コースへ出ると、遠慮のない視線が観客席と、そして周りで準備運動をしているウマ娘たちから浴びせられるのを感じた。
あんな小さい子が出てきて大丈夫なのだろうか、とか。こいつになら勝てそう、とか。多くはそういう類のどこかこちらを甘く見るような感情が乗せられた視線だ。
(いいね)
仕込みをする労力を費やさなくても、勝手に軽く見て侮ってくれるっていうのは楽だ。
ちょっぴり……こう、見返してやりたいなぁ、という思いが無いわけじゃないけど……お金のためを思えば、油断してくれる方が都合は良い。勝てば結局のところお金も名誉も得られるんだから、まずは勝ちやすい環境がある方がぼくとしては好ましい。
――のだが。
「ストライプ」
「ん」
「今日は全力でやりましょ」
「んー……」
……ぼくの前にやってきたスカーレットの目には、ギラギラと闘志が漲っていた。当然、油断など欠片も見えはしない。どことなく猫を思わせる縦長の瞳孔もあって、ぼくに対する物腰こそ穏やかだが、肉食獣のような迫力が備わっている。
多分、スカーレットだけじゃない。同級生はぼくと走る時油断してくれないなコレは。ヤダヤダ。警戒がキツいのなんのって。
「いやぁ、ぼくはほどほどくらいで……」
「と、言って油断させようとしてるでしょ」
「てへぺろ」
「もうっ」
「ストライプちゃん、レース前でもそういうこと言ってるの?」
「アイネス先輩」
それと、問題はアイネス先輩の方もだ。気負った様子は見られず、ぼくらへの対応もフラット。基本的に誰かを侮ったり下に見るということが無いため、これがまたスカーレットと違う意味で油断してくれない。
……しかしこの、こう……右にスカーレット、左にアイネス先輩ってこの光景……大迫力だな。
身長の話である。
スカーレットはこの前の計測で160cm超えてたし、アイネス先輩は170cm近い。確か167cmだっけ? ここにリムジン先輩やフラッシュ先輩を加えるとよりスゴい迫力の光景になりそうだ。
一向に身長の話である。
「レース前『でも』って、ストライプがよそで何かご迷惑を?」
「疑うなんてヒドいよママ」
「ママじゃない」
「あはは……そういうのじゃないの。バイト先でもいい子って聞いてるよ? ただ時々何を言ってるのかわかんないからちょっと変な子とも聞いてるの」
「「あー……」」
困った。反論のしようがない。
自覚はあるがぼくはまごうことなき変な子だ。バイト先でも仕事とは別に突飛な――実年齢にしてはだけど――ことを始めるので、そういうことを言われるのはとてもよく分かる。
「あと、レースに対してはとても真剣だったって話もおばちゃんから」
「おばちゃん……」
良い子とか評価してもらえてるのはちょっと背筋が痒くなっちゃうくらい嬉し恥ずかしなんだけれども、こういうところで他の競争相手に話が漏れるなら、もうちょっと普段からダラダラして「あの子ったらしょうがないわね~」くらいの扱いになっておくべきだった。
「というかレースに出走してきてる以上、勝つつもりが無い、なんて言っても通じないわよ……」
「それはそうなんだけどさ、勝てる可能性が0.1%でも上がるならやって損は無いから」
「そうね。でも……今日はアタシが一番だから」
言うと、スカーレットはアイネス先輩に丁寧に挨拶をしてからゲートに入っていった。
「それじゃあたしたちも行こっか。負けないよ!」
「はい。よろしくです」
そしてぼくも、アイネス先輩に促されてゲートインする。そろそろか、と思うと少しずつ頭の中が冷えてきた。
『新春の東京レース場。中・長距離を目標としてたくましく育った苗木が集う、シードリングカップ。出走ウマ娘の紹介です』
実況は……女性の声だ。珍しい。
いや待てよ。普通どっちかに偏るってそうそう無いはずなんだけど。おかしいな……。
『三番人気はポルカステップ。この評価は少し不満か、二番人気アイネスフウジン。そして、会場の期待を一身に集めたのはこの子。一番人気、ダイワスカーレット。4枠7番で出走です』
スカーレットが客席に向けてちょっと窮屈そうに礼をするのを横目で見つつ、ぼくは広いゲートの中で軽く屈伸をした。
……いや今は何も言うまい。大事なのはレースだ。そろそろ全員がゲートに入る。勝つにはとにかく手を尽くさないと。
『体勢整いました』
多少ゲート難のケがあったらしい子が最後にゲートに入った。
集中する。
スカーレットもアイネス先輩も、精神的な隙が少ないだけでなく能力だけ見ても殆どの要素でぼくを上回っている。
それに対抗するには、まずは――。
『さあ、ゲートが開いた!』
――――度肝を抜いてやろう。
『各ウマ娘一斉にスタート! ハナに立ったのは――4番サバンナストライプ!』
「「!!」」
「なにィ!? 速ッ……」
「ウソだろ!?」
選抜レースや入学直後の模擬レースを見ているクラスメイト、そしてその情報を握っているトレーナーさんはぼくの脚質が「差し」だということを知っている。だからこそその裏を突く。
ぼくの武器はスタミナと――
「くっ!」
――そして、ほら。「かかって」来た。
『ダイワスカーレットが前に出る! これはかかってしまっているでしょうか?』
『しかし、彼女の脚質には合っているようですよ』
「確かに合っちゃあいるんだが……」
「スカーレットさんって逃げが得意ですよね? 問題は無いんじゃ……」
「だとしてもペースが速すぎるんですよ。スタミナおばけのストライプと張り合ったら先に潰れちまう」
「実際に潰されたやつが言うと説得力が違うな」
「うぐっ」
何にしろ「一番」にこだわるスカーレットだからこそ使える手だ。意識的にしろ無意識的にしろ、自分の前を行く相手が出てくると抑えがきかなくなる。
油断してないなら油断してないで仕方がない。そもそも、誰もが油断してくれるわけじゃないことくらいわかっている。
だから、突く場所を変える。
気合が入っているというのは、転じればそれだけ気負っているということでもある。勝ちたいという思いは前へ進むための原動力だが、同時に自分自身の視野を狭める枷にもなりうる。
油断をしてくれないならしてくれないでいくらでも戦い方はある。
「だが、あれは暴走だな……ストライプは本来ああいう走りをするタイプじゃないはずだ。あれじゃいいとこ共倒れだぞ」
「……あ! 本当だ、尻尾が回ってる! ってことは本気じゃねーか、ストライプ……!」
……!? な、や、やめっ……やめろ! 尻尾の回転具合を本気かどうかのバロメーターにするんじゃあない!
……いや、分かりやすいのは認める。無意識的にやってしまうものだし。でもさぁ、これ絶対実況にネタにされるヤツじゃん!?
『先頭はサバンナストライプ。尻尾が回っています。……尻尾? え? え……え?』
『いったい何を考えているのでしょうか』
やめてぇぇぇぇぇ!!
そういうマジなやつ割と傷つくんだって!
『こ……後続のウマ娘、動揺しているようです』
『狙ってやっているなら大したものですよ』
ほあああああああああ!!
「狙ってるのか? あれ……」
「いえ……あれはただの矯正が難しい悪癖です……」
「余計本気なのが分かるってもんだな」
……ともかく!
軽く後ろを確認するが、スカーレットはまだ離せていない。アイネス先輩も、やや困惑顔だがしっかりついてきている。
ぼくはと言うと、癖が出ちゃってる通り本気も本気だ。そうしないと逃げの形にならないからだ。当然、どれだけスタミナが豊富でも尋常じゃない勢いで削れていく。
それだけじゃない。平時、鍛えていたつもりのマルチタスクは全力で走ることで途切れ途切れになり、理性が焼ききれそうになってくる。気を抜くと本当に何も考えずに走ってしまいそうだ。
さて、一方でスカーレットはどうするか。
選択肢は二つに一つ。抜きに行くか否かだ。戦略的に見ればこのまま暴走ペースで前を行かせて自滅を狙うのが筋だろうが、スカーレットの気質を考えればぼくに前を行かせたくないと考えるのが自然。そして何より。
「…………」
彼女は、ぼくのスタミナを知っている。
確かに暴走ペース、明らかな自滅だが「もしかすると」粘るのではないか? 「もしかすると」2000mを全力で走り切るだけの能力が備わったのではないか? 春から成長したからスピードも伸びているかもしれない。だったら「もしかすると」今の走りは全力ではないのではないか……。
頭が良いスカーレットだからこそ、その可能性を考慮に入れているはずだ。ここで先頭を奪わなければ終始レース展開を握り続けられてしまう、と。
「――――ッ!」
だから、自分の気質と感性を後押しする考えが多く浮かべば、すぐにでも先頭を狙いに来る。
スタートから3ハロン、やっぱりこの辺か。
(――お先にどうぞ)
『ここでダイワスカーレットがハナを奪う! 更にアイネスフウジンが二番手に躍り出た!』
ぼくは、それを確認すると同時に
息を入れると同時に頭に冷静さが戻ってくる。視野が拓け、更にレースを俯瞰する余裕が生じる。
『さあ1000mを回ってレースは中盤。いかがでしょうかこの展開?』
『スタート直後から壮絶な先頭争い、相当ハイペースになっていますね。ウマ娘たちの体力がもつかが焦点になるでしょう』
時計は、正確に測ってないから分からないけど……現状、相当早いタイムを刻んでいるはずだ。ターボ師匠のそれと同じで、先頭走者のペースが速ければ速いほど、後続はそれに危機感を抱く。さっきのスカーレットと同じだ。「もしかすると」という危惧が体を突き動かす。レース中という状況だからこそ、思考よりも先に体が動いてしまう。
――スタート直後に先頭に出て暴走した甲斐があった。
「……利っさん、あんたあいつに何吹き込んだ?」
「何の話でしょう?」
「エグい作戦考えるな、ってね」
「私たちはトレーニングを積ませているだけで、作戦はほぼあの子が自分で考えていますよ」
「……はぁ!?」
『さあ4コーナーに差し掛かる! 先頭は依然ダイワスカーレット! しかしアイネスフウジンも食らいつく! 続いてポルカステップ! 序盤先頭を走っていたサバンナストライプは4番手、この位置です』
残り4ハロン。
重要なのは、タイムと順位とバ身の調節。それから、可能な限り前に「出ない」こと。ロングスパートをかけるなら――ここからだ。
「ふっ……!」
『――おっと再びサバンナストライプが進出! じわじわと速度が上がっています!』
『ペースを落としたおかげで息を入れられたようですね。ですがここからですよ』
そう、ここからだ。スカーレットのことは元よりアイネス先輩の速度にも意識を向ける必要がある。
身体能力で強引に距離を克服しているスカーレットとは異なり、アイネス先輩は十分なスタミナを兼ね備えているタイプ。とはいえ、この状況で足を残していると考えるのは難しいだろう。
この場にいるぼくらは皆デビュー前で、本格化こそ迎えてはいても能力的なピークに至るまでまだ時間がかかる。2000mは長距離に匹敵するほどに長く、過酷だ。
『最後の直線に入った! 残り400! 後ろの子たちは追いつけるのか!?』
坂に差し掛かると共に、スカーレットたちがスパートに入る。
僅かに顎が上がっている。それを目にしたぼくは、更に速度を上げた。スカーレットの背中に食らいつき、スリップストリームで速度をより安定させる。
「っ!?」
「くっ……!?」
残り200と少し。坂を登りきった段階で仕込みが起動する。……と、大仰なことを言ってみるがそう難しいことではない。単なるスタミナ切れだ。
スカーレットもアイネス先輩も、脚と体の重さを感じ取っている頃合いだろう。徐々に体が上がってきていた。
散々ペースを上げたのは、スカーレットやアイネス先輩……だけでなく、全ての走者の体力を徹底的に削るためだ。特に注目すべき相手が逃げを打つ二人だっただけで、そこに区別は無い。
『アイネスフウジン一番手に出た! ダイワスカーレット粘る! 差し返すか!? ――だがサバンナストライプ猛追! ここで後ろから追い上げてくる! 差はごくわずか!』
「スカーレット! 行けーっ!」
「頑張ってくださいスカーレットさーん!」
「やああああ!」
「っああああああ!」
――実のところ、これ以前の段階で差すことは可能だった。
アイネス先輩もスカーレットも相当疲弊している。スピードも普段より遥かに落ちてるから、直線に差し掛かったところで抜くこともできた。
しかし、スカーレットもアイネス先輩も、どちらも凄まじい勝負根性を持っているウマ娘だ。何も考えずに抜こうものなら、二人は限界を超えて差し返しに来る――そして差し返される。これは「多分」というような予想の範疇じゃない。「絶対」にそうする、そうなるという確信だ。
だから、さっきまでは差せなかった。わずかにでも余裕を持たせてしまえば負ける。実際に、スカーレットはアイネス先輩に抜かれたことで限界を超えて奮起し、ここで今差し返しに行っている。
今なら。
(――――ここだ!)
ぼくはスカーレットの背から離れて姿勢を低くした。低く、低く……もっと低く。リムジン先輩の姿勢を思い出すように。
体格の不利があることは承知の上だ。だからそれを
計算する。今のふたりの視点、30cm近い身長差。あと………………。
……いや言葉にはすまい。ともかく、スカーレットもアイネス先輩も確実に死角がある。今のこの状態では絶対にぼくの姿が見えない角度がある!
息を吐く。勝ちたいという渇望と野性に身を任せ――全力で地を蹴る。
「――――――ッ!!」
『ああーっと並んだ! 三人並んだ!! いや最内を抜けてサバンナストライプ抜けてくる! 今、ゴールイン!! 体勢有利か!?』
「えっ!?」
「ストライプ!?」
「へっ、はっ……ふぅっ……!」
『ダイワスカーレットか! アイネスフウジンか! それともサバンナストライプか!? 結果はいかに!』
予想通り、二人は気付いていないようだった。そうなるように誘導したとはいえ、この具合なら他のレースでもこの戦法は応用できるだろう。競争相手の身長の高さ次第だけど。
ウイニングランは……誰もしない。勝敗がイマイチ分からないからだ。会場もシンと静まり返っている。
……ほんの少しして、判定の結果着順が確定したらしく、アナウンスが流れ始めた。
『――結果が出ました! 一着にサバンナストライプ! 二着ダイワスカーレット! 三着アイネスフウジン! ……以上の着順になります』
「!」
「!?」
会場がざわつくのを感じた。
当然だ。9番人気……身体的に圧倒的に劣る上、レース中盤で減速して脱落しかけるような意味のわからないウマ娘が、掠め取るような形で一着になった。これに疑問を感じないでいられるだろうか。
――次も上手く油断させられそうだしね。
自分が一着であることを示すように軽く拳を掲げると、主にサブトレさんたちのいる辺りから控えめな拍手が上がった。
未だデビュー前ではあるが、ぼくの初めての公式レースはこうして幕を閉じた。
○「本格化」について注釈
競馬において本格化とはウマの加齢・成長と共に競走能力が向上することを言います。3歳(ウマ娘で言うクラシック期)で結果を残せなかった馬が4歳になって本格化したことで重賞を取った、という例も。
ウマ娘の場合は成長期のような扱い方をされており、メイショウドトウの育成ストーリーにて「アスリートとしての目覚め」と表現されており、選抜レースに出場することで本格化しているかどうかをウマ娘本人やトレーナーが確かめるとのことです。上記の本格化とは多少意味合いが異なり、ウマ娘の場合はレースに出場する大前提とも言えるかもしれません。本作はこちらの解釈で本格化という語句を使用していきます。
なお、ドトウの育成ストーリーと個別ストーリーの兼ね合い上、トレーナーにスカウトされるまでにドトウはまだ本格化を迎えていないため、本格化とは無関係にウマ娘の身体能力は普通にクソ高いようです。ドトウにぶつかると「大体の子が壁にゴキャってなる」と言っていたり日頃のドジの一環でオペラオーの机を破壊したり、やっぱり常人とは根本的に異なるのでしょう。
ストライプのデビューと同時期にアイネスフウジンとメジロライアンがデビューして……
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いる(史実90年クラシックメイン)
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いない(史実90年を中心に時代混ぜこぜ)