一部三人称視点があります。
菊花賞を走り終えたその翌日。夜も更けてきた頃、寮の食堂で紅茶を嗜むメジロマックイーンの状態は絶不調そのものだった。
初めて
しばらくの間温めた紅茶を口に運んでいたのは、痛みから気を紛らわすためだ。一つため息がこぼれる――その中で、ぱたぱたと近づいてくる足音があった。
「あ、マックイーンがたそがれてる!」
「ネイチャさんを呼んで来ましょうか」
「誰も呼ばないでくださいまし!」
友人たちが変な悪ノリを敢行して更に頭が痛くなる前に、マックイーンはやってきたトウカイテイオーとイクノディクタスに釘を刺した。
「菊花賞一着、おめでとうございます。マックイーンさん」
「ええ、ありがとうございますわ」
「切り替え早っ……」
こういった時にイクノディクタスの切り替えは早い。普段ことあるごとにサバンナストライプたちの悪ノリに追従しているせいだろうとマックイーンは察した。
それはそれとして、切り替えが早いことそのものはありがたいことだ。話がいちいち横に逸れずに済む。
「……でも、ありがとうって割に、あんまり嬉しそうじゃないね?」
「ええ、まあ……」
「先程から何か考えていらっしゃるのも、その件ですか?」
「そうですわね。ただ……ううん」
募る思いを言語化出来ず、マックイーンは
先のレースの結果には、微妙に納得ができていない。結果が覆ることは無いのだが、だとしても自分が勝ったことになにやら釈然としない気持ちがある。あえて言葉にするとすれば――。
「……私は本当にストライプに勝ったのですか?」
「急に何言い出すのマックイーン……」
どことなく、夢心地だった。
あるいはそれは、初めて
ただそれでも、レースの途中で覚えた「このままでは間違いなく負ける」という絶望感は確かなものだ。メジロ家のウマ娘としての使命感と矜持、そして何より負けたくないという強い意地で覚醒した
「今回はあちらに有利な条件がほとんどでしたわ。私も作戦そのものは読み切りましたが……」
「まあ、確かにそうだよね~。実績から見ても、ストライプが勝ちそうだし」
「最終直線でも、あれだけの迫力ある走りをしていたのですから……それこそ、突然ストライプが遅くなるという異常事態でも起きない限りは抜けないと思ったのですが……」
サバンナストライプはG1を既に2勝している、様々な意味でおかしな能力を持った変則ステイヤーだ。対するマックイーンはメジロ家である一方ここまでなかなか芽が出ず、菊花賞にも滑り込みで出走が叶った立場。能力、実力、実績、環境。序盤の位置取りの段階で大逃げのペースに入られると、勝ち筋があるかどうかと自己判断していた。
それ故に、釈然としない。
そんなマックイーンに、イクノディクタスは首を傾げながら言葉をかける。
「ストライプさんは
「「え?」」
それは、京都レース場に直接赴いて「いない」イクノディクタスだからこそ把握していた、ふたりの知らない事実だった。
ギンシャリボーイ。その名前は「皇帝」シンボリルドルフと並んで日本トゥインクルシリーズ界隈において最強の代名詞として語られることが多いが、その行方はトゥインクルシリーズ引退以降語られることがほとんど無い。
「あの人は今!」みたいな番組に出ることもまるで無く、ネット上などでは自分探しの旅説死亡説主婦やってる説……などなど。様々な噂が囁かれては消えていく有様だった。
その実態は、父親であるチーフトレーナーのもと勉強中の、チームベテルギウスの若干脳筋思考が目に付きやすいサブトレーナーであった。
いや順当っちゃ順当だしレース業界から身を引いたとかでもないし、決しておかしなことでもないんだけど……。
「え、何で名前隠してたんです……?」
真っ先に生じた疑問はそれだった。
いや、よく考えればその辺も分かるんだろうけども。今ちょっと頭回ってない。
「ネームバリューが大きすぎるんですよ。私が困るだけなら問題ありませんが、チームに所属してる子たちの重圧になってしまいます。『あのギンシャリボーイが育てたのに』なんて言われることもあるでしょうし……」
「あぁー……」
そりゃダメだ。
改めて考えると、名前をわざわざ出すメリットがほとんど無い。三冠ウマ娘という名前に惹かれて集まって来たウマ娘の期待に必ずしも応えられるわけじゃないし、それで逆にバッシングを受けることだってありうる。大きすぎる期待感はそのまま重圧になりうるし、負ければその期待感がそのまま批判に転換しうる。チームに所属するウマ娘のことを考えるなら、名前を表に出さないのはむしろ当然か。
「それに私自身はトレーナーとしては半人前です。名前を出して人を呼んでも、ロクなことになりませんよ」
「確かに」
「そこで肯定されると指導能力を貶されているようで甚だ不服なんですが」
「自分で半人前って言ったじゃないですかあんた」
「卑下するのはいいんです。人に言われるのは嫌なんです」
「子供か!」
そういやこのひと割と子供っぽい部分あったわ。
打ち上げの時絶対お寿司食べたがるし……それを毎回強行してるし……あとナチュラルに説明放棄したりするし……。
「ともかく」
「都合悪くなったからって急に話題変えるのやめてくださいよ」
「あなたの常套手段でしょう」
「それはそうなんですが」
クソッ! 当たり前だけどギンシャリボーイだって分かってもサブトレさんはサブトレさんだわ! 普段と全然変わらねえ!
「……ともかく、無減速クロスステップの実例なら何度でも見せられます。これから習得速度を上げましょう」
「はい。けど、それならもっと基礎能力の向上も……」
「承知しています。習得を急ぐというのは、早期に習得してそれ以外の能力を伸ばすための時間を取るためです」
限界を超えて時速1km伸ばせるならもう1、2km伸ばせるでしょう、なんて恐ろしい独り言が耳に入ってきた。
マジか。そろそろ折れるぞ脚。今回の強引にコース変更したのだって大概だったのに。
「……さて、そろそろ門限も過ぎますよ。反省会含め、具体的な話は明日詰めましょう」
「あ、はい。……そういえばサブトレさん、タキオン先輩の実験って……」
「私自身が本格化の上がりを迎えたウマ娘なんです。実験台としてちょうどいいでしょう? 見た目も変わって素性もバレなくなるからお得です」
「…………」
そこの狂気は据え置きかよ。
・・・≠・・・
「先の菊花賞の分析はデジタルにやってもらうことになった」
「ウヒョ~~~~!! 萌え上がってきましたよぉぉ!」
「トレーナー! 人選大丈夫かよ!?」
「観察眼は確かだ」
「そうじゃないんだなぁ」
「観察眼は確かなんだ」
今トレーナーさん人格面には一切触れませんでしたね?
いやちょっとハッスルしやすくウマ娘愛に溢れすぎなだけで悪いわけじゃないんだけども。
ともあれ後日、ぼくたちは部室で先日の菊花賞のレース分析を行うことになった。
解説はトレーナーさんとデジたんパイセン。観察眼が確かなのは本当のことだけど、普段はハッスルしすぎてすぐ
トレーナーさんたちにその辺太鼓判押されてるの地味に……いや派手にすごくないこのひと?
「では僭越ながら、デジたん解説に移らせていただきまヒョォォ!」
「本当にコイツで大丈夫か!?」
「真面目になる必要があるときは真面目にやるやつだと信じろ!」
「論点をずらすンじゃねェ!」
映像が始まった途端にデジたんが死んだ。
しかしトレーナーさんも時々変な方向に突っ走るよね。ぼく含めこのチームのメンバー我が強すぎて放置するしか無い部分もあるからだろうけど。
「今回のレース、敗因が分かる者はいるか?」
気を取り直して発せられた問いかけに、答えられるひとはいないようだった。ぼくは遠慮がちに手を軽く挙げて応じる。
「マックイーンが
「
「あの~……ちょっといいです?」
「何だスカイ」
「逆にストライプが負ける理由が見えてこないんですけど。めっちゃくちゃ有利な条件整ってましたよね?」
「あァ。いくらメジロマックイーンがあの場で殻を破ってそれまでのデータを更新したとしても、容易に勝てる条件じゃねェ」
「でも負けたのは事実ですし、マックイーンがただ強かったってだけじゃ……」
「オメーはちょい黙れ。ストライプな、お前マックイーン好きすぎてバイアスかかってんだよ。主観が入り込みすぎて正確な評価できてねーんだ」
「えっ」
いや、それは……そういうことは……無い、とは言い切れない……かも……?
「ドーナッツの言う通り、ストライプは現状主観でしか語れん。自分では認識できてない何かが起きている可能性が高いから、最も分析に長けているデジタルに見てもらいたいんだが……」
「ヒョォォ~! ここ、これいいですよね、一瞬滑りそうになるけど持ち直したこの時の」
「すみませんデジタル、もう少し先に進めてください!」
「あ、はい、お任せを!」
本当に任せて大丈夫だろうか。不安感が急激に高まってきたぞ!
「本質的にあの辺りの走りは問題ない、ということだろうが……」
ええと、だからデジたんパイセンも存分に興奮していられる……ってことなのかな。
まだ本質的に指摘しないといけない部分に到達していない、と。あの滑ったところがそうじゃないとすると、他に原因なんて何かあったっけ?
「あ、ここからですね! 坂……はまだいいです、あ、でもこれゴルシさんを彷彿とさせてエモいんですよねぇ~」
「もう少し先のようだ」
「もう少し先っていうと……」
坂を下ったところ?
首を傾げていると、映像は確かに続いてぼくが坂を下るシーンに移っていた。うん、あそこで絶対に滑るから、力を込めてこう、ズドンと……。
「問題はここですね。コーナーを曲がるために力いっぱい踏みしめたところ」
「え?」
「は?」
「ん?」
わけがわからず、周りの何人かを巻き込んで疑問の声が上がった。
そこは……そうするのが最短だし、度肝を抜いてたわけだから効果としては上々では……?
「正確に言うと、これだけじゃなくてここからの一連の流れですね。あ、見てください。足元。爆発したみたいに勢いよく泥が飛んでます。すっごいパワーですよね! これを見てるともうたまらんのですが!」
「説明を続けてくれんか」
「あ、はい。あのですね、パワーがあれば重いバ場に適応できるというのは確かなんですけど、ストライプさんの場合はそのパワーが
「……いいことじゃないんデスか?」
「もちろんいいことです! 普通にレースをするにあたってこれほど加速力を生み出せる脚は知りません!」
――「普通に」レースをするにあたって……?
「なんですけど、ここ、見てください」
言って、デジタル先輩はモニタに映ったぼくの足元を指さした。水分を多量に含んだ泥が、バシャバシャと勢いよく……まるで水柱が上がるように跳ね上げられている。
「菊花賞のバ場は『不良』の発表でした。排水性の高い日本のバ場では実はこれ、滅多に起きないんです。間違いなく相当な量の水を吸ってます、それこそ芝……より下の地面も」
「うむ……ああ、なるほど。そういうことか」
「はい。ですので、ストライプさんは最終直線、全力を出そうと力いっぱいになるあまりターフを『踏み抜いて』走ってたんです。当然力は後ろに抜けて散っていきますし、脚でバ場に穴を開けてそこから力ずくで抜く、みたいな走り方になってしまうのでとんでもないロスが生じてしまいます。その結果――」
そこまで説明されて画面を見ると、ようやくぼくにも理解できた。
全力全開、全身全霊で限界を超えて走ろうとしていた
見ると、コースも穴ぼこだらけだ。気付かなかった、というか気付けなかった、というか……本気の本気で全力出すと理性が飛ぶ悪癖が、完全に悪影響になってる。
「スピードを上げようとしているのに遅くなる、という現象が起きてしまいます。対してマックイーンさんは
「なァ。つまりストライプは……」
「本人は最高の条件だと思い込んでいたが――不良バ場との相性がすこぶる悪いということになるな」
「えぇ……」
足元が悪いからパワーが必要になる、というのは間違っていない。しかし定石がどのウマ娘にとっても最良の選択ではないように、パワーがあるからと言って必ずしも不良バ場に適応できるものではないらしい。
……そもそも不良バ場のサンプルケースそのものが少ないというのもあるし、それを想定したトレーニングを積んでいない――というか水を大量に含ませないといけないからおいそれとそんな経験は積めない――というのもあって気付けなかったようだ。
ダートに適応できる、重バ場は得意、という先入観が強すぎたと言うべきか……。
「……デジタル、お前の見立てだとどのくらいのバ場まで対応できる?」
「重バ場までなら行けるんじゃないかと! そのくらいまでなら、芝は滑っても地面は固まってると思いますので」
「となると、本当に不良バ場だけがダメなんですね……」
「軽くショックなんですけど」
雨だから有利とフカしてたのが恥ずかしい。いや、まあ、実際単なる雨で稍重とかならむしろ有利になるんだろうけど……。
「ストライプ、パワーを制御とかできないんですか?」
「や、まあ、はい。全力出すこと意識しすぎなければ多少イケるとは思いますけど」
それでも「多少」という表現になってしまうのは、やっぱりそういう野生のサガというかなんというか。
やるからにはどうしても全力になってしまうというかなんというか……。
「ともかく原因は概ね分かった。問題は次のレースだが……」
「ステイヤーズステークスでどうでしょう」
「となると有馬記念は見送るか?」
「……投票次第ですかね?」
「コイツファン投票での特別出走奨励金狙ってやがる……」
「いつもの調子に戻って安心したと言っていいやら悪いやら……」
「この子気落ちしてた時も勘定だけは欠かしてませんでしたよ」
……あとこっちの金銭欲も制御しきれないというかなんというか。