スタート直後に叩き込んだ意識外からの一撃は、出走者の意識にコンマ1秒にも満たない意識の空白を生じさせた。
結局のところ、意表を突くと言っても効果としてはその程度。すぐに意識をレースに戻さなければならないと分かっているウマ娘は、すぐさま頭を切り替えてくる。
しかし、その0.1秒足らずの空白が重要だ。脳が現象を知覚して体に命令を送るまで、世界最速でも0.2秒弱。ゲートが開くその瞬間に意識を空白にしてやれば、0.1秒足らずの不意打ちが0.2秒の初動の遅れを生むことになる。
加えて、ほんの一瞬の
自分からわざと集中を切らしているわけだから再突入できるとすれば最終盤だろうが――。
(問題ない)
元々、2000m級で最初から最後まで維持できるとかの特殊な状況でなければ長時間使うことも無い。
所詮手札の一つだ。これ一つに
『サバンナストライプ好スタートを切りました。ぐんぐん前へ。アイネスフウジン、メジロマックイーンが続きます』
やはり、立て直しが一番早いのはこのふたりか。アイネス先輩は「してやられた」ことをむしろ楽しんでいる雰囲気があるが、マックイーンはおちょくられたと思っているのか半ギレっぽい。
……どっちかって言うとアレは乗せられた自分への憤りかな。厄介だなこれは。アイネス先輩は元より、マックイーンも腹を立ててこそいるが感情を発散させ終わったらそれですぐ冷静に戻る。一流どころはメンタルコントロールも一流だ。
他方、こういうことをしてくると知ってるデイブレイクに動揺は無い。脚質が差しだからというのもあるだろう。多少遅れたとしても位置取り次第でどうとでもなる。
テイオーは……。
「テイオーは少し
スピカのトレーナーさんが眉根を寄せる。なるほど、ここで露骨に経験の差が出たようだ。
テイオーは現クラシック世代最強だし、能力的にもシニア級含めて最上位クラス。だが、対
レース場で放たれているプレッシャーの種類がどういうものかを判断できるようになった直後のコレというのは大人げないが、勝負の場だ。一瞬でも油断すれば食われるなんて目に見えているのに手を抜けるものか。
「こういうハシゴ外しするとこ含めて
「ストライプ=サンの会社はいずれ暗黒メガコーポと呼ばれよう」
「アレもストライプにしかできない技だけど、まあ姑息だよね発想が」
身内からの評価はボロクソであった。
あとスナイパー=サンはぼくの悪口はいいけど会社への悪口は勘弁してほしい。我が社はコンプライアンス重点です。
(……さて、位置取りは悪いが)
言わずもがな、大外ということもあってとにかく位置が悪い。下手な切り込み方をすれば斜行、じゃなくても純粋に最内までが遠い。
ロケットスタートこそできたが、あくまで他と比べ若干前に出ただけだ。「先頭集団」のくくりには入ったが、内に入ろうとすればそれだけロスが生じ、着順も徐々に後ろに下がっていく。
『さあ、ここでアイネスフウジンが前に出る。サバンナストライプは2番……3番手』
『ここから気持ちよく逃げることができるかどうかですね』
「ストライプが後ろにいて気持ちよく逃げられる子がいるなら見てみたいわよ……」
「スズカさんなら……!」
「……あいつスズカも対策してんじゃねえ?」
雨乞いを頻繁にやるだけに不快指数が高いってか。やかましいわ。
しかし、結果的に先行の位置取りになったのならとりあえずはこのまま行くしかない。
「…………」
問題は、後ろで不気味なくらい沈黙しているデイブレイクか。差しだから沈黙してて当然なんだけど、チャンピオンステークスの時以上に静かな、そして重厚な圧を感じる。
完全にぼくにロックオンしてるじゃん。他に知り合いいないからそうもなるだろうけど……イギリスの時より更に濃厚だな。ランフィニのような有力者の知り合いがいないせいか。
あれだけのプレッシャーが直に叩きつけられるのは正直気が重い――――が。
(いいね、この感じ。燃えてくる)
チリチリと前髪が焦げ付くような熱気。このくらい無きゃ面白くない。
これもある意味イギリスじゃ見られなかった、ぼくひとりに叩きつけられているデイブレイクの「本気」だ。
最初はあれだけ侮られていたぼくが、今や世界のトッププレイヤーに直に生の感情を叩きつけられている。こんなに嬉しいことも無い。
「アイツ普段強い相手とやるの嫌だっつってんのにいざレースに出るとテンション青天井なのズリぃよな」
「あはは……」
問題は……アイネス先輩が恐らく煽りに乗ってくれない点だ。
互いの手の内は知っているし、煽り方に関してもほぼ間違いなく既に理解している。だから下手に煽っても乗ってはこない。ただでさえ普段バイトとして働いてもらってて接点も多いんだから、ぼくがちょっとやそっと揺らしたところで何ともならないだろう。
――つまり、「ちょっとやそっと」じゃなければいいということだ。
「しょっ」
『おっとサバンナストライプ前に出る。3番手に甘んじることを嫌ったか』
と言うより、今は他に手が無いし下がる方がマズい。切れ味勝負ができるわけでもないし。
さて、誘いに乗せる方法だが……要はちょっとやそっとじゃなく、
単なる力押しかと言われると――まあその通りなんだが、ぼくも逃げは得意な方だ。だからそこで駆け引きを投げかけられる。同じく逃げが得意な相手に対して「自分の前に出す」か「自分が前に出る」かだ。これを瞬時に決めてもらう。
前に出てきてくれるなら望むところ。下がるなら――それでもいい。要はぼくが先頭に出るだけなんだから後は押し切るだけだ。
「出たよどっち選んでもストライプ有利になる強制二択……!」
「……あの、ウオッカさん。少し思ったんですけど」
「何すか?」
「ストライプさんってほぼ脚質自在ですから、二択自体が特に意味が無いんじゃ……?」
「……うわっ」
……気付くひとは気付くか。強制二者択一なんてのは御為ごかし。自在脚質に両足突っ込んでるので、どう対応されたとしても大して結果は変わらない。下がればまくるし、中団に揉まれればギリギリ狙いで差しに行くし、先行すれば煽るし、逃げれば徹底的に大逃げする。
大事なのは「選択させること」だ。一瞬の逡巡で構わない。あるいは迷わずとも構わない。「選んだ」事実が毒になる。
あの時ああしていれば、この時こうしていれば……今はまだ序盤だ。レースが進むごとに、自分の判断が本当に正しかったのかを振り返る瞬間が来る。
そこで0.1秒の隙が生じればいい。レースは絶対速度を問うものではない。
『アイネスフウジンこれに並びかける! 更にメジロマックイーンも負けじと前に出た!? 先頭集団この最序盤から意地の張り合い!!』
「ウソ!?」
「マックイーン!?」
なるほど、そう来るか。よりによってマックイーンまで。
考えてた中で最悪のパターンだ。本来、先行策でのスタミナ勝負による押し切りが必勝パターンのマックイーンだが、逃げだって苦手じゃない。「レース」の範疇で考えるなら先行策が一番適しているだけで――その能力はやはり逃げの形も極めて適している。
「ただの」体力勝負ならこっちに分があるんだけどなぁ……いや、元々そうなるとは欠片も思っちゃいないんだけど。結局G1レースは最後の最後は速さ勝負。一応レコードに迫ったことはあるんだ。勝負できないほどではない。
もっとも、いつもいつも「詰め」の一手が足りないし、実際今も全然足りてると思わないんだけど……。
――ま、今ある手札でなんとかするしか無いさ。いつだってそうしてきたんだから。