今年のファン感謝祭は、去年ほど(ぼく個人は)珍妙なことにはならなかった。
去年出走することになったのが金船障害だったから、その落差のせいでそう感じるというのが一番大きいけれども……それはそれとして、皐月賞に出走することになっている関係上この時期にあまり無茶はさせられないとして、トレーナーさんから参加をできれば控えるよう言われていたのもある。
いずれにしても、今年はそうした裏で色々なことが実践できて充実した日になった。
まず、例のキッチンカーの試用を始めてみた。トレーナーさんやサブトレさんの関係筋を辿って、運転できたり料理ができるひとを雇ってみると、これがまた運転してくれるのみに留まらず、知恵も借りられるので非常にやりやすい。ツテがツテなのでトレセン学園OG*1だったりもして、世間話も弾んだ。この調子ならバイトの時に来てくれるであろうひともすぐに打ち解けられるだろう。
ファン感謝祭と時期を同じくして、桜花賞も開催された。
一番人気はもちろん、阪神ジュベナイルフィリーズの覇者、ハッピーミーク。
彼女は期待に押される形で――果たして期待をプレッシャーと感じていたかどうかはともかくとして――マイルの高速戦を制してティアラの一冠目をもぎ取った。
白毛という特徴や、あれだけの激走を演じたにも関わらず平時からレースの時に至るまでだいたいのーんびりしてる独特な性格も相まって、人気はうなぎのぼり。ぼくもルームメイトとして鼻が高いよ。
――さて。
「いやーついにぼくの方も本番ですねー」
「もっと緊張感持てねェのかお前」
「いや~……でもストライプだなーって感じですよ?」
「こやつはこういうこと言う」
中山レース場の控室。皐月賞が開催されることになるこの日、ぼくにとって初めてのG1ということもあってか、控室にはチームの皆が勢揃いしていた。
なんならレースの一線から身を引いているタキオン先輩(立場的に今は生徒じゃないため私服に白衣)までいる。
…………。
「なぜ私がここにいるのかと言いたげな顔だね」
「ナチュラルに心を読まんでください」
「確かに集団への帰属意識が薄そうという君の言いたいことは分かるが――」
「発言を全部先読みして一方的に話すんじゃねェ」
「――私の研究を進めるのにトゥインクルシリーズのレース、特にG1を観戦することは特に役に立つ。チームのOGという立場はこれ以上ないくらい有用なんだよ」
こりゃG1出る度に来るわ。チーム割引で。
チーム的には悪いことではないんだけどね。アドバイザー的な立ち位置で意見くれるし、かつ医学知識もあるからいざって時に頼れるし。変な薬飲むことになる点を除けば。それをエンジョイできれば悪いところ特に無いな。エンジョイできる人が限られているけど。
「あの、気分が落ち着くハーブティーを淹れてきているんですが……もう落ち着いていらっしゃるんですよね……」
「いやいやありがたく貰うよー」
「ストライプって落ち着いてるように見せて内心グツグツだからねえ」
「……むぅ」
「こいつ図星だと明確に口数少なくなんな」
「Ah……緊張は誰でもするものデスから……」
「おっしゃる通りです。ただ、その情報も、可能ならぼくは表に出したくないんですよね」
「毎日その調子で息苦しくならんか」
「案外慣れますよ」
貰ったハーブティを口に運びながらそう答えた。
翻弄されてくれるのは正直ちょっと楽しいし、そうじゃなくても情報戦というのは積立と同じだ。将来のために早く動けば動くほど後に響く。
スピードという絶対的な資産に欠けるぼくは、早いうちからそうしておかないと後がキツいとも言う。
「仕込みが上手く機能してくれるといいのですが……上手くいく確率のほどは?」
「んぇー。そう言われても人の思考は水物ですから、短ければ3ハロンもあればバレます」
「たったの……」
「逆にうまく行けば」
「行けば?」
「……半分くらい騙しきれれば上出来かな?」
「それでも半年かけて仕込みをして1000mで上出来ですか……」
「そんなもんですよ」
何事に関しても、大舞台というものは「これまでにやってきたこと」の集大成を発揮する場だ。たった一度の本番のために何ヶ月も何年もかけるというのはそう珍しいことでもない。
長いことかけて勉強してテストに臨んでも、実際にテストに向かうのは数十分程度だろう。そんな感じ。
それに、失敗したとして、なにも培ったこと全部が無駄になるわけじゃないし、挑んだことも糧にはなる。
「人生長いんですから、たまには博打もいいもんですよ」
「大博打のつもりで行ってもお前は
「えへっ」
そもそもこの舞台で博打して失敗したとしても、それはそれで別に大した問題じゃない。
ぼくにとっては「やや苦手」の範疇にある2000m。負けたとしてもこれが最後じゃない。まだ「先」はある。
作戦を強く印象付ければ、次にやりあう時にこっちが動きやすくなるわけなのだから、ポジティブにポジティブに考えていこう。
お茶を飲み干したら、ぐっと軽く猫の伸びをする。そろそろパドックに集合する時間だ。
「それじゃぼちぼち行ってきます」
「うむ、行ってこい」
「程々にね~」
「程々じゃねーよガツンとキメてこい!」
「緊張しないでくださいね!」
色とりどりのエールに見送られながら、ぼくはへらへらーっと顔をほころばせながら部屋から出た。
(さて、と……隠しながらかな。震え)
そして、同時に一人になったことで、今まで薄れていた不安が急に胸をついた。
バチバチの大舞台に、数万を超える観客。緊張してない? 虚勢だ、そんなの。
中山レース場の最大収容人数は約18万人。これはキャパだけで言えば、いわゆる「ライブの聖地」と言われる日本武道館のおよそ十二倍だ。東京ドームと比較しても更に三倍以上。流石に客席が全て埋まることはそうそう無いにしても、G1レースとなれば毎回数万人の観客が訪れる。アイドルイベントとしてもスポーツイベントとしてもこれは相当な規模だ。トゥインクルシリーズが世界でも有数のエンタメイベントとして見られているのはこの驚異的な動員数と、それに伴うお金の流れがあるからこそだろう。
「あちら」と違って賭博性も無いのでお客さんの間口も広く、老若男女を問わず高い訴求力がある。だからこの舞台で走ることは、それだけで強い宣伝効果にはなると言えるだろう。
けど。
(……負け方によっては悪評もついて回る)
惨敗を喫すれば、商売にかまけてトレーニングを怠ったとしてバッシングを受けるのは想像に難くない。
中途半端でどっちつかず。レースを侮辱していると取られることだってあるかもしれない。
今日の皐月賞はどう転ぶかを占う第一歩――――。
「――――ふぅ」
ぼくは外套を頭に被った。
ダメだ、ダメだ。気負いすぎてる。耳が熱いのがよく分かる。
結局なるようにしかならないんだ、勝負なんて。それよりもまずは冷静にレースを動かすことを優先しないと。考えないまま走ってもぼくに勝ち目があるとは思えない。
・・・≠・・・
『3枠6番サバンナストライプ、4番人気です』
「とあっ」
流石にG1だけあって、今日の中山レース場はパドックまで大入り満員だった。
当然ではあるけど、外套を脱ぎ去ってから向けられる視線の熱気も数もケタが違う。自信を持って立ってるつもりでも、足がすくみそうだ。
「何か分かるか?」
「いや、全然わからん」
「小さいということは分かる」
「小さいわね……」
「小さい……」
……熱意があるからと言ってしっかり仕上がりが分かるわけではないようだ。
まあその辺、そもそも言うとぼくと日本人とでは筋肉の質がまず違うから、見ただけで分かることは少ないだろう。仕方ない。
『戦績は6戦6勝、まだ無敗ですがここまでG2以上のレースの経験はありません』
『着差が全ての指標ではありませんが、これまでのレースでは1バ身以上離してゴールできたのは一度だけとのことです』
『同じレースで走ったウマ娘からはとにかく並ぶと走りづらいとの声が寄せられている不思議なウマ娘です。本日も尻尾は回転してみせるのか』
ワハハぼくの紹介だけすっげえ珍奇。
いや仕方ないけどね他に言いよう無いだろうし。変な走り方で変な位置取りしてなんかぬるっと勝ってる外国から来たウマ娘とか。知らない人が見たらこれ何かの呪術の介在でも疑うんじゃないだろうか。
まあ前提からして霊的現象がありふれてるけどねこの世界。ぼくに限った話でもなくウマ娘という存在自体がオカルトの塊みたいなものだし。マーベラス空間を自在にコントロールするマーベラスみたいな子もいるし……。
よし、考えてもしょうがないこと考えるのやめよう。適度に笑顔を振りまいて、手を振りながらパドックから戻る――と、そこで、ぼくは普段……少なくともこのレースで見るはずのない顔を見かけ、足を止めた。出走者名簿は見て知ってたけど、本当に出てるなんて。
「どもです、ファル子先輩」
「あっ、ストライプちゃん。今日はよろしくねっ☆」
「よろしくお願いします……」
思わず、一瞬足元を見てしまった。
今日芝だよね? 中山レース場の芝全部抜いたりしてないよね?
「ファル子先輩、ダートウマ娘ですよね?」
「そうだよ?」
「ジュニアカップ勝ってるのは知ってますけど……」
砂のサイレンススズカとも呼ばれる逃げの鬼、スマートファルコン。
……と、呼ばれるようになるのは先のこと。今の彼女はダート路線の注目ウマ娘という見方が主流で、そこまで大覚醒しているわけではない。
前走のアーリントンカップでは10着、その前の共同通信杯では7着。芝に何度か挑戦しているものの、今はどうにも振るわないというのが実際のところ。これがダートなら、間違いなく今のトゥインクルシリーズにおいて強豪のひとりに数えられると思うのだけど……。
「確かにちょっと難しいけど、絶対に勝てないなんてことは無いよっ。ファンの皆にファル子が『winning the soul』を歌ってるところが見たいって言われたんだもん。ウマドルとして、全力を尽くさなきゃ!」
「……なるほど」
眩しっ。
ここまでまっすぐにファンのことを想ってる姿を見せられると、自分のやってることがなんとも卑小に思えてきてしまう。精神攻撃か何かか。
勿論本人にその気は全く無いんだろうけど。
「ぼくも負ける気はありませんよ」
「もっちろん! お互い頑張ろうね!」
「はい!」
ともかく、ここからだ。
笑顔を維持したままにファル子先輩を見送り、ぼく自身はコースへ向かう。
レースまであと少し――心臓が強く脈打つのが、自分でもよくわかった。
○スマートファルコンの出走について
ダート路線における関係者が少ないため、大筋は1990年クラシックの流れをなぞっておりますが他年代のウマ娘も多少混ざっております。