夏合宿を終えて9月。
初週のレースのマックイーンは2着だった。
どうすんねんこれ。
――と、現状を嘆くのは後回し。重要なのはここからのことだ。正直都合4、5分ほどマックイーンの周りでテイオーと一緒に踊って煽り散らしてやろうかと一瞬思ったが、流石に人の心が無さすぎるのでやめておいた。
で。流石に菊花賞に出られるかどうかすら危うくなるとなると、基本的に放任主義なチームスピカのトレーナーさんも重い腰を上げる。
ぼくもそれと合わせてレース映像を確認したりしたのだけど、その結果判明したのは、どうやら敗因は糖分不足であるということだった。
なんで? と割とガチめにテイオーが困惑していたが、まあ、納得と言えば納得の理由ではある。糖質というのは体を動かすエネルギーであると同時に、脳にとっての燃料だ。平均時速60kmで走ることのできるウマ娘にとってみれば糖分不足というのは文字通りの死活問題だ。下手すると死ぬ。その上時速60km以上で動き続ける視界の情報を常に処理し続けなければいけないし、レース中は一瞬一瞬の判断が求められるので余計に脳は糖分を欲する。
マックイーンが太りやすいというのは、裏を返せばそれだけ栄養を取り込みやすいということと、同時に「それだけの栄養を必要としている」ということでもある。長距離を走る上でこの体質は良い面と悪い面の両方が混在しているが……ともかく、1勝クラスや2勝クラス、それも中距離以下の距離だとまず絞る必要があるため、この体質は有利に働きづらい。結果、絞るために糖質を制限してしまい、脳に行く分の栄養を摂りきれないということになってしまっている。
……要するに、マックイーンは糖分不足で集中力を欠いているということだ。
これは一般人がダイエットをする時にもありがちな話だ。無理な糖質制限をしすぎて集中力が散漫になったり、思考力が落ちたり、イライラしやすくなったり……いずれにしても、これはマックイーンがしっかり節制できている
というわけで、栄養管理だ。
と言っても、切羽詰まっている今、次走までの間隔が無いのでまずはブドウ糖を直に補給してもらった。
1着で帰ってきた。
どんだけ糖分足りてなかったんだよと声には出さずにツッコんだけど、多分一番困惑していたのはマックイーン自身だったと思う。今回は応急処置的にシャカール先輩のラムネ貰ってきただけなのに。オマケにマイル戦なのに。
で、それからまさかの連闘。一週間の間ちょっと糖分を調整したメニューで過ごしてもらった上ですぐ翌週の2勝クラスに出走すると、こちらでも1着。得意の中距離以上ということもあって今度は1バ身以上離した快勝だ。
「マックイーンってもしかしてメチャクチャ難しい体質?」
「んだね」
レース明けの平日。カフェテリアに情報のすり合わせにやってきたのはぼくとテイオー、それからマックイーン本人だ。
とりあえず、ぼくらとしてはそう結論付けざるを得なかった。
マックイーンは糖質を脂肪に変換しやすい。それでいてちゃんと走るためには糖分が不可欠。
そのことを理解した当の本人はと言うと、机に突っ伏してうなだれていた。レースのためにと思ってやっていたことが裏目裏目に出ていたというのは、やっぱりショックだろう。
「ストライプの方は全然太ったーとか痩せたーとかって言わないよね」
「ぼく、逆に糖質ほとんどエネルギーに変換しちゃう体質だから」
「ズルいですわ……ズルいですわ……!」
「体質ばっかりはズルとか言われてもどうしようもないよ……」
あと、ぼくはケニアの方の高糖質メニューに慣らされて腸がそれに適応してるから吸収効率が良いというのもある。
……ちなみにこの、腸を適応させるという方法は一朝一夕でマネできないので、普通の人にはオススメできない。すぐに必要なことなのに数年はかかってしまうと本末転倒だろう。体質が変わる前は体調も悪くなるだろうし。
「で、次の出走は――」
「……来週ですわ」
「ローテギッチギチやん……」
「ボクも菊花賞まで間を開けたほうがいいとは思うけどさぁ……そのためにとはいえやっぱり間隔詰め過ぎだよマックイーン」
「その前に脚壊しそう……だけど全然堪えた様子無いね」
骨膜炎発症してデビューが遅れたウマ娘の脚か? これが……。
「ええ、イクノさんに蹄鉄を選んでいただいてから調子が良くて」
「蹄鉄~? それだけでそんなに変わるもんなの~?」
「厚さや硬度の問題で走り方が多少は変わるから、効果はあると思うよ。普通はそこまで劇的なものじゃないと思うけど」
いや、実例が目の前にあるからな。どうだろう。
もしかすると怪我しやすいテイオーにとって、蹄鉄で改善というのはある種の福音になりうるかもしれない。なるといいんだけど。なるかなぁ。効果には個人差がありますとかそういうオチっぽそうだしなぁ……。
まあ、普通に考えるとそういう方面からのアプローチも維持したまま、医学的な見地からどうするかを考えるのが先決か。
本当にちゃんと医学的な見地から話せるかどうかは別問題として。
次の瞬間には体がピカピカ光ってる可能性も否定できないし。
……さて。
「じゃ、ぼくそろそろ行くね」
「あれ、もう行くの?」
「うん。聖蹄祭の準備と当日学校の外で出すぼくの会社の打ち合わせとクラスの出し物と」
「いくらなんでも多いですわ!?」
「去年よりマシだよ」
「これで!?」
自分でも過労気味なのがわかるくらいだった去年と比べると、人を使うことができるようになった分、段違いに疲労が少ないのがわかる。
それに、問題のクラスの出し物の方は展示物になったからこちらも大した負担じゃなくなった。イクノの強い推しで蹄鉄の歴史とかになっちゃってるけどまあそこは置いといて。
「というわけで色々忙しいんだよね。マックイーンたちも将来人を使うような立場になったら人件費はケチっちゃダメだよ」
「心配の方向性が異次元ですわよ」
「そうは言っても立場的にそういうのはついて回るでしょ、ふたりとも」
マックイーンはメジロ家だし、テイオーも一応旧家のご令嬢だ。本人がそれを望むかどうかによる部分はあるけど、家業に関わるつもりなら避けて通れない問題でもある。
もちろん、一般企業でもこれは同じことが言えるし、人を雇う雇わない以前に何かしらの契約関係が成立するなら、切っても切れない話でもある。
言った張本人であるところのぼくが一番頑張らないといけないんだけどね。むん。
・・・≠・・・
『それで結局聖蹄祭ではお菓子は出さない方針で?』
「出し物とパイの食い合いになっちゃうからね、あとB級グルメ方面も避けたほうが無難かな……焼きそば屋台は去年あったから……」
「あの、トレーナーさん、ストライプさんが走りながら仕事のお話しています」
「あれはあいつがおかしいだけだから絶対に真似をせんように」
午後のトレーニング時間、ぼくはスマホに繋いだハンズフリー機器を使って仕事のミーティングと同時にトレーニングをしていた。
……広義的に見ればこれもマルチタスクの訓練! と強弁して押し切ったのは触れないでおく。
「あの子の発想が異次元なだけで普通はやろうとも思いませんよ、チーフ……」
「俺もストライプがあれでペースを維持できていなければ許可は出しとらん」
「逆に何でストライプさんはペースを維持できているんでしょう?」
「慣れじゃないかな~……アレは」
慣れるほどやってるかと言われると…………自主トレの時は割とやってるな……。
他人の目がある時にしかしないからトレーニング強度を落とさないことには成功してるけど。
いや何か主題がおかしいな。問題はそこじゃない。
「慣れもあるだろうが、あれは膨大なスタミナがあるから成り立っている面も大きい」
「走ってる最中に普通、喋れませんもんねぇ」
「そこに加えて普段からやっている『煽り』――走っている最中でも0.1秒刻みで速さの微調整ができる計算能力と、体に叩き込んだ1000m1分の体内時計が為せる技だ」
「すごい……」
「そう、あいつは頭がキレるすごいウマ娘だ……があの優れた技能をああいう珍妙なことに使っている凄まじいアホだ」
「すごい……」
「ちょっとぉー!! 人聞きの悪い風評ならともかくそこまで行くと単なる罵倒なんですけどー!!」
今フラワーの発言のニュアンスが前半と後半でまるっきり変貌してたんですけど!
先輩としての威厳が!*1
ともかく、ラップ走から戻った後は、クールダウンを兼ねて次のレースの出走予定者のレース動画を漁って対策を練る。その最中、ふとした拍子にサブトレさんがスマホを覗き込みながらひとつ尋ねてきた。
「菊花賞に向けて、調子の方はどうですか?」
「まあ、いつも通りです」
「本当に崩れませんねあなたは」
ある意味その辺の……なかなか調子が崩れないというのはぼくの取り柄と言えるかもしれない。より正確なことを言うと崩れてられるほど余裕がないって感じだけど。
「逆に、サブトレさんはどう見ますか?」
「勝機は十分あるかと思いますが……あなたの走り方が少し気になります」
「え、今更……?」
「ああ、今更煽り運転みたいなあの走り方についてどうこう言うというわけではありませんよ。戦法の問題です」
「って言うと?」
「あなたは……データから伺い知れる相手の限界を無理やり引き出して、疲労困憊にすることが基本戦術ですよね。勝つ時も負ける時もいつもギリギリです」
「まあ、言葉にするならそうですね」
要はいかに疲れさせるかって話だし。
余裕を持たせたら意味ないし、相手に余裕を持たせたまま勝ったのは、結局皐月賞の一回こっきりだ。警戒されるのであれと同じことは一生できない。
「だから、ダービーでは限界を超えてきたアイネスフウジンに敗れ、ジャパンダートダービーでも限界を超えてきたスマートファルコンたちにあと一歩のところまで迫られている」
「……ですね」
「あなたの戦法は相手をとにかく追い詰めることに特化しているため、『限界を超える』ことのできる超一流ウマ娘には……恐らく一歩及びません」
「まあ、そうなります」
めったにいないんだけどね、そんなの普通。
レースの中でも成長している! とか漫画とかじゃよくあるけど……現実は、普段のトレーニングの積み重ねをいかに上手く示すかが本番で問われる。
しかしいわゆる超一流というのは、その『レースの中で成長する』という漫画じみたこともやってのける。
ただ、中距離におけるぼくにはそれしか手がないのも事実。
「顔色一つ変えませんね」
「事実ですし。でも――長距離からなら、使える手札はグンと増える」
では、長距離ならばどうか。
――特に3000mという超ロングディスタンスならば。
「ここからが本当の実力勝負。今までの戦法は全部塗り替えます」
菊花賞まであと数週間。
調子はあいも変わらず好調だ。