クラシックG1最長距離、菊花賞。
トレーナーさん曰く「お前の場合普通にやれば十分勝ち目がある」という話だが、当然それだけでなんとかなるほど甘いレースでもない。
10月終わりの京都レース場。天気は――雨。昼を過ぎて徐々に強くなってきた雨は、重バ場を通り越した不良バ場。コース外から見るだけでも水たまりがあることが分かるほどに荒れたバ場はぼくにとって有利だが、同時にこれはマギレ*1が出やすく、今まで隠れていた才能が芽を出す可能性が高まる。 実は良バ場が苦手で道悪の方が得意でした――とか。そういった意味で未だ油断はできない状況だ。
時間は徐々に近づきつつあるが、流石にコースに出られる人はそう多くない。体を冷やしてしまいかねないからだ。
「まさか中止にはならないよね?」
「台風なら前例がありますけど、そこまで酷いわけじゃないので出走にはなると思いますよ」
凱旋門賞などでも、芝がワカメのようになってしまうほどにふやけてしまう不良バ場になってなお開催された例がある。
そのレースは下位人気が一着を奪うなど荒れたレースで、場合によっては怪我すら懸念されたほど危ないレースだったけど……それでも開催はした。よっぽど、それこそ台風が来ることが確定しているような状況でも無い限りレースが中止になることはないと示す好例――むしろ悪例?――と言えるだろうか。
「それにしても、まるで狙ったかのような大雨ですわね。まさかストライプが雨乞いでもしたわけじゃないでしょうけれど……」
「…………」
「しましたわね?」
「まあちょっと待ってよマックイーン。仮に雨乞いなんてしてたとして科学的に因果関係が証明できるものじゃないでしょ? それにもし天候を変えることができたとして罰則があるわけじゃ」
「したんですのね?」
「はい」
こういうとき、例えばシャカール先輩は理詰めで呪いと刑事罰との関連性から雨乞いとルールの穴、それにまつわる罰則まで絡めて流れるように反論してくるので誤魔化し辛いが、こういう風にずらした論点をまた戻して普通に突いてくるのもまた誤魔化し辛い。
まず論点をズラすなと言われるとその通りすぎて反論すらできなくなるけど。
とりあえず雨乞いをしたのはマジなので周りにいた先輩方に外套を剥がれた。
「うあー」
10月末の大雨の日は、寒い。
「割引券よこせー」
「そろそろ新メニューを出せー」
「さすれば返してやるぞー」
「卑劣なー」
「もしかして皆さん結構余裕がおありですの……?」
「というか余裕を作るために小芝居してる面が」
「ね」
レースに出る上で、確かに緊張感は大事だけどずっと緊張感を維持するのは難しい。しかしそもそもを言うと、そんなに長時間緊張感を維持していてもいたずらに体力を消耗するだけだ。
だから本当に寸前になるまでは、こうやってテキトーに空気を緩ませるくらいの方が結果的にポテンシャルを良く発揮できる……と思う。あくまで個人的な意見だけど。
別にぼくは余裕綽々*2ってわけじゃない。むしろ余裕が無いから必死こいて作戦を組み立ててるくらいだ。
――それに、そもそもこんなことで集中切らすようなひとはG1に出られないだろう。
さて、ともかくそろそろ集合時間だ。雨の強さに皆して軽く辟易しながらゲート前に向かう。観客席は……流石にこの雨だ。普段のG1よりはやや少ない――それでも数万人規模で来場客がいるんだけど――風に見える。
『雨の京都レース場、バ場状態の発表は「不良」となりました』
『パワーを要求されるタフなレースになりそうですね』
『本日の1番人気は1枠1番サバンナストライプ。前走のダートで勝利を上げていることが高評価されたようですね』
「ストライプが1番人気か……逆に不安だなこりゃ」
「ストライプさん、1番人気になったことが無いんですか?」
「だいたい2~4番人気デス」
ひどくない?
同じチームなのに1番人気取ったら不安視されるって……気持ちは分かるけど。周りが全然油断してくれない上に注目すごいから相当やりづらいし。
あとドーナッツ先輩も2番人気以降での勝率の方が高いし、その辺感情移入してる部分もあるのかな。
それはそれとして走者としてのタイプ全然違うから感情移入されても困るんですけど……。
「で、マックイーンは4番人気ね~」
「重賞に出るのが初めてと考えるとこれでも出来すぎなくらいだろうな。追い切り*3でメジロライアンより上のタイムが出てたことが評価基準だろう」
隣の席での人気語りに触発されてか、テイオーたちスピカの方も同じような話を始めた。
確かにここまでパッとしない成績なのは間違いないけど、それでも殆どの場面で2着まではキープしている。何が良くないって実力を出しきれない状況に陥ってるのが一番良くなかった、というのが実情だ。
骨膜炎に糖分不足、慣れない距離…………いやコレ半分は自己管理の問題でもあるな?
うん、まあ、置いとこう。ともかく、いずれにしても菊花賞に向けて調整は万全にしてきているはず。追い切りのタイムが良いことがその証拠だ。
「マックイーンさんと比べて、ストライプさんの追い切りのタイムは伸び悩んでましたけど――」
「あれはどう考えてもストライプの仕掛けてきてる罠っす」
「絶ッッ対意図的にタイム落としてます、あの子」
「でもそれも皆分かってるんでしょうね。一番人気ってことは……本人も、それをわかってないってことは無いと思うわ」
はいスズカ先輩正解。しましまポイント10P。*4
欺瞞工作をしていると読まれることまで織り込み済みです。どこまで意味あるかは分からないけど、それでもやらないよりよっぽど良い。なにせこれまで走ってきた中で最長はダービーの2400。一応レコードタイムは出ているけど、じゃあ3000は? となった時に正確な数値を知られたくない。
「今日のレース、
「どうもこうも始まるまでそれは分からん。データは指標にこそなるが、常に変動し続けとるからな」
「私は頭ひとつふたつ抜けているメジロ家のおふたりと、ストライプがどう出るか――と思っていますが」
「利っさんは明確な答え返してくれてありがたいねぇ」
「――もちろん、そういったデータ面は置いても、サブトレーナーとしてはストライプが勝つと信じています」
ぬあ、小っ恥ずかしいこと言われてる。
いやそりゃ常に勝ちに行くつもりでやるけども、だからってこうもはっきり信頼向けられるとそれはそれで気恥ずかしい。
褒めたと思ったら貶したりして評価を乱高下させてるのに。
褒めたと思ったら貶したりして評価を乱高下させてるのに!
しかし、もう少し客席での話を聞いておきたいところなのだけどそろそろゲートインだ。
まあ、レース中でも話は聞こえるから別にいいか……こういう時ホントこの聴覚便利。
『さあ各ウマ娘ゲートに入りました。2番人気メジロライアン。メジロ家の名に懸けてG1の栄誉を掴み取れるか。3番人気はハルスプリング。G2で好成績を残しています』
『不良バ場での菊花賞、さあ――スタートしました!』
バタバタとゲートの屋根に雨が降る音が響く中、しかしゲートが開くその瞬間を見逃すことだけは絶対にしない。
ぬかるんだ地面に脚を取られないよう思い切り力を込めて、それこそ吹き飛ばすくらいの心持ちで思い切り蹴り込んで――前に出る。
「やっぱりかアイツ!」
『1番サバンナストライプロケットスタート! さあ出場する度見せてくるスタートダッシュですが今日は特に出が早い!』
『足元が悪いですからね。ここまで思い切ったスタートはできません――おや』
『おおっと、2番メジロマックイーンこれに食らいついている!?』
やっぱりか。そうなるよね。胸中で納得しつつも、しかしここまで思い切った手を取ってくるというのが少し驚きだ。
「――やあマックイーン、今日は徹底マーク?」
「ええ、後ろから貴方の走りを見せていただきますわ」
「やあ、プレッシャーだなぁ」
「欠片もそんなこと感じていないでしょうに」
挑発するように笑みを向けると、マックイーンもまた余裕の笑みを返す。足元は最悪の状態だというのに、まるで堪えた様子は無い。
もっとも、それはどちらも同じことが言えるのだけれど。
強く踏み込み、一つギアを上げた。
――長距離とは言えど序盤から既に勝負は始まっている。
これは、正気と体力の削り合いだ。