現在のぼくが知る中では、多分最も再現難易度が高い技だ。
ラーニングの鬼であるところのドーナッツ先輩でさえぶっつけ本番では制御を誤って転倒してしまったし、再現を試みようとしているウマ娘の話もあまり聞いたことが無い。
同級生に習得を目指すかと聞けば、多分皆口を揃えて否定するだろう。というのも、無減速クロスステップというのは、超高等技術でありながらそれができても得られるメリットが少ないからだ。
かの三冠ウマ娘ギンシャリボーイの使っていた技にしては扱いが軽いが、そもそもギンシャリボーイが驚異的だったのはそれを自在に「使いこなせていた」からだ。
狙ってやろうとすれば、できて直線での一発勝負になる。実際にドーナッツ先輩はそうしている。だがギンシャリボーイは
……ともかく、無減速クロスステップは、習得しようと思えばできるが、それに費やす時間があるなら基礎トレに時間を使った方がいいというのが一般論だろう。
常時レースに影響を及ぼせるようになるにはそれこそギンシャリボーイレベルのものが必要だし、ドーナッツ先輩のようにここぞという時のための小技として用いるにしても、大きなリスクが伴う上にそれ相応の練習環境が必要だ。
――そうした制約の中、ぼくは例外的にそうしたデメリットをほぼ無視できる。
他のウマ娘なら、習得にかかる時間を通常のトレーニングに回した方がよっぽど速くなるのだけど……ぼくの最高速は多分すぐにでも頭打ちになる。
鍛えることをやめはしないが、時間を費やしすぎてもむしろ逆効果だ。スタミナを伸ばして常に最高速を出せるようにするほうが有意義だろう。
だから、長距離ならともかく、中距離の範疇であれば、作戦と小技で速度の無さを補う必要がある。その第一歩がこれということだ。
とはいえ。
「やることは……こういう……地道な体幹トレーニング……なんですね……」
「当たり前だ」
「のクラッカー……」
「マルゼンスキーですら微妙に反応に困るようなことを言うのはやめんか」
ちなみに1960年代、関西方面のギャグである。
何を言ってるのか分からなかったせいか、サブトレさんは珍しく困っているようだった。
今日ぼくがやっているのはバーベルスクワット。普通に人間がやる分には負荷が凄まじいが、ウマ娘の筋力なら扱いは通常トレーニングの一環程度のものと言っていい。
「ともかく、これから何を教えていくにしても、体重移動や足捌きがキモになる以上、体幹が安定していなければ話にもならん。それに、正しい姿勢で走れば結果的にスタミナの消費を抑えることにも繋がる。しばらくは体幹トレーニングをメインにしていくぞ」
「はい……!」
体幹トレーニング、と一口に言っても、本当に単に体幹を鍛えるだけではない。全身を鍛えるある種の複合トレーニングの側面があるため、スタミナもパワーも同時に鍛えられていく。
トレーニングの目的というのは常に一方向だけではないのだ。
・・・≠・・・
さて、時期は3月。皐月賞の前哨戦、弥生賞が開催されることとなった。
注目ウマ娘としては、デビュー以降三連勝で今乗りに乗っているキング先輩。負けなしの二連勝で実力を見せつけたスカイ先輩。それから、ここまで二勝。先のきさらぎ賞で1着を取っているスペ先輩の三人だろう。
いずれもプライベートで交流のある仲の良い先輩である。正直に言うと胃が痛かった。
結果としては――スペ先輩が1着。中山の短い直線を凄まじい末脚で差し切っての勝利だった。
敗因は……何だろう。やっぱりスペ先輩の脚を実際にあまり見られてないのが一番大きいだろうか。「なるほどねー」などと一見何とも無い風にスカイ先輩はぼやいてたけど、内心メタクソに悔しがっているのは、そろそろ一年に近い付き合いのおかげで理解できていた。
……これ多分皐月賞に向けてしばらく戦術の構築に付き合わされる奴だな。
さて。一ヶ月後の皐月賞を控え各チームが準備に追われる中、未デビューのぼくたちの方はちょっとした動きがあった。
「テイオーがチームスピカに加入、ネイチャもカノープスに加入……かぁ」
「も~! ふたりに先越されちゃったよ~!」
「じゃあマヤノもどこかのチーム入る? うちのキャパまだありそうだよ」
「んーん、なんかビビッってこないからいい」
「残念」
テイオーとネイチャがチームに加入。今までそんな素振りがなかった(ように見せてた)だけあって、クラスの皆はこれに少なからず動揺を見せた。
テイオーは学年内でも一、二を争うほど実力を持つウマ娘で、ネイチャも上から数えたほうが早いレベルの実力者。ぼくやウオッカ、スカーレットに続いて早々にチームを決めたものだから、自分たちも早く決めてしまわないと――という焦燥感が蔓延してしまったのだった。
……確かに早めにチームに入ったり専属トレーナーに面倒を見てもらえば成長は見込めるけど、それで焦って相性の良くないトレーナーと組むことになるのは双方にとって良くないことだ。そうでなくとも本格化を迎えているかどうかという問題もあるから、ウマ娘にとってチームに入ったりするのに最適な時期というのは皆異なってくる。
なので、焦りすぎるのは良くないよ、長い目で見ていこう――というようなことを学年のインフルエンサーであるマヤノたちにそれとなく広めてきてもらった。
おかげで一気に皆が焦ってチームに入りに行く、みたいな騒動は避けられたけども、いつまた再燃することやら。ぼくはともかく、皆は年頃の女の子だ。内面は繊細だから、思いもよらないことでカッとなってしまうことは十分にありうる。せめてそういう子が良いトレーナーさんと巡り合うことを祈ろう……。
「すっごい転入生も来るし、みんな焦っちゃうだろうな~」
「そうだね……転入生……ん、個人が特定できてるの?」
トレセン学園は、その性質上普通の学校と比べて退学者が多い。
才能の壁にぶつかったとか、ケガとか、単純に個人的な事情だったりもあるけど……ともかく、競技の世界に身を置く以上、そうした挫折は避けたくとも避けられない。毎年生徒会も奮闘していると言うが……効果が上がっているかは、どうだろう。
ともかく、そんな事情があるので、トレセン学園の定員枠そのものは多少の余裕がある。定期的に編入試験も行われているため、地方トレセン所属のウマ娘が試験を受けることもあるし、突然本格化を迎えたので中央を受けてみようか、というような剛毅なウマ娘もいる。
もっとも、試験の基準はそれ相応に高いので、合格者は少ないと聞くけども。
「うん、知らない? ウマスタグラマーの
「ほーん」
Curren――カレンチャンか。史実における「カレンチャン」と同じく適性はゴリゴリの短距離路線。ぼくとカチ合うことはまず無さそうだ。
それはともかく、重要なのはウマスタグラム……と言うより、SNSの女王とでも称するべき情報強者である点だ。ウマッターやウマチューブ、ウマトックを含め複数のアカウントを持ち、その全てで数多くのフォロワーを獲得している。
これは……。
「強敵登場……」
「お金の匂いがする……!」
「発想が最低だよ!」
「えへっ」
しかしながら、正確なことを言うとお金を求めることが最低なのではない。
お金を求めること自体は悪いことじゃあないんだ。心なり体なり命なり……それに伴って何かしらの犠牲が伴うというのが最低なんだ。それが無ければただの経済活動。現代社会を生きる上で必要なことを、少し規模を拡大して行っているに過ぎないのだ。
「なんか反応鈍いけど、トラちゃんってウマスタグラムとかやってないの?」
「やってるけど……」
「えっ、やってたの!? 何で教えてくれなかったの~!?」
「そんなに面白いこと書いてないし。見る?」
「うん! えーっとぉ……『輸入雑貨の販売承ります。商品一覧はホームページより』……う、ん?」
「ね?」
「『ね?』じゃなくって……あっ、ウマッターのアイコンがある! えーっと、なになに……『トレセン学園敷地内で不定期に開店中! 屋台で一品料理、ドリンクなどを提供しています』……」
「面白いこと書いてないでしょ?」
「企業アカウント……?」
起業(したいひとの)アカウントではある。
ともかく、終始こんな調子なのでぼくはプライベートなアカウントというものは取得していない。どこから変な情報を漏らすとも知れないし、SNSで個人的なことを語るのは避けたいのが本音だ。
匿名掲示板なら、自分で自分を落とす発言でもして情報操作するという手もあるけど……いやいや、流石にそこまでするのは良くないな。チームの方にも迷惑がかかる可能性があるし。
これ、それこそつい最近始めたばかりではあるんだけど、思ったよりも効果がある。輸入雑貨の方はまずまずという程度だけど、屋台については何かにつけ買いに来るオグリ先輩やスペ先輩の写真などを(本人やトレーナーさんやその他学園の方に許可を取った上で)上げていることもあって、そこそこフォロワー数も増えている。
トレセン学園の生徒というのは、アスリートであり同時にアイドルでもある。宣伝効果としては十分だろう。
……これってぼくがデビューしたらぼく自身も宣伝の一環に加えるべきなのだろうか、とか思ったけど今は気にしないことにした。
なんというか少し自意識過剰な感じがして恥ずかしいし……。