――最序盤から後ろについて徹底マーク。いきなり仕掛けられたことに、ぼくは内心冷や汗モノだった。
こういうの、ぼくの専売特許だと思うんだけど、やり返されたらやり返されたでちょっと有効な対処法が思い浮かばなくて困る。
なにせ、相手はこちらに勝るとも劣らない脅威のスタミナモンスター。対処法が無い。マジで無い。本当にどうしようもない。
(けど、勝ち筋はある……!)
マックイーンはぼくよりも遥かに最高速に優れる。その一点だけでも十分に優位性があるが、普段の愉快なやり取りとは裏腹にいざレースとなると極めて冷静だし、安易に策にハマってくれない頭の良さも兼ね備える。
対してぼくの取り柄はと言えばスタミナとパワーだが、実を言うとこれはやや過剰な面が目立つ。3000mを走りきってもすぐ回復しかねないほどというのは、やはり以前サブトレさんが言っていたように4000mのカドラン賞などの方がよりぼくに向いているのだろう。最高速に優れたウマ娘の方がより短い距離にもすぐに対応できる分、競技者としては優秀だ。
しかし、特化したパワーとスタミナは、それを必要とするバ場でなら最高のパフォーマンスを発揮する。例えば今日のように、ドロドロの不良バ場――とか。
ぬかるんだ足元は普段と異なり余計にパワーを要し、それに伴ってスタミナも大幅に削られる。3000mという長距離と合わせて、最も有利な状況と言える。
「ストライプの適正距離は本来、3000mよりもまだ上だ」
「モンゴルダービー*1くらいです?」
「やりかねん部分はあるがそこまで極端でもない」
なんすかやりかねないって。
「最適なのはおそらく3600から4000。日本のレースでここまでの長距離を走ることになるのはせいぜいステイヤーズステークスくらいのものだが……これだけの雨となれば、擬似的にとはいえ4000m走るほどの、あるいはそれ以上の体力の消耗になるだろう」
「なあ
「突然アホなことを言い出すんじゃない。雨乞いしただけで変わる程度の天気ならてるてる坊主でも天候を変えられるだろうが!」
い、いや……場合によっては変わるかもしれん……。*2
……友達が何人か、別のタイミングでてるてる坊主作ってたことあるけど、結局晴れにはなってなかったし流石に効果があるわけじゃない……だろう、多分……。
霊魂が実在する世界だけに確証が持てない……!
『さあハナを切ったサバンナストライプ、バ場状態の悪さにも関わらず軽快に進みます。続いてメジロマックイーンマークしている様子。3番手ノーミスロック、ややかかり気味か』
基本的に重バ場以上の荒れ具合の場合、逃げウマ娘の方が有利だと言われている。もちろんこれは一般論で全部が全部そうというわけじゃないんだけど、先行集団についていくにはそれだけパワーもスタミナも消耗するわけなので、脚が残り辛いわけだ。だから正直、3番手の彼女が前に出てきてしまっているのも、もしかするとかかっているんじゃなくて作戦の一環ということもありうる。
対策、という意味では逃げていることそれ自体が差し・追い込みウマ娘への対策となりうる。悪いけど――――。
『序盤ですがこの雨の中とは思えないほどのハイペース! 先頭集団はスタミナがもつのか!? あ、いや、これは……』
「あなた、まさか……!」
序盤も序盤に――
「お――」
「大逃げ……!」
「スズカさん! 身を乗り出さないでください!」
体感、時速60km前後というところだろうか。雨の中なのでもう少し速度は落ちてしまうだろうし、坂で減速することになるのは流石にどうしようもないけど、逆に言えばそれ以外でスピードが落ちる要因はほぼ無い。
数少ない、ぼくが速度で勝ることができる一要素。それが、最高速を維持する能力だ。他のウマ娘なら最高時速70kmオーバーの速度を出せるだろうが、その速度は何十秒と続けられるわけじゃない。最高時速63km――限界を超えればもう1km速くなる――であっても、それを1000mの間続けられれば単純計算で57秒と少しで走破できる*3 ――、とっ!
「マークを外すにしてもあんな強引に……」
「坂の状態が悪い。今日は別の意味で『ゆっくり登りゆっくり降る』必要があるかもしれんな……」
いけない、やっぱり滑るな下り坂は。危うくスライディングしかけた。
京都レース場の坂は一般的に、「ゆっくり登る」、「ゆっくり降りる」ことがセオリーとされている。これは、それだけ高低差の大きな坂なので怪我をしやすいことと、迂闊な入り方をするとそれだけ大幅に体力がもっていかれるせいだ。
加えてここに新たにもう一つ理由が加わった*4。雨が降ると、坂の角度のせいでどちゃくそ滑りやすいのだ。
「ていうか、理屈は分かるけど、本気でストライプはそんなことする気なの!?」
「あ、でも――」
「んにゃ?」
「セイちゃんと同じチームだから、どうするかは……」
確かに、去年のスカイ先輩の走りは、幻惑逃げの例として非常にわかりやすいものだ。必要ならマネをすることも考えられたし実際皐月賞ではぼくも幻惑逃げをしたが、今回わざわざ惑わす気は無い。重要なのは二点。菊花賞参加者が去年のスカイ先輩の走りを知っていることと、今年のぼくの走りを知っていることだ。
ぼくは長い時間をかけて皐月賞までの仕込みをして、やや異質な方向性の幻惑逃げを成功させた。おかげで「あいつはレースのたびに何かしでかす」という評価が固まり、ここまでの結果もあって皆がぼくのことを警戒してくれている。
だから、スペ先輩のように、スカイ先輩と同じ手を取る可能性を否定できない。流石にそんなことはしない――「かもしれない」。そう思わせておいてやる――「かもしれない」。可能性を提示するだけで対策をしないわけにはいかなくなる。
――この瞬間こそ、正攻法が最も効果を発揮するタイミングだ。
皐月賞のためにそれまでのレースを全て囮にしたというのと同じで、菊花賞のためにぼくはこれまでの全てのレースを囮にした。
奇をてらう必要はない。今この場でやるべきことは、最短最速で駆け抜けることだけだ!
「くうっ……!」
『先頭サバンナストライプどんどん上がっていく! まもなく1000mを通過!』
スピードを上げていくと共にマックイーンたちの位置がわずかに下がっていくのを感じる。まだレースは中盤戦に差し掛かったばかり、となれば当然だ。どれだけマックイーンがスタミナで優れていようと、同じだけの速度とバ場を踏みしめるパワーを維持し続けるのは極めて困難なはずだ。脚を溜めておくという判断はむしろ必須だろう。
『まず一周目を越えて1コーナー。かなりのハイペース。後方まで縦長の展開です。これはいかがでしょう?』
『長距離での大逃げです。そう長く続くものではない、というのが普通の見方ですが、ダービーで見せた勝負強さもあります。これはもしかすると大変なレースになるかもしれませんよ』
「Ah……タイヘンなレースなのは、最初からそうだと思いマス……」
「『大変』のニュアンス違いだ」
「いやどっちも間違ってなくねーか」
どっちも正解である。雨の不良バ場とは思えないハイペースさは、走者にとっては非常に大変な思いをするレースになり、見てる側はなにやら大変なことが起きていると感じることになる。
そして、流石にそろそろ皆も状況を理解してきただろう。ぼくのこれは本当にただの大逃げで、最後の最後までペースは落ちることが無いと。
『さあ向正面に差し掛かってきた。後続もここから徐々に上がってくる。京都3000mはここからが本番!』
問題はここからだ。京都レース場の坂は高低差4mもの急坂。下りの勾配は更にきつく、ここで加速しすぎてしまうと最終コーナーで外に出てロスが生じてしまう。
淀の坂は恐ろしい。それは皆の共通認識だし、今もハラハラした面持ちでこちらを見ているトレーナーさんたちもここでミスをしないようにと祈っているのが分かる。
うん――いいや、行っちまえ。
『坂を前にサバンナストライプここでスパートをかけたっ!?』
「あのバカ!!」
「やりやがった! マジかよアイツ! やりやがったッ!」
この坂を目にした瞬間、ぼくはロングスパートの体勢に入った。
分かってる、正気の沙汰じゃない。普通に考えればそうだ。だがそもそもぼくはその「普通」の定義に入ることができない。
狂気と言われようと勝ち筋は狂気の中にしか無いのだから、飛び込む以外に道は無い!
「――――はっ!」
――そこに、「待った」をかける声がわずかに響いた。もうひとりのスタミナの怪物、マックイーンだ。
ロングスパート勝負にも対抗できると踏んでのことだろうし、追いつく自信があってのことでもある。リードこそ取ってはいるが……実際、捉えられる可能性は高いだろう。
だとしてもこの雨の中、滑りやすい芝の上でなら……!
『まもなく坂の終点4コーナー! ここで、ああぁーっ!? 加速したァ!?』
客席から大きなどよめきが上がる。
かのミスターシービー先輩とゴールドシップ先輩の他に、淀の坂の「ゆっくり降りる」という鉄則を破ったウマ娘は少ない。それは単純な話、そこまでロングスパートに優れているわけではなかったり、そもそも走者としてのタイプが違いすぎて鉄則を崩す必要が無かったためだ。
その必要があるならば、できる自信があるならば――ここでやれば勝率は大きく上がる。
「いやアタシでもこの足元でここまではしねーわ」
「当たり前だ! このままじゃ滑っ……」
一瞬ゴルシパイセンらしからぬ冷静なツッコみが入ったけども。
滑る、という指摘も決して的はずれなものではない。「転倒」の二文字が観客の頭の中によぎるその中で、ぼくは一周目のおかげである確信を得ていた。
行ける。
過剰と言われたパワーもスタミナもここで注ぎ込むように、ぼくはこの不良バ場をパワーで
「なっ、ん…………え、何だ今の」
「あ……あいつパワーだけで強引に方向捻じ曲げやがった……」
ここで外に膨らんで余計なロスを生じさせるわけにはいかない。なら、どうするか。
外に出そうになるのをパワーで強引に持ち直し、ぬかるんで滑る地面を強く強く、それこそ足元が爆発するほどに踏み込んで強引に内へ持っていけばいい。
まもなく最終直線。残り400m――短くはない距離だ。しかし、ここまでに稼いできた差がゴールまでを後押ししてくれるはずだ。そう確信して――――刹那、ぼくは背筋に冷たいものを感じた。
差は。
差は――どれほどついている?
『――――メジロマックイーン猛追!! グングンとスピードを上げ、サバンナストライプに肉薄するッ!!』
わずかにずらした視線の中、ありえないものを見た。
パワーにまかせてバ場をねじふせることで速度を確保するぼくの走りと対象的な、巧緻を極めたかのような柔らかい走り。その瞳には常と異なる光が宿っていて、彼女が明らかに通常の精神状態ではないことが見て取れた。
文字通りの超集中は、既にこの雨粒ひとつひとつが認識できるという状態にまで達しているのだろう。アイネス先輩のそれとは異なる方向性……しかし別方向の極地とも呼ぶべきその走りは、パワーを必要と「しない」わずかなバ場の隙間を読み取り、極めて正確にそのルートを辿っていた。
天候に恵まれ、持てる力の全てを使い、これまでに積み上げてきたもの全部を使って――獲れる、と半ば確信じみたものはあった。
だけど油断があったわけじゃない。勝てる、という積み重ねはあった。
――それでも、天才というやつは一瞬で全てをひっくり返すことができる。
「――――、あ」
全力全開、限界を超えた先の速度を発揮する。
それでも、この脚は「最速」を発揮した相手には、届かない。
『差し切ってゴォォォール!! わずか半バ身ほどの差! しかし確かな差でこのウマ娘が前に出た! 1着はメジロマックイーン!!』
爆発的な歓声の中で、ぼくはその背を見送ることしかできなかった。
・・・≠・・・
――いつ、どうやって学園に戻ってきたか、正直記憶は曖昧だ。
ただいくつか確かなのは、ウイニングライブをなんとか終えて、一泊の後ぼんやりしながら寮に戻ったということだけだ。
レースでの疲労の色も濃いため、基本的に翌日から少しの間は完全休養になる。それでもなんとなく脚は部室に向いてしまい――気づけば再びぼんやりと、寮の門限近くまで、ぼくはコースの近くで立ち尽くしていた。
「そろそろ門限ですよ」
努めて優しい声音を使っているのだろうサブトレさんの呼びかけで、ぼくはようやく我に返った。
もしかして、ぼくがずっとこうしているのに付き合っていたのだろうか。そうだとするなら申し訳無い。恐縮しながら礼をすると、サブトレさんは軽く首を振った。
「ある意味、あなたにとっては初めての負けでしょう。そうなっても仕方ないところは、あると思ってます」
「………………そう、ですね」
別に負け自体は初めてじゃない。ダービーでも一回負けているし、それ以前にも模擬レースなどで何度も負けている。
しかし思えば、適正距離での本気の勝負も、敗北も、これが初めてだ。
「やっぱりショックですか?」
「ショック……ですね、はい。何が一番ショックかって……負けてこんな風になる自分が、一番ショックです」
「競技者ですから、そういう風になることくらいあるでしょう?」
「いえ……2着ですから、賞金も出ますし。元々、賞金出るならいいや、って公言もしてたんです」
それなのに、2着で終わったことに強いショックを受けた。自分の中にまだ悔しいと思う気持ちがあったことにビックリした、というのがここしばらくの上の空の原因だ。
負けたことそれ自体に打ちのめされてる……のも半分くらいはあるけど。
「ぼくは元々、レースを作るのが夢でした」
「はい。そのためにお金稼ぎを、でしたね」
「……夢なんです。世界各国の最強ウマ娘を集めたレースをしたい、っていうの。別にグレードは何だっていいですし、トゥインクルシリーズでなくたっていいけど。ぼくはその舞台で走りたいと思ってます――思ってました」
「過去形なんですか?」
「今は、そのレースに出て、
今回の敗北で、忘れかけて、意識しないでいたものが「悔しい」という気持ちと共に溢れ出したのが分かった。
「世界最強を集めてレースをして勝って、自分こそが世界最強なんだって示したい」
「また随分大きく出ましたね……」
「そうなんです。大きく出たんです――負けて、遠ざかったからこそ改めて気付きました」
暫定的に、今長距離のクラシック日本最強はマックイーンだ。
遠ざかったからこそ、その名の重みとそれに恋い焦がれる自分がいることがようやく分かった。
あるいはそれが、本来「サバンナストライプ」が抱える原初の感情だったのかもしれない。
最強の名をかけて、世界各国の「最強」ともう一度競いたい――と。
サブトレさんはそんなぼくを見て、くすりと小さく微笑んだ。
「少し、シンパシーを覚えてしまいますね」
「シンパシーですか?」
「……いい機会です。強くなりたいと言うのなら、小技のトレーニングを更にもうひとつ上に進めて行きましょう」
「はあ」
え、急に何?
そう思っているとサブトレさんは、不意にいつも着けている帽子を取って見せた。
そこにあったのは……一対の、ウマ耳。
月明かりの下、ぼくはこれまでの彼女とトレーナーさんの言動の積み重ねがカチカチと音を立てて組み上がっていくのを感じた。
「無減速クロスステップは
「え……いや、ちょっ……さ、サブトレさん、って、もしかして……」
「ギンシャリボーイ。それが現役時代の私の名前でした」
敗因については次回で解説しております。