深夜に知らないウマ娘が河川敷をものすごい勢いで走ってる。
そんな噂が流れ始めたのは、うちのトレーナーさんがトレーニングの時に眠そうにし始めてからしばらく経ってのことだった。
立場が立場だ。素性が知れたら大騒ぎになるし、深夜の時間帯を選ぶのも理解できないわけじゃないが、自分から答え合わせしていくスタイルってどうなんだろうね。
もう大騒ぎになってるような気もするが、名前が特定されていないということはまだ大丈夫な範疇なのだろう。多分。
その走りに惚れ込んでトレーナーがスカウトに行ったりとか、無いとは言い切れないのがここ中央トレセン学園のトレーナー陣だ。
……いや、しかし、トレーナーさんもその辺は承知してるよな? 自衛っていうか、予防っていうか。
スタイル維持してるし入るからって現役時代のジャージそのまま使ったりは……してそうだな……あのひと変なところで思い切り良くてズボラだし、深夜で生徒と出くわすことが無いだろうからって油断してそう。
そういうわけで、
「噂の件、あれうちのトレーナーなんだよね」
テイオーとマックイーンは幽霊でも見たかのような表情をしていた。
どうやら牽制のつもりが失投したらしい。サバンナ凡ミス。
「なぜ!? 今そんな話を!?」
「話を大げさにしないためにも少しね。先に牽制入れとこうかと思って」
「大暴投だよぉ!」
「でもこれ言っといてつまんねー話で終わらせとかないと門限ぶっちして見に行く
「「いる……!」」
その時巻き込まれるのは確実にマックイーンたちである。
「しかしなぜトレーナーさんが?」
「ダイエットしてるんじゃない?」
一応、うちのトレーナーさんがギンシャリボーイだということは関係者限りの秘密だ。トレーナー同士で知っているひともいるだろう。ウマ娘だということを察しているひともいるかもしれないけど、広めると大変なことになるだろうし知っているひとが少ないに越したことはない。
そんなわけで、今回も誤魔化しの一手である。
実際体を絞ってるのはその通りっぽいから嘘は言ってない。
「……あなたはダイエット必要だったりしませんの?」
「いや特には」
「くっ……!」
何悔しがってるんだ。
「体質もそうだししばらくは調整も必要ないしね。マックイーンだって別にそんなすぐレースあるわけじゃないでしょ?」
「調整は日頃からやっているからこそのものですわよ。あなたは……」
「そういえばストライプ、レースの予定何も言ってなくない? ボク早めにリベンジしたいんだけど」
「あー……んー、まあそうだね。このまま勝ち逃げもアリだけど……」
「ちょっとぉ!」
もちろんそんなことはしない。ただ……「今すぐ」とはいかないのが正直なところだ。
理由はいくつかあるが、少なくとも春から夏までのシーズンは全部
「秋まで待ってて。ちょっと世界の長距離完全制覇してくるから」
「えぇ!?」
「あなた、まさか――」
「ステイヤーズミリオン狙うつもりなんだよね」
――ステイヤーズミリオン。
英国レース界における長距離レースシリーズの名前だ。文字通り完全制覇者に100万ポンドの賞金が授与されるレースだが、史実で実施されたのはわずか二年限り。しかしこれはなんというか不幸な出来事が原因というか……とある長距離の覇者が
こちらではなんと現時点でレースシリーズが開催されており、完全制覇者はゼロ。まだ廃止など見えて来ていない状況である。知名度……はともかく、欧州のレースとして格は十分。レースシリーズの完全制覇、オマケにG1を合計8勝となればURAとしても「分かりやすい功績」として無視できないことだろう。
「で、帰ってきたら秋シーズン走る。勝負はその時かな」
「ってことは、秋三冠?」
「……どうかな」
なんだろうね。年明けてからなんとなく一年
――タイムリミット。本格化の「上がり」だ。
そもそも「サバンナストライプ」はJWCの第一回しか出走していないが、チャンピオンステークスを制している以上はそれなり以上の地力があって当然だ。
それでも二度目の出走が無かったというのは、(単純にネタ的に出尽くしたというのもあるだろうけど)翌年には衰えが来て引退したということではないだろうか。
というか三年連続出走してるメンツがおかしいんだよ。最低でも6歳で何でG1で無双してるんだよ意味わかんねえ。
……まあ……ぶっちゃけ引退に関してはいいんだ。トゥインクルシリーズでやることやったから概ね満足した。
あとはもうちょっと好き放題やって後進のためのノウハウ残してから
そもそも今でさえギリギリの勝負ばっかりなのに、速度落ちたらもう勝ち筋無くなるって話だ。
そりゃできるなら秋三冠も欲しいし、やる以上は頑張るけどね。
・・・≠・・・
午後。
いつも通りのトレーニングの時間……の、はずだったのだが、ぼくはドーナッツ先輩やリムジン先輩、スナイパー=サンと計画してトレーナーさんを学外のとある練習場に連れ出していた。
トレーニングのため……であることは確かだが、マスコミや知人もシャットアウトする理由は……どちらかと言うとトレーナーさんのためだろうか。理由は単純。
「最近メチャ噂になってるんで自重してください」
「はい……」
自粛要請である。
「つーかよぉトレーナー。アタシらでも分かるレベルに杜撰なことしてっとそのうちマジですっぱ抜かれっぞ」
「ええ、はい……」
「Ah……噂になっている時点で問題では?」
「おっしゃる通りです……」
いずれも事実である。
実際隠蔽が杜撰であるから今回のように噂になるのだし、噂になってる時点でマスコミが押し寄せてくる可能性は十分にあった。バレてないのは幸運の賜物だ。
元チーフから言っても親の忠告というのは素直には聞き辛い。というわけで、ぼくらにお鉢が回ってきたというわけである。
「というか私であるとよく分かりましたねあなた達」
「なぜ分からないと思っているのだトレーナー=サン」
「ずーっと眠そうだし体の節々が痛そうだし筋肉痛っぽいですし、見るひとが見りゃ分かるでしょ」
「ぐう……」
ぐうの音が出てる。
「何やってんすか、対戦相手がいなくて辞めるような寂しんぼのくせに一人で夜中にトレーニングとか」
「寂しっ……何を勝手なことを断定しているんです!?」
「違うんですか?」
うつむき加減のその様子からは、否定の感情は感じられない。
「
「とりあえずダイエットじゃないかって言って誤魔化しときましたけど、マジでダイエットだったりします?」
「スシ……スシを食べすぎている。お腹がぷにぷにになっているのでは」
「イヤーッ!」
「グワーッ!?」
ウカツ!(n回目)
哀れ、お腹に伸ばされたスナイパー=サンの手は小指が
「んで実際何でなんだよ」
「ジャパンカップのストライプの走りに触発されまして……」
え、マジ? なんか照れるでございますなぁ。
「それでウズウズして走っていたと」
「ええ」
ぼくが開発した……って言うと語弊があるな。発展させたアフリカンタービンは元が無減速クロスステップということもあって、やりようによっては再現ができる可能性を十分に残しているものだと思われる。
勿論、それだけ大きなきっかけと鍛錬が必要になるけど、トレーナーさん……ギンシャリボーイの琴線に触れることになってもおかしくはない。
ぼくは小さくため息をついた。ダメとは言わないけど、もっと良い手段無い?
「走りたくなったら……言えば良いのデハ?」
「トレーナーですよ私は。教え子にそんなことを頼むわけには……」
「いいじゃねーかよ頼み事のひとつやふたつ。
どや。
単純に考えてもトレーナーさんはレース関係の繋がりが主だろうから、そこ以外の繋がりを持つのにぼくは適任だろう。
単に走るだけだとしても場所取りや根回しはお任せだ。
というか今回この練習場選んだのぼくだし。いいじゃん頼っても。適材適所ってやつだ。
「かのミヤモト・マサシは家に火がついていれば、泥棒してもバレにくいと言った」
「普通に言えバカタレ。意味離れてんじゃねえか」
「アンブッシュするなら街中――あああーっ!?」
「で、何の話だっけか」
業を煮やしたドーナッツ先輩にメンポを剥ぎ取られたスナイパー=サンはいつものように勢いを失ってしまった。
まあ意味が通じなくなってるし仕方ない。で、言いたいこととしては正確には「木を隠すなら森の中」かな。
「わァ……」
「
「ともかく、ウマ娘が大勢いればその中で走ってても違和感は少ないってことですよね」
「それだ。つーか考え過ぎなんだよウチの連中」
オメーもだぞ、という強めの言葉に合わせて背中を叩かれる。しょうがないじゃないですか、考えることがぼくの武器なんだから。
しかし、ここまで言ってもトレーナーさんはどうやら悩んでいる様子。大人になると体裁も社会的地位もすっっっごい大事なのは嫌ってほど分かる。しかし、うーん……今そういうタイミングでもないしもうひと押ししたいところだが……。
「Bonjour.」
そんな折だった。流暢なフランス語と共に練習場に入ってくる白い影。せっかくだからと体験トレーニングに呼んでいたピンクフェロモンが到着したようだった。
「あ? おいストライプ、部外者来ねーんじゃなかったのか?」
「前言いませんでしたっけ。将来のうちのエース。あの子です」
「ほーん。
青田買いっていうか、なんだか懐かれてそのせいだから厳密には違うんだけど……いちいち訂正するのも面倒だしもうそれでいいや。
実際それに足る身体能力と素質があるのだから、その認識でも問題は無い。
「ピンクフェロモン……彼女、眼鏡をかけてましたか?」
「え? いえ」
フランスでの様子を知っているトレーナーさんがいち早く違和感に気付く。
そういや赤いフレームの眼鏡をかけているな。どうしたんだろう。急に目を悪くしたってわけでもないだろうけど。
「眼鏡似合ってるね。どうしたの?」
「まず形からということで付けてみました。賢そうに見えますか?」
「そうだね……」
う……うーむ……そりゃ美少女だし似合わないわけがないんだが、鋭い目つきと合わせて賢いというより少し印象が硬い感じ。
あと「賢そう」で伊達メガネをかけるのは賢くないという指摘をした方がいいんだろうか。
いや、子供の幻想を壊すのも良くないし……ええか……。
ちなみに、あの伊達眼鏡がドミノマスク*1要素だと気付いたのは後日になってからだった。
「そうだ、トレーナーさん。せっかくだし走りを見せてあげてくださいよ」
「は? え!? 私ですか!?」
「ワハハハ、そりゃいいや! 本格化がまだだっつーんならいい参考になんだろ」
「先輩たちもどうです? あの伝説の不敗神話持ちとの勝負ですよ」
「乗った!」
威勢よくドーナッツ先輩がまずコースに向かっていく。次いで控えめながらもリムジン先輩がトレーナーさんを引っ張っていき、更にスナイパー=サンがそれに追従した。
ピンクフェロモンは行くべきか迷っていたようだが、背中を押してあの中に混ざってもらうことにした。早いうちからレースの空気を味わってもらって、超一流の技を知っておくのは絶対にタメになる。コースに向かう皆を見送りながら、ぼくはホイッスルを手にした。
「じゃ、スターターやりますねー」
「……仕方ないですね」
不満げな言葉ながらも、トレーナーさんから嫌そうな気持ちは感じられない。やっぱり長いこと走れずに飢えていたのだろうと思う。
ぼくはまだ現役を続行しているのであの中に混ざることはできない。けど、だからこそと言うべきか、ある意味でこの光景には特別なものを感じる。
「あの中に混ざっていきたい」という羨望の感情はぼくの原点であり、そのために長い準備を積み上げてここまでやってきた。
この光景は、ある意味でぼくの描いた夢の原型だ。
(第0回JAPAN WORLD CUP――なんてね)
夢は、確かに手の届くところまで近付いている。
「位置について」
「よーい」