安田記念のウイニングライブは、3着に入ったウマ娘が170cm超えの長身だったこともあり、文字通りの超大型ウイニングライブと称されるほど大迫力のステージとなり、盛況のうちに幕を閉じた。
二段階加速という本気の走りを見せたリムジン先輩の脚は、やはりと言うかなんと言うか相当な負担を抱えていたようで、レースが終わった直後にもライブが終わった直後にも入念なケアを要した。
チームで一番神妙かつ真剣な表情を見せていたのは、意外なことに――ある意味では当然ではあることだが――タキオン先輩だ。
普段の実験の結果がダイレクトに出るのが、レース後のケアだ。そうした研究者的な面も強く出てはいるが、それと併せて脚に不安を抱えている者同士、シンパシーを覚える部分もあるのだろう。その光景を目にしたデジタル先輩は
アニメやアプリに親しんでいると麻痺しがちだが、G1レースでの勝利というのは相当な快挙だ。
翌日の練習の後は、チームでパーティを開き、ささやかながらリムジン先輩の勝利をお祝いした。皆からお祝いを受けて、レース場で見せたものとは違うはにかんだ笑顔を見たデジタル先輩は再び死んだ。苦しまなかったはずである。
さて。次はドーナッツ先輩の宝塚記念を控えた形になるが、その間の半月あまりはきちんとトレーニングをこなしさえすればほぼフリーだ。
……まあ、トレーニングそのものは濃密だし、門限もあるから完全にフリーとは言えないけど。
ともかく、自由時間である。
「あぁれぇぇ~……」
そしてこの日の自由時間、ぼくは有無を言わさない勢いでマヤノたちに連行されていた。
場所は新宿副都心。前世今世合わせてまるで縁のなかったこの場所だけど、こうして改めてやってくるとまた別の印象が湧いてくる。
単純に人が多いというだけじゃない。流れが多いんだ。
あっちに行きたい人、こっちに行きたい人、いやでもやっぱり戻ろうかという人。複数の流れが寄り集まって人の川、人の海を形成している。
すごいのはマヤノだ。いくつもの流れを縫うように、時には流れに乗るようにしてスイスイと道を行く。魔の迷宮新宿駅すらマヤノにとってはそう大層なものではないらしい。
それについていくテイオーは華麗なステップで人波を回避している。ぼくはずるずる流されていきそうなのを引っ張り上げられてギリギリというところだ。
東京さこえぇだ。
「もう、ストライプはぼーっとしすぎだよ!」
「ぼーっとしてるつもりじゃないんだけど……」
都会の人ってこう、全体的に速くない?
動作が機敏というか、よその地域と比べてもなんだかせかせかしてる印象がある。
おかげでぼくのような田舎者は流されていくのである。こういう時はテイオーたちのように都会に慣れたひとの案内がありがたい。
ところで、何でこんな時期にわざわざ街に出てきているのか。その原因は少し前に遡る。
以前からマヤノたちから時折遊びのお誘いを受けていたぼくだけど、基本的にお金が無いためなかなかそれに参加できずにいた。
しかしながら、アルバイトができるようになってお給料が入ったことで、そのあたりの制約もだいぶ緩んだ。
のだが。
「トラちゃん……ずーっと制服のままはマヤどうかと思う……」
なんということでしょう。ぼくは「着ていく服が無い」という問題に直面することになったのだった。
これまで、ぼくの生活圏は基本的に学園の中とバイト先だけで完結していた。バイト先でも制服かジャージで良かったのであまり気にもとめてなかったけど、ぼくは今私服をほとんど持っていない。
なんなら服を買いに行くための服が無い。
このままでは常時学園の指定ジャージでうろつくクソダサ不審ロバ娘が各地で観測されかねない。そんなわけで服を買いに来たということだ。
ちなみにぼくにファッションセンスは無い。シマウマだからね*1。致し方ないね*2。センスが育まれなかった環境もある*3。
そんなわけで今のぼくの格好は着古した黒の無地Tシャツとジャージのショートパンツだ。服を選ぶ選ばない以前の問題である。
民族衣装とか無いの? と聞かれたけど、ケニアとはいえ現代の普通の農村にそういうものはあまり無い。
やがて目的地のビルがようやく目に入ってくる。あれは……。
「う……
「
読めるか……ッ! こんなもん……ッ!!
どうしろって言うんだという内心の投げやりな気持ちを抑えながら店内に入ると、外の熱気とはうってかわって冷涼な空気がぼくらを迎えた。
けど一方で、人口密度の高い場所特有の湿った温度のせいで、じわっと少し汗がにじむのを感じる。思い出した、ショッピングモールってこんな感じだった。
「とーちゃーく! さっ、トラちゃん。マヤがかわいい服コーディネートしてあげる!」
「ぼくの意思は……?」
「トラちゃんが選んだら同じようなシャツだけ買って終わっちゃうでしょ? マヤそういうのわかっちゃう」
「うん、正直、それはボクも分かるよ」
わかっちゃったかぁ。
その通りなんだよなぁ。
何も言い返せないんだよなぁ。
「テイオーもマヤノに選んでもらう?」
「えっ何でボクに振るの?」
「うん……」
ぼくは改めてテイオーの服装を見た。
オフショルダーの黄色い短めの服に、デニム生地のホットパンツ。露出した赤い二本の肩紐を見ると、なんというかイケナイものを見てしまったような気分にさせられる。
あえてひとことで表現するなら……そう。ダンス教室に通ってるすごく無防備な小学生って感じだ。アプリで見た私服っぽい。
「わかるよトラちゃん。テイオーちゃん、もうちょっと大人っぽい服も似合いそうだもんね!」
「え、あ、うん、そういうこと」
「えぇ~そう? まあ、無敵のテイオー様だからねっ」
それでいいのかテイオー。
ぼくも大概詭弁を弄してる自覚はあるけどそれでいいのかテイオー。
あとマヤノはフォローありがとう。
それから、まずは売り場へ向かうことになった。目的の店舗には既に目星をつけているようで、マヤノの足取りは軽快だ。
それほど時間はかからず店舗に到着するが、まずそこで目にしたのは――服のお値段だった。
「さ……さんまんえん……」
「あっ、その服もカワイイよね~」
……女性がファッションにお金かけるのは知ってるんだよ。人による部分こそあるけど。けど三万円。三万円!?
布だぜ!?
「これ買うの? マヤノ」
「流石に0がひとつ多いよテイオーちゃん……ちょっと欲しいけど……」
「欲しいのは欲しいんだね……」
「もちろん! 大人のオンナって感じのお洋服だもん!」
マヤノはきゃーっ、と小さく声を上げた。
流石にこれは無理なのか。安心した。あれ。いや、でも……どっちにしたって四、五千円は必要になるのかな?
「マヤノー」
「うん? 何トラちゃん」
「お手柔らかにお願いします……」
「何が?」
どうか加減をしてほしい。ぼくは守銭奴――と言うには若干遠いかもしれないけど――なのでお金が手元から無くなることに耐えられないのだ。
ちょっとばかり今後の展開を危ぶみながらしばらく待っていると、持ってきてくれたのはまあまあ割とどこにでもあるタイプの白いパーカーだった。
「あれ、普通」
「何選ぶと思ってたの?」
「もっとフリフリの」
「ちっちっち。トラちゃんみたいな子にそういうの選んだら嫌がられるって、マヤ分かってるんだから! だからまずはこういうの」
なるほどわかってるムーブだ。確かにこれなら、「普通」の範疇だし抵抗感も薄い。おしゃれと言うには遠いかもしれないけど、普段遣いする分には特に問題ない。
「ここからどんどんオシャレ覚えていってもらえばいいしね~」
「前向きに善処させていただきます」
「それ絶対やらないやつじゃん」
「前向きに善処させていただいております」
「ストライプってどこからそういう日本語覚えてくるの?」
善処は……善処はしてるから……。
元々がそんな女性としてのオシャレとか縁が無かったし、中身の基準が基準なのでどうにもそこは……ね。
いや正直、美少女になったわけだし多少はそういうのも興味持とうかなーと思いはするよ。
ただ、センスが足りないし肌の色や髪の色なんかの違いもあるから、ファッション誌見て真似しようとか店頭に置いてあるマネキンのコーディネートそのままくださいって言うわけにもいかないんだよね、真面目な話。いざ着てみたら似合わないとかあったりするし。
だからセンスが養われるまで待っててほしいんだ。いつになるか知らないけど。
……その後、ぼくの外行きのための服を追加で何着か購入してこの場で着替えたり、テイオーの服もついでに購入したりして店を後にした。
で、あれやこれやとウィンドウショッピングをしたのだが、マヤノとテイオーの喋ること喋ること。
テイオーはファッションそのものにはあまり興味は無くとも、ビル内にあるスポーツ用品店などへ行くとまあテンションが上がる上がる。普段のテンションがそこまで高くないぼくはそれについていくのに少しだけ苦労した。
しばらくそうしていると喋り疲れたので、これまたビル内にあるカフェに行くことにした。
「キャラメルマキアートのハチミツ硬め・濃いめ・多めで! マヤノは?」
「コーヒーティラミスのフラッペ! トラちゃんはどうするの?」
「
「トラちゃん……」
こういう時くらい贅沢しようよという声が聞こえてきそうだけど、ぼくは目を逸らして耳をペタリと寝かせた。
ぼくにとってはこういうカフェにやってくること自体がかなりの贅沢なのである。
注文した商品を受け取って向かい合わせに座る。ぼくはその中で、それとなく軽い脳トレを始めた。マルチタスクの訓練だ。
初歩も初歩、例えば片足は特定の動きを取りながら、もう片足は別の動きをするとか、その程度のものだ。これらをコーヒーを飲みながら、あるいは会話をしながら行い続ける。
しばらくするとテイオーもそうしていることに気付いたのか、首を傾げてこちらに水を向けた。
「さっきから何してるの?」
「軽いトレーニングだよ。こうやって別々の動作ができるようになると、全力で走りながら作戦も組み立てられるようになるかもって」
「へぇー……えっ、あれよりもっと?」
「もっともっと」
「うへぇ……またああいう走りするの?」
「ううん、その時々によって変えるよ。だって、一度やったことはもう対策は練るでしょ?」
「そうだねー、一度やられるともう全部わかっちゃうもん。次やる時はあんなに飛ばさないようにしなきゃ」
「ふっふっふ。それを逆用するのだよマヤノ君」
「あっ、そっか。じゃあ今のなし、なーし!」
無しと言われても困る。どっちにしろやるだけだし。
逆用、というか正確に言うともうちょっと複雑だ。こういう作戦があると相手に知られることでその事実自体を利用することがメインとなる。
こういう作戦を使ってくるかもしれない、いやでも手の内がバレている以上使わないかもしれない。しかし、はたまた、いや、でも。そういう心の隙間を突いていくわけだ。
「次はテイオーにも勝っちゃうかも」
「ふふーん、それはどうかな? なにせワガハイは無敵のテイオー様であるからして、もうストライプくんの弱点は見抜いておるのであったりするのである」
「言葉が迂遠すぎる」
「弱点ってなに? テイオーちゃん」
「ズバリ、『自分の走りを貫かれる』こと!」
なるほどそのものスバリである。事実、それをされたからあの時はテイオーに負けたようなものだったのだし。
「さー、それはどうかなぁ」
「あっ、図星っぽい」
「図星だ」
「ヘッヘッヘ」
なのでここでぼくはあえて言葉を濁した。
図星っぽい。そう、それはそのとおり。図星だ。
けど
自信ありげに笑うテイオーに、ぼくは続けて告げた。
「それでも次は負けないよ」
「ボクだって」
「マヤもね」
ふっふっふ。はっはっは。ぼくらはそんな不敵な笑いを浮かべあった。
その後店員さんに不気味さとうるささの相乗効果で注意されたのはまた別の話。