実はパーマー先輩についてぼくが知ってることはそう多くない。
気さくで面倒見が良くマイペースで、人柄も相まって 単にメジロ家という枠組みに留まらず多くの後輩に慕われている。
ぼくはマックイーンの繋がりで話すことがたまにあるくらい……というところだろうか。
脚質は逃げ。メイクデビューからの2戦は残念ながら2着に終わったが、これは前目に付けるセオリー通りの先行策を取っていたせいという部分が大きく、その後本格的に逃げをするようになってからは2連勝している。
(とはいえ、前走じゃ9着。安定してないと言えば安定してないかも……)
前走となるOP戦では、展開に蓋をされて先行策を取らざるを得なくなった結果、9着。本質的にバ群の中に入れられるのが肌に合っていないように見受けられる。
(調子の浮き沈みが激しいひとなのは間違いない。だからそこを叩く)
別にレース外で相手の調子を下げてやろうという思惑は無いけど、レース中になれば話は別だ。
弱点が見えているのなら、そこを狙わない理由はない。グッとターフの上で軽く柔軟運動をする。
「ん、ストライプ?」
「……パーマー先輩?」
と、そこで不意に、横からそのパーマー先輩本人に声をかけられた。
ちょうど作戦を練ってるところに話しかけられたから、うぎゃあ。完全に何か出したくないもの剥き出しになってる。闘志とか。ぼくは普段から何やらぼんやりしてる風に見えるキャラで通してると言うのに。
「あはは、マックイーンと話してる時と全然雰囲気が違うから思わず話しかけちゃった」
「すみません、レース前で気が昂ぶっちゃってて。今日はよろしくお願いします」
「うん、よろしくね……」
「……どうかしました?」
「ううん、何か仕掛けてくるのかなって思って」
「ここ最近皆さんからの扱いが本当にひどい」
「ごめんごめん」
そう言って立ち去るパーマー先輩の足元に、ぼくは何やら小さな違和感を覚えた。
具体的に何がどう違うのかは言語化し辛いが、何度もレースの映像を見ているので「何か違う」ことだけは分かる。
ぼくは迷うことなく、客席にいるサブトレさんにとてとてと駆け寄って行った。
「すみません」
「どうしました? もうそろそろゲートに入らないと……」
「パーマー先輩のこと注意して見ててくれませんか? ぼく、スタートしたらそれどころじゃなくなるので」
「? もちろん、メジロ家の注目ウマ娘として見てはいますが……」
「もうちょっと深めにです。お願いします」
「……分かりました」
頭を下げた後、急いでゲートに戻って係員さんの誘導に従ってゲートインした。
金属製のゲートに囲まれていると、その無機質さのせいか、スッと頭が冷えて歓声が遠のいていくような錯覚を得た――が、それに抗うように尻尾を一回転。体を大きく動かすこと無く、全身に血を巡らせる。
他のウマ娘の体格じゃこうはいかなそうだ。尻尾ぶつかっちゃうだろうし。ぼくの方がゲート広いデース。なんちゃって。
さて――。
『各ウマ娘ゲートイン完了』
グッとターフを踏む。晴れの良バ場。個人的に稍重かもうちょっと行ってくれた方が望ましかったが、仕方ない。どっちにしろやることは変わらない。
『――スタートしました』
ゲートが開くと同時にダン、と足元が爆ぜたような音とともに前に踏み出す。パワー任せのロケットスタートだ。
『一斉にスタート、おっとまずいいスタートを切ったのはサバンナストライプ。これは予想外!』
「うぐっ」
「うーわ」
『前走ではじわじわと上がっていくタイプのレースをしていましたが、これは大胆な方針転換ですね』
背後から漏れ聞こえてくるうめき声にぼくはほくそ笑みかける。いやちょっと表に出ちゃった。まあいい。
重賞クラスになると、競争相手の下調べをするくらいのことは常識だ。シードリングカップのことも知っているひとはいるだろうし、ぼくについて調べていれば「逃げると見せかけて引っ掛けに行く」ような走りをしていたことも容易に知れる。
そうでなくとも前走から前々走のこともあり、何をしでかしてくるか警戒してくるひとは多いはずだ。
どうするも何もぶっちゃけ普通に逃げを打つだけなのだけど。
今回、相手がパーマー先輩に決まった段階で、こちらも逃げを打つという方針が固まっていた。ドーナッツ先輩がスズカ先輩と走ることが決まってからと言うもの、対逃げウマ娘の戦術は何度となく立て(させられ)てきたんだ。これはそのうちの一つだ。
強引に前に出ることで展開にフタをして、後方に睨みをきかせる。相手を前に行かせずに強制的に位置を下げさせることで、先行策を取らざるを得ない状況に追い込む。慣れないことをすれば当然パフォーマンスは落ちるが、それを嫌がって前に出ようとするならそれこそ狙い通り。誘いをかけて超ハイペースの消耗戦にしてしまえば、スタミナに勝るこちらに分がある。
本来、ハイペースで流れるレースは前にいるウマ娘ほど苦しい展開になるものだ。これについてはターボが良い例だろう。早く前に出すぎるとそれだけスタミナを消耗してしまい、後半で脚が残らなくなってしまう。後ろで控えていた差しや追い込みのウマ娘にとって――よっぽど前と差がついて追いつけないという状況でない限りは――ハイペースな展開というのは望む所だと言えよう。
一方、スタミナと回復力だけは頭二つ分くらい抜けているぼくなら、ハイペースな展開になったらむしろチャンスだ。スタミナが枯渇して速度が落ちるということは無い。ペースを維持し続けてむしろ他のウマ娘の脚を「残させない」ということができる。
逃げウマ娘というのは派手で見栄えこそするが、特に考え無くそれで勝つというのは非常に難しい。もちろん、有名なウマ娘の中には逃げウマ娘が何人もいるが、身もふたもないことを言うとそれはただその本人が特別に強いだけだ。スズカ先輩やマルゼン先輩や狂気の逃げウマ娘や……。
並外れたスタミナと恐ろしく高い身体能力。世代の中でも一つ以上抜きん出ているから、結果的に逃げが有効になっていると言えるだろう。
パーマー先輩はそうじゃない……というわけじゃない。ただ、現時点で高い能力こそ持ち合わせていても、メイクデビューやその後のレース結果を見る限り、「まだ」マルゼン先輩たちほど傑出しているわけではない。
出自とデータ、それからぼくの知る限りの情報から考えるにパーマー先輩は晩成型。かつレース内容が本人の調子に大きく左右される
罠にはめるなら調子が下り坂になっていて、成熟しきっていない今こそがチャンス。逃げられるのは苦手だけど、ぼく自身が逃げをするのはむしろ向いている方なんだ。消耗戦だって望むところ。あとは誘いに乗ってくるタイミングだが……。
『序盤ですがレースは縦長の展開です。後方に位置取るのはアカシミツリン、ドリームストラグル、メジロパーマーは最後方にいます』
だが…………………今なんて?
『出遅れでしょうか。これは厳しい展開』
最……後方? 作戦か?
いや、そんなバカな。ここまで逃げで勝ってきてる以上、差しや追い込みのように鋭さが求められる走りは根本的に向いてないはず。
そりゃぼくやゴルシ先輩は差しや追い込みでもじわじわ上がっていく「鋭くない」タイプだけど、脚質煽りとか脚質ゴルシとか言われるくらいセオリーから外れたことができる土壌があることが大前提のはず……。
『先頭のサバンナストライプ尻尾が緩やかに回って一人旅』
『手回し充電器ですかね?』
『余計にスタミナを消耗してしまいそうですが――向こう正面、大きな動きはありません』
――それにしてもびっくりするほど誰も乗ってこない。
どうしよう。思ってたんと違う。確かに、セーフティリードを取って最後まで追いつけない状態に持ち込んで逃げ勝つ、というのは逃げの勝ちパターンのひとつだけど、計画してた展開とまるで変わって、しかも意図せず優位に立つことになってるのにえらい不安を覚えてしまう。このままでいいのかぼくは!
揺さぶられるという意味でならぼくは今まで走ってきたどのレースでも経験したことないようなレベルで動揺しているぞ!
(――それよりも、ここで坂!)
余計な思考を打ち切る。
京都レース場の最大の特徴は、コーナーで待ち受ける急坂だ。
内コースで高低差最大3.1メートル、外コースでは最大4.3m……特に長距離コースにおいては二度これを上り下りしなければならないため、淀の坂と呼んで恐れられている。
内外ともに3コーナーの出口に急な下り坂がある。勢いがつけられるから仕掛けどころではあるのだけど、同時にその角度ゆえに非常に怪我をしやすい。負担を避けてレースを安全に進めるためにも「慎重に登り、慎重に降りる」ことがセオリーとされている。近年では下りで勢いをつけてそのままゴールになだれ込む手法が確立されたりとそのセオリーも見直されてきてるけど……よっぽどのことが無い限りは、やはり常道が安全だ。ほかの人もそうするだろうし差が縮まることはまず無い。今回もそうするようトレーナーさんたちから指示を受けているので、速度を少し落として登りに入る。
(……流石にそろそろ警戒するどころじゃなくなるはず)
レースもそろそろ後半戦だ。意図せず余裕を持ってレースができているとはいえ、後方待機勢はそろそろ進出を開始してくるはず。
鋭く切り込めば差し切られることは十分ありうるし、何よりここは重賞の舞台だ。深読みしすぎて萎縮したままでは終われない、と考えるだろう。
ぼく自身だってそうだ。このまま勝つにしろ負けるにしろ、こんな不完全燃焼のままでは終われない。
仕掛けどころは――坂を降り切った、ここ!
『さあ後続も続々と4コーナーへ、ここで先頭サバンナストライプが加速! このまま逃げ切ってしまうか!?』
さあ、正直そこはどうだろう……と思う。
加速はした。しかしそれは下り坂に入って減速した直後の落差のせいで急加速したように見えるだけで、本質的に速度はそれほど変わってない。
だからもう後ろの方から足音が聞こえてくるし、痛いくらいに視線が突き刺さって背筋に軽く寒気を感じている。
(最終直線……来た!)
ひときわ歓声が大きくなるのを肌で感じ取る。
京都レース場内回りの直線はおよそ328m。短いと言われている中山レース場と比べてもそう大差はない。
しかし、中山とは異なり京都レース場の直線はほぼ完全な平地。坂で余計にスタミナを削られることが無いこともあって、末脚自慢の差しや追い込みといった脚質のウマ娘にとっては絶好の環境だ。ぼくは坂とか欲しい。
『さあ上がってきたぞ2番人気プライムタイム! 後方からはアカシミツリン良い脚だ! 更に続けてドリームストラグル! 先頭は苦しくなってきたか!』
――まさか。
胸中でそう否定し、ぼくは両脚の状態を確かめる。
問題ない。やっぱり2000mだとぼくにとってはやや短い気がする。
「くっ、うああああ!」
ゴール板まであと少し……そこで後ろから栗毛のウマ娘が鋭い差し脚で迫る。
このまま行けばゴール板にかかる直前で差し切られるだろう――
ぼくは、僅かに自分の速度を緩めて相手に前に行かせた。
「っ!!」
そして、ここで最後のひと押しをかける。
差し型のウマ娘は、よほど自分の走りに集中していない限りは一瞬でもトップに立つとソラを使う*1ことが多い。ゴール目前なら尚更だ。
一瞬の緩みを招くために、スピードを落とす。本来なら自殺行為そのものだけど、一瞬の加速でトップスピードに乗せられるぼくにとってはあまり関係無い。地面を蹴りぬくような一瞬のインパクトで再加速し、前傾姿勢になることで体勢有利の状況を作り出す。
「二段階加速!」
客席から驚いたような声が聞こえてきた。観戦に来ていたマックイーンのようだ。
普段野性を縛っている理性もこの時にはもう全力全開を発揮したことで焼ききれていた。手札を見せることになってしまうかも、という懸念は既に頭に無い。
残していた体力全てを解き放つかのように、一気にこの加速に全力を込めて――――。
『ゴォォールッ! わずかに体勢有利か!? ……出ました! 一着は半バ身差でサバンナストライプ! メイクデビューから無傷の3連勝、そして重賞勝利です!』
駆け抜けたその先で、勝利を報せる言葉を聞いた。
片腕を大きく掲げて、緩やかにスピードを落としながらコースを走る。
重賞、初勝利。表情に露骨に出しはしないまでも、その事実に心が躍動して思わず笑みが溢れる。まだまだやれるぞ……なんてのは流石に言いすぎだけど、そのくらい活力が満ちてるのが分かる。
――そんなぼくの表情が凍りついたのは、その直後。ゴール板を超えてから速度を落として膝をつくパーマー先輩の姿と、場内に入ってくる救護員や担架を見た時だった。