サバンナストライプ、ジャパンダートダービーに参戦か!?
出走登録を行った翌日から、校内外はこの話題でもちきりだった。
皐月賞ウマ娘が突然ジャパンダートダービーに参戦。これだけで普通の人は何を言っているのか分からなくて混乱することだろう。
元から適性について隠しているつもりは無いし、チームメイトは知っている。一年の頃から親しい友達にもダートが得意なことは最初から明かしているけど、そこまで親しいわけではないひとだとダートも走れることに気付いていないはずだ。ここまで芝コースでしか走ってないから気付ける余地が無いし。
さて、ぼくの話に紛れてしまった形になるが、他方でスナイパー=サンは海外を転戦することを表明した。夏にフランスのジャック・ル・マロワ賞。秋にイタリア、ローマ賞。冬に香港の香港ヴァーズ……
転戦に次ぐ転戦で明らかにおかしなことをしている。これを本人に聞いてみたところ、「ニンジャは神出鬼没なものなのだ」という回答が得られた。ただ正直、出走登録してる時点で公に存在は知らされてるのだから神出鬼没にはなり得ないのではないだろうか。ぼくは訝しんだ。
ともかくそんなわけで、スナイパー=サンはまず単身フランス遠征に向かった。トレーナーさんは日本に残っているが、レースが近くなるとあちらに向かう予定だ。
さて、ともあれダービーからジャパンダートダービーへは、これまでと同様ほぼ一ヶ月半程度の間隔を開けたローテーションになる。
6月の間は取り立てて誰かがレースに出走するということは無い。そういうわけで、ぼくの負傷(軽傷)のための休養期間も設けないといけないこともあって、しばらくは――トレーニング漬けの日々だった。
「ぼくもうちょっと心穏やかにしてられると思ったんですけど」
「今からまたG1*1に出ようかって子が悠長にしていられると思っているんですか? ペースが落ちていますよ!」
「ひーん」
「というか余裕だねぇ」
「普通に走りながら喋ってますね……」
今日の主要トレーニングはペース走。と言っても、ウマ娘として相応の負荷をかけるための長距離トレーニングだ。おおむね30kmほどを一定のペースで走り続ける。
限界を超えて先のダービーと同じだけの速度を出す……あるいは出し続けるためには、なんとかして筋肉の損傷を抑える必要がある。筋肉に耐性を作る方法のひとつが、ペース走で負荷をかけ続けて一度断裂させ、超回復でより強い筋肉を作ることだ。そのため、ペースもそれ相応……以上のものが求められる。
なにせこれまで以上の速度を出せると自ら実証してしまったわけで、当然ながら求められるトレーニング強度もこれまで以上だ。
いやぁ、キツい。走る最中に喋るわ一見すると余裕っぽいわで絶対コレ言うほどに感じてもらえないけど。本当に限界なんです。信じてください。
真面目な話すると筋肉の限界と心肺の限界はまた別物なんです。
前者はその場でぶっ倒れるやつで、後者は息が絶え絶えになって喋れなくなるやつ。
結果、ぼくはペース走が終わったらぶっ倒れて動けなくなっていた。
「これで勝ったと思うなよ……」
「いつ勝ち負けの問題になったの?」
「ウマ娘はいつでも勝つか負けるかのシーソーゲーム……!」
「何アホなこと言ってるんですかアナタ」
ふざけて気を紛らわせているだけだ。
ここまで満身創痍になっても恐らく十数分もあれば十分回復するので、その間の暇を持て余しているとも言う。
その後はしばらくスカイ先輩とフラワーの基礎トレ風景を見守ることになった。
そして案の定、15分もすれば体力はおおよそ全快した。
「復活早っ」
「これって体力だけの問題なのでしょうか……?」
「相変わらずの様子で安心しますね。ストライプ、走れますか?」
「ハハハいきなりここで走らせますか」
相変わらずの絶妙なところを突いてくるスパルタっぷりだ。実際、できないとは言わないけど。
「そろそろフラワーも実戦的なトレーニングに移ろうと思います。手伝っていただきたいのですが」
「いいですけど、スカイ先輩の方が適任では?」
「スカイではどうしても手加減してしまいますので」
「えぇ~?」
加減は……まあ。しちゃうだろうなぁ。無意識的にでも。
あと、実戦的にと言うなら、サブトレさんの思惑は多分……駆け引きを学んでほしいってところかな?
スカイ先輩は逃げが得意でどうしてもそっちに偏重しちゃってるし、そこへ行くとある程度どんな脚質も演じられるこちらの方が適任か。
「ご要望は?」
「思い切り走り辛くしてあげてください」
「了解でーす」
アップを終えたらしいフラワーの隣に立つと、軽く頭を下げてくれた。うーん……ぼくこの子を今から思いっきり沈めないといけないんだよなぁ。
……まあ、いずれレース中にやられるか今経験しとくかの違いでしかないしトレーニングでやっとくに越したことも無いか。
「はーい、じゃあ、位置についてー」
「ほーい」
「はい!」
「スタート!」
トレーニングなので今はゲートを使用しない。サブトレさんのホイッスルに合わせて、ふたり一斉にスタートした。
本来スタートは……加速だけならこっちの方が早いけど、トレーニングなのでまずはフラワーに先に行ってもらう。これは主に先行が脚質として合っているだろうとトレーナーさんに判断されたのもあってのことだ。
走り辛くするならまずは……そうだなぁ。
「おっ、後ろについた」
「あの子の常套手段ですね」
「んー」
状況的には、ぼくがわずかに斜め後ろに立つ形になっている。いつものポジショニングだ。
普段はもうちょっと遠目に位置を取るんだけど……実戦を想定して走り辛くすることが趣旨となれば、もうちょっと近づいておいて……。
「っ……」
うん、やっぱり走り辛そうにしてるしてる。
フラワーは現状、トレーニングにおいてはあまり大きな負担をかけないように、また、怪我をしないように細心の注意を払っている。そのため、並走でも万が一にも接触したりしないようにある程度――各メンバーが自発的にという形だけど――距離を保って危険が無いように調整している。
そのため、こうやってレース中に間近に迫られるということに慣れておらず、ついぶつかってしまわないかと萎縮してしまう。
身長が近く、人数もいないせいでどうしても実際のレースでの威圧感と同じようにはならないけど……まあ、多少は感じ取ってくれるかな。
「ほい」
「うっ……」
そこで脚を軽く前に差し込んで見せてみると、少なからず速度が上がるのを感じ取れた。
まあかかるよね。経験したことの無い事態だもの。どこから抜きに来るか分からないっていうのは結構なストレスだろうし、単純に他人の足先が自分の視界に入ってきたら一瞬なりとも危険を感じてしまうはずだ。だから前に出てしまう。
この調子でやっていくと、まあ当然ながら……。
「はぁっ、はぁっ、ううっ……!」
「こうなっちゃうんだよなぁ」
1000mを走り終える頃にはもうフラワーは満身創痍だった。
今回は勝ちを狙わず本気で妨害に注力していた分、スプリンター寄りのマイラーだからというだけではないレベルで明らかに体力の消耗が激しい。
「セイちゃんいきなりハードル高すぎると思うんですよアレは」
「スプリントでもマイルでも駆け引きが無いわけじゃないんですから、まずは強い相手で慣れさせた方が後で楽ですよ」
「だからって釣り初心者にいきなり本マグロ釣らせるひといないでしょ」
「しかしあの子は戦術よりも戦略の組み立ての方が上手くこの環境では実力の半分も」
「サブトレさん結構な頻度でズレてますよね」
「ね」
「ええっ」
ぼくが言うのもなんだけど、普通のひとはタキオン先輩の実験に嬉々として付き合ったりしないんですよ。ぼくが言うのもなんだけど。
あとズレてるというか割と人の心がない。何事にかけても設定するハードルがやたら高い。応じられる程度に抑えられてるけど、多分想定はもっと上だと思う。ぼくが限界超えた時、心配もしてたけど何やら満足そうにこっそりニヤッとしてたし。なんていうか人は限界を超えられる! って根拠なく信じ込んでそうな感じ。悪いことと言い切れるわけじゃないんだけど。
・・・≠・・・
「ふぃー」
激しめのトレーニングも終わり、お風呂に入って一息つき始めた頃。ぼくは部屋でここ最近の収益の勘定をしていた。
人件費の増加は想定した範囲で収まり、基本的には黒字。贅沢を言うともっと欲しかったけどまあいいとしておこう。そこんとこ追求し始めるとどうしようもない。
皐月賞一着、ダービー二着。このネームバリューは今のところ有効に働いているらしく、5、6月における収益の伸びは極めて良好だ。
もっとも、前の月と同じだけの伸び率を期待することは難しい。基本的にこういうのはどこかで頭打ちになるし、そもそも維持するということ自体が非常に難しい。時に前月比のみを見て業績を判断してしまう人もいるが、そこのところを考慮しないと数字に騙されかねない。というか割と騙されてる人多い。確かに伸び率は大事な数字だけど、見るならまず業績だけを見ないと。
ともかく、賞金も入ったことだしここからは一時的な赤字を覚悟してでも設備投資をしていって……ムフフのフ。
「顔つきが違う……」
「えぇ?」
そんな折、ふとした拍子にミークが雑誌の……ダービー特集だろうか? そちらに映っているレース中らしきぼくの顔と今の表情を比較しているようだ。
そりゃあ、まあ……違うだろうね多少は。どっちも真剣と言えば真剣だけど、運動中とそうじゃない時という違いがあるし。
「そんなに?」
「今はじゃあく」
「邪悪」
…………金勘定をしてる時は確かにそんな雰囲気が漏れててもおかしくないかもしれない。
いや、でも、顔くらい緩むよね多少。大金見たら。緩むよね?
「言うほど……?」
「と言うより……しまりが無い……?」
フラッシュ先輩情報によるとファル子先輩は部屋にいる時油断して口元ゆるゆるになってるという話だけど、そんな感じになってしまってるんだろうか。
だとしても気が緩んだ結果邪悪な表情になってるって何なんだ。本質が邪悪だとでも言うのか。あんまり否定出来ないかもしれない。軽く凹む。
「えぇ……」
「あんまり気にしなくても……いいと思う……」
「えぇ……?」
いや気にはするよ……。
それにしてもミーク、ダービー特集を熱心に見てるな。何か思うところでもあったりするんだろうか。
路線が違えば通常、それぞれの路線のレースに注力することになる。同日ではないのだから、やろうと思えばオークス出てダービーも出る……なんてことも日程的に可能であるけど、体力、肉体、精神……どれを取っても現実的ではない。オグリ先輩じゃないんだから。
あのひとでさえ結局マイルチャンピオンシップの翌週に出たジャパンカップでは2着に甘んじ……あのローテで何で2着取れてるんだ……?
いや、そこは気にしないでおこう。オグリキャップだから仕方ない。それでいいんだ。
ともかく、路線を定めはしたけど、ローテーションが許すならダービーにも出たかった……と考えるひとがいるとしてもおかしくはない。
「さっきから見てるのダービーの特集? どうしたの?」
「…………」
ミークはこちらをぼんやり見つめながら、何やら言葉にしかけて……すぐにやめた。
時々こういうことがある。最近は頻度も増えただろうか。そろそろ付き合いも二年を超えるし、何か言いたいことがあるなら汲み取ってあげたいんだけど……うーん?
「トレーナーに相談する……」
「何を?」
「レース」
「んー」
なるほど、レースの話か。学年は違ってもトゥインクルシリーズを走る上では同期にあたるわけだし、その辺を相談するにできなかったってところかな。
確かにこればっかりはぼくから何かアドバイスしたりするわけにはいかない。言葉を濁してもしょうがないだろう。
それに桐生院トレーナーなら、相談の上で納得のいく答えを導き出せるはずだ。ぼくは頷いて自分の方の思索に戻った。
――そして後日。唐突にジャパンダートダービーにハッピーミーク参戦が報じられた。
ぼくは思わず声を上げて驚きをあらわにした。