秋の天皇賞。スカイ先輩にスペ先輩、ブライト先輩にキング先輩、ツルちゃん先輩……。数々の有力ウマ娘が参加したこのレース、熾烈なデッドヒートの末に勝利を掴んだのは、最終直線で上がり最速を叩き出し全員を撫で切りにしてみせたスペ先輩だった。
スカイ先輩も数々の策を弄したものの、残念なことに中盤でバ群に飲まれてしまい逃げ足を発揮しきれず3着*1。春の天皇賞を彷彿とさせる結果のためか、レースが終わってからもしばらくはフラワーですら話しかけられないほど憔悴していた。
2000mは皐月賞と札幌記念で勝ったことからも、スカイ先輩にとっては得意距離のうちの一つだということが見て取れる。菊花賞で負けたぼくもだけど、得意な距離で負けるというのはなんというか芯に響くようにズンと堪えるものだ。しばらくはそっとしておくべきだろう。
ジャパンカップ前日のキャピタルステークスはスズカ先輩の復帰戦となった。心理的な抵抗から大逃げができなくなっていたスズカ先輩だが、トラウマからバ群で走れなくなったことのあるタマ先輩を彷彿とさせる後方一気の追い込みで見事な勝利を収めた。ぼくはテレビ越しに泣いた。
そしてジャパンカップ。今年の凱旋門賞でエル先輩を下したモンジュー*2を含め、中距離路線における世界最強格のウマ娘たちが集結。
ダービーウマ娘、そして天皇賞春秋連覇という偉業を成し遂げたウマ娘……日本の総大将としてスペ先輩がこれに応じた。
壮絶な叩き合いの末に
有名な台詞*3は出なかった。
12月はじめ、中山レース場。冷え込みがきつくなり始めてきたこの時期は正直そんなに得意じゃない。いや夏も正直あんまり得意じゃない。一年を通して気温がそれほど変わらないナイロビと比べると、やはり寒暖差がキツすぎる。
トレーナーさんとチームメンバーの数名は、今は香港に行ってスナイパー先輩の香港ヴァーズの応援に向かっているので今日の観戦はチームメンバーの半数ほどになっている。
「勝負服が欲しいぃ」
「あー、あのマントあったかそうだもんね……」
その中、控え室でぼくは軽く身悶えしていた。
ジャージこそ着てるんだけど、気候に対して比較的対応力の高い勝負服のマントが恋しい。今思うとあれ結構便利……影も作れるから日除けもしやすいし、毛布代わりに暖を取ることもできるし……。
そんなぼくに、ドーナッツ先輩が肩を叩いて軽くサムズアップしてみせた。
「分かるぜその気持ち……」
「分かりますか」
「おう」
オーストラリアの年間の気候は、南半球に位置していることから日本と逆転しているとよく言われるが、実際のところ気温という意味ではオーストラリアの方がやや安定している。国土が広いだけあって州によって違いこそあるようだけど、ドーナッツ先輩は比較的気温の変化が安定している州出身のようだ。
一方、同じく海外出身のリムジン先輩とフラッシュ先輩はあまり動じていない。アメリカとドイツは平均気温が低くなり、氷点下まで冷え込むことも多いためだろう。
「G2でもさぁ……勝負服解禁しましょうよ……」
「とうとう胡乱なこと言い出したぞ」
「ルドルフにでも意見陳情上げてみればいいんじゃないですか?」
「それは勘弁です」
テキトーなこと言い出すと絶対ガチの討論になっちゃうし、会長さんに対して気楽な軽口叩けるほど親密というわけではないし……これがテイオーならハハハ面白いことを言うなぁくらいで受け流してくれるんだろうけど。
「おい、それよりンな呑気してていいのかよ」
「いやぁ、ナーバスになりすぎると逆に調子出ない? みたいな」
「みたいなって何だよ断言しろよ」
「断言したら逃げ道が無くなるじゃないですか~……」
「こっすいヤツだなお前……」
そりゃそうですとも。
なんならこっすいからこそ勝ててるフシすらあるしね、現状……。
「じゃ、そろそろ行ってきまーす」
「お前その緩いままで行っていいのかよ」
「何事も緩急ですよ緩急。変に力入れすぎても逆に実力発揮できなくなるだけですって」
「それらしいこと言って煙に巻くンじゃねェ」
へへへと揉み手をしながら高速で下がって部屋から出る。
まあ、もうちょっと言いようはあったかなと思わなくもない。ただ、緊張を解くには緩いくらいの方がいいのは違いない。
――というのは、まあ、要するに緊張してることの証明なんだけど。
正直、菊花賞の一件以来常に「長距離でも負けるかも」という意識が浮かんで思った以上にしんどい。
2400、3000と距離延長するたびに2着になってるのだから、その辺の考えはどうにも抜けないのだろう。
ふざけてないと「もしかすると」で頭がパンクしそうで仕方ない。はっきり言って絶不調もいいところだ。
「――まずは走らないと」
それでもレースの時間はやってくる。調子を好転させる巧い手があるわけでもないし、思考が止まらない分にはもうどうしようもない。
走れば余計な思考は削ぎ落とされる……はずだ。
・・・≠・・・
『まもなく始まりますステイヤーズステークス、1番人気はこの子、サバンナストライプ』
『3000での実力を評価された形ですね。しかし2番人気のインナーステラーも決して劣っていませんよ』
ステイヤーズステークスに出走するウマ娘の傾向は、どちらかと言うとここまであまり実力を発揮できなかったひとが多い。加えて半月後には有馬記念を控えていることから人気の、つまりここまでG1で結果を出しているウマ娘が回避してしまうため、注目度はあまり高くないレースと言われても正直、仕方ない部分もある。
しかしそれでも、去年のブライト先輩のように、この先大きなレースで実力を発揮するウマ娘が出走しうるレースでもある。
隠れた実力者の実力が発揮されうる……あるいはそれまで判明していなかった適性が証明される超長距離。それがこのレースだ。
今回の出走者を見ても、油断できるものでは決して無いのは確かなのだけど――。
『さあ全ウマ娘ゲートに入りました。今、スタートです!』
『――ああっと、10番サバンナストライプ出遅れた!?』
「あっ」
「あのバカ!!」
「うっそぉ!?」
やべっ!? 不安感抜けきらないままだったせいか考えごとに集中しすぎた! 一気に加速して集団に追いつくが、最後尾についてしまった!
『珍しいですね、ここまではスタートダッシュで機先を制するレースをしていたのですが』
『先頭はローズナイト、続いてツキジストライカー。レースは緩やかに進んでいます』
うっわ、サブトレさん口元は笑ってるのにすっごい目で見てる。これ後で説教受けるやつだ……。
あー……うん……まあそうなる……が……。
レースになったらとりとめのない考えがもうちょっとまとまると思ったんだけど、そうでもないか。
――だったら、無理矢理思考をまとめて切り替えよう。
現在の位置は最後尾。前の様子が見やすいこの位置も、悪くない。
先頭での力押しが一番やりやすいってだけで、脚質自体は別に追い込むのも差すのも向いてないわけじゃない。
それにこの3600という距離はこれまでのレースと全然違う。いきなり急坂からスタートし、コースを合計2周と更に少し。長丁場のレースになる上に急坂を三度も超えないといけないため、ぼくでも多少スタミナを温存して走る必要がある。
だから、まずこの一周は後ろから様子を見る。「何もしない」ことを選択することで皆の警戒心を高めておこう。
『まもなく3コーナー、未だ大きな動きはありません。先頭は変わらずローズナイト。2番手――変わりました、ヒドゥンコールド』
「大丈夫かよストライプのヤツ……!?」
「どう、でしょーね……?」
――なるほど。
1周目、チームの皆の顔が見えたところで既に焦れていることが見て取れた。
ここでチームの皆が焦れているということは、同じレースを走っている他のウマ娘の皆もまた……同じくらいか、それ以上に焦れているということだ。
レースは現状、ロスを生じさせず可能な限り体力を維持するための縦長の展開。
ならば。
(ここ!)
仕掛けどころは「ここ」だ。
中山の直線、ゴール前の急坂。他のウマ娘たちの脚が衰えたその段階で力を込める。
――坂は、ぼくの得意分野だ。ここで加速すること、あるいは減速しないことにかけては誰にも負けはしない。
『ああぁーっと! ここで最後尾サバンナストライプが伸びてきた!』
「!」
「っ!」
「なぁっ!?」
先行していたウマ娘を抜いて横を通り抜けていくたびに、お前は沈んだはずだとでも言いたげな表情がうかがえる。
まあ普通ならそうなる。出遅れからなんとか速度を上げて最後尾につこうとしたら、普通はもうついていくことが精一杯になってしまうだろう。
だとして、それはただの一般論だ。ぼくにも全く同じことが言えるわけじゃない。最後尾にいたことでぼくはむしろスタミナを温存できていた。これまでのレースを考えると、消耗は過去最少と言ってもいいだろう。
残り……ここから1800m……くらいかな? となると、今の体力の残りから考えると……行けるか。
――
『グイグイ上がってくる! まくってグイグイ上がってくる! まもなく向正面、先頭サバンナストライプに変わったぁっ!!』
中山レース場、天気は晴れ。当然、足元はカチカチの良バ場だ。
思えば、ぼくは今までずっとバ場は重いほうが良いと思ってきたのだが、ここまで走ってきた――そして勝ってきたレースはその大半が良バ場だ。
先入観と固定観念を除いて考えると、良バ場でも「苦手ではない」と表現するのが正確なのだろう。
同時に、ぼくはこれまで多くのレースで先入観や風評を利用して、何事に関しても「やりかねない」と思わせておく……ブラフによる心理戦を展開してきた。
それに対しても先の例と似たようなことが言える。「ブラフなのだから実際にできる必要は無い」とか、全く思ってなかったとは言い切れない。いくら体力自慢でも2000mを全て全力疾走で駆け抜けるなんて無理だろ……なんて、思っていなかったと言うと嘘になる。
「はっ――――!」
こうやって、改めてレースに出てようやく、頭でなく体で理解した。
まずは、既存の先入観を全部捨てて、自分の限界を定めているネガティブな価値観を一掃する。限界の壁を壊せるのは、きっとそれからだ。
勢いよく地面を蹴りつける。これまでの力任せのものじゃなく、「最適」を目指して強く、しかし確実に。
『4コーナーを抜けて一番にやってきたのはサバンナストライプ! 後続とは既に大差がついています!』
何度も限界を超えるべく、実際に限界速度を超えて何度も走ってきた。限界を超えたその速度を定着するためのトレーニングだって何度だってやってきた。
だったら、今の限界速度を維持し続けて何十、何百メートルも走ることも……2000まるごと全力で走ることだって不可能じゃない! 限界を決めつけるな!
「だあああぁぁっ!!」
『――――衰えない! スピードが全く落ちない!! 後続も一気に追い込むが、まだ来ない!』
後ろは見ない。ぼくの勝負どころでの弱さは、土壇場で他に注意を向ける点にもあるかもしれないからだ。
ただゴール板だけを見て駆け抜けろ!
『そして今! ……大差でゴールイン!! 前々年のメジロブライトに続いてここ中山レース場で大記録を打ち立てました!!』
握り拳を振り上げる。自分こそが勝者なんだと掲げることもそうだが――何よりも、まだやれる、成長した先がまだあるはずだという自分自身の思いをぶちまけるように。
『無尽蔵のスタミナは自ら電力を生み出す発電機か、はたまた発電所か。本日もまさしくタービンの如き回転を見せてくれました』
ぼくは振り上げた手をそのまま降ろした。
キレの良い実況はいいけどそういう羞恥が混ざる方面は求めてない……。