スプリンターがあまり多くないことを思い出して急いで育成に励んでいるので初投稿です。
善は急げ。決めたからには早めに返事をしたほうがいいと思い、ぼくは食事を済ませた後で教官室に向かった。
ベテルギウスの全体トレーニングは火・木・土。月曜日の今日ならある程度時間的にも余裕はある。はず。
「金城トレーナーならどちらも今日はいないけど」
「ぬぁ……」
――しかし、ここでまさかの肩透かし。
リギル担当のおハナさんから伝えられたのは、まさかの不在だった。
「チーフトレーナーのほうがURAの学会に出席してるのよ。サブトレーナーとアグネスタキオンがその付き添いで不在。何か用事があった?」
「チームの加入届を提出しようと思ったんですけど……」
「……そう」
おハナさんはほんの一瞬だけ残念そうな顔をしたように見えたけど、まばたきした後にはもういつも通りの冷静な顔に戻っていた。見間違いだったのかな。
それより……うん。サブトレさんはいずれトレーナーさんの跡を継いでベテルギウスの運営に携わらないといけないから、学会に同行するというのは分かる。むしろ自然だ。
けどタキオン先輩が行くってなると、これだいぶ趣旨が変わってきてるんじゃないかなと思う。トレーナーのための学会じゃなくてタキオン先輩の研究発表の場になってない?
いやよそう。ぼくの勝手な想像で茶々を入れたくない。
「提出するだけならこちらで預かるけど」
「んー……と……ありがたいんですけど、また日を改めます。直接挨拶した方がいいと思いますし」
「律儀ね」
困ったように微笑むおハナさんに一礼して、ぼくは教官室を出ようとした――そのときだった。
「ひっ!」
「こいつは凄い……細っこいがとんでもなく強固な『芯』を感じさせるいーい脚だ……」
何か、何者かが脚に触れている! いや撫で回している!
気持ち悪い! せ、生理的嫌悪感が……ストライプとしての感情なのかそれとも中身の中身、生物的な危機感から来るものか分からないけどとにかく今すぐこの不快感の元を断ちたい!
「しかしトモ*1が未成熟、いや……この状態でなお未成熟なのか……!」
「ひぃいいいいいいいいいいい!!」
「素晴らしい将来性おぼふ」
「あ」
その瞬間、ぼくは自分の感情を制御しきれずに脚をそのまま後ろに振り抜いてしまった。
脚に衝撃。直後、めこ、というおよそ人体が発するに相応しくない音が背後から聞こえて大きなものが吹き飛んで周りのものを巻き込んでいくような音が聞こえてきた。
あ、やばい。そう思って振り向くと、廊下の端に一人の男性が転がっていた。
黄色いシャツと紺色のベスト。左側頭部は刈り上げ。
――ぼくはこの人を知っている。いや、この無遠慮さとこの洞察力を知っている!
だとするなら、耐久力はかなり人間離れしているはずだけど……いや、しかし、だとしても大丈夫なのかな……?
「この蹴り、すげえパワーだ! 得意なコースは!? 芝!? ダート!? まさかのオールウェザー*2!?」
「ぎゃあっ!!」
鼻血流すだけで普通に起き上がってきた!
不死身かこの人!?
「やめなさい。怖がっているでしょう」
「ひっ……ひえぇ……」
「……そこまで怖がる?」
「見知らぬ男が下半身に触ったら当然でしょう……あなた、そろそろ訓告じゃ済まないわよ」
「流石にこれ以上お給料を減らされるのは勘弁願いたいね……」
「戒告も飛び越してるのね……」
ちなみに訓告とは「もうこれ以上やるんやないで」という比較的穏当なニュアンスの厳重注意である。
戒告はそれに対して「オゥええ加減にせえよワレ」という強いニュアンスの実効力を伴う厳重注意だ。
前者は口頭での注意で済むけど、後者は書類に残る。減給はもうちょっと上の処分だ。
高給取りなはずの中央のトレーナーなのにあの人が万年金欠なの、注意されてもされても体が勝手に! とばかりについ脚に触ってしまい、ハラスメント案件として通報されて減給処分になってるからではないだろうか。いや、大半は所属ウマ娘たちのための投資などが主だろうけど……。
事情や本人の人格を知っているぼくでも、咄嗟に蹴っちゃうくらいだし、何も知らない普通のウマ娘の脚に勝手に触ったとなればそりゃあ……ねえ。
能力面は本当に優秀なんだけどね……。
真面目にどうやってあの七人を同時に育成してるんだろう。アプリやってた人から見たら、おハナさんと並んで畏怖の対象だよ。
「こ、この方は……」
こちらをかばうようにして前に出てくれたおハナさんに問いかけると、彼女は少し困ったようにため息をついた。
「スピカ、というチームの……有望なウマ娘の脚を見ると、つい触ってしまう悪癖がある……トレーナーよ。もっとも、今はチームメンバー不足で活動を休止してるけど」
「だが、キミのような逸材がチームに入ってくれれば……」
「彼女、もうベテルギウスに内定済み」
「あ、そうなの。あの慎重な
「娘のほうが手を打ったんでしょう。残念だったわね」
あちゃあ、とスピカのトレーナーさんは小さく頭を掻いた。
それから、ぼくの方に近づこうとしてくるんだけど……どうしよう。体が強張る。申し訳ないんだけど、どうしてもおハナさんの後ろに隠れてしまった。
「突然悪かったな、あー……怖がらせるつもりじゃなかったんだよ」
「年頃の子の脚を突然触るのは充分怖がらせる行為だって自覚しなさい」
「参ったな……」
「……じゃ、じゃあ……ぼくはこれで……」
「お疲れ様」
そうこうして、今度こそぼくは教官室を後にした。
しかし……うーむ……元を辿ればぼくは男だったし、サバンナストライプも牡馬だったし、若干インストールされてるサンコンも男性なんだけど、男性に触られた程度であんなに慌てて奇声を上げてしまうとは。
ウマ娘としては12~13年過ごしてるし、体に対して最適化されていくものなのかな。うーん……それにしても、こういう反応するもんだっけ。
「あら、ストライプ……どうかなさいまして?」
「マックイーン」
廊下を歩きながら首をひねっていると、食事を終えてきたらしく、食堂の方からやってくるマックイーンから声をかけられた。
向こう側にはマックイーンに向かって手を振っているメジロパーマー先輩やメジロライアン先輩、メジロドーベル先輩の姿がある。どうやらメジロ家のお茶会だったらしい。
ちょうどいいや。せっかく通りかかってくれたみたいだし、ちょっと聞いてみよう。
「いきなりで悪いんだけど、ちょっと聞いていい?」
「? ええ。私に答えられることでしたら」
「さっき教官室に行ったら、男の人に下半身触られて思わず悲鳴上げて蹴っちゃったんだけどこれって普通の反応かな?」
「通報案件ですわー!!」
「え?」
「何でそんなにぼーっとした表情ですの!? かっ、か、下半身を触ら……」
顔を真っ赤にしたマックイーンに対して、ぼくの反応は普段どおりのごく小さなもの。
お互いの感情に変にギャップが生じてしまっている。いや、当然と言えば当然だねこれ。ぼくの言い方が悪かった。
「ごめん、言い方を間違えたよ……マックイーン、落ち着いて」
「も、問題無いんですのね……!?」
「トモの辺りは触られたけど」
「大概ですわ」
言われてみればそうである。
「その人はいったいどういう方ですの……?」
「トレーナーさん。有望なウマ娘の脚を見るとつい触って確かめたくなるんだって」
「変な人ですわ……」
言われてみればそうである。
「それで思わず悲鳴を上げて蹴ってしまったと。蹴ってしまうのは淑女としていかがなものかとは思いますが……自衛のためですものね。仕方がない部分はありますわ。それで、相手のトレーナーさんは無事でして?」
「うん、鼻血が出ただけで済んでたよ」
「本当に人間ですの?」
「わからん……」
多分人間……だと思う。ちょっと振り切れてるけど、何かこう、自分の信念に対して振り切れてるおかげで耐久力も振り切れてる感じで……ちょっと人間の枠を超えちゃってるだけで人間だと思う……。
「そういう目に遭ったのなら悲鳴を上げるくらい普通のことです。むしろ、ストライプにそういう情緒がちゃんとあって安心したくらいですわよ」
「そっかぁ。悲鳴を上げるくらいは普通なんだね……」
今のぼくが特別に男性に対して免疫がなくなってるわけじゃない、と。むしろこのくらいで普通なわけか。
それによく考えてみれば、男だったら男だったで同じ男性に太腿まで触られたら不快感で悲鳴くらい上げるよね。
「あの……その人、通報したりしなくて大丈夫ですの……?」
「下心は無いみたいだし、大丈夫……だと思いたいけどどうかなぁ」
「徐々に自信を喪失しないでくださいませ」
本人に悪気が無いのは分かるんだけど、それで他の人がどう思うかは別なんだよね。
あのトレーナーさん、チームメンバー増やして忙しくしてそういうことができる暇を無くしたほうが学園のためにも本人のためにもいいんじゃないかな……。
「それで、教官室にどういう用事で?」
「この前スカウト受けて、入るチームが決まったんだ。それで、挨拶に行こうと思って……」
「まあ、おめでとうございます!」
「ありがとう。でも、チームのトレーナーさん、学会だったみたいでいなくって」
「あら、それはまあ……ご愁傷さまですわ」
「マックイーンはどう? どこのチームに入るか、決めてる?」
「まだ決めかねている最中ですわね。チームとしての気質や性質もそうですが、私自身がどのタイミングでデビューすべきか、しっかり担当になるトレーナーさんと意志を共有する必要がありますから……」
「慎重にならないとねぇ」
マックイーンもテイオーほどじゃないけど、体を壊しやすいタイプではある。
というかステイヤーみんなそういう気質は強い気もする。他と比べて長時間脚に負荷をかけ続けるわけだから、その分疲労骨折のリスクも高まるし関節にかかるダメージも大きくなるということなのだろうけど。
ケガは……いずれすることになるのかな。してほしくはないなぁ。
ライバルっていう以前に、友達だし。苦しんだり悲しんだりする顔を見るのはやっぱり辛い。
とはいえ、今はぼくにできることというのは、せめて綿密なケアをしてくれるトレーナーさんに巡り合うのを祈ることくらいだ。
いずれタキオン先輩が何か肉体に作用するような薬品を完成させることがあるかもしれないから……その時は、ぼくも手伝える機会があれば手伝おう。完成のための一助になれればいいけど。
それはそれとして、その時が来ても髪の色が1680万色に光り輝くとかは勘弁してほしい。
スピカのトレーナーさんはアニメ等と同様に基本名前を伏せる方向です。