「セクレタリアト、というウマ娘を知っているか?」
「アメリカの三冠を取った伝説的なウマ娘ですよね」
「話が早いな」
夕方。トレーニングが一段落ついたところで、まだ体力的に余裕のあるメンバーを交えて、トレーナーさんたちからの解説が行われることになった。
セクレタリアト。アメリカのトゥインクルシリーズにおいて伝説的な功績を残したウマ娘だ。アメリカ三冠のアホみたいな過密スケジュールをものともしないほどの頑丈さと、三冠レース全てをレコード勝ちした上に三冠目で2着に31バ身差をつけるという異次元の速度を併せ持つ。多分、最強のウマ娘は、という議論になった時に必ず挙がるだろう。
その走りを見た人は、口を揃えてこう言う。
「――彼女の走りは、俺が見てきた中で最も合理的で
トレーナーさんも言った。
「若い頃に見たのがよっぽど衝撃的だったようで、私も散々聞かされましたね……」
気持ちは分かる――。
生でものすごい走りを見たら、思わず語りたくなっちゃうとは思う。会長とかもその類のウマ娘だろう。
強さというものは時に見てる人すら狂わせる。トレーナーさんがその一人なのは予想外ではあったけども。
ともかく、その強さを支えているのは、単なる身体能力の高さだけではない。
「『等速ストライド』の話かい?」
等速ストライド。セクレタリアトの驚異的な加速の秘訣……と言われることもある走法だ。
史実におけるそれについては、話を聞いたことがあるという程度。実情はよく分からない。なにぶん、海外のことだし当時英語の資料までは見てなかったからだ。ただ、圧倒的な走りをしていたことは映像も見て知っている。
セクレタリアトは短い歩幅と長い歩幅、その両方を自在に操ることができたという話だ。それによって長距離でも短距離でもすぐに対応してみせたらしい。同様のことができる馬は40年後のとある日本の三冠馬が思い浮かぶけど、それはまあ一旦置いておこう。
ここで重要なのは、ウマ娘――人間のアスリートなら、程度の差こそあれストライドとピッチの使い分けは誰でもやっているというあたりだ。
……変な言い方をするとスシウォークなんかと似ている。どういう形で走法になっているのだろうか。
うん、分からない時は聞こう。
「話には聞くんですけど、どういう原理の技術なんですか?」
「あー……なんてーか、『普通』の極地っつーのかな……」
「Ah……難しい、デスね……」
リムジン先輩はともかく、ドーナッツ先輩にしては煮え切らない返事だ。いつもならもっとスパッと言葉にしてるのに。
首を傾げていると、横からシャカール先輩がそれに補足を加えた。
「言ってみればあれは『走る』って動作から全部の無駄を削ぎ落としたようなモンだ。ストライドの長短を使い分けるのは結果論に過ぎねェ。等速ストライドってのは、あらゆる状況で
「……等しい速さ、ってことは――減速をしない?」
「あァ。坂路でもコーナーでもな。セクレタリアトはそれを常時使いこなしてた。走るという行為を極限まで最適化してやがンだよ」
「それって……自分は同じ速度で走り続けて、でも他のひとはコーナーとかで減速するわけだから」
「これ以上ねェってくらい分かりやすい数字の積み重ねだろ?」
自然に走るだけで、周りが勝手に順位を落としていく。
セクレタリアトの脚質をあえて表現するとすれば、「逃げ」……それはマルゼンスキー先輩のように、「結果的に逃げになっている」ような形のそれだ。
確かに映像で見る限り、序盤は他のウマ娘と競り合っている場面もあったと思う。けど最終直線に入るあたりでもう他の走者をぶっちぎっていた。理屈としては確かにこれ以上無いくらい分かりやすいか。
……で、この話題をここで出すってことは。
「……トレーナーさん。前もこんなことありましたけどつまりそういうことですよね?」
「そうだ。ストライプには今やっている無減速でのクロスステップとともに、等速ストライドの習得を目指してもらいたい」
そう来るかァ~……。
いや、そう来て当然なんだ。もうスピードそのものはほぼ頭打ちが見えてるから、別の要因でこれを補うしかないんだし。
策を講じるにしろ、スタミナで押し切るにしろ、ぼくにできることは全体的に自分の速さを底上げするよりも他人の能力をなんとか制限させてという方向性が強い。
変化球気味なやり方しかないぼくにとっては、これ以上ないくらい正統派の、そして最も手堅いだろう……相対的にとはいえ「速さ」を得る方法だ。こう提案するのも、理に適ってはいる。
……習得難易度を除けば。
「……これ、何年がかりでやるお話になります?」
「……早ければ2年ほどか」
「遅ければ……?」
「どうにもならんな……」
無慈悲な話だった。
いや、習得の芽がないと言われるよりよっぽどマシか。あとはぼく自身がいかに努力するかということと、仮に焦ったとしても、それを表に出さない精神力と忍耐力。それと……。
「あとぼく無駄の極みみたいな動作挟まないと本気で走れないんですけど大丈夫でしょうか」
「前例が無さすぎて何とも言えん」
「でしょうね」
……いかに「自分の動き」としてそれを落とし込み昇華するか、そのセンスが重要になってくるわけだ。
しかし、それでも数年がかりの計画か。これはこれで、シニア級、ひいてはドリームトロフィーでの活躍を見込んでくれているわけで。
そこのところは素直に嬉しいと思うのであった。
・・・≠・・・
現在のぼくの課題は主に2つに分けられる。ひとつは全体的なフィジカルの強化。目標は2000mを全力で走りきれるようになること。
この一芸ができるようになるだけで――「だけ」って言っていいのか?――勝てるレースはグッと増える。オープンからG3くらいなら、駆け引き抜きでもイケるかもしれない。
もう一つが、技術の習得。これは格上と張り合うための武器であり、今は無減速クロスステップと等速ストライドを身に付けようとしているわけだが……。
「ふたつ同時進行は正気の沙汰じゃなくないですか」
「今頃気付いたのか。ウカツ!」
トレーニングは更に激しさを増し、以前よりも更にギリギリを攻めるようなものになっていた。
ケガはしないよう、させないように細心の注意を払いながら、しかし全身に強く強く負荷をかける。
元々、ミスディレクションを応用した身代わり走法と強いシナジーを持つ無減速クロスステップを習得しようとしていたスナイパー=サンが
「無減速クロスステップにしろ等速ストライドにしろ、基礎的な能力がモノを言う技術です。一方のトレーニングで鍛えた能力は、もう一方の技術に必ず好影響を与えます」
「地面を這いずる虫にイーグルの思考は理解できぬという……」
「多分それだいぶ用法違います」
「ま、元々あのステップは等速ストライドを真似ようとして……失敗した時に生まれたものだからなぁ」
「えっ、そうなんですか?」
――と、不意に横からトレーナーさんがそんな裏話を明かしてきた。
そういうことなら、確かに技術の習得が相互に影響を与えるというのも頷ける。
「怪我の妙技というヤツだな」
「怪我の功名です」
「結局、等速ストライドそのものの習得は半端なところで終わってしまったが、蓋を開けてみれば無敗の三冠ウマ娘だ。トレーニング技術の熟成が進んでいなかった時代というのもあるが……おっと」
サブトレさんもそこを意識して……おや。何やら顔に手を当てて俯いている。
……あ、そうか。自分と同じ年頃のウマ娘のことを滔々と語られても困るか。親が娘と同じ年頃の女性のことを語ってるような姿を見て快いと思う人もまずいないだろうし。
「余談は置いておいて、トレーニングを続けますよ」
「余談って扱いでいいんですかアレ。ウマ娘的にはだいぶ聞きたいですよあのギンシャリボーイの裏話とか」
「私はそうでもありませんね……」
辟易した様子が見て取れる。散々聞かされてきたんだろうなぁこれは……。
話す相手が違うと、同じ話を聞いたことがある人がいてもつい同じことを言ってしまう現象。あると思います。
「そうだ。トレーナーさんにとっての理想がセクレタリアトなら、サブトレさんも何かあるんですか?」
「……そうですね、『ギンシャリボーイ』を超えるウマ娘を育てることが私の目標です」
「ほえー」
「
「冗談だと思ってますね?」
「まあ半分くらい」
それだけやったことが伝説的すぎるとも言う。
あまりすごいすごいと言い過ぎるのも、それはそれで自分の可能性を狭めるだけなので言い過ぎないよう努めるのが望ましいけども……意識するなって方が難しいよね、元を辿れば同じチーム出身だし。
「これでもあなたたちには期待しているんですよ?」
「あまり大きな期待向けられると恐縮します」
「コワイ」
「……今後期待なんていくらでもかけられるんですよ……」
期待はしないでほしい。その方がより油断を誘えるから。
ギンシャリボーイの戦績については、どのような戦績にしてもちょっとしこりが残りそうなので具体的な数字は明示しない方針にしております。