日本トゥインクルシリーズ、クラシック期最大のレース、日本ダービー。
オークスの翌週に開催されるこのレースは恐らくここ数週間で最も注目されるレースで、今年はぼくの知る限り最も苛烈なレースとなった。
スペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイロー……そして、エルコンドルパサー。
恐ろしく豪華なレースだ。ここにもうひとり、グラス先輩も含まれていると更に恐ろしいことになっていたと思うのだけど……脚の故障ばっかりは仕方ない。
史実においてエルコンドルパサーは日本ダービーに出走しなかった。これは1998年当時、クラシック級の三冠路線の競走にマル外(外国産馬)が出走できなかったのが一番の原因だ。もっともこの世界ではそういう概念は無いので普通に出走できるのだけど。
……そもそも、NHKマイルカップの後に日本ダービーへ出走しようと思うと、中一週の過密かつ過酷なローテーションを経なければならない。1600mに対応する調整から即2400mに対応するための調整を経なければならないわけだし、ちょっと非現実的と言っていいだろう。実際にやってどっちも勝った例が2つはあるけど。そしてこの日まさに増えたけど。どうなってんの。
そこを言い出すと英国三冠なんかは1600から3000まで対応しなければならない超過酷なレースなんだけども。米国三冠にしてもローテーションが頭おかしい。ほぼ一ヶ月の間に全部ある。
さてともかく、ダービーの結果は――前代未聞、スペ先輩とエル先輩が同着。それも一着。一着での同着は、日本のG1レースだと……あったっけ。よく覚えてないや……。*1
国外では五、六年に一回程度にはそうしたケースがある。4着以下だと割と見るんだけど、その辺りはウィニングライブに絡むことが少ないのであまり語られない。
さて。スカイ先輩は涙を飲む結果になったのだが……。
「……オークスとダービー、どちらも獲れなかったか」
「こればかりは難しいところですね」
スナイパー=サンも同じくオークスを落とし、ふたりは揃ってセリ市場に並べられたマグロめいて部室に転がっていた。
ダービーは、難しい。それはトレーナーさんたちの間でもウマ娘たちの間でも常々言われていることだ。
かの三冠ウマ娘セントライトの妹もダービーを落としているしシャカール先輩は言わずもがな。そもそも骨折で断念という例もいくつかある。
ダービーから菊花賞という距離適性の残酷なまでの差はどうしようもないとして諦められることも多いけど、勝てる地力があるけど勝ちきれない、というケースも多発するのがダービーだ。伊達に「ダービーは最も運があるウマ娘が勝つ」と言われていない。
6月。夏合宿を目前に控えたぼくらは、やはり次の出走レースの対策に追われることになっていた。
スナイパー=サンは秋華賞。スカイ先輩は菊花賞。これまでのデータから出走してくる相手のことはだいたい分かっているため、この夏合宿は対策を立てるために十分時間を使えることだろう。しかしクラシック級は皆伸び盛りのウマ娘ばかり。夏合宿を経てもはや別人と思えるほどに成長するということも珍しくない。
なので。
「各チーム練習風景の撮影許可申請に来ました」
「承認ッ!!」
「ニャー」
「もう少しよく考えてから発言してくださいね理事長。サバンナストライプさん、利用目的は何ですか?」
やってきたのは理事長室。去年は隠し撮りのような格好になってしまったため、今年はまず偵察の許可に来たのだった。
とはいえ各チーム個別に許可を取りに行くのも面倒なので、理事長に直に許可をお願いしに来たのだけど。後でたづなさん経由でチームには通達されるだろうし……。
「用途はチーム内のデータ分析のみです。商用利用はしません。合宿が終わったら、映像データは偵察させていただいたチーム及び学園に提供します。あ、これ誓約書です。これでいかがでしょうか?」
「承知ッ! しかし、その誓約書はいつ書いてきたのかね?」
「昨年の例もあるのであらかじめトレーナーさんに書式を作っていただいてました」
「周到ッ! ……ちょっと怖いくらいだぞ!」
「へへぇ」
「褒めていらっしゃるニュアンスではありませんよ?」
こういう反応されると能力を評価されたみたいでちょっと得意になっちゃうんだよね。こういう時に調子に乗っちゃうのはある意味人間のサガだ。
……この辺は去年の反省の部分が大きいけど。
「ですが分かりました、これなら問題無いかと」
「うむ、では改めて――承認ッ!」
「ありがとうございます」
――というわけで、そういうことになった。これで問題なく合宿の撮影もできるし、データ分析もできる。
とはいえ、偵察したデータそのものは他のチームにも渡る。そういう約束なのだからそれは仕方ない。
もっとも、ぼくらが分析した結果を送る必要は無いので、そこのところは問題ない。むしろ逆に、
盤外戦術にはこういうやり方もあるのである。むほほほ。
「ふほほ」
「見てよマックイーン、またストライプが悪そうな顔してるよ」
「また何か企んでそうですわね」
「酷いよー」
理事長室から出てすぐ、通りがかりのテイオーとマックイーンにそんなレッテルを貼られた。
ひどくない? ぼくが毎時毎分毎秒何か企んでると思ってない? まあ今回は企んでるのは嘘じゃないけど……。
「出会い頭にいきなりレッテル貼りなんて……まさかこれが有名なヘイトスピーチ」
「人聞きの悪いことを言うのはやめてくださる? あなたが言うと冗談で済まないのですけれど」
「……おお」
「あなたもしかして」
自分が外国人だということをうっかり忘れていた。
そうだそうだ、外国の方だとこの手の問題シャレじゃ済まないんだった。反省。
「というかストライプが疑われてるのは普段から色々やってるからだよ……」
「これでも素行や生活態度に問題は無いんだよー」
「素行や生活態度はね?」
まるでそれ以外に問題があるような言い方じゃないか。その通りだ。
……いや問題と表現するのはどうかな? 確かに策は巡らせるけど、別に他人に危害を加えてるわけでもないし……。
表現について少し悩みつつ視線を下げると、テイオーの手に何らかの書類が握られていることに気付いた。さっきからちらちらとマックイーンの方に向けては突き返されている。
「ところでそれは何?」
「入部届だよ。ゴルシがさ、どーしてもマックイーンにスピカに入ってほしいんだって」
「ですからまだ色々と手続きや話し合いがあると言っているじゃありませんの」
「えぇ~?」
「メジロ家は大変だねぇ」
「他人事みたいな……いえ、他人事でしたわね……」
「うひひ」
名家のご令嬢様だから非常に大きなしがらみがあることは分かる。メジロ家の名前を背負う以上、チームの所属やその後のバックアップ体勢の構築についてもちゃんと相談する必要があるだろうし。
ただぼくは一般庶民、しかも奨学金を貰わないと学校に通えないレベルの激貧なのでその辺は推測するほかない。
カンニングめいた知識のおかげでなんとなーく分からんこともないけど。
「一応入部予定ではあるんだよね?」
「え……ええ、まあ」
「一瞬言葉を濁したね?」
「それはいいじゃありませんの」
「じゃあトレーニングに参加するくらいはいいんじゃない? 今のうちにどういう雰囲気でやってるか確かめといた方がいいよ」
「そうだよマックイーン、スピカって結構自由だからね、もしかしたら戸惑っちゃうかも」
「ええ、それは見れば分かります」
「だろうね」
「まあ、実際の状況を見ないことには何とも言えませんから、一度行ってはみますわ……」
ということで、そういう方向で話はまとまった。
いやぁめでたしめでたし――そう思っていた折のことである。
「ついでにストライプもついて来てくださいませんこと?」
「えっ」
「あら、チームに所属しているという意味では先達でしょう? 時間もあるようですし、口添えした手前、ついてくるくらいはしていただけますわよね?」
ついでのように巻き込まれた。別チームなのに。
そうしてあれよあれよという間に準備が整い、10分ほど。ぼくはスピカの面々と併走することになってしまっていた。
「なして?」
「ほらストライプもセットしてセット!」
「始めるぞー」
「え、えぇ……」
スターター役にゴルシパイセン、記録役としてトレーナーさんとスズカ先輩。ウオッカとスカーレット、あとスペ先輩、テイオーとマックイーンが併走に参加することになっている。
この中じゃスペ先輩は一人だけデビュー済、オマケにダービーウマ娘である。格がヤバい。
ま、ハナから今ここで通用するとは思わず適度にやろう。……と、何気に併走することについては抵抗を覚えていない自分に内心苦笑しながら、ぼくは位置についた。
「すみません、ストライプさん。別のチームなのに……」
「いやいいですよー。たまにはマックイーンたちと併走したかったし」
「ふふっ。それはどういう意図で?」
「ノーコメント」
本音を言えば、たまには本当に何も考えず走りたいという本能に根ざした感情がある。
けど、それは別にいつでもできること。本当にやるべきなのは勝つために動くことで、今日のこれもポジティブに考えればデータ収集の一環にもなりうるわけだから、この機を逃すわけにはいかない。
「位置について、よーい……スタート!」
旗が振り下ろされるのと同時に、ぼくは思い切り足元を蹴った。
この人数の中でも感じ取れる程度には強い衝撃とともに、体が前に出る。
「!」
「っ」
――
必要以上に音を立てただけの言わば
逃げウマ娘、じゃなくても先頭に立つことになるウマ娘というのは、ペースメーカーの役割を課せられることになる。ペースが早ければ全体のペースもそれに合わせて上がるし、抑えめにすれば遅くなる。常に先頭に立って全力で走るせいでレース全体のペースが上がるターボ師匠が顕著な例だろう。
スカーレットはどうやらぼくが前に行くとペースをガタガタにされると思っているようだが……別に前に行かなくてもガタガタにはする。
した。
「ふっ……!」
(おっ)
つられてペースを乱されることを嫌ったためか、ここでマックイーンが前に出る。
マックイーンの戦法は、基本的に先行型の横綱相撲。前めにつけることの方が多いが、必要とあれば逃げもできる。
圧倒的なスタミナを利用し、早めのペースで半ば強引に押し切ることでスタミナ差で磨り潰す。
最大限好意的な見方をすればぼくの戦法はそれに似ていると言えなくもないが、マックイーンのそれは圧倒的に完成度が高くスマートだ。だって変な策略を考える必要も無く全部自前の能力でやれるんだから。
(となると……)
対処法は驚くほど少ない。単純に速さとスタミナで上回らないといけないんだから。手があるとすれば鋭く差し切ってみせるか、なんだけど……当然ぼくにそんな差し脚は無い。
ここまでの展開だと……ふむ、新しい手を考えるのもアリだけど……それよりは、あくまで併走、トレーニングという趣旨に則った方がいいか。
コース中盤でロングスパートをかける。計算だとマックイーンに追いつくのは残り300m地点くらい。競り合いにはなるだろうけど、マックイーンの方もトップスピードにならないとぼくを抜けない……はず。
視線が交錯する。仕掛けてきましたわね、と目が語りかけてくるのを受け止め……。
「あれっ!?」
「あー」
……受け流し、ゴール前でぼくは自分たちをちぎっていく素晴らしい差し脚の持ち主に視線を向けた。スペ先輩とウオッカである。
当然というか、順当というか……ロングスパート自体は効果的なんだけど、鋭さには欠けるからこういう場面で横から差し切られるケースも多い。シードリングカップの時のように計算して差し切るために使うか、もっと独走できる状況を作らないと。
うん、とはいえそのことが実戦で証明できて良かった。今までは想像の上でしか場面を展開できなかったし……次はこれを活かしていこう。
……流石に選抜レースとあんまり変わらない戦術でやれば、このくらいが限界だな。