基本的に、レースの規模の大小にかかわらず、勝利ウマ娘は観客の声援に応える形でコースを再度一周するウイニングランを行うのが慣例だ。
これはクールダウンとファンサービスを兼ねているため、通常、これを終えずに次のレースに移ることは無い。のだけど……。
「アイネス、遅くない?」
「……ですね?」
アイネス先輩のそれは、クールダウンであるにしても明らかに遅かった。
ぼくのせいだろうか。いや、まあ、あんな勝負を挑んだぼくの責任割合もいくらかあるのは否定できないけど、それにしたって動きが良くない。
「ライアン先輩」
「ん? んー、そうだね」
目配せすると、こちらの意図をおおよそ察してくれたらしいライアン先輩が頷いて返してくれた。
他の出走者の皆にも、もしかしたら怪我をしているかも、ということを簡潔に伝えて、動きやすくなるように協力してもらうことにする。
そうと決まれば話は早い。ぼくはコースへ、ライアン先輩たちは客席の方へ……熱気が冷めやらぬ空気の中に飛び込んでいく。
何事かと会場が本格的にざわつくよりも前に終わらせないと。
「ひゃっ、なになに!?」
アイネス先輩を追走していくと、そう時間もかからず追いついた。ぼくは今にも崩れ落ちそうなほど震えてる足の間に頭を突っ込むと、そのまま肩車の姿勢になって体を持ち上げた。
「なんなの~!?」
「せーの! ア・イ・ネス!」
「「「ア・イ・ネス! ア・イ・ネス!」」」
ライアン先輩の号令に併せて、トレセン学園生が率先してコールを送る。それに触発された観客もまたコールを送り、やがて場内には満員の観客が送るアイネスコールが響き渡った。
アイネス先輩はというと、多少困惑はしながらも、応援に押されるようにして大きく手を振ってそれに応じた。
……一方のぼくはと言えば、発起人として表面的にはおどけて見せているものの、その実ぼくより圧倒的に体格で勝るアイネス先輩を肩車するために必死でバランスを取りながらコースを駆け回ることになっていた。
で、そんなこんなで一周。ウイニングランも終わらせて歓声に見送られたその後で、ぼくらはそのまま別の場所へと向かうことになった。
医務室だ。
「――脚の熱感が強いね。折れてはいないだろうけど、しばらく安静にするように。ウイニングライブでは、できるだけ動かない振り付けを考えたほうがいい」
で、診断はこのようなものだった。
逃げるにしても、無理をしすぎ。領域に入って軽くハイになったせいで脳内物質が吹き出し、一時的に痛みを忘れさせているようだけど、腱も傷めているとのこと。
脚が折れなかったのは不幸中の幸いというところか……。
「それにしたって、ここまでおおごとにしなくってもよかったのに」
「もしものことがあったらと思うと、ついいても立ってもいられなくて」
「わが社は社員の福利厚生を万全に、がモットーなので」
「明らかに何やら毛色が違うことを言い出したの……」
「あはは、多分照れ隠しだよ」
「そういうこと言わなくていいんですよ」
……なんか恥ずかしいし、キャラじゃないし。
さて。控室に戻ってみると、なんというか表現のし辛い生温~い視線に迎えられることとなった。
主に視線を向けてきてるひとはシャカール先輩とスカイ先輩だ。
「お疲れ~。まま、座って座って」
「2着とはいえレコードタイムだ。今までのデータ以上の能力を出してンだから負荷も相当だろ。違和感があったらすぐ言え」
「ヤダふたりが優しすぎて怖い」
気を遣ってるのがありありと感じ取れる。
言ってることは正しいんだけど、それよりも違和感の方がはるかに強く出てしまってる……。
「ハッ、そこで憎まれ口叩けるなら大したことなさそうだな」
「――とは限らないよ?」
「? いきなり何してるんですかタキオン先ぱいたたたたた!!」
座ってみたところで足を取られたかと思うと、そのまま少し動かされただけで脚に相当な痛みが走った!
ぐわあああああ痛い痛い! 冗談じゃなく痛い! い、いくらなんでも折れてたら流石に走ってる途中で分かるはずだけど……。
「た、タキオン先輩! これはいったい!?」
「冷静になって脳内物質の働きが落ち着いたせいだよ」
こんな話さっきもしたぞ!?
「現在のデータからうかがえる限界を、レース本番で踏み越える、というのはそういうことだよ。昨日できなかったことが今日突然できるようになる、なんて道理は無いだろう?」
「アツくなってリミッター外れたってことか」
「限界、というものが設けられている一つの理由だね。くくっ」
「……しかし、リミッターが外れたのになぜ筋や腱を傷めた、程度で済んでいるのでしょう?」
「わかりません」
確かに、自分の体を守るためにリミッターというものは設けられている。限界を超える力を出した結果、骨が折れたり筋肉が断裂したりというのも聞く話だ。
ただ、昔からぼくはやたら頑丈で、怪我や病気ともあまり縁がなかった。
これは予感だけど、牛くらいの質量の物体に撥ね飛ばされても無事で済む気すらしている。多分気のせいだろうが。
「……ともかく、今日は惜しかったがやりようによってはもう1km以上速度が底上げできる余地があると分かったのは収穫だろう」
「感覚を忘れないうちに定着させましょうね」
「うーい」
この夏は例年以上に大変になりそうだ。
……商売の件含めて。
「次走についてはどうする? 菊花賞に直行するか?」
「んー……そうですねー……」
菊花賞はそこまでに行われるレースの中では最長の3000m。当然ながら適性が合わずに見送る、という有力ウマ娘も多い。そのため、繰り上げで出走できる人が増えて、それまで頭角を現していなかった意外なウマ娘が出走して活躍する、というケースも見受けられる。
流石に皐月賞一着、ダービー二着という成績で出走できないということは無いだろうから、直行でも問題はないけど……ここまで月一でレースに出てたから、いきなり間隔を開けると勘が鈍る可能性も捨てきれない。
「どこかで一度走っておきたい気持ちはありますけど」
「となれば、定石なら神戸新聞杯だろうが……」
どうせお前はそういうことはせんだろう、とトレーナーさんは片眉を上げた。
ぼくはそれに応じるように、にんまりと笑顔を作って見せた。
・・・≠・・・
後日、検査の結果ぼくに下された診断は腸脛靭帯炎――いわゆるランナー膝だった。
ぶっちゃけ軽度も軽度。1~2週間運動制限すれば完治するくらいで、なんなら来月の宝塚記念に出ても問題なく走れるくらいだ。出ないけど。
そもそも宝塚記念をクラシック期に勝ったウマ娘はひとりもいない*1。近年はクラシック級での出走自体もほぼ無い。宝塚記念に出られるほど人気を集めているならダービーにも当然出られるはずだし、距離も2200mと2400mでほぼ同じ。 賞金額もダービーの方が上回っているから、宝塚記念に向けて調整する理由がなおのこと無い。ローテーションが過密なおかげで怪我をする可能性も高くなるし……。
極めて稀にクラシック級で安田記念に勝つ例もある*2けど……いや本当にどうなっているんだろう……。
問題は、アイネス先輩の方だ。診断は――屈腱炎。数々の名ウマ娘を引退に追いやった、ランナーにとっての癌とも呼ばれる難病だ。根治したという例もあまり聞かない。
屈腱炎は治りにくく、それでいて再発しやすいという最悪の特徴がある。腱が元の状態に戻ることも稀だ。数ヶ月、時には一年以上をかけて根気強く治療していく必要がある。その間に本格化の期間が終わってしまうならいっそ……と思ってしまうのも、ある意味では仕方がないかもしれない。
もちろん、日常生活を送ることに支障はないだろうけど……正直、ぼくが不安視してるのは、もしかしてぼくのせいなんじゃないかとか、アイネス先輩が引退するかもしれないという点ではなく――いやそっちももちろんあるけど――この一連の話を耳にしたタキオン先輩が「だが今は違う!」と言い残してダッシュでアイネス先輩のもとに向かってしまった点だ。
何をするつもりなのか予想もできないが、何かしでかすつもりなのは想像に難くない。
あと既に引退してる身なのにぼくより速くて普通に凹む。
……ともかく、現状はなるようにしかならない。まずは自分のことからだ。
「めっちゃ人来るやん」
昼休みのカフェテリア。ぼくはクラスメイト3人と、来年ダービーに挑む身として感想なんかを聞きに来たテイオーを交えて食卓を囲んでいた。
今でこそ流れも落ち着いているけど、ぼくはちょっと前まで教室で友人知人問わずなんか大勢のひとに囲まれるハメになっていた。
主にダービーでの激走のせいだ。聞くところによると、レコードタイムでゴールしたこともあって、皐月賞の一件はフロックではないと知られたせいもあるとかなんとか。
「そりゃ来るでしょ」
「来るよねぇ」
「正確には『来ていた』ですが。レコードタイムでのダービー2着となれば話を聞きに来る方が多くて当然かと」
「やっぱりそう思う?」
「はい。特にストライプさんの場合は話を聞きたいという方が多いでしょう」
「あんまり参考になんないと思うけどねー」
「テイオーはそうかもしんないけどさぁ?」
「他の人もそうだと思うよ」
ぶっちゃけぼくの走りなんて見習っちゃいけない。というか他のウマ娘じゃ見習ってもどうにもこうにもならない。だって組み立てた戦術も戦法も全部ぼくの体質や能力に合わせて調整しているんだから。
ハイ、じゃあここから急減速してここで急加速、ここから時速60kmオーバーで走り続けてゴールイン。なんて無茶なことをしたら普通に脚が折れる。
「ぼくのやり方真似たって変な癖つくだけだよ」
「それでも、能力的に劣ると評されているウマ娘にとって、あなたの出した結果は希望を抱くに足るものだと思います」
「作戦練って一芸に特化すればG1でも勝てるかも! って雰囲気はちょっとできてきたかもねー」
「ねね、ネイチャ、その『一芸』レベル高すぎない?」
「1000mずっとスパートかけっぱなしができるくらいかぁ」
「無理だわ」
こいつぁどうにもならないわ~、なんて言ってネイチャはお手上げのポーズをしているけど、多分その気になれば差し切る算段はつけられると思う。ちょっと自信が足りないから踏み込みきれないだけで。
「で、次は菊花賞だけど、どう?」
「菊花賞は次じゃないんだ。次の次」
「あ、次走別? えーっとストライプだから……」
「分かった! ハイ! 札幌記念!」
「あー……」
札幌記念。札幌レース場で行われる芝2000m……その賞金額や毎年の出走者の顔ぶれの豪華さで、スーパーG2とも称される競走だ。
札幌レース場は、日本では数少ない、芝コースに洋芝を用いているレース場でもある。このため、海外挑戦を行う際の前哨戦として札幌記念が選択されることが多い。
ぼくの適性を考えると、それも悪くない選択なのは間違いない。来年はそうしよう。
「いやこの雰囲気は違うっぽいね」
「ふっふっふ、ここはワガハイが当ててしんぜよう! ズバリ、ここはあえての宝塚記念!」
「それは無い」
「うぐぅ」
色々理由はあるけど宝塚記念は論外である。
「となると、夏に一戦を?」
「短距離多めでストライプに向いてなくない?」
「ひとつドンピシャのがあるじゃん」
「あったっけ?」
距離的に問題なく、それでいて時期的にもあまり制約が多くなくそれでいてダービーから十分に休養が取れるレース。
夏と言えばサマースプリントシリーズなところはあるけど、それ以外にも目玉イベントがひとつ確実に訪れる。
「――――ジャパンダートダービーだよ」
ネイチャが箸を取り落とし、テイオーが悲鳴を上げかけ、タンホイザがひっくり返り、イクノのメガネが光った。