすいからね。自覚が無かったのかな?」
「あー……えー……? まあ、あ~……」
そういや前に、マックイーンのこと話す時に友達や親しい相手は特に過大評価しやすい傾向にあるって言われたっけ。
逆に自分のことは既存の枠にはめ込みやすく、こっちはむしろ過小評価しやすい……とも。
もしかすると、ぼくは自分が思ってたよりもモノちゃんには嫌われてないのだろうか。トレセン学園に入学して以降、話すたびに悪態つかれるのに。
「自己評価の低さと正確さが両立してるのがなかなか手に負えませんね。それが努力へのモチベーションと慎重さにつながるのは分かりますが……」
「というかキミ、あれだけ普段から心理戦に長けておいて、人の言葉を額面通りに受け取りすぎじゃあないかい? 心理学とかやってない?」
「心理学くらいはかじってますよ。けどあれは表面的な部分やある程度普遍的に『誰にでも通じる』部分を語る学問で個々人の特異なパーソナリティには踏み込まないでしょう」
「そうだね。まあ知っているが」
「何で聞いたんスか」
誰にでも通じる部分、誰でも同じように感じる部分を学ぶのは心理戦には有効ではあるんだけれども。
……家族関係には特に影響しないんだなこれが。だってそういう問題じゃないし。
さて。ともあれ本番の時間も近い。ぼくはふたりに挨拶をして控室を出ることにした。
そこからしばらくしてパドックを終えると、今度はコースに出て返し*2の時間だ。
入念な柔軟の後、他の走者と離れて遅く、長めに走る。どうせスタミナは発走前に回復する。まずは気分をノせないといけない。
……我ながら頭がどうにかしているな。その方が気分のノリがいいってだけで定石を度外視してホイホイ走れるんだから。
それでも気分は大事だ。気持ちよく走れるかどうか、楽しく走れるかどうかはそのままモチベーションに繋がる。そしてぼくの場合、モチベーションが高ければ高いほど、ノリにノってればノってるほど
これは春の天皇賞とカドラン賞を経験して分かったことだ。辛く厳しいレースだと思えば思うほど、冷静すぎればすぎるほど逆に超集中状態は遠ざかっていく。変な話、ぼくの場合
わりかし簡単な方法*3で
「や。調子はどうだい? サバンナストライ
「どうも、
「ぐっ……」
いい具合に気分を上げていた折、何を思い立ったか突如ランフィニが横に並びかけてきた。
こんな調子じゃ並走になっちゃうから、返しの時は暗黙の了解として他人と一緒には走らないようにとはなっているんだけどなぁ。
……まあ、流石に今回は名前の件についてはこちらも見誤りはしない。軽い挑発に意趣返しすると、先日のガチ勘違いを思い出したのか彼女は小さくうめいた。
「流石に分かるかい」
「わざとやってる時は」
これでもそういうのには敏感な方だ。普段はこっちが仕掛ける側なので、時々防御側に回ると弱い……みたいな勘違いをされやすいが、そもそもぼくはスカイ先輩と一緒のチームなので散々慣らされている。別に紙耐久ってわけでもないのだ。
時によっては煽りに乗ることもあるが、それは乗った方が面白いからだ。真剣な場だと流石にそこまででもない。もちろん乗った方が面白いとか勝率が上がるとかなら遠慮なく乗るけども。
「モノトーンから色々と話は聞いているよ。厄介な手合いだってね」
「お褒めにあずかり光栄です」
「お礼ついでに今日の戦法を教えてもらっても?」
「王道の先行策」
「……なるほど。息をするように嘘をつく、ってワケだ」
ランフィニの喉から乾いた笑いが漏れるのが分かった。
なんだ、意外と悪評撒かれてんじゃん。クククのク。もひとつクックック。
「奇策でいつまでも勝ち続けられるなどと思わないことです」
「ティーブレイク」
「リミットブレイクさん」
「
次いで並びかけてきたのは、前年覇者のデイブレイク。あんたら大丈夫か注目株がこんな目立つマネして。
流石にこうなるともう返しというわけにもいくまい。……下手すると闘争心煽られてこのままマジになりかねないし。
「4000mは色々と小細工をする余裕があったことでしょう。しかし、2000mはそうはいきません」
「ヒュウ。言うね」
「その気になれば、やってやれないことは無いかもしれませんよ?」
「こちらにもデータはあります。『そうする』と分かっていれば、対処は容易い」
フカシ――ってわけじゃなさそうだ。彼女も一度はイギリス中距離の頂点に立ったウマ娘だ。である以上、幻惑逃げは恐らく通用しない。
元々使う気も無いけども。あれ、長期間の仕込みありきの一発芸だし。持ってるデータは……皐月賞とジャパンダートダービーだろうか。他のレースもある程度は見ているかもしれない。つまりこうまで言い切るということは、そういうことだろう。
「安心してくださいよ。ぼくは同じ手は使わない」
「その言葉、覚えておきましょう」
怖い怖い。*4
「おっと、私も忘れないでくれたまえよ、アウトブレイク」
「いいレースにしましょう、キーブレイドさん」
「何度名前を間違えれば気が済むのです貴女たちは!!」
蜘蛛の子を散らすように、ぼくとランフィニはゲートへと向かった。
最近はだいたい何言っても「はいはい」で流されることが多かったから、真面目にリアクションしてくれる人は貴重だ。
まあ、腹芸も使えるみたいだし、いつもこの調子というわけでもないだろう。ただ煽るのが得意なウマ娘がふたりいたのが運の尽きというだけだ。
さて、そろそろゲートインだろうという頃になって、ふと客席を見るとモノちゃんが何やらうちのトレーナーさんたちのところに逃げ込んでいるのが見えた。
暫定「敵」のところに逃げ込むとは、よっぽどのっぴきならない事情……というわけでもないか。同じチームか級友か、ともかく親しい相手にからかい混じりに追い回されているようだ。
仲の良い相手がいるようで安心したよよよよ。
『さあ、長らくお待ちいただきましたチャンピオンステークス、まもなく発走です』
実況の声に応じて気を引き締める。ぼく自身は既にゲート入りは終えているが、他のウマ娘がまだゲートに入っていない。
強く息を吐く。そして、吐いた以上に空気を取り入れる。
あとは、そう。
『全ウマ娘ゲートイン完了』
基本フルゲートで行われることの多い日本のG1と異なり、チャンピオンステークスは概ね10名程度で行われるのが通例だ。
ぼくの今回の番号は真ん中5番。とはいえ人数の少なさから、内枠外枠はあまり有利不利がつかないだろう。――あくまで日本と比べて、という話だが。
周りの息遣いまで感じるほどの集中の中、係員が旗を掲げ――ゲートが、開く。
ぼくはそこで、ロケットスタートを
コンマ一秒にも満たないほんの一瞬。出遅れ、と表現するのも難しいが確かに他のウマ娘が僅かに前に出たその瞬間。
「――やろうか」
ぼくは、誰よりも早く
○余談
イメージ的に、ストライプの領域はタマと似た電気系です。